6. 映画「慕情」より



英語のリスニングの練習中に、学生時代に仙台の小さな映画館で鑑賞した「慕情」を思いだし、もう一度見たいと思ってDVDを借りてきた。


香港の美しい情景と、甘美な音楽を背景に物語は進む。セリフは、思ったよりも聞き取れるのだが、100%ではない。そこで「慕情のシナリオ」がどこかにないかと、ネットで検索してみたが見あたらなかった。それで字幕セリフの全文書き取りを試みた。英会話の勉強にもなると思ったからである。


さらに、ネットで検索しているうちに、原作の小説「A Many-Sprendored Thing」があることが判った。(角川文庫、「慕情」、ハン・スーイン著、深町真理子訳)

しかし如何せん出版が古く(1970年)、手に入れることが困難であることも判明。「駄目もと」と思って図書館に依頼したら、地元の千葉県ではなく、隣の埼玉県から取り寄せて頂いた。感謝多々である。


そしてこの映画は、著者、ハン・スーイン(中国人の父とベルギー人の母を持つ、混血のユーレイシア人医者。国民党将軍の夫を共産党に殺された未亡人)の自伝的小説を映画化したものであることも判った。



映画は、彼女とマーク・エリオット(北京生まれでイギリス人の新聞記者。妻とは別居中)との悲恋を中心に描かれており、小説もその通りなのだが、小説には、映画では取り上げられていない内容が沢山あり、こちらもすっかり引き込まれてしまった。出版当時、ベストセラーであったと言うが、さもありなんと思う。



              庭の花・梅


この物語は、第二次世界大戦終了後の混乱期が、時代背景となっている。(194950年)中国の共産主義革命と香港への難民流入、そして朝鮮戦争の勃発。


ハン・スーインがあるパーティでマークに出会ったのが1949年3月で、マークが朝鮮戦争の従軍記者として、従軍中に死亡したのが1950年8月であったから二人の交際は、ほんの1年半の間であった。しかも中国人民共和国が北京で建国を宣言したのが1949年10月1日であったことを考えると、この物語は激動の中国が背景になっている事が良くわかるのである。


国民党の腐敗堕落が共産党勝利の背景にあった事は確かだが、ひとたび共産党が権力を握ると、今度は共産党が、国民を圧迫し始めた。自分たちの権力を維持する為に、反対する者達を粛正した。その数は数千万人にも昇ると言われているが、正確なことは、ようとして知ることは出来ない。この点はソビエトの共産主義革命においても同様であった。


映画を観て美女のハン・スーインに魅力を覚えたのは言うまでもないが、それは彼女の外観からだけではない。考え方もしっかりしていて確かなのである。中国の共産主義革命の最中にあって、彼女はその革命に疑問を抱いているのである。それは、毎日おびただしい数の難民が大陸中国から香港へ流れてくるのを見て、「そんなに良い革命なら、何故こんなに難民があふれ出てくるのか」と。


香港の病院で働いている同僚の医者から、愛国心に訴えながら「あなたも非国民と言われたくなければ、国へ帰って祖国のために尽くすべきではないか」と説得されるのだが、疑問を感じてその説得には応じないのである。



                       庭の花・臘梅(ろうばい)


激動の渦中に身を置いている人が、今社会はどこに向かって流れているのかを読み切ることの難しさは歴史が教えてくれる。日本の太平洋戦争突入しかり、ヒトラーの政権奪取からホロコーストに至るまでもしかり。ヒトラーがオーストリアに侵攻したとき、オーストリアの大衆は小旗を振って歓迎したという。


大衆は巧妙な宣伝や、いわゆる大本営発表にいとも簡単にだまされ、洗脳されていく。ウソ、欺瞞、粉飾を見抜けないのである。過去を振り返って云々することは誰にでもできる。しかし時代の渦中にあって的確な判断を下すことが如何に難しいことなのか。それだけに事に当たっては、我々は慎重であるべきであろう。


「目的のためには手段を選ばない」式の考えが案外まかり通っているのだが、私はこの考えには反対である。その手の改革、革命で、民衆を幸福にした歴史を私は知らない。


マルクスは、共産主義社会が労働者にとって、平和と、平等と、豊かさを保証する理想的な社会になると確信し、極めて人道的な考えから、資本主義の本源的矛盾をえぐり出すようにして資本論を執筆し、革命思想を打ち立てたことは間違いない。しかし結果はご覧の通り。単に権力者が取って代わっただけの、いや更に悲惨な社会が待ち受けていたのである。どんなに熟慮したつもりでもし過ぎることはない。


革命に行き過ぎは付き物のようであるが、結果として、それだけの命を犠牲にしてまで断行するほどの価値があったのだろうか、と静かに問い直してみると、首をかしげざるを得ないのではなかろうか。中国もそしてソ連も、――長い時間と多くの犠牲者を要して――その壮大なる実験を終了させつつあるようだ。


その後、ハン・スーインは中国には帰らず、シンガポールで生涯を過ごしたそうだ。


 




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