9.トヨタ・危うし!


前期(2007年度)の連結決算で2兆2700億円の営業利益を計上して、絶好調を謳歌していたトヨタ自動車が、一転して、今期(2008年度)の見通しを1500億円の赤字決算になる見込みであると発表して世間を驚かせた。(2008年12月23日、中日新聞、朝刊)

歴史の教えるところとして、組織は絶頂期にその敗因を作っているというが、トヨタの場合は何が敗因であったのだろうか。

トヨタが築き上げた「改善」は世界のビジネス用語「kaizenカイゼン」としてそのまま英語になっているほど、生産工程等の絶えざる改善・効率化は、1980年代日本の自動車産業の高い生産性の要因とみなされてきた。トヨタに限って死角、盲点は無いかに思えていたのだが。

連結決算のドラスティックな落ち込みの要因は、大きく分けて次の二つであるという。

@       販売の減少

A       円高による為替差損

この度のアメリカ合衆国のサブプライムローンに端を発した経済危機により、アメリカを始めとする海外での自動車の売り上げが大きく落ち込んでいる。加えて、為替が円高に大きく振れているため、それによる損失が膨大な額に達してしまう。

結果論だが、今までが良すぎたということだ。つまり、アメリカを中心としたバブル経済のおかげで、トヨタ社は売り上げをどんどん伸ばしていった。おまけに為替が円安の状態が続いていた。この状況がいつまでも続くやに思えたのだが、現実の環境は対応が不可能というしかないほど急変したのである。

結局、海外への輸出に大きく販路を広げていったことが、今のトヨタを危うくしているのである。組織には何処も、その発展期と衰退期がある。これは歴史的必然である。ローマ帝国しかり、ナポレオンのロシア遠征、日本帝国の大東亜共栄圏、みな同様に勢力を拡大し尽くした後に、衰退して行った。ただ、その発展と、衰退の要因が実はいつも同じであるというところが皮肉ではないだろうか。トヨタの場合は、輸出産業として発展し、今、輸出産業として苦しんでいるのだ。

そのような状況の中にあっても、もちろんトヨタは、「カイゼン」を旗印に、あらゆる経営努力をしてきた。これからも、経営体質の改善と来年以降の減産強化を明らかにしている。

                                      シンガポール



さて、私が言いたいのはこれから述べることである。つまり今回のトヨタの状況を見て、資本論で述べられていることで、何か検証できることは無いかということである。

実は、資本論は、共産主義への必然性を説く中で、その理論の前提条件を幾つか設けていることはご存知であろうか。私の分類では大きく分けて次の3つである。

前提条件その@・・・・・単純化

(1日の高度な労働はX日の単純な労働を行うという仮定よって分析を進める)資本論第1巻第5章

前提条件そのA・・・・・捨象化

(商品は不変の事情のもとで、その価値どおりに売られることが想定される。従って、循環過程で起こりうる価値変動は無視される)第2巻第1章

前提条件そのB・・・・・平均化

(いろいろな生産部面における労働の搾取度または剰余価値率が同じであることを前提にしている)第3巻第10章

これらの前提条件は、マルクスが資本主義社会の経済を、簡単に分析しやすくなるように設けたものである。しかしながら、現実の社会はそんなに単純ではないことが、今回のトヨタの危機を目の当たりにすると良くわかると思う。

ここでは前提条件そのAの問題点について述べてみたい。

トヨタの危機は、経済的環境の激変によって突然に訪れた。これは現実のものである。しかし資本論では、「商品は不変の事情のもとで」つまり経済的な環境の変化:今回のようなサブプライムローンに端を発した経済危機:は無いものとして、しかも「商品はその価値どおりに売られる」つまり、例えば、1台200万円(160万円のコスト+40万円の利益)の車は、値引きすることなく200万円で売れることが想定されているのである。

このような想定がいかに現実離れしたものであるか、今回の事例で明確になっている。トヨタは生産したものが売れないために、減産を余儀なくされ、為替が円高に振れたために、1台200万円で売りたかったものが、例えば150万円にしかならないのである。

前提条件そのAで言うところの「循環過程で起こりうる価値変動は無視される」。つまり、「循環過程で起きた為替の変動は無視される」と言うことになる。こんなむちゃくちゃな話は、いくら分析を簡単にするためとは言っても暴論ではないであろうか。資本論はこのように始めから脆弱な前提の上に、論理が構築されていることを念頭に置いて読むべきである。



私は資本論が読むに値しないとか、過去の遺物だとか言っているつもりは無い。ただ所々に、飛躍があったり、暴論があったりして、結果として資本主義社会の構造を正確に分析しているとは言い難い。前回の「資本論に見る恐慌論」のように、現在読んでも参考になる部分はたくさんあると思うのだが。

                                マレーシア(ペナン島)


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