10.ケアンズ 6月26日(土) AM6:00、起床。夕べはシャワーも浴びずに寝たので、珍しく朝のシャワーだ。朝食の後、AM7:30からパソコン。TVの天気予報では、今日のケアンズは、晴れ時々雨、最低気温21℃、最高気温28℃、湿度92%と言っている。真冬だと言うのに東京なら殆ど夏の気候だ。ダーウィンなんか32℃と言っている。オーストラリア国内における気温の差を見ても、国土の大きさを感じる パソコンをやっていると、同室のカップルが食事にやってきた。男性は「アイルランドの経済状態が悪く、仕事が無いのでストレスが溜まります。それでオ−ストラリアに来て働いています。アイルランドでは建築業をやっていました」と言う。女性は「大学を終えて旅行に来ました。帰ったら警察官になりたいです。大学での専攻が犯罪学でしたから」と言う。 「珍しい学科があるんだね」と私が言うと、「イギリスは犯罪が多いんですよ」とアイルランド人男性。「アイルランドはどちらに住んでいたの」と男性に聞くと「北の方です」と言う。「じゃあ、UKの北アイルランドかい?」と言うと「いや、そうではない方のアイルランドです」と言う。「じゃあ、カソリックだね」と言うと「そうです」と言った。 AM10:00、相部屋のカップルが、荷物を背負ってウロウロしている。「今日、出発かい」と聞くと、「大きい二人部屋に移るんです」と言う。「やっぱり、他人が居ない方が良いのかな」と思う。 AM12:00、昨日のご飯の残りと、インスタントラーメンで昼食。食材の方も、帰国のことを考えて、なるべく残さないようにする。 PM14:00、市内散歩。ケアンズ市内は狭く、端から端まで歩いても20〜30分の距離である。何か見るべきものが無いかと、キョロキョロしながら歩くが、お土産屋さん、レストラン、ホテル、ホステル、喫茶店、旅行代理店位しか見当たらない。「犬も歩けば棒に当たる」と言うが、この街では棒に当たらない。要するに郊外へ出て行くしか見所は無いのである。 従ってケアンズの町自体は、観光の窓口ではあるが、観光地ではない。そして海や山の観光地に行くには、船や車を使う事になるが、そこへ行く為の、公共の交通機関が多くないので、結局ツアーに参加する事になる。旅行代理店が多くなる訳だ。公共機関があれば10ドル、20ドルで行けそうな所が、100ドル、150ドルになっている。 私は、明後日のキュランダへの観光ツアーを、YHAから申し込んだ。アルバイトの男性が、受付の方法を心得ていて書類を作っている。私には「定価の5%値引きします。それ以上は無理です」と言いながら、旅行会社には10%減額した価格を支払う事で話が出来ていた。つまり差額の5%はYHAの収入になるわけだ。そうやって手数料を分け合って、成り立っているのがツアー料金であり、観光産業である。 散歩からの帰りがけに、若干のお土産を買ったとき、レジでお金を支払おうとしたら、お金が見当たらない!「おかしいな、そんな馬鹿な!さては今朝突然部屋を変えるといって出て行ったカップルにやられたかな?だとすれば、パソコンを打つのに部屋を開けていた間だ。この際はどうしよう、品物を戻すか、カードで支払うか」と考え、とりあえずカードにしておいた。 支払いを済ませて外へ出てからもう一度、ポシェットの中に入っている物を、全部出して調べたがやはり見つからない。やっぱりあのカップルが怪しい。と思っていた時、何時もは使った事の無い、ポシェットの一番手前の狭い所に、何か白い紙が見えた。何と其処にあったのでした。あと2〜3日、どうやって暮らそうかと考え始めても居たところでした。それにカップルを、一瞬なりとも疑って申し訳ありませんでした! PM17:00、ホステルに戻り、夕飯の支度。昨日の残りのご飯をチャーハンにして食べようと思い、卵、ベーコンを入れて、フライパンで炒める。最後に塩・コショウ、そして出来れば、醤油を少し入れたい所だが、醤油を切らしている為に、残っているケチャップを入れた。結果は、チャーハンと言うより、オムレツの具のような味になった。残り物で作った割には、まっ、いいか! PM22:00までパソコン。PM23:00、就寝。 6月27日(日) AM7:00、起床、食事。AM8:00、パソコン。お陰で、日記の遅れも大分追い付いて来た。AM10:00、今日も特に予定は無いのだが、お天気が良くなってきたので、市内の散歩をもう少し。シティ・センターまでは行ったが、センターの向こう側は、まだ歩いていなかったので、その辺を目指して。 今日は日曜日と言う事で、広場では催し物が開かれていたが、いかにも地域のイベントと言う感じで、写真に収める気分にはならなかった。少し歩いて行くと、義妹家族が数ヶ月前にツアーで来て宿泊したと言っていたホテル、パシフィック・インターナショナル・ケアンズ(Pacific International Cairns)に出くわした。町の中心地で港に近い所である。
Pacific International この辺一帯にホテルが立ち並んでいる。桟橋まで歩いても4〜5分だ。近所にはお土産屋さんが林立しており、大橋巨泉経営の「OKギフト」も在った。日本人がお土産にしそうな品が揃えられているが、価格は高めだ。
OKギフト その中の1軒を覗くと「いらっしゃいませ」と、50歳ぐらいの婦人が日本語で挨拶。私の旅行の話を聞きながら、「シュノーケリングとか、海での遊びをなさらないのでしたら、いい時に来られたと思いますよ。夏は暑すぎて外は歩けないぐらいですから」と。そして、ご自分の事も「夫はオーストラリア人です。日本で英語教師をしていた事もありますが、今は此処で土産店を経営しております。 高校生の息子は日本に大変興味を持っており、オーストラリアよりも面白そうだ。将来は日本で仕事をしたいと言っておりますが、日本の将来は希望が持てるのでしょうか。お陰で、言葉の方は両方出来ますが。私達も、これから先ここで暮らすか、日本で暮らすか思案中です。」と言っておられた。 お昼近くになった時、中華店があったので、ラーメンでも食べようと中に入った。それらしいメニューを見ていたら「xxxがお勧めです」と言う。「良く分からないがヌードルならいいか」と思い、「じゃあ、それを」と注文した。出てきたのは、麺の上に沢山の鶏の燻製が載った物であった。麺も短くて腰が無く、歯応えの無い物であった。「これならワンタンの方が良かったな」と思いながらも、食べ進めて行くと、少しずつ味が舌に馴染んで来て、結局全部平らげました。12ドル也。 その店には、日本語を少し話す女の子が居て、「ケアンズに来て、何処か行きましたか?」と言う。私は「まだ何処にも行っていません。明日はキュランダに行きますが、明後日は日本に帰ります」と言うと「ケアンズの町にいても何もありませんよ。今からでも行ける所がありますから、是非行って来た方が良いですよ。すぐ其処に日本語の出来る旅行代理店も在りますから」と熱心に言う。彼女は母が日本人、父が台湾人だと言う。 食後、その旅行代理店に行ってみた。オーストラリア人だが、日本語を話せる中年の男性。「私は、ナイト・パロネラ・パーク(Night Paronella Park)を勧めます。今から行って、観光して、帰りにイタリアレストランに寄って食事をしてくるツアーです。夜景が綺麗ですよ。宮崎駿のアニメ「天空の城・ラピュタ」のモデルになった所です。見応えがありますよ。 グリーン島も良いけど、もっと先まで行った方が綺麗だし、今からでも行けない事は無いけど、チョッと遅いし」と、熱心である。私は「明日キュランダ(Kuranda)に行くんですよ」と言うと「キュランダなんか行ってもしょうが無いですよ。スカイレイル(Skyrail)と言うロープウェイから見る熱帯雨林なんか、ブロッコリーを見ている様で退屈だし、帰りの列車はノロリノロリ走っているから皆寝ていますよ」と、糞味噌だ。 「旅行業者が其処まで言うか?」と思いながらも、「一理はあるのかも。しかしキュランダは、ケアンズに来た人には、最初に勧める観光地ではないのか?他のツアーを売るためには何とでも言う」と思えた。私は「要するにケアンズには、大した観光地は無い」と判断し、何も買わずに店を出た。 PM14:00帰宅。パソコンを叩き、PM18:00から、夕食の支度。残りご飯でチャーハンを作り、ジャガイモとサラダを添えて。すっかりお馴染みのメニューだ。夕食後、日記を書くことに夢中になり、就寝がPM24:00に成ってしまった。 6月28日(月) AM7:00、起床。朝食。お昼の弁当も作る。とは言っても、サンドウィッチ、バナナ、リンゴの定番メニュー。今日は幸いに晴れ。最高気温28℃の予定。お出かけには申し分なし。今日は、キュランダ高原へのツアーに参加。そして、オーストラリアでの最終日。 AM9:15、ホステル前の待ち合わせ場所で、ピックアップしてもらう。運転手は「スイス人。オーストラリアに来て4年になる。何が印象に残りましたか」と言うので「探検家スチュアートの件と、何処に行っても第2次大戦時の対日本戦の記念碑である、アンザック(ANZAC)記念碑があったことだ」と言うと、「此処にもアンザックの記念碑がありますよ。後で其処を通るから教えます」と言う。 後で教えられた記念碑は、私が散歩の時に見た物であった。ただ、それがアンザックの記念碑である事には気が付いていなかった。と言うのは、他の所にある記念碑よりも小さかったので、ちらと見ただけで通り過ぎていたのだ。それにしても、アンザックの記念碑は、本当に何処の街にでもある事が分かった。 私を含めて3組、5人をピックアップして、AM9:50、ロープウェイの乗り場に着く。ドライバー(旅行業者)の仕事は、此処まで。「後は自分でローウェイに乗って行き、帰りは指定された時刻の列車に乗って、最寄りの駅で下車し、ホステルまでは歩いて帰る様に」と言う事だ。旅行業者とは言っても、ロープウェイの乗り場まで運んだだけ!こんな観光業で成り立っているのがケアンズだ。 シドニーからブルーマウンテンに行った時、快適な列車に乗って往復しても10.8ドルであったことを考えると、ベラボーに高い。ロープウェイ会社と、鉄道会社が申し合わせて、高額な運賃を設定しているとしか思えない。 ロープウェイは熱帯雨林の上を移動している。昨日、旅行代理店のスタッフが、ブロッコリーと言った熱帯雨林である。私は「そう見えない事も無いが、よくも言った物だ」と思わずにはおれなかった。ゴンドラからは、ケアンズの海や、車道を走って登って来る車の往来も見える。
スカイ・レイル(ケアンズ) 途中2箇所でゴンドラを下りた。1箇所目のレッド・ピーク・ステイション(Red Peak Station)では、熱帯雨林の中を散策して、その成立過程を学んだ。
キュランダ熱帯雨林 そして2箇所目のバロン・フォールズ・ステイション(Barron Falls Station)では、その雄大な滝を見て、写真に収める事が出来た。「乾季でこの水量だから、雨季の水量はすごいだろうな」と思っていたら、すぐ横に雨季に撮った写真が掲示されていた。水煙が立って、周りの景色がすっかり違って見えた。
バロン・フォールズ−1 AM11:50、終着のキュランダ駅に到着。後は帰りの指定時間まで自由時間である。私はPM3:30発の列車を予約してあった。各自思い思いに散策。とは言っても、此処も似たり寄ったりの、お土産屋さんばっかり。アボリジニ関連。宝石アクセサリー関連。グッズ関連と。歩いているとインフォメーション・センターが在ったので寄って、この付近の地図を貰った。すると、この一帯は狭い所で、もう殆ど歩き尽くした感があった。 私は外のベンチに座って、持参したサンドイッチをぱくついた。近くに蝶の博物館があると言うので、覗いてみると、入館料17ドルと書いてあったので止めた。駅まで戻って反対側に行くと、バロン川沿いを歩ける事が分かって、暫く歩いた。しかし所詮熱帯雨林の中だから何処まで歩いても切がない。適当な所から引き返して来るしかないのだ。
バロン川散策路 私は歩き疲れて何処かに座りたかったが、適当な場所も見当たらなかった。川の中には、屋形船風の船が1隻浮かんでいた。看板にはかっこよく「リバー・クルーズ」と書いてある。「あれに乗って休もう」と思い15ドルを払って乗船。乗客7人中5人が日本人でした。65歳位の船頭は、1人1人に「日本の何処から来たか」と聞いていた。彼も日本には観光で行ったことがあると言う。
バロン川 船の中からパンくずを投げると、フナと鯉の中間位の魚が沢山寄って来て、餌を奪い合っていた。或いは、流木の上にワニが居たが、作り物かと思うほど、動かないで居た。船はゆっくりとバロン・フォールズ近くの、昔の水力発電所の側まで下って行き、また戻って来た。往復45分間の休憩を兼ねた船旅でした。時刻はPM3:30発の帰りの列車に、丁度良い時間になったのでキュランダ駅に戻った。 駅舎のお土産店も、多くの日本人観光客で賑わっていた。「私の宿泊しているホステルには、日本人は1人も居ないのに、何処から集まってくるのだろう」と不思議に思っていたが、「考えてみれば、私の方が日本人としては、変わった行動をしているのだ。他の人は皆高級ホテルに宿泊しているのだろう」と合点がいった次第。 9号車の指定席へ行くと、中国人留学生5人グループの真ん中であった。皆25歳前後の一人っ子。北京の大学を卒業して、オーストラリアでマスターコースを履修していると言う。初めは英語で話し始めたのだが、その中の1人が「日本語で話したい」と言うので、以後は二人だけの会話になった。彼の話は次のとおり。
中国人留学生と懇談 「父親は、東京工業大学に8年間留学していた。今は北京大学のコンピューター関係の教授。53歳。彼の母親は、自分が3歳の頃、既に東京へ留学していた夫を経済的に助ける為に、東京へ行き、働いた。中国語の教師、食堂の手伝い等、お金になることなら何でもやって、夫を支えた。あの頃の中国は貧しかったですから。母は現在、北京で通訳をしている。だから日本語が一番上手いのは母親です。 自分は6歳から9歳まで日本に居て、日本人の学校に通いました。だから読み書きリスニングは不自由しません。ただ、殆ど話す機会が無い為、スピーキングがかなり落ちています。それは父親も同じです。でも私は、日本語の検定試験では、400点満点で340点を取りました。 今の学費は年間2万ドル(約160万円)。これは親からの仕送りですが、月々の生活費は、中華料理店で週3日働いて、賄っています。来月は日本へ旅行します。2週間で20万円の予算ですが、これは親からの仕送りです。シドニー〜成田間の運賃もそれに含まれておりますが、ジェットスター航空の超格安航空券が手に入りましたので(どこかで聞いたような話!!)。 中国の経済は大分成長してきましたが、日本に比べたらまだまだです。昨日は、グレート・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)のグリーン島(Green Island)へ行って来ましたが、我々の乗っていた船には、7組のうち3組が日本人でした」と。いずれにしても何処の国に行っても、中国人留学生が多い。それだけ志が高いと言う事だろうか。 列車は、ユックリユックリ走っている。其ればかりか、カメラポイントに来ると停車して、皆が写真を撮り終えるのを待っている。
バロン・フォールズ−2
キュランダ鉄道 5人の中国人留学生の中で寝ていないのは、私と話をしている青年だけ。この辺の状況は、昨日の旅行代理店のスタッフが言う通りだ。「皆疲れているんだね」と言うと「ワールド・カップで寝不足になっています」と言う。PM17:30、ケアンズ・セントラル(Cairns Central)駅に到着。中国人留学生5人と握手をして分かれた。 PM18:00、ホステルに帰着。今夜も1人かなと思いながら部屋に入ったら、青年が居た。挨拶をすると「カナダの田舎から来ました。冬はスキー場で働いてお金を貯め、夏は旅行をして人生を楽しんでおります。先日は日本に1ヶ月間行ってきました。宿泊先は今年ニュージーランドの旅行中に知り合った、日本人女性のアパートです。 彼女はウェートレスで目黒に住んでいます。伊豆でダイビングをしたり、旅行したりしました。私は25歳、彼女は26歳です。将来結婚するかどうかは分かりません」と言う。私は旅行中に、遠い将来のことは余り考えていない、この手の青年に出会うことが多い。 受付で、明日の空港行きの車を予約した後、シャワーを浴び、夕食を取った。ジャガイモとご飯の残り物、サラダに、リンゴ。所謂残飯整理である。日本から持参した、調味料は殆ど使い切った。と言うことは、質は兎も角、料理をしたという証拠である。今回の旅行は「なるべく外食をせずに自炊する事」をテーマの1つに掲げていたが、或る程度まで実践できた。限られた予算内で、転々と移動しながら、現地の食材を使って料理する、と言う制約の中ではあるが、次回はもう一歩成長させたい。 PM21:00から、パソコン。疲れていたせいか途中で居眠りをしていた。PM23:00、就寝。 6月29日(火) AM7:00、起床。夕べは一度に3人が入室して来た。その内の一人は、深夜である。欧米人と私の体感温度が、大きく異なることは十分経験済みであるが、昨夜はクーラーを付けっぱなしにされて、寝付けなかった。彼らは上半身を裸で寝ているので、私も「寝てしまえば、気にならないだろう」と考えて我慢していたのである。「申し訳ないが、クーラーを消してもらえないか」と言うと、すぐに消してくれた。「遠慮しないで早く言えば良かった」と思った。 AM7:30、朝食。食パンでサンドイッチの弁当を作ったので、食パンと、ジャム、バターが無くなった。そして、お茶漬けの朝飯。これで持参した玄米茶もなくなった。今日はいよいよ帰国の日だ。多くの事を見聞出来、満足して帰ることが出来る。 AM10:00のチェックアウトまで、パソコンを打つ。時間が来たので荷物を持って受付に行くと、丁度迎えの車が来た。ホステルが契約している女性ドライバーであった。道中、彼女は「私もホステルを経営していますので、何かアドバイスがあれば下さい」と言うので、「時々、室内や、トイレが清潔さに欠けることがあります。大勢の人が出入りしますので、常に清潔にしておくことは難しいと思いますが」と言うと「参考にします」と言っていた。話しぶりから「仕事をきちんとやっている人」との印象を受けた。 AM10:20、ケアンズ国際空港着。チェックインまで時間があるので、ベンチでパソコンを叩いていると、日本人観光客が次々と大勢やって来た。私の居たホステルには日本人は一人もいなかったのに。皆さんホテルにお泊まりだったのだ。 AM11:40、チェックインを済ませて待合所の売店を覗くと、日本からケアンズに到着した時に、ダーウィンへのトランジットの合間に懇談した女性店員が居た。(5月25日を参照)「私を覚えていますか」と言うと、チョット考えた後、「ああ、ダーウィンからグルッと回ってくると言っていた・・・・」と思い出したようだ。「何とか、生きて帰ってきました」と言うと、「何処が良かったですか」と言うので「オーストラリアの大きさが印象的です」と言うと、笑っていた。彼女が「忘れずに居てくれた」と言うだけで嬉しかった。 PM12:30、搭乗。PM13:15、離陸。ジェットスターのエア・バスで、新しい機材だ。大きく揺れそうな所も、小さな揺れで済んでいるように感じた。PM15:00、食事。ご飯とビーフの醤油味弁当で、美味しかった。PM18:00、2度目の食事。野菜パイ。余りお腹が空いて無くて、4分の1を残した。 食事以外の時間は、パソコンを開いて、残りの日記を書いていた。大きい方のバッテリーが5時間、小さい方のバッテリーが2時間。両方とも使い終わった時、着陸の体制に入った。PM20:20(日本時間PM19:20)、成田国際空港に安着。気温24℃。湿度高し。梅雨の東京に帰って来た。妻の出迎えで車にて自宅へ。 |