(シンガポール) 4月11日(土)33度 晴れのちスコール 時差の関係で目覚めが早い。AM4:00から地図を広げて、さて何処に行こうか思案する。結果は、ジョホール・バル(Johor Bahru)とセントーサ(Sentosa)。いずれも若いころから耳にしていた地名だ。前者はマレーシアの最南端に位置し、シンガポールと橋で繋がっている。そこの橋を渡ってみたい。後者はリゾート地として有名だ。どんな所か見てみたい。 朝食付きのバックパッカー・ホステルなので、1階に下りていくと、パン、バナナ、ゆで卵、紅茶、コーヒー、ジャムが置いてある。皿にとって道路脇のテーブルで食べていると、若い従業員が話し掛けて来た。「今日はどちらへ行かれますか?」「ジョホール・バルに行って見たいのだが、行き方を教えて貰えないか?」 インドから来ていると言う従業員は、地図を取り出して、丁寧に教えてくれた。近くのバス発着所から、ジョホール・バル行きのバスが出ていると言う。食事を終えていよいよ出掛けようとすると、「チョッと待って、そこまで送るから」と言って、バスの発着所まで送ってくれた。そこには10台ほどのバスが止っていて、ジョホール・バル行きのバスが丁度発車する所であった。乗車券を2.4ドルで買って、飛び乗り、少年の隣に座った。 少年は「シンガポールでセールのアシスタントをしているが、今日は休日で、マレーシアの実家に帰るところです。マレーシアよりシンガポールの方が綺麗で清潔だから好きです。シンガポールはガーデンシティと言われています。日本のアニメが大好きで、日本語を勉強したいのですが、授業料が高くて無理です。 私の知り合いで、日本とマレーシアを3ヶ月交代で往復して、商売をしている人が居ます。日本は物価が高いが、素晴らしい国だと言っています。ジョホール・バルに行ったら、スリに気をつけて下さい。マレーシアでも一番犯罪の多い所ですから。英語は幼稚園生の時から習っています。年配の人は、英語が出来ないことが多いですが、若い人は皆話せます」と語ってくれた。まだあどけなさの残る、高校を卒業したばかりの少年に見えた。 「ガーデンシティ」とは、どこかで聞いた言葉だなと考えると、ホームステイしていたニュージーランドのクライストチャーチの事であった。二つの全くタイプの異なったガーデンシティ。 シンガポールは、熱帯雨林地帯の中にあって、道路沿いや、中央分離帯にも大きな樹木が整然と植えられている。人口は450万人を超える大都会である。町の中に緑を残しておこうと、懸命に努力している姿勢を感じる。片方のクライストチャーチは、温帯地方に有って、人口はシンガポールの10分の一。公園の中に町があると言う位、くつろいだ雰囲気がある。 シンガポール側のイミグレーションで、全員がバスから降りて、出国の手続きをする。大きなビルに入ると、そこは成田空港のイミグレーションを思わせるほど、広い所であった。並んで待っている時に、記念の写真をと思い、パチリ!パチリ!と2回シャッターを押すと、係員が「チョッと此処に来い。今写真を撮ったな!」と怖い顔。 「写真を撮ってはいけなかったのかな」と思った時は遅かった。警備員風の男が来て、「パスポートを見せろ。何で写真を撮った。此処は撮影禁止と書いてあるだろう、云々」と。そして逐一無線で報告している。「日本人です。写真は2枚です。記念に撮ったと言っています、云々」10分ほど絞られ、取った写真を消去させられて釈放!とんだハプニングでした。 再びイミグレーションのビルから外に出てバスに乗る。いよいよジョホール海峡を渡るのだ。大きな川のようでもあり、ジョホール水道とも言う。「イスタンブールのボスボラス海峡と、どちらが広いだろう」と考えながら眺めていた。写真を取りたい風景の所だが、先ほどの件に懲りて、その気にならない。 ほんの数分で、ジョホール・バルに着き、バスから降りて、マレーシア側のイミグレーションに入る。並んでパスポートを出すと、「入国カードを書いて出しなさい」と。すごすごと後方のカウンターへ戻って、入国カードに記入する。「チョッと見に来ただけで、すぐに帰るのだが」と思いながら。 再び並んで、パスポートと入国カードを差し出すと、係官が上司のところへ行ってなにやら話している。女性の上司がこちらに向かってきた。今度は何事かと心配していると「パスポートの失効期限が迫っています。今度来る時は更新してから来るように」とのご注意。 失効期限が迫っている事は認識しており、ニュージーランドとシンガポールは期限内に出国できることを確認していたが、マレーシアの事は確認していなかったので、期限に引っかかったかなと、一瞬ヒヤリ!無事マレーシアに入国できました。此処に来るだけで大分疲れてしまった。 もともとジョホール海峡を渡ってみたかっただけで、マレーシアに行って何かをしたい訳ではなかったので、今度はすぐその足で、マレーシアの出国手続きをしに行く。スムーズに済んで、マレーシア側の、バスに乗り込もうとすると、運転手が何とか言っている。 来る時に2.4ドル支払って乗車したから、帰りもそれでいいだろうと思って、4ドル出すと、「そうじゃないよ!」的な雰囲気。金額が足りないのかなと思って10ドルを出すと、更に声が大きくなってくる。マレー語じゃ、私も手に負えない。後ろに並んでいる人が「リンギッド」と言っている。 「そうか、シンガポール・ドルではなく、マレーシアのリンギッドで払えと言っているのだな」と察したが、全く用意していない。「両替してくるしかないよ」と誰かが言っている。そこへ、3人ほど後ろに並んでいた男性が、私の財布を覗き込み、白い券を取り出した。来る時に買ったバス券だ。「これがあれば良いんだよ」とその男性。 その券を運転手に見せて、やっと1件落着!助かりはしたが、なんか変なシステムだな。それにしてもバス券を捨てなくて良かった。助けてくれた男性も、よくも私の財布を覗き込んで、見つけてくれたものだ。 再びバスに乗って海峡を渡り、シンガポールへの入国カードを書き、入国を済ませた。そして今度はシンガポール・ドルで2.4ドルを支払い、バスに乗車。今朝インド人青年が送ってくれたバスターミナルまで戻って来たのでした。
マレーシアの人々にとって、海峡を渡ることは、日常の事で、彼らに対しては手続きも、簡素化されているようであった。ジョホール・バル行きは、楽しいトラベル(travel)になる予定が、とんだトラブル(trouble)になってしまったが、思い出に残る出来事となった。たったの4.8ドルで。JTBの日本語現地ツアーでは、ジョホール・バル観光が100ドルと成っていた。 すっかり疲れてしまったが、まだAM11:00だし、気を取り直して、セントーサ(Sentosa)に行く事にした。近くに居た人に行き方を聞くと、57番のバスがそうだと教えてくれた。待つ事15分ほどでバスが来た。運転手に料金を聞くと、1.4ドルだと言う。その額なら小銭入れに有ると分かっていたが、面倒なので、2ドル札を料金箱に入れたら、つり銭は出てこなかった。 そう言えば、バスに乗る時は「正確な運賃が必要」と、どこかに書いてあった。ただ、「つり銭は出ない」とまでは書いていなかった。20分ほど行った所で、運転手が「セントーサに行くには、此処で乗り換えて下さい」と言う。取り敢えずバスから降りて、通りがかりの人に聞くと「道路の反対側から、セントーサ行きのバスが出ていますよ」と教えてくれた。
そちらに行くと、少し高台になっている所で、セントーサ行きのチケットを3ドルで売っていた。セントーサ島の地図と一緒にチケットを渡され、バスに乗った。行ってみて分かるのだが、セントーサは、島全体がリゾートになっており、シンガポール本島とは,橋で繋がっている。セントーサ島内は、大きなクレーンが幾つも立ち並び、2010年オープンを目指す、テーマパークが建設中である。 バスでセントーサ島(左)へ渡る 島内には水を吐き出していない、もう一つの大きなマーライオン(Merlion)の像が建っていた。バスはビーチ・ステイションが終点になっており、そこで皆降りた。終点には何台ものバスが待機していた。この後どのように楽しむのか、皆さんは知っているのであろうが、私は疲れていて、これ以上楽しむ気に成れなかった。 マーライオン セントーサの場所と雰囲気は理解できたのでもういいやと思って、帰りのバスに乗った。バスの乗り換え場所の、ハーバーフロント(harbour Front)まで戻ってくると、そこには大きなフードコーナーがあり、屋台のような店が軒を並べていた。腹も減っていたので何か食べようと見て周り、ライスに肉野菜のチリソース炒めを乗せたものを頼んだ。4ドルなり。結構美味しかった。 此処から宿までは、地下鉄が有る筈だと思って、屋台の青年に聞くと、地下鉄なんか知らないと言って、母親に聞いている。すると母親も知らないと言う。変な話だなと思いながらも、知らない人に聞いても仕方が無いから諦めて、バス停へ行った。そこで念のため地下鉄の事を聞くと、「すぐそこだよ」と教えてくれた。 屋台からもほんの100m位の距離である。海外旅行をしていると、こう言う事が時々ある。地下鉄の駅に降りて行き、見よう見まねで切符を買い、無事、宿に到着。シンガポールの地下鉄を始めて体験した日でもあった。33℃の高温多湿の中を、さ迷い歩いてぐったり。シャワーを浴びて横になった。 4月12日(日)32℃ 曇り時々雨 昨日のセントーサ訪問が、消化不良になっていたので再訪問した。3ドルのチケットを買ってセントーサに行った人は、島内の乗り物には、無料で乗れる事も分かった。浜辺で砂遊びをしている子供たち、甲羅干しをしているおば様・おじ様、それぞれ自由に過ごしている。 セントーサのビーチ 遠くの海には多くの貨物船が浮かんでいる。此処は「アジア大陸最南端」と書かれた看板もある。そのわけは、シンガポール本島がマレーシアと橋で繋がっており、セントーサは本島と橋で繋がっているから、セントーサは大陸の一部だと書いてある。島内は地元の人よりも観光客の方が多いと感じた。 「アジア大陸最南端」の立て札 昨日と同じ地下鉄駅に戻り、チャイナタウンとリトル・インディアに行って見る事に。駅名がそのまま付けられていて、分かりやすい。駅の出口からすぐにチャイナタウンは始まっていた。中華店で、蟹と、ヌードルを食す。マズマズの美味しさ。世界中からの観光客が、見学や食事に訪れていた。
付近を散策した後、リトル・インディアに行った。駅から出た通りは、私の宿泊所が有る通りと同じ名前であった。このまま町を見物しながら、次の駅までこの通りを歩いて行けば、宿にたどり着く訳だ。この通りのレストランは高級感の漂う店が多く、予想外だったのでビックリした。 シンガポールには、中国人やインド人が多いが、どれくらいの比率なのか調べてみると、中国人78%、マレー人14%、インド人7%となっており、西洋人は意外なほど少ない。街で見かける西洋人は、殆ど観光客だと言うことだ。シンガポールの発見者がイギリス人・ラッフルズ卿だから、そしてイギリスの植民地時代を経ているので、もう少しイギリス人を中心とした西洋人が多いと思っていたのだが。 さて、宿を目指して、最寄りの駅まで歩いて来た。しかし、駅を通り過ぎても、宿泊している宿が見つからない。変だな。もう少し行って見るか。しかしT字路になって、その名の道路は途切れてしまう。今来た道を戻りながら、行き交う人に地図と住所を示して尋ねるが、誰も要領を得ない。ある人はこの先だと言い、ある人は戻れと言う。はっきり分かる人は居ないのである。
思案に暮れた私は、一度通り過ぎた最寄りの駅に行って見る事にした。するとどうだろう。駅を挟んだ反対側にも、同じ名前の道路が有るではないか!そんな事って?宿を発見できなかった疑問が、解けた瞬間であった。 宿に帰って主人に言うと、「そうなんですよ、同じ名前の道路が二本有るんですよ、それも並んで」と涼しい顔だ。近所を歩いている人も知らない。タクシーの運転手に聞いた時も確信のある答えは無かった。それを昨日来たばかりの客が迷わないはずが無い。とんだハプニングがまた一つ。疲れました。 宿の受付で休んでいると、主人がそばに来て、気安く話しかけてきた。「日本人でここに来てくれたのは貴方が初めてです。感謝しています。今後の参考に何かアドバイスを下さい」と。私は「部屋に窓がないのは辛いです。それと、トイレとシャワーが一緒になっているのは、分けて貰いたい」と二つの希望を言った。 窓の方は構造上の問題があって、たまたま私の部屋に窓がなかったようで、主人もすぐに理解できたようだが、「シャワーとトイレを分けて欲しい」と言う件については、「何が問題ですか?」と言って、理解できないようであった。私が「シャワーとトイレが一緒だと、トイレが何時もビショビショに濡れていて、清潔ではないでしょう」と言うと、「なるほど、新しいのを建てるときの参考にします」と言っていた。 インド人の感覚では、「シャワーとトイレを分ける」という感覚はないのかな?そう言えば、トイレに水の入ったバケツと、ヒシャクが置いてあった。インド人は、其れでお尻を洗うらしいが、その為に、トイレが濡れているのは当たり前なのかな?
PM8:00に、空港のシャトルバスを呼んで貰った。空港から宿に来る時は、沢山の同乗者がいて、あちこちのホテルに下ろしながら来たので、私の宿が最後になり、1時間も掛かってしまった。しかし、帰るときは私一人であった為、ほんの30分で空港に到着。定額の9ドルでした。 受付カウンターに行って、搭乗手続をする。スーツケースの重量は、25kgを表示していたが、何も言わずに預かってくれた。一応限度は、20kgとなっているのだが。夕食はロビーの喫茶コーナーでスパゲッティとキノコ・スープ。注文を取りに来たボーイの英語が極端に聞き取りにくく「もう一度言って下さい:pardon」と、何度も言わざるを得なかった。日本人でも、日本語をきちんと聞き取れないようにしか話せない人もいるが。こう言う所の料理は美味しくない。 搭乗してみると、成田から乗ってきたのと同じ、エアバスA380型機だ。機体が動き出して、離陸の合図を待っている時、「機体にトラブルが発生しましたので、一度所定の位置へ戻り、点検をいたします」と言う。乗客としては「こんな最新鋭機でも、トラブルが発生するのか」と、複雑な気持ちである。飛行機は、1時間半遅れで離陸した。
動き始めたなと思っただけで、何時滑走路から浮上したのか分からないほど、静かな離陸であった。この飛行機は、気流の悪い所を飛んでいてもそれ程揺れない。気流の良い所を飛んでいる時は、振動は勿論、音さえ殆どしないので、「本当に飛んでいるのかな」と、疑いたくなるくらい安定度の高い飛行機である。 真夜中の飛行なので、寝ることに徹しようと思い、夜食が出ても食べなかった。4人席の端と端に、2人が座って居るだけであった。しばらくの間、足を縮めて、横になることも出来た。朝食が出る頃になって目を覚まし、ふと斜め前のスクリーンを見ると、本年度アカデミー賞に輝いた「おくりびと」を映していた。私も急いで見始めたが、前半の1時間ほどで時間切れ。着陸態勢に入り、観ることが出来なくなってしまった。「続きは映画館でどうぞ」だ。 1時間半遅れで離陸した飛行機だが、偏西風に乗って来た為か、着陸する時は30分遅れまで回復していた。出口に妻が出迎えに来てくれていた。40日ぶりのご対面である。旅行をしている間に、少しずつ健康を取り戻す事が出来たのは、私にとって望外の喜びである。実りの多い旅行となった。 |