2.ホームステイ中の旅行   3月22日〜3月26日

          (マウントクック、ミルフォード・サウンド)



3月22日(日)快晴 21℃


いよいよ、ミルフォード・サウンドを目指しての旅行開始。AM6:20に携帯電話のアラームをセットして置いたら、AM6:10に不審電話が入って目が覚めた。昨晩早めに寝たので、睡眠時間はたっぷり取れているが、なんだか夢を沢山見た。


朝食はバナナ2本。AM7:10に、ロバートがシティー・センターの、バス乗り場まで送ってくれた。AM7:20には到着した。バスは、あちこちのホテルを回って乗客をピックアップして来たようで、私が乗るときには殆ど満席状態。日本からの団体ツアーの人が随分居たようだ。隣り合わせた日本人女性に聞くと「クライストチャーチに2泊、クイーンズタウンに2泊、オークランドに2泊のツアーです」と言う。本当に忙しい旅行だ。ローズマリーが、日本人の団体旅行は、「まばたき旅行だ」と言うが、そう言われても仕方が無いと思う。


バスには日本人客が多い為か、日本人のガイドも付いていて、ヘッドフォンを通して日本語の説明もされる。至れり尽くせりである。以下はしばらくの間、日本人ガイドの案内である。


「ニュージーランドには牛が約400万頭いるが、これは人口の数とほぼ同数である。羊は約3400万頭いるが、これでも他の繊維製品に押されて減少してきた。

オランダ人のエイベル・タスマンが最初にニュージーランドを発見し、上陸を試みたが、原住民のマオリ人の攻撃に会い、果たせなかった。しかし彼が発見したこの島を、オランダの地名である、ゼーランド(Zeeland)から名付けたのが、ニュージーランドの始まりである。そして約100年後に、キャプテンクックが、タヒチ人の通訳を連れて来る事により、上陸に成功した。


ニュージーランドの紫外線の量は、日本の7倍。日照時間も日本より長い。そんな事から森林の発育も日本の2倍ぐらいのスピードだ。但し木目の密度が粗い為に建築用材には不適で、紙やパルプの原料として使われている。王子製紙の工場がニュージーランド北島のネーピア(Napier)にあるが、製品名の「ネピア」は、そこから付けられた名前である。


この付近では、特に冬の軍事訓練が行われている。日本からも来ているそうだ。特にニュージーランドとオーストラリアとの合同訓練は頻繁で、第1次世界大戦のときに、アンザック(ANZACAustralian and New Zealand Army Corps)、つまりオーストラリア・ニュージーランド連合軍として戦って以来の伝統になっている。


ニュージーランドが原産地と思っていた、キーウィ・フルーツは、中国の揚子江流域が原産地である。安いときは1Kgを1ドルで買える。


道中、テカポ湖とプカキ湖の間に水路が引かれていた。その橋の上を渡って来たのだが、水路で湖を繋ぎながらダムを8箇所に造っている。しかしそのダムは景観を損ねないように、道路からは見えないようにしている。ここにも観光立国の面目と誇りが伺える。


所々に橋が掛かっているのだが、その橋も片道通行、つまり一車線しかなく、もし対向車が来た場合は、手前で待っていて、譲り合うようになっている。交通が少ないところに、余計な費用は掛けない、という考え方がしっかりしている。日本の道路行政はどうですかな?無駄な公共投資が無いであろうか。ちなみに、途中で一度も対向車の通過を待つことは無かった。


国道80号線を走っているが、道中に現れる景色は、日本の会社のCMや、映画にもしばしば使われており、日本に帰ったら注意して見てください。テカポ湖畔に立つ犬の銅像は、主人のジェームズ・マッケンジーの指示通り、数千頭の羊を盗んだ忠実な犬として、伝説化した牧羊犬、フライデーである。


       

    牧羊犬:フライデー            テカポ湖


これから向かうマウントクックは、エベレストに世界で始めて登頂に成功した、エドモント・ヒラリー卿が、登山の訓練をした山としても有名で、彼にちなむ記念館も残されている。彼はニュージーランドの英雄として、5ドル紙幣にもなっているが、悲劇の人でもある。


彼がヒマラヤに向かう時、後から来る飛行機に乗り合わせた妻と息子が、飛行機事故に会い亡くなっている。またある時、友人に頼んだ仕事の最中に、友人が飛行機事故に会い、やはり死んでいる。ヒラリー卿は最近88歳で亡くなった。


マウントクックの横に存在する、タスマン氷河は、全長29Km、最深部は600mで南半球最大の氷河である。」


マウントクックに来るまでの道中も素晴らしい景色であった。何処までも広大な緑の大地。ゆったりと起伏した大地を、2階建てバスが心地よく走る。クライストチャーチを中心に開けているカンタベリー平野は、日本の関東平野とほぼ同じ大きさであるという。日本ではそこに約5000万人が住み、ニュージーランドは、そこに約50万人!


   

                 小さな飛行場


クライストチャーチを出るときは、昨夜来の雨が今朝まで残っていたが、今日のマウントクックは快晴である。マウントクックが完璧な姿を見せている。こんな事は非常に珍しく、「4回来て、4回とも姿を見ることは出来なかった」という人も居ると言う。道中、途中下車して遊覧飛行を楽しむ人も居た。あちこちに小さな飛行場があり、セスナ機や、ヘリコプターを飛ばして、観光業に精を出している。


PM1:00に、ユースホステルに着いた。荷物を置いて、ハーミテ−ジホテル(Hermitage Hotel)へ向かう。途中で出会ったカップルは、「アイルランドから来た。9ヶ月間で世界各地を訪問する予定である」と言う。私が、「日本でそんなに仕事を休んだら、首になるよ」と言うと、「アイルランドでも同じです。私たちは仕事を辞めて来ました」と言って笑っていた。


国立公園内である為に、ホテルはこのハーミテージホテル1軒だけ。何時も満杯であると言う。久しぶりに空腹を覚えたので、お一人様38ドルの、ホテルのバイキングへ。そこにも日本人客が多く、夫婦、家族連れ、友人同士、様々なグループが食事中である。定年後の男が一人ぽつねんと食事をしている姿は、どのように写っているのだろうか。


   

                ハーミテージホテル


ここは日本で似ているところと言えば、中部山岳国立公園の上高地だ。そしてハーミテージホテルテルは、上高地の帝国ホテル。マウントクックは北アルプス穂高連峰の槍ヶ岳。昼食後、ケア・ポイント迄、往復2時間ほど歩いたが、これもなだらかな歩道があり、大正池から河童橋まで往復するようなものだ。ただ一つ大きく違うのは、その混み様だ。私が歩いている時に、前後の視界に入るのは、たったの5〜6人である。上高地のラッシュぶりを見たら、こちらの人はなんと言うだろうか。


   

               マウント・クック


ニュージーランドの30倍の人口を擁する日本人が、その30人に一人ニュージーランドに来ると、ニュージーランドの人口と同じになってしまう。最近日本でも、やけに中国人が多くなった感じがするが、同じ原理だろう。


PM5:00に、ユースホステルに戻った。鍵を開けて部屋に入って見ると、まだ誰も到着してない様子だ。しめしめ、もしかしたら今夜この部屋に泊まるのは、私一人だけかなと期待していたが、そうは問屋が卸しません。やがて、4人部屋は満杯になりました。私のほかはマレーシアから来たおばさん(58歳、現役で仕事中)と、イスラエルから来た若いカップル。今日は全室満杯だとの事。やはりシーズン中は予約が必要だ。


   

              YHAマウント・クック


遅めの夕食をサンドイッチで済ませて、9時頃に部屋に戻ると、もう皆寝ていた。一つベッドが空いているので、誰が居ないのかなと見回すと、驚く無かれ、若いカップルが一つの小さなベッドに、二人で寝ているではないか。まっ、いいか!


3月23日(月)快晴 22℃


今日は、午後2時半の出発なので、朝寝坊が出来た。洗面所で歯を磨いていてびっくりした。何時もより少し刺激の強いはみがき用のペーストだな、と思っていると、なんとそれは、虫刺され治療薬の「ムヒ」ではないか!あわてて口をすすいだが、どれ程落とせたのやら。旅行用の小型の歯磨きチューブを持参したものだから、大きさが丁度同じ位であった事が間違いの元であった。


朝食は、ユースホステルの受付で、即席ラーメンを1ドルで購入し、茹でて食べた。食後、朝靄の掛かったマウントクックを愛でながら、近くのガバナーズ・ブッシュ(Governors Bush)と名づけられたハイキングコースを50分ほど歩いた。こちらは東京の高尾山を歩いている様な気分である。但し、私の前後には誰も歩いて居なかった。


       

    ガバナーズ・ブッシュ            セフトン山


台湾からワーキング・ホリデイで来ていると言う青年は、往復2時間コースの、レッド・ターンズ(Red Turns)を歩いてきたが、大分きつかったと言っていた。そして、歩いていたのは、やはり彼一人であったと言う。


昼食を取りに再びハーミテージホテルのバイキングへ。またまた驚いたことは、このレストランに2組のツアー客が、40人程入ってきたのだが、全員日本人!たまたまなのか、何時もこうなのかは知らない。そう言えば、バイキングの食べ物が置かれた所には、一つ一つの料理の名前が、きちんと日本語で書かれていた。


AM2:00、クイーンズタウン行きのバスに乗る。ここにもドライバーの他に、日本人添乗員が乗っている。彼女もワーキング・ホリデイで来ている。ここに来る前は、オーストラリアに2年間のワーホリ・ビザで滞在していた。英語は上達しましたか?と聞くと、「日本人相手に、日本語で仕事をしている時間が多いから、余り進歩しません」と言っていた。


道中、天然の氷河湖である、プカキ湖とオアフ湖との間も水路で結ばれており、その落差を利用してダムが造られている。このような方法で、国内の電力の20%を賄っているという。また、人造湖のルフタニカ湖では、鮭の養殖が行われているが、イクラを食べる習慣の無いこちらでは、それを捨てていた。それを聞きつけた日本の会社が、最初はタダで貰っていたが、競争会社が現れ、今では売買されている。それでもシーズン中は、1Kgが10ドル位で買えると言う。


道中、巨大なスプリンクラーが至る所に見られる。これは牧草地に水を撒いているのだ。偏西風によってもたらされる雨雲は、標高の高い山脈で遮られ、山脈の東側は何時も乾燥している。その為に、野生の草原を焼いて、豊かな牧草地にするには、水が必要なのだ。幸い、水は近くの湖から幾らでも引いてこられるので無料。


この巨大なスプリンクラーは、100mおきに車が付いており、大きいものになると長さが1.4kmにもなる。これを半径にして移動させることにより、直径2.8Km の円内に散水できる。最初ドイツから持ち込まれて試運転され、成功したものである。ちなみに、電気代は日本の4分の1から5分の1で、電力は、地熱発電、風力発電、火力発電で賄われており、原子力発電は必要としていない。


高原の牧場には、同じ羊でも高品質の毛が取れる、メリノ羊が放牧されている。このあたりの羊毛は、アイスブレーカー(Ice Breaker)と言うブランド名で有名だと言う。しかし、羊毛産業は他の繊維製品に押されて、一時の繁栄から次第に斜陽産業になりつつある。


そこで牧場に変わって、ワイン用のブドウ畑(Vineyard)が増加しつつある。ブドウの採取がし易いようにと、人の背丈も無いくらい低い、垣根形にブドウの木が植えられている。土地が乾燥している為、木が低くても虫が付かないのだ。最近は、ニュージーランド産のワインも、評判を勝ち取っているようだ。


クライストチャーチの市内を流れるエイボン川の川沿いには、沢山の巨大な柳の木が目に付くが、それには理由があった。つまり、柳の木や、ポプラの木は根が大きく繁茂するので、堤防の役割を果たしている。コンクリートを使わないで、景観を損なわない工夫がされているのだ。


道中、カワラワ川に架かるサスペンション橋に、43mのバンジージャンプが楽しめるように設備されていた。バンジージャンプの起源は、バヌアツ共和国での、成年男子に行われる神聖な儀式であったが、それを見て、世界で初めて商業用に取り入れたのが、ここのバンジージャンプだ。


あちこちの川沿いには金鉱跡があり、最盛期には、多くの中国人が出稼ぎに来て、数千人が住む町まで出来ていた。


マウントクックをPM2:30に出発したバスは、何箇所かに休憩しながらPM7:00にクイーンズタウンに到着。宿泊場所のYHA(ユースホステル)は、バス停から3分程歩いた所に有った。受付で鍵を貰い自分の部屋に行くと、若くて美しい女性が二人!一人は、オーストラリアのシドニーから、もう一人の若い方は、カナダのバンクーバーから来ていた。


少々疲れて、お腹も空いていたので、受付で日本食レストランを教えてもらい戸外へ。ところがその店が見つからない。適当な店を覗いてみると、込み合っていて入れない。止むを得ず、ケンタッキー・フライドチキンへ。日本でも入ったことが無いのに!チキンハンバーグをコーラで流し込んで外に出ると、受付で教えてもらった日本食レストランが目の前に!しかし、クローズド!ツキが無いときはこんなものだ。


YHAに戻って日記をつけようと思ってパソコンの準備をしていると、もう一人の同室人であるドイツ人青年が入ってきた。互いに自己紹介をすると、自然の内に懇談会になっていった。カナダ人女性は、「大学卒業の時期を迎えているが、今後の進路を決めかねている」と言う。


オーストラリア人女性は、日本に来たことがあると言い「旨味(うまみ)」という、日本独特の味の名称に、強い興味を示していた。また「オーストラリアは、先住民のアボリジニ対策に失敗したが、ニュージーランドのマオリ族対策は成功している」と言っていた。この件を帰宅後に、ホームステイのロバートに聞くと、「相対的にはそう言えるが、ニュージーランドにも問題が無い訳ではない。教育問題、経済問題等で警察の世話になるのは、圧倒的にマオリ族である」と言う。


ドイツ人青年は独立して不動産業をしているが、この世界的不況で仕事にならないのをきっかけに、6ヶ月間のオーストラリア、ニュージーランド旅行だ。しばらくの間ドイツ人青年のアドヴェンチャーを中心に懇談が出来た。彼は今日、クイーンズタウンの山を登った。ところがそこで野犬に遭遇し、追いかけられて命からがら逃げてきた。


登る時は2時間も掛かったのに、逃げ降りる時は、たったの15分しか掛かっていなかった。と言う話なのだが、この話題の途中でオーストラリアと、イギリスの女性二人が怪訝な顔で「アヒル(duck)では無くて、犬(dog)に追われたのですね。どうも話が可笑しいと思った」と言う事があった。


英語がノンネイティブの私は始めから、ノンネイティブのドイツ人青年の発音を「犬」と聞き取り、ネイティブの二人は、「アヒル」と聞き取っていた訳だ。彼の話の流れから考えても、「犬」と聞こえても良さそうに思うが、そうは成っていなかった事で、言葉の不思議に思いを致す事に成った。ドイツ語なまりと、オーストラリア人女性の早い語り口に戸惑いながらも、何とか懇談の輪の中に居た吾人であった。


私は明朝のバスの出発が早い為、シャワーを浴びてPM10:00にベッドに横になった。今までのシャワーは、室外に共同で使うよう設備されていたが、ここのYHAは、室内にシャワー設備があり使いやすかった。ニュージーランドのYHAは、評判どおり、清潔で使いやすい。


3月24日(火)快晴 23℃


AM6:00に携帯電話のアラームをセットしておいたが、6時8分前に目を覚ました。バスは7時5分の発車だから時間は十分にある。洗顔して荷物を整えて部屋を出る。他の3人はまだ寝ているので、明かりも洗面所だけにして、音を立てないように素早く用意する。


階段下の受付に来ると、一人の日本人女性が、私と同様にスタンバイして立っていた。まだ受付がオープンしていないのだ。私たちは、部屋のキーを受付に置いて、まだ薄暗い中、YHAを出た。バス停に着いたのは、AM6:30であった。まだ時間の余裕があったので、朝食を求めて、24時間営業のコンビニを探し、水と菓子パンをゲットした。


日本人女性は、8月までのワーキングホリデー・ビザでニュージーランドに来ていた。オークランドのラーメン店で半年間働き、現在旅行中である。ラーメン屋には日本人以外も来るので、英語で対応するが、厨房内は全員が日本人である為、日本語での会話になると言う。


AM7:05、バスは予定通り、まだ薄暗い中を発車した。2階建ての大型バスに、たったの15人。途中から大勢乗って来るのかなとも思っていたが、そんなことは無かった。昨日までのバスとの違いは、日本人ガイドが乗っていなかった事だ。説明は当然英語だけ!ナチュラルスピードになると殆ど聞き取れず、何について話しをしているか位しか解らない。それでも、「ここで何分休憩しますから、何時には戻ってきて下さい」位は聞き取れるので、置いてけぼりになる事は無い。


運転手がガイドも兼任しているので、運転手の左手は話している間中、ジェスチュアーとして、上下左右に動いている。「誰も君の手は見てないよ。危ないから、しっかりとハンドルを握っていてくれよ!」と言いたいが、そうは行かないのか。言葉とジェスチュアーは、切っても切り離せないらしい。


ミルフォード・サウンド迄の途中にある、小さな湖水の町、テ・アナウ(Te Anau)で、日本人女性と、もう一人が降りたので、車内は13人!道中は長いが、途中のシャッターチャンスでは、バスを止めて降ろしてくれるのは嬉しい。これも天気が良ければこそ。雨が降っていては折角のシャッターチャンスも台無しだ。


ミラー湖(Mirror Lakes)でも一時停車して写真タイムだ。山が湖に逆さに移る現象は至る所に見られるが、こんなに鮮やかに映ることは珍しい。まさに、鏡の湖だ。


    

                 ミラー湖


ニュージーランドに来てから、何度かマヌカ・ハニー(Manuka Honey)について聞かされた。「マオリの昔から重宝されて来たもので、最近ではその医学的効能も証明されてきている。つまり胃潰瘍の原因となるピロリ菌を除去するとか、胃もたれが解消できて、尚且つ美味しい」と。


迂回路の無い森の一本道を何処までも走る。途中、雪崩(avalanche)、可愛い滝(lovely cascade)等と聞こえてくる。急いで左右を見るとそれらしき物が存在している。例の運転手、身振り手振りに益々力がこもって来る。こちらは谷底に落ちはしないか不安が増すばかり。


PM1:00、定刻にミルフォード・サウンドに到着。さすがに観光バスが10台ほど止っている。次々と乗船してリアス式海岸のクルーズに出発だ。我々の船は一番小さな船で、40人程の乗客。見晴らしの良い前方のデッキに立つ。


                 

            ミルフォード・サウンド(乗船場)


私の右側には、ドイツのミュンヘンからの新婚さん。4週間のハネムーンだ。クルージング中、絶え間の無いキスシーンに当てられっぱなし。一枚写真を取らしてくれと言うと、喜んでポーズを取ってくれた。


       

   ドイツ人のハネムーン        オーストラリアの熟年カップル


私の左側は、オーストラリアのシドニーから来た60歳前後の夫婦。まだ現役で働いており、今回は10日間の休暇だ。数年前に息子が日本に行ったとき、蚊に指され、それが原因でマラリアのような病気になり、やっと回復しつつある。医者が言うには、「南半球では始めての、実に珍しい事例だ」と。息子は本当に不運だった、と言っていた。それでも日本は素晴らしい国だと、夫婦共にフレンドリーであった。


   

           ミルフォード・サウンド(1)


幸運にも、今日の天候は快晴。こんな日は、月に幾日も無いらしい。年間の降水量は、東京の1500mmに対し、ミルフォード・サウンドは6000mmだと言うことだ。空は何処までも青く、そそり立つ岩山、流れ落ちる大小の滝、岩に寝そべる小さめのオットセイ、時折上空に現れる遊覧飛行機、どれもがくっきりと見えて、シャッターを押すのに忙しい。フィーヨルドの深い入り江から、外洋のタスマニア海に出たところで遊覧船はユーターン。


    

             ミルフォード・サウンド(2)


二時間半のクルージングは、あっと言う間に終了。至福のひと時を過ごす事ができました。ニュージーランドに来て、何箇所か巡ってきて思うことは、他の所は日本にも似たような所があるが、ここミルフォード・サウンドに似た光景は思いつかない。


船上で共に楽しんだ、ひと時の友人たちと別れて、来た時のバスへ。刺されたら数週間も痒みが止らないと言われた、しつこい蚊除けに、高価な薬を用意して行ったのに、その蚊(サンフライ:sand fly)は全く見掛けなかった。帰りのバスでは、運転手も話すことが無いらしく、途中下車も無く、ひたすら帰りを急ぐ。PM3:40にミルフォード・サウンドを発車したバスは、PM5:15に、今夜の宿泊地、テ・アナウに到着。大部分の人は、ここから更に2時間先のクイーンズタウンまで直行するが、私は体力も考えて、こちらで宿を取った。


小さな、そして何処までも静かな湖畔の町:テ・アナウ。バス停から5分ほどのYHAを教えてもらい、受付に行く。予約済みなので受付は簡単に済む。「YHAの会員の方ですね。会員証の提示を願います。OK」と言って部屋のキーを渡してくれる。受付は皆にフレンドリーだが、会員に対しては、よりフレンドリーに感じるのは私の思い過ごしか?日本でYHAに入会の手続きをしていて良かった!


    

                     テ・アナウ湖


自分の部屋に入って行くと、狭いながらも2段ベッド1つと、シングルベッド1つの3人部屋。既に先客二人がおいでだ。挨拶と自己紹介。二人はスウェーデンから来た大学の同級生。一人はなんとなく、関わりたくない様な雰囲気を醸し出していたが、もう一人の方が何かと話しかけてきて、結構会話を楽しめた。


「間もなく大学を卒業するが進路が決まっていない。今回は、そんな自分探しが主な目的の、3ヶ月間の旅行である。スウェーデンでは、小学校から少しずつ英語の授業が増えてくる。スウェーデン語は英語に近いので、日本語や中国語を学ぶことに比べると、ウント楽だと思う。父親は、企業間のアレンジをして、展示会を開催したりする仕事をしていたが、ストレスを抱えて、今はリタイアしている。母親は仕事をしている」等。


彼も率直に日本について質問してくる。「日本の教育、優れた日本製品、激しい生存競争、多い自殺数」等。私も必死に彼の質問に答えて、9割方、会話のキャッチボールが出来た。彼の方から「今夜は有意義な話をありがとう」と言ってくれた。

夕食は外で何か美味しそうな所を探そうと、ぶらぶらしたが結局ピザ屋さんへ。カウンターに行くと、ここにもワーキング・ホリデイの日本女性が。どんなに小さな町へ行っても、私(日本人観光客)が行くところには、必ずワーキング・ホリデイで働いている日本人女性がいる。


3月25日(水)曇りのち雨 18℃


AM8:00過ぎに起床し、朝食を求めてテ・アナウの中心街へ。と言っても30件ほどの店があるだけ。朝食を食べさせてくれそうなベイカリーに入る。所謂モーニングサービスといったものが、コーンフレイク、トースト、コーヒーの3点で10ドル。食後スーパーによってリンゴを1個、70セント(約35円)。この小さなリンゴが素晴らしく美味しかった。日本には無い小さなリンゴだが、歯触りと言い、甘みと言い、本当に美味しい。


朝食を済ませてYHAに戻ったが、スウェーデンからの学生二人はまだ寝ていた。今日は私も夕方の出発まで、特段の予定が無かったので、日記を書こうと思って休憩室へ行った。そこには既に若い男女3人がいて、横になりながらテレビを見ていた。日記を書いている分には、お互い迷惑にはなるまいと思って、パソコンを開いて書き始めた。


書く方に気が取られているのと、台詞が良く聞き取れないのとで、テレビの方は気にならなかったのだが、3人の若者が頻繁にゲラゲラ笑っているので、何事かとテレビに目をやると、殆どポルノ映画だ。旅先で朝からポルノ映画とは、余裕と言うのであろうか、時間と費用がもったいなくて、日本人ビジネスマンには考えられない光景である。


PM1:0頃、キッチンを通ると、相部屋のスウェーデン人学生二人が、食事を取っていた。何時ごろ起きたのか、やっと朝食かな?

一日一食は、キチンとした食事を取る方針で旅に出た私は、今日の昼食に中華料理店を目指したが、生憎の閉店中。止むを得ず、人が入っていそうなレストランに行って、ビーフ・ステーキを頼むことにした。


メニューを見ながら20ドル位の料理に見当を付けて、ウエイトレスに声を掛けた。「ビーフ・ステーキを食べたいのだが」と言うと、「それならこちらが宜しいでしょう」と、30ドルの料理を勧められた。こちらは、飛び込みで入って、質も量も、何も解らないので勧められるままに、「じゃ、それで。それにスープとパンを少々。ステーキの味付けはペッパーで」と注文した。


しばらくの間、期待と心配を胸に待っていた。まずスープとパンが運ばれて来て驚いた。どんぶり一杯のトマトスープと、フランスパン3切れだ。なんだかこれだけで、お腹一杯に成ってしまいそうだ。一口すすって見ると濃い目の味で、とても全部は飲み切れない。頑張って半分ほど飲んだところで、終了のサインを出す。


入れ替わりに運ばれてきたステーキを見て、またまたビックリ!直径3Cm位の丸ごとポテトが5個。その上にジャンボなフィレステーキが2枚。味付けのペッパーは、磨り潰されていない丸ごとで料理されている!!「幾らなんでも誰がこんなに食うのだ?こうなったら、腹を据えて、食えるだけ食うしかない」と覚悟した。


ステーキを一口食って見ると、驚くほど柔らかい。ジャガイモも適度に味が付けられていて美味しい。結局、最後の一口まで頑張って食べてしまった。ここ何年もの間、こんなに肉を食べたことは無かった。食後しばらくは動きたくなかった。殆ど食べ終わったころ、「写真を取っておけば良かった」と思ったが、後の祭りだ。人間は、本当にビックリすると、写真のことなど忘れてしまうのか?


テ・アナウ湖畔を散策しながらYHAに戻った。昨日は雲一つ無い快晴であったが、今日は曇りで今にも降り出しそうな天候だ。ミルフォード・サウンドから戻ってきた人に、天気の様子を聞いたら、あちらも曇りで、午後からの遊覧飛行は中止になっていたと言う。


      

                テ・アナウ湖


PM5:45、のミルフォード・サウンドから戻って来た、クイーンズタウン行きの大型バスに乗る。乗客は10人位しか居らず、車内はスカスカ。年配の運転手はひたすら走り、PM8:00前に無事到着。往路で一泊したYHAに行くと、「前にも泊まられましたよね」と言って、先日と同じ部屋の鍵をくれた。


部屋に入ると先客が二人。30代の香港から来た、一見取っ付きにくそうな男性と、イギリスから来た、大学を卒業したばかりの女性だ。この女性は経済状況の悪化と言うこともあって、まだ仕事に有り付けて居ないと言う。今回の旅行では、この様に世界的経済不況の影響を受けている若者に、数多く出会った。


男性の方は、「昨年、17日間の日本旅行をしたのですが、JRパスを使ったら、北海道から鹿児島まで乗り放題でした」と言っていた。しかし彼の英語はひどく聞き取りにくく、あんなハチオンで良いのか?通用するのか?と疑問に思うほどひどかった。相部屋の4人目は、私が寝た後に入室し、翌朝、私が外出する時は、まだ寝ていたので、どんな人だったのか分からない。


今日の昼食が遅めで食べ過ぎた感じだったので、夕食は取らなくとも良いのだが、少しは食べておこうかと思い、中華料理店を教えてもらい、ラーメンを食べに行った。ここも応対は日本人女性だ。メニューを見ると五目ラーメン、12ドルとある。それを注文すると「本日は麺類が全て終わっております」と言う。ならば何も食べないで帰ろうか、と思っていたら「メニューには載ってないのですが、ワンタンスープで良ければ用意できますが」と言う。


お腹の空いていない、今の私にはそれで十分だ。「幾らですか」と聞くと、「8ドルです」と。これを注文して、期待もせずに待っていたのだが、一口飲んでびっくり!美味しかったのである!具がワンタンと言うより餃子に近く、更にチャーシューまでしっかりと入っていた。明日の昼食も此処にしようと決めて店の外に出た。


通りを歩いていると土産物店が目に入り、腹ごなしにフラッと店内に入ってみた。すると此処にも日本人女性が。「ニュージーランドでしか取れない、ポッサム(possum)の毛で出来たセ−ターを記念に如何ですか。カシミヤよりも軽くて丈夫、かつ暖かいものです。試着だけでも」と口上が滑らかだ。


「奥様にはこちらのデザインは如何でしょうか。皇太子妃の雅子様がこちらにお出でになった時に、求められた物と同じものです」と追い討ちを掛けてくる。雅子様と言われては本当かなと思いつつも、聞き逃すわけには行かない。いずれ適当なものがあれば、一つお土産にと考えていた所に、この殺し文句だ。あえなく降参して購入した次第。あの日本人女性のお陰で、この店は儲かっているのではないかな?


3月26日(木)晴れ 20℃


朝食は、YHA近くのベイカリーで、パンとコーヒー、それと何時ものリンゴをかじっておしまい。夕方のフライトまで時間があるので、とりあえず、溜まってしまった日記を書くことにする。キッチンに眺めが良くて、居心地の良い所があったので、そこを陣取りお昼まで。


       

               クイーンズタウン


昼食は、昨日決めておいた中華店。ラーメンでもと思って行ったら、ランチメニューを渡された。その中に丼物があるではないか。ご飯物があるなら、それにしようかと言うことで、エビフライ丼、味噌汁付き、12ドル。まずまずの美味しさ。何と言っても、ご飯を食べると胃が落ち着く。


帰り際に支払いを済ませながら、係りの日本人女性とトークを少々。彼女(30歳代後半?)は「最初は、ワーキング・ホリデイのビザで来たのだが、かれこれ9年になる。そろそろ日本に帰りたくなってきた。何と言っても此処では、欲しい物がすぐに手に入らないから」と言っていた。


昼食後、クイーンズタウンの観光名物であるゴンドラへ。展望台で下界を見渡すと、湖と山に囲まれた風光明媚なところではあるが、こぢんまりとした町である。人口はたったの2万人。町を歩いている人の殆どが観光客。こんな小さな町が南島では、第2位の都会である。ゴンドラの隣では、バンジージャンプが行われていた。ジャンプ台から落ちる時、皆一様に断末魔の叫び声を上げて行く。1回、100ドルだそうだ。


      

           クイーンズタウンのゴンドラ


フライトには、まだ時間があったが、早めに行ってゆっくりしようと思い、空港行きのバス停に向かった。空港まで6ドル。バスの運転手は、70歳を越えているかと思うようなご婦人だ。この運転手が、途中で降りる若い女性に、「あなたは乗る時に4ドルしか払わなかったが、此処まで乗るのであれば5ドルですよ」みたいなことを言っていた。何回か言葉の応酬があったが、若い女性は追加料金を払うことなく降りていった。それにしてもこのお婆さん、よく人を見ているものだ!


   

               クイーンズタウン


空港へ着いたら一人の日本人女性が、一緒にバスから降りた。私と同じ飛行機でクライストチャーチへ向かうところだと言う。彼女は「千葉大の数学科を卒業しているが、数学に興味をなくして、カナダに1年間留学したのを契機に、英語の方へ興味が転換した。数学科に居た40人の同級生のうち、教師にならなかったのは、自分と、カイロ大学に留学した友人の二人だけであった。


卒業後、しばらく東京で働いていたが、両親の希望もあって、郷里の佐世保に戻った。最初は、パートとして米軍基地内で働き始めたが、今はキャリア・アップして将校の秘書をしている。だから仕事は一日中英語です」と。


そして「将校クラスは別だが、兵隊クラスのモラルは概して低い。しかし、彼らにも立派な住宅と、給料が支払われている。そうしないと兵隊が集まらないと言う現状がある。日本人でも、基地での仕事を希望する人は多い。仕事が楽で報酬が高いからだ。例えば、守衛は何の資格も要らないが、採用されれば、結構な報酬にありつける」等の現実を語ってくれた。


今回のニュージーランド訪問は「5日間のミルフォードサウンド・トラックのハイキングが目的であった。散歩のようなものかと思って、何の準備もして来なかったが、とんでもない。立派な登山であった。ガイド付で、食事や宿泊所も、全てが整っており助かった。


日本からは自分の他に70歳前後の婦人が二人で参加されていた。彼女たちは今迄も、ヒマラヤを歩いたり、ローマからフィレンツェまでサイクリングしたりと、大変元気な方たちでした。」と言う。たいそうな事をやって来た割に、たいして疲れている風でもなく、淡々と話す彼女の話に、オールドボーイは聞き入るのみ!


搭乗手続きの時間が来て機内に入ると、120程の座席は殆ど満席状態。私の隣に座った人は、ひと目でそれと思わせる、30歳代中頃のキャリアウーマン。私が「日本から来ました」と話し掛けると、彼女は「私は大阪の梅田で3年間、ノバの英語教師をしていました。


お茶の間留学と言う部門を担当していましたから、直接顔を見て話すことはありませんでした。一番多い日は、1時間に3人ずつ、8時間勤務でしたから、24人に教えることになります。勿論毎日がそう言う訳ではありませんが。大阪の、お好み焼きは大好きです。北海道、東北、東京、名古屋、京都、島根、広島、九州と、あちこち旅行しました。


その後、ニュージーランドに戻って日本企業のキャノンに勤め、カメラの販売を6年間やりました。しかし、競争が激しく段々利益も出なくなってきたので、今の仕事に変わりました。今は糖尿病患者が使うインシュリン・ポンプの販売促進部門で、ニュージーランドの南島を指導しています。クイーンズタウンには、月に2回訪問しています」と言う。「日本で最も印象に残っている事は何ですか?」の質問に返ってきた彼女の答えは、「伏見稲荷」であった。


クイーンズタウンからクライストチャーチまで、約50分間のフライトは、時々雲に妨げられながらも、さながら遊覧飛行の様でもあった。離陸後、しばらくの間は大きく左に傾いて左旋回。それも外輪山の内側をすれすれにかすめながら。日航機・御巣鷹山の惨事を思い出させるようなスリリング。


パイロットは毎日のことだから慣れているだろうが、初めての者にとっては心臓に良くない。あんなに長い間旋回したことは初めての経験だ。少なくとも180度は進路を変えたと思う。10分程後に、雲の上に頭を出したマウントクック、広大な牧草地、湖と湖を結ぶ人造の運河、広い川床を何本にも分かれて流れる浅い川、どこを切り取っても一幅の絵になりそうだ。


新鮮な感動をもう一つ。それは、機内サービスが、スナックではなく、リンゴかバナナの選択であった。私は少々戸惑いながらも、既にニュージーランドの美味しいリンゴを味わっていたので「アップル、プリーズ!」と。すると隣の彼女もリンゴを選んだ。


日本のリンゴとは、比較にならないほど小さいが、それでも丸ごと一個配られたリンゴを、どうするのだろうと伺っていると、隣のキャリアウーマンは、手にするや「ガブリ!」。それを見て吾人も元気に「ガブリ!」。そのリンゴがまた美味しかったこと!思わず「美味しいですね」と言うと「今の時期が一番美味しいです」と。


そう言えば、今のニュージーランドの季節は秋なのだ。私はラッキーでした。フライトアテンダントが、リンゴの芯を回収に来たとき、私の芯よりも、彼女が残した芯のほうが小さかった。小さいと言うよりも、殆ど芯が残っていなかった。確かに芯まで柔らかくて美味しいのである。


飛行機がクライストチャーチ空港に着陸して、市内行きのバスに乗ると、埼玉から来た60歳前後の、元気な二人ずれ御婦人が隣に。彼女たちは「2週間の予定でアパートを借り、語学学校に通っている。二人でクイーンズタウンに行ってきた所です」と。私の事も色々聞かれ、ホームステイ先のメール・アドレスや住所を教えた。 



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