8月31日(日)

AM6:00、起床。

AM7:00、朝食。このホテルの朝食は、フルーツ・バイキングのように、果物が多かった。マンゴーまで用意されていたが、味の方はマズマズという所。

マリナとアドリアーナが居たので「昨夜のディナーはどうだった?」と聞くと、二人とも顔をしかめて、「高いばっかりで」と言っていた。ハイディの手配は、そう言う所が多いのだが、どうしてなのだろう。会社の方針なのだろうか。

AM8:30コパカバーナ・ビーチCopacabana)へ。フロントで「ビーチまで歩いて行けますか?」と聞くと「歩いて行くのは危険ですから、絶対にお勧めできません。地下鉄がありますので、それで行ってください」とはっきり言われた。地元の人に「危険です」と、言わせる町は、それほど多くはないと思うが、リオ・デ・ジャネイロは、昼間でも危険なようだ。

アドバイス通りに、ホテル近くのカテーテ(Katete)駅から、4つ目のカルデアル・アルコベルデ(Cardeal Arcoverde)駅まで、地下鉄で行ってきた。往復7レアル(315円)。

   

地下鉄(リオ・デ・ジャネイロ)

切符は、プラスチック製で、乗車する時にそれを、自動改札に入れるのだが、戻ってこない。変だなと思って、駅員に尋ねるが、駅員は「そのまま乗って行きなさい」と言うジェスチュアである。通常の1回券カードはその場で改札機に回収されるようだ。

私は切符を持たずに地下鉄に乗っている気分がして、不安であったが、降車駅で前を行く人を見ていると、自動改札に切符を入れることなく、通過していく。私も真似をして通過したら、何事もなく通れた。どこまで乗っても同一料金なのかしら?

降車駅から、コパカバーナ・ビーチまでは、家族連れや、海水浴の準備をした人達が歩いていくので、それについて行く。駅から5分くらいの所にビーチが広がっていた。ハワイのワイキキ・ビーチと似ているが、ホテルから波打ち際までの広さは、コパカバーナの方が2倍以上あると思う。人出もそれほど多くはなかった。潮が引くと100m以上、ビーチが現れる所もある。

   

コパカバーナ・ビーチ・1

   

コパカバーナ・ビーチ・2

この日は波が大きく、泳ぎには適さないので、もっぱら日光浴を楽しんでいる人が多かった。若い女性も、そうでない女性も、ビキニの布はミニマムな人が多いので、目の保養にはなる。

   

ビキニの布はミニマムな人が多い

今日は、このビーチ沿いの道路を使って、ハーフマラソンが行われており、パトカーが先導していた。参加者は2万人だと言う。

   

ハーフマラソン(コパカバーナ)

昨日、深い霧の中で、ほとんど見えなかったキリスト像を、このビーチのビルの間から時折見る事が出来るが、近くで見ると巨大な像も、ここから見ると、ペンダントのように小さくしか見えない。

快晴で強い日差しの中を、1時間ほど散策して、コパカバーナ・ビーチの見学を終了。地下鉄でホテルへ戻る。

AM10:30、日記を書く。

AM11:30、チェック・アウト。南アメリカ横断ツアーは無事終了した。リオのユースホステルに2泊の延泊を予約してあったので、タクシーで移動。大渋滞の中、大した距離もないのに1時間ほど掛かった。35レアル(1575円)。

PM1:00、チェラガルト・ホステル・イパネマ(Che Lagarto Ipanema)にチェック・イン。イパネマの名は「イパネマの娘」と言うボサノバの曲名で覚えていたが、どんな曲であったかは思い出せない。

このホステルは、清潔さに難ありだが、受付の若い男女がとてもフレンドリーである。2泊で79レアル(3500円)。持参の物(バナナ、リンゴ、パン)で昼食を済ます。帰国日の空港行きのバスも予約。20レアル(900円)。

PM2:00、与えられた部屋に行くと、そこは2段ベッドが4つある8人部屋だ。皆出かけているらしく、誰もいない。私に指定されたベッドには、誰かの物が乱雑に散らかっている。

勝手に動かすことも出来ないので、受付に行って事情を話すと「何処でも良いから、空いているベッドを使ってください。昨日から、コントロール出来ていないのです」と言う。やむを得ず、言われた通りにしたが、狭い部屋が雑然としていて困惑した。

しかし、これは想定内である。リオでまともなホテルを探すと、簡単に2万円位、請求される。それが1泊2000円以下で泊めてもらえるのだから、有り難いものだ。

人間は、否、特に私がそうなのかも知れないが、高価な支払いをする時は、それなりにグレードの高い見返りを期待している。従って、質がその価格に見合わない時は、失望するし、そう言うことはしばしば発生する。良い例が今回のツアーでの、ディナーやオプショナル・ツアーである。

それに対して、安価な支払いの時は、グレードの高い見返りは、ハナから期待していない。従って、価格不相応に質の良い見返りがあると、嬉しくなる。そして、そう言うこともしばしば発生する。例えば、過去にしばしば遭遇したユースホステルである。

PM3:00、日記を書く。

PM5:30、近くに日本料理屋があると聞いて行ってみる。徒歩5分の所に、確かにそれらしき店が2、3軒あった。1軒は、日本料理と言いながら、「何でも屋さん」的な店。もう1軒は、看板に「寿司バー」と書いてある寿司専門店。私は、寿司バーの方を覗いてみた。

日本人職人はいなかったが、日本語を少し話す職人がいた。彼は北海道にでも居たことがあるのか、「ここは、北海道寿司です」とか言っている。小さな店ながら客席は満杯の盛況。私が、メニューの中から「ちらし寿司」を注文すると、最初は「それはありません」と言っていたのだが、やがて「分かりました」に変わった。

どんな物が出て来るやら、期待と心配相半ばで待っていると、大きめで底の浅い陶器に入れて出てきました。ネタも、ご飯も、美味しいとは言い難いが、その分を量で補っていると言う感じ。外国製としては、まずまずの及第点と言うところでした。55レアル(2470円)。

PM6:30、ホステルの部屋に戻ると、若い男性が1人、ベッドでスマホ。しばらくしてバスルームから出てきたのは、若い女性。この部屋は男女混合の相部屋だった。最終的に、この部屋で寝ていたのは、男性3人、女性3人で2つのベッドは空いていた。

男性の1人は、ハンサムなイタリア人で、ナポリから来ていた。女性の2人はアフリカのチュニジアから来ていて、友人同士。アフリカを全く感じさせない顔立ちで、2人ともナカナカの美人。

チュニジアは地中海に面した国で、かつては、フランスの植民地であったことから、フランス系の人かも知れない。「大学を卒業したばかりで、帰国したら、銀行にでも勤めようと考えています」と、話していた。

PM9:00、熱いシャワーが出ないので、タオルで体を拭いて済ます。就寝。

9月1日(月)

AM6:00、起床。食堂でポメラを叩く。

AM8:00、朝食。シリアル、パン、バナナ、リンゴ。十分な量の朝食だ。食事中、パキスタン人、ブラジル人と談話。此処、イパネマは、世界中の人が集まってくるほどのリゾート地である。

このホステルは、私以外は、ほとんどが20代、30代の人で、初めて来たという人ばかりである。食事中にある男性が、親しげに挨拶をしてきた。誰だか思い出せない。そこで「何処から来たの?」と聞くと「イタリアです」と。

ここまで聞いて、「あっ、昨晩話していた同室のイタリア人青年だ」と、思い出して「ああ、そうだったね」と。西洋人は、私から見ると同じような顔立ちに見えて、2、3言話した位では忘れてしまう。

AM9:00、ポメラを叩き、書き上げたところまでを妻に送信。今回の旅行では、これが最後の送信になるかも知れない。

AM10:00、ユースホステルのベランダから妻とスカイプ。朝から大音量の音楽を鳴らしているので、ホステルは騒々しいが、スカイプの通信状況は良かった。

AM10:30、ホステルから歩いて3分の所にある、イパネマのビーチへ散策に。天候晴れ、気温も段々上昇中。既に、甲羅干し組は、浜辺で寝そべっている。向こうからビキニの女性が歩いてくる。私を避ける様子もないので、通りすがりに目をやると、お顔にもお腹にも、たっぷりのシワをお召しの女性でした。「それって話が違うんでないかい?」私は貴方に「人心撹乱罪」を適用します!

   

イパネマのビーチ通り

   

イパネマのビーチ・1

   

イパネマのビーチ・2

   

イパネマのビーチ・3

AM11:30、ホステルから徒歩10分位の所にある、ラグーン(水辺)、ホドリゴ・ジ・フレイタス湖Lagoa Rodrigo de Freitas)を歩こうと思い、サンダルからトレッキングシューズに履き変えて出かける。ここは、周囲に遊歩道、サイクリング・ロードが整備されており、ニューヨークのセントラル・パークにある貯水池「ジャックリーヌ・レザヴォウ Jacqueline Reservoir」(1周2km)に似ている。

   

ホドリゴ・ジ・フレイタス湖・1

   

ホドリゴ・ジ・フレイタス湖・2

   

ちょうど良い散歩コース

一周7.5kmのこの池は、ゆっくり歩いても2時間で歩ける。ちょうど良い散歩コースである。走っている人、サイクリングをしている人、乳母車を押している人、手を取り合ってリハビリに頑張っている人等、様々である。コースの所々には、ヤシの実を売っている露店がある。ヤシの木に沢山のヤシの実がなっている処を見ると、売られているヤシの実は、この公園内で実ったものであろうか。

   

沢山のヤシの実が

歩き始めて30分位の所で、メラニーと良く似た女性にすれ違った。向こうは私に、全く気が付いていない様だ。そのまま通り過ぎようとしているし、私も一瞬「人違いかな」とも思ったが、良く似ている。

「メラニー」と、声をかけたが気が付かない。いよいよ人違いかなと思ったが、もう一度「メラニー」と声をかけると、不審な顔をしてこちらを振り向き、一呼吸置いてから「マサ!」と笑顔で。

やはりメラニーだったのだ。最後のディナーを私が欠席したために、彼女は「さよならを言えずに残念に思っていたので、会えて良かった」と言ってくれた。彼女は、コパカバーナの高級ホテルに延泊していた。今日はそこから歩いて来たのだ。

「3泊した後は、オーストラリアをしばらく旅行してから帰ります」と言う。クレディ・スイス銀行に勤務している彼女は、5週間の有給休暇と5週間の無給休暇を取って来ていると言う。スイス最大のプライベート銀行に勤務している彼女は、如何にも「私は恵まれています」と言う風情である。

ここを歩いている間中、キリスト像が見えていたが、それは小さく、マッチ棒か、せいぜいペンダント位の大きさにしか見えない。

   

コルコバードの丘に建つキリスト像

リオデジャネイロのランドマークとしてテレビで見ているキリストの像は、常に、キリストがコパカバーナの海岸を見下ろしている姿であり、多分、ヘリコプターから撮影したものであろう。逆に下からキリスト像を見上げた物は無い。そうした場合、キリスト像が小さすぎて、絵にならないからであろう。

これは、エジプトのピラミッドと似ている。我々が映像で見ているピラミッドは、必ず砂漠を背景としたものであり、逆の方からの映像はない。逆から移すと、すぐ後ろにカイロの巨大な町が迫っていて、5千年前のエジプトのイメージが出せないのである。

PM1:30、昼食。持参のバナナを2本食べたが少し物足りなかったので、店の看板を見てチャーハンを注文した。出てきた物は、チャーハンではなく、チーズがたっぷり入った、大盛りのオムライスの具の様なものであった。半分だけ食べて、残りの半分は、お持ち帰りにしてもらった。20レアル(900円)。

PM2:30、ホステルへ帰着。ベランダで日記を書く。

PM5:00、自室に戻って、シャワーを浴びたいと思ったが、今日も暖かくない、水のようなお湯だったので、タオルを濡らし、身体を拭いてオシマイ。この後、読書。

PM7:00、昼食で残した半分(オムレツの具のようなもの)をレンジで暖めて夕食。厨房に常備されているコーヒーを飲んでこれもオシマイ。ホテルよりもホステル生活の方が私には快適かも。この後、読書。

パソコンの前でイヤホンを耳にして、しゃべりまくっている40歳位の男が居る。ポルトガル語らしく、内容はわからないが、仕事の話のようである。大きな声で、身振り手振りだ。よくもそんなに話し続けられるものだと、感心もするが、迷惑でもある。

PM9:30、就寝。部屋の住人の様子がすっかり変わって、昨夜居た3人の女性の姿はなく、野郎だけの5人になった。

9月2日(火)

AM7:00、起床。

AM8:00、朝食。シリアル、小さいフランスパン、ミルク・コーヒー、バナナ、リンゴ、オレンジ。

AM9:00、近くのスーパーマーケットへ。特に買いたい物が見あたらず、お菓子だけを購入。6レアル(270円)。帰りに書店を覗くが、興味のある物は無かった。

AM10:30、チェックアウト。出発まで、大きな荷物をラゲッジに預け、読書。

PM1:00、ハンバーグと、ジュースで昼食。11レアル(495円)。読書。

   

ホステルのスタッフと

PM3:45、迎えのシャトルバスガレオン(Galeao)国際空港へ。コパカバーナのホテルで他の2人をピックアップ。その内の1人(60歳居位)の婦人は、カナダのモントリオール在住だが、元々リオの出身で、母親がリオに住んでいるので、時折訪問していると言う。

空港までの途中、ある程度の渋滞は予想していたが、予想以上であった。リオに来る前の町(パラチー)で出会った青年が、サンパウロの交通渋滞に言及していたが、私の感想では、交通渋滞は、両都市引き分けである。

ただ、リオの方が、海あり、山あり、池ありと、地形に富んでおり、観光地としてはリオに軍配を挙げざるを得ない。ハイディが言うには「サンパウロを観光地に組み入れるツアーは珍しい」そうだ。

PM5:45、渋滞がなければ30分位で着くところを、2時間程掛かって、国際空港に到着。シャトルバスは、定額(20レアル、900円)の前払いだから、費用の面では安心して乗れる。

PM7:00、チェックイン完了。土産物を少々買って搭乗口へ。

PM8:35、定刻に離陸。機内は、ほぼ満席である。

PM9:00、機内食で、スパゲッティを選択。塩分強し。

丁度、睡眠時間に入る頃なので、そのまま何もせずに就寝。

9月3日(水)

AM5:30、機内で朝食。小さなパンとフルーツ。

AM6;35(現地時間、AM5:35)、ニューヨーク国際空港JFK)に安着。機内から見たニューヨークは、未明の夜景が美しく輝いていた。

AM7:15パスポート・コントロールに並ぶが、長蛇の列。早朝で、窓口も少ないのかしら。

AM8:15、チェックに時間の掛かっている人も多いが、私には、型どおりの質問で簡単に終わった。悪いことをするような男には見えないのだろう。

AM9:00エアー・トレインでターミナル1へ。こうして見ると、JFK空港は、やはり広い!3年前にニューヨークを初めて訪問したときは、ターミナルが8つも有ることを知らないまま、入国していたので、むしろ、アメリカの空の玄関としては、小さく感じていたのである。

それに加えて、危うく白タクに騙されそうになったりしたので、この空港には、良い印象がなかった。お土産品の追加を少々購入して、2番ゲートへ。

ニューヨークから成田までは、アメリカン・エアラインとマレーシア航空と日本航空との共同運行になっているが、スチュワーデスは全員JALの制服である。JALの印象が、一頃と比べると随分良くなってきた。まず接客態度が明るく、サービス精神が旺盛になってきている。

AM10:15、搭乗。機内はガラガラの空席だらけ。こんなに乗客が少ないのも珍しい。2人席には1人しか座っていないし、私のところは、4人席に私1人である。まさか、何時もこうではあるまいが、JALの経営状態を心配してしまう。

AM11:00、順番待ちで、20分遅れの離陸。成田までは13時間の飛行である。偏西風に向かって飛んでいくので、往路よりも1時間ほど余分に掛かる。成田到着は、ブラジル時間で、丁度真夜中の12時頃で、日本時間だと真昼の12時頃になる。

AM11:30、機内食。鶏の照り焼き、蕎麦、味噌汁、サラダ、デザートにハーゲンダッツのアイスクリームと緑茶。お代わりしたい位美味しく、文句無しのメニューでした。

PM1:15、「逆説の日本史・12巻」読了。益々面白くなってきた。

余談だが、この12巻に間違いがあったので出版社に連絡をした。以下はその返事の一部である。

“さて、このたびご連絡いただきました、

電子書籍版『逆説の日本史 11戦国乱世編』No3756に関する

記述でございますが、江島様のご指摘のとおり、「ポトシ銀山」は

メキシコではなくボリビアの銀山でございます。“

これは今回の旅行で、たまたまポトシ銀山を訪問したので気付いた間違いである。

この稿はJALの機内で書いている。南米横断の旅も終了しようとしている。そこで思いつくままに、まとめの感想に入ろうと思う。

まず、全体としては満足できた、収穫の多い旅であった。何と言っても3週間に渡る高地の旅は、未経験の旅であったし、高齢からくる不安もあった。この点に関しては、幸いに高山病の処方薬が功を奏して乗り切れた。

しかし、一度引いた風邪が、日本から持参した風邪薬では全く症状が改善せず、結局、現地で抗生物質を買って服用するまでになった。これは、私の体力が低下していたことを物語っている。そう考えると、この旅を、来年に延期せずに決行して良かったのかなとも思う。

「百聞は一見に如かず」の格言は、今回も実感しているが、マチュピチュの遺跡、ウユニ塩湖、イグアスの滝はその代表であろう。無論、その他にも、行く先々で多くのことを見聞できたことは、何にも代え難い喜びである。

そして、曲がりなりにも、南米大陸を横断できたことは、私に大きな達成感をもたらしてくれた。これを足がかりに、南米の歴史、地理をもっと深く、広く研鑽していきたいと思う。

残念なことも、幾つか有ったが、それは、その都度書いてきたので、改めて書くことはしない。

今回も、旅行記を読んでくれたり、スカイプで元気な顔を見せてくれたりした、家族の応援が何よりのエネルギー源であった。ここに感謝の意を表したいと思う。ありがとう!  9月3日(火)PM4:00JAL機内にて。

PM12:00(日本時間、94AM12:00)、13時間のフライト後、成田空港に安着。

9月4日(木)

AM12:30、成田空港発、快速電車でJR佐倉駅へ。

PM1:00、佐倉駅着。妻の迎えで久しぶりの我が家へ。


終わり

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