3月29日(金) AM7:00、起床。チュンさんは出勤してもう居ない。 AM8:00、奥さんの妹(日本語センターの社長)と朝食へ。徒歩2分のいつものお店で、ホゥティウを頂く。米の麺に大根、人参、キノコ等の野菜がたっぷり入った薄味の一品である。毎日食べても良いくらい胃に優しい。そして、どこの店も軒先を少し広げたような簡易な造りである。 数軒先には塾があって、中学生がおしゃべり中である。塾の休憩時間だという。200m程先の路上では。小学生と見られる男女の子供たちが10人程集まって、ドッジボールのようなゲームをして、元気に遊んでいる。楽しそうで笑い声が絶えない。日本ではすっかり見られなくなった光景である。
塾の風景
十字路の角のカフェでは、朝のこんな時間に12、3人の壮年が輪になって懇談中である。「今日の話題は何ですか」と聞いてみたいが残念、ベトナム語が話せない。 AM9:00、日本語センターに入って、くつろぐ。室温33℃。 AM11:00、トゥーさんが来て「センターは無人になるから私の家に行きましょう」と言うので、チュンさん宅へ移動する。 チュンさん宅に行ってみると、初対面の人が居た。奥さんの一番下の妹で、名前をカン(Khanh)と言う。ホーチミンシティの外国語学校で英語を教えており、今日は休暇の日だと言う。ポッチャリした健康そうな人である。 AM12:00、昼食をご馳走になる。今日も椎茸や野菜を中心とした献立である。珍しかったのは、青くて堅いマンゴーを薄くスライスし、その上に味の付いたアミ(細かいエビ)を振りかけた物。シャキシャキした歯触りと、さっぱりとした味で美味しかった。酒のツマミにも人気があるそうだ。 PM1:00、カンさんの友人が来訪。間もなく皆で昼寝の時間だ。今来たばかりの友人も一緒になって横になっている! PM3:30、カンさんと友人が出かけて行った。 PM4:30、私とトゥーさんはセンターへご出勤。 ここ数日間は、食事をする以外は殆ど何もしていない。積極的にやろうとすれば、出来ないわけではないが、私が来る前から、それなりに仕事は回っていたのだから、やらなければやらないで済むのである。 私を日本から呼んだチュンさんの意図は、 (1)スタッフの日本語会話のレベルを上げたい。 (2)日本人が居ることで、日本語学校としての信用を獲得して学生を増やし、経営を黒字化したい。 と言うことのようである。 つまり、私はここに居るだけで、イメージアップの効果をもたらし、目的の半分を遂行していることになる訳だ!? こういう総括は、また変わるかもしれないが、ベトナムに来て一週間経過したところで、私なりに考え着いた結論である。 PM5:30、日本語会話の不得手なタオさんと夕食へ。彼女と会話をすることは、私の方もしんどいが何とか次の話を聞くことが出来た。ベトナムで走っているバイクの平均価格は約10万円。サラリーマンの平均月収は約1万6千円。つまり、1台のバイクを買うのに、「半年分の給料をそっくり支払いに回さなければ買えない」と言うことである。 PM6:30、アン君が担当するクラスに顔を出す。今までで一番レベルが高いクラスのようで、自己紹介、質問会もスムーズに進んだ。7人の生徒のうち、3人が会社で会計に携わっている。いつか日本に行きたい。2歳の子供が居るが、母に預けてきた。日系企業でスーパーバイザー(現場監督)として働いている、等の話が聞けた。 PM9:30、チュンさん宅へ移動。ほんの2ブロック(2、3分間)歩く間に、カフェが4、5件もある。そしてこの時間になっても、大勢の人々がそこで、おしゃべりを楽しんでいる。店の外にテーブルと椅子を出して談笑するスタイルはパリのシャンゼリゼを思い出す。 カフェ(ca phe,フランス語はcafe)と言う呼び名にしても、「たぶんフランス統治時代に、フランス人によって持ち込まれたのではないか?」と私が聞くと、トゥーさんは「そうです」と答えた。 それにしても、こちらのコーヒーの濃さと甘さには驚く。パリのコーヒーも、こんなに濃くて甘かったっけ?もう忘れてしまった。淡い記憶では、濃いコーヒーもあったが、薄いコーヒーもあったように思う。 PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 3月30日(土) AM7:00、起床。クーラーのスイッチを切って寝たらさすがに暑く、夜中に何度も目を覚ました。 AM7:45、いつもの店で朝食。ティン君が先に来て食べていた。同じ物を頼んでみた。ベースは米の麺、それに豚肉のフライ、豆、野菜等が入っている。スープは殆ど無く、小皿に入れたソースを掛け、よく混ぜて食べる。これも美味しかったが、やはり、スープのたっぷりある方が食べやすい。
AM8:15、センターに着くと、小学生が10人程来ていた。8時半から10時半まで英語の授業がある。参加者の数は14,5名。先日、日本語の教室に生徒として来ていた女性が、今日は英語の先生である。 英語のクラスに集まる小学生 AM11:45、ティン君と昼食に。彼はこれからホーチミンシティに行くと言う。聞くと「土、日、月の3日間、ホーチミンシティの大学で英語の勉強をしている」と言う。つまり、都会に出向いて、より高度の勉強をしながら、田舎で子供たちに教えているわけだ。大変合理的な方法だと思う。 PM0:30、昼食後、センターに誰も居なくなるので、チュンさん宅に移動する。 PM2:30、お昼寝の時間。 PM4:00、センターへ。 PM6:00、チュンさん宅で夕食を頂く。フォーに似ているが違うものだ。 奥さんが高校を卒業してアメリカの大学へ行った時は、叔父を頼って行った。「当時のベトナムでは、まだ良い教育を受ける事は出来なかったから」と言う。彼女の家族8人のうち、両親と2人の兄弟はアメリカに居り、4人の兄弟はベトナムで生活をしている。 PM7:00、本日3度目のセンターへ。日本語検定試験には、5級から1級までがある。チュンさんは1級、アン君は2級、トゥさんは3級、タオさんは4級の合格者。そしてこの学校では5級から3級を目指すクラスがあり、まだ2級と1級を目指すクラスは無いと言う。「2級と1級を目指すクラスが出来たら私が教えましょう」と言ったら、トゥさんがニッコリ頷いていた。 PM9:00、スタッフと懇談した後チュンさん宅へ。 PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 3月31日(日) AM7:00、起床。 AM8:00、迎えに来たアン君といつもの店で朝食。今日のメニューは具沢山のカレーだ。これにフランスパンを浸して食べる。私はこれに麺を加えてもらった。隣で食べていた3人家族の奥さん(30歳代)は、大学で英語の先生をしていると言う。 挨拶と若干の懇談をする。彼女とは英語で、アン君とは日本語で話しているのを聞いて、彼女は「大したものですね」と言う。日本語は私の母国語なのに、彼女から見ると不思議に思えるのかしら。 AM8:45、アン君のバイクの後ろに乗って出発。今日はアン君の家を訪問する。サイズの合わない小さなヘルメットを頭に乗せて、スリル満点の交通ラッシュと、排煙とほこりの中を走る。これが意外と疲れる。ただ後ろに乗っているだけなのに、全身から生気が吸い取られて行く様なのである。 走っているバイクのメーカーはホンダが圧倒的に多い(全体の約70%)。中国製のバイクなら、5万円位で買えると言う。車は、まだ少ないとは言え、走っている中ではトヨタが多い。それも高級車である。関税も高いらしいが、所有者は法人か余程の金持ちであろう。 ここまで書いてきて、場所を移動する時、ポメラをタイル敷きの床に落としてしまった。その衝撃でポメラの画面がゆっくりと消えていく!「ああっ!どうなってしまうのか?!まさか壊れたんでは無いだろうね!」 一度電源を切ってから、改めてスイッチを入れると「今復元していますので暫くお待ち下さい」とのメッセージが表示された。祈るような気持ちで待つこと数分。結果は、昨日までに入力したものは復元され、本日になって入力したものが消えていた。ダメージが軽微でよかった。 話をアン君宅訪問に戻そう。まずドンナイ県の県庁所在地であるビエンホアへ。例えれば東京(ホーチミンシティ)の隣接県である千葉県(ドンナイ県)の県庁所在地と言うところだ。ドンナイ川がゆったりと流れており、どちらが上流で、どちらが下流、海なのか分からない位だ。 ドンナイ川を背に 川岸は綺麗に整備され、一部は公園になっている。夜は恋人たちが集まり、チューチューやっているので「チューチュー公園」と言うのだとは、アン君の話。彼は日本語の教師をしているが、日本人と話す機会は殆ど無い。だから私に居て欲しいという。彼にとって日本人と話す機会はとても貴重なようだ。 河岸の公園 AM11:00、アン君宅に到着。母親と彼の兄、それと彼の婚約者のトゥさんも来ていて歓迎してくれた。昼食の準備中、結納の時の写真を見せてくれた。日本のそれに比べると大変大々的である。親戚、友人が総出でお祝いしている。そして豚の丸焼きを一匹お供えしたりしている。 アン君の母親と婚約者のトゥさん アン君は、この儀式を「新婚式」と言っていたが、日本語としてはやはり「結納(式)」或いは「婚約(式)」の方が良いでしょうと教えた。結婚式は、ここの家の建て替えを待って、6月に行うと言う。今の自分たちには、アパートを借りて済むだけの経済力がないので、親と同居する予定だという。 アン君の母親(50歳前後)心尽くしの料理が並べられて、昼食が始まった。ここでも麺料理が中心であるが、珍しいものでは、日本の「春巻き」とよく似たものがあった。食後の果物にマンゴーが出されたが、価格は1個、約40円程だと言う。ただし、味は日本で売られている贈答用のマンゴーほど甘くはない。 心尽くしの料理 PM1:00、バイクの後ろに跨って、チュンさん宅に帰る途上で、後ろからバイクで追いついてきた70歳位の爺さんが、暫く併走しながら、私に向かって何やら大声で話している。私は勿論なにも聞き取れない。 アン君に、なにを言っていたのかと聞くと「{あんたの背負っているリュックサックのブランドは、昔からベトナムにもあるぞ}と言っていたのです。初めての人に対する、親しい話しかけになります」と言う。ちなみに私が背負っていたナップサックには、ダンロップ(DUNLOP)のロゴがはっきりと入っている。 PM1:30、チュンさん宅に帰着。グッタリ疲れて昼寝。 PM7:00、夕食。食後、チュンさんの会社の社長の話を聞く。一代で築き上げた会社を、二人の息子(長男には日本の会社を)に譲った会長の人柄に共鳴して入社してみたのだが。 ベトナムの会社社長の次男(40歳代)は、いかにもボンボンで、贅沢三昧、金銭感覚に乏しく、間に入るチュンさんは困りきっている。そんな会社の現状を憂えながらも、多くの事を頼りにされているやりがいも、また感じているようだ。 奥さんに「将来はアメリカに戻りたいですか」と聞くと「戻りたい」と言う。理由は、アメリカの方が自然環境がよい。子供によい教育を受けさせることが出来る。能力に応じて自由に職業を選択できる、等のことを述べていた。夫のチュンさんが、なんとしても日本語学校を成功させて、日本とベトナムの架け橋となりたいと言う希望とは、大きくかけ離れている。 PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 4月1日(月) AM7:00、起床。 AM8:00、朝食。今朝はチュンさん宅でフォーの変形バージョンであるホティウを頂く。薄味で大変美味しいが、食べ終わる頃には手首、手の甲から汗が噴き出している。真夏に豚骨ラーメンを食べているところを想像して下さい。 こちらのホティウには、豚骨から取ったスープだけではなく、豚骨そのものが入っており、豚肉も肉だけではなく、周りの脂肪や皮も付いたまま入っている。コラーゲンたっぷりと言うところである。 AM8:30、日本語センターに行くと、1人の青年が入り口で待っていた。今月半ばから1年間、富山県に行って、電気関係の技術を習得するのだと言う。日本語を勉強し始めて2ヶ月しかたたない彼を相手に、会話をしてくれと言う。 易しい言葉で、ゆっくり話しかけるのだが、なかなか理解できない。それでも必死に単語を思い出そうと、汗をかいている姿を見て、思わず応援したくなる。40分程で担当のトゥーさんにバトンタッチ。彼女はテキストに沿って上手に教えていた。 AM9:30、いつものように、E-メールのチェックを始めたのだが、今日は無線のWIFIが繋がらない。1階のフロントで聞くと、「このセンターには無線の設備はありません」と言う。今までインターネットが出来ていたのは?隣のカフェの無線を拝借していたことが判明!そういう事だったのか。知らないことが多いものだ。 今回のベトナム訪問に際して海外保険に入って来たのだが、帰国日の4月4日はベトナムを離陸する日ではあっても、成田に着陸する日ではないことに気が付いた。成田の着陸時間は5日の早朝になっている。そこで保険期間を4日までから、5日までに1日間延長したい。幸いインターネットで延長の申請ができた。追加料金は130円也でした。 AM12:00、ティン君と昼食。食後、彼はホーチミンシティへ英語の勉強に行く。私は、何もやることがなくなると、ベトナム語の勉強をする事にした。日本から持ってきた「ベトナム語レッスン 初級1」を、録音を聞きながら進めるのだが、30分も続けると飽きてしまうのが実状である。 PM5:30、タオさん、アン君、トゥさんと、センター向かいの店で夕食。皆、少しずつ異なる麺類を食べているのだが、名前は覚えられない。初めて一緒に食事をする英語教師の女性は、ミー(My)さんと言った。大きな声で話す明るい人だ。 PM6:00、タオさんのクラスに出て、授業の様子を拝見。日本語検定4級合格者の彼女が、初心者に5級レベルの内容を教えている。これも合理的なシステムである。彼女の日本語の発音自体、心もとない所もあるが、それは「ご愛嬌様」と言うところだ。 PM7:30、まだお目に掛かったことのない、イェン(Yen)さんのクラスに出る。彼女は正規の銀行員で、夜間だけ教えに来ている。検定2級の保持者だけあって、私との会話もスムーズである。 彼女は「以前、日系のサンヨーに勤務していた頃、日本人の部長と日本語を話すチャンスがあったが、間もなくサンヨーがパナソニックに吸収合併された為、部長と話す機会は、短期間で終わってしまった」と言う。3級を目指すクラスの生徒からは、私への質問も多く発言された。 PM9:00、ロビーへ降りていくと、チュンさんの奥さんが赤ちゃんを抱いて来ていた。「時々くるのですか?」と聞くと「初めて来ました」と言う。暫く懇談してから一緒に彼女の家に帰る。既にチュンさんが帰宅していた。テレビの配置を換えたりして、ご満悦であった。 PM10:30、シャワーを浴びて、就寝。 4月2日(火) AM7:00、起床。 AM8:00、朝食を、いつもの店で。麺が黄色いので聞いてみると「卵が入っています」と言う。これも変化の一つで、料理の名前が異なる。 今日は午前も午後も、やることがないので、自室でベトナム語に取り組んでいる。とは言っても、暑さと高齢のため持久力がない。30分もやっていると眠くなってくる。休み休みである。 あと2日後には、いったん帰国する事になる。こちらの実状はだいたい理解できたので、どこまで応援できるかよく考えてみたい。 問題点1、暑さ対策 問題点2、退屈さ対策 問題点3、資金(航空運賃、保険代) PM5:30、この時間になると、日本語センター前を、大勢の中学生が自転車に乗って下校して行く光景を見る事が出来る。 中学生の下校風景(正面は日本語学校) PM9:00、授業終了後に、二組の親子が駆け込んで来た。「中学生の子供に英語を習わせたい」と言うことである。この辺の小、中学生も、英語学習が盛んになっている。まず英語、そして第2外国語としての日本語、と言う流れが出来つつあるようだ。 日本語学校の若い先生達 PM9:30、チュンさん宅へ。 PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 4月3日(水) AM7:00、起床。 AM8:00、朝食。 AM8:30、日本語センターへ向かう途中、バイクでやって来た、アイスクリーム売りのおじさんを囲んで、嬉しそうに談笑する小学生達の光景に出合った。 アイスクリーム売りのオジサンを囲んで AM11:30、チュンさん宅へ昼食を頂きに帰る。 食事中、奥さんからチュンさんとの馴れ初めを聞かされた。彼には何度か別の彼女がいたようだが、最後は奥さんに納まった。奥さんは米国生活を希望したようだが、チュンさんの強い希望で、今はベトナムに居る。しかし将来はアメリカに帰るつもりだという。 チュンさんは日本語を勉強している時は、日本語を教えることは考えていなかったようだが、教えてみて、教えることが好きになったようだ。奥さんは「綺麗な生徒さんに沢山会えるからでしょう」と言う。 PM1:00、昼寝。チュンさん宅にお邪魔していると、ある程度家族の生活のリズムに合わせる必要があり、たっぷり昼寝の時間を取ることになる。かくして、日中は食うことだけが仕事になり、だんだん退屈さを感ずる様になってきた。さりとて、この暑さの中で皆のリズムに逆らってまで、何か建設的なことをする元気もない。 PM5:00、夕食をご馳走になる。揚げたての天ぷら(具はエビと芋)が美味しかった。ソースをトマトケチャップではなくて、「天つゆ」にして欲しいと思うのは、無い物ねだりか。 PM6:00、トゥーさんのクラスに出席し、90分間授業の前半45分間を担当する。黒板に書きながら、ゆっくり、易しく話したら、大部分の人が理解できたようであった。 PM9:30、チュンさん宅へ帰る途中で、トゥーさんから質問があった。「ビールを買ってあります、と、ビールを買っておきます、は同じ意味ですか?」と。とっさの質問で少し戸惑ったが、私は次のように答えた。 「ほとんど同じ意味で、日本人なら両方とも理解できます。しかし、(買ってあります)の方は、既に買ってあり、もう用意されている事を意味し、(買っておきます)の方は、これから買って用意する時に使います。つまり過去か未来かの違いがあります」と。名答なりや? PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 4月4日(木) AM7:00、起床。 AM8:00、ティンさんといつもの店で朝食。今朝は珍しくご飯である。ティンさんが食べているのを見て、美味しそうだったから。皿に盛ったご飯の上に、豚肉の照り焼きと、卵の目玉焼きが乗っている。こちらのご飯は、まるでゴマ粒のように小さいが、甘みがあって美味しい。ベトナムは世界最大の米の輸出国だそうだが、価格が低く農民の暮らしは貧しいと言う。 今朝の朝食 いつものお店に咲く花 食後、コーヒー豆とベトナムの地図を買いにビエンホアまでタクシーで。タクシーに乗るのはベトナムに来て始めてである。車体は小さく軽乗用車並みであるが、バイクに比べれば大変乗り心地がよい。高級タクシーはトヨタを使うが、ベトナムの庶民の足としては、まだ一般的ではない。 小さなタクシー ビエンホアのコーヒー豆店で、3種類のコーヒー豆を200グラムずつ購入。価格はおよそ(18万ドン+30万ドン+50万ドン)×2百グラム×50円=980円と言うところか。当然私は自分で支払うつもりでいたのだが、ティンさんが「私達からのお土産として是非支払わせて下さい」と言って聞かない。私はその好意を受けた。 次に大きなスーパーマーケット内にある本屋さんで、ベトナムの地図を購入。ベトナム語だけでは見にくいので、英語が併記されている物を探した。およそ10.5万ドン×50円=525円。 最後に、お世話になった日本語センターのスタッフの皆さんに、せんべいとチョコレートを少しずつ購入。約、78万ドン×50円×10組=3900円也。 AM10:30、チュンさん宅に戻り、階下のカフェでベトナムのコーヒーを飲む。ベトナムに来たばかりの時は、強すぎてとても飲めなかったが、今は、もう一度試してみたくなったのである。結果は以外と抵抗なく飲むことが出来た。 ベトナム式コーヒー ティンさんが「コーヒー中毒になったのではありませんか?」と言って笑った。彼らは、私が持参したネスカフェのインスタントコーヒーを、私が勧めても飲もうとしないが、実際、濃いコーヒーに慣れたら、薄くて飲む気にならないかも知れない。 今回、ベトナムを訪問してから、私は一度もスニーカーを履かなかった。2週間、念のために持参したゴム草履で過ごしてしまった。草履やサンダルの方が快適なのは、真夏の日本と同じである。常夏の島、フィジーでもそうであったことを思い出した。ベトナムでも北方のハノイでは、寒い日もあるようだが、ホーチミンシティは、雨季と乾季の変化はあっても、常夏のようだ。 洗濯について、今回の訪問期間、チュンさんの奥さんにお願いした。下着を毎日取り替えるのだが、湿度が多いせいかスッキリ乾くことがない。中国の旅順とは対照的である。その分、乾燥肌に悩まされることはなかった。 AM12:00、昼食。チュンさん宅でご馳走になる。朝食の量が多かったせいか、お腹が空いていなかった。外食した朝食と似たようなメニューだったから、余計そのように感じたのかも知れない。 PM2:00、昼寝。 PM3:00、ポメラをたたく。ニューヨークのユースホステルでお会いした、札幌のご婦人からメールが届く。お元気な様子だ。 PM4:00、センターへ移動して荷物のパッキング。 PM5:30、スタッフが集合し、記念撮影。 帰国時の記念撮影 PM6:00、ホーチミンシティの日本食レストランへ向かう。 途中、ラッシュ時と重なって、もの凄い交通渋滞。各車、1mmでも前に行こうと、しのぎを削っている。お互い、よく接触しないものだと、冷や冷やしている。 また一方で、片道3車線、しかもバイクが走るのは別の車線になった見事な道路が出現した。ここは大林組が施工したのだが、後日、大林組の責任者とベトナムの役人が、贈収賄罪で逮捕されたと言う。 PM7:30、「寿司バー」で会食。日本人経営者が、市内に数件のチェーン店を出しており、仕事で出張して来ている、日本人客に人気があると言う。チュンさんはこのような処で、毎日のように日本人を接待しているようだ。 寿司バーで会食 PM8:30、夜のホーチミンシティの中心地を、車窓から見学しながら空港に向かう。フランスの統治下にあった時代が長かったせいか、市の中心地は、何処かパリを思わせる雰囲気を持った建築物が散見された。 PM9:30、空港に到着。皆と別れの握手を交わす。「また来て下さい。また来て下さい。」と言われ、「はい、必ず来ます」と言うしかなかった。 PM10:00、免税店でチョコレートを見ていると、女店員が日本語で話しかけてきて、以下のような会話があった。 「お仕事ですか、観光ですか?」 「日本語教師のボランティアで来たんだよ」 「素晴らしいですね。私は学生で日本語を勉強しています」 「道理で日本語がうまいわけだ」 「まだ2級ですから。ゆっくり考えてからでないと、反応できません」 「あとは実践だね。頑張って下さい」 「がんばります!またベトナムに来て下さい」 PM11:00、搭乗口付近で待機していると、館内放送があった。「ANA、932便、成田行きにご登場予定の江島正東様、恐れ入りますが、16番搭乗口までおいで下さい」と。何事があったのだろう。空港で呼び出されたのは、生まれて初めてである。 さては、ダブルブッキングでもして、ビジネスクラスへ移動させられるのかな?等と、期待しながら行ってみると、「お客様の座席は中央の席になっておりますが、通路側でも宜しいでしょうか」と言う。なんだ、そんなことか。私はつまらない内容にがっかりしたが、断る理由もないので「結構ですよ」と答えると、その場で新しい搭乗券が発行された。 PM11:30、搭乗してみると、私が座る予定であった中央の席は空席のままである。反対側の通路席には年輩のおばさんが座って、携帯電話で話し込んでいる。言葉から推測するとベトナム人のようだ。 PM12:00、飛行機が離陸し、ウトウトしていると向こう側のオバサンが、いつの間にか横になって2座席を占領している。「俺はこのオバサンの為に席を移動させられたのかな?」と、余計な疑念が沸いてくる。 何となく苦々しく思うが、ここまでは我慢も出来る。しかし、こちらに伸ばした足で私の太股を蹴飛ばすとは何事だ!せっかく眠ろうとしてウトウトしているのに、眠れやしない。 私は我慢できずにキャビンアテンダントに言った。「隣の人の足が当たって眠れないんです」と。キャビンアテンダントは「申し訳ありません」と言って、隣のオバサンのところに行き、なにやら話していた。やがてオバサンは起きあがって、シートベルトを締めたようだ。 4月5日(金) AM5:10、(日本時間AM7:10)成田空港に安着。今日の気温は高い方で、私が留守中の気温は大変低かったそうだ。 |