8月17日(土)プノンペン

AM5:40、起床。

AM6:10、バイキング形式の朝食。さすがに4つ星ホテルのメニューは豊富で、味も良かった。ただ、出発の時間が迫っているので、ゆっくり食べておれないのが残念。


AM6:50、大型バスにて出発。今日は、プノン・ペンへ移動。約6時間の道のりだ。シェムリアップへ来た時の道、国道6号線をひたすら戻る。国道で幹線道路ではあるが、片側1車線である。


周りの景色は、雨期の中頃とあって何処も水浸し状態。カンボジア
の経済は、ベトナムより一段遅れているようで、道路はバイクよりも自転車の往来が目に付く。それも、人口(約1500万人)が少ないせいか、1車線でも渋滞は見られない。


    

             雨季のカンボジアは水浸し


    

               高床式の民家が多い


AM8:50、トイレ休憩。売店で、ふと書籍コーナーを見ると、昨日、タ・プロム
僧院の路上で、男から10ドルで買った本「アンコールの遺跡」が、5ドルで売られていた。あの時、簡単に妥協しなくて良かったと思った。


この本は、我々のような「アンコール初心者」を対象に書かれていて、大変分かりやすくまとめられている。ただ、発刊が昭和44年(私が大学を卒業した年)と古く、挿入の写真が不鮮明で見にくいことが惜しまれる。


AM9:05、出発。バスの車内では、美人ガイドが、トークで雰囲気を和らげている。彼女の指名による自己紹介の、5番目位に私が指名された。「今日のお客さんの中に、日本人の方がいます」と紹介されてマイクを渡された。


    

             今日のお客さんの中に・・・


私は最初の言葉「シン・チャオ:こんにちわ」と、最後の言葉「カム・オン:ありがとう」だけをベトナム語で言い、後は英語で自己紹介した。
車内の有志がベトナム語に通訳してくれたので、拍手の中で終えることができた。


AM11:00、休憩。売店でザボンを1個購入(2ドル)。一人では食べきれないので、中国語の先生夫妻と日本語を勉強中の女子大生を招いて、一緒に食す。もう少し瑞々しいことを期待して買ったのだが、その点で少々残念でした。


PM0:30、プノン・ペン着。レストランで昼食。いつもと殆ど変わらないメニューだが、海苔入りのスープが美味しかった。


PM1:30、ホテルにチェックイン。フロントでキーを貰って部屋に行くと、只今清掃中!このホテルは3つ星と言うことで、シェムリアップでの4つ星ホテルに比べると、明らかにグレードの低さを感じる。


しかし、お天気良し、バス良し、ガイド良しで、何よりの旅行が続けられている。間もなく部屋の清掃が終わり、ベッドで昼寝と相成った。ここでも、ベトナム人ガイドと相部屋である。


PM3:10、市内観光に出発。まず、王宮へ。何処も
彼処も金ぴかの建物。どれが何という建物でもいいのだが。他国から国王への寄贈品を陳列した館は、内部が撮影禁止。シルバー・パゴダは、王室の菩提寺。ナポレオン3世の妻からノロドム王へ寄贈された建物は修復中。


現国王(ノロドム・シハモニ:Norodom Sihamoni)は、前国王のシアヌークと第6婦人との間の子で、60歳になるが、独身であると言う。それと関係するのか、王宮内を歩いていても何処となく人の生活感が無く、寂しい雰囲気
を感じる


1、
王宮

トンレサップ川沿いに建つ黄金色の宮殿が王宮。戴冠式や王室行事が執り行われる公務の場であると同時に、現国王の居住の場でもある。中央の即位殿は「天と繋がる三角窓と、高さ59mの尖塔が特徴。


    

                即位殿(王宮)


2、
チャン・チャーヤ館

ノロドム王時代に建立されたかつての木造寺院。王宮のランドマーク的な存在で、国王が演説する際の演壇に使われることがある。


    

           即位殿から見たチャン・チャーヤ館


    

              側面から見た即位殿


    

               宴会ホール(王宮)


3、
シルバー・パゴダ

ノロドム王時代に王室の菩提寺として建立された寺院で、仏教祭礼時に利用される。床には、5000枚以上の銀のタイルが敷かれているので「シルバー・パゴダ(銀寺)」と呼ばれ、館内の仏体には大量の宝石が散りばめられている。

                               
    

          シルバー・パゴダに隣接するストゥーバ(王宮)


PM4:30、宝石店へ。興味なし。

PM5:15、カジノへ。興味なし。中国系で、外国人しか入場できないのだそうな。

PM6:00、夕食。


    

                夕食のメニュー  


PM7:00、ホテル
帰着。


8月18日(日)プノンペン


AM6:00、起床。

AM6:30、朝食。

AM7:45、出発。


    

             4日間走ってくれた快適なバス


AM7:50、セントラル・マーケット到着。AM10:00まで、自由時間。再集合の場所は「あそこのカフェです」と、日本語学習中の女性が教えてくれた。「カフェらしきものは見当たらないが、マ・いいか」と安易に考えていた事が、大事になってしまうとは、この時
思いもしなかった


マーケットの入り口に、小さな古本屋さんらしい店があった。どんな本があるのか覗いてみると、「カンボジア語・実用会話集」と日本語で書いた本があった。値段を聞くと「3ドル」と言う。「最初の10頁だけでも読んでみようか」と思い購入。まだ読んではいないが、本の後半に、30頁に渡って、上下逆さまに綴じられている所がありました。


マーケットの中は、中央に貴金属類を扱う店が集中し、その周りを、野菜、果物、魚貝類、肉類、衣類等の店が取り巻くように配置されている。従って、道に迷うような所はない。私は、「カンボジアに行ったら、胡椒を買ってきて欲しい」と妻に言われていたことを思い出し、胡椒を探した。


    

               セントラル・マーケット


胡椒のありそうな店で「胡椒は有りますか?」と聞くと、すぐに棚から一袋取り出して見せてくれた。値段は4ドルだと言う。値段の交渉をしてみたが「これは質の良いものだから」と言って、全く応じてくれない。

私は、他の店も覗いてから決めようと思い、買うことを保留した。しかし、付近の店を覗いてみたが、胡椒は見当たらなかったので、再び前の店に行って4ドルで購入した。バスに戻ってから、1人のご婦人に見せたら「そんなもんでしょう、きっと良い買い物をしたわよ」と言われた。


さて、これで私の市場での仕事は終わり。まだ解散してから30分しか経っていない。「こんな所で、2時間も過ごすなんて、どうしたらいいのだろう?」一人になった私は時間の潰し方に困ってしまった。
カフェに入ってお茶でも飲もうと思、探してみたが、カフェが見当たらない。


「そうだ、まだ1時間以上あるし、プノン・ペンの町を見に行きたい」と思いついた。この町も川沿いに開けていたはずだ。まずその川を見に行こう。ここまで考えがまとまると、市場の入り口にたむろして、観光客を待っているト
クトク(バイクで椅子の付いたリヤカーを引いて走る)のお兄さんと交渉だ。


しかし、「川を見に行きたい」が通じない。River,River。相手も、何とかゲットできそうな客だから必死なのだが、言葉が通じないのは本当に困る。簡単な絵を描いて見せたが、それでも理解されていないようだ。そもそも「川を見に行きたい」と言う観光客が、珍しいのかも知れない。


彼は、誰かに聞きに言って戻ってきた。Riverの意味が分かったようだ。値段は1時間で5ドルに決定。私は、やりたいことが見つかり、ホッとしてト
クトクに乗り込んだ。若い頃は歩くほどに元気になったものだが、最近はちょっと歩いただけで疲れる。老いの悲哀を感じざるを得ない。


トゥクトゥク
の運転手はまず、トンレサップ川に行ってくれた。川の水は土色に濁っているが、程良い水量で流れている。川辺は綺麗に整備されて、公園になっている。昨日見学した王宮は川のすぐ側に建っていることが分かる。


    

                トンレサップ川


トゥクトゥク
から降りて、数枚の写真をカメラに収めた。今になって考えると、トンレサップ川がメコン川と合流し、再び、メコン川とトンレバサック川(Tonle Bat Sac River)に分流する地点(2本の川がクロスしている所)を見ておきたかったと思う。


私は、初めて訪問した町では、川辺を歩くことが好きである。そうすれば、その町の成り立ち、地理、歴史まで理解し安くなるからである。


第一の目的を遂げた私は、時間が来るまで、何処を走るかを運転手に任せることにした。運転手は、慣れた様子でシャッターチャンスに来ると、バイクを止めてくれた。


    

               トゥクトゥクのお兄さん


今回の旅行は、何の準備もせずに、つまりガイドブックも読まずに来ているので、自分がカメラに収めた所に、どんな謂われが有るのか、今はさっぱり分からない


1、
ワット・プノン

小高い丘の上にある格式の高い寺で「プノン・ペン」の名前の由来になったペン婦人が1372年に建立した。白い釣鐘型のストゥーバ(卒塔婆)が目を引く。丘全体が地元民の憩いの場となっている。


    

                 ワット・プノン


    

              プノン・ペン国立博物館


しかし、カメラに収めておくと、後でガイドブックを見ながら整理をする時に、「アッ、あの時の写真は此処だったのか」と分かってくることがある。それも楽しみの一つである。


さて、私は再集合の時間が気になってきたので、セントラル市場へ戻ってくれと頼んだ。そして、丁度良い加減のAM9:45に、待ち合わせ場所に戻ってきた。


私は、そこに同行者の何人かが、たむろしていることを期待していたが、誰も居なかった。普通、40人も居れば、その内の数人は、時間を持て余して早くから集まって来ているものである。付近を探してみたが誰にも出会わない。


さては、時間か場所を聞き間違えたかな?AM10:00を過ぎても誰も来ない。私は自分の置かれた状況を考えざるを得なかった。最後に日本語を勉強中の学生が、再集合の場所は「あの辺のカフェ」と言ったが、その辺りにカフェらしきものは、見当たらないし、
トゥクトゥクのお兄さんたちに聞いても、手応えはなかった。


時間だけは過ぎていく。この後の旅程を確認すると、「隣の県まで行って昼食」となっている。もう出発してしまったのだろうか?だんだん不安にもなってくる。私が困っていることを感じて、入れ替わり立ち替わり声をかけてはくれるが、何せ一言も言葉が通じない!


私は夕べ宿泊したホテルのカードを捨てずに持っていることに気づいて、そのホテルに戻ることに決めた。
トゥクトゥクのお兄さんに「此処のホテルへ行ってくれ」と言うと「いくら呉れるか」と言うので「3ドルでどうだ」と言うと「OK」と言って出発した。


ホテルへ着いて、フロントで

「私は見失ってしまったのだが」と言うと

「何をなくしたのか」と言うので

「ツアーの仲間を見失ったのです。ガイドの名前と電話番号はこれです」と言うと、

「分かりました」と言って、すぐに電話をしてくれた。


間もなく連絡が取れたようで

「迎えに来ますから、此処で待っていて下さい」と言う。私は「やれやれこれで最悪状況には成らずに済んだ」と胸をなで下ろした。しかし、「みんなは今何処にいるのだろう?えらい迷惑を掛けてしまったな」と言う思いが湧いてくる。


心配していても仕方がないので、ホテルのカフェでベトナムコーヒーを飲んでいると、以外に早く、10分ほどで、男性ガイドが迎えに来てくれた。「すぐに出発しましょう」と言って
待たせてあったトゥクトゥクに私を乗せて発車。


程なく着いた所は、大きなレストランであった。私が中に入っていくと、食事を始めていた一行が、笑顔で迎えてくれた。私は
ずいぶん迷惑を掛けてしまったのではないかと心配していたが、早めの昼食を取っていたことが分かり、これなら、そんなに迷惑を掛けずに済んだなと思い、ホッとした。


結果論だが、早めにホテルに戻ったことが幸いしたようだ。それにしても何が問題であったのか?時間を間違えたのではなさそうだし。カフェは近くに見当たらなかったのだが。女子大生に聞くと、やはりあの付近にカフェが有ったようだ。


今現在、私は「きちんと確認しないまま、解散してしまったのが敗因であった」と思っている。


さて、皆が美味しそうに食べていた、今日の昼食は「回転寿司」
に似た「回転しゃぶしゃぶ」とでも言うべきスタイルであった。寿司の代わりにしゃぶしゃぶの具が回っている。客は好みの具を取って、目の前にある鍋に入れてボイルし、小どんぶりに入れて食べる。


    

                 回転しゃぶしゃぶ


此処での具は、品数が多い。肉は当然、魚介類、野菜、練り物等があり、寿司も有ったようだ。日本の回転寿司のように、食べ終わった皿を数えることはしていなかったので、「定額で食べ放題」のようだ。日本でやっても流行りそうなスタイルである。


AM11:40、出発。私が迷子になった件で、美人のガイドが、「説明が不十分で申し訳有りませんでした」と言ってきたので「私の方こそ迷惑
掛けて、申し訳有りませんでした」と言葉を交わした。私は彼女から、お詫びの言葉が有るとは思っていなかったので、嬉しかった。


PM1:00、ネアックルンと言うところで、バスに乗ったままフェリーでメコン川を渡った。橋は只今建設中だ。ツアーの初日もこの付近を通過しているが、その時は、プノン・ペンに寄らずに、シェムリアップヘ
直行したので、フェリーの渡し場の直前で、右折して行ったと言うことだ。だから、往路ではこのフェリーには乗っていない。


    

          バスに乗ったままメコン川を渡る(バスの窓から)


PM1:10、休憩。

PM3:00、カンボジア国境で出国の手続き、続いてベトナムの国境で入国の手続き。ガイドがまとめてやってくれるので、我々はパスポートを預けて、待っているだけでよい。


PM3:45、休憩。

ベトナム人の多くが、お土産に箱入りのバナナチップを購入したことが目に付いた。ガイドがまとめて注文を取り、今日のバスの中に、歩くところがない位沢山、積み込まれていたのである。聞くと、「ベトナムでも同じようなものは売られているが、カンボジア製のバナナチップが美味しいのだ」そうだ。


私が、「お土産に竹トンボを考えているのだが」と言うと、お隣のお姉さんが、スマートフォンで、その問屋の住所を調べて教えてくれた。このバスの中は無線の
Wi-Fiが使える全く便利になったものである。


PM4:45、ホーチミン・シティ着。バスから下りるとき、カンボジアのガイドから「カンボジアにまた来て下さい」と言われたので、「私も、そう希望します」と言って別れた。

PM5:00、予約済みのレレ・ホテルにチェックイン。

PM6:30、ピザハットで夕食。


8月19日(月)ホーチミン市


AM6:00、起床。

AM7:00、朝食。ホーティウとサンドウィッチ。


AM8:00、チェック・アウト。荷物を預けて、半日のホーチミン市内観光だ。まず、サイゴン川へ。ホテルから徒歩で20分の所にあった。観光船あり、タクシーあり。丁度、隅田川の船乗り場で、乗船を待っているようなところがあった。私はその景色を一瞥して次を目指した。


    

              サイゴン川の西側通り


    

              サイゴン川(ホーチミン市)


AM8:30、昨日、カンボジアからの帰りのバス内で、教えてもらった竹トンボの店へ。住所は分かるが距離があり
訪ね歩くのに骨が折れそうだったのでタクシーを使った。15分ほど走って60,000ドン(300円)。首尾よく目的の住所に到着。


しかし、看板も名前も出ておらず、本当に此処で良いのか不安であった。階段を上がって2階へ行くと、十数名の男女がパソコンに向かっているだけで、何処にも竹トンボが見あたらない。「竹トンボを買いに来たのですが」と声をかけると、「少々お待ち下さい」と言われた。と言うことは、この事務所で間違いはなかったのだ。


間もなく奥の部屋から男性が出てきて、大小数個の竹トンボを見せてくれた。「小さい方が10,000ドン(50円)、大きい方が12,000ドン(60円)です」と言う。何処よりも安いと思った。「何本欲しいですか」と聞かれて「お土産にしたいので20本下さい」と言うと、奥の部屋から英語の堪能な女性が出てきた。


「此処をどうやってお知りになりましたか?」「友人がネットで探してくれました」「我が社はホーチミン・シティとハノイに事務所がありまして、日本にも輸出しておりますよ」と言って、ホームページのURLをメモに書いてくれた。私は綺麗な絵柄のトンボを、大小10本ずつ選んで購入した。合計220,000ドン(1100円)也。


AM9:30、次は、「戦争証跡博物館」を目指す。地図を頼りに歩いていると、いつの間にか博物館の前に来ていた。入場料は15,000ドン(75円)。屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車、爆弾が展示されていた。


    

        ベトナム戦争時の戦車・戦闘機(戦争証跡博物館の前庭)


3階建ての立派な建物には、ベトナム戦争の
時に、実際に使用された戦争遺物、写真などの展示がされている。「安全への逃避」と題された沢田教一氏撮影の写真(1966年のピュリッツアー賞)は、川の中で、戦火を逃げまどう一家を写したもので、これまでに何度も見ている。


どんなに悔やんでも悔やみきれないのが戦争だが、戦争遂行者は、その渦中に置いては、真面目に考えているからやっかいである。枯れ葉剤まで使用したベトナム戦争の悲惨さは言うまでもないが、広島の原爆記念館を見ている私は、「原爆の破壊力は次元が異なる」ことを、再認識させられた日でもあった。


AM10:30、カフェに入って、アイスコーヒーと菓子パンで一休み。併せて100,000ドン(500円)。
日本語学校の近くのカフェなら、せいぜい200円位の物だが、ホーチミン市内は高い!


AM11:00、せっかくホーチミン・シティに居るのだから、大きな本屋に行きたいと思って、地図を見ているとバイクタクシーのおやじが「乗って行かないか?」と寄ってきた。料金は30,000ドン(150円)だと言うので、付き合ってあげた。


店構えの大きな書店に入ると、背負っていたリュックを
ロッカーに置いて行けと言う。「ああ、泥棒対策か」と納得して、リュックをクロークに預けた。目的の「越日辞典」は、小さな物が一種類置いてあるだけで、選びようがなかった。小辞典ではあるが、漢字表記が多かったので、購入した。49,000ドン(250円)也。


PM0:00、ホテルへ戻り、預けてあったバッグを引き取る。フロントで顔馴染みになったお姉さんに、私がビエンホア市で日本語教師をしていると言うと、簡単な挨拶の
日本語を教えてくれと言う。次々に質問されて、20個ほど教えてあげた。日本人客も多いのだと思う。


PM0:30、タクシーを呼んで宿舎へ。往路では
学校がタクシー代を負担してくれたので、帰路も負担して呉れるものと思ってタクシーにしたのだが、帰路は自己負担でした!470,000ドン(2350円)。分かっていれば、バスで帰るのに!


PM1:50、宿舎の
日本語学校へ帰着。前泊、後泊を含めて5泊6日のカンボジア旅行は無事終了。今回は、先の台湾旅行と同様、旅行中にポメラを叩くだけの余裕がなかったので、メモを頼りに、これから記録を起こす。その前に、まず衣類の洗濯をしよう


PM3:00、8月15日の日記を書き起こす。


8月20日(火)日本語学校


8月16日の日記を書き起こす。夜、藤井先生の講義を代行。


8月21日(水)


8月17日と18日の日記を書き起こす。


8月22日(木)


カンボジア旅行中の写真を選別する。


8月23日(金)


写真とキャプションの挿入


8月24日(土)


中国語の復習


8月25日(日)


中国語の復習とスカイプによる講義


8月26日(月)


中国語の復習。


夜から頭痛、水ばな。風邪か? 


8月27日(火)

ゼロから始めるベトナム語」の13課、14課を進める。


8月28日(水)


ゼロから始めるベトナム語
」の15課、16課を進める。


8月29日(木)


ゼロから始めるベトナム語
」の17課、18課を進める。


PM8:00、定食屋にて
私の送別会。


           
                        送別会

8月30日(金)


ベトナム語の質問をアン君に。
一ランク上の越日辞典を探しに書店行くも、見つからず。


8月31日(土)

中国語のスカイプ、無断キャンセル。教え方は上手だが、キャンセルが多すぎる!


9月1日(日) 帰国


PM4:00、この心の空虚さは何処から来るのか?3ヶ月前、日本を発つ時は、なにがしかの精神的な高揚があったのに、今はそのかけらもない。日本語学校のボランティアとして赴任してから、モチベーションは段々下がり、一度も浮上する事はなかった。


待遇の件から始まり、スタッフに学ぶ意欲がなかったり、担当箇所を指示されて授業に出てみると、言われた箇所は既に終了していたり、逆に20頁も前に戻ったところから始めなければならなかったりと、日本語の講義以前のところで、意欲をそがれてしまう。


その都度、注意はするのだが、事態が改善する様子はない。やっと始まったスタッフの講義は数回で自然消滅。指示する担当箇所のいい加減さに呆れて、少し強く注意をしたら、その後、講義の依頼がなくなってしまった。ボランティアで来ている私が、依頼もされないことを出しゃばってやるのもどうかと思い、結局その後は、私から講義担当の申し出もしなかった。


帰国の3日前に、送別会が持たれたが、前回来たときの送別会と比べてなんと質素な
事よ。いつも昼食を食べている定食屋さんで夜の8時から始まり9時半に終了。私が食べたのは麺類一杯とコーラである。その間、主賓であるはずの私に特に気を使うでもなく、勝手に盛り上がっている。


学校のオーナーからは「帰国される日は、実家に帰るので見送りは、出来ません」と言う話。自分が呼んで
いて、客が帰るときに見送りをしない。あり得ないことではないが、ここで言えることは、「少なくとも現在は、客よりも実家の方が大切な存在である」と言うことだ。言い換えれば、自分が呼んだ客を、その程度にしか思っていないと言うことであろう。


いよいよ帰国の今日、午後4時出発と打ち合わせていたにも拘わらず、空港まで見送りに行く予定の一人は、20分も遅れてくる始末。一事が万事。その行動に熱意が全く感じられないのである。口ではいろいろ言っても、行動はただ義理でやっている事がよく分かる。


そんなわけで、私の気分は冷えきってしまっている。もし私が、この様なことを、言葉に出して言えば、それなりの言い分、弁解が返って来るであろうが、私はそれを期待してはいない。今回の帰国に当たっては、誰からも「また来て下さい」と言う言葉はなかった。


前回(3月から4月に掛けての2週間)来た時には見えなかったことが、様々な形で現れてきた。観光旅行では伺いしれない
ではある。


こういう中で、少しでも充実した時間を過ごしたいと思い、私は旅行にウエイトを移すことを考えた。ベトナムへの航空券を手配する5月頃は、旅行もしたいが日本語教師としてのボランティアにあまり影響が無いようにと、「帰国時に、ホーチミンからハノイまで、1週間ほど見学しながら帰ろう」と考えていた。


その時に考えていた証拠が、本日のハノイ経由の帰国である。その考えが状況の変化によって次第に変わり、結果として、早い時期での「ベトナム縦断旅行」、そして終盤での「カンボジア旅行」となった。


当初の予定では、今回のベトナム滞在中、他の国への旅行は全く念頭になかった。その証拠に、VISAは、数次の申請を
していない。しかしこれも、現地での状況の変化に応じて考えているうちに、15日以内ならば、ベトナムの滞在VISAは不要であることを思い出した。


それと共に、数次のVISAを取得していなくとも、帰国までの滞在日数が15日以内になる、終盤のカンボジア旅行なら可能である事に気が付いたのである。そういうことで、日本語教師としての充実感は得られなかったが、旅行面での満足度は逆に大きくなった。


こんな状況の中で、私は「ホーティウ」を毎日食べながら過ごした。健康面に
於いては、ホーティウに助けられた思いがする。私は元々麺類が好物である。しかし、こんなに同じ麺を毎日食べ続ける事になるとは予想もしなかった。


3ヶ月の間に150食ほど食べたのでは無かろうか。それは、ホーティウが美味しかったと言うことでもあるが、逆に言うと「その他のベトナム料理の中に、食べたいと思う物がなかった」とも言える。美味しいホーティウを毎日食べさせてくれた、お店のタオさん夫妻には、深く感謝している。


その思いを簡単な文章にして、アン君にベトナム語に翻訳してもらった。これをタオさんに届けると、喜んで頂き、ホーティウの出し汁を作る時の材料を、お土産に下さった。ベトナムにおける、本当に嬉しい出会いであった。


旅行をしている間と、その前後の日々は、準備や記録の整理に忙しく
充実した日々であるが、それがなくなると、全くの暇になってしまう。その時、私はベトナム語の入門書を紐解くことにした。おかげで、入門書を3冊、何とか目を通すことが出来た。


だからと言って、会話が出来るようになったわけでは全くない。ただ「辞書の引き方を覚えた」位の物であるが、空港の案内放送で様々の数字が出てくると、その部分だけは聞き取れるようになっていた。


PM4:20、日本語学校の宿舎を出発。

PM5:25、ホーチミン・シティ空港に到着。

PM7:00、離陸。

PM9:00、ハノイ空港着陸。

PM11:50、ハノイ空港離陸。


9月2日(月)


AM4:40(日本時間、AM6:40)成田空港着陸。

AM8:02、成田空港第二ターミナル駅発、快速電車。

AM8:30、JR佐倉駅着。妻の出迎えの車で自宅へ。

おわり

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