5月20日(水)

AM7:30、起床。

AM8:15、食事。

AM9:05、セビリアの市内観光に出発。

AM9:30、最初に訪問したのは、セビリアの郊外に位置する、サンティポンセのイタリカ(Italica)と言うローマ時代の遺跡。ここは紀元前206年に、スキピオによって造られたのが始まりと言われている。古代ローマとフェニキア人の国・カルタゴとの間で繰り広げられた戦いの時に、傷ついたローマ軍兵士を定住させるためであった。

「イタリカ」は、最初に定住した人々の出身地から名付けられた。その後、ここで生まれた皇帝(トラヤヌス、アドリアヌス)もいる。私はここの遺跡を見て、イタリアのポンペイの遺跡を思い出した。ポンペイの遺跡は、ベスビオス火山の噴火(79年)により埋まってしまったのだが、こちらのイタリカの遺跡は、リスボンの大地震(1755年)で大分破壊されたようだ。

そうでなくとも、中世においては、新しい建物を造るに当たり、石材等を持ち出してリサイクルしていたので、原型を留めることは難しいのであるが、ここには劇場、浴場、ジム、円形闘技場、神殿等が、今でもその形を残している。
 

     
              大通り・
1(イタリカ)
 

     
            下水道設備(イタリカの遺跡)
 

     
            モザイク(イタリカの遺跡)
 

     
          共同浴場跡?(イタリカの遺跡)
 

     
            大通り・
2(イタリカの遺跡)
 

     
        地下通路(円形闘技場)・(イタリカの遺跡)
 

     
           円形闘技場(イタリカの遺跡)
 

     
         円形闘技場の地下通路(イタリカの遺跡)

  

AM11:00、現地ガイドが「先週のセビリアの気温は、42℃まで上がりましたが今日は29℃でみなさんは本当にラッキーです」と言っていた。我々のバスは、黄金の塔(Torre del Oro)が見える、グアダルキビール川(Guadalquivir)を渡り、セビリアの旧市街に入る。いま、セビリアの市内はジャカランダ(Jacaranda)の花が咲き誇っている。丁度、ピンクの変わりに、紫色の花びらを付けた桜のようである。
 

     
    黄金の塔(右側の塔)とグアダルキビール川(車窓)・セビリア

     
            ジャカランダの花(セビリア)

AM11:30、ムリジョ公園(Murillo Gardens)でコロンブスのモニュメントを撮影。スペインではコロンブス、ポルトガルでは、バスコ・ダ・ガマを語らずしては話が進まないようだ。その後、細い路地の多いサンタ・クルス地区(旧ユダヤ人街)やエルビラ広場(Plaza de Dona Elvira)を散策。
 

     
      コロンブスのモニュメント(中央に黒い船)・セビリア
 

     
       サンタ・クルス地区(旧ユダヤ人街)・セビリア
 

     
             エルビラ広場・セビリア

ここの土産店で詩子の服を購入。サイズが良く分からないので、大きめの物にした。フラメンコを踊る女性が身にまとう衣装風のデザインで、色は詩子が好きなピンクである。オーストラリアから来た同行者も、同じことを考えていたようで、孫にと言って買っていた。リボンを含めて9.5ユーロ。

AM12:00、セビリアの大聖堂を見学。その町には、その町に住む人が誇りにしている教会や大聖堂が必ずある。中でもこの町の大聖堂は、ヨーロッパでも第3位の規模であると言うことで、現地ガイドの解説には、熱がこもっている。しかし、規模はそれぞれに違っていても、中身はほとんど変わりがないので、聞いている私にとっては、退屈である。
 

     
          ヒラルダの塔とカテドラル(セビリア)
 

     
            カテドラル内部(セビリア)

この大聖堂で特徴的な物は、普通、一般の棺は、地下に眠っているが、コロンブスの棺は、4人の男性に担がれた状態で台上の像になっていた事である。セビリアの人にとって、コロンブスは特別な偉人なのだ。
 

     
         4人に担がれたコロンブスの棺(セビリア)

PM2:00、ホテルに帰着。シエスタ(昼寝)

PM4:15、ポメラタイム。

PM6:30、スーパーへ買い出しに。ボトル水、りんご、クロワッサン、ジュースで4.17ユーロ。夕食はこれで済ます。若い人は、午後の自由時間も外出して、市内観光やショッピングに勤しんでいたが、私は、日差しの強い中を出歩く気分にはなれなかった。

PM8;30、再び、ポメラに向かう。

PM10:30、入浴。

PM11:30、就寝。

5月21日(木)

AM6:10、起床。

AM7:00、朝食。

AM8:00、モロッコへ出発。ガイドのイネスは港に着くまで、いろいろと注意事項を話していた。文化、宗教、習慣等、種々のものが違うからであろう。それに、これまでは国境を越えてもパスポートのチェックはなかったが、今回は、パスポートのチェックもあるからだろう。

このツアーに、アメリカのニュージャージーから参加しているインド系の4人家族が居た。4人の内、親のカップルは分かっていたが、いつも別行動をしている、他の2人がどういう間柄なのかが分からなかったのだ。

2人は姉妹で姉は医者、妹も大学を卒業したばかりで、帰国したら医者になる、と言う。優秀な姉妹らしい。親はそんなに太ってはいないのに、姉妹の太り方は半端ではない。他人の健康をチェックしている場合ですか?とは、声なき声であろう。

AM11:00、ジブラルタル海峡(the Strait of Gibraltar)を望むアルヘシラス港(Algeciras)に到着。パスポートチェックと、荷物の検査を受けてフェリーに乗船。我々を乗せてきた大型バスもそのまま乗船。パスポートに押されたスタンプは、アラビア文字だ。
 

     
            アルヘシラス港(スペイン)

AM12:10、出航。晴天だが風が強い。船はゆっくり左右に揺れている。船内は空調が効いているのか寒いくらいだ。私は、いつものように、ポメラを叩いて時間をつぶす。

PM1:10(現地時間、AM12:10)、しかし、ほんの1時間でモロッコのタンジール港(Tangier)に到着。上陸後に改めてパスポートと荷物のチェック。港の外にある両替所で50ユーロを両替。1ユーロ=10.6ディルハム(dirham)であった。
 

     
         タンジール港外にある両替所(モロッコ)

AM12:40、出発。車窓から箱型の白い家が所々に見られる他は、緑樹があり、川があり、千葉県佐倉市付近の高速道路と特に変わった事はない。ただ、途中で、皮がはがされたコルク樫の木や、コウノトリが電柱のテッペンに巣を作っている光景が見られた時は、ポルトガル南部の情景を思い出していた。

PM4:00、ラバト(Rabat)のホテル・ベレレ(Belere)に到着。もっと粗末なホテルを想像していたが、ヨーロッパのこれまでと変わらない質の良さである。チェック・イン後、ポメラタイム。

PM7:30、ホテルでバイキング方式のディナー。白身魚のフライを2枚食べた他は、特になし。我々のテーブルでは、オーストラリア在住で、砂漠の中で大きなクレーンの運転をしている男性の話が中心であった。なにかの鉱物を掘っているが、砂漠の中に近代的な町が出来ているようである。

PM8:30、自室に戻り入浴。バスタブが長く、深かった。

PM10:00、早めの就寝。

5月22日(金)

AM6:10、起床。

AM7:00、朝食。

AM8:00、首都ラバトの市内見学に出発。イスラム教の町らしく、通りを歩く女性は、スカーフを頭にまとっている。ただ、色は特に制限がないようだ。気のせいか、モロッコの女性には、顔立ちの整った美人が多いように思う。

最初に見学したのは、カスバ(casbah:砦)。アラブ諸国で城塞に囲まれた居住区を言う。ここは、ブレグレグ川(Buregreg)が、大西洋に流れ込むところに位置している。城塞の中にはウダイヤ庭園(Jardin Oudaias)があり、これは、アルハンブラ宮殿の花壇を模したものであると言う。
 

     
          カスバ(
casbah:砦)・ラバト市内

   

             カスバ内の路地(ラバト)
 

     
              ブレグレグ川(ラバト)
 

     
               カスバ内(ラバト)
 

     
          カスバ内のウダイヤ庭園(ラバト)
 

     
             ウダイヤのカスバ(ラバト)

後日、見学予定の、アルハンブラ宮殿が楽しみである。そういえば、「カスバの女」と言う歌があった。確か、アルジェリアのカスバを歌ったものであるが、カスバの正確な意味は知らなかった。

ツアーの仲間に、現地のモロッコ人と流暢なアラビア語を話しているインド系アメリカ人が居た。聞くと、クェートに27年間も居たと言う。流暢なわけだ。ツアーの仲間にも、いろいろな人材が居る事が分かってきた。

市内見学の2ヶ所目は「ハッサン・モスク」である。ここには比較的新しいムハンマド5世(1961年没)の霊廟と、古いハッサン・モスクとがある。古いモスクは、1755年のリスボン大地震で倒壊し、現在は200本の柱の基部のみが残っている。1195年に建設を開始したハッサンの塔(高さ44m)は、4年後には建設が中断し、未完成のままである。 


   
           ムハンマド5世の霊廟(ラバト)
 

     
           200
本の柱の基部(ハッサン・モスク)・ラバト

市内見学の3ヶ所目は、モロッコの王宮。日本の皇居に相当するところであろう。敷地面積は50ヘクタール、ここに住んで、ここの仕事に従事している人は、家族を含めて、6500人。敷地の中には、宮殿の他に学校や修道院もある。ここで働いているサーバントには制服があり、服、帽子、スリッパの色、形が決められている。現在は、現国王ムラク・モハメッド6世の居住地である。
 

     
       王族専用のアルファ・モスク(王宮内)・(ラバト)

     
               王宮・庭園(ラバト)
 

     
                王宮(ラバト)

首都のラバトは道路にゴミも見あたらず、綺麗に整備され、新市街の開発も進められている。交通の秩序が守られており、近代的で感じの良い町であった。トヨタ、スズキの営業店が、ヨーロッパの自動車メーカーと肩を並べて建っていた。

AM10:00、カサブランカ(Casablanca)に向かって出発。車窓の右手はずっと大西洋が見えている。カサブランカまでは、海岸沿いの片側3車線を快走したが、市内に入るとさすがに渋滞して来た。カサブランカは「白い(blanca)家(casa)」と言う意味であり、アフリカでは3番目の商業港であり、昔は漁港であった。

AM11:45、カサブランカの中心広場に到着。カサブランカで連想されるのが、映画「カサブランカ」である。これは、第2次世界大戦中にカサブランカを中心に展開された、フランス軍とドイツ軍の戦いの中で、スパイが登場し、愛とサスペンスの物語になっている。空港でのラストシーンは、ハラハラドキドキの究極である。

この1シーン、1シーンが脳裏に焼き付いているので、その面影がどこかにないかと目を凝らしてみるが、それらしいものはどこにも見あたらない。現地ガイドにそのことを尋ねると「あの映画は、ハリウッドで作られたものですから」と1言。残念!本当のことを知らないで、空想でいいから持っていたかった。現実のカサブランカは、ただの、ゴミだらけの港町でしかなかった。

   
               カサブランカ・
1
 

     
               カサブランカ・
2

PM0:30、寂しい気持ちだけを残してカサブランカを出発。

PM0:45、ハッサン2世(Hassan U)のモスクに到着。大西洋に面した場所に建設された近代的なモスクは、世界最大級であり、そこに建つミナレットの高さは210mを誇っている。

そして、モスクの床の一部はガラスで出来ていて、ひざまずくと、大西洋の水の上にいることが分かる様になっているそうだが、今日はモスクの中には入れなかったので、確認出来なかった。

         
            ハッサン
2世モスク(カサブランカ)

PM1:30、ビーチに面したレストランで昼食。白身魚のサンドイッチとフレンチポテトで、45ディルハム。
 

     
        ビーチに面したレストランで昼食(カサブランカ)

PM2:30、マラケシュ(Marrakesh)へ出発。

PM4:00、トイレ休憩中に突然のスコール。海岸から内陸に入り、緑が少なくなってきた。

PM6:00、マラケシュは、オアシスの町と言われているが、市内に入ると、ピンクがかった茶色で統一された家々が林立していた。箱型の建物であることは変わらないが、カサブランカの白色とは対照的である。マラケシュは、南部モロッコの入り口であり、アフリカン・モロッコの始まりである。

PM6:30、マラケシュの4つ星ホテル、ザラー・カスバ・ホテルアンドスパ(Zalagh Kasbah Hotel& SPA)に到着。大きなプールが2つもあるホテルである。チェック・イン後、下着の洗濯。
 

     
        ザラー・カスバ・ホテルアンドスパ(マラケシュ)

PM8:00、バイキング方式のディナー。西瓜が甘くて美味しかった。

PM9:00、自室に戻り、ポメラを叩く。

PM10:30、入浴。

PM11:30、就寝。

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