1、日本語学校

6月4日(火)


PM2:00
、妻がアップルパイを焼いてくれた。焼きたてのアップルパイは美味しい!妻のアップルパイは何度も食べているが、まだ熱いうちに頬張ったことは無かったように思う。この熱いアップルパイは、買っては食べられない。至福を味わった。


PM3:00
、妻に、佐倉駅まで送ってもらい、電車で成田空港まで行く。第2空港ターミナルまでは25分程で到着。JAL(日本航空)の受付カウンターで、予約していた座席の変更を打診された。3人席の中央から、数列後ろの通路側へ。確かにその方がトイレに立つときは便利であると思い、私は快諾した。これが結果として良かったのかどうか?


と言うのは、私の左側に座ったのは若いカップル、通路を挟んで右側に座ったのは若い日本人女性で、はじめから終わりまでパソコンでドラマを観ていた。つまり、私にとって楽しい会話が出来なかったのである。私はフライトの間(
PM6:40PM12:10)機内サービスの音楽、漫才、落語を聞いて過ごしたが、残念ながら印象に残る物は無かった。


ここで、今回の
JALチケットの購入について書いておく必要がある。

私は安いチケットを探してHISのサイトを何度も見ていた。今までの経験から、結局HISが一番安いと思っていたからである。そして今回は、直行便のANAや、ベトナム航空や、JALは、値段が高くて手が出ないと諦めていた。いずれも20万円前後の価格で売られていたからだ。


前回、3月にベトナムを訪問した時は、2週間での往復チケットであったが、その時も
ANAから「前日深夜まで8万円以上で売られていた航空券が、翌朝には6万5千円に値下げされていた」という経験がある。


「今回もそのようなチャンスは無いのか」と
HISに問い合わせると、「2ヶ月間の往復航空券ならば有りうるが、3ヶ月以上になると、ディスカウントのチケットは有りません」という返事であった。


3ヶ月のビザを取得し、出発まで1ヶ月を切った5月9日、直行便を諦めて、韓国経由の大韓航空のチケットを買うつもりでサイトを開いていると、そこに突然
JALのキャンペーンセールが飛び込んで来たのである。曰く「ロングバケーション・セール」と。


「どうせ私のベトナム行きには使えない物だろう」と思いながらクリックしていくと、逆に、正に私の為に出てきたような条件であった。「私が取得したビザの期間も
OKで、3ヶ月まで使用でき、今日から購入できる」と。しかも今まで20万円もしていた価格が、なんと6万円になっているではないか!


私は信じられなくて、何かの間違いではないかと何度も自分を疑った。しかし、慎重に確認しても、どうやら間違いではないらしい。私はすぐに予約を入れた。何の問題もなく「予約できました」と返事が返ってきた。


改めて
HISのサイトを確認しても、このディスカウント・チケットは掲載されていなかった。更に翌日、もう一度JALのサイトを見ると、私が申し込んだ日のチケットは売り切れになっていた。私が取得できた格安チケットは、全く偶然のワンチャンスであったのだ。それにしても航空券の販売システムは不可解である。


PM12:40
(現地時間、PM10:40)、ホーチミン空港内で1万円をベトナムドンに両替。レートは1円=208ドン。前回:3月のレートが、1円=246ドンだから、15%も円安になっている。ところが手元に渡された金額は、前回とさほど変わらなかった。


その原因は手数料にあった。今回の両替手数料が3%で、前回の手数料は
13%であったのだ。同じ空港内で両替したのに、銀行によってそんなに手数料に差があるとは驚きである!


空港から出ていくと、5人の若いスタッフが出迎えてくれた。途中、フォーを食べて日本語学校へ。気温は
28℃と、比較的涼しく感じる。荷物を学校の私の部屋に置いて、チュンさん宅へ。今日はこちらで寝ることに。2ヶ月ぶりのチュンさん家族は皆元気であった。

AM3:00(ベトナム時間AM1:00)就寝。


6月5日(水)


本日、私の部屋に温湯が出るシャワーが設置された。これで、チュンさんの家に行かなくとも、この部屋に寝ることが出来る。聞くところでは、アン君の家には、まだ温湯の出るシャワーはないそうだ。水のシャワーだけで事足りていると言う。


アン君に「洗濯物を干すハンガーが欲しい」と言うと、部屋の角にそれを作ってくれた。机が置かれ、次第に生活がしやすくなってきたのは嬉しい。


アン君が私の担当時間割を作ってくれた。最初は毎日3時間の担当になっていたが、半分の
90分にしてもらった。


前回来訪したとき、日本語を教えていたイェン(
Yen)さんが辞めたと言う。「彼女の後は誰が教えているの?」と聞くと、「彼女が教えていた生徒も一緒に辞めました」と言う。これは何かあったなと思うが、事が事だけに、「何があったんですか」と、踏み込んで聞きにくい。


発展途上国の不安定な事例が、こんな小さな日本語学校にも見て取れる。そう思って見渡すと、英語を教えていたフォン(
Huong)さんの顔も見かけない。代わりに新しい先生のアイン(Anh)さんが来ている。


PM5:30
、弁当箱風の発砲スチロールに入った麺に、スープを掛けた物が今日の夕食である。誰か(たぶんティン君)が買ってきたこれを、フロント脇の机で、スタッフみんなで食べる。6時からの授業に望む腹ごしらえである。食べている所を、早く来た生徒が挨拶をしながら教室に入っていく。


PM6:00
、最初の授業に出る。生徒達は、近日に予定されている日本語能力検定試験の準備に忙しい。この時間は、想定問題の答え合わせをする。「文の空欄に適当な言葉を次から選べ」と言う問題だが、似たような紛らわしい言葉が6個も用意されている。このレベルになるとかなり難しい。10人ほどの生徒に答えてもらうが、正解率は50%位である。


PM7:30
、後半のクラスにも出る。このクラスでは、「単語を並べ変えて正しい文を作る」と言う問題に取り組んでいる。こちらの正解率は、前半のクラスより高いがそれでも70%位であった。語学は「地味なトレーニングを繰り返す」しか方法が無いように思う。無味乾燥とも思える言葉の習得に必要なものは、「習う方の、動機と強い意志、そして教える側の、情熱と愛情」、こんなものが意外と大事なような気がする。


PM9:00
、授業終了後ロビーへ行くと見知らぬ青年がフロントでパソコンに向かっていた。事務見習いのロン君(Long)だと紹介された。


そして、フロントには真新しい教材が数十冊単位で積み上げられていた。そのうちの一冊を手に持ってみていると「それはコピーで原本はこれです」と言う。つまり、日本語教材を一冊だけ日本から手に入れ、後は全部コピーして使っている訳だ。ベトナム人にとって一冊
2000円もする教材は高すぎる。コピーして一冊100円位で頒布していると言う。それにしても、綺麗に作るものだ。きっと専門のコピー屋さんが居るのだろう。


PM10:00
、初めて温湯シャワーを使ってみた。まずまずの使用感である。

PM11:00、就寝。


6月6日(木)


朝食から戻ると、ロビーに二人の子供と1人の女性が居た。親子なのかなと思って声をかけると、英語の先生と生徒であった。初めて会った新しい先生だ。名前をアイン(
Anh)と言う。私が居なかった2ヶ月の間に、スタッフの2名が辞め、2名が新たに雇用されていた。少しでも待遇のよい仕事があると、すぐに転職すると言うのが現状らしい。ここにも激動のベトナムがあった。


AM12:00
、昼食中に大雨になった。早めのスコールだ。食事が終わっても帰れず、雨が止むのを待つ。制服を着た会社員らしい女性3人は、迎えに来た車に乗って帰っていった。私とアン君は、雨が止むのを待って、PM1:00頃、学校へ戻った。すると再び激しいスコールが来て、大きな雨音と共に、部屋の中は夜かと思うほど暗くなった。PM2:00頃、気が付いたら雨が止んで青空が広がっていた。これがベトナムの雨期である。


PM6:00
、初級の授業を担当する。宿題の答え合わせだ。「お国はどちらですか」の答えに「1、東京です。2、日本です」のどちらかを選ばせるものがあった。答えは「東京です」だが、これなどは、日本の歴史や文化や慣習まで知らないと正解は選べない。外国人には難問である。日本語の初心者に、これを納得させることは、かなりの知識と知恵を要求される。


と、ここで終わる予定であったが、テキストの求める正解は「2、日本です」の方であった。ビギナーにしては難しすぎると思ったが、私の考え過ぎのようだ。場面や状況によって答えが変わってくるのであるが、その場面や状況については書かれていないので、判断が難しい。


PM8:00
、明日、チュンさんの奥さんがアメリカに旅立つので、パーティが催された。「どんなパーティになるのかな」との興味を持って参加した。結果は写真を見て頂くのが分かりやすいと思う。つまり、リビングのフロアーに料理を並べ、それを囲んで座ると言う形式である。

           

フロアーに料理を並べて


参加者は日本語学校のスタッフ、行きつけの食堂で働いている人々とその家族、奥さんの同級生等、総勢20人ほどが集まってきた。今回、奥さんがアメリカへ行く目的は、結婚する前に経営していた「ネイルサロンの整理」だそうだ。

PM10:00、宿舎へ戻る。


6月7日(金)


AM8:30
、いつもの朝食屋さんに一人で行くように言われ、初めて一人で出向いた。適当に麺類を頼み、食べ終わってから適当にお金を差し出すと、そこから20,000ドン札を持って行かれた。約100円であり、平均的な値段だろうと思う。こちらの食べ物は、肉にしろ、野菜にしろ、筋が多くて、食後の爪楊枝は必需品である。


日中は授業が無く、全くのフリータイムだから、中国語の復習をやっている。しかし、なかなかはかどらず、すぐ眠くなってしまう。


PM7:30
、授業を担当する。10人ほどのクラスで練習問題の答え合わせである。まだ平仮名だけの問答である。殆ど正解の人もいれば、反応の無い人もいる。質問が出れば講義もやり易いのだが。


6月8日(土)


PM6:00
、近所を散歩するつもりで出かけたら、200mほど歩いたところで、盛大な結婚披露宴が行われていた。よく見ると、そこはメインストリートと交差した、幅10mほどの道路上であった。そこにテントを張り、丸いテーブルを並べて大勢が歓談している。


ホテルを使うより安くできるから、ベトナムでは普通に行われていると言う。テーブルの数から推測すると、総勢
600人ぐらいであろうか。一番奥には舞台が設けられ、そこで各種の催し物が繰り広げられるようだ。


大音響の音楽が流れ、客は酒食を楽しんでいる。私が写真を撮らせてもらっていると、「あんたもここで食べていきなさい」と言うゼスチュアーだ。夜の講義があるので、それは出来なかったが本当にフレンドリーである。

 
       

結婚披露宴(当日夜の情景)

   
       
          結婚披露宴(翌日の情景)


6月9日(日)


AM9:00
、2週間前に、この学校の日本語教師を辞めたイェンさんが、私と懇談したいと来訪。彼女のバイクに乗せられてビエンホアの広い庭園喫茶へ。彼女はアボガドのジュース、私はベトナム式のコーヒーを頼んだ。


英語と日本語を交えて
AM12:00迄、懇談できた。話題は旅行、人生、語学、宗教と多岐に及んだ。しかし、話題が政治になり、ベトナムの共産党一党独裁と、それに起因する権力の腐敗の話になると、彼女の口は急に重くなった。周りを気にするようにして「そう言う中で頑張っていくしかありません」と言う。ベトナムの民衆が置かれている立場は、複雑である。


肝心の、彼女が日本語教師を辞めた理由に付いては、待遇が良くないとか色々あるが、最大の理由は「次の職業に付くための準備に時間を使いたい」と言うことであった。


そして、「彼女のクラスの生徒も全員辞めた」と言うことに付いては、「彼女のクラスが無くなり、時間帯が合わなくなった事がその理由で、
10名のうち7名が辞めたようだが、3名は他のクラスに移って続けているはずです」と言う。


「彼女が辞める時に、生徒を全員辞めさせて、自宅で教えているのではないか」と言うのは、学校側の勝手な憶測であった。話は両方から聞かないと、真実は分からないものである。


AM12:00
、レストランに席を移して昼食。ベトナム語の分からない私は、イェンさんにメニューのオーダーを任せる。3品が出てきたが、特に食欲をそそる物はなかった。


これなら、いつものフォーの方が良かったと思う位だ。二人で
1300円ほどの御代は、私のオゴリにさせてもらった。


食事中、イェンさんが「江島さんが、あんな学校で教えていることはもったいないと思います。立地条件は良くないし、先生や生徒のレベルは低いし、だから多くの人がすぐ辞めていくのです。もっと良い条件の学校はいくらでもありますよ」と言う。


私は「もしそうだとしたら、私が居ることでチュンさんが得をしている事になりますね。私はお金が目当てで来ているのではありませんし、あくまでもボランティアのつもりです。もし理不尽なことがあれば、転校も考えられますが、今のところ、それは考えにくいです」と言うと、彼女も理解したようであった。


PM3:00
、学校へ戻ると、シャッターが降りていて中に入れない。イェンさんからアン君に電話をして来てもらった。


その後、アン君はスポーツジム(
1ヶ月の費用は約500円)へ行き、私は自室でくつろいだ。


PM5:30
、アン君がスポーツジムから戻って、夕食に誘ってくれた。バイクに乗ってフォーを食べに行く。同じフォーでも美味しい所と、そうでない店があるようだ。日曜日の今日は、朝からバイクで出かけたが、やはり、日本から自分の頭に合うヘルメットを持ってきて良かったと思う。おかげでストレスが、かなり軽減された。


PM6:30
、夕食の帰りにドリアンを購入。「食べる時期としては、もう最後の方です」とアン君が言う。そう言えば、去年、中国の旅順で見たドリアンは、もっと大きかったように思う。しかし中国では、とうとう買いそびれてしまった。


露天の果物店のおばさんは、ドリアンの皮を切って、中を見せながら「これは間違いなく美味しいはずだ」と言う風情である。学校に帰ってから、生まれて初めて口にしたドリアンは、なかなかイケルお味でした。


6月
10日(月)


学校のスタッフが、昨日イェンさんに会ったことを、気にしているようだ。皆が「昨日はどこに行ったのか」と聞いてくる。小さくとも、仲良く団結した学校かと思っていたら、そうでもなさそうだ。残念ながら、前回の2週間の訪問では見えなかった部分が、見えてきたようだ。


土曜日に約束していたスカイプによる中国語会話がとうとう、繋がらなかった。メールでの呼びかけにも返事がない。教え方が上手で頼りにしていた講師だけに残念だ。


チュンさん宅に泊まる。スタッフへの日本語の会話力増強を依頼される。こちらはその気で来ているのだが、肝心のスタッフにその熱意が感じられない。


ある日系企業の日本人幹部が本校に、日本語教師の派遣を依頼に来たのだが、スタッフの会話力の貧困さを目の当たりにして、依頼せずに帰ってしまった事があると言う。その時の状況が想像できるだけに、チュンさんの口惜しさが思いやられる。


6月11日(火)


昼食に、チュンさん宅で、トゥーさんの手料理を頂く。久しぶりに美味しく感じた食事でした。昼寝後に食べた「蓮の実が入ったスープ」は、特に印象深い。蓮の花はどこででも見るが、その実を食べたことは記憶にない。砂糖でほんのり甘く調理されていた。


PM4:30
、アマダ工業団地の日系企業に日本語を教えに行く。私がバイクに乗りたくないと言ってあるので、タクシーで行くことになった。しかし、そのタクシーはいちいち電話で呼ばねばならず、呼んでもすぐには来てくれない。


ベトナムは「どうしてこんなにバイクが多いのか」と考えてみるに、鉄道、バス等の交通手段が非常に少ない、と言うより、ほとんど無い。つまり交通インフラが遅れている。道路の整備が遅れているので、四輪車の増加を抑えている。その為に四輪車に対する課税は高額になっていると言う。バイクが多いわけである。


「もし、東京一円に、鉄道や路線バスがなかったら」と想像してみたら?考えただけでぞっとするが、こういう現状を見ると、インフラの整備が如何に大事であるか良く分かる。高級官僚の汚職が遅れの一因だとすれば、その責任は重い。


こう言うわけで、バイクを運転しない私は、交通手段を持っておらず、従って、ホーチミン郊外に住んでいても、ホーチミン・シティに出かけることが出来ないで居る。


去年、中国で大連郊外の旅順に居たときは、毎土曜日に宿舎からマイクロバスが大連まで出ていたし、路線バスも走っていたので、何とか一人でも大連に行くことが出来たのだが。


PM7:00
、アマダ工業団地での講義の帰りに、トゥーさん宅で夕食を頂く。両親と大学進学を控えた弟さんが歓迎してくれた。父親は53歳と若いが、50歳の時に定年退職したと言う。随分早い定年である。


6月
12日(水)


学校側から、3ヶ月ビザの取得費の半分(
6,000円:130万ドン)と今月分の「お小遣い」として、100万ドン(約5,000円)を頂いた。何かくすぐったいような変な気分である。


しかし、「今後の食事代はこの中から支払ってください」との事。

食事代を「お小遣い」と言うのか?生活費であり、チュンさんが負担しますと言っていた部分ではないのか?いくら物価が安くても、5,000円で1ヶ月の食事代は少なすぎると思うが。話が少しおかしくなってきた。


待遇に関して、こちらに赴任する前(
429日)のメールで、彼は次のように言っていた。「待遇については、大した待遇が出来なく、とても恥ずかしく思いますが、宿泊及び食事は全て用意し、お部屋には、お湯のシャワーと洗濯機を手配いたします。しかも少しのお小遣いも考えております」と。明らかに食事代とお小遣いは別になっているのだが?


6月
13日(木)


スタッフから日本語に関する質問をされた。

(1)暇があったら、テレビを見ます。

(2)暇があれば、テレビを見ます。

この場合は、「たら」でも「れば」でもOKなのに。


(3)東京へ来たら、ぜひ連絡してください。

(4)東京へ来れば、ぜひ連絡してください。

(3)の言い方は良いが、(4)の言い方は間違っていると言うが、その理由はなんですか?と。


私もうまく説明できない。「後で調べておきます」と言ってインターネットで検索する。すると日本語を勉強している外国人から、同様の質問があり、それへのアンサーが示されていた。


たぶん、同じ教材を使っているのであろう。我々日本人は、何の疑問も持たずに使い分けているので、あらためて質問されると、はたと困ってしまう。回答は少々面倒なので、ここに書くことはしないでおく。興味のある人は「来たら、来れば」と入力して検索してください。


ポイントだけ述べれば、「来る」は動態動詞で、「ある」は、状態動詞であるところから、その違いが発生していると言う。私は、その説明を読んで、なるほどと思ったが、外国人に説明したら、更に混乱してしまいそうである。


6月14日(金)


ベトナム旅行の検討をしている。「こんな旅行を考えているのだが」とスタッフに頼んでも、返ってくる案は、考えている旅行スタイルとは、かけ離れた物になっている。結局、自分でインターネットから探すことに。


まず旅行代理店を探す。その中でインターネットに載っている店は僅かである。更に金額が示されている店が少なく、なんとか、手頃なツアー(
1718日)を1件見つけたが、いよいよ支払いの段階で、ネットがフリーズしてしまう。


最後はスタッフの力を借りることになりそうだ。このツアーは、ハノイ発なので、ツアーの日程と、ホーチミンからハノイまでの、飛行機の日程を調整しなければならない。どちらにしても、日本に居て、手頃な価格のツアーを探すことは困難だと思う。


PM7:30
、今日の日本語のクラスは、学習し始めてから2、3ヶ月の初心者である。総勢10人程の中に、42歳の男性から、10歳の少女まで居た。教科書以外の日本語は通じないので、解説や余談は殆ど英語である。


6月
15日(土)


夕方の授業まではフリーなので、退屈を感じている。仕方なくベトナム語のレッスンを再開。再開とは言っても、前回来たときに始めたテキストを、もう一度開いているのだが、見直しても、なにも覚えていないのが現実である。


ベトナム語も、昔は漢字表記をしていたようだが、今はその漢字は使われていない。しかし、発音と意味から、元の漢字を推測できる単語が結構あることに気づく。元の漢字が分かると、その単語に少しは親しみを感じるが、漢字がないと全く頭に入っていかない。頭を素通りして、何も脳に引っかからないのである。


PM6:00
、日本語のクラスを担当する。正担当者のアン君に「今日はここからです」と言われて教材を渡される。ところが、教室に入って授業を始めようとすると、生徒が「そこは、もう終わっています」と言う。この学校の管理体制は、大丈夫かなと心配しつつ、授業を始めた。


内容は、いわゆる「て・に・を・は」の練習であった。日本人が理屈抜きに覚えていることは、外国人にとっては難問題なのである。そしてベトナム人の発音は、どうしても「つ」が「ちゅ」になってしまう。彼らの言葉の中には「つ」の音が無いのであろう。


PM8:00
、スカイプによる中国語のレッスンを再開。今日は第1回目の「お試しレッスン」である。ネットにUPされている講師は、眼鏡をかけていない美人であったが、実際に画面に現れた人は眼鏡をかけていて、予想していた顔と、余りに印象が異なっていたので「この人、予約した人かしら」と、戸惑いで始まった。


レッスンは、まず、私のレベルを確認するところから始まった。ピンインの発音がまずまずの出来映えだったようで、「初級編」は終了と見なされた。そして、次のステップの「基礎編」の教材を使って開始することになった。


突然止められてしまった、前の講師とは全くやり方が異なる(前の講師は、テキストなしで、会話主体のレッスンをしてくれていた)が、こちらの方法でも良いかと思う。ともかく、続けることが大事だと思うから。


6月16日(日)


AM7:30
、アン君と朝食に。日本語学校とは、十字路の対角線上に有って、時々行く店である。この店でフォーを頼もうとしたら、「この店では、フォーは作っておりません。フォーは別の店で作っています。ホティウなら有りますよ」と言う。


その理由を聞くと「フォーは出汁に牛肉を使い、ホティウは豚肉を使います。だから、同じ店で両方作ることはないのです」と言う。「そうだったのか!」毎日のように食べていて、やっとその違いが分かった。同じ出汁で、面の種類を変えて作れる物は、同じ店で提供しているが、出汁の種類は、「一つの店では、一つしか作らない」と言うことだ。


この店の奥さんは、元気で社交的である。片言の英語でコミュニケーションを取ろうとしてくる。こちらから聞いても居ないのに「私は
29歳で、旦那は48歳である。19歳も差があるんです。子供は3歳の息子が一人です」と言って笑っている。奥さんは老けて見え、旦那は若く見えるので、私には、そんなに年の差があるようには思えない。両方とも40歳前後に見えるのだが?!


AM9:00
、アン君のバイクに乗せられて、ビエンホアの書店へ。ベトナム語の辞典を物色に。日本では、手頃の物が見つからず、買わずにいた。しかし、少しでも外国語を学ぼうと思うと、すぐに必要性を感じるのが辞典でもある。


幸いな事に、手頃な物が手頃な値段で買えた。越日辞典:約
500円、日越辞典:約400円である。この種の辞典に関しては、日本よりベトナムの方が需要は高いのであろうか。決して良い辞典とは思えないが、そこそこの物が陳列されていた。


またまたバイクの話。対向車線を走ってきたバイクが、反対側の店に行きたい時、平気で反対車線に突っ込んでくる話は、既に何処かで書いたと思う。今回は、そのバイクが「斜めに突っ込んで来る」と言う話をしたいのである。


日本では車道を斜めに横断することは、禁止されている。しかし、信号の無い、混雑した道路で、バイクが直角に横断することと、斜めに横断することの、どちらが合理的かを考えた事がありますか?


直角に横断すると、対向車線の車を、バイクの「車体の長さ」だけ妨害するが、斜め横断すれば、その角度が鋭角に成れば成る程、妨害するのは、バイクの「車体の幅」に近くなる。つまり、対向車線の車にとっては、真正面から突っ込んで来てもらった方が、避ける幅が少なくて済むわけです。


このことは多分、経験的に身に付いているのであろうが、これが日常的に、事故無く行われている事は、「譲り合い」等と言う、生やさしい言葉ではなく「あうんの呼吸」と言うしかない。互いの「あうんの呼吸」が乱れた時、事故は何時でも、起こりうるのである。


AM11:00
、「今日の先生の昼食は、今朝、朝食を食べた店から1120分に届けられます」と言って、アン君は自宅へ帰って行った。日曜日の日本語学校には、基本的に誰も居ない。私は、3階の自室から1回のロビーへ降りて、食事が届けられるのを待っていた。


約束の
1120分はとっくに過ぎ、1140分になっても届かない。私がアン君に状況を伝えると、「分かりました。もう一度電話をします」と言う。そして、12時頃、「もう届きましたか?」と電話が掛かってきた。「まだですよ」と言うと、アン君はかなり焦ったようであった。


弁当は、それから間もなく届いた。ご飯の上に、焼きたてのタンドリーチキンのような肉が載っていて、とても美味しかった。「普段、麺類しか作っていないお店で、こんな料理を作る為に、時間が掛かっていたのかな」と私は推測した。


翌日アン君から聞いて分かった事は、「あの弁当は、お店の人が、他の店からテイクアウトして届けてくれた物」だそうだ!えええ?そんな事までするの?いや、してくれるの?


PM1:00
、昼食を終えて、3階の自室に戻って机に向かっているとアン君が現れた。なんと、母親が作ったであろう昼食を持って来てくれたのである。「昼食は食べましたよ」と言う私に、何度も「遅くなって申し訳有りませんでした」と言う。


弁当を見せてもらうと、3段重ねの真鍮の入れ物に、スープまで入っている。私は「夕食に頂きますよ」と言って、置いていってもらった。私が居るために、余計な心配を掛けてしまう人もいるのだ。


PM5:30
、夕食に頂いた真心の弁当は、美味しかった。と言いたいところだが、正直に言うと、おかずも、スープも大分味が濃かった。しかし、一緒に添えてあった果物のライチが、甘くて美味しかった。

                               
             ライチ             チョムチョム

6月17日(月)


「来週から月・水・金の朝に、日本語の勉強をしたいので、よろしくお願いします」と、先週末に言っていたが、誰も来なかった。先々週も同じ事を言っていて、予定表さえ出てこないのだ。


オーナーのチュンさんが「スタッフの日本語会話のレベルを上げて欲しい」と言っても、私としては、これではやりようがない。向上心のない教師に教えられている生徒は、可哀想である。


AM10:00
、珍しく涼しそうなので、散歩に出かけた。しかし、5分もしないうちに、雨がぱらぱらと降ってきた。「せっかく出て来たのだから、少し位濡れても良いか」と思いながら歩いていると、雨足がだんだん強くなってきた。


15
分ほどで宿舎に戻ったが、下着まで濡れてしまった。生憎、昨晩洗濯したばかりで、着替えの下着がない。しばらく裸で居るしかないか!傘を持たずに出かけたのが敗因だ。雨期の旅行は、これが厄介になりそうだ。


PM5:00
、ディン君に依頼してある旅行計画が、一向に進展しない。彼は旅行代理店に勤める友人に、頼んであると言う。私はしびれを切らして「どうしてそんなに時間が掛かるのか」と、問いつめるとやっと腰を上げた。


それでも、私が以前、拒否した案を改めて提示してくる。私は自分がネットで探した案で決めたい。残された問題は、日程と支払方法だけのはずだ。彼は友人が示す案に固執している。私が再度拒否すると、私の案の旅行代金に、
60ドルほどの金額を上乗せして提示してきた。


「どうしてそうなるのか」と聞くと説明できない。手数料として、
60ドル欲しいらしい。結局、自力で直接取引をすることに決めた。有効な情報が得られる事を期待して、10日間程待ったが、殆ど得られなかった。期待した私がバカでした。


PM9:00
、スカイプでの2回目の中国語レッスンを受ける。「この講師も人気があって、すぐに予約が埋まってしまいます」と運営側のスタッフが言っていたので、期待していたのだが、特段の切れは感じなかった。


逆に、画面の向こうで、頬杖を突いての講義は、マナーとして如何なものかと思う。結局、自分次第なのだが、こちらとしては、大して面白くもない学習を、やる気にさせてくれる「何か」を期待しているのだ。


6月18日(火)


旅行の予約をするのに、これだけ困難な目にあったことは、嘗てなかった。次に書くことは、
18日と19日の二日間に起こった苦闘の出来事である。

1、旅行代理店とインターネットの状況


インターネットが繋がって、サクサクと物事が進めば、苦労は大分軽減されるのだが、大事なときに限って繋がらない。すると検索が出来なかったり、メールでの交換が出来なかったりして作業が滞る。


ネット上で代金の決済や、日程の決定が出来れば、非常に助かるのだが、ベトナムの旅行業は、まだそこまではネット構築が進んでいないらしく、クレジットカードの情報、パスポートの情報等の最後のつめは、メールでのやり取りをしなければならない。


最初はスカイプが使えそうだったので、試みたのだが、電波の状況が悪く、用をなさない。次にメールの交換に切り替えたのだが、こちらもネットが途切れてしまって、スムーズに情報の交換が出来なかった。


2、ベトナム航空と
VISAカード


ネットでホーチミンからハノイまでの航空券を予約しようと思って、適当な日時のフライトを探し予約した。最後の支払いの段階で、
VISAカードで支払う積もりで、カードNOを入力して、エンターキーを押すと、「あなたのカードNOは、認識できません。発券銀行にお問い合わせください」とのメッセージが出た。


「そんなバカな」と思いながら、何度も繰り返すが結果は同じである。やむを得ず、
VISAカードの会社に電話を入れると、「ただ今、込み合っていますので云々」との音声が流れて繋がらない。やっと繋がって事情を話すと「あなたのカードには、何の問題もありません」との返事だ。


念の為、ベトナム航空に電話をして事情を話すと「一部の
VISAカードと我が社の間で、ソフト上のトラブルが発生しているようです。鋭意改善中ですので、お急ぎの場合は、他社のカードをお使いください」ですと!そんな事だと分かっていれば、無駄な時間を使わなくて済むのに。ストレスが溜まります。


3、デルタ航空と
E-チケットの印刷


ベトナム航空のチケットを、ネットから取得できない為、デルタ航空のマイレージを使うことにした。片道でも往復分のマイレージが必要になると言うが、背に腹は代えられない。しかし、こんな事も有ろうかと思って、わざわざデルタ航空の電話番号をメモして持ってきたのだが。


日本では簡単に繋がったデルタ航空の電話番号が、ベトナムからは、全く繋がらない。デルタ航空のカードの裏をみると、2本の電話番号が書かれていた。その内の1本は全く繋がらず、他の一本がやっと繋がった。


希望のフライトを予約し、メールで
E-チケットを送ってもらった。しかし今度は、そのE-チケットの印刷が出来ない。通常、E-チケットは、印刷して空港のカウンターに持って行かねばならない。やっと押さえた予約券を、印刷が出来ないことで無駄にしたくない。


必死で印刷の方法を考えたが、どうしても出来ない。困ったあげく、デルタ航空に電話をして「
E-メールの印刷が出来ないのですが、印刷しやすいように、添付書類形式で送って頂けないでしょうか」とお願いした。


すると、「デルタ航空では、印刷物がなくても、予約
NOさえ分かればOKですよ。ベトナム航空が心配なら、E-チケットの入ったパソコンを持って行かれて、それを見せたら如何でしょう」とか、のんきな事をいっている。


「念の為、ベトナム航空に聞いてみたら如何ですか」ですと。ダメモトの気持ちで、ベトナム航空に聞いてみると「パスポートと予約
NOが分かれば良いですよ」と拍子抜けするような回答だ。何の為に、印刷出来ずに困り果てていたのやら。チカレタビー!!ベトナムで旅行の手配をするには、まだ多くの困難を覚悟しておかなければならない。


6月19日(水)


AM8:30
、3週間目に入って、やっとスタッフに対する、最初の日本語レッスンを行った。対象者の4人は、レベルがそれぞれ異なるので、理解力も質問内容もそれぞれである。レベルが上の人にとっては、退屈であろうし、低い人にとっては難しすぎる。それでも、やらないよりは良いか?積極的に何かを吸収して欲しいと思う。


PM5:30
、昨日からの、旅行手配が一段落したところに、久しぶりにチュンさんが学校に来訪。「今日は私の家に泊まりませんか」との事。丁度報告したいこと、確認したいこと、要望したいことが有ったので、「そうしましょう」と誘いを受けた。


PM7:30
、授業を担当する。「今日の内容です」とアン君から渡されたプリント(第6課)に沿って進めていると「先生、まだ第5課が終わっていません」との声。以前のクラスでは逆に「もうそこは終わりました」と言われたし、授業の進捗状況が全く管理されていない。これは時間のロスになるし、学校に対する、不信感の増大にも成りかねない問題である。


PM9:30
、チュンさん宅訪問。種々報告した後に、食事代の負担に付いて確認した。「食事代は負担してもらえるのですか」との私の質問に、はっきりした回答はなく、「後日検討しましょう」となった。私にとっては、金額の問題と言うより、「自ら申し出た約束を、守れる人かどうか」「今後、お付き合いを続けて行ける人かどうか」の判断を問われる問題である。結局、この問題が後日検討されることは無かった。


6月20日(木)


AM7:30
、チュンさん宅で朝食をご馳走になる。とは言っても、お湯を掛けて3分間待つだけの、インスタントラーメンでした。日本では食べない物を、ベトナムに来て初めて食べ、複雑な気持ちでした。


AM10:00
、校長のトゥーさんに、日本語会話の個人教授。テーマは「料理」。種々の料理方法を日本語で何というのか。やはり女性らしく料理に興味があるようだ。

AM12:00、個人レッスン終了後の昼食は、彼女宅でご馳走になった。厚揚げの煮物、野菜と、イカと、パイナップルの炒め物、シナチク等があって、美味しかった。


学校内の自室では無線によるインターネットが繋がらなくなってしまったが、ここ:チュンさんの家では、問題なくインターネットが出来ている。


旅行を申し込む際、旅行代理店から「ホテルのランクは、二つ星より三ツ星にされることを強くお勧めします」と言われた。そりゃあ三ツ星が良いことぐらい分かっているが、費用の方も大きく違ってくる。私の旅行スタイルは、ユースホステルが基準だから、二つ星で十分だろうと思い、それに決めた。


旅程の最後になるホーチミンのホテルへ、学校のスタッフに迎えに来てもらう為、ホテルの名前を確認した。それが「レレ・ホテル」だと分かったので、すぐに検索してみると「バックパッカーに人気のあるホテルで、ロケーションがよい」と言うのが宣伝文句。書き込みは賛否様々だが、概ね好評だ。価格的には
2,0003,000円で、想定内と言うところであった。


PM4:00
、アマタ工業団地内の日系企業へ、トウさんとタクシーに乗って、日本語のレッスンに行く。団地内に入ると、日本語で書かれた「総務と法律の講習会」と言う、大きな横断幕が目に入ってきた。当然、日本人を対象にした講習会だと思われる。この工業団地には、それだけ多くの日系企業が存在していると言う事だろう。
   

         

アマタ工業団地内

PM6:15、授業が終わって会社の門まで来ると、タクシーが待っていた。それは、来るときのタクシーと同じであった。学校からこの会社までは、タクシーで20分程の距離であるが、我々が講義中の1時間半は、会社の近くで待機していたと言う。


「日本では、タクシーを待機させると、待機料金を取られますが」と言うと、「私は、6時
15分に来てくださいとは言いましたが、待機してくださいとは言いませんでした」とは、トウさんの言。我々は、1時間半の待機をしてでも乗せたい客なのか。「タクシー家業も大変だな!」と、同情を禁じ得なかった。


PM7:00
、学校の前にあるのだが、一度も入ったことがない食堂へ、夕食を食べに行く。「この食堂は値段が高く、その割に味は大したことがない」とは、アン君の話。しかし、婚約者のトウさんは、「少し値段は高いですが、美味しいです」と言う。私たちは「ホティウ」を頼んだ。


出て来たのは、スープが別になった物で、どんぶりには麺だけが入っていた。私は、汁のない麺は食べにくいので、すぐに、別の碗に入っている汁を、どんぶりに入れて食べた。しかし、トウさんは、麺だけのどんぶりに、スープは入れず、野菜やスパイスを入れて食べている。食後の私の感想は、アン君と同じであった。


6月21日(金)


AM9:00
、旅行の手配が一段落して、また時間が出来た。暇つぶしに、ベトナム語の教材を進める事に。やっていると、中国語から来たと思われる語彙が頻繁に出てくる。その中には、中国語より日本語の発音に近いものも多いのである。


中国から日本に伝えられた漢字の発音は、時代によって、呉音、漢音、唐音と色々あるが、中国南方の発音が伝来したときの物が、ベトナム語と日本語の発音を近くしているのかもしれない。


AM12:00
、一人でいつもの店に言って昼食をとる。定食とは言っても、「日替わり定食」と言う物も有るだろうに、この店は「日替わりしない定食」で、1年中、同じ物を提供している店のようだ。


前回の訪問時には感じなかった事が、今回は色々なことが見えてきて、私の中のボルテージが、段々下がってきている。残念である。アン君に「他に店はないのか?」と訪ねると、「有りますが、衛生的に心配です。いつもの店は衛生的な心配がありません」と言う。


とは言っても、よく見ていると、前の人が使ったコップを洗わずに再使用したり、配膳をしながら犬を抱いたりして、とても衛生的とは思えないのだが。あくまでも比較の問題であろう。


昼食後、付近を歩いてみると、人影がまばらである。いつも賑わっているカフェーも、殆ど閉店状態である。人は皆昼寝の時間に入っている様だ。


PM3:00
、かねて依頼してあった、部屋のドアノブの修繕に業者が来てくれた。出入り口のドアがきちんと閉まらず、スコール時に風が吹くと、ドアが開くような状態が続いていたのである。従ってまた、そこから蚊も部屋の中へ入り放題であった。

その際、チュンさんが「蚊取り線香も用意しましょう」と言って、用意してくれたのだが、いざ部屋を締めて、線香を燃やしてみると、その臭いの強烈さに、蚊より先に、こちらがやられてしまいそうである。30分ほどで、燃やすことを諦めた。


PM4:00
、今晩の私の担当を確認するために、ロビーへ降りて行くと、案の定、変更だと言う。これで、先週末にもらった予定表は、毎日が変更になった。私はどのようにでも対応できるが、どうしてそうなるのか不思議である。


聞くと、2週間前に入社した非常勤講師が辞めたと言う。日本の大学でマスターコースを卒業した優秀な青年で、「こんな先生に付いて学べるなら、生徒も幸せだろう」と思えるような好青年であったのに。この学校には優秀な先生が長続きしないのである。「また募集しています」と言う。


こんな就職難の時代だから、募集すれば応募はあるだろうが、実際に勤めてみて、その現実に失望して辞めているに違いないのだ。優秀なスタッフがそろって、軌道に乗った学校ならともかく、オーナーが片手間にやれるほど、学校経営は甘くないと思うのだが。


PM7:30
、聞き取りの練習のために、渡されたプリントとCDの内容が合わない。授業をする段取りのイロハでしょう!


もう注意するのも疲れた。これでは、優秀な先生も辞めていくが、優秀な生徒も辞めていくでしょう。前回来たときに入学した、
JICAから派遣されてきた沖縄出身の女性も、2ヶ月後に来た時には既に辞めていた。


6月22日(土)


AM9:00
、スタッフに対する日本語講座の2回目。今日の出席者は3人だけ。1人は早くも脱落か?と思いきや、その彼女は、週末の土日に、会計の勉強をしているのだそうだ。皆、将来の為に頑張っているのだ。


AM12:00
、スコールが続く中を食堂へ。3分ぐらい歩くだけで、ズボンがズブ濡れになってしまった。こういう時は半ズボンで来るべきだ。メニューの替わらぬ定食屋だが、雨にも関わらず、客が一杯で座る場所もなかった。


PM2:00
、1歳になった孫の顔を見たくて、連日スカイプをしている。そんなに毎日変わるわけはないのだが、それでも見たくなる。こちらを見て笑ってくれたら、嬉しくて何とも言いようがない。爺バカと言われようが、それが正直な気持ちである。今日も、ご機嫌で笑ってくれた。


ベトナム語をゆっくりと進めている。目的の第一は暇つぶしだから、急ぐ必要は全く無い。どこまでやれるか分からないが、少しずつ興味が湧いてきた。


PM6:00
、日本語の講義を担当。一こま90分間だけの担当だが、私にとっては丁度良い時間である。終了すると、喉の渇きと程良い疲れを覚える。生徒は、週3日の授業だから、真面目にやっている人は、どんどん力が付いてくると思う。


6月
23日(日)


先日購入した「越日辞典」は、重宝しているのだが、精度に関して言うとかなり問題がある。


日本語の誤字脱字が至る所にあったり、

同じベトナム語の見出しが、5行後に再度出てきたり、

ほしい単語が出ていなかったり、

製本が悪くて、何日も経たないのに、中の数ページが、はがれそうになったり、

印刷が、かすれていたり

と、品質には大いに問題がある。しかし、無いよりはましである。


ベトナム語の文字は、アルファベットに声調記号や母音記号が付いているので、よけい我々を悩ます。昨日、アン君が私のノートに書いた文字を、辞典で探しても見つからない単語があった。アン君に確認すると、母音記号や声調記号に誤りが有ることが分かった。私はそれを知って「ベトナム語は、その程度の精度で良いのか?」と、ほっとする気分もあった。


部屋に入って来てふと気が付くと、蟻の大群に見舞われていた。どこが目的地かと言うと、ゴミ箱である。ここ数日の間に、それも気が付かない内に、大量の蟻が行ったり来たりしている。出現元を辿っていくと、壁沿いに部屋を半周した所にそれが有った。


よくもそんなに遠くから、臭いでもするのかしら。ゴミ箱の中の物が目当てだから、外からは見えないはずだ。するとやはり臭いしか考えられない。目標に向かって真っ直ぐにくれば、半分以下の距離で済むのに、壁沿いに来るので、蟻の移動距離は直線の2倍以上になっている。これも面白い蟻の習性だ。


ゴミ箱を部屋の外に出したので、蟻は少なくなって来た。しかしそれでもまだ、ゴミ箱のあったところを目指して来る蟻もいる。帰っていく蟻が「今から行っても何もないよ」と、教えている風でもあるのだが。数千匹の蟻の中で、最初に来た蟻と、最後に帰っていく蟻はどんな蟻なのか、本人達、いや蟻達に話を聞いてみたい。


今日は日曜日で、午後からは誰も居らず、学校内は閑でした。


6月24日(月)


AM8:40
、スタッフに対する講義の時間だ。今朝の出席者は早くも2人になってしまった。一人は用事があり、もう一人は遅れてくる予定だと言う。結局、ましな二人が残り、受講が必要な二人は欠席である。


AM11:00
、明後日からの旅行のパッキングをしてみる。出きれば小さい方のバッグで行きたいと思ったが、無理なようだ。旅程を確認すると、自分でバッグを転がしながら見学する事は、殆ど無さそうだから、大きなバッグを持って行く事にした。やはり、大は小を兼ねるのか?


6月25日(火)


明日からの旅行に先立ち、ハノイの天気が気になり、調べてみた。朝の予報では、明日からの5日間は、晴れが3日で、雨が2日となっていたが、昼の予報では、晴れが1日で、雨が4日と大きく変わっていた。幸運を期待するしかない。

今日の昼食はチュンさん宅で、義妹のトウさんの手料理をご馳走になる。声を掛けられていたのは、私だけではなく、ディンさんや、叔父さん親子も見えていた。皆でヌードルの一種をご馳走になった。薄味だが、出汁をしっかり取ってあって美味しかった。


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