2. アエロフロート機内にて


2007年10月16日、私はトルコ観光のため、4時間遅れで成田を離陸する予定の、アエロフロート・ロシア航空(SU)576便「モスクワ行き」の機内にいた。

「飛行の妨げになりますので、携帯電話、パソコン等の電源はお切り下さい」との機内放送が何度かあったにもかかわらず、搭乗者の最後に駆け込んできて、私の隣に座った50歳前後と思われる女性は携帯電話で話し続けている。数席離れた椅子のご婦人も、こちらを見て睨んでいる。私も余程注意をしようと思ったが、話の様子からのっぴきならない雰囲気もあったので我慢した。

その電話は、飛行機が滑走を始め、まさに離陸するところまで続いた。外見と電話の応答から判断して、この人は日本人だろうと思っていた。そして日本人の中にも、マナーを心得ない人が居るものだと気分を害していた。

飛行機が安定飛行に移って、キャビンアテンダントが近くに来たとき、彼女の口から出たのは流暢なロシア語であった。どうやらジュースとロシア語の新聞、そして日本経済新聞を依頼していたようだ。私は彼女(Aさん)に好奇心を覚え話しかけてみた。

私「ロシアの方ですか?」

A「そうです」

私「日本人だと思っていました」

A「私の祖父と祖母は日本人と朝鮮人でした。家族は第二次大戦前、樺太に住んでいましたが、戦後そこに残ってロシア人になりました。私は戦後、樺太で生まれたロシア人一世です。私の父親は若くして亡くなりましたが、母親が一人で火力発電所の石炭くべをしながら、7人の子供を育て上げてくれました」

私「日本語がお上手ですね」

A「日本に住むようになって17年になります」

私「通訳でいらっしゃいますか?」

A「時々やりますが」

私「私は千葉の佐倉におりますが、近くに優秀なロシア語の通訳がおります。」

A「何という人ですか」

私「斉藤エクコさんと言います」

A「ああ、ベンツさんですね、ご主人がドイツ人の」

私「よくご存知ですね」

A「ロシア語の世界は狭いですから。ベンツさんは細かいことに、よく気の付く人です。」

私「日本語はどちらで勉強されたんですか」

A「日本に来てからです」

私「ロシアの学校では、主にどんな勉強をされましたか」

A「大学での専攻は、地球物理学・地質学でした」



                   トルコ・カッパドキア


そう言いながら彼女は、日本経済新聞に目を通し始めた。外国人で日経新聞を読む人、読める人は珍しいのではないだろうか。そう思いながら私も横から記事をのぞき込んでいると、「これはどういう意味ですか」と質問された。それは新聞の見出し用に、短縮した漢字で書かれており、私も、「うーん」と考え込んでしまうものであった。その様子からこの夫人は、日経新聞もほとんど読みこなせているようであった。

私はこの人に更に好奇心を持つに至り、少し迷惑かと思ったが、頃合いを見てもう一度話しかけてみた。


私「ペレストロイカ後のロシアについて、少し伺いたいのですが。」

A「メチャクチャです。大混乱しています。マフィア、麻薬、汚職が横行し、一部の人間だけが太って、多くの国民が疲弊しています。ペレストロイカ以前の方が、安定していて、人間味があり、余程生活しやすかったです。将来の予定も立てられたし希望も持てましたが、今はそれが出来ません。」

私「そうですか。それは私の認識と大分かけ離れています。現在、ロシアの経済は上向きで、国民の生活も以前と比べると良くなりつつある、と言うのが私の認識ですが。」

A「とんでもありません。良くなっているのは、ごく一部の人だけです。」

私「そうすると、ペレストロイカを推進したゴルバチョフに対する評価は、余り良くないと言うことですか?」

A「その通りです。」

私「ちょっと待って下さい。共産主義国家であったソ連は、経済的に行き詰まり、共産主義経済を放棄せざるを得なくなった。ゴルバチョフがペレストロイカを提言したのは、そういう時代背景があってのことでした。従ってゴルバチョフの判断は、正しかったのではないでしょうか。」

A「私には詳しいことは判りません。ただ、ソ連は共産主義国とは言えませんでした。日本こそ理想的な社会主義国ではないでしょうか」



         トルコ・エフェソスの図書館跡


私は全く予期しない返答に、返す言葉がなかった。「日本こそ理想的な社会主義国ではないか」という言葉を聞いたのは実は2度目である。一度目は、かれこれ30年も昔にさかのぼる頃であった。それも同じロシア人から。彼らは、ソ連を代表して日本に派遣されてきた青年達で、公には言えないがとしながらも「日本にこそ理想的な社会主義体制があった」と言っていたそうだ。この時の話は伝聞であったが、私の脳裏に強く印象づけられている。

私の認識では、日本は資本主義経済であり、自由経済である。しかし最近幾つかの国を旅行して感ずることがあった。

(1)   日本は、社会保障が行き届いている。勿論欲を言えばきりがない。例えば、日本には生活保護制度があって、乞食がいない。また国民皆保険制度で、全国民が医療の恩恵を受けられる。しかしおびただしい数の乞食や、病気になっても病院に行くことも出来ない人々が、放置されている国も現実にある。また日本は、義務教育制度があり、中学校まではみな教育を受けている。しかし、全く学校に行ってない児童が、相当の割合を占めている国も有り、それが識字率の低さに表れている。

(2)   日本は、貧富の差が少ない。これも程度問題で、最近日本でも盛んに格差問題が浮上している。しかし、発展途上国を旅行すると、日本とは全く次元が異なる格差を目の当たりにする。一握りの大富豪とおびただしい数の浮浪児。これでも同じ人間なのかと、ショックを受けている人もいた。20年ほど前のいわゆるバブル期に、日本人は総中流意識ということが言われていた。

(3)   日本の税制は、累進課税である。つまり、高所得者に高率の所得税、住民税等の税金が課される。そして一定の額を超えた相続財産に対しては、相続税が容赦なく課される。そのため大金持ちが育ちにくい。

日本は共産主義革命を経験していないが、マルクスが思い描いていた社会主義社会に近いのかも知れない。逆に、共産主義革命を経はしたが、その実、言論の自由もない独裁国家でしかなかった国も存在した。

かつて、歴史学者のアーノルド・トインビーがいった言葉が思い出される。それは、「将来世界は資本主義経済と社会主義経済との混合経済へと進むでしょう。そして同じ混合経済を見て、ある人はそれを社会主義と言い、またある人は、それを資本主義と言うでしょう。」

これらのことを考えると、ロシア人が「日本こそ理想的な社会主義国である」と言ったことも、あながち突拍子もないと否定し去ることは、如何な物かと思えてくる。勿論冷静に学問的に、或いは統計的に分析した上での発言ではないことは考慮しても、彼らの実感から出た言葉であろうことを考えると、社会主義とは何ぞやと、もう一度考え直しても良いのかも知れない。

今でも、またこれからも、完璧な社会、つまり誰からも不満の声が出ない社会等は、あり得ないし考えられない。とすれば、案外、あの頃の日本は、最も理想に近い社会主義国家であった、と振り返るときが来るかも知れない。

                            トルコ・カッパドキアの奇岩群


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