8.   資本論に見る「恐慌論」


バラク・オバマ氏がアメリカ合衆国の次期大統領に決定した。誰がなっても大変なときではあるが、オバマ氏は、何かしら期待させるモノを持っているように感じるのは、私だけであろうか。

サブプライムローンに端を発した金融危機は瞬く間に世界を覆い、先行きの不透明感は日を追って大きくなるばかりである。こんな時にマルクスの資本論を眺めてみるのも悪くないと思う。


マルクスは資本論の中で「恐慌」に付いて、どのように言及しているであろうか。

マルクス. Karl Marx ( 1818-1883)が生きた時代、恐慌は、次のように規則正しく、ほぼ10年置きに勃発していた。

1825年、

1837年、

1847年、

1857年、

1867年、
1877年、 

したがって、資本論では「恐慌」について度々言及されている。(多くはCrisis、時々Panicの単語を使用)まるで資本論の別名を、「恐慌論」といってもよいくらいである。

その中から目に付いた箇所を、幾つかピックアップしてみよう。

資本論からの抜粋は、(株)大月書店発行の大内兵衛、細川嘉六、監訳による。


                                   バリ島・クタビーチの波


<第一巻より>

1.資本主義は内部に矛盾や対立を抱えているので、ある点まで進めば必ず暴力的に統一されるときが来る。それは労働過程の無理やりの中断、即ち恐慌である。

2.恐慌の時は生産が中断されて、短時間しか作業が行われないのであるが、作業時間が少なければ少ないほど、なされた仕事についての利得は大きくなければならない。

3.アメリカの南北戦争(1861年〜1865年)に伴って起きた綿業恐慌の時のあるレポート: 恐慌は色々な利点もある。労働婦人達は子供に乳を与えたり、料理を覚えたりする時間が出来た。不幸なことには、この料理術は、彼女たちの食い物がないときに現れた。又、恐慌は、特別な学校で労働者の娘達に裁縫を教えるためにも利用された。

4.綿業恐慌中の急速な機会改良は、イギリスの工場主達に、アメリカの南北戦争が終わるとたちまちのうちにまたもや世界市場をあふれさせることを許した。

5.綿業恐慌が労働者の上に押しつけた「一時的な」困窮は、機会の急激でしかも持続的な進歩によって、強められ固定化された。

6.工場制度の巨大な突発的な拡張可能性と、その世界市場への依存性とは、必然的に、熱病的な生産とそれに続く市場の過充とを生み出し、市場が収縮すれば麻痺状態が現れる。産業の生活は、中位の活況、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞という諸時期の一系列に転化する。



<第二巻より>

7.恐慌はいつでも大きな新投資の出発点をなしている。したがってまた、社会全体としてみれば、多かれ少なかれ、次の回転循環のための、一つの新たな物質的基礎をなすのである。

8.一方の側での多数の買い、他方の側での多数の売りが行われる限り、均衡は(この生産の自然発生的な形態の元では)それ自身一つの偶然なのだから、恐慌の可能性に、一変するのである。



<第三巻より>

9.対立する諸作用の衝突は、周期的に恐慌にはけ口を求める。恐慌は,常に、ただ既存の諸矛盾の一般的な暴力的な解決でしかなく、攪乱された均衡を一瞬間回復する暴力的な爆発でしかない。

10.       恐慌がまず出現し爆発するのは、直接的消費に関係する小売業ではなく、卸売業や、それに社会の貨幣資本を用立てる、銀行業の部面だという恐慌現象が生ずる。

11.       恐慌が現れるのは、遠方に売る商人(または国内でも滞貨を抱え込んでいる商人)の還流が遅くなり、まばらになって、銀行に支払を迫られ、仕入れた商品はまだ売れていないのに、その為に振り出した手形は満期になるというときである。

12.       信用制度は生産力の物質的発展と、世界市場の形成とを促進するのであるが、これらのものを新たな生産形態の物質的基礎として、ある程度の高さに達するまで作り上げるということは、資本主義的生産様式の歴史的任務なのである。それと同時に信用は、この矛盾の暴力的爆発、恐慌を促進し、したがってまた古い生産様式の解体の諸要素を促進するのである。

13.       恐慌期には事態は繁栄期と反対になる。第一の流通(損益計算書に現れる数字)は収縮し、物価は下がり、労賃も下がる。就業労働者の数は制限され、取引の量は減少する。これに反して、第二の流通(資本の移転。資本家どうしの間だけで必要な流通。貸借対照表に現れる数字)では、信用の減退につれて、貨幣融通に対する要求が増大する。


                               バリ島・キンタマーニ高原


14.       恐慌中は信用が完全に崩壊してしまい、商品や有価証券が売れなくなっているだけではなく、手形も割引出来なくなっていて、もはや現金支払いの他には何も通用しない。銀行券を手に入れようとする激しい競争は、恐慌期を特徴づける。

15.       1847年の恐慌の主な原因の一つは、市場の非常な供給過剰と、対東インド商品取引での無際限な詐欺的思惑だった。

16.       恐慌時に借金をするのは、ただ支払いをするためでしかなく、既に背負っている債務を果たすためでしかない。これに反して、恐慌の後の回復期には、貸付資本が要求されるのは、買うためであり、そして貨幣資本を生産資本や産業資本に転化させるためである。そして、その場合には貸付資本は産業資本家かまたは商人によって要求される。産業資本家はそれを生産手段や労働力に投ずる。

17.       銀行の信用が動揺していない限り、銀行は信用貨幣を増やすことによって恐慌を緩和し、信用貨幣を引き上げることによっては、かえって恐慌を助長する。

18.       恐慌がすることは、それが国際収支と貿易収支との差を短い期間に圧縮するということである。・・・・・・まず貴金属が送り出される。次には委託商品の投げ売りが始まる。利子率は上がり、信用は解約を予告され、有価証券は下落し、外国有価証券は投げ売りされ、この減価した有価証券への投下に外国資本が引き寄せられ、最後に破産がやってきてそれが大量の債権を清算してしまう。

19.       恐慌の後の沈静期には流通高は最も少なく、需要が復活するにつれて流通手段に対する需要も大きくなり、繁栄が進むにつれてますます大きくなる。流通手段の量は過度の緊張や、過度の投機の時期には頂点に達する。そこで恐慌が突発して、昨日まではあんなに豊富だった銀行券が、一夜のうちに市場から姿を消してしまって、それと共に、手形を割り引く人も、有価証券に前貸しする人も、商品を買う人もいなくなる。イングランド銀行が助けに行くことになる。

20.       恐慌が突発すれば、問題はただ支払手段だけである。ところが、この支払手段が入ってくることについては、だれもみな他人をあてにしており、しかもその他人が満期日に支払うことが出来るかどうかは誰も知らないのだから、そこで、市場にある支払手段すなわち銀行券を求めて本当の障害物競走が始まる。誰もが手に入れられるだけの銀行券をしまい込んでしまい、こうして、銀行券はそれが最も必要とされるその日に流通から姿を消してしまう。

21.       貨幣は恐慌の時にもあるのである。だが、それを貸付可能な資本、貸付可能な貨幣に転化させるということは、誰でも警戒しているのである。皆が現実の支払の必要のために貨幣をしっかり握っているのである。

22.       恐慌の時には信用主義から重金主義への急転回が起きる。

23.       恐慌時には手形流通はまったくだめになる。だれもが現金支払いしか受け取ろうとしないので、だれも支払約束を使うことは出来ない。ただ銀行券だけが、少なくとも今日までイングランドでは、流通能力を保持している。そのわけは、国民がその富の全体を持ってイングランド銀行の背後に立っているからである。

24.       十九世紀の商業恐慌は、もはや、ヒュームでは十六世紀と十七世紀の貴金属の減価だったような、あるいはまたリカードでは十八世紀と十九世紀初頭の紙幣の減価だったような、個々の経済現象だったのではなく、ブルジョワ的生産過程のあらゆる要素の抗争が、そこで激発する世界市場の大暴風雨だった。

25.       商業恐慌の現象で、最も一般的で最も目につきやすいものは、商品価格がかなり長く一般的に上がっていた後で、突然それが一般的に下がるということである。

26.       これまでに二度、1847年10月25日と1857年11月12日とに、恐慌はこの頂点までのぼりつめた。その時政府は、1844年の銀行法を停止することによって、イングランド銀行をその銀行券発行の制限から解放したのであって、両度ともそれで恐慌を打開することが出来たのである。

27.       恐慌の時には次のような要求が現れる。すなわち、全ての手形や有価証券や商品を一度に同時に銀行貨幣に換えることが出来るべきであり、更にこの銀行貨幣をすべて金に換えることができるべきである、という要求がそれである。


                                     バリ島のホテル



こうして資本論を概観してみると、これまで、恐慌の原因には

イ.チューリップ恐慌

ロ.綿業恐慌

ハ.商業恐慌

ニ.不動産恐慌

ホ.金融恐慌

と色々あるが、その結果はいつもマルクスの時代と同じである事が解る。人類はこの百余年の間、何を学習してきたのだろうか?

そして、度重なる恐慌の結果として、有名な次の一節が登場してくる。

「資本独占は、それと共に開花し、それのもとで開花した、この生産様式の桎梏となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(資本論第一巻、第24章、第7節:資本主義的蓄積の歴史的傾向)

「収奪者が収奪される」とは、資本家が労働者に取って代わられる、つまり労働者が主役になる共産主義革命が起きる、というマルクスの確信である。

マルクスのこの確信部分は、資本論第三巻の最後に書かれて良かったのであるが、第三巻の完成を待ちきれなかったであろうか。結論が早すぎて論理が飛躍してしまった。第二巻、第三巻はエンゲルスがまとめたようだが、もしマルクスが最後まで拘わっていれば、論理の飛躍に気が付いて、結論部分は修正されたかも知れない。残念である。



余談だが、マルクスが共産主義に言及した部分は殆ど無いために、どのような社会をデザインしていたのかわかりにくいのであるが、一つだけはっきりしていることは、貨幣資本の無い社会と言うことである。

「共産主義の社会を考えてみれば、先ず第一に貨幣資本は全然なくなり、したがって貨幣資本によって入ってくる取引の仮装もなくなる。」(第2巻第16章)

「取引の仮装」が無くなるのでバブルも無いと言いたいのかも知れないが、貨幣のない社会とはどんな社会なのか。物々交換の社会?配給制度の社会?貴方はどんな生活を想像しますか?


                              バリ島・ジンバラン ビーチの日没


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