1. 資本論との出会い  



私が大学に入学した頃、少なくとも東北大学の経済学部では、いわゆるマルクス経済が主流であった。ケインズの流れをくむ近代経済や、経営学でくくられる簿記論、財務諸表論、監査論等も有りはしたが、講座の数ではマルクス系が多かったように思う。


当時は左派系の学生運動が盛んなときで、私自身、大学で学ぶべきはまずマルクス経済だろうとの考えに至ったのも、ごく自然な成り行きであった。

今から思うと思い上がりもあったと思うが、公認会計士を目指して監査論を勉強している同級生をみて、それは技術ではあっても学問では無いだろう、と思ったこともあった。大学ではまず学問をすべきだと。

入学して間もなく、ずしりと重い資本論第一巻を購入した。程なく、資本論を読む会というサークルが、教養課程で経済原論の講義を担当していた教授を中心に始まった。教授はまだ若く、張り切って情熱的に講義をしていた。そして「自分も、もう一度始めから資本論を読み直したい」と言うことであった。

また入学してからまだ何ヶ月も経たないのに、もう壇上に進み出て、ビラを配りアジ演説をする同級生も現れてきた。彼らに対して私は、左派運動も良いが、その前にまず資本論ぐらい読むべきではないのか、と違和感を持ったものだ。パンフレットを読んだぐらいですぐ行動に移る、その軽薄さに付いていけなかった。

教養課程の二年間に、曲がりなりにも資本論三巻を読み終えたが、それを理解し、消化できたとはとても思えなかった。そしてこれ以上続けても、何か新しい展開が広がるようにも思えなかった。三年生に進級するに際し、専門課程のゼミを選択するとき、消去法で選んだのが会計学であった。


とは言っても、会計学はもとより、積極的に勉強したくて選んだわけではないので、勉強はほとんどしていない。また、資本論に一区切りを付けたとは言っても、マルクス経済学の盛んな東北大学では、マルクス経済学系の講座を幾つか選択しないと、卒業単位に満たない状況にあった。従ってこちらも消極的な気持ちで、五つ前後の講座を受講することになった。



                       佐倉の田園

そのうちの或る中年の教授は、「マルクスは、資本論の中でこの様に言っている。だから間違いない」と言う講義であった。つまり資本論に対しては無条件降伏状態で、教授自身の考え、意見を聞くことは全くなかった。


また或る年配の教授は、資本論の中で最も有名な章である、第一巻、第24章「いわゆる本源的蓄積」が正しいのか、間違いがないのかを検証したい、と言って講義を始めた。講義中はほとんど、目をつぶって、ぶつぶつ言っていた。そしてそれを自ら用意してきた、大きなリール式の録音テープに、録音していたのである。


誰かがその講義を筆に起こして出版しようと考えていたのか、自分が何を喋っているのかを、後から確認したいと思っていたのか知るよしもないが、不思議な光景であった。どちらにしても私にとっては、さっぱり資本論に対する理解が進まない講義ではあった。

それから22年後の1991年、共産主義国家のソ連が崩壊した。1922年の成立以来69年間に及ぶ歴史に幕が下りたのである。この時、私はこの歴史的な事件に対して何らかの解説、釈明がこれらの教授連中の中から出てくることを期待していたが、結果はナッシング!!全くの音無しであった。


東北大学に限らず、日本中の大学には、おびただしい数のマルクス系の教授がいたはずである。にもかかわらず、何らかの骨のある論評、或いは資本論に対する何らかの検証が発表されたことを、私は寡聞にして知らない。

この時点で私の心には、確信にも似た思いが広がった。「あの学生時代の講義は何だったのか、結局、教授達は資本論の講義をしていたようであったが、それはせいぜい資本論の紹介ではあっても、資本論を正しく読み解いてはいなかった」と。


教授自らが消化できてない資本論を、学生に語って聞かせても、学生が理解できるわけは無いであろう。貴重な学生時代をなんと無為に過ごしたものか。今思うと、もったいない話である。





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