6.アデレード

 

6月11日(金)

 

AM7:30、起床。荒野でのエキサイティングでハードな日程と、テント生活から都会に戻り、何か虚脱感を感じる。それでも、アデレードには1日滞在するだけで、最後の3日間のツアーが待っている。そこで市内見学ぐらいはして置こうと、AM10:00から、無料の市電に乗り込んだ。今朝のアデレードは、日本の東京なら3月の下旬位の気温で、セーターを着ても肌寒いが、震えるほどではない。

 

市の中央部は、スロー運転の市電が、30分間で一周できる町だから、それ程大きくはないが、一通りの物は揃っているという感じだ。一周して終わると、セントラル市場を覗いてみた。新鮮な生鮮食料を沢山、安く売っている大きな市場で、市民の台所を賄っている。「自分が此処に住んでいるなら、毎週来るであろう」と私も思った。

 

市場の中を歩いていると、昨日別れたばかりのダンに出会った。互いに「世界は狭いね」と挨拶。彼は3人の女性に囲まれて談話中であった。以前、メルボルンで働いていた時の友人だと言う。若くて男前のダンは、何処に行ってもモテモテだ。

 

私は、日ごろ関心を持っているコーヒー豆が、幾らで売られているのかをチェックしてみた。ブルーマウンテンが250g4.5ドル。他のコーヒーは6.0ドルと、ブルーマウンテンだけが他よりも安かった。これは日本での相場と逆だと思ったが、私の勘違いであろうか?

 

AM11:30、一通り市場を見た後、美味しそうな柿を2個と、韓国料理店でチャーハンを購入して、YHAへ戻り、昼食を取った。柿は小ぶりながら糖度が高く、すこぶる美味しゅう御座いました。食後の午後は、途中昼寝をして、溜まった日記を書くことに精を出した。

 

PM18:30夕食に中華街へ。私とマット、それにスペイン人とイギリス人の男性ばかり4人で繰り出した。スペイン人は、ここのYHAでアルバイト中だ。マットは「今日、ワイン・ツアーに行き、あちこちのワイナリーで試飲が出来た」と上機嫌である。中華街での食事は、6.5ドルで食い放題のコース。広いフードコーナーに、何百人もが座って食べている光景は、壮観である。此処でも中華街は、町の一角を占めている。

 

一日間のアデレード滞在で覚えたのは、スーパーと、セントラル市場と、中華街の、いずれも隣り合わせの所に有った3軒だけ。気が付いたらアデレードの写真は1枚も取っていなかった。今日は気持ちまでオフになっていたようだ。

 

アデレードの名前は、「当時のイギリス国王、ウィリアム4世の王妃アデレードから来ている」と、マットが教えてくれた。夕食後は、再び日記に向かう。PM22:30、就寝。

 

 

6月12日(土)

 

AM5:20、起床。私はメルボルンまでの2泊3日のツアー。マットとニコル、ロミの3人は「1泊2日でペンギン島へのツアーに行く」と言う。此処で最後のお別れだ。記念品も無いので、一度日本のお金を見せた時、非常に興味を示していた事を思い出し、千円札をニコルとロミにあげた。二人とも大変喜んでくれた。

 

AM6:30、まだ暗い中、アドベンチュアー・ツアーの車が、YHA近くの事務所に到着。颯爽と降りてきた運転手兼ガイドは美人の女性。(美人は皆女性か?)年のころ30歳代。明るく大きな声で指示をしている。我々のツアーは12人になっていた。私の他は今日からの参加である。逆に言えば、私が4つのツアーに連続して参加しているだけの話。運転手もこれで4人目である。

 

12人中、日本人が5人(女性友達の2人、若いカップルの2人、そして小生)。女性友達の2人とカップルの男性は、ワーキングホリデーでオーストラリアへ来ており、カップルの女性は観光だけに来ていると言う。他の7人の内訳は、カナダ人(若い女性)、ドイツ人(若い女性)、オーストリア人(若い女性)、イギリス人(巨漢の青年)、オーストラリア人(パースから熟年の婦人)と、インド人夫婦。

 

アデレードからメルボルン(Melbourneに向かう道路は、東京近郊の東名高速道路を走っているような感じ。緑の木々が多くなり、行き交う車も増えている。美人ドライバーは音楽をかけて、ビュンビュン速度を上げている。アデレードから隣のメルボルンまでは730Km。東京から倉敷までの距離(約700km)以上である。AM7:30になって、外が明るくなり、AM8:30頃、太陽が昇ってきた。

 

AM9:00ティンティナラ(Tintinara)で休憩。クロワッサンとコーヒーで6.5ドル。コーヒーは思いっきりのインスタントコーヒー。ネスカフェの粉末コーヒーをセルフで入れて飲む。こんな商売は始めてお目にかかりました。

 

AM9:20、少しだけ休んですぐに発車。我々の車はA8号線を東に向かって走っている。同じルート、同じ時間帯で別のツアー会社も商売をしている。人の話では、「別のツアー会社のほうが幾分安いが、きつい。その分車が古く、ドライバーも余裕の無い顔をしている」とか。確かにこちらは美人のドライバーで、顔も自信に満ちている。

 

AM10:15、南オーストラリア州から、ビクトリア州に入る。時計の針を30分進めて、時差を修正する。ダーウィンで時差を修正して以来の事である。この州境(サービストン・Serviston)の、白カンガルー公園White Kangaroo Park)で、囲いの中に飼われている白いカンガルーを見学した。珍しい種類の動物ではあろうが、遠目では親近感は湧かない。

 

   

              ビクトリア州に入る

 

車内ではインド人持参のクッキーが回ってきた。多くの人が摘まむことなくパスしていたが、私は2個頂いた。それがカレー味でかなりのホット。「こんな物まで、口の中がヒリヒリするように味付けがなされているのか」と呆れるばかり。

 

PM13:00ホーシャム(Horshamで、昼食タイム。「各自、自由に食べるように」との事。今までのツアーと勝手が違う。キャンプ場の昼食では、皆で手分けして食事を作っていたが、「今は町中なので、何でもあるだろう」ということか。私はスーパーのコールズでパン、牛乳、リンゴ、を買って昼食にした。そして夕食の分として、大きなジャガイモ2個と、ステーキを1枚買った。

 

PM14:20、我々はグランピアンズ国立公園(Grampians National Park)内の、ホロウ山Hollow Mountain)に登山を開始。標高はほんの400mだが、結構きつい崖道が続く。洞窟が多く、アボリジニが住んでいた形跡が見られた。

 

   

               ホロウ山の崖道

 

頂上に立つと見晴らしが良くて、達成感も味わう事が出来、皆で記念写真を取った。また、ロック・クライミングをしている人達を、あちこちで見かけた。PM16:10、下山。

 

   

               ホロウ山頂上

 

PM16:40マッケンジー滝(Mackenzie Falls)に到着。300段ほどの階段を下りた所で滝を眺め、戻ってくると言う行程だ。出発した時は寒かったが、戻って来た時は皆上気していた。それなりに見応えのある滝(高低差40m)でした。PM17:30、マッケンジー滝を出発。

 

   

               マッケンジー滝

 

PM18:30、グランピアンズ国立公園の観光拠点となる小さな田舎町である、ホールズ・ギャップ(Halls Gap)に到着。ここには、アドベンチュアー・ツアー所有のホステルがある。ガイドはホステルに着くなり、スパゲティ・ボローニャを作り始めた。今晩から4人が合流した為16人分、自分の分を入れると17人分のスパゲティだ。それもベジタリアンの分は別にして。早朝から運転して、ガイドして、山に登って、夕飯の仕度だ。若い女性だが本当に良く働く。

 

今夜の為にと用意していたジャガイモと肉は不要であった。昼食が自前になっていたので気を利かして用意したつもりだが、余計であった。情報不足がもたらす無駄である。明日の食事に回す事にする。PM19:30から夕食。お味の方は、まずまずでした。夕食後、暫く日記を書き、PM22:00、就寝。

 

 

6月13日(日)

 

AM6:00、起床。AM6:30、朝食。ガイドは早くもエンジン全開である。食事をしながら今までの経歴を聞いた。「大学で観光科を選択して、卒業後はホテルに勤務したが、戸外での仕事がしたくなって今の会社に応募した。今の仕事は8年になる。既婚、子供なし、30歳。名前をケイト(Kate)、正式にはキャサリン(Katherine)と言う」との事。そして私のスニーカーが赤く変色しているのを見て「ウルルに行って来たでしょう」と言い当てた。

 

   

              ガイド兼運転手のケイト

 

日本人の若いカップルは、グレードアップの部屋を取っている。「1泊1人、50ドルの追加料金。前日の部屋はスウィートルームのように広くて満足だったが、昨夜の部屋は、暖房も効かずガッカリしました」と言っていた。我々安い方のドームには暖房も入っていて、何なら部屋も空いていたのに。

 

AM7:30、ホステルを出発。AM7:50、グランピアンズ国立公園内の、最大の見どころと言われるピナクル展望台(The Pinnacle)までのトレッキングコースに到着。ここはワンダーランド・レンジ(Wonderland Range)と言われ、結構手ごたえのある岩場を登って行くのだが、子供づれの家族も来ていた。

 

駐車場を出発するとすぐに現れるのがグランド・キャニオン(Grand Canyon。地層模様の岩が両側にそびえる渓谷である。

 

   

             グランド・キャニオン

 

しばらく登ると、岩と岩の間に細い一本道ができているサイレント・ストリート(Silent Streetに着く。駐車場の音も川のせせらぎも聞こえない静かな場所だ。

 

   

              サイレント・ストリート

 

頂上での見晴らしは素晴らしく、眼下にはホールズ・ギャップの街が見える。ただ私は、頂上での見晴らしよりも、途中での光景に感動していた事と、登り道がきつかった事で、頂上に着いたらホットして、写真を撮ることを忘れていた。下山する時も、来る時と異なる風景を写真に収めながら下山した。

 

   

              ピナクル展望台より

 

AM10:10、ワンダーランド・カーパーク(Wonderland Car park)を出発。グレート・オーシャン・ロードに向かって南下している途中、ダンケルド(Dunkeld)の街で、クロワッサンを1個。4.5ドル也。昨晩から合流した4人の内訳は、イギリス人2人(若い女性と熟年の婦人)、イタリア人男性2人(2人はミラノ在住の友人で、数ヶ月間、メルボルンに出稼ぎに来ていた、30歳と27歳)。

 

PM12:40、昼食。日本人女性2人と小生とで、フィッシュ&チップスを食す。

PM13:40、発。PM14:20頃から、B100号線のワルナンブール(Warrnamboolからグレート・オーシャン・ロード(Great Ocean Road)に入る。ここは大恐慌時代の公共事業として計画され、16年掛かりで完成した道路である。

 

   

           グレート・オーシャン・ロードに入る

 

グレート・オーシャン・ロードは、アデレードとメルボルン間の目玉となる観光地であるが、何故か私は感動しない。崖から孤立した岩に、「ロンドン橋 London Bridge」とか「12人の使徒 The Twelve Apostles」とか「ロック・アード・ゴージ Loch Ard Gorge」とか、もっともらしい名前を付けてはいるが、「ただ崩れそこなった岩が其処にあるだけ」としか私には見えないのである。

 

        

                ロンドン橋

 

   

                                   ロック・アード・ゴージ

 

   

                                     12人の使徒

 

このツアーがスタートする前に、ダーウィンのユースホステルで知り合った、オランダ人女性のインガ・ショータンInge Scholtens)は、別の会社のツアーに参加しているのだが、行く先々で出会う。此処グレート・オーシャン・ロードでも会ったので「本当は、この景色に僕は感動していないんだよ」と言うと、彼女は「私もそう思います」と言っていた。

 

   

              インガ・ショータン

 

しかし日本人女性の安佐子さんは、私達が感動していない事が理解できないようであった。同じ物を見ても「受ける印象は人それぞれ」という事の一例だ。私はむしろ、この海岸の断崖でも、「アボリジニの虐殺があった」と言う歴史の方に、関心が行ってしまう。

 

このあたりの観光地には、インド人や中国人が非常に多い。そのことをイタリア人に言うと、「私はメルボルンに来て、アジア人がこんなに多いとは想像していなかった。町を歩けばすぐにわかるが、半分はアジア人ではないだろうか」と、彼も、インド人、中国人を初めとするアジア人の多さにビックリしていた。

 

持参しているデジタルカメラの記憶容量が、一杯に成ったことが表示された。オーストラリアに来て、20日間で約1200枚写している。1日平均60枚だ。

 

PM17:30ポート・キャンベル(Port Campbell)のホステルに到着。早速夕食の準備だ。今夜のメニューは、ソーセージとハンバーグのバーベキュー。小生は昨日買ってしまったステーキと、ジャガイモの特別メニューだ。一人で食べたのでは申し訳ないので、日本人女性にもお裾分け。何よりもジャガイモが美味しかった。

 

PM19:30から、日記を書き、PM22:00に就寝。若い人達は、近くのパブへ繰り出して行った。

 

 

6月14日(月)

 

AM6:00、起床。AM6:30朝食。ガイドのケイトは今日も早朝からフル回転。普通の人の2倍は働いている。「給料は良いのかしら?」と聞いてみると「まあまあです。ただこの仕事が好きですから。街よりもブッシュを歩いている方が好きなんです」と言う。

 

夕べは珍しく男女ミックスの部屋。とは言っても、6人部屋に男性4人と熟年の婦人2人。かなりイビキがすごかった。特にイギリス人の巨漢の青年とイタリア人青年。自分のイビキはわからないので「私もイビキをかいていましたか」と聞くと、イギリス人婦人が「エエ、かいていましたよ。でもあなたのイビキは良く寝ている様な、気にならないものでした」と言われて「ほっ」。パースからのご婦人は「私は最初からしっかり耳栓をしていたので、殆ど気にならなかったわ」と言っていた。

 

AM7:40、ホステルを出発。途中ギブソン・ステップス(Gibson Steps)に寄って崖下の砂浜へ降りていく。「フムフムこんな物か」という程度で、特に感動は無い。

 

   

              ギブソン・ステップス

 

AM9:00に、グレイト・オトウェイ国立公園(Great Otway National Park)内の、オトウェイ・フライ(Otway Fly )に到着。此処は低温雨林として珍しい公園だ。「こんなに気温の低い所に、どうしてこんなに大きな木が育ったのだろうか」と不思議に思う世界が広がっている。最も高い木は100mもあるという。

 

全体に50m〜60m位の木が生い茂っているので、我々が歩くコースには、あらかじめ地上25mに、遊歩道が600mに渡って造られており、その上を歩いて園内を見学する。つまり樹上散歩(Treetop Walkである。熱帯雨林地帯なら、「すごいなー」で済むが、此処では「どうして?」の疑問の方が先に立つ。入園料は22ドルとなっているが、我々のツアー料金にはあらかじめ含まれていた。公園を一周した後、お茶を飲みながら懇談し、AM10:40に、出発した。

 

   

              地上25mの遊歩道

 

AM12:00アポロ・ベイ(Apollo Bay)にて昼食。シーフードの看板につられて入ってみたが、値段(21ドル)の割に、大した味ではありませんでした。おまけに釣銭を間違えて。オーストラリアに来てから釣銭の間違いが多い。指摘されると間違いを渋々認める。

 

   

             シーフードの看板につられて

 

単なる計算の間違いなら、多く間違えても良かろうに、そういうことは無く、必ず少ない。計算機でレシートが出ていても、釣銭は少ない事があるから、本当に安心できない。こういう場面が多くなると、「やはり昔は犯罪人が沢山流された大陸だったのか」等とつまらない事を考えてしまう。

 

釣り銭のやり取りで、旅行者にとって分かりにくい要素がある。その1つは、コインの大きさに付いてである。2ドル、1ドル、50セントと、価値が下がるほどコインが大きくなる。特に2ドルと1ドルは色も同じなので、初めのうちは、二つのコインを同時に見て比べないと、1ドルなのか2ドルなのかの判断に迷う。夫々の数字の表記もハッキリしておらず、読み取りにくい。そして50セント以下は、20セント、10セント、5セントと、今度は価値が下がるほどコインが小さくなる。

 

   

                        左から2$1$50¢,20¢,10¢,5¢

 

更に、分かりにくい要素の2つ目は、5セント未満のコインは使われていない。正確に言うと、2セント、1セントのコインもあるが、現在は製造中止となっていて、殆ど見かけない。しかし実際の買い物の時には、5セント未満の金額が表示される事も多い。そういう時にどうしているかと言うと、四捨五入ならぬ、二捨三入で5セント単位に丸めている。また、カードで支払う時は、そのままの金額で清算されている。

 

これらの事から、旅行者が釣銭を誤魔化されても、気が付かない事が多々あると思う。一度は、コインではなく5ドル札を1枚少なく渡された。16ドルxxセントの釣銭に対し、5ドル札が2枚しかないのである。以後、残念ながら釣銭のやり取りには、大変神経を使うようになった。

 

AM12:50、アポロ・ベイを出発。メルボルンは今が雨季ということもあり、空は今にも降り出しそうな曇り空だ。ケネット・リバー(Kennett River)では、多くのコアラ(Koalaを見ることが出来た。ユウカリの木の上で殆ど動かずに居る。手の届かない高さに居る為、触れる事は出来ない。観光資源としてもコアラとカンガルーは特別のようだ。見つけるたびにガイドが大声を上げてはしゃいでいる。

 

   

                             ユウカリの木で眠るコアラ

 

PM14:30フェアへイブン(Fairhaven)に到着。道路には「グレート・オーシャン・ロード(Great Ocean Road)」のアーチが架かっている。此処からがそれの始まりだ。海岸線に道路を建設する事は難事業であったと、建設に携わった人々を顕彰する碑も、道路脇に建てられていた。ここを出発すると同時に、とうとう雨が降り出してきた。

 

   

          グレート・オーシャン・ロード建設の碑

 

そんな状況の中で、サーフ・ビーチを車窓から見た。冬だと言うのに、多くのサーファーが波乗りを楽しんでいる。此処、ベルズ・ビーチ(Bells Bachは有名なサーフ・ビーチで、湘南海岸のようである。

 

   

          多くのサーファーが(ベルズ・ビーチで)

 

PM15:30トーキー(Torquay)のサーフ・ショップで1時間休憩。サーフィン関係のブランド店が揃っていて、しかもかなり安いらしい。興味のある人には、1時間は短いようであったが、興味の無い吾人達には長過ぎました。外は雨で寒いのにバスから締め出されて、時間を潰すのに苦労した。

 

PM18:00、とうとうメルボルンに到着18日間のアドベンチュアー・ツアーの終了である。美人のガイドとハグをしてわかれ、夫々の宿泊先へ。私と安佐子、エリカの3人はメルボルンのYHAへ。初めて来た都会の真ん中で「あなたの泊まるYHAは、あっちの方です」とガイドに言われて放り出された。

 

何の予備知識も無く、方向音痴の私は戸惑うばかりだが、其処は有り難い事に、ワーキングホリデーで来ている安佐子さんが、以前何日かメルボルンに居た事があって、ある程度の土地勘があるらしい。「歩くよりも市電に乗った方がいいと思います」の言葉を頼りに此処は安佐子さんにお任せ。

 

彼女も市電に乗るまでは良かったが、降りる駅が正確には分からない。市電の中で車掌に聞くと車掌も考えている。其処に救世主現る。「私もYHAに行きますので。次の駅で降りましょう」と言うではないか。何と彼女もYHAの宿泊客だったのである。

 

こうして無事メルボルンYHAにチェックイン。土地勘のある安佐子さんと夕食の買出しにスーパーへ。今夜のメニューは、キャベツ・ラーメン。それにバナナとリンゴ。我々の食事が終わった頃、オーストラリア人の年配の婦人がキッチンに入って来て食事を始めた。バッグからヨーグルト、パン、サラダ、肉と次々に取り出しては食べている。

 

最後にバナナをむき出した。私はこちらに来てから美味しいバナナに出会っていない。婦人がむいているバナナは大きくて長い種類の物。私が持っているものは短い物。そこで「あなたのバナナと取り替えてもらえないだろうか」と言うと、「私はこの種類のバナナが好きだから、取り替えるわけには行きません」と断られてしまった。

 

まあ、それは仕方が無いとして、同じテ−ブルに座っているのだから、少し位、ちぎって味見をさせてくれてもいいと思うのだが、そんなそぶりは微塵も見せずに一人で食べてしまった。しかも2本も!けち!

 

其処へ、30歳ぐらいの男性が、湯たんぽを2個抱えて入って来た。私がお茶を飲もうと沸かしているポットの蓋をあけて、お湯が少ないと見たのか、水を足して沸かし始めた。「この野郎!人に確認もしないで!」と気分は良くないが、彼も悪気が有って、わざとやっているのではない事は、その仕草から分かる。黙って見ていたら気が付いたらしく「スミマセン、気が付かなかったもので」と頭をかいている。

 

「それは良いけど、その湯たんぽどうするの」と聞くと、「寒いから布団に入れて寝ます」と言う。「何処から来たの?」「シンガポールです。シンガポールは32℃なのに、こちらは10度以下です」と言う。確かにこちらは寒いけど、YHAで湯たんぽを入れる人には、初めて出会いました。それも若い夫婦して。PM21:00、就寝。

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