第2部 東海岸編 7.メルボルン 6月15日(火) AM7:30、起床。 AM8:00、朝食、食パン。 AM9:00、パソコン。日記を書く。 AM12:00、昼食。昨日、安佐子さんに貰っていた、おにぎり。 PM13:00、無料の市電で市内一周。無料の市電は前面に「35」と大きく書いてある。一周するのに1時間。アデレードでは30分であったから、それだけメルボルンの方が大きいと言う事だ。ゆっくりの市電に1時間も乗っていると、眠くなってくる。
無料の市電(メルボルン) PM14:00、部屋に戻って仮眠。20分間眠るとすっきり。 PM14:30、市内の散策に出る。ヤラ川(Yarra River)沿いに歩き、アレクサンダー、クイーン、ビクトリアと、一連の公園を散策。しかし、何と無く気持ちが乗らない。疲れもあるだろうし、大きなツアーを終えた虚脱感もあるだろう。それに都会は何処も同じようで、刺激が無い。 ヤラ川(メルボルン)−1 ヤラ川沿い(メルボルン) ヤラ川(メルボルン)−2 PM17:00、夕食。ポテト、バナナ、オレンジ、牛乳。 PM18:00、パソコン。日記の遅れを取り戻そうとしているのだが、なかなか進まない。一日に一日分書くのがやっとである。これだと10日間の遅れは、そのまま自宅に持ち帰る事になるのだろうか。たとえそうなっても、大した問題ではないのだが。 PM22:00、就寝。 6月16日(水) AM6:00、起床。洗面。朝食、食パン。 AM7:00、パソコン。日記を書いている。 AM11:30、昼食。安佐子さんの真似をして、鍋でご飯を炊いてみる。熱いご飯に、久しぶりの「卵かけご飯」だ。食べられない事は無いが、少し芯が残っていた。 PM13:00、安佐子さんの勧めもあって一緒に市内散策へ。まず世界遺産に指定されていると言う「カールトン・ガーデン(Carlton Gardens)及びロイヤル・イグジビション・ビルディング(Royal Exhibition Building)」の見学へ。「PM2:00から、ガイドによる無料の説明があり、時間も丁度いい」ということで無料の市電に乗って出かけた。 ロイヤル・イグジビション・ビルディング 最寄りの駅で下り、カールトン・ガーデンを歩いていくと、建物の前に大勢の人が集まっている。「これからの説明会に、こんなに大勢の人が集まっているのか」と思いきや、さにあらず「これから、この建物の中で、メルボルン大学の入学試験が行われます。従って通常の見学は出来ません」との事。全く珍しい所に出くわしたものだ。 メルボルン大学の入学試験に集まった人々 建物の中を見られないことは残念でしたが、メルボルン大学の入学試験という、珍しい光景を見られて満足です。「道理で若い人が多い」と思った。この後、聖パトリック大聖堂(St. Patrick’s Cathedral)を見学。大きな町に行くと必ずある歴史的な聖堂だが、バチカン内部の壮麗さには比べるべくも無い。壮麗だから格が上だと言うのも可笑しいが。次に円錐形のガラス屋根と、高さ50mの石造りのショット・タワーが立つメルボルン・セントラル(Melbourne Central)へ。 メルボルン・セントラル 最後は「メルボルンは、コーヒーが美味しい街と評判です」と安佐子さんが言うので、コーヒー専門店へ足を運んだ。「どんなコーヒーが良いでしょうか」と注文を取ってから入れてくれたコーヒーは、確かに味わい深いものがありました。「何処の豆ですか?」と聞くと「イタリア北部で採れたものを輸入しています」と言う。 安佐子さんは「針灸師の免許を持っていて、日本ではそちらの仕事をしていた。その道の研鑽の為にインドにも行ったことがある。ワーキングホリデーでこちらに来て、農場で4ヶ月間働き、3500ドル貯めた。仕事により更に多額の人、逆に少額の人も居る。中にはマイナスになる人も居る。アフリカから来ている人の多くは、殆ど学校に行かずに働き、貯めた金を国に送金している。アフリカでは一財産になっている」と言う。 私は「これからお土産等の買い物をしたい」と言う安佐子さんと、此処で別れてホステルに戻った。道々行き交う人々を見ていると、確かに移民の国らしく、人種のるつぼと言う感じだ。特に中国人系が多いと感じた。 此処のメルボルンYHAは、セキュリティが厳しい。エレベーターに乗る時、自分のフロアーに入る時、自分の部屋に入る時、おのおの電子ロックがかかっている。必要だから取り付けてあるのだろうが、此処まで厳しく隔離されると、和やかに懇談すると言う雰囲気は失われてしまう。 そういう中で若干の人と話が出来たのでまとめておこう。 一人は35歳前後のスリランカ人男性。毎日米を炊いて食べている。我々以上に米が好きな様である。「IT関係の仕事でメルボルンに来ている。自分は多数民族のシンハラ人だ。スリランカではタミル人が少数民族である。両民族間の紛争は治まりつつある。先の津波では25000人が犠牲になった。英語ではシュリランカと発音するが、現地ではスリランカと日本での発音に近い」と言う。 私は「日本語とタミル語の関係。私の家の近くで中古車の輸出業務をしていたスリランカ人が一時帰国した後、津波があり、その後彼の姿が見えないので心配している」等の話しをした。 二人目は、30歳前後のエチオピア人男性。「8年前にエチオピアからオーストラリアに来て、西オーストラリアで金鉱発掘の仕事に携わっている。今回のメルボルン滞在は、会社からの派遣で、4日間の短期学習コースを受講する為である。エチオピアは君主制が倒れて、以前の皇室家族はイギリスに住んでいる。政治も安定化の方に向かっている。日本の経済状況はどうですか?日本では年収幾らあったら豊かに暮らせますか」となかなか的確な応答。 三人目は、25歳位のカナダ人女性。YHAに来る時に市電の中で会い「私もYHAに行きます」と言って道案内をしてくれた人だ。「カナダの経済状況が悪く、失業して新しい仕事が見つからないので、こちらに来ました。今就職活動中です。今日も図書館に行ってきました。インターネットが無料で使えるからです。カナダはバンフの近くに住んでいますが、私はスキーもスケートもやりません。スポーツが苦手なのです」と言っていた。 PM17:00からはパソコン、夕食、再びパソコンを叩き、PM22:00に就寝。 6月17日(木) AM6:30起床。朝食。今日はメルボルンからシドニーへの移動日。 AM7:30からAM9:30までパソコン。 AM9:30、チェックアウト。「フライトがPM2:30だから、少し早すぎるが、空港でゆっくりパソコンでも」と考えて、前日受付で教えてもらった、空港行きのバスが発着する、「スカイバス」のターミナル駅を目指す。市電に乗っていけば、すぐ近くのはずであった。ところが、市電 地図では市電に乗った方が良いように見えたのだが、良く見ると、実際の場所と表記されている所が離れていて、細い線で結ばれている。私は実際の場所ではなく、表記されている場所を目指していたのである。2つ目の駅で降りて戻ってきた。実際の場所は、徒歩で15分ぐらい歩き、サザンクロス駅(Southern Cross Station)を通り越した所にある。 サザンクロス駅 歩いている内に雨が降り出した。段々本格的に降ってくる。リュックから折り畳み傘を取り出したが、その時、水を入れたボトルが消えているのに気が付いた。歩き回っているうちにどこかで飛び出してしまったのだ。メルボルンでは、ずっと曇りで最後に雨だ。旅をしているのに心は少しも弾んでいない。気温は東京の11月下旬と言ったところで、心配したほど寒くは無い。 スカイバス・ターミナルで「ジェットスター航空のローカル線空港行き」を1枚購入。16ドル也。バスは雨の中を順調に走って、約20分後のAM10:50に空港に到着。私はバスから下りる時、運転手に「ジェットスターのローカル線ターミナルは何処でしょうか」と聞いた。運転手は「2階のターミナル2だ」と言う。其処を探し当てて、チェックインの手続きを取るべく、係りの女性に予約表を見せた。すると係りの女性は「時間が早すぎてチェックインできません。2時間前に来てください」と言う。 AM11:00から1時間半を潰せる場所を探してパソコンを叩く。AM12:00、昼食を取るべくチキンバーベキューとコーラを8ドルで買い、持参のサンドイッチを頬張る。チキンバーベキューを注文する時、ハーフ(2分の1)かクオーター(4分の1)かと聞かれたので、小さい方のクオーターを頼んだ。美味しく味付けされていて、量的にも私には丁度良かった。 チェックインできる時間になったので、先ほど「早すぎる」と言って差し戻された所へ行った。すると係りの女性が、「あちらのカウンターへ行きなさい」と言って、部屋のコーナーを指差す。私は事情がつかめないまま、支持されたカウンターへ行って、予約表を差し出した。 すると係りの女性が「あなたの飛行機は此処からではなく、別の空港から跳ぶようになっています!」と言うではないか。全く予想さえしない展開になってきた。「その空港は何処にあるのですか?」「市内からバスで1時間ほど行った所です」「そんな、ばかな!!」メルボルンにジェットスターのローカル線空港が2つもあるとは、今の今まで考えもしない。 しかも、バスの切符を買う時も、バスを降りる時も、早い時間にチェックインしようとした時も、誰もその事を言ってくれなかったではないか。その2つとは、アバロン空港(Avalon Airport)と、タラマリン空港(Tullamarine Airport)のことで、東京で言うなら、成田空港と羽田空港であり、私は間違いのタラマリン空港(羽田空港)に来ている。今からアバロン空港(成田空港)に行っても間に合いそうも無いし。 私はどうしたらよいのか半ばパニクッテいると、係りの女性が「PM6:00のフライトでよければ変更できます」と言う。「それでも良いが、どちらの空港ですか?」「此処です。だからあなたは此処から動かないで下さい」と言うではないか。フライト時間はPM2:30からPM6:00と大分遅くなったが、今日は移動日で特に予定を入れてなかったので、実害は無い。空港内でパソコンを叩いて時間を潰す事にする。お陰で日記の遅れが少し取り戻せそうだ。 それにしても何と紛らわしいシステムだ。予約表を良く見ると、メルボルンと書いたその横に、アバロンと書いてはある。しかしそれは、空港業務を職業としている人には有効であっても、海外からの旅行者には殆ど意味を成さないだろう。あえて言うなら、連れてこられた所が「アバロン空港」と思うだけだ。 残念ながら此処に来るまで、それに関する情報には全く触れる事はなかった。私は「旅行者にはとても分かりにくいので、こういう事態は時々発生しているのではないですか?」と言うと、カウンターの女性は「エエ、時々(Sometimes)」と言って否定はしなかった。 変更された私の座席番号は、「5F」となっていた。「随分前の方だな。これだとビジネスクラスかファーストクラスを融通してくれたのかな」と勝手に期待していたら、答えは「ノー」であった。ジェットスターには、ビジネスクラスとか、ファーストクラスは無く、全部エコノミークラスなのでした。低価格が売りのエアーに、贅沢な物は不要なのである。
変更後の搭乗券 PM7:30、無事シドニー(Sydney)に着いた小生は、シャトルバスで宿舎のシドニー・ハーバーYHAへ到着。シャトルバスは、あちこちのホテルを寄りながら来るので時間がかかるが、玄関まで送ってくれるので、自分で探す必要が無くて助かる。それにタクシーに比べると非常に安い。 PM8:30、チェックインした私は、4泊分のレシートを見て、どうしても合点がいかなかった。私はYHAの会員になっているから、1割引になるはずである。それに5ドルの予約金を払っているので、その分も減額された価格で良いはずである。 これらの事は、チェックインする時にきちんと話しており、パソコンから出力した予約表も見せている。だから「間違いなく請求されているだろう」と思ったのが甘かった。1割引にもなっておらず、予約金の5ドルも減額されていないのである。信じられない位いい加減だ。私は受付に行って、クレームをつけた。 受付の青年は暫くの間、「それで間違いないはずだ」みたいな態度でいたが、私が動かない為、とうとう言い逃れを諦めて、隣の担当者に助けを求めている。結局私の指摘を認めて25ドルの返金となった。YHAの受付は外国からの旅行者が、アルバイトでやっていることが多い。しかし、だからと言って間違いは許されまい。当の青年もネイティブは、スペイン語圏であった。 PM9:00、食堂で遅い夕食を取っていると、見覚えのある人が近付いて来た。昨日までメルボルンのYHAにいて、食事の時に何度か挨拶を交わしたスペイン人女性だ。向こうも私に気が付いて笑顔になった。「いつ来たの?」「先ほどです。トラブルがあって、すっかり疲れました」「何があったの?」以下は彼女の話。 「PM2:30の飛行機で来るつもりで空港へ行ったら、あなたの飛行機は此処からではありません。8時の飛行機でよければ変更できますが、と言われた。遅くなると困るので、市内へ戻ったが、5分違いでバスに乗り遅れ、タクシーを飛ばして空港へ向かった。60Kmを走って、120ドル払った。結局PM3:50の飛行機で来ました」と。 全く私のケースと同じ。ただ私は空港を動かなかったが、彼女は動いた。「こんなケースが時々有るのではないですか」と、私が係員に言ったのは、控えめに言った訳で、現実には、舌の根が乾かないうちに、立て続けに起きていたのである。動き回った挙句に、大きな出費を強いられた彼女が可愛そうだ。PM11:00、就寝。 |