8.シドニー

 

6月18日(金)

 

AM7:00、起床。朝食。昨晩、空港からYHAまで、シャトルバスでスムーズに運ばれてきた為、自分がシドニーのどの辺に居るのか、皆目見当が付いていない。受付
でこの付近の地図を貰って見ても、シドニーの全体像が掴めていないので、狭い一角の地図を見ても、チンプンカンプンである。そしてこの付近の地図は非常に入り
組んでいて、それも分かり難くしている原因である。

 

AM8:30、洗濯物が溜まっていたので、とりあえず洗濯を。洗濯場所は3階に有っ
た。3階に上がったついでに、もう1階上がってみたらベランダがあり、其処からは綺麗に、あの有名なシドニー湾のオペラハウス(
Sydney Opera Houseが見えるではないか。そして大きなハーバー・ブリッジ(Sydney Harbor Bridgeも目の前に。「よーし、これなら歩けるぞ」と急に希望が湧いてきた。

 

   

             オペラハウス(YHAから)−1

 

   

           ハーバー・ブリッジ(YHAから)−1

 

AM10:30、ウォーキング開始。まずハーバー・ブリッジを目指す。YHAから数百メートル歩いた、道路沿いにある階段を登った所が、ブリッジの始まりであったが、それに気付かずに通り過ぎると、ブリッジ博物館に来た。覗いてみると橋の欄干を登る人の受付をしたり、橋を作った時の記録映画が放映されたりしていた。この橋にも東京タワー建設時と同様の物語があるようだ。

 

私はとりあえず橋の上を歩きたかったので、其処への行き方を教えてもらうと、先ほど横目に見ながら、通過して来た階段を上がればよい事が分かった。天気は快晴。橋の上から見る白色のオペラハウスは、シドニー湾の水色に映えて実に美しく輝いている。天然の良港に人工の創造物があいまって、美しさを倍加している。

 

   

         オペラハウス(ハーバー・ブリッジから)−2

 

オペラハウスを旅行のパンフレットで見ていた時は、「何もこんなに大げさな物を造らなくても」と冷ややかに感じていたのだが、すっかり印象が代わってしまった。回りの自然と調和して本当に素晴らしい。これでも遠くから見ると小さい位である。逆にあまり近くに行くと、ただ大きいだけの物になってしまうから難しい。

 

   

         オペラハウス(ハーバー・ブリッジから)−3

 

どんな人が設計したのだろうか?調べてみると、設計者はデンマークの建築家、ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon1959年に着工して、1973年に竣工している。当初の予定よりも10年遅れ、費用は当初予算の14倍だという。途中では大変な紆余曲折があったようだ。

 

シドニー湾は、オペラハウスだけでなく、歩いているハーバー・ブリッジも風格があり、周りの自然も美しい。久しぶりに心が快活になって来た。ただシドニー湾といっても、どちらに海が有るのか橋を歩いていても分からない。此処からは360度、陸に囲まれた湖の様にしか見えないのだ。

 

   

             ハーバー・ブリッジ−2

 

私は橋の上をパトロールしている人に「海はどちらにあるんですか?」と聞いてみた。すると彼はオペラハウスの有る方を指差して、「あちらです。半島と半島の陰になっていてここからは見えません。是非マンリー(Manly)行きのフェリーに乗ってください。片道5ドルで行けますので」と熱心に説明してくれた。

 

私は礼を行って別れ、もう少しの間、ブリッジのウォーキングを楽しんだ。大きなカメラを首に掛けた、私と同年輩の日本人男性が一人で歩いていたので声を掛けると「妻と一緒にツアーできました。シドニー2泊とブリスベン2泊です」と言っていた。

 

ハーバー・ブリッジからの眺望を堪能した後、フェリーの桟橋を目指す。直線距離ではすぐ近くに在るのだが、道が複雑で分からない。通りすがりの人に教えてもらって、首尾良く港まで下りて来た。

 

後から分かったのだが、この辺は、シドニー発祥の場所で、シドニーがこんなに発展する前の町並みが残っている。ロックス(Rocks)と言う名の一角である。われわれが宿泊しているシドニー・ハーバーYHAは、そのすぐ隣にある。現にYHAの1階部分は床が張られていない。「まだ完成していないのかな」と思っていたら、そうではなく、「この敷地内にシドニー開拓時代の、由緒ある建物が在った」と分かって、歴史教育の生きた資料として、広く公開しているのだ。

 

さて、私はフェリーの桟橋を目指している。途中、大道芸人のパフォーマンスがあちこちで賑やかだ。フェリーの桟橋に来ると、桟橋が沢山あり、それと一緒に切符を買うところも沢山在った。私は何処で買っても同じだろうと思い、一番手前の売り場で「片道5ドルの切符を下さい」と言うと「片道ですか、往復ですか」と言うので「往復です」と言うと、「10ドルです」と言って売ってくれた。

 

   

              フェリーの桟橋

 

次の出航まで桟橋で待っている間にも、他の桟橋に船が出入りしている。「この切符で他の船には乗れないのかな」とも思ったが、一度通った改札を戻る事はためらわれたので、おとなしく待機中の桟橋に船が横付けになるのを待った。20分ほど待って乗った船は、静かな波間を順調に滑り出した。右手にオペラハウス、左手にハーバー・ブリッジが見える。少し風が冷たいが、空は快晴である。まず真っ直ぐに進んだ所にある桟橋に横付けになった。

 

   

          ハーバー・ブリッジ(フェリーから)−3

 

「この後いよいよ海の方に進路を取るのかな」と思っていると、フェリーは逆の方へ進みだした。つまり、湾の奥の方へ入って行くのである。「まあしかし、奥の方を回った後、海の方に向かうのだろう」と、私はまだ希望を抱いていた。しかし、30分過ぎても40分過ぎても、ブリッジから陸側を航行しているだけで、1時間後には乗船した所に戻ってきてしまった。

 

此処でやっと私は、間違った船に乗った事を確信した。つまり、桟橋によって行き先が異なっていたのである。私が乗ったフェリーは観光船と言うより、交通手段としての実用船と言った方が適当だと思う。もう一度目的の船に乗ってもいいのだが、今は何と無く、そんな気分になれず、またの機会にすることにして、オペラハウスを目指した。桟橋からオペラハウスまで行く途中にも、大道芸人が居たり、カフェテラスがあったりして、観光地独特の雰囲気を醸し出している。

 

  

           オペラハウス手前のカフェテラス

 

いよいよオペラハウスの前だ。思った通り、近くに来ると、ただ大きいだけで、美しさは感じない。ある程度の遠景から見た時に、その美しさを際立たせる事が出来る。

 

   

             オペラハウス(正面近景)−4

 

折角だから中を覗いてみる。昨日までオペラが公演されていたようだが、今日の予定は無く、思いの他見学者も少ない。安佐子さんが「オペラハウスのトイレは特別綺麗らしいですよ」と言っていたのを思い出して、トイレへ行ってみたが、特別綺麗だとも豪華だとも思わなかった。女性トイレの方は分からないが。

 

次に向かったのは、オペラハウスのすぐ前から広がっている、ロイヤル植物園(Royal Botanical Garden)。閑静で美しく造られている。土地が豊富であればこそと、羨ましくも思う。この公園の中ほどにインフォメーション・センターが在ったので寄ってみた。

 

   

             ロイヤル植物園(シドニー湾)

 

ボランティアの人らしい年配の男性が、進んで対応してくれた。そして「ブルーマウンテン(Blue Mountainsは、クイーンズランドで最も美しい所だから、是非行って来なさい」と言うではないか。安佐子さんは「以外につまらなかった」と言っていたが、どうした物だろう。

 

朝から大分歩いたので疲れてきた。そろそろYHAに戻ろう。今夜の食料を買いたいが、適当なスーパーが見当たらない。コンビニはあるが、私が好きなスーパー・コールズが見当たらない。人に聞いて行った所は、確かにスーパーではあったが、品数も少なく、鮮度も今一で、価格だけは並み以上と言う感じであった。

 

しかし、何も無いでは済まないので、最小限度の物だけ買った。外に出るとフードコートがあった。安佐子さんが、「シドニーのフードコートは美味しいですよ」と言っていたので覗いてみた。もうPM3時を回っていたので、後片付けをしている店が多い中、中華料理店が酢豚ライスを6ドルで売っていたので買って食べた。美味しかった。

 

PM15:30YHAに戻る。5時間の散歩であった。同室のイギリス人青年に、ブルーマウンテンについて参考意見を聞いてみた。彼は「天候の良し悪しによると思います」と明確に言ってくれた。明日起きてみて、天気が良ければ行くことに決めた。

 

短時間の仮眠後、日記を書き、PM9:00頃から、食堂でお茶を飲んでいたら、今朝挨拶を交わしただけのおばちゃん(50歳代)が見えた。「今日は何処へ行かれましたか」と聞くと「ブリッジ・クライム(Brige Crime)に行ってきました。300ドル払いましたが素晴らしかった。ウエアやヘルメットを着けて練習し、全部で3時間半の行程でしたが、橋のてっぺんから見たシドニーの光景は最高でした。記念写真も取りました」と満足そうに言っていた。

 

彼女はカナダのウィニペグ在住だが、日本の広島に医学の勉強で5年間居た事があり、時々日本語が出てくる。日本人に似た顔つきなので「日系の方ですか」と聞くと「良くそう言われますが、私はモンゴリアンです」と言った。PM22:30、就寝。

 

 

6月19日(土)

 

AM6:00起床。天気が良いのでブルーマウンテンに行くことする。朝食時にサンドイッチの弁当も作って、AM8:00に出発。桟橋の前にあるサーキュラー・キー駅(Circular Quay)へ急ぐ。駅の窓口で「ブルーマウンテンまで1枚下さい」と言うと「チョッと待って」と言いながら背中を向けている。「そんなに急ぐような仕事をしている様には見えないけど」と見ていると、やがてこちらに向き直って、聞き返す。

 

「ブルーマウンテンです。幾らですか?」と言うと聞き取りにくい発音で「むにゃむにゃ」と。「幾らですって?」と聞き返すと、「此処に書いてあるだろう!」と言って電光板を叩いている。「何もそんなに怒らなくたって良いじゃないの、こっちは外国からの旅行者なのだから、もう少し親切にして欲しいよ」と思う。電光板は頭の上にあった。10.8ドルと表示されている。

 

12ドルと聞いていたがそれよりも安い。安い分には文句はありません。20ドル札を出してお釣りを待っていると、右端が1cm程ちぎれた5ドル札を放り投げて来た。私は「こんなお札は取り替えてくれないか」と言うと「それしかないのだよ、使えるよ」と言って応じようとしない。

 

全く朝の一番から気分が悪い!語彙が豊富ならもう少し言ってやる所だが、我慢するしかあるまい。向こうは欲求不満を抱えた公務員なのだろう。そう言えば、昔は日本の国鉄の窓口にもこういう奴がいたっけ。「切符を売ってやる」的な態度の男が。

 

ホームに来ると1人のインド人女性が、「何処何処へ行くのは、このホームでいいでしょうか」と聞いてきた。「私は旅行者なので分かりません」と言うと、不安そうな顔をしているので、私は事務所の中を覗いて、其処にいた駅員に聞いてあげた。「このホームで宜しい」と言う事であった。二人は間も無く入線して来た列車に乗った。彼女は「インドから来て3か月になります。お手伝いの仕事をしていますが賃金は安いです」と心細い声で話していた。

 

私は、シドニー・セントラル(Sydney Central)駅で乗換えだ。駅員に聞きながらホームを探す。セントラル駅はさすがに大きく、乗り換えるのに結構歩いた。目的のホームに来て「ブルーマウンテンに行きたいのですが」と駅員に言うと「あの列車だから急いで!」と言う。駆け込みセーフ!列車は私が乗ると同時に発車した。運良く、1時間に1本の電車にピッタリ間に合った。

 

列車は座り心地が良く、混んでもいなかった。東京に例えれば、「新宿駅から小田急ロマンスカーに乗り換えて箱根へ行く」と言う感じだ。ブルーマウンテンのキーステイションであるカトンバ(Katoombaまで片道2時間。これで往復10.8ドルは安い。旅行パンフレットでは、ガイドや昼食が付いたりはしているものの、100ドル前後の料金を提示している。

 

私の気分としては、アドベンチュアー・ツアーの後は消化試合をこなしている様な気分だから、お金を掛けたくない。しかし考えてみると、どの情報誌も如何に旅行者から金を出させるかに工夫を凝らすだけで、どうしたら安く旅行できるかを教える物には、出会わない。一人歩きのベストセラー・ガイドブックである「Lonely Planet」にはどう書いて有るのか知りたい。

 

列車の窓から外の景色を見ると、綺麗な道路を車がどんどん飛ばして走っている。途中から少しずつ乗客が増え始め、目的地に着く30分ほど前には、空席を探すようであった。私の隣にも70歳近いおばさんが座ったので、話しかけてみた。「日本から来て、ブルーマウンテンに行くところです」と。

 

すると「ブルーマウンテンはいい所ですよ。私もブルーマウンテンに住んでいます」と言う。ブルーマウンテンに住んでいる人が、ブルーマウンテンに行くと言うのはおかしくないか?更に聞いてみると、ブルーマウンテンと言っても広うござんして、箱根に例えるなら、厚木の辺りから「此処は箱根です」と言っているような感じである。だから、おばさんが乗車した所は既にブルーマウンテンに含まれているわけだ。

 

「今日はカトンバで、年に1回のウィンター・マジック祭(Winter Magic Festival)があるので、それに参加する為に行くの。仮装行列があって沢山の人で賑やかになりますよ」と言うではないか。そう言えば、おばさんもやけにケバケバシイ装いなので、「この人は、どんな人なんだろう」と考えて、一度は声を掛けることを躊躇したのであった。

 

AM10:30、カトンバの駅に降りると、既に大勢の人が思い思いの衣装で集まっていた。「たまたま来た町で、年に1度の祭りを見られるとは、私も運が良いな」と思わずにはいられない。町の大通りは歩行者天国になっている。歩道の両脇はいつもの商店街、そして車道には露店が軒を並べて1km位続いている。既に仮装行列や、路上でのダンスも始まっており、私は祭りも気になるが、まず当初の目的であるスリーシスターズ(Three Sisters)を見に行くことにする。

 

   

           歩行者天国でのダンス(カトンバ)                                                                                          

 

道々行き交う人に聞きながら歩いていくと、30分ほどでその見晴台に着いた。「なるほどこれがスリーシスターズか」。今日の評価は天気が良い事でもあり、まずまずの及第点だ。スリーシスターズについては、アボリジニの伝説がある。

 

   

              スリーシスターズ

 

かつて、この地で美しい3人姉妹と祈祷師の父親が平和な生活を営んでいた。ある日、バンイップ(アボリジニの伝説によく登場する魔物)が娘たちを襲いにやって来た。驚いた父は娘たちを岩にして隠す。しかし、そのことを知ったバンイップは父親を襲いだした。

 

父親は魔術で自分をコトドリに変身させ、岩穴の中に逃げ込んだ。しかし、コトドリになった父親は再び元の姿に戻ることができず、娘たちも一生人間に戻ることができなくなってしまった。こうして残った岩、それがスリーシスターズというわけだ。

 

そして、ブルーマウンテンという名の由来は、ユーカリの木々が揮発するオイル分で、山全体が青く霞んで見える事がある所から来ている。

 

   

              ブルーマウンテン

 

少し付近を歩くと「エリザベス女王、展望記念1954212日」と言う石碑が建っているではないか。女王様と同じ場所に立っていると言う事は悪い気がしない。日本からの団体客、中国人、欧米人、家族連れ、色々なグループが来ていた。

 

丁度PM12:00を過ぎたので、お昼の弁当に持参したサンドイッチを食べようと、茶店に入ってコーヒーを頼んだ。出て来たコーヒーの薄いこと!「お湯に色がついているだけで、コーヒーの味が全くしない。5ドルも取っておいて、これではひど過ぎる」と思い、カウンターへ行って「このコーヒーは薄すぎるので、もっと濃くしてもらいたい」と言うと、後ろから店の親父が出て来て「オーストラリアのコーヒーは皆こんなもんだよ。ダブルが良いのかシングルが良いのか。君は何処から来たんだ、中国か?」とか適当な事を言っている。

 

コーヒーにダブルだ、シングルだ等と聴いたことが無い。それに濃い薄いにオーストラリアも中国もあるものか。「私は日本人だが、こんな薄いコーヒーは飲んだ事が無いぞ」と、少し気色ばんで言うと、何か、モゴモゴいいながら入れ直している。「どうだ、今度は大分よくなったか」と言うので「大分宜しい」と言って、席へ戻った。「黙ってりゃいい気になりやがって」、とんでもない商売をしているものだ。

 

PM12:30、帰り道で道路わきの温度計を見ると、10と表示されていた。天気が良いので、歩いていると寒くはない。カトンバ駅の近くまで来ると、祭りも最高潮に達していて、人ごみが激しく、普通のスピードでは歩けない。

 

   

              歩行者天国(カトンバ)

 

どさくさにまぎれて、何枚かの写真を撮らせて貰った。皆が盛り上がっていると、こちらまでウキウキしてくる。晴天の下で、しかも町の中は冬祭りとあって、思い出に残る1日となりました。

 

   

            仮装を楽しむ女性(カトンバ)

 

PM13:30、カトンバ発の列車でシドニーへ帰る。まだ時間が早いせいか、乗客は少ない。快適な乗り心地の列車は、PM15:30、丁度2時間でシドニー・セントラル駅に到着。此処で乗り換え、サーキュラー・キー駅まで来て下車。サーキュラー・キー駅はシドニー湾の中心地と言ってよく、桟橋を6つも抱え、湾内の各地にフェリーが出入りし、オペラハウス、ハーバー・ブリッジと観光の名所が控えている所である。

 

驚いた事に、人の往来の激しい賑やかなその駅で、若い娘が私に、たかって来たのである。最初に話しかけられた時は、さっぱり聞き取れなかったが、聞き返したときには「何かおかしいぞ」と感じた。もう一度聞き返すと、近くに居た仲間の女を呼んで、通訳させている。「バス代が無いから2ドルくれと言っている」と言う。皆グルになっているようだ。其処までハッキリ言われては、「意味が分からない」とも言えないので、無視してその場を立ち去ろうとしたら、すごい形相をして悪態をついて来た。

 

困った者だ。若い時からこれでは先が思いやられる。オーストラリアは全体としては、良い国だと思う。道路で地図を広げて立ち止まっていると、誰かが「どうかしましたか」と声を掛けてくれる。しかし、こういうならず者が居る事も事実である。国が大きい分、人間の幅も大きい。ピンからキリまでいらっしゃると言う事だ。

 

時刻はPM16:00。まだ急いで帰宅しなければならない時間ではないので、スーパーマーケットを探す事にした。人に聞くと、昨日寄った、あまり行きたくないスーパーを教える。この辺にはその店しかないのであろうか。そんなことは無いはずだ。これだけ多くの人々の食材をあんなに小さな店で賄いきれるはずが無い。そう思って、宿泊先のYHAから遠くならない範囲で、物色することにした。

 

暫く歩いた後、土地の人らしい格好の人に「この辺にスーパーマーケットは無いでしょうか」と聞いてみると、「2〜3ブロック歩いた所にある」と言う。その辺りまで行っては、また同じ事を聞く。これを繰り返しながらやっと辿り着いたのは、私の好きなスーパーマーケットのコールズ。しかし大きなビルの2階の一角にあって、旅行者が探し当てるのは難しい所でした。

 

YHAからの便も良くなく、後1日しか滞在しない事を考えると、多分2度と来ないでしょう」と考えながら帰途に着いた。YHAの近くまでは一人で戻れたのだが、直線距離であと100mと言う所で、道に迷って立ち往生だ。前にも書いたが、この辺りはシドニー発祥の地で、古くからの道路と、新しい道路が、複雑に入り組んでいるのだ。

 

立ち往生していたら、40歳ぐらいの女性が声を掛けてくれた。「道に迷ったんですか?」「そうです。YHAに戻りたいのですが」「途中まで一緒ですからどうぞ」と実にあり難い。分かりにくいわけだ。新旧の道路を階段で繋いであるのだが、地図には階段までは書いてない。PM17:00YHAに帰着。やっと探し当てたスーパーマーケット・コールズも遠かった。

 

部屋に入ると綺麗になっている。今晩は私一人のようだ。長居している者が居ると、部屋が散らかって仕方が無い。PM17:30から夕食の支度。今日のメニューは、ご飯、ベーコン、エッグ、サラダ、オレンジ。日本から持参した調味料が活躍している。

 

   

          シドニー・ハーバー・YHAの部屋

 

PM19:00からパソコン。今日になってやっと気が付いたことがある。それはYHAインターネット料金の仕組みについてである。「1時間4ドル」とだけ認識していたので、「1回の使用時間が、少しでも短い方が、何度も使えて良い」と思っていたのだが、認識が甘かった。条件がもう1つあって「15分刻みで計算される」と言う事が分からなかったのである。

 

つまり、例え1分しか使わなくとも、それは15分使った事になって、プリペイドカードから1ドル落とされるのである。だから16分しか使わなくとも、30分使った事になり2ドル落とされる。何度か「まだ時間が残っている筈なのに」残高がゼロになっている事があった。オーストラリア旅行も終わりに近付いた頃、やっと気づいた次第。

PM21:30、就寝。

 

 

6月20日(日)

 

AM8:30、起床。珍しくゆっくり寝た。こんなに寝たのはオーストラリアに来てから、初めてだ。食堂へ行くと、昨日見かけた台湾人グループが食事中であった。女性3人(推定50歳、60歳、70歳)と若い男性1人(30歳位)。どういう関係のグループか興味があったが、聞きそびれた。多分親類家族だろうと思う。私が日本人と分かると、笑顔をくれた。「今夕、メルボルンへ発ちます」と言う。たった2泊のシドニー滞在である。

 

今朝はバナナの買い置きがあったので、むいてかじったのだが、どうにも硬くて味が無い。私は「捨ててしまおうか」と考えたが、「待てよ、その前に電子レンジで、チンしてみよう」と思い付き、試してみた。結果はGOODでした。柔らかくなって、甘みが増していたのです。こんな小さな発見でも嬉しい物です。

 

AM10:00、一昨日、行こうとして行けなかった、マンリーへ出発。フェリーの桟橋に行く途中、ロックスの店を覗いたら、太鼓とディジュリドゥーの演奏が流れていた。心地良い響きが何とも言えず、CDを1枚買いたかったが、35ドルと聞いて諦めた。高すぎると思ったから。

 

AM10:30、今日は間違いの無い様、3番の桟橋へ行って、マンリー行きの切符を購入。片道6.6ドル。日曜日でお天気が良い為か、人出が多い。マンリー行きのフェリーも大勢の乗客で賑わっている。殆どの人が観光客のようだ。朝の太陽の光が水面に反射してまぶしい。フェリーはオペラハウスとハーバー・ブリッジの間を順調に進んでいる。

 

複雑なシドニー湾の中を慎重に航行して行くと、やがて湾の出口が見えてきた。湾内の大きさに比べ、湾の出入り口は意外に狭い。この狭い出入り口がシドニー湾の穏やかな、湖かと思うほど静かな水面を演出している訳だ。外海はタスマン海(Tasman Sea)である。フェリーは外海には出ることなく、それを右手に見ながらマンリーへ向かっている。

 

   

              シドニー湾の出口

 

AM11:00マンリーの埠頭(Manly Wharf)に接岸。改札横の切符売り場で帰りの時間を確認して置く。窓口の係りの人は「30分おきに出航している」と教えてくれた。埠頭の建物から出た所に、インフォメーション・センターがあったので立ち寄った。そこで地図を貰い、お勧めの見学コースを教えてもらった。お天気はいいし、町並みは垢抜けしていて、気持ちのいいウォーキングが、楽しめそうな気分になって来た。

 

   

               マンリー埠頭前

 

5分も歩くと海側の浜辺に出るが、その前にお昼の弁当を買って行こうと、通りの店を覗きながら歩いて行くと、感じの良い綺麗なスーパーがあった。中に入って一通り物色した後、腹持ちの良さそうなケーキを1つ買った。3ドル也。店の外に出て、「なんと言う名のスーパーだろう」と思って看板を見ると、私の好きなコールズでした。

 

   

              マンリー・ビーチ−1

 

綺麗に舗装された商店街を海岸まで歩いて行くと、冬だと言うのに多くの人が、サーフィンをしたり、甲羅干しをしたりしている。こちら側も大きな湾になっており、綺麗な砂浜が広がっていた。夏はさぞかし海水浴客で一杯に成るだろうと想像された。暫く眺めているうちに、お昼近くなったので、まず腹ごしらえをしようと、先ほどスーパーで買ったケーキをパクついていた。

 

   

            マンリー・ビーチ−2

 

すると4輪の手押し車を押して来たおばあさんが、私の前で止り、ベンチに腰掛けようとするので、私は少し横に動いて席を開けた。おばあさんは手押し車からクッションを取り出して「私はお尻が痛くなるのでこれを敷くのよ」と言って、私の隣に座った。以下はおばあさんとのやり取り。

 

   

            92歳です!(VERAさん)

 

「今日はいい天気ですね。この近くにお住まいですか」

「エエ、すぐ其処を入った所だけど、古い家なの。1890年代に建てられた物です」

「それは歴史的な遺産ですね。お生まれはどちらですか?」

「イギリスなんだけど、結婚した後オーストラリアに越して来たのよ。子供が6人居るんだけど皆夫々に暮らしているわ。1人はイギリス、1人はアメリカ、1人はオーストラリアのクイーンズランド、1人はパース、1人は離婚して戻ってきたんだけど、同居はしてないの。すぐ側に住んではいるけれど」

 

「すると1人でお住まいですか?」

「そうなの。今の所は20年前に夫が買って、引っ越してきたんだけど、夫は10年前に死んだわ。家は他人には貸すなと言っていたけど、8部屋もあって1人では使いきれないから貸しているの」

「失礼ですがお幾つでいらっしゃいますか?私は64歳ですが」

「幾つに見えますか。当てて御覧なさいよ」

 

「ウーン。難しいですね」

92歳なの。もうじき93歳になるわ

「お元気ですね。此処の気候がいいのでしょうか」

「それもあると思うわ。此処はいい所よ。あなたも64歳にしては肌が綺麗ですね。50歳代かと思ったわ」

「それはどうも」

「ところで、あなたの奥さんは?」

91歳になる母の世話があって来られませんでした」

「それで1人で旅を楽しんでいるわけね。私も随分あちこち旅はしたけど」

 

「私にはもう1人、出来の良い息子が居たんだけど、死んじゃったの」

「お幾つだったんですか?」

58歳だったかな。精神を患ってね。子供の中でも一番良い子だったのに」

 

話はいつまでも終わりそうに無かった。そろそろ切り上げて、歩きたいと思って立ち上がると、「私はベラと言うの、V−E−R−Aよ」と名前を教えてくれた。92歳と言うが、言葉はハッキリしているし、ゆっくり話してくれるので聞き取りやすかった。

 

PA12:30、インフォメーション・センターで教えてもらったコースを歩き始めた。これだけ美しい海岸線は、滅多にお目にかからない。

 

   

               マンリー・ビーチ−3

 

   

              マンリー・ビーチ−4

 

人々は思い思いに散策し、ジョギングし、寝そべっている。暫く歩くと崖を登っていくコースになった。「景色は十分堪能できたから、もういいのだが」と思いながらも、ついつい深みにはまって行く。最後は人気の無いブッシュを歩く事に。

 

   

              マンリーのブッシュ

 

1時間も歩いただろうか。岬の上のインフォメーション・センターに辿り着く。其処の担当婦人は、50歳ぐらいで、「桜の時期に日本に行き、美しい景色を堪能してきました」と言っていた。「岬の突端まで行けばもっといい所がありますよ」と言うが、切がないので引き上げる事にした。今日はマンリーの美しい景色を堪能できて満足だ。

 

フェリーに乗る前にもう一度スーパーマーケットにより、夕飯の材料を見繕う。キングサーモンの頭を売っていたので、塩焼きにして食べる事に。YHAで塩焼きとは、私も大胆になってきたものだ。それとアボリジニの音楽でディジュリドゥーを使ったCDを1枚買った。25ドル也。

 

PM14:45発のフェリーで、サーキュラー・キーへ戻り、暫く大道芸人のパフォーマンスを楽しんだ。

 

   

              ディジュリドゥーを吹く

 

ロックスを通りかかると、古い建物を背景にモデルの撮影が行われていた。近付いて行き「1枚撮っても良いですか」と言うと、モデルが「構いませんよ、どうぞ」と言うので、1枚だけ写してきた。が残念ながら目を閉じていて此処には載せられなかった。PM16:00YHAに帰宅。

 

   

             ロックスの古い建物

 

PM17:30から夕食の支度。サーモンの塩焼きは、期待したほど身が付いてなくて残念でした。夕食後は日記を書き、シャワーを浴びる。髭を剃っていると、カミソリの電池が弱くなってきた。電池は、毎日使うと、ほぼ1ヶ月で切れる事が経験上分かっているが、今回もそれに近い。PM22:00就寝。今夜も割と広い4人部屋に1人だ。

 

 

6月21日(月)

 

AM6:30、起床。今日はブリスベン(Brisbaneへ移動だ。さすがにシドニーは大都会。いくらか分かりかけた所でお仕舞いだ。もう少し時間が欲しかった。朝食後パッキング、チェックアウト。外は雨だ。AM9:00の予約で、空港行きのシャトルバスを待っているが、なかなか来ない。その間、1階の立て看板を見ていると、「此処、シドニー・ハーバーYHA敷地から歴史的遺物が発掘された為に、歴史研究の一環として広く公開している」と書かれていた。

 

「そういう事だったのか」。私は、今まで「1階の床が張られていないので、YHAが、建築途中で見切りオープンしたのかな」と思っていたのでした。シャトルバスが遅れたために、大事な事に気が付いたわけだ。それも帰る段になってから。大急ぎで受付へ上がって行き「下の発掘に関する資料を下さい」と言うと、1枚のパンフレットをくれた。

 

AM9:15、やっとシャトルバスが来た。まだ誰も乗っていない。これからあちこちのホテルを回って客をピックアップするわけだ。外は雨が降り続いている。移動日だから観光には支障が無い。シャトルバスは、市内をかなりのスピードで走り回り、私を含めて3人をピックアップしただけだ。このサービス業も、楽な商売ではないと思った。

 

AM10:10シドニー・ドメスティック空港着。チェックイン後テレビの前に来ると、丁度ゴルフのUSオープン決勝ラウンドが放映されていた。石川遼君が映らないところを見ると、「予選で敗退したのかな」と思う。(後で分かった情報では、予選を2位で通過し、最終結果は33位であったと)初めて見る選手が優勝していた。

 

AM11:50、搭乗。PM13:30ブリスベン空港安着。案内所でYHAへの行き方を尋ねると、エアートレイン(Airtrain)を教えてくれた。空港からブリスベン市内まで30分。15ドルでした。ローマ通り(Rome Street)駅で下り、其処から10分近く歩いた高台に、YHAはありました。

 

初めからその目的で建てられたと思われるような、新しくて機能的に出来たホステルである。受け付けの女性は、私が日本人だと分かると、聞きかじりの日本語を連発していた。「日本には行ったことが無いけど、すごく興味があります」と言っていた。

 

電子ロックの部屋に行くと、誰も居なかったが、ベッドは3つが使用されていたので、残りの1つに荷物を下ろした。シャワー・トイレ付だが、部屋自体は広くない。荷物を置いて寝るだけの部屋だ。

 

PM15:30、手持ちのオーストラリア・ドルが無くなって来たので、両替に出かける。ANZ銀行が一番両替率は良かろうと思い、受付で聞いた場所を探して行く。5分ほどの所にあったのだが「此処は支店で国際的な事務は扱っていないので、市内中央にある銀行まで行ってくれ」と言う。私は其処から10分ほど探し歩いて、目的の銀行に辿り着いた。

 

日本円のトラベラーズ・チェックを出すと「今日のレートは83円で、手数料が7ドル掛かりますが、宜しいですか?」と言う。「おかしいな、ダーウィンで両替した時は、手数料は不要でしたが」と言ってみたが、「その方が間違っている」と言って譲らない。此処は私が妥協するしかないが、「同じ銀行で、どうして手数料を取ったり、取らなかったりするのか」知りたい物だ。日本の銀行では、その類のばらつきは無いと思うのだが。

 

次はスーパーマーケットのコールズを探す。YHAの受付で聞いてきたので、銀行へ行く道々でキョロキョロして見たが、それらしい物は見当たらなかった。3人目のおばさん(60歳前後)に尋ねると、「私もその近くまで行くので、付いてきなさい」と言う。

 

道中、彼女は「以前はタスマニア島に住んでいたが、10年前にブリスベンに越して来たの。こちらは暖かくて良いけど、私達住人にとっては、どうって事無い街ですよ。ブリスベンに来て、銀行に行ったりスーパーに行ったりでは、何をしに来たのか分からないわね」と言う。物事をハッキリ言うおばさんだ。

 

目的のスーパーマーケット、コールズは、大通りから、高台までエレベーターで上がり、更に少し歩いた所の、他の建物の裏手にありました。こんな所では、分からないはずだ。夕食のメニューは、久しぶりに、ご飯、目玉焼き、それにシーフード・ミックス。

 

 

相部屋の1人はドイツ人青年。比較的流暢な英語を話す。「大学を終えて旅行をしている。国へ帰ったら軍隊に入るのが原則だが、それは拒否したい。アメリカや中国が、いつ戦争を始めるか分からないから。その代わりとして、社会奉仕活動をすることになる。その間の報酬は微々たる物である」と言っていた。パソコンをした後、PM21:30に就寝。


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