4.帰り道での旅行     4月1日〜4月10日

       (クライストチャーチからオークランドまで)


4月1日(水)晴れ 21℃

AM7:30、ロバートにクライストチャーチ駅まで送ってもらった。ロバートも鉄道の駅に行くのは2回目だと言い、地図で場所を確認していた。それほど鉄道にはなじみが無い。今日私が乗る鉄道、トランツ・アルパイン(TRANZALPINE)も、観光用であって、地元の人は使わないのであろう。それでも、駅についてみると、大勢の人が座席を決めてもらうのに並んでいた。


指定された座席に行くと、向かい側に私と同年ぐらいの男性が座っていた。「日本から来ました」と挨拶をすると、向かいの男性は、「ニュージーランドの北島の田舎から来ました。今日は之から行くグレイマウスで、コミュニティによる成人向け教育の全国大会があり、そこに参加する為に来ました。この列車に関係者が100人ほど乗っています」と愛想良く応じてくれた。


間も無く仲間のご婦人(50歳代後半)が来て横に座り、既に座っていた30歳代の女性(南アフリカから3週間の旅行)とで4人揃った。今日の主役は全国大会に出席する二人。全国大会は毎年場所を変えて行われ、参加者の慰労も兼ねているようだ。

    

   トランツアルパイン号         北島から来た男性教育者


    

  ダンスの好きな小学校教師        南アフリカからの旅行者


ご婦人は「あたしの得意なのはダンス。世界のあらゆるダンスに興味があるの。小学校の教師だから、全教科教えているけれど。普段は小学生の面倒を見ているが、今日はリラックスして羽を伸ばせるわ。私の家にも日本からホームステイが来ていた事があるの。住所と電話番号を書くから、知り合いを紹介して頂戴」と元気いっぱいだ。


向かいの男性は、「私は、20年以上も前の日本車に乗っているが、何処も傷んでいない。新しいのを買っても良いのだが、勿体無いから」と言う。そして、簡単な例を引いて、私に英文法の時制について講義してくれた。一つの典型的なパターンを、きちんと覚えておけば応用できるのであろうが、それが出来ていないから、何時までたっても上達しない。私のメモ帳に書いてくれたのは次の原則と、例である。


(原則)

       If                         Then

1.   Present              Present (simple)

2.   Present               Future

3.   Past                    Would+infinitive(-to)

4.   Past Perfect      Would+have+PP


(例)

                                                                                         Conditional

1.      If students study, they pass.                                ( general)

2.      If you study, you will pass.                                   (possible, likely)

3.      If you studied (then) you would pass.                 (unlikely)

4.      If you had studied, you would have passed.      (impossible)


南アフリカからの女性は、ヨハネスブルグに住んでいると言うので、私がサッカーのワールドカップ開催の事や、金鉱の採掘について話を向けると、待っていましたとばかりに話し始めた。彼女は、世界に100社ほど有る会社を束ねる大会社(SASOL)の経理担当者で、何やら大きなレポートをまとめて、休暇を貰って来たと言う。ニコンの大きなカメラを持っていた。


南アフリカとニュージーランドは、地理的には遠いのに、同じ英語圏だから、すぐに話が盛り上がる。こう言う時は、つくづく羨ましいなと思う。私の英語では言いたいことの、10%ぐらいしか言えないから。


列車は、荒々しく氷河に削られて、垂直に落ちる峡谷を左右に見ながら、ゆっくりと進んでいる。よくもこんな所を列車が走るものだと、感心したり、心配したりしていると、「この先は工事中の為、列車の運転は次の停車駅、アーサーズ・パス(Arthur’s Pass)までになります。皆さんは全員バスに乗り換えてください」と言う車内放送があった。


   

             アーサーズ・パス駅


「おいおい!そんな話聞いてないよ!」と思いながらも、こんな山の中で抗議しても(私の英語では抗議するのは無理か?)始まらないから、おとなしく待機中のバスに乗り換えた。バスは乗客の人数も確認せずに走り出した。こんなところで乗り損なう人は、居ないとは思うが、全く心配している風でもない。


   

            全員下車してバスに乗り換え


バスでの隣席は香港から来た30歳代の女性だ。「香港での母語は広東語、第二言語が英語、第三言語が北京語です。仕事は看護婦で、通常は広東語で足りており、時折見える外国人とのコミュニケーションに英語が必要になる程度です」と言う。英語の発音に、クイーンズタウンで会った香港人男性と、同じような癖があり、聞き取りにくかった。


それでもバスは予定の10分遅れで、PM12:55に目的地のグレイマウス(Greymouth)に到着した。乗り換えのバスはPM1:00発になっているが、まだ到着していない。案内所で聞くと「もうじき来るから、ここで待ってなさい」と言うだけ。心配しながら待っていると、20分遅れでマイクロバスが到着。乗客は吾人を入れて5人。

  

                グレイマウス駅


65歳になると言う運転手はフレンドリーで「今日は列車がストップして、大混乱している」と言いながら発車した。少し走ると海が見えて来た。クライストチャーチのある太平洋から、南島を横断してタスマン海(Tasman Sea)に来たのだ。天気晴朗なれど波高し。ゴーゴーと言う波の音が途切れなく続く。突き当りを右に折れると、右側は高い崖、左側は断崖絶壁の道路。


この余り広くない、片側一車線の曲りくねった道路を、アクセル全開で走る。体が左右に持って行かれそうだ。1時間ほど走った所で観光名所の「パンケーキ岩:Pancake Rocks」で30分の休憩。食パンを薄く切ったような岩が、何十層にも重なっている珍しい光景である。断崖絶壁と、それに打ち寄せる激しい波、そして地層と時間が織り成した造形か。

      

              パンケーキ・ロック

  

そこから5分ほどで、今夜の宿泊所のプナカイキ・ビーチ・ホステル(Punakaiki Beach Hostel)に到着。こちらはBBH(Budget Backpacker Hostel)と言って、YHAとは別のグループだが、同様に安く、ニュージーランドには350件ほどある。


時刻はPM3:00。ビーチ・ホステルの名に相応しく、窓の外には180度に広がる水平線がくっきり。まだ陽が高く客はまばらであった。受付に行くと50歳代の親父が、キーを渡してくれた。昔流行ったTVドラマの「逃亡者:The fugitive」の主人公、リチャード・キンブルに似て、なかなか渋い男だ。部屋に入ると、5人部屋になっており、まだ誰も来ていない。

   

           プナカイキ・ビーチ・ホステル


ここは白く大きな波と、波の砕けるゴーという音だけが、地球の鼓動を感じさせる事象で、後は何も存在していないかのように静かである。マイクロバスに乗っていた5人のうち、私ともう一人の青年が此処で降りた。その青年(20歳代後半)は「イギリスからニュージーランドに来てもう半年になる。この後何時までいるのか、何処に行くのか何も決めていない。風の吹くままである」と言いながら、海を見つめている。

   

           波の砕ける音だけが聞こえてくる

受付で貰ったパンフレットには、近くのトレッキング場所が紹介されていたので、行って見ることに。宿から10分ほどで、海に注ぐ川があり、その川沿いがトレッキング場所になっていた。目が眩むような、断崖絶壁の間をゆったりと流れる川。トレッキング用に砂利が撒かれて歩き易くなっているが、何と言っても一人だ。回りは全く人の気配がしない。


こんな景色を独り占めにしている贅沢と、恐ろしいまでの孤独感。何処までも歩いて行きたい気持ちと、途中で何物かに襲われはしないか、と言う恐怖心の戦いは30分で終了。白旗を揚げて戻ることにした。後から確認したら、区切りの良い所まで行くのに、片道1時間の道のりだそうだ。

      

              断崖絶壁と静寂!


まだ5時前で夕食には早いので、一旦宿に戻り休んでいると、若い二人連れの女性が入ってきた。ドイツから来た姉妹だ。妹は「高校を卒業し、大学に入る間の1年間をニュ−ジーランド旅行に当てている。高校時代にアルバイトで旅行費用は貯めました。去年の8月からきているから何ヶ月たったかしら。


もうお金がなくなってきたから、これからの旅行費用はどこかで働いて稼ぐつもりです。6月に帰ります。帰ったらオランダの大学に入学の希望を出して、英語と世界経済を専攻する予定です。姉と一緒に二つの国立公園の山を、それぞれ8日間、11日間掛けて歩いてきました」と屈託無く話す。私と一緒にホームステイしていた、リオとは比べ物にならないほど流暢な英語だ。ネイティブかと思うほどである。


姉の方は「大学在学中で、2ヶ月間の春休みを利用して、妹に合流した。専攻は英語と、生物学。卒業したら中学校の教師になる予定。父は公務員、母は英語の教師」と、こちらも流暢な英語。「なぜ専攻科目が1つではなくて、2つなんですか」と聞くと、「ドイツの中学校・高等学校の教師は、2科目ずつ授業を担当するように決められている」と言う。


そして「大学入学前の青年が、どうして1年間も旅行をしていられるのか」との質問に、そんなことを聞かれたことに戸惑いながらも「高校時代の成績が評価されるから」との返答。つまり入学試験は有るが、日本の大学入学選抜試験とは大分異なるようなのだ。


「若い時に旅行をして、世界を見ておくのは大事なことです」とは姉の言葉。ごもっともです!日本の若者にも、こんなチャンスを与えられないだろうか?海外旅行も大学入学の選抜に際し、評価の対象になるのかな?とにかく、人を評価するのに、ペーパーテストだけではだめだ、と言う考え方は日本よりも進んでいると思う。


夕食はホステルから徒歩1分のところに1軒だけあるパブで。メニューの中からスパゲッティを頼んだ。先日のテ・アナウでの量の多さに懲りて、今日は前菜のスープは頼まず、メイン・ディッシュだけにした。しかし、出された料理はこれまた山盛り、こんなに誰が食うの。味も濃い目。見るからにカロリーたっぷり。食っても、食っても減らない量。少々美味しくても余りに量が多いと、ウンザリしてしまう。最後は格闘技だ。


宿に戻ってシャワーを浴び、ゆっくりしていると、妹の方が、「洗濯物を部屋の中に干しても良いですか?外は寒くなって乾きにくいので」と言う。「Do you mind ~~~~~~? で聞かれたら何と答えるんだったかな「No, I don’t mind~~~~~~~.」だったっけ?TVの英会話講座では何度も出てきたパターンだが、身に付いてないから、いざと言うときに使えない。私は少々戸惑いながらも「どうぞ、どうぞ」の気持ちで「Please, Please」というのが精一杯。


部屋に持ち込まれた洗濯物は、先ほど外で干されていた時に、「誰がこんなに沢山の洗濯をしたのだろう」と感心していたものであった。勿論その中には何枚かの下着も!それが無造作に私の目の前に!「おい!おじさんは、まだ死んではいないぞ!!」彼女たちの流暢な英語と、下着にノックアウト状態のオジサンであった。なんとも屈託のない生き方ではないか。日本人女性に之が出来るかな?結局今夜は、5人部屋に3人だけであった。


    

    ドイツ人姉妹             プナカイキ・ビーチ


4月2日(木)晴れ20℃


今日は移動の日。PM2:20のバスの時間までゆっくり出来る。朝飯は、昨日のランチにとローズマリーが持たせてくれた、サンドイッチの半分とインスタントの味噌汁。この組み合わせは、なかなか宜しい。同室の姉妹もそれぞれ朝食を取っている。西洋人らしくシリアルが基本のようで、それにリンゴやバナナを入れたりして、工夫をして食べる。私も食べないわけではないが、色々な穀類を混ぜたシリアルを見ると、何故か動物の餌に見えて食欲が湧かない。彼ら西欧人から見ると、白米や味噌汁はどのように感じるのであろうか。


姉妹は部屋に戻って、チェックアウトの支度だ。洗濯物を手にして「まだ乾いてないわ」と言っている。その後どうしたか知らないが、二人は車で旅行中ということだから、何とかなるだろう。妹はまだ運転できないので、姉が一人で運転していると言う。レンタカーは日本のマツダ車だ。「凄く良い車です」と言っていた。


午前中、日記を書きながら、計らずも、チェックアウト後の、掃除の一部始終を見る機会に恵まれた。数人の従業員がキッチン、トイレ、ガラス窓、床、あらゆる所を丁寧に磨いて行く。最後には、バキュームカーが来て、汚物を汲み取ってゆく。宿の主人が、作業服姿で先陣を切っている。


私が「“生水を飲まないように”と張り紙がされているが、ホームステイでは、ニュージーランドの水道水は、其のまま飲んで良いですよ、と聞いたのだが」と主人に質問すると、「役人が、このように張り紙を出すように、指導しているのだ。何かあったときに、自分たちが責任を取りたくないから。俺は役人や、政治家の言うことは信用しないよ。やつらの言うとおりにやってどうだい、今の世界経済は?」と、普段から余程怨念が溜まっているような口ぶりである。


PM1:00に昼食だ。昨日の夕食と同じパブで。また来たなとボーイがにっこり。メニューを見て魚(Fish)の字に目が止り、それをオーダーした。しばらくして出て来たのは、所謂フィッシュ・&チップスと言うやつ。アカロアに行った時、頼みそこなった白身魚のフライと、ポテトフライだ。あちらでは10ドルだったが此処では19.5ドル。少し高いが、マ、いいか?


PM2:20BBH前のバス亭に行くと、イギリスから来た女性も同じバスを待っていた。「イギリスでは、知的障害者のケアをしています。こちらのBBHでは3日間のんびりしていました」と言う。行動的なドイツ人姉妹とは違って、いかにも繊細そうな女性でした。


昨日と同じ会社のマイクロバスで、途中で2箇所ほど小休止した。一つの休憩所でリンゴを買ってかじっていると、もう一人、同じようにリンゴをかじっている女性が居た。「ニュージーランドのリンゴは美味しいですね」と声を掛けると、その女性は「ブラジルから英語の勉強に来ました。オークランドに戻ったら語学学校に行きます。ブラジルからは、アルゼンチンのブエノスアイレスで乗り換え、オークランドまで14時間掛かりました」と。とてもたどたどしい英語で、「この人大丈夫かな」と心配になる位であった。


再び我々を乗せた車(アトミック・シャトル:Atomic Shuttle)は、ひたすら走るだけ。いすのクッションは硬く、馬力はない。快適な乗り心地とは、到底言えない車でした。今日は、ひたすら移動日と決めて諦めるしかあるまい。


    

     BBH裏の道路            マイクロバスで走る


PM7:00過ぎ、YHAネルソン・セントラル(YHA Nelson Central)に到着。受付に行くと、YHAでは始めての日本人スタッフに会う。彼女の話では「広島県の出身。初めはワーキング・ホリデイで来たのだが、もう6年になります。今はこちらに家も建て、ローンの支払いがあるので、此処で頑張って働いています」と言う。英語、日本語の両刀使いでテキパキと応対していた。


部屋のキーを貰って部屋に入ると、何とそこは7人部屋になっていた。4人部屋で頼んだはずだが。受付でその旨を話すと、「4人部屋が空いているので変更できますよ」と言う。1泊2ドルの追加料金を払って変更してもらった。7人部屋と4人部屋とでは全く圧迫感が違うのである。


受付で、夕食の取れる場所を教えてもらって、行って見たが、既に閉まっているようであった。なんとか有り付いたのが、パン屋さん。行って見ると数人が並んでいて、その場でサンドイッチを調理してもらっている。私の番が来て「どのように作りますか」と聞かれた時、注文の仕方が分からないので「前の人と同じものを」と言うと、前の人と、調理している人とが笑っていた。


日本の昔のコッペパンより、柔らかくて大きいパンに、チーズを乗せて、オーブンで焼く。その後でハム、野菜数種類、を乗せて好みのドレッシングを掛けて貰う。ハムは7枚、チーズは5枚も挟まれてボリュームたっぷりだ。之を次々と手際よくさばいている。8ドル支払って持ち帰り、YHAに戻って之をほおばったら、美味しかった。半分は明日の朝食に残しておく事にした。


部屋には私の他に、二人の大きなバッグが置いてある。一人はオランダからの青年で、これから大学院へ進むところだと言う。もう一人は私が寝た後に入室し、翌朝、私が部屋を出る時はまだ寝ていたので、どういう人だか分からなかった。この日は4人部屋に3人で寝ていた。


4月3日(金)晴れ 22℃


AM6:30に起床。他の二人はまだ寝ている。洗面後、昨晩の残りのサンドイッチをかぶりついて、腹ごしらえ。AM7:20に待ち合わせのバス停へ。何時ものように20分ほど待たされ、バスはAM7:40に到着。既に20人ほどの人を、どこかでピックアップして来ていた。運転手は50歳位の元気な男性。吾人がセーターにウインドブレーカーを着込み、モモシキまで履いているのに、彼は半ズボンだ。


だいたい、今日の1日ツアー(エイベル・タスマン国立公園:Abel Tasman National Park)は、ホームステイのローズマリーが、是非行くべきだと薦めてくれた所から始まった。そして「現地についてから予約を入れたんでは時間がないから、今此処でインターネット予約をしたほうが良い」と言うアドバイスに従ったのだが。ネットでは予約後に確認のメールが入ると書かれていたのに、結局メールは来なかった。


あせって電話を入れると「今から言う待ち合わせ場所に来ればOKだ」となんともいい加減だ。私が控えていた予約Noのメモだけが唯一の頼りだ。運転手は、私の名前を確認してOKと言うだけ。今日の時間帯も、コースも何も分からないままだ。しかしママよ、「そのうち何とかなるだろう」と言うことで、バスに乗り込んだ。


道中、運転手による英語の案内が続くが、殆ど分からない。「この町の名前であるネルソンは、ネルソン提督が始めてこの地に上陸したことから来ている」、と言うようなことを話しているように聞こえたが確信はない。海に続く広大な干潟に沢山の鳥が飛んでいる。


途中、一時停車した所で、4人の子供をピックアップ。2人の大人が手を振って見送っている。子供だけの日帰りツアーかと思っていたら、30分ほど走った所で4人の子供は下車した。何処に行くのかと行方を追ったら学校であった!観光バスが小学生の通学の足を兼ねていたのだ。こんな例も日本では聞いたことがない。


AM9:10、カイテリテリ(Kaiteriteri)の浜辺に到着。此処で半数ぐらいがバスから下りていく。雰囲気から判断すると、私もここで下りる方の人らしい。何せ、何の説明書も無いのだ。運転手に聞くと、どうやら下りる方に入っているらしい。「あそこの受付でチケットを受け取れ」と言う。確信の無いまま、「何とかなるだろう」で車から下り、皆が並んでいる受付の前に自分も並んだ。


自分の番が来て名前を言うと、美人のお姉さんが、チケットをくれた。そのチケットを見ると、どうやら、此処から船に乗って何処かへ行くようだ。船の出港はAM9:30となっている。お茶を飲む時間も、ランチを購入する時間も無い。既に大勢の人が船のほうに向かって歩いている。


   

            乗船(カイテリテリにて)


見ると、杖をもち補聴器を付けた、80歳前後かと思われる、年配の人が大勢来ていた。この人達がどういう人達かは、追々分かってくる。砂浜に船から降ろされた梯子を上るのも一仕事だ。さざ波を除けきれずに、裸足になる人も居る。私もその列に並んで船員にチケットを見せる。船員が笑顔で挨拶を返してくれた所を見ると、俺はこの船の客人らしい。


船員の顔を見ると、顔全体は赤く日焼けしているが、目の周りが白っぽくなっている。どうしたんだろう?何か日焼け止めでも塗っているのかな、それとも白人の特徴なのかな?と考えていた謎が解けた。其れは、彼が紫外線をよける為に、何時もサングラスをかけているので、そこだけが白くなっているのだ。紫外線の強いニュージーランドでは、目の周りが白くなっている人を、よく見かけるのである。


景色の良く見えるデッキに席を取ろうと行ってみると、もう座れる椅子は無かった。キャビンに入り、自分が座れそうなところを見繕って席に着いた。その席に座ったことが、今日の吾人の運命を大きく決めることになる。私が座ったテーブルの前には、70歳前後の婦人が2人。何やら親しげに談笑中だ。


私が「日本から来ました」と挨拶をすると、一人が「オーストラリアのメルボルンから」、もう一人は「地元のネルソンから」と言う。「お友達ですか」と聞くと「そうです」と。私はきっと古くからの友人なのであろう、と勝手に思っていた。二人の前には、この船の航行ルートを示した、地図の書かれたパンフレットが置かれていた。殆どの人が同じものを持っている。吾人は相変わらず何も持っていない。

    

     船中で談笑            エイベル・タスマン(1)


婦人の一人が「あなたは何も持っていないんですか?」と怪訝な顔をしている。「はい、インターネットで申し込んだので」と言うと、立ち上がって、船の中にある、似たようなパンフレットを持って来てくれた。そこに書かれた航路を見て、「今此処まで来たんだわ」と言う話になっている。


私は先ほど浜辺で貰ったチケットと、航路とを見比べながら、AM11:00に、トンガ(Tonga)で船を下り、そこから海岸沿いの山道を2時間ほど歩いて戻り、PM2:40に、メドランド(Medlands)で、この船にピックアップされて、PM4:00に、元の浜辺(カイテリテリ:Kaiteriteri)まで帰る、と言う見当を付けた。偶然にも二人の夫人と同じ道程であることが分かった。


道中、観光用パンフレットで良く見る、リンゴが真二つに割れた形の岩(Split Apple Rock)を見ることが出来たが、キャビンの中にいた事と、完全に逆光線だったことで、写真に取ることは断念した。他に小さなアザラシ(seal)が岩の上で群れを成していたり、大きな鳥がいたりしたが、何よりも目を引いたのは、海岸線の美しさである。あちこちに現れる綺麗な砂浜は金色に輝き、その美しさを独り占めに出来る贅沢を感じざるを得ない。


   

            エイベル・タスマン(2) 


トンガで我々3人と、他に2人の男性が下船した。地元の婦人は2度目だと言っていたので心強い。3人で歩きながら少しずつ話していると、二人の婦人は「カトリック教のシスター(sister:修道女)であり、ナン(nun)とも言う。名前をジューン(June)と、キャサリン(Katharine)と言い、シドニーから来たジューンは、今もシスターであるが、地元のキャサリンは20年前に還俗した。二人は3年前のそういう仲間での、ヨーロッパ旅行で知り合い、友達になった」と話してくれた。


私は「シスターと言うのは、小説の中でしか知りませんでした」と言うと、「ドラマチックで、お祈りばかりしているやつね。実際はそんなのではないのよ。こうやって旅行もするし」と。「お二人は独身ですか?」「そうですよ」「結婚したいと思ったことはないのですか?」「それは無いわね」「シスターになった動機は?」「感ずるものがあったのよ」と。歩きながらの会話である。


「あなたは仏教徒でしょ。坊さんの雰囲気を持っているわね」「実は、若いころに坊さんになりたいと、思ったことがあるんですよ」と。海が見え隠れする海岸線の小道を、互いに前になったり、後ろを歩いたりしながらの、約2時間の行程であった。我々の前後には誰も居ない。時折すれ違う人と挨拶を交わす程度だ。


その中にスイスから来たと言う美しい女性と、アメリカのオレゴン州から来たと言って、大きなリュックを背負って山道を登ってくる女性の姿が印象的であった。ヨーロッパ、オーストラリア、カナダからの人には沢山出会ったが、アメリカ合衆国から来た人に会ったのは珍しい。何か理由が有るのかしら。


    

     スイス人女性             アメリカ人女性


ハイキングが終わりに近付いて、砂浜に下りようとしたら、潮が上げていて降りられない事が分かった。「そう言えば、10分ほど前の所に、立て札があって、高潮(High Tide)のときは右のコース、引き潮(Low Tide)のときは左のコースと書いてありましたよ」と言うと、「あら、そうだったの、話に夢中に成っていて、気が付かなかったわ」との事。


キャサリンは、この道の経験者だから、立て札のことも頭に入れて歩いている、と私は思っていたのだ。3人は少し戻って、高潮の時のコースを歩くことになった。「マサ(私の愛称)が居てくれて良かったわ」と感謝された。


    

   ジューンとキャサリン       高潮時・引き潮時のコース案内 


PM1:00頃、どうにか帰りの船にピックアップしてもらう浜辺に下りることが出来た。ここで昼食を取ることに。私は弁当を用意するチャンスも無かったが、現地に行けば何か売っているだろうと、考えていたのが甘かった。此処には一件の店も無いのである。


事情を察した二人のシスターは、自分たちが持って来た、サンドイッチの一つとバナナを私にくれた。自分たちは、もう片方の一人分を二人で分け合っているではないか!私は思わず目頭が熱くなった。シドニーから来ていたジューンが「之がニュージーランドのホスピタリティ(Hopitality:もてなし)です」と言う。感謝・感謝であった。


ここの浜辺では10人位の人が、思い思いに過ごしていた。泳いでいる人、甲羅干しをしている人、懇談している人。食後に、まだ時間があったので、それらの人のところへ行って声を掛けて見た。皆気さくに挨拶を返してくれ、日本から来たと言うと、逆に色々話し掛けて来る。80歳ぐらいの夫婦らしき二人は、元気に泳いでいる。こちらはモモシキまで履いているのに!「写真を取っても良いですか」と言うと、二人でポーズを取ってくれた。


また若い二人連れが居て、女性のほうは水着姿である。何処から来たのと聞くと、女性は「カナダのトロント」、男性は「ニュージーランドのウエリントン」と言うではないか。「随分遠くに離れているけど、二人はどういう間柄なの」と聞くと、一瞬ためらった後「インターネットで知り合ったボーイフレンド、ガールフレンドです」と言う。


此処にも最近流行のインターネット・カップルが居た。彼女に「貴方は将来ウエリントンに住むようになるのかな」と水を向けると「そうなるかも」と言う。「両親が寂しがるだろうな」と言うと「そうですか?」と言っている。親の心、子知らずか。


     

     熟年カップル           インターネット・カップル

迎えの船が来るまでに、まだ時間があったので、近くで休んでいた70歳前後の婦人に声を掛けた。地元から来た人で、「“Friendship force”と言う世界的広がりを持つ組織の行事の一環として、今日は着ました。今回は私たちが主催する番でした。日本にもこの組織は有りますよ」と言う。


後で調べてみると確かに日本にもあった。「ホームステイという形で、国の違う市民同士が生活を共にし、文化の違いや類似点を発見し、相互理解を深める国際交流の非営利団体です」とホームページに紹介されている。


そして、このご婦人は「私の家でも日本からのホームステイを7人ほど預かりました。去年そのご縁で北海道に行った時、大歓迎を受けて感激したわ。英語を上手になるには、日本語で書いてから英語に翻訳するのではなく、直接英語で書く練習をすることが大事です。英語と日本語では言葉の成り立ちが違いますから」と、いきなり本質論に入ってきた。


私が「Lovelyには色々な意味があるようですね」と聞くと、質問に答える前に発音の誤りを指摘された。「LRVBの区別が日本人は苦手なのよね。Lovelyにはその両方が入っているわ」と言って、砂浜で即席の発音の練習だ。何回か繰り返しやらされてやっと「Good!」と言われた。


       

      帰り船              LRの発音は・・・


そして「Lovelyの意味は一つだけです。ただし、人間に対して使ったり、天候に対して使ったり、色々なところに使いますが。“素晴らしい”ということです」と、この婆さん、ただものではなさそうだ。今まで聞いた誰よりも、発音がきちんとしているし、言っていることも的確である。


こうして今日の日帰り旅行は、終わりに近付くのであるが、今朝同じ船に乗り合わせた、杖を持ち、補聴器を付けた人達は、地元の「リタイアメント・グループの人々、30人である」と後から聞かされた。いずれにしろ、80歳前後のお年寄りたちが、船に乗って日帰り旅行をする光景は、日本では見られないかも。


晴天に恵まれ、景色も素晴らしかったが、それ以上に、様々な人々に会って、色々な人間模様に接したことの方に、より深く感動した一日であった。

       

           エイベル・タスマン(3)

夕食は、YHAの日本人スタッフに教えてもらった、庶民的な中華料理店での肉入りヌードル。今夜の4人部屋は、結局、誰も入って来ず、私一人。こんな事は珍しい。1泊28ドルで一部屋貸して貰えるなんて、ホテルでは絶対にありえない。YHAには何が起こるか予想が出来ない面白さがある。日本人の受付嬢が、気を使ってくれたのかな?翌朝「昨晩は一人だけでした」と言うと、「夕べは、それ程お客さんも多くなかったので」と言っていた。


4月4日(土)晴れ 22℃


AM9:10、例のマイクロバスがYHA前で吾人をピックアップ。途中から若い英国人の3人グループ(男性2人、女性1人)が乗ってきた。30歳前後の年長の男性は、サウンド技師(Sound Engineer)をしており18ヶ月間にわたる旅行中だ。23歳前後の若い男性は、イギリス空軍の兵士で、2週間の旅行中だという。女性のことは聴きそびれたが25歳前後。英国から一緒に出て来たのではなく、旅行中にたまたま出会った仲間のようである。


今の時代に生きて、英語を母語とする連中は、本当に大きな強み、アドバンテージ(Advantage)を持っていると思う。彼らにそう言うと、彼らも、「そう思う」と認めている。少々出来の悪い奴でも、英語が話せると言うだけで、我が物顔で世界を闊歩している。チョッと気が利く奴は、母語の文法も知らないくせに、英語の教師と称して金を稼ぎながら。之が現実である。


AM12:00、南島の北端にあるピクトン港(Picton)に到着。港の受付で予約済みの乗船券を貰い、持参のサンドイッチで腹ごしらえ。さすがに大勢の人で賑わっている。PM1:00、乗船開始。静かで、すわり心地の良さそうな場所を探し、コーヒーを一杯。外の景色を見る以外にすることが無いので、パソコンを取り出して日記を書く。パソコンは、時間潰しにはモッテコイである。湾内を航行中は静かだった船も、島影の見えない外洋に出ると、ゆっくりと揺れた。


      

               ピクトン港


PM4:20、ウエリントン(Wellington)に到着。大勢の人が下船。その瞬間から、別の国へ来たのかなと錯覚する位、街の雰囲気が変わった。さすがにウエリントンはニュージーランドの首都だと思わせる賑わい。高層ビル、多くの人と車の往来。まるで東京に来たようだ。


港のスタッフにYHAへの行き方を尋ねると、親切に地図を広げて教えてくれた。「此処から鉄道の駅までは、無料のシャトルバスが出ているので、それを使うと良い。そこからは、バスかタクシーで」と。


鉄道のウエリントン駅まで来て、なんとなく頼りがいのありそうな男に、「YHAまで行きたいのだが」と言うと、「それなら、そこに止っている車に乗りなさい」と言う。そのバスには、「スーパー・シャトル:Super Shuttle」と書いてあり、更に良く見ると幾つかの金額も書かれている。


無料なのか、有料なのか、有料なら幾らなのか、本当は聞くべきであろう。しかし聞いたところでそれが適当な料金なのか、全く見当がつかない。車内を覗くと、私と同じような旅人風の人が数人乗っていた。「まあいいか」と、その車に乗った。


すると、結構美人の女性が笑顔で「また会いましたね」と声を掛けてくるではないか。私は「はてな、何処で会ったっけ」全く心当たりが無い。そこで「何処でお会いしましたかね」と聞くと、なかなか返事が返ってこない。「何時でしたっけ」と聞いてもなんとなく返答に詰まっている。そこで思い出したのが、4月2日に会ったブラジルの女性であった。


あの時も、なかなか英語の通じない女性で、戸惑ったっけ。「そう言えば、リンゴを一緒に食べていた!」と言うと、「そうです」と言う。やっと誰だか分かったところで、「今夜はどちらのお泊りですか」と聞くと、YHAと書かれた書類を見せてくれた。この人も私と同じYHAなのかなと思いながら、運転手との会話を聞いていると、YHAではなく、ホテルに泊まるらしい。


彼女はYHA近くのホテルで下車して行った。ところが、私がYHAの受付でチェックインの手続きをしていると、彼女が私の肩をたたいて笑っている。「どうしたの」と私。「私、間違えてしまった、此処だったの」と彼女。思っていた通りだ。


この程度のやり取りも出来ないで、よく一人で来たなと感心するばかりであった。シャトルの料金は結局15ドル請求されたが、その時点では之が高いか安いかは判断できない。YHAで、明日の集合予定になっている、鉄道のウエリントン駅までの行き方を聞いたとき、「すぐそこのバス停から1ドルで行きます」と教えられた。


翌朝、私は教えられたとおり、1ドルでウエリントン駅まで来た。私と同じYHAから大きな荷物を抱えて、ウエリントン駅までタクシーでやって来た、マレーシアの青年に聞くと、「10ドルで来ました」と言う。タクシーで10ドルなのに、乗り合いバスでどうして15ドルなの?やっぱり変だ!!土地勘の無い所では時々痛い目にあう。


今夜の宿泊所であるYHAウエリントン・シティは、来て見てビックリ!6階建てのビル2棟が、其のままYHAである。受付係だけで5人ほど居て、ホテル並みだ。東京にもこんなに大きなYHAは無いのでは?渡されたキーも、電子ロック式である。


割り当てられた405号室に行くと30歳代の青年が、何やら熱心に新聞を読んでいる。それも地図を見ながら。挨拶をすると、「マレーシアから来ました。理髪師をしています。今までオークランドに居ましたが、ウエリントンに移りたいと思っています」と言う。いかにも理髪師らしく頭髪がきちんと角刈りになっており、顔立ちからして、日本人かしらと思ったぐらいである。


後から入室してきた男女のカップルは、アイルランドからの恋人同士。男性は電気工事技師、女性は精神障害者のケアに携わっていた。過去形で言うのは、二人ともそれらの仕事を辞めて来ているのだ。アイルランドの首都ダブリンから、ロンドン、バンコック、シドニー、オークランドと飛んできた。それも既に9ヶ月になると言う。

    

  YHAウエリントン・シティ        アイルランド人カップル


時々仕事をして旅費を稼ぎながらの長期旅行だ。レンタカーの料金が1日20ドル(保険料込み)と、安くて助かっているが、燃料費が1日平均50ドルになると言う。男性は運転が出来ないので、女性一人での運転だ。どうやら主導権は女性にあるらしい。


結婚しているのかと聞くと、「宗教上の問題があって、親や親類の反対で結婚までは至ってない」と言う。男性の方が少し神経質そうで、女性の方は「あなた、早く決意しなさいよ」的な雰囲気である。アイルランドは9割がカトリックだと言いながら、そういう中でも様々な宗教上の問題があるようだ。


夕飯を食べに教えられた中華店を目指す。外食がどうしても中華料理になりがちなのは、一番食べたい和食に、期待できないのが最大の理由だ。手頃な値段のところは美味しくないし、美味しいところは高いし。クライストチャーチでの様に、安くて美味しいところもあるが、それは地元の人、あるいは経験者に教えて貰うしかない。


通りに出ると、ロバートが言っていた様に、マオリ族の人達が多い。道で行き交う人、店で働いている人、半数ぐらいがマオリ族かと思う位である。肌色と体系がフィジー人に似ているが、ちぢれ毛のフィジー人に対して、マオリ族は直毛のようだ。ニュ−ジーランドの国技である、ラグビーの選手の中に多く見られる。


4月5日(日)晴れ 21℃


今日から冬時間だ。時計の針を逆に回して、1時間遅らせる。従って何時ものAM7:00が、今日はAM6:00である。余り早く起きて他の人に迷惑を掛けてもいけないと思い、しばらくベッドの中で横になっていたが、時計を遅らせたからと言って、体内時計まで遅らせるわけには行かず、体が自然に起きてしまう。AM6:30頃、起床、洗面後、食堂へ。


夕べ買い置いたサンドイッチを食べようと、コーヒーの自動販売機へ。説明書きどおり、コップを取り出して定位置に置き、2ドルコインを入れてスイッチを押したが、コーヒーが出てこない。近くに居た青年に事情を説明すると、一緒に心配してくれたが、結局コーヒーは出てこなかった。すると青年が「ココアで良ければ、沢山持っていますから如何ですか?」と言ってくれた。好意に感謝しながら、ココアをスプーン1杯頂いた。YHAは、心温まる人との交流に満ちている。


食後に受付で、自動販売機の事情を説明すると、すぐに2ドルを返金してくれた。良くあることらしい。休憩室に目をやると、相部屋の理髪師が、また真剣な顔をして、新聞と、地図をチェックしている。彼は新聞の広告欄を見て、仕事を探していたのだ。道理で普通の観光客と雰囲気が違う訳だ。真剣勝負だもの。


AM8:00、まだベッドで横になっている、アイルランド人カップルに別れの挨拶をして、バス停へ向かった。バス停には一人の若い女性が座っていた。「鉄道の駅へ行くバスは此処でいいですか」と聞くと「その通りです、もうじき来ますよ」と笑顔の返事。間も無くバスが来たので、運転手に、もう一度確認して乗り込む。料金は1ドルだと言う。


昨日、駅から「スーパー・シャトル」に乗せられて、YHAに来るときに見た光景を確認しながら、10分ほどで駅に到着。スムーズに来すぎて、時刻はまだAM8:20AM8:50の待ち合わせだから、まだ大分時間がある。売店で非常食用のパンを買い、駅構内を歩いていると、駅の大時計の針が、まだ夏時間のままである。駅のスタッフにその旨確認すると「その通り、これから修正するのだよ」と、のん気なものだ。この後乗車した、バスの時計も夏時間のままであった。


    

             ウエリントン駅 


更にぶらついていると、朝からワインボトルをラッパ飲みにして、叫声を発しているマオリ人の姿が有った。ロバートが、眉間にしわを寄せて「刑務所の厄介になるのは、圧倒的にマオリ人なのだ」と言う言葉を思い出した。


頃合を見てバスの待ち合わせ場所に行くと、朝食時にココアを分けてくれた青年がいた。彼は「マレーシアから来ました。IT関係の仕事を6年間やって来ましたが、ファーミング(Farming:農場経営)に転職したくて勉強に来ました。食住付のボランティアをやって、仕事を覚えるのです。今日は9時間バスに乗って、ハミルトン(Hamiton)まで行きます。


仕事は新聞やインターネットで探します。電話で交渉し、成立すればそこへ行くわけです。1週間ぐらいの仕事が多いです。そうやって、もう6ヶ月が過ぎました。移動の交通費は自己負担ですから、お金が無くなったら、お金をもらえる仕事を探します。その時は、どんな仕事でもやります」と言っていた。まじめそうな好青年だ。青年の未来に幸多かれと思う。


AM11:25、途中のブルズ(Bulls)で青年と別れ、私はトンガリロ国立公園(Tongariro National Park)行きのバスに乗り換えた。大型バスに乗ったのは、たったの4人である。その人達も途中で降りてしまい、別の人が乗ってくる。PM2:00、軽井沢に似たところで30分間の昼食休憩。


私は人が入っていそうな店を探して、ベーコン・エッグ・マフィンとコーヒーを注文した。11.5ドルだ。食べながら店内を見渡すと、日本製のゲーム機が置いてある。日本語で大きく「ハイヒールで乗ることは危険ですからお止めください。二人乗りは絶対にしないでください」と書いてある所から察すると、日本で作られただけではなく、日本で使われていたものに違いない。店長にそう言うと「そうです、10年も前から使っているがまだ動いている」と言って笑っていた。日本の中古製品は車だけでは無かった。


PM2:30にバスに戻ると、運転手は、ニンジンを2袋、たまねぎを1袋ぶら下げて戻って来る所であった。そこから20分ほど走った所で、運転手が交代した。先ほどのニンジンとたまねぎは、奥さんから頼まれた物だったのかな?終点にはPM3:00に着いたのだが、最初から乗って、終点まで行ったのは私一人!観光バスかと思っていたら、路線バスだったようだ。


「ナショナル・パークの人は此処で降りてください」と運転手の声。此処でと言われても人気は殆ど無い。運転手に、「YHAナショナル・パークに行きたいのですが」と言うと、「あそこに見えるのがそうだ」と、100mほど先にある建物を指差している。YHAの看板も見えないが、素直にそちらへ行って見るしかない。


行って見ると、そこには「ナショナル・パーク・ホテル」と、良く似た看板が掛かっているが、どう探してもYHAの標識は見当たらない。ホテルの中庭まで入っていって、「こちらがYHAですか?」と聞くと、「違います。YHAはこの先のT字路を、左に曲がって真っ直ぐ行ったら、左側にあります」と。「どの位かかりますか?」「4,5分でしょう」と丁寧に教えてくれた。


私は気を取り直して、言われた方に歩いていった。しかし、そこから15分は歩いたと思う。やっとYHAに辿り着くことが出来た。ニュージーランドに来てから、YHAを探すのに、こんなに苦戦したことは無かった。


YHAのある、ナショナル・パーク村は、一周が歩いて30分ほどの小さな村である。そこにあるのは殆どが、YHAと似たり寄ったりの、バックパッカー用の小さなペンションである。日本の軽井沢を小さく・小さくしたような光景で、浅間山を思わせる、ルアペフ山(Mt Ruapehu、標高2797mで北島での最高峰)と、富士山に良く似ていて、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の撮影にも使われた、ナラホイ山(Mt Ngauruhoe、標高2291m)が近くに見える。

    

     ルアペフ山               ナラホイ山


ルアペフ山は、1995年と1996年に大噴火し、噴煙は1万メートルの上空まで吹き上がり、川をせき止めたりして、大きな災害をもたらしたと言う。ナラホイ山も、1975年に大噴火している。見れば見るほど富士山に似ているが、似ていると言うだけで感動はしない。


アントニオ・イノキのそっくりサンは、似ているとは言っても、迫力に欠けるし、長嶋茂雄のそっくりサンは、似ているとは言っても、オーラは感じられないのと同様に、話題性、面白さはあるが、イミテーションはイミテーションだ。日本の富士山は、荘厳でさえある。


YHAの受付で、「今日の部屋は何人部屋になっていますか」と聞くと「6人部屋になっています」と言う。「4人部屋に変えて貰えませんか」と言うと、すぐに変えてくれた。しかも、追加料金も請求せずに。そして、部屋に案内までしてくれて、入室して見るとまだ誰も来ていない。


そして面白いことに、4つのベッドの内、1つだけがキングサイズだ。「どのベッドが良いですか?」と聞かれて、今までキングサイズに寝たことが無いし、寝心地はどうなんだろうと、戸惑っていると「キングサイズが良いですよね?ブランケットの用意があるから聞いているだけですけど」と言う。「じゃ、それでお願いします」と拙者。エヘヘ、今日はキングサイズのベッドか。


    

   キングサイズのベッド          夕焼けのナラホイ山


しばらくすると、イスラエルから来たと言う青年が入室。彼は「3年間の兵役が終わった所で、大学に入学する前の1年間を、旅行に当てている。兵役は人間形成の上で大変良かったと思う」と話していた。またしばらくすると、年齢不詳の逞しい女性が入室。彼女は「カナダのバンクーバー郊外で、ファーミングをしています。8人兄弟(一番上が23歳、一番下が7歳)、と父親(55歳)、母親(52歳)の10人家族です」と。


此処から推測すると20歳前後か。余りにも体格が堂々としていて元気一杯だから、年齢を推測し兼ねていた。そして「ニュージーランドのファーミングを勉強に来ました。カナダとニュージーランドのファーミングは大きく異なります。ニュージーランドは生産量の95%を輸出しているが、カナダは自国で消費するだけに終わっている。そしてニュージーランドは家畜を殆ど牧草で育てているが、カナダでは、大量の穀類を餌として与えている」と言う。カナダは広大な土地を有するが、牧畜に適した所は広くないようだ。


二人とも明日は、8時間コースのトレッキングに挑戦するという。小生は逆に体力の温存を考えて、旅の中休みにしようと考えている。そして今日は、着替えの下着も底を突いて来たので、YHAで始めての洗濯に挑戦した。洗濯機使用料:2ドル、乾燥機使用料:2ドル、粉石鹸半カップ:1ドルで合計5ドル。何とか無事終了!ぬくもりのある洗濯物を、乾燥機から取り出すときは、気分が良い物だ。


夕食はYHAの隣にあるパブにふらりと。メニューの中から、肉料理で量の少なそうなものを頼んだ。サラダも付いているようだし。出てきた料理は、馬でも食うのか、と思うような大量の野菜サラダの上に、小さな肉の細切りが、パラパラと乗っていた。さあ、何処までたいらげられるか、何度目かの挑戦だ。食っても・食っても減らない。結局、パラパラ乗っていた肉は全部食べたが、野菜は半分ほどで、ギブアップ。残ったものはテイクアウトにしてもらって、翌朝の味噌汁に入れて平らげた。18ドル也。


4月6日(月)晴れ 20℃


夕べの同室者は結局3人だけ。二人はAM6:00頃からごそごそ起きて、8時間のトレッキングに出かけて行った。私はAM7:00起床。夕べ、食べ残してテイクアウトにした、大量の野菜サラダを、インスタント味噌汁にぶち込んで煮て食べた。他は買い置きのパンとリンゴ。まずまずの朝食だ。


今日は一日フリータイム。とりあえずパソコンを開いて日記だ。毎日書いているが、なかなか追いつかず、何時も1日遅れの記録になっている。4人部屋でキングサイズのベッドを与えられ、昼間は誰も居ないので、独占状態だ。静かな環境で入力も順調に進む。


PM1:00、腹が減ってきたのでランチを求めて食堂を探しに出る。外には全く人影が無い。ペンションに泊まっていた連中は、皆トレッキングに行ってしまったのか。2,3の食堂は全部クローズド。人が消えたミニ軽井沢を、一人、食い物を探してうろついている光景は、なんとも侘びしいものだ。


「もう1軒行って、やってなければスーパーで間に合わせよう」と思いながら立ち寄った店がなんと、鉄道駅に併設された喫茶店風の売店。此処に鉄道の駅があったのだ。しかもウエリントンとオークランドを結ぶ北島唯一の幹線だ。しかし運行本数は1日1本。冬は週末だけの運行だと言う。勿論単線。何時来るかわからない。更に停車しない事もあるとか。全くの気まぐれ状態だ。


    

            ナショナル・パーク駅


私がこの店でのんびりと、パンとコーヒーで食事をしている40分位の間、老夫婦が列車の到着を待っていた。やっと到着した列車は、客車だか貨物車だか分からない、多分その両方を連結した、いかにも年代物のそれであった。その列車に先ほどの老夫婦が乗り、数人の乗客が下りてきた。


食後、辺りを少し歩こうかと思い、手頃なところを聞いて行って見た。しかし、砂利道と雑木林の、何の変哲も無い所だったので、早々に引き上げた。途中で珍しく20人位の高校生集団に出くわした。聞くと「トレッキングに来ました」と。小さなガソリンスタンド兼スーパーマーケットに立ち寄り、バナナ一本、牛乳1本、シリアル1箱を買って帰った。


PM5:00、若い二人は元気に帰ってきた。「素晴らしかった」と言っている。デジカメの写真を見せてもらったが、魅せられる光景は特に無かった。イスラエルの青年はシャワーを浴びると部屋から出て行った。余り交わろうとはしない男だ。残ったカナダ人の女性と話していると彼女の年が判明した。8人兄弟の上から2番目の子で22歳。体格も声も大きい!


夕食は、バナナ、牛乳、パン、リンゴ。ランチが遅かったから、腹も減っておらず、之で丁度良い位だった。


4月7日(火)曇り


朝食に、昨日買っておいたシリアルを試食。牛乳をかけて食せば、少し違ったのかも知れないが、味噌汁をかけて食べたら、ひどい食感に、ひどい味!ドッグフードと何処が違うの?本当にドッグフードじゃないのだろうね?もう一度、箱に書かれていることを読んで見たが、それらしきことは書かれていなかった。


昼前から雨になってきた。旅行中に降られたのは初めてだ。運が良かったのかも。ここ国立公園村では何も売ってないので、例のガソリンスタンド兼のスーパーへ。バナナ、リンゴ、牛乳、ビスケットと、時間潰しの為に、新聞を購入して再びYHAへ。


YHAの受付を覗くと、日本人女性らしい人がいる。声を掛けると「大阪から来ています。エクスチェンジでここに居ます。つまり、YHAの掃除をすることによって、食住の費用を無料にしてもらっている。オークランドは大阪と同じで、賑やか過ぎるので、ここに来ています。始めてきたのは5年前のワーキング・ホリデイですが、その後、何度かこうやって来ています」と言う。消え入りそうな女性だった。


バスの待ち合わせの時間が近付いて来たので、YHAを後にした。一時は横殴りの本降りであった雨も、小降りになっていた。日本からはるばる持って来た折り畳みの傘が、ついに役立つ時が来た。受付の女性に「じゃ、さようなら」と言うと「さようなら、天気を楽しんで下さい(Enjoy whether)」と、笑顔で。そういう挨拶の仕方もあるのか、と感心した。


15分ほど雨の中を歩いて、見過ごしそうに小さく掛かっているBUS STOPに着くと、女性が一人立っていた。YHAで見たような人だ。互いに「ハーイ」と。バスが来るまでの間、クローズドのカフェ前で、雨宿りをしながら、しばしの立ち話。


彼女は「チェコ共和国から来ました。図書館の仕事をしています。英語はデンマークで半年勉強しました。チェコは一時混乱していましたが、最近大分落ち着いてきました。今回の旅行は、北島だけですが、昨日と一昨日の2日間、晴天に恵まれ、素晴らしいトレッキングが出来て、満足しています」と。遠くから来て、南島の素晴らしさを堪能せずに帰るのは勿体無いが、次回の楽しみに取って置くのも良いだろう。


ちょうど待ち合わせの時間、PM2:45に大型バスが来たので、乗り込もうとしたら運転手が「あなたのバスは之ではない。同じ時刻に反対側に来るバスが、あなたの乗るバスである」と。気を取り直して待っていると、間も無く同じ方向から、10人乗り位のバンが来て、運転手が下りてきた。


「ミスタ、えじま!トゥランギ(Turangi)」と言っている。俺のことだと察した私は「私だ」と言うと、「迎えに来ました」と言う。乗ってみると客は吾人一人!こんな山の中で、マオリのお兄ちゃんに、迎えに来て貰う事など、考えても居なかった私は、バスに乗り込んでからも暫く、「どうなっているのだろう」と考えざるを得なかった。


一つは、私のような旅程を組む人が少ないのであろう。私が大雑把な希望を出し、それを考慮して旅行代理店が組んでくれた旅程だ。したがって特別に特別なバージョンなのだ。路線バスと、個人運送会社のような車を手配する、こんな旅程は、土地勘のない者には、絶対に組めないであろう。


そして、この国立公園に来る人の大半は、マイカーである。それもその殆どが、夏はトレッキングに、冬はスキーをしにやってくる。私のようにバスで来て、景色を眺めて帰っていく、変わり者は居ないのだ!結局「おじいさんは、山へ洗濯に行ってきました」と言うところか。


バスはYHAの前を通り過ぎて行く。そんな事なら、電話をして置いて、直接YHAに来て貰えば、雨の中を歩くことも無かったのに。山を越えたら雨は降っていなかった。マオリのお兄さんは、ひたすら飛ばして走るだけ。予定では55分かけて走るところを、30分で走り抜けてトゥランギ(Turangi)の町へ来た。結局、この車は路線バスでもなく、予約確認書にHowards Lodge Serviceと書いてある所から推測すると、ロッジの経営者が所有する車であろう。


インフォメーションセンター(I-siteの表示)があるところを見ると、トゥランギは、ちょっとした町なのか。もっとも、ニュージーランドは観光業が、重要な産業に成っているだけあって、観光客に親切な仕掛けが色々と工夫されている。このI-siteの充実はその代表であろう。何か参考になる情報がないかと、I-siteを覗くが、パンフレットと、お土産品が目に付く程度で、特に之と言ったものは無い。


       

             Isite(トゥランギ)


ニュージーランドに来て気が付くことの一つに、地名に先住民のマオリ語から来ていると思われる所が多いことである。大都市のクライストチャーチや、ウエリントン、オークランドはヨーロッパ的な名前だが、その他の中小の地名は、ほとんどがマオリの地名が使われている様に思われる。マオリ語は母音が多く、その点において日本語と似ている。


トゥランギ(Turangi) ナラホイ山(Mt Ngauruhoe)、ルアペフ山(Mt Ruapehu)、トンガリロ国立公園(Tongariro National Park)、トンガ(Tonga)、カイテリテリ(Kaiteriteri)プナカイキ(Punakaiki)、タウポ湖(Lake Taupo)、ロトルア(Rotorua) 、ワイオタプ(Wai-o-Tapu)、テ・アナウ(Te Anau)。

PM5:40発の乗り継ぎのバスの時刻までは、2時間以上ある。コーヒーでも飲もうと探すが、クローズドが多い。構えの良いレストランが開いていたので覗いて見た。客は誰も居ない。これから来るディナー客のために、テーブルクロスと、グラスがセットされている。そんな所に入って行って、迷惑ではないかしらと思ったが、年配のマダムが笑顔で迎えてくれた。


「何になさいますか」「カフェオーレを」。正直に言うと、こちらに来て飲んだコーヒーで、美味しいと思ったことは無い。ストレートは苦過ぎるし、ホワイトは甘過ぎるし、「カフェオーレはどうかな」と思っていると、これまたドロッとしていて、イメージと違う。「時間潰しが目的で来たのだから、仕方が無いよ」と、自分に言い聞かせる。そしてレストランの一角を借りてパソコンを開く。


時間が来たのでコーヒー代を払って外へ。待合所の時刻表を見ると、今度は自分が乗るバスの時刻が表示されていてほっとする。ニューマンズ・コウチ・ラインズ(Newmans Coach Lines)と言う会社の路線バスだ。これは、多分ニュージーランドでは、インター・シティに次いで、大きなバス会社だ。バスは予定より5分遅れで到着。運転手は笑顔で、「ミスター・エジマ?」と。路線バスでもきちんと乗客名簿を持っている。


こちらは初めての経験だから何かと不安だが、結果として、インターネットで予約したことは、全て履行されている。夕暮れの道をバスは走っている。町と町の間に人影は無い。PM6:00頃から左手にタウポ湖(Lake Taupo)が見えてきた。大きな湖だ。琵琶湖と比べてどちらが大きいのかしら。


後で調べたら、タウポ湖:616Ku、琵琶湖:670Kuであった。こんなに大きな湖だが、これは西暦181年に起きた、過去5000年で、世界最大規模の激しい噴火によって、生じたカルデラ湖である。当時の噴火による灰は、はるかヨーロッパや中国にまで影響を与えたという。


湖畔を30分ほど走った所で、タウポの町に着いた。琵琶湖沿いにある長浜を思い浮かべる町の雰囲気だ。此処で運転手が交代。更に50Km先のロトルア(Rotorua)を目指す。PM7:00過ぎると、雲の合間から月が顔を見せ、その辺りだけが明るくなる。この月は、日本でも同じように見えるのかな?仰角が少し違うのかしら?


PM8:00近くになって目的地のロトルアに到着。外は急に賑やかな町並みになって、千葉市辺りの繁華街を思わせる雰囲気である。多分私の下りる所は「ここだろう」と思って運転手に確認すると、「そうだ」と言う。そして今夜の宿泊所になっている、YHAロトルアへの行きかたを聞こうと思って話し出すと、急に不機嫌な顔をして、何やら怒鳴られる。何が気に食わないのか、それが理解できるほど我輩の英語のレベルは高くない。


此処はひとまず引き下がるしかない。とは言っても、自力でYHAを探せるほどの地理感も無い。バス停付近でたむろしていた、5,6人のマオリ人に聞いてみた。一人が、考えながら「3ブロック行った所を右折して暫く行った所だ」と言うと、他の一人が「違うよ、すぐそこを右折して真っ直ぐ行った所だ」と言う。私は、大体の見当が付いたので、お礼を言って別れた。見た目は決して清潔そうには見えないが、皆良い人だ。


10分ほど歩いて、ようやくYHAの看板を見つけホッとする。受付に入ろうとすると、扉がロックされていて開かない。中は明かりがついているのだが。外から扉をたたくと、気がついて開けてくれた。「チェックインですか?今ちょうど閉めようとしていた所です」と、受付嬢。「閉門するには少し早くないかしら」と思いつつも、無事チェックインを済ます。張り紙を見ると、此処の受付時間は、「AM7:30PM7:30」となっていた。もし、もう少し到着が遅かったら、どうなっていたのだろう?


今夜の同室者は、マレーシア人とアイルランド人の青年。前者は「奨学生としてニュージーランドに英語の勉強に来ています。現在3年目ですが、あと3年勉強してマレーシアに帰り、英語の先生になります」と言う。優秀な学生なのだろうが、現地で3年間勉強した割には、旨くない。しかも将来は英語の先生になるって?のんびり旅行なんかしていて良いのかい?少々疑問を感ずる私でした。


後者は「ファーミング機械の製作をしています」と言う。以前もそうだったが、アイルランド人が発音する「アイルランド」がなかなか聞き取れない。「Ireland」と此処にも「R」と「L」が含まれている。その事を彼に話すと「分かりますよ」と言うような顔をして笑っていた。遅くなった夕食は、非常食用として持っていた、パンと、ビスケットと、リンゴでした。


4月8日(水)雨のち晴れ 18℃


YHAの食堂で朝食を取っていると、日本のおばさんに会う。「佐賀の鳥栖から来ました」と、佐賀のガバイバアチャンを思い出させる風貌。幼少時代を佐賀で育った私としては、佐賀弁が懐かしくて、思わず話が弾む。やがてご主人も現れ「昨日、韓国経由でオークランドに着き、日本人業者からレンタカーを借りて、此処まで来ました。


オークランドで道に迷って、オークランドの町を出るだけで、50km走りました。英語が話せないから苦労しております。定年後の楽しみにしていた海外旅行に来ました。20日間の予定です」と、ガイドブックの“地球を歩く”を携えて、元気一杯である。


レンタル料を聞くと「1日35ドルです」と。前に聞いた人は、15ドルから20ドルと言っていたので随分高いな。しかも、これから南へ行くのに、車もフェリーに積んで持って行くと。普通はフェリー代が高くなるので、南北の島を渡る時に、一旦返却し、対岸に渡ってから、新たに借りる方法を取っているが。「英語が出来ないから、南島に渡った時に、日本人業者が居ないと困るので」と。


更に「トラベラーズ・チェック(T/C)の両替に手数料を取られて、これなら現金の両替と率は変わりませんので、わざわざT/Cに変えてきた意味が有りませんね」と。「実はT/Cの両替は、手数料を取る所と、取らない所があるのです。私は取られない所で両替しました」と私。


英語がほとんど出来ないと言いながら、良く個人旅行を思い立ったものだと、無謀とも思える勇気に感動した。海外旅行を個人でする場合は、或る程度英語が出来ないと、不便なだけではなく、色んなことで損をする。時には業者の鴨にされてしまう。ご検討を祈るばかりである。奥さんがご主人を呼ぶ「おとうさん!」の元気な声が、YHAロトルアの食堂に何度も響いた。


今日の朝食は、買い置きの食料も少なく、ビスケット、リンゴ、即席味噌汁だけ。香港から来たという二人連れの青年が、パンを多めに持っていたので、「ビスケットと交換してもらえますか」と聞くと、笑顔で「どうぞ、ぞうぞ」と言ってくれた。助かった!


食後、本日の観光について相談しようと受付に行くと、「これが良いと思いますよ」と最初に出されたのが、午前中の観光が125ドル、午後の観光が75ドル、合計200ドルと言う観光パンフレットである。「高すぎますよ」と言うと、半日50ドルのパンフレットを出してきた。それでもそんなに安くはないのに。


バス代の他に、観光先で、入場料が掛かるという。ロトルアの観光業者は、南島に比べて、かなり高めに設定していると思う。途中、バスの運転手のお姉さんが、ゆっくり目の、綺麗な英語で説明している。泥がプクプク煮えているような、マッド・プール(mud pool)や、間欠泉(Geyser)を見学して、目的地のワイオタプ(Wai-o-Tapu)に着く。

    

    マッド・プール               間欠泉


AM10:30からAM12:00までの見学時間だ。湯気を出している温泉、エメラルドグリーンの湖面、硫黄の匂い、深くえぐられた窪地、確かに珍しいものではあるが、九州の別府温泉や、雲仙、霧島温泉、阿蘇山、そして宮城県の鳴子温泉の間欠泉を知っている人なら、驚きはしないであろう。スケールを競うなら九州に軍配は上がるだろうし、見学料を取る事もない。


    

     ワイオタプ(1)           ワイオタプ(2)

    

     ワイオタプ(3)           ワイオタプ(4)


YHAに帰ってから、もう一度、半日125ドルと、50ドルのパンフレットを比べて見た。分かった事は、マンツーマンのガイドが付くか否かであった。入場するときに渡される説明書を読めば書いてあるし、丁寧に日本語版が用意されてもいた。これ以上ガイドは要らないでしょう。


山があれば必然的にその窪地に湖が出来る。南島にも、北島にも沢山の湖が存在するが、その成立過程は大分異なるようである。南島は氷河湖が多く、北島は火山湖が多い。また、南島の山は地殻の収縮によって創られ、北島の山は、火山の噴火によって創られたものが多い。


これ以上観光をする気が無くなって、午後はYHAの食堂で過ごす。メールで添付書類を送りたいのだが、YHAのコンピュータは、こちらの思うとおりに動いてくれない。前にも送れたり、送れなかったりしたので、送れる事をスタッフに確認してから始めたのだが、やっぱり送れない。


スタッフを呼んで事情を説明すると、「おかしいわね、他のコンピュータでやってみて」と。「他のコンピュータでも、やって見たのだが」「そう、じゃ悪いけど、他のインターネット・カフェでやって見て」と、結構無責任な発言である。


夕食は、またまた中華料理店を探し、五目そばをイメージして注文した。出て来たのは、魚貝類が全く入っていない肉入り蕎麦。味はマズマズでした。


アイルランドの青年と交代で入室してきたのは、ニュージーランドのオークランドに住み、水力発電関係の仕事をしている技師。何やらベッドの上でパソコンを叩いており、私が話しかけても面倒臭そうな対応だった。もともと南アフリカの出身で、オーストラリアのシドニーで暫く仕事をし、オークランドに来たと言う。今日は仕事で来たらしい。仕事の出張でYHAに宿泊している人には、始めて出会った。



4月9日(木) 晴れたり降ったり  20℃


朝食は、即席ラーメン。日本のそれと味が異なり、余り美味しくないが非常食としては止むを得ない。それに、バナナとリンゴとビスケット。更に夕べ買って置いた、いつもの牛乳を一口飲むと、ヨーグルトのように、ドロッとするので、表示を良く見ると、「クリーム」と書かれていた。色形が同じだから間違えるよ!3分の1だけ飲んで捨てた。


朝食を取っていると、面白い人に会った。「コンロの火の付け方を、教えて貰えませんか」と言うので、教えてあげると「日本の方ですか。私は台湾人です。数人の友人と、自転車でニュージーランドを旅しています。日本の山も登ってきました」と言って、山の名前を手の平に書いている。私は理解できなかったのでメモと鉛筆を渡すと、私よりも上手な漢字で「飛騨山脈、燕岳、槍ヶ岳、北穂高岳、白川合掌村」と書いている。


そして「仙台にも友人が居ります。中国の雲南でも自転車旅行をしてきました」と、話が止らない。更に「私の父は小学校の時に、日本語学校に行っており、日本語を話しておりました」と言って、名前とEmailアドレスを書いてくれた。台湾に来るときは知らせてくれと言う。


元気一杯のご婦人。「失礼ですが御幾つでいらっしゃいますか」と聞くと、笑いながら、「E-mailアドレスの中に、生まれた年が書いてあります。つまり3591は、私の生まれた年を逆にしたものです」と。つまり1953年生まれの56歳と言うことだ。何か沢山の内容を持った人のように感じて、もっとお話を聞きたかったが、バスの出発の時間が迫っていたので、お別れして来た。

    

            YHAロトルアの受付嬢 


AM8:30の出発予定のバスだが少し早めに着いた。しかし乗客は既に大きな手荷物を荷物室に詰め込んで、乗車し始めていた。いつも遅れて来るとばかり思っていたら、そうでない時もあるようだ。定刻に発車したバスは、一路オークランドを目指す。賑やかな町と思っていたロトルアも、7分も走ると、もうそこには牧草地が広がっていた。


丁度2時間ほど走った中間地点の、ハミルトンで、20分間休憩。売店で美味しそうなフランクフルト・ソーセージを買ってみたが、これがショッパイの何の、うちの奥さんなら絶対に食べないだろう。半分ぐらい食べて止めようかと思ったが、結局全部平らげてしまった。暫くは胃袋が焼けている様だった。


此処でかなりの乗客の乗換えが行われたが、時間になって乗車すると大型バスが満席状態。こんなことも珍しいが、さすがに北島の最大都市へ向かうバスは、混んでいるなと思った。オークランドに近づくと、車道が片側3車線だし、成田から東京へ向かう東関道と変わらない混みようだ。めったに見なかった信号機も有るし、これだけ自動車が多くなると、信号機の無い、ラウンドアバウト(Roundabout:円形交差点)方式では処理できないのであろう。


PM0:30、バスは今回の旅行の最終地、オークランドの中心街、スカイ・シティに到着。まず、今夜の宿泊先ホテルにチェックイン。「荷物が届いていますよ」と受付嬢。大丈夫とは思いつつも、一抹の不安を抱えていたので、これで一安心。ローズマリーに御礼の電話をする。部屋はツインベッドになっており、窓からはオークランドのランドマークであるスカイ・タワーが見える。


    

   ホテルのツインベッド              スカイ・タワー(328m


次は、取り敢えず昼飯。ロトルアのYHAで同室であったマレーシアの青年が、「オークランドに、味美しいお好み焼き屋さんが有りますよ」と教えてくれたので、そこへ行って見た。「お好み焼きが食べられると聞いて来ました」と言うと、若い娘さんが「お好み焼きですね、10ドルです」と笑顔で。


「此処にもワーキング・ホリデイの日本人が居たか」と思いきや、この娘さん、有る時は英語で、有る時は韓国語で話している。不思議に思って聞くと「私日本人ではなく韓国人です」と。この店は韓国人だけで経営されている日本料理屋だったのである。道理でお好み焼きの作り方が、日本の各地にある作り方と違うわけだ。


出来上がったお好み焼きは、直径20Cm、厚さ2Cmの円盤状であった。「こんなに大きいのを食べきれるだろうか」と思案しているところに、子供を二人連れた母親が居たので「大きくて食べられないから、良かったら食べてください」と申し出ると、喜んでくれた。


ホテルに戻り、約40日ぶりにバスタブへ。シャワーだけでも、何とか済ませることは出来るけれど、湯船があるなら入りたいのが正直な気持ちだ。久しぶりの湯船の感触をじっくりと堪能した。


PM6:00、受付で明日の空港までのタクシーを予約してから、ホテル内のレストランへ。ビーフ・ステーキを注文。今日の料理は、質量共に満足の行く物でした。サーロインの分厚い肉をミディアムに焼いて、特大のジャガイモを1個丸ごとバター焼き風にして、小振りのトマト3個を焼いて、大皿に盛り付けてあった。飲み物も、前菜も、デザートも注文せず、これだけで丁度良かった。


食べ終わったところへ日本人らしいフロアー係が、片付けに来た。話しかけると「こちらに来て3年になります。フロアー担当の勉強中です」と。20歳前後の好青年であった。


4月10日(金) 晴れ 30℃


AM8:45、チェックアウトで受付に下りる。出された清算書に電話代の請求がされている。確かにローズマリーと自宅の妻に電話をしたが、プリペイド・カードで掛けたのだから、請求される覚えは無いのだが。その旨を言うと、「プリペイド・カード方式を統括している、市内の電話会社に電話されていますね。そこまでの費用は負担して頂きます」と言う。


それでは、ローズマリーの家から掛けていた時も、市内通話料は別途課金されているのかな。ローズマリーに悪いことをしたな。カナダでプリペイド・カードを使っていたときは、全額プリペイド・カードから引き落とされていたはずだが。なぜなら、鉄道駅のプラットホームからでも、日本に掛ける事が出来たのだから。電話の仕組みは国によって異なるので困る。(朝子さんの情報では、クライストチャーチの市内通話は無料とのこと)


AM8:55、予約のタクシーが来ていたので、荷物を積み込んで発車。運転手はインド系の顔立ちだ。「ニュージーランドに来てどの位に成りますか?」と聞くと、「3ヶ月です。バングラデッシュがネイティブです。普段は銀行で働いていますが、今はイースター祭の休日で、会社も休みなので、友人のタクシーを借りてアルバイトをしています。友人は旅行に出かけました。


稼いだ分はブラックマネーで、税金は払いません。ニュージーランドは税金が高いんですよ。オーストラリアで働いていた時、出張で北海道に1週間行った事があります。今は1年間の予定で、ニュージーランドに単身赴任です。国籍が無い為、教育費が非常に高いので、妻子はオーストラリアに置いたままです。ニュージーランドは、所得が低い割に物価が高いです」と、淡々と語った。


「銀行の名前は?」「ANZです」「あの有名な?日本にも支店があるよ」と私。ブラックマネーを稼ぐにしては、口が軽すぎないかい?そして、ローズマリーに「娘さんの進学した大学が、どうしてオーストラリアになったのか」と聞いた時、「オーストラリアのほうが、教育に潤沢な予算を持っているので、奨学金も得やすく、従って、研究もし易い環境にあるから」と言っていた事が思い出された。


更にロバートと医療の話しになった時、「ニュージーランドは医療費が安いそうですね」と私が言うと、「しかし、医療の質は高いとは言えないのだよ」と言っていた。一面、理想郷のように思えるニュージーランドにも、弱点が無い訳ではなさそうだ。


空港のカウンターで荷物を預ける順番待ちの時、14人の60歳前後のおば様一行が並んでいた。声を掛けると「ネパールへトレッキングに行ってきます。18日間の予定です」と。「ニュージーランドには、幾らでもトレッキングできる所が有るでしょうに」と言うと、「でも高さが全然違いますから」と笑っていた。この内のお一人は「小学校の教員で、独身です」と言う。元気なご婦人たちである。


搭乗時間まであと30分になった時、何気なく辺りを見回すと、「first-aid」(応急措置)と言う文字が目に入った。そう言えば昨日から、虫に刺されて、指と手の甲の2箇所が腫れて痒い。持参の薬を付けてはいるが、どうも良くなりそうもない。そこで「ちょっと、医者に診てもらえるかな」と思って、矢印のほうへ行ってみた。するとそこのドアーが閉まっていて、「御用の人は電話して下さい」と書いてある。


電話をすると「名前は?スペルは?年齢は?」と聞かれて、「すぐに係りをそちらに行かせるから」と言う。そこで待っていると、今度は、向こうから確認の電話が掛かってきた。ほんのチョッとのつもりが、なかなか事が進まない。やがてやって来たのは、2人の警備員風の男。医者でも看護婦でもない。


first-aid」室の鍵を開けて、「自分の荷物を持って、そこに入れ」と言う。そして虫刺されの状況を聞いて「痒いのは全身では無く、そこだけだな。じゃあ、売店で虫刺されの薬を買って、塗っておけば良いだろう。薬代は自分で出すように」と言いながら、どこかに無線で報告している。


なんだ、「応急措置」とはそういう事なの?がっかりしながら、警備員に伴われて売店へ。既にニュージーランド・ドルは両替して仕舞い、持っていなかったので、USドルで、9ドルを支払って新たな塗り薬を買うことに。効き目があれば、まだ救われるけど。トホホ!


搭乗した飛行機はほぼ満席状態。お隣さんはインド系の70歳代の母親と、50歳代の息子と思われる二人連れ。二人だけの会話が途切れないので、とうとう話しかけるのは諦めた。機内映画「The Curious case of Benjermin Button」を観て時間を潰した。ブラッド・ピット主演の、なかなか面白い内容ではあった。


シンガポールのバックパッカー宿に到着したのは、PM8:00だが、ニュージーランドの時間では、4時間の時差があるので、既にPM12:00である。熱帯雨林気候の高温・多湿の洗礼を浴びて、ゲンナリ。シャワーを浴びて、崩れるようにベッドに倒れこむ。




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