(クライストチャーチ) 3月3日(火) 晴れ 11℃ 成田〜シンガポール 7時間30分 シンガポール航空自慢の、総2階建て大型航空機エアバスA380型であった。3人がけのところに1人というくらいに空いていた。ほとんど揺れがなく、エンジンの音も小さく本当に快適な飛行であった。 管制塔のコンピューター・トラブルで、成田の離陸が30分遅れたので、シンガポールでは(気温24℃、小雨)1時間余りの乗り継ぎ時間しかなかったが、出発ビルと同じ第3ターミナルに着陸したので、あわてないで済んだ。 シンガポール〜クライストチャーチ 10時間30分 ほとんど満席、揺れっぱなしで、エンジンの音も大きく、快適とは程遠い旅であった。前半のフライトが快適であったから余計に落差を感じたのかもしれない。合計で19時間 日本を離陸したのが3月3日、AM12:00 クライストチャーチ着が日本時間で翌日のAM7:00 現地時間でAM11:00 シンガポール〜クライストチャーチ間で、私の隣に座った女性は、南アフリカのケープタウンでの友人の結婚式に参加しての帰途であるといった。友人はロンドン在住だが、ハネムーンを兼ねて、ケープタウンで式を挙げたという。こちらも、日本人の私から見ると、常識をはるかにオーバーしていると思う。 花嫁との間柄を聞くと、彼女がロンドンに仕事で3年間滞在したり、花嫁が留学でニュージーランドに来たりして交流が深まり、お互いに大切な友人になったという。イギリスとニュージーランドは遠くて近い間柄のようだ。そう言えば両国とも、島国で、一方は北半球、他方は南半球にあるが、日本よりも若干涼しく感ずるところなども似ていると思う。同じ英語でも、発音はオーストラリアよりもニュージーランドのほうが、イギリスに近いそうだ。 12月のクリスマス休暇には、アルゼンチン経由で南極大陸へのツアーに、格安で参加できてラッキーだったといって、何やら南極探検物語を読んでいた。 今までの旅行で最も印象に残っているところを聞くと、少し考えて、「ネパール」と言った。標高5千数百メートルの高地をトレッキングしたらしい。高山病にも罹らなかったようだ。 ニュージーランドの上空に差し掛かると、夏だというのに雪が残る山々が見えてきた。更に、氷河や湖も眼下に見えてきた。クライストチャーチでは水力発電が豊富で、彼女はその電力会社でパソコンを使う仕事に従事しているという。30歳代のしっかりした顔と、大きなお尻から推測して、「子供さんは何人お持ちですか?」と聞いたら、まだ独身ですと!悪い事を言ってしまった。 3月4日(水) 快晴 25℃ クライストチャーチでの入国手続きは比較的スムーズに済んだが、動植物に関する持込については、非常に神経を尖らしている。ニュージーランドの生態系を壊したくないからだという。没収はされなかったが、真空パックのご飯や、インスタントの味噌汁まで申告するようになっている。 入国して5分ほど待っていたら、ホストファミリーの、ローズマリーが迎えに来た。想像していたより背が低いが、振る舞いは、男性的で活発な人であった。イギリス生まれのイギリス育ち。学生時代にマイカーでロンドンからトルコまでのヨーロッパを旅行したという。その後、英語の教師をしながら、トルコ、イラン、日本と旅行をして歩いた。日本では京都に一年間居たという。英語を教えられるというのが大変有利にはたらいている。夫とはイランで出会ったらしい。 クライストチャーチの天候は快晴、25℃位か。空気は乾燥していて紫外線が強い。空港から車で15分ほど走るとホストの家に着いた。想像していたほど大きな家ではないが、それでも8畳ほどの個室が用意されていた。
私のベッド
庭のリンゴ 一休みしてから、ロバート(ローズマリーの夫)と、両替、スリッパの購入、インターネット用のケーブルを購入に出かけた。私が持っていったのと同じACERのパソコンが置いてあったので、使えるケーブルもあるかと思ったら、その前にモデムが必要である。しかし 普通は無線ランを使うので、必要ないという。ホストの家には外付けのモデムは無いのかな? 道々、彼の職業を聞くと、今は、ローズマリーの奴隷であると冗談を言う。4年前に、農場を売り払って、今のところに家を構え、貸しビルを3つ経営しているが、そのうちの1つは借り手がつかない状態であるという。やりくりは楽ではなさそうである。パソコンも、ビデオカメラもあるが、みな古いままだ。 食事:昼は軽くサンドイッチ、夜も軽く、マカロニにソースをかけたのと、野菜サラダで終わり!今日は疲れていて、こちらの食欲もないが? 2週間前から来ているスイス人(ドイツ語圏)の、リオ氏(51歳)は、ドバイ、バンコック、シドニーの3回乗り換えて、33時間かかったという。彼は6週間の休暇を取って来ている。日本では、現役のサラリーマンがそんなに長期の休暇を取ることは不可能であるが。 3月5日(木) 初めての夜、冷え込んで眠れなかった。AM1:00過ぎにトイレにおきて、毛布をかけたら暖かくなってきた。AM8:00から朝食。シリアルに牛乳をかけたのと、食パンにジャム。食パンはロバートが日本製のパン焼き器で焼いている。 AM9:00から英会話のレッスン。スイス人のリオと3人でお互いに質問しあってのトーキングだ。彼の妻は15年ほど育児に専念した後、花屋さんにパートタイマーで働きに出ている。彼自身は写真に関係のある仕事らしい。毎日外に行っては写真を撮ってくるが、いずれもなかなか見事な出来栄えである。 AM10:00から、私はローズマリーに連れられて外出。クライストチャーチの街の中央までバスで行って、ポイントになるところを案内され、後は自分一人で散策し、帰ってくることが今日の課題である。セントラル・バス・ステイション、インフォメーションセンター、ランドマークの教会、中央広場を案内されて、放り出された。 クライストチャーチのシンボル 大聖堂 そのころからやけに気分が悪くなり、立っているのもきついくらいになり、トイレにも行きたくなったので、インフォメーションセンターに行ったがトイレはなかった。路上で人に聞くとマクドナルドを教えてくれた。やっとの思いでマクドナルドのトイレにたどり着き、しばらくしゃがんでいた。 用を足した後も、まだ気分が回復しないので、バス・ステイションに行って、しばらく座っていた。小一時間したら気分が良くなってきたので、少し歩くことにした。 中央広場の屋台で、焼きそばとミネラルウォーターを買う。NZ$6。次に図書館の場所を交番に聞いて行く。インターネットができるというので、40分間使用代として2ドルを払って申し込んだ。自分宛に来ているメールを読むところまではできたが、作業が遅く、仕舞いにはフリーズしてしまい、結局メールを送る目的は達せなかった。 図書館を出て、ハグレー公園を目指した。途中、幾つかのミュージアム、市電、エイボン川を遊覧するパンティング、植物園、そして大学を見かける。無事に公園までたどり着いたようであるが、すでに疲れてきたので引き返すことにした。 エイボン川まで戻った時、一休みしようと思い、ベンチに座っていたら、熟年カップルが腰掛けてきたので話しかけてみた。
エイボン川のパンティング 「オーストラリアのメルボルンから来た。先の2000人以上が死んだ山火事で、家の火災は免れたが、一面匂いが漂い、とても家に居られないので、旅行に出てきた」という。夫の英語は聞き取りやすかったが、妻の話は、早くて聞き取りにくかった。メール・アドレスを交換して別れた。 バスセンターに戻ったら、丁度帰りのバスが来るところで、教えられた通りに並んで乗った。後は降りるところを間違えないように、見落とさないように、きょろきょろしながら、座っていたら、日本語の会話が聞こえてきた。見ると3人の女子高生であった。去年の4月からの1年間の留学で来ており、来週、日本に帰りますとの事。 帰ってからローズマリーに報告すると、日本人だけのクラスとか、ニュージーランドの学校に数人ずつの日本人のクラスとか、いろいろのスタイルがある。しかし、5,6年前に比べると留学生の数は減少しているそうだ。経済的な問題が大きいだろうと言う。 PM6:00から夕食。タイ米に、豚肉と野菜で煮たものを乗せた一品。まずまずの味である。 3月6日(金)曇り PM3:00、気分が良くなってきたので散歩がてら、近くの電気屋まで行ってきた。 インターネットの複雑さがやっと分かってきた。 1.日本語変換 2.ダイヤルアップかブロードバンドか 3.ワイヤレス ホストの家にはインターネットの環境があるには有るが、ダイヤルアップ方式だから遅くて、料金も課金制なのだろう。だから、どうぞ使ってくださいとは言わない。おまけに日本語変換機能がないから、日本人とのやり取りには制限がある。 ワイヤレス方式について電気屋に行って確認したら、やはり、ワイヤレスの端末機器を購入すると同時に、毎月、一定額の料金を電話会社に支払う必要がある。それは日本と同じことであるが。次はインターネット・カフェに行って、試してみるか。市の図書館では結局、役に立たなかったが。 ニュージーランドの経済について: 走行中の車を見ると、圧倒的に日本の中古車が多い。フィジー程古くはないが。フィジーの車は更に、ニュージーランドで使ったものを輸入しているのではないか、と思われるほど古い。日本人は5,6年しか乗らず、しかも週末だけの人も多い。そういう車は走行距離も少ないので、中古車でも何の障害もないという、当然の理屈を実践している訳だ。日本人が贅沢しすぎているだけの話。 ニュージーランドの人口は、たったの4百万人。しかもそのうち百万人が、広い方の南島に住んでいる。日本の120百万人と比べると30分の1だ。しかし山岳地帯が多く耕地面積や、人の居住できるところはそれほど広くはない。よく言えば、狭くなったイギリスの別荘地帯とでも言えようか。主な産業は、農業が1位、観光が2位ということで、順位だけならバリ島やフィジーと同じだ。 本日の英語レッスン: クライストチャーチのごみの分別処理方法が変更になる、というチラシを題材に、各国のごみの分別処理について話し合った。私は妻に頼りきりだから、日本のやり方もよく知らないことが認識させられた。 ひとつだけ感心したのは、ホストの家には、かなり大きなコンポストがあって、生ごみや草木は、機械で砕いて上からコンポストの中に入れ、しばらくしたら下から取り出して、庭の畑の肥料として使っている。コンポストの中を見せてもらったが、おびただしい数のミミズがうごめいていた。リサイクルには彼らが活躍しているのだ。しかし少なくとも家庭菜園ができるぐらいの庭がないと、うまく機能しないのではなかろうか。東京のような都会ではまったく無理だ。 AM10:00から: ローズマリーに家の周りを案内されながらのレッスン。車の往来が少ない。大きな木々がそこらに生えている。胡桃がなっている木を見たのは初めてだ。各種の芝生を配した大きな公園があり、週末は子供や家族で賑わうらしい。南半球に居ることもあって、方向音痴が更にひどくなりそうだ。 PM6:00: 近くのフィッシュ・アンド・チップスへ行ってポテトチップを2スクープ(2カップ)買ってきてくれと頼まれ、リオと二人で。たかがポテトチップを買いに大人が二人で。しかしこれも勉強だ。その小さな店に行くと、5,6人が並んでいた。更に我々の後からも次々に買いに来る。 不思議に思って帰ってからそのことを話すと、金曜日の夜は宗教的な背景から肉を避ける人が多い。その為に、魚やポテトチップを買う人が多いのだという。そこで今夜のメニューは、ボイルしたカラス貝と、ポテトチップに相成ったというわけ。珍しくワインが振舞われたが、何とも不思議な宗教行事である。 ニュージーランドにはマオリ族(全人口の10〜12%)の存在が知られているが、彼らが自分たちの土地の所有権を主張して問題になっているという。先住民とのトラブルは、どこの国にもある問題だ。 3月7日(土)快晴、気温30℃ 先客のスイス人リオは、今日からレンタカーで8日間の一人旅に出た。たいした行動力だ。その間、広い方の部屋が空くので、そちらに移動したらどうか、とローズマリーが言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。 朝食後、ロバートに連れられて、家の周りを散策。彼は車に大変な興味を示しており、青年のようだ。路上駐車の車を見ては、何年ものの、どこの車で、特徴は云々といっている。すぐ近くに自動車修理工場が2箇所あったが、それぞれを覗いては、話し込んでいた。この町の市長を6年間務めたことがある人の修理工場では、1902年ごろのビンテージ車を修理していた。これを運転するのは楽しいだろうなと思う。 昨日ローズマリーと行った公園に行くと、芝生の上でやるボウリング(lawn bowling)や、ゲートボールに似たゲーム(cricket)を、年老いた男女が小奇麗な身なりをして楽しんでいた。ニュージーランドでは、ローン・ボウリングが大変盛んだそうだ。 週末の土曜日と言うことで、フリーマーケットが開かれていた。自宅から様々な物を持ち寄って、売りに出している。ロバートが、椰子の実で作られた、ウクレレに似た楽器を2ドルで買った。 家に戻って食事をしていると、ロバートがネットを通じて売りに出していた、中古のテレビを買いたいという人から電話が入った。まもなく訪問者が現れ、そのテレビを買っていった。50ドルだそうだ。日本では買う人はいない、と思われる位の中古品である。 入れ替わりに、近くに住んでいるロバートの父親(79歳)が現れて、「そのテレビは俺が欲しかった」といっていたようだ。 PM2:00、一休みしたらだいぶ元気を取り戻したので、町に出ることにした。一人で行くのは始めてである。 まず、インターネット・カフェに行き、どんな具合かチェックしたいと考え、あらかじめ当たりを付けておいた店に入った。「日本語入力はできますか」と聞くと「出来ます」と言うので、パソコンを借りることにしたのだが、いざ日本語で入力しようとすると、変換する方法が分からない。店のスタッフに教えてくれというと、ほかの日本人は確かにやっていたのだが、自分は分からないという。 2軒目のインターネット・カフェに行く。韓国人が経営していて、韓国人顧客が多い店のようだ。ここでも、店員に教えてもらうことになったが、やっとの事で日本語入力ができた。海外に来ると、日本語が如何にマイナーな言語であるかを痛感させられる。 クライストチャーチを走るトラム 次に、市内循環の無料バスに乗って市内見物をすることに。乗り場所を聞き出していざ乗り込む。走り出してしばらくすると、大橋巨泉の店「OK ギフト」が目に付いた。あることは聞いていたが、それがここなのだと分かった。 さらに行くと日本人の女子高生が2人で乗ってきた。「1年間の語学留学で、来週には帰国する。日本から45人来ており、こちらの学校では、15人ずつの3クラスで毎日英語の勉強をしている。ホームステイは、一人ずつ別々の家庭に滞在している」と言う。学校の授業とホームステイ以外の時間は、日本人同士で遊べるわけだ。 無料バスで1周してから、OKギフトに行ってみた。日本人女性が日本語で話しかけてくる、日本人相手の土産物屋である。「1年間のワーキングホリデー・ビザで来ています。日本ではノバに通い、こちらに来てからは3ヶ月間、語学学校に通ってから、ここで働いています。8月には帰国します。巨泉さんは年に1回位来るようで、今年も1月に来て、皆と会食していきました。ニュージーランドのユースホステルは快適だと聞いていますが、オーストラリアは良くなかったです」といろいろ話してくれた。 少し疲れたので、一度バスセンターに戻った。私より前に、こちらでのホームステイを経験されていた藤井さんに、教えて貰っていた日本食の店を、探そうと思って地図とにらめっこ。探し当てたら、OKギフトのすぐ近くだ。今度はそこまで歩いて、田中屋という店に入りカツ丼を注文。人に薦めるほど美味しいとは思わないが、全部平らげたことを考えると、結構美味しかったのかも。何よりも和食に飢えていたのだと思う。 ここも日本人が日本語で日本人を相手に商売をしていた。1ヶ月前までこの店で働いていたという日本人女性が、韓国人女性と食べに来ていた。やはりワーキング・ホリデイのビザで来ていると言う。ニュージーランドのワーキングホリデー・ビザは1年間だけなのかしら。彼女らは散らし寿司を食べていた。ともあれ、日本人がこんなに多いとは思わなかった。 夕食を済ませてホームステイ先に帰ったら、夕食が準備されていた!食って来たとも言えず、頑張って食べたが限度がある。ローズマリーから「マサハルは、お腹が空いていないようだね」と鋭い一言!お天気が良いので、庭のデッキでの夕食であった。 3月8日(日)快晴 27℃ 今日は一日、PGAのゴルフ観戦。ロバートに自宅から30分ほどの、クリアウォーター・ゴルフクラブまで車で送ってもらって、9:30AMから4:30PM迄観戦。日本ではゴルフの観戦に行ったことがないのに。日本人やタイガーウッズは参加していない。ウッズを呼ぶには、お金がかかりすぎるという。 結構、ラフからラフへ渡り歩いている選手も居るが、何とかパーをセイブしている。寄せとパターが上手なのだ。最も彼らにとって、パーでは何の得点にもならないのだが。 ここのゴルフ場の上空は飛行機の往来が激しく、千葉の白鳳カントリーを思い出させてくれる。 昼食に屋台でサンドウイッチとコーヒーを頼む。$10なり。地元のゴルフファンと若干の懇談。タクシーの運転手とか言っていたが、週に3回はゴルフをするという。ハンデキャップは6だそうな。日本での1回分のゴルフ代で年間の会員になれるらしい。多くのボランティアがいたが、70代と見受けられる人が殆どだ。所謂リタイア組か。 ラフからの寄せでトーナメントプロが、チョロしたのを見せてもらった。 Putting is money。近いからといって必ずしも入らない。ティーショットは必ずしもドライバーではなく、3Wの場合も多かった。コースマネジメントを考えての選択であろう。 3人一組で回っていたが、11分間隔であった。われわれのゴルフでは、4人で回って6〜7分間隔だから、時間的にはずいぶんゆとりがあると思う。それでも時々前がつかえていた。前半の9ホールで2時間20分かかった。 パー5のホールで、第3打が直接カップインしてイーグルを取った男が、3ホール後で、パー4の前下がりのフェアウエイからの第2打が池ポチャ。ダブルボギーをたたいていた。 彼らは軽く打っているように見えるが、実はフルスイングをしても、バランスが崩れないように鍛えているのだ。 第2打が池ポチャ 風が強いときはより安全に攻めている。ピンを狙うのではなくて、乗れば御の字という位に。横からのパットを強めに打ってはずすと3パットになりがちだ。決勝ラウンドに残ったプロだって、ピンから20ヤードもはずしたり、3パットを連続したりしている。 グリーンをはずした人は、近くに寄せてもボギーになりがちだ。ワンパットで入れることの難しさを感じる。結局ゴルフ競技も詰まるところは、心技体の充実ということになるであろう。 帰り道で声をかけた人が、偶然ホームステイの家の近くの人で、家まで送って頂けたのは大変ラッキーでした。年配の夫婦であったが、奥さんのほうは、週に3回ゴルフを楽しんでいるという。日本では考えられないことだ。 夕食後の懇談で、ローズマリーに「どうしてイギリスからニュージーランドに来たのか」と聞くと、「環境、仕事等、いろいろな面でイギリスよりも可能性を持った国だと思ったからだ」と言う。ロバートは、心理学を中心に、いろいろな勉強をしたらしい。 結婚当初は二人とも教師をしていたが、学生に対するストレスが大きくて、その後、小さな農業に転じた。そして4年前にそれも止めたということだ。ロバートは癌を抱えているようだ。あの手つきからすると膀胱癌かしら。(後日分かったのは、前立腺ガンであった)車の話になるとエンドレスになる。ローズマリーは、吾人同様、興味がないようだが。 3月9日(月)晴れ17℃ 9:00AMから1時間半ほど、私の日記を添削しながら英語のレッスン。3時間というがそんなに長い時間集中することは、お互いに不可能。お茶にしましょうということで、雑談しているうちに、レッスンはお開きになる。 11:30AMから家を出た。今日は、エイボン川沿いに歩きたいと思う。最寄りのエイボン川まで徒歩で30分、そこから更に川沿いに30分歩くとシティー・センターに着いた。味噌汁付きの何かを食べたいと思い、大阪屋に入る。カツどん定食がNZ$10。味噌汁のお変わりまでして腹いっぱい食べた。食いたいものを腹いっぱい食ったのは、しばらくぶりのような気がする。少し元気になってきたのかな。 エイボン川沿いを歩く 大阪屋を出て、またエイボン川沿いに歩く。エイボン川が蛇行しているため、どちらに向かっているのか分からなくなる。時々地図を開いては自分の居所を確認する。どこまでも行くと幸いなことに、行きたいと思っていた植物公園へ入っていった。クライストチャーチが「ガーデンシティ」といわれるように町全体が、庭園のように落ち着いた雰囲気を持っているが、植物公園の中に入ると更に大きな樹木が沢山整備されていて、気持ちが安らぐ。 クライストチャーチの植物園 公園の整備士らしき人が働いていたので声をかけてみると、手を休めて話しに付き合ってくれた。「学校を卒業してからすぐここに入ったので、もう35年になる。日本にも数ヶ月間行ったことがあるが、ここの桜も綺麗だよ。今日も日本人の女性が二人、ここで短期の労働者として働いているよ。今週の水曜日から日曜日にかけて、フラウワーフェスティバルがあるから来ると良いよ」と教えてくれた。 植物園−1 植物園−2 公園の入り口にカンタベリー博物館がある。入場料が無料にしては見応えのある所だ。一番驚いたのはアンモナイトの化石で、人間ほどの大きさと、重量なら100Kgもあろうかと思うほどの重量感である。あんなに大きいのは写真でも見たことがない。大昔の海はどんな様子だったのだろうか。 アンモナイト(カンタベリー博物館) パンティングの乗り場まで来ると、日本人女性(40歳代と70歳代の娘と母親)の話し声がしたので、声をかけたら「18日間のニュージーランド二人旅です。残り二日で帰国します。」と言って、旅行したところを数箇所挙げてくれた。吾人も行ってみたい所であった。 シティー・センターの観光案内所で無料のパンフレットをもらい、バスで帰宅した。4時間近くのウォーキングになった。昨日の最高気温が27℃で、今日の最高気温は17℃。風向きが変わると30分で気温が激しく上下する。今日はジャンパーを着て行って丁度良かった。 3月10日(火)晴れ 22℃ 午前中の英語のレッスンの代わりに、家の近くの公園で、9時から始まるローン・ボウリング教室に参加。中学生の男女20人ほどが女性教師に引率されて来ていた。吾人はそこに加えてもらったわけだ。どうやらローズマリー本人は、フランス語のレッスンに出かけるらしい。それで吾人の英語のレッスンは午後からに回されたというわけ。 さてローン・ボウリングだが、左右の重さが微妙に異なって、完全に丸くはないボールを、芝生の上で転がしてターゲットに近づけるゲームだ。シンプルなゲームだが、ニュージーランドでは大変盛んで大きな競技大会もあるらしい。70歳代の爺さんが一生懸命に説明していた。10時半になったら、次の中学校の団体さんが来たので、我々の教室は終了した。 ローン・ボウリング教室 公園を出て一人で帰途についたのだが、案の定、道に迷ってしまった。方向音痴は認識しているので気を付けてはいるのだが、碁盤の目のような道路に、同じような並木が植えられていると、どの道も変化に乏しい。10分ほど歩いてみたが、どうも自分が帰る方向とは違うような気がしたので、お店に入って助けを求めた。丁寧に教えられて、帰宅することができた。 食パンとインスタントラーメンの昼食後、「英語のレッスンは何時が良いか」とローズマリーが聞くので、宿題の日記が書かけていないので、遅いほうが良いと応えた。しかしお天気が良くて、部屋にこもっているのがもったいない気がしてきたので、ローズマリーのアドバイスで、標高445mのキャベンディッシュ山(Mt Cavendish)に行くことにした。 バスとゴンドラを乗り継いで頂上まで行き、歩いて反対側の港の方へ下り、そこからバスで戻ってくるコースである。 バスセンターで乗り換えのバスを待っているとき、分厚い本を持っている専門学校生がお喋りしていた。声をかけると「ハリーポッターと同じぐらい人気のある本で、Stephanie Meyer著のTwilightです。自分は仙台の東北学院で1ヶ月日本語を学んだことがある」とその内の一人が言っていた。 バスを降りてゴンドラに乗ると、60歳近い婦人と同乗になったが、彼女はイギリスからの旅行者であった。声をかけると「自分はまだ現役だが、3ヶ月の休暇を取って、ニュージーランド、オーストラリア、アジア各国を廻っているところだ」と言う。話の内容から公務員のようであった。現役中に3ヶ月の休暇とは何とも羨ましい。 ゴンドラから降りて頂上に立つと、突風のように強い風が吹いていた。帽子が飛ばされて、見失ったときはもうだめかと思った。諦めきれないで探したが見つからなかった。がっかりして戻って来る途中で、なんと!草むらの中に転がって居るではないか。末娘のカナダからのお土産だから、簡単には諦められないのである。 頂上の売店で、歩いて下山するルートを聞こうと思って、「excuse
me,」と声をかけると、「日本の方ですか?」と日本語で応答された。吾人の英語は「Japanese English」とすぐに分かるらしい。後の会話は全部日本語で。彼女は「ニュージーランドに来てから10年になる。今は日本人で観光ガイドをしている彼氏と、この町(リトルトン:Lyttelton)で同居している。彼女も以前は観光ガイドをしていた」と話してくれた。 リトルトン港 50分ほどで下山し、バス停に着くと大柄の女性がベンチに座っていた。挨拶をすると笑顔で答えてくれて、私と同じく市内のバスセンターまで行くのだと言う。彼女は「ドイツ人女性でジャーナリスト。月に数本の記事をドイツに送っている。ここの山はエクササイズとして、毎日のように上り下りしています。 何年か前には、世界アスレチック選手権大会の取材で、日本に1週間ほど行ったことがあり、その時に、日光にも行きました。夫はニュージーランド人でIT関係の仕事をしています。彼との出会いはインターネットのチャットです。出身はドイツのシュツットガルトで、交響楽団や車の生産で有名なところです。2週間前にミルフォード・サウンドに行ってきました。」等とミルフォード・サウンドへの行き方についても、色々話してくれた。 バスから降りての帰り道、路上駐車している(ニュージーランドでは路上駐車は問題にならないようだ)車のフロントガラスを見ると、何年の生産車かが分かるようになっている。多くが1995年前後に生産された日本製で、古いものは1980年代、2000年代の車は殆ど見かけないのが現状だ。経済力の関係か、ものを大事にするお国柄の関係か、その両方であろう。 午後1時に家を出て帰宅は午後5時。有意義な半日でした。 夕食後、ローズマリーといくらか英語のレッスンらしいことをやって、終わりにする。 3月11日(水)曇り時々雨 12℃ ローズマリーは陶芸教室へ、吾人はロバートとロバートの父(ジョン)に付いて中古車の物色に。ロバートの父が、現在乗っている小豆色で、1998年式のトヨタ車を買い換えたいようだ。車に殆ど興味のない吾人は退屈であるが、関心の強い二人の会話は弾んでいる。色だ、形だ、大きさだと、こだわり出したら切がない。 所詮中古車なのだが、当人達にとっては、かなりエキサイティングなことなのだ。何よりも79歳になるジョンが、車にこだわりを持っているのにはびっくりする。彼の運転席には、死角になっている、リヤウインドウの下の部分がモニターできるように、カメラが付けられていた。今日のところは、話だけで結論は持ち越しのようだ。 本日の英語のレッスンはこれにて終了。実践的と言えなくもないが、カリキュラムは出たとこ勝負で、かなりいい加減だ。しかし定年後の私にとっては、この位のペースが疲れなくて良いと思う。 家に戻ってロバートと雑談していると、ローズマリーが陶芸教室から帰ってきた。完成した作品の「トカゲ」を見せてくれたが、中々の出来栄えである。午後から自分たちはフランス映画の入場券が1枚あるので、それを観に行こうと思うが、あなたの予定はどうなっているかと聞かれた。お天気も良くないし、寒そうでもあるので、「家に居たい」と答えた。 二人が出かけた後、こちらの新聞に初めて、一通り目を通すことができた。その感想を少し。まず、ローカル紙だなと言う印象が第一。クライストチャーチに住む35万人が対象だから当然と言える。その分、身近な記事が多く親しみを感じる。どこの誰々さんが死んだの、生まれたのと言う記事まで。 ワールド(world)版になると、トップ記事はイギリスの出来事、次がUSA、日本などは、その他と言う扱いだ。これは市民がそういう記事を欲しがっている、ということが大きいらしい。芸術版でもトップはイギリスを中心に、ヨーロッパの記事が多い。後は何処にでもある広告だ。当然、広告もローカルなものになるが、分量は多い。 クライストチャーチに来て感ずることは、人口が35万人ぐらいの町が、一番住みやすいのかなという点だ。仙台も、千葉も快適と言うには大きすぎる。小さな町だからと言っても、そこを中心に360度開けているから、東西南北には、海あり川あり山ありで、狭苦しさはまったく感じない。むしろ心地良さを感じるのである。バスから降りるときは、誰もが「サンキュー」と言って降りるし、運転手は「オウケイ(OK)」と答えている。 ローン・ボウリングを指導していたシニアが、「ニュージーランドは本当に良い国だ。医療費は掛からないし、空気はきれいだし、風光も明媚だ。神様が我々にくれた所であると思い、誇りと感謝の念を持っている。アメリカを見てごらん。貧富の差は大きいし、病院に掛かれない人が大勢いて、町は汚いし可愛そうだ」と話しているのを聞いた。必ずしも大げさな表現ではないと思う。 ロバートにその件を話したら、ニュージーランドにも、所謂、消費税や累進課税の所得税が有り、特別変わった事は聞き出せなかったのだが、救急患者からは治療費を取らないとか、公立大学の学費は低く抑えられていることは事実らしい。今ニュージーランドにとって心配なことは、東南アジアやフィジー等から、貧しい人が沢山移民してくることだと言う。ちょうど良く取れているバランスが、崩れてしまう恐れがあるのかも知れない。 ローズマリーに、日本語の50音の中に「ら、り、る、れ、ろ」と言う発音があるが、これはLとRのどちらに近い発音か聞くと、「Lに近い、Rではない」と教えてくれた。日本人にとっては、Rの発音のほうが、より難しいと言うことになろうか。 3月12日(木)晴れ時々曇り 朝食後、新聞の広告欄に、羊から取れるウール製品の工場販売があると書かれているのをきっかけに、しばらく繊維の話になった。同じ羊から取れる毛でも、ピンキリがあって高級なものは、やはり品薄らしい。メリノ羊の毛(merino Wool)は、日本では聞かない名前だが、こちらでは、インド北部のカシミヤや、南米産のアルパカのように高級品扱いされていると言う。 その後、ローズマリーが今日は食料のストックが少なくなってきたので、スーパーマーケットに行くが何か欲しいものはあるかと聞くので、私もスーパーマーケットに行ってみたいと言うと、そこでレッスンは終わり、車でスーパーへ。 日本では「ビッグA」がそれに似ているが規模はその何十倍だろう。大きな棚にダンボールの箱ごと並べてあり、自分の買いたい物をピックアップしてカートに入れる。カートも日本の物に比べると何倍も大きなものだ。そんな物が店内を動き回って、すれ違ったりするから、車椅子で来ている人も自由に店内を移動している。 日本では生鮮食料を中心に、小まめに毎日のようにスーパーへ行くが、こちらでは大体一週間単位で買い物をするようだ。肉類のコーナーは広々としているが、魚のコーナーは見過ごしてしまいそうに狭い。しかも我々が食べたくなるような新鮮な魚は殆どない。ニュージーランドは日本と同じく四方を海に囲まれているにも拘らず、どうしてこんなに魚を食べないのか。ひとつは歴史的背景があるようだ。つまり、イギリスからの移民が多く、肉食の習慣が根付いていた。そして「魚は貧乏人が食うものだ」と言う偏見も有ったと言う。 多くのものは、箱やビン単位で買うが、果物や肉等は、量りで売ってくれる。魚のコーナーで、ローズマリーが吾人のために、何か買わないといけないと思っているのが分かる。「何か食べたい魚は無いか」とさかんに聞いてくる。あまり積極的に食いたい魚は置いてないので、こちらも決めかねている。比較的、鮭の頭が美味しそうに見えたので、それを指差すと「そんなものをどうやって料理するのか」という。とても買う気にはならないらしい。結局買ったのは鮭の切り身で、サーモンステーキにでもなりそうな部分であった。 レジで計算しカードで支払いを済ます。合計は、39品でNZ$145.52。1品目平均は、NZ$3.6(約180円)。為替が円高に振れている事もあるが、比較的物価は安い。 家に帰って昼食を取っていると、ロバートの父、ジョンが現れた。また車の話をしている。ジョンが新しい車を買うので、ロバートが父の車を買うことになっている。食後「ジョンの家に一緒に行かないか」とロバートか言うので、付いて行くことにした。 車で2,3分の近いところにジョンは住んでいた。一人住まいなのにベッドルームが3つも有り、車庫には車が2台納まっていた。その内の1台は、3600CCのエンジンを持つ新しくて豪華な車である。日本車で言うと、シーマか、セルシオ級であろう。 ロバートの実母は50歳代で癌を患って亡くなり、ジョンは60歳のときに再婚したが、喧嘩が絶えず、今は別居中だという。亡くなった妻は本当に良い女房だったと言っている。話では、ジョンの先祖はイギリスの王家に繋がっているそうだ。壁に掲げられている古くて立派な写真を見ると、そうかもしれないと思う。
家に戻って、新聞を読んでいると、ロバートの妹のエミーが来た。ロバートに似て背が高く快活である。彼女もホームステイを取っていると言っていたが、私がブロウクン・イングリッシュで話すとすぐ訂正された。写真を取っていいかと聞くと快く応じてくれた。太って見えるからと言って、ロバートの後ろに行って半身を隠し、もう一枚とってくれと言う。 ロバートとエミー 夕食は予想した通り、鮭のバター焼きをご飯の上に載せたものだ。どんな料理も一皿で済むようになっている。日本のように沢山の小皿に分ける事はしないようだ。それでも今夜の食事は、ご飯と魚の組み合わせで、久々に日本食に近いものであった。おかげで胃袋が落ち着いている。 3月13日(金)曇り時々晴れ 16℃ 朝食はロバートの手作りによるパンに、バターとジャムを付けた物と牛乳、それに少しのトマト。9時からレッスンが始まるかと準備して待っていたが、延々と電話をしていて、一向に始まりそうにも無い。仕方なくそばにある新聞を読んでいた。10時を過ぎたころに傍らに来て、「何を読んでいるか」と問う。「植物園でのフラワーショウの記事を読んでいます」と言うと、一緒に読もうと言うことになった。何でもいいけど、随分行き当たりばったりではないかい?11時半になると、「お茶にしましょう」で、お開きだ。 こんな授業でも一つだけ学んだのは、現在形よりも現在完了形のほうが多く使うので、よく練習したほうが良いと言うことだ。実際、現在形を使うことは、殆ど無いと言う。会話では、過去形、未来形、現在完了形が多くなる。 昼食は即席ラーメンに、パン1切れ。ローズマリーはジャガイモの残り物を食べている。私が「西洋ではパンとジャガイモのどちらが主食になるのか」と問うと、「ジャガイモである」と答えが返ってきた。これは私にとって新しい認識である。 日本では米を食えない貧乏な人が、ジャガイモを主食代わりに食べていた時代があった。西洋では、日本人が好んで食べる魚を食う人は、貧乏人と見なされていた、と言うことと対比して考えると、文化の違いを面白くも不思議にも思う。 昼食後ローズマリーが「今度の週末はどういう予定か」と聞くので、「まだ何も決めていない」と答えた。午後からシティー・センターに行って、近場のツアーを物色してくるつもりだ。 バスで、シティー・センターに行き、1件目の旅行代理店に入った。ミルフォード・サウンドに行くツアーに付いて、何点か聞いた。女性スタッフが丁寧に教えてくれた。こちらの風貌から想像して、安いのを考えているのだろうと察したのか、最初から安いツアーを案内してきた。話が早くてよろしい。これで大体の相場が理解できた。 2件目の旅行代理店は「バックパッカー用」とウインドウに書いてある。更にリーズナブルな価格のツアーがあるか期待して覗いてみた。最初は英語でやり取りしていたが、少しずつ日本語が混じるので「日本語ができるのですね」と聞くと「僕は日本人です」と言う。それでは話が簡単だ。色々な情報を聞けたが、価格は一軒目と殆ど変わらなかった。ミルフォード・サウンドの件は、今日のところは情報を集めるだけにして、明日の旅行を予約して引き上げた。 土産物屋の前を通ると、羊の毛で作ったものが目に入ったので覗いてみた。ローズマリーが言っていたが、確かに工場販売に比べると、2〜3倍の値段が付けられているようだ。今日は、太陽が出ていない事と、風が強い事で少し寒かった。 夕食はジャガイモをボイルして、すりつぶした物に、特製のピリ辛ソースを添えたものであった。ちょっと無理してご馳走様という。 3月14日(土)晴れ 18℃ 今日は「アカロア」までの日帰り旅行。午前9時15分に大聖堂前の広場に集合。家を8時半に出れば間に合うので、7時半ごろ起床すれば良いかと思っていたが、目が覚めたら8時15分だった。髭剃り、洗顔、朝食を20分間で済ませ、8時35分に家を出た。 バス停まで駆け足。めったに走ることが無いので、息が切れることこの上なし。バス停に行くと吾人と同年輩ぐらいの紳士が、同じバスを待っていた。彼は「二年前にイギリスからクライストチャーチに来て住んでいる。ロンドンから来る途中で日本の東京に寄り、日光にも行って来た。すばらしかった。今はパートタイマーで、マーケッティング・リサーチの仕事をしている」と話していた。 大聖堂前に着いてみると、各方面への旅行者が行き来しており、どのバスに乗ったらよいか尋ねている人が大勢居たが、それを親切にテキパキと裁いている年配の男性が数人居た。私も自分の乗るべきバスが見当たらなかったので尋ねると、「そのバスはもうじき来るので、ここで待っていて下さい」と言う。 バスが次々と客を拾い、目的地を目指して出発して行くのに、自分のバスがまだ来ない。もう一人の夫人も所在無げに立っている。どちらからとも無く声を掛けると、彼女は日本人で、吾人と同様、アカロアに行く人であった。 彼女は「広島県の人で、娘さんがクライストチャーチの学校に留学しているのを口実にして、3回目のニュージーランド旅行をしているところである。2回目は、夫と一緒だったが、今回は一人で2週間の予定」と言うことで、ニュージーランドの主なところは、殆ど行ったようだ。 アカロアはクライストチャーチ市内からは1時間半のバス旅行。入り江の港と、湖との違いはあるが、東京から箱根へ行くのと似ている。アカロアに着いて写真を撮っていると、日本の大学生15人ほどのグループが、バスから降りてきた。声を掛けると「春休みを利用しての、1ヶ月間の短期留学です」と言う。他にも同様のグループと出くわした。この様に、思いのほかニュージーランドへの留学生が多い。 短期留学生 これは、思うに、アメリカと比べると、治安が良く、物価が安く、英語もイギリス英語に近く、教師や親の立場から考えると、カナダに次いで、安心して子供に海外を体験させ、語学を学ばせる環境が整っている、数少ない国になっているのかも知れない。両国とも昔はイギリスの植民地で、心情的には非常にイギリスに近いという共通性がある。 もう一人、ドイツのベルリンから来たと言う50歳代のご婦人が同乗していた。彼女は高校でロシア語と、ロシアの歴史を教えている。ロシア語は難しくないですかと言うと、ロシア語はキリル語と言ってヨーロッパの言語に近いから、中国語や日本語ほど難しくはありませんと言う。1年間の休暇を申請し、其のうちの3カ月間をオーストラリア、ニュージーランドの旅行に当てている。何ともデラックスな旅行だ。 12時に目的地に着くと、PM4:00まで自由時間であるという。はじめてきた所でそんなに自由時間を与えられても戸惑うしかないが、お勧めの場所を聞いて、行ってみることにした。 アカロア博物館では、アカロアの地形の成り立ちと、歴史についてビデオの上映をしていた。それによると、アカロアはその昔、本島と離れた所で3回の爆発を起こした海底火山で、やがて本島とくっ付いて、本島の一部、つまり現在の半島になったと言う。爆発したときの火口が現在の港になっているわけだ。
アカロアの海 近年の歴史では、オランダ人、フランス人 イギリス人 マオリ族等の主導権争いがあったが、最終的にはイギリスが押さえた。ただし、このアカロアは、フランス人が住み着いた場所でもあったらしく、今でも道路の名前、古い家等にはフランスの面影が残っている。 昼食は、ホストマザーが言っていた「フィッシュ・アンド・チップス」に入ってみた。こちらの人はポテトチップが大好きのようだが、私は欲しくないので、フィッシュだけ頼むことにした。女性の店員が、壁に掲げられているメニューから選べと言う。私は魚のフライを頼みたかったのだが、どれがそうなのか分からなかった。 そこで、一番高い値段のものなら、色んな種類のフライが食えるのではないかと思い、それを頼んでみた。10分ほど待たされて出てきたのは、フライではなくてムニエル風の魚であった。仕方なく口に運んだが、とても美味しいとは言いがたい代物であった。結局もう一度、魚のフライを頼み直して食べた。 集合時間までは、まだ1時間半も残っていたので、町の反対方向にある灯台まで15分ほど歩いた。そこから丘のほうに上がっていくと、景色の良いところが有るらしい。期待して坂道を登っていくと、そこは結構古びて広い墓地であった。またしても方向が少し違っていたようだ。引き返すのも嫌だから、其のまま歩き進めて、何とか集合場所まで戻ってきた。 多くの若者は、ウエットスーツを着て船で出発し、イルカと一緒に泳ぐ事を楽しみに来ている様であった。5時半ごろシティー・センターに戻り、バスを乗り換えて、家に着いたのは6時半であった。 3月15日(日)晴れ 18℃ 朝食をしていると、ロバートがサムナー(Sumner)まで、ドライブに行かないかと言う。ゆっくりしたい気分も有ったが、せっかくのお誘いだし、何時か行って見たいと思っていた所でもあるので、行くことにした。ロバートにとっては、父親のジョンから譲り受けたトヨタ・ナディア(1998年型)の試運転でもある。 ロバートは、赤いシャツを着て、若いときに聞いた大好きなグループサウンズのCDを車内に持ち込んでご機嫌である。好きなメロディーや歌詞の所に来ると一緒に歌っている。「君も歌えよ」と言うが、私はまったく聞いたことが無いし、特別感動もしないのだが。5歳違うと好みも大分異なるものである。 途中で、森の中を散策したり、海岸でカイト・サーフィン(ハングライダー+サーフボード)を見物したりしながら、目的地のサムナーまで来た。まっすぐに来れば自宅から30分位の道のりである。今日は、少々風はあるが、晴れていて暖かい。 カイト・サーフィン 地層が露出した断崖絶壁(Sumner) 洞窟岩に登ってみると、日本語が聞こえてきた。声を掛けると「春休みを利用して、1ヶ月の短期留学中である」と言う。外へ出ると必ず日本の学生に出会う。今春休みと言うことで、特に多い時期なのであろう。ともあれ、若い時に海外を見ておくことは、その後の人生にとって有意義であると思う。 自分が学生時代は、殆どの人が海外経験はできなかった。特別に選ばれた人が、フルブライト留学制度でアメリカに1年間留学できる程度であった。それにも拘らず中学生、高校生、大学生と10年以上も英語を学び、それに費やした時間は、計り知れない。 英語圏の若者はその時間を何に使っているのであろうか。スポーツに、芸術に、科学に、歴史に、旅行に、青春時代の貴重な時間を使うことができ、我々日本人の何倍も人生を楽しんでいるようにも見える。現にホストマザーのローズマリーは、若い時から、英語を教えながら世界中を旅行してきた。この大きなアドバンテージは、大英帝国がもたらした物ではあろうが、日本人として、ただ指をくわえて見ているだけではなく、何かできることは無いのだろうか。 サラリーマンも現役時代は、盆と正月に1週間の休暇を取るのが精一杯と言うのでは、とても経済大国だ、先進国だとは言えないのではないか。そういう観点から言うと、GNPの大きさなど何の意味も持たないのである。 今日の夕飯は、ピザとジャガイモをフライパンで炒めたようなもので、いずれも大変美味しかった。ピザもパンと同様、パナソニックの電気釜で作っている。こんなに美味しいピザやパンができるのなら、日本に帰ったら自分で作ってみたいと思う。聞くと、レシピも付いていた。 ローズマリー作のピッツァ お帰り! リオ 夕食後しばらくすると、8日間の旅に出ていた、スイス人のリオが元気に帰ってきた。この間、1日だけホテルに泊まったが、後はレンタカーのステイションワゴンで寝て過ごしたと言う。この手の旅行は特別なものでは無く、普通に行われているスタイルだそうだ。ホリデイパーキングが整っていて、シャワーや料理まで出来るようになっているらしい。 彼は山国のスイス人だから、山よりも海のほうに興味があり、多くの人はクライストチャーチから南のクイーンズタウン方面を目指すが、彼は逆に北の海岸通りを目指したようだ。多くのファンタスティックに遭遇したと、興奮しながら8日間の体験を語ってくれた。この間、3回泳ぎ、2回のボートセイリングをしたりして、十分堪能したと言う。それにしても元気だ。吾人が長袖にセーターまで着ているのに、彼は半袖シャツだ! 3月16日(月)晴れ 20℃ 久しぶりに、リオを交えてのレッスン。まず私がリオに旅行のことを質問し、リオがそれに答える形式で。次にロバートがサウジアラビアの青年が、ホームステイしたときの戸惑いを話してくれた。次に、私が書いた短い英文の日記をチェックし、最後に、アカロアに行った時の様子を話すことになった。 英文日記については細かいことを色々訂正されたが、概ね良く書けていると言う。もっとも、表現の難しいところは、端折って書いているから当然かもしれない。しかし会話になると自分でもいやになる位、言葉が出てこない。やっと出てきても、時制や構文が出鱈目だ。書くときは時間をかけているので、時制や構文にも考えが及ぶが、話すときは何を話すかに精一杯で、時制や構文の方にまで考えが及ばないのが実情だ。 ネイティブは、そんなことは一々考えなくとも、スムーズに言葉が出てくる。しかし我々は、残念ながら繰り返して馴染んで行くしかない。ある程度流暢に言葉が出てくるようになるには、2,3年は掛かる所以だろう。久しぶりにレッスンが充実し疲れた。 昼食後、バスのオービター線(Orbiter)に乗ってみた。これはクライストチャーチの中心から少し外れた所を、約1時間半掛けて一周するバスで、NZ$2で一周できる。特段思い出に残る所は無かったが、途中で運転手が交代したのが印象的であった。 クライストチャーチのバスのシステムは良く出来ていると思う。今日乗ったオービター線以外は全部、市の中心にあるバス・エクスチェンジが始発場所であり、終点駅にもなっている。そこを中心に40近い路線が放射線状に郊外まで延びている。従って何処へ行くにも、バス・エクスチェンジで乗り換えれば良い。 バス・エクスチェンジのビルの構造も良く出来ていて、それだけ多くのの路線が出入りしているのに、全く混雑を感じさせない。電光板に、何分後に次のバスが発車するかが表示されており、乗り降りもスムーズである。 次のバスは何分後かを示すメトロインフォ 夕食はラザニア。リオは「母親がイタリア人だったから、よく作ってもらった」と言い、好物の一つだと言う。小生にとっては正直に言うと、マカロニの変形ぐらいにしか思えず、特別美味しいものではなかった。私はともすると、特に美味しいとき意外は、料理の出来栄えについて、言及することは無いのだが、リオは必ず一言「とても美味しい」と言っている。本当にそう思っているのかなと疑いながらも、そのように言える事は偉いと思う。 夕食後、ローズマリーが借りてきた、映画「ロード・オブ・ザ・キング」のDVDがあったので、皆で鑑賞することになった。しかし、英語の台詞が殆ど聞き取れないこともあって、退屈であった。芸術性が理解できないのかと言われそうだが、私はフィクションよりも、ドキュメンタリーのほうが好きだ。 3月17日(火)晴れ 20℃ 今日はローズマリーがフランス語の勉強に出かけるので、レッスンの担当はロバートだ。スイス人のリオと日本人の私と3人でインターナショナルな話題である。リオは「スイスの大きな会社で広告部門を担当している。今回のニュージーランド長期旅行は、経済の世界的不況で、仕事が少なくなった為に可能になった。 住まいはスイスの片田舎だが、週末には、湖にヨットを浮かべて遊んでいる」と言う。随分ゴージャスだねと言うと、「日本の人だって、ゴルフをするのに高い金を払っているでしょう。それと比べれば特別高いとも言えない」と言う。彼は明日ニュージーランドを立つが、オーストラリアのメルボルン郊外に住んでいる、姉妹の家に寄って行くと言う。随分国際的な一族である。 彼がこちらのホームステイに来たのは、彼の娘さんのボーイフレンドの両親が昨年、8週間のホームステイをしたのが、きっかけになっている。その後、ローズマリー夫婦がスイスを訪れ、その時リオたちに会っていると言う。 旅行案内書を見ていて改めて認識したのだが、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは、イギリス連邦に含まれていて、(the Commonwealth of Nationsと言う)英国を兄貴分とし、それぞれの国に首相はいるが、元首はイギリス君主のエリザベス2世女王である。 このことで、ロバートに、「ニュージーランド国民は、イギリスから完全に独立をしたいとは思わないのか」と聞いて見た。彼の返事は「全く思わない。今のあり方がベストである」という事であった。様々な歴史的背景があるとは思うが、国民感情というものは、地理的に遠い、近いだけでは推し量れないものがあると改めて思った。 昼食は、即席ラーメンとバナナと庭からちぎって来たリンゴだ。いくらか元気を回復してきたので、とりあえず、ミルフォード・サウンズへの旅行計画を立てようと思い、シティー・センターまで出かけた。インフォメーションセンターに行って、何か良い情報が無いかと思い、話し出したが、こちらの聞き方がまずいのか、受付の女の子の答え方が、とても面倒臭そうだあった。 私は諦めて、前にパンフレットをもらった旅行代理店に行った。こちらの40歳前後の女性は、私の意を汲んで、とてもテキパキとアドバイスをくれて、気持ち良く話を進めることが出来た。本来ならば自分の会社の守備範囲ではない、飛行機の予約まで無料でしてくれた。日本人の居る代理店で頼もうとしたら、予約の手数料としてNZ$20を頂きますと言われたのに。結局、バス代、飛行機代、宿泊代(ユースホステル)の合計でNZ$455。4泊5日のかなりゆっくり目の、旅程で予約することが出来た。 夕食は、ジャガイモ、ビーンズ、粉を丸めて焦がしたもの、それに特製のソースが添えられていた。ワインまで出てきたが、どうやらリオが用意したらしい。リオは、二口、三口食べると、例によって「ファンタスティク!」と言って褒めている。あんたは偉い! 夕食後、リオが旅行中に撮影してきた写真を、パソコンで拡大し、皆で見せてもらった。仕事でも写真関係に携わっているらしく、中々の腕前である。写真を説明しながら、リオは「アブサルトリー・ファンタスティク!(absolutely fantastic!)」を連発していた。 今日、3月17日は、「聖パトリックの日」ということで、アイルランドのキリスト教徒、カトリック派には特別の祝日だと言う。ニュージーランドには、アイルランドに縁のある人も多いらしく、大勢の人が町に繰り出して、パブでお酒を飲みながら祝う。日本のクリスマスと同様、特にカトリックの信者でなくとも、兎に角皆で一杯やろうという事だ。 聖パトリックの日(3月17日)を祝う アイルランドを象徴する、濃い緑色の服や帽子をかぶったり、顔に緑の葉の形をペイントしたりして、楽しんでいる老若男女が居る。我々もそれにあやかって、PM9:00頃から町に繰り出し、コーヒーやお茶を飲んでお喋りしてきた。 3月18日(水) 今日は、ローズマリーがポタリー(陶芸:pottery)教室へ行く日である。私にも一緒に来て見ないかと誘われたので付いていった。これが午前の授業に変わる。徒歩5分ぐらいの所にある小学校の旧校舎を修理補強しながら、コミュニティーセンターとして使っている。そこの一室が陶芸教室になっている。旧校舎はレンガ造りだった為、地震が来たら危ないと言うことで、少し離れた場所に、木造で平屋の新校舎が建っていた。 70歳前後の太った婦人が、陶芸の先生。生徒は自由に来て、そこにある様々な道具を自由に使い、思い思いの作品にチャレンジする。時々、先生が見てアドバイスしている。私もそこで3枚の皿を作って見た。完成するのが楽しみである。参加費用は、粘土代と使用料でNZ$10(約500円)。政府の補助もあって安く出来ると言う。 試作品・3枚の皿 昼食は、リオとの最後の食事になる。ロバートが作った食パンに、バターとジャムを付け、あるいはハムやチーズを挟んで食べる。後は家庭菜園で取れたトマトやキュウリ、果物のリンゴ等である。食後のデザートに、クリームを挟んだケーキが出された。 リオに「スイスの主食は何ですか」と聞いたら「昔はジャガイモだったが、今はその比重が変わってきて、家庭、地域、季節によって異なる。肉、ソーセージ、ジャガイモ、パン等、色々だ」と言う。 2時半ごろから、リオを乗せて、皆でクライストチャーチ空港に向かった。その途中でロバートがエイボン川沿いの、美しい住宅地:モナ・ベイル(Mona
Vale)を通ってくれた。まだ歩いたことの無い所だったので、後日ゆっくり散歩に来たいと思った。
ローズマリー&ロバート(リオから感謝の花束) 空港で、リオをおろした後、姪(エイニイの娘)の家に寄った。1950年代の家だと言うが、すっきりと綺麗な、たたずまいであった。子供のジョナサン:生後18ヶ月が、庭においてあるトランポリンの上で、見事に飛び跳ねているのを見て驚いた。
ジョナサン−1
ジョナサン−2 帰宅後、CD3枚から成る「ゴールドフィンガー」のリスニングを終わらせた。少々難しい所もあるが、大体の流れは理解できた。次は本を読んで細かいところを確認したい。 夕食はカレーライス。先日スーパーで買ってきた、カレールウを使ったのかな。まずまずの美味しさであった。 3月19日(木)晴れ 20℃ 朝、食堂へ行ったらロバートが居ない。頭痛で起きられないと言う。この日は何も食べずに寝たきりであった。 本日のレッスンは、吾人の、来週日曜日からの旅行について。地図と写真を広げて、それぞれの見所について、ローズマリーが説明してくれた。 昼食は、例によって即席ラーメン、食パン1切れ、リンゴという具合だ。 昼食後、昨日通った美しい住宅地、ハグレー公園近くのモナ・ベイル(Mona Vale)を目指したが、結局探せなかった。近くまでは行ったのだが残念でした。 モナ・ベイル公園 ハグレー公園内にあるゴルフコースのクラブハウスを覗いてみた。会員料金はNZ$5、ビジター料金はNZ$10(約500円)であった。こんなに安くてもガラガラだ。信じられますか?ただ、後から分かったのだが、此処のコースは12ホールしかないそうだ。しかし、18ホールを備えているコースでも、せいぜい2倍ぐらいの料金で、日本での1回のプレー代金を払えば、年間の会員になれると言う。 ニュージーランドではどうしてこんなに、安く遊べるのであろうか。こちらに来る前から、その事が本当に不思議で、ニュージーランド訪問に対する、大きな動機の一つであった。 第一に、恵まれた自然環境。気候温暖。豊富な水資源。その為に、自然に少し手を加えれば、余計なお金をつぎ込まなくとも、満たされた環境が手に入る。原子力発電など必要としない。水道水も美味しい。こんなに安心して水道水を飲める国が、他にあるのだろうか。 ゴルフ場など、町の中に幾つでも作れる。それも大して金をつぎ込まなくとも、チョコチョコと芝でも植えておけばそれでよし。たった人口35万人のクライストチャーチの市内(車で20分以内)に、ゴルフ場が数え切れないほど(15箇所前後)ある。 日本ではどうだ。ゴルフ場まで、車で1時間なんて近いほうだ。しかも山を切り崩し、谷を埋めて、造成しなければならない。無理なところに造っているから、オープンまでに膨大な費用がかかり、メンテナンスにも多額の費用が必要だ。それでも人口が多いので、クラブ会員になるには高額な会員費を求められる。 第二に、人口が少ない為に、無理な開発をしなくても十分な土地があるため、土地代も安い。日本全土から九州を除いたぐらいの土地に、人口がたったの400万人と言うのだから、日本では考えられない少なさである。日本の人口は明らかに多すぎる。しかし、それでも少子化だ、人口が減少してくる、と言って大騒ぎしている。どこかが可笑しいと思うべきだ。発想の転換が必要だと思う。 夕方5時近くにシティー・センターの大聖堂広場を通ると、観光人目当ての屋台がすっかり、片付けられているところであった。ローズマリーの話では「アジアの都市では、夜遅くまで屋台を開いている所もあるが、こちらは夜になると冷え込みがきついので、仕舞うのが早いのだ」と言う。 夕食は、チャーハン風の物。ご飯物だと、取り敢えず胃袋が落ち着く。夕食時になると、よくジョンが来ている。それもバナナとかパイナップルとか、100円前後の果物をぶら下げて。ローズマリーはあまり歓迎していないようだが、なんと言っても夫の父親だから。 普段は、ロバートがいるから親子でしばらく四方山話をし、夕食が余分にあれば(たいてい多めに作ってある)一緒に食べて帰っていくのだが、今日はロバートが頭痛で寝ているので、ジョンは食事にありつけなかった。私はむしろジョンに好感を持っているのだが。 夕食後、昨日作った陶器の皿を焼いてもらう為に、陶芸教室へ持っていった。ローズマリーが、3枚の皿の目方を量って、「素焼き代としてNZ$3(約150円)払うように」と言った。何とも微笑ましい代金ではないか。 3月20日(金)晴れ時々曇り 18℃ 今朝、キッチンに行くとロバートが新聞を読んでいた。「頭痛の方は、まだ100%良くなった訳ではないが、大分良い」と言う。そして「ローズマリーが何処へ行ったか知っているか?」と私に聞いてきた。私が「知らない」と言うと、彼はキッチンを出て行き、やがて戻って来て「ローズマリーは寝ていた」と言うではないか。おいおい二人はダブルベッドで、寝ていたのではないのか?確かにロバートの頭痛は、まだ直っていないようだ。 今日のレッスンは、羊の毛から作られる繊維製品工場の見学だ。羊毛はニュージーランドで取れるものの、人件費の関係でその多くが、中国での生産に変化して、繊維メーカーは生き残りが大変になっている。「土産店より安くて良い物が買えると思うから」と言うローズマリーの言葉に引かれて、3つの工場に行ってみたが、買いたくなる様な、製品は見当たらなかった。これならユニクロの方がまだ良いかも、というような印象であった。 ついでに、リサイクルショップへ。日本から来て、私の前にホームステイしていた、朝子さんから、「マフィンを作る型が欲しい」と電話で依頼されたのだ。幸い手頃の物がNZ$1で買えた。 次に夕飯の材料にと、市内でも人気があるという魚屋に寄った。日本の魚屋と違うのは、殆どの生魚は、頭と背骨と皮を取り除いて、所謂3枚におろした状態で販売されている。魚の名前は書かれているが、皆同じようにしか見えない。そして鮮度も判断することが難しい。「どれが言いか」とローズマリーから聞かれたが、私も判断に困った。そこで「料理の仕方にもよるが、フライにするならどれでも良いと思う」と答えた。 朝食と同じような昼食(ハムとチーズのサンドイッチ)を取ってから、近くのショッピングセンターに行った。まず、明後日からの旅行に備えて銀行で両替。半月前と比べると、NZ$1が49.1円から53.6円に、10%近くもニュージーランド・ドルに対して、円が下がっていた。日本の経済はどうなっているのかな。こちらに来ていると日本の情勢は殆ど分からない。窓口の女性は盛んに日本語を発している。「小さい、可愛い、コニチワ」等々。聞くと、日本人のホームステイを何回も受け入れていると言う。親日家の一人である。 次に、電気屋でパソコン用のメモリースティックを買った。4GBのメモリーがNZ$29.99である。NZ$30.00を渡してお釣りを待っていたら、店員は「もう終わったよ」と言う顔をしている。私は怪訝に思って、レシートを見ると、そこには「rounding 0.01」と書かれた1行があった。つまり端数を切り上げたと言うことだ。それなら値札の数字を、最初からNZ$30.00にしておけよ! 夕食時に、何時もの様にジョンが現れた。しかし今日は、私が始めて会うご婦人(ダイアン:60歳代後半)を連れて。聞くと奥さんだと言う。確か別居していると聞いたが?二人が帰った後で、ローズマリーに聞くと、別居はしているが友人関係は続いていて、1週間に1度ぐらいは、夕食を共にするのだそうだ。 夕食は、夕べの残り物のチャーハンと、今朝買ってきた白身魚のフライである。ローズマリーに「醤油が少し欲しい」と言うと、ヤマサ醤油を出してくれた。一段と美味しくなった。「我が家では時々、味見をする前から醤油を掛けて妻に怒られる」と言うと、やっと元気になって一緒に食事をしていたロバートが、「そういうことは、我々にもあるよ」と言っていた。 夕食後、ローズマリーとスクラブル(scrabble)と言うゲームをした。互いに無作為に7枚の、アルファベットが書かれたチップを袋から取り出し、それを使って単語を作り、碁盤のマスに並べていく。使った枚数だけ、また袋から取り出し、手元には常に7枚のアルファベットがある。これを一定のルールの中で続け、点数を競うゲームだ。結局、多くの単語を知っているほうが有利である。私は時々ロバートの応援を得て善戦したが、僅差で負けた。 3月21日(土)曇り時々雨 17℃ 朝食を取っていると、ロバートが「今朝はガレージ・セールに行くが君も一緒に行くか?」と言う。本当は余り気分が優れないので、ゆっくりしていたかったのだが、折角のお誘いなので行くことにした。遅れて起きてきたローズマリーからは、「あなたは明日から旅行で居なくなるから、その分のレッスンを今日やっても良いよ」と言ってきた。レッスンよりガレージ・セールのほうが面白そうだし、ロバートの方に乗ることにした。 自転車に乗ったのは何十年ぶりだろう。サイズの合わない、有り合わせのヘルメットを被って。5件のガレージ・セールを見て回ったのだが、文字通りのガレージ・セールだ。自分の家の車庫に不要になった物を陳列し、客が来るのを待っているだけ。客は思い思いに見て周り、欲しいものがあれば買っていく。 ロバートは一軒の老夫婦宅で、電動ノコギリの、一見するとこんなのが使えるのかな、と首を傾げたくなる様な物を10ドルで買った。私が「買ったのこぎりは使う予定があるのか」と聞くと、「これから作る窓枠を切るのに使うのだ」と言う。他の老夫婦の家では、若い夫婦が訪れて、旅行用のスーツケースを10ドルで買って行った。値段は有って無いような物だから、交渉次第だ。 他にも、テレビ、ゲ−ムソフト、おもちゃの人形、車のリヤウインドウ、スキー板、ウエットスーツ、とにかく不用品だから何が置いてあるか分からない。何時何処でガレージ・セールをやっているかの情報は、タウン紙に載っているようだ。日本でもフリーマーケットは、数多く開催されるようになってきたが、まだガレージ・セールは見たことが無い。 家に戻って、明日からの旅行の荷造りをしていると、ローズマリーから「山梨はどの辺に有るのか」と聞かれた。山梨県に住んでいて、アメリカに1年間、留学経験のある若い女性から、ホームステイを希望するメールが入ってきたらしい。商売繁盛で結構な事だ。 昼食はローズマリーお手製のヌードル。麺が見えないくらい沢山の野菜が載っている。海外へ出ると何時も和食が恋しくなる私が、何とか我慢できているのは、ローズマリーの料理のお蔭かも知れない。 食後のお茶を飲んでいたら、去年のクリスマスの時期に、朝子さんと一緒にホームステイしていた、台湾人女性(ミニ:Mini)が現れた。彼女は、1年間のワーキングホリデー・ビザで来て、最初の1ヶ月をこの家にホームステイしていたと言う。その後は、アパートを借りて働いているようだ。 今日は、彼女が2週間前に旅行したときの写真を持って来ており、皆で見せてもらった。雨に煙る、幻想的なミルフォード・サウンドの写真が印象的であった。パソコンの無線ランの話になったとき、私のパソコンなら市の図書館に行けば、無線ランでインターネットが可能であると言う。来週、旅行から帰ったら試して見よう。 ロバートの新しいパソコンは、DELL製品に決まって発注まではしたが、有線にするか無線にするかで迷っている。ミニの家主(若いマレーシア人)がパソコンの教師をしていて、ちょうどミニを迎えに来てくれたので、ローズマリーとロバートは彼に色々聞いていた。パソコン教師の彼は、図を書きながら説明していた。 ミニたちが帰った後、ロバートに、「彼の説明で理解できたか」と聞くと、「ブロウクン・イングリッシュ(broken English)で早口なのでよく理解できなかった」と言う。何年もニュージーランドに住んでいて、先生と言われるような人の英語でも、理解できない事があるのかと、意外な答えに私のほうが驚いた。 ミルフォード・サウンドに行った人は、例外なく、しつこい蚊に食われて、ひどい痒みに襲われた話をする。「備えあれば憂い無し」の格言に従い、薬局に行って虫除けジェルを買って来た。 夕食は、マカロニにベジタブルソースを載せた物。美味しいほうだ。私の舌のほうが馴染んで来たのかな?夕食が終わると、ローズマリーはぐったりとしている。年齢的にも無理の無い事かもしれない。 |