7月9日(水) PM3:00、妻の運転でJR佐倉駅へ。3時17分発の成田空港行きの快速電車に乗る。昨日来、超大型の台風7号が沖縄を通過して、九州方面に向かっている。台風から遠い新潟でも、梅雨前線が刺激されて大雨だという。ここ佐倉は、今朝かなり強い雨が降っていたが、今は小康状態である。低い雲がどんより垂れ込めているせいか、はたまた高齢のためか、私の気分も晴れ晴れとはしていない。 今回は、南米大陸をペルーのリマから、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロまで横断する、アドベンチュアー・ツアーに参加する。地球の裏側を旅する興味は尽きないが、その代償はかなり大きい。幾つかを例示すれば、高山病、マラリア、黄熱病等の風土病、治安の悪さを覚悟しておかなければならない。予防注射だけでも12本打ってきた。 「そんなにまでして行きたいのか?」と末娘に言われたが、「自分でもそう思うよ」と認めざるを得ない。実は今回の南米横断旅行を決めるに当たり、かなりの逡巡があった。しかし、「もし今回決行できなければ、体力の衰えが進む来年はもっと難しくなるであろうし、今世での可能性は限りなく小さくなってしまう」と言う考えに行き着き、決行を決めた次第。 そして、どうしてそんなに行きたいのか、その理由を自分なりに考えてみよう。私は旅行に行かない時でも、日々、結構忙しくしている。一日の半分は、新聞、テレビ、読書に費やしている。旅に出ると、これらの時間は、ほぼゼロであるが、それらから得る以上の刺激を五官で感ずることが出来る。つまり、「好奇心」を満たしてくれる。と言うことで、私の旅行は、好奇心が基本的な動機になっているようである。 PM3:30、成田空港行きの列車内で、私の前に座っていた、母娘二人連れの母親が「私たちは第1ターミナルへ行くのですが、どのように行けばよいですか?」と声をかけてきた。私は、「手前の駅が第2ターミナルで、終点が第1ターミナルです。私は第2で降ります」と教えてあげた。 母娘は、青森の三沢空軍基地に住んでおり、夫はそこで仕事をしている。「自分たちは久しぶりにアメリカの故郷へ帰ります」と言う。この後私たちは、奥入瀬渓流や弘前城公園の美しさを語り合い、第2ターミナル駅で別れた。別れる時、二人は、つかの間の会話を大変喜んでくれた。 ドンヨリしていた私の気分は一気に軽くなった。人が喜んでくれたことが、こんなにも自分を幸せにするのかと、今更のように感じ入った次第である。今後の人生は、何か人が喜んでくれることに使いたいと思う。 この度の荷物について少し書いておきたい。まず、ツアー参加の条件として、ハードカバーのスーツケースは、持ち込み禁止。その為、ソフトカバーのバッグを購入した。問題は、どの位の大きさにするかである。大きければ沢山詰められるが、重くなる。小さければ軽くて済むが、沢山は詰められない。 前回の旅行で、エレベーターの無いホステルでの昇降に難儀したことを考え、総重量を15kg位に抑えたいと考えた。ノートパソコンをタブレットに替えたり、寝袋を小さいものに替えたりした結果、今回のバッグは13.6kgに収まった。 PM5:30、搭乗口付近で待機していると、スピーカーを通して私の名前がコールされた。カウンターに行くと「通路側の席が空きましたので、そちらへ変更させていただきました」と言う。確かに私は、ダラスまでの席も、ダラスからの席も通路側ではない席を予約していた。その方が安かったからである。 私は「有り難うございます」と言って新しい座席券をもらった。ダラスまでの席は23Eから25Hに、ダラスからの席は23Eから13Cに変わっていた。ダラスまでの席は少し後ろになったが、ダラスからの席は随分前方に変わっていた。 PM6:20、飛行機は定刻に動き出した。しかし、順番待ちであったのか、離陸したのはそれから35分後であった。アメリカン・エアーの評判は芳しくないが、実際に利用してみて、それを実感することになった。 @、座席が狭い。縦も狭いが横も狭い。横の配列は、2ー5ー2となっている。5人が並んで座ったら、真ん中の人は、通路に出ることが大変だ。そんなに詰め込んでも、この飛行機はほぼ満席状態である。私は、5人列の真ん中を予約していたが、2列席の通路側に代えてもらったので、その分、楽が出来た。 A、食事が質素である。メインディッシュは、チキンとマカロニのクリーム煮。野菜サラダの野菜は、しなびていた。最近の機内食の中では最低レベルである。 B、キャビンアテンダントに若い人がいない。昔、倒産したエア・カナダに乗った時がそうであった事を思い出した。そう言えば、この飛行機も一度は倒産したJALとの共同運行である。そして、アメリカン・エアーの経営状態も厳しいらしい。願わくは、南米から帰国するまでは、倒産しないでもらいたい! C、機内で無線LANのWI-FIが使えない。座席の前にモニター画面はあるが、殆ど機能していない。つまり映画を見たり、音楽を聴いたり出来ないのである。それでも、イヤホンは配られているから、不思議である。 さて、私のお隣さんは、フロリダまで、空手の師匠であった人の墓参りに行くと言う。名古屋在住で60歳の日本人男性。乗り継ぎのダラスまでは、何の気兼ねも必要なさそうだ。 7月10日(木) AM1:00、ハムとチーズを挟んだ冷たいサンドイッチと冷たいジュースを配られた。いつもなら熟睡している時であり、腹が減っているわけでもないが、流れに乗って食べてしまう。 AM4:00、小さな焼きそばの配給。コーヒーを注文して食す。 AM6:00、ダラス空港へ定刻に安着。11時間余りの飛行であった。乗り換え時間が少ないので、予定通り着陸できて一安心。しかし、ここから一旦イミグレーション(入国審査)、カスタム(税関)と通過して、再度、リマへの出発ゲートにたどり着くには、小一時間を要した。 それでも、空港のスタッフに「乗り換えです」と告げると、列の前方に誘導してくれた。搭乗口ゲートまで来ると、さすがにペルー人と思われる顔立ちの人が多く見受けられた。 AM7:00(現地時間:7月9日、PM5:00)、リマ行きに搭乗。ダラスまでの機体より新しくて、座席も広く、適当に空席があって快適である。ダラスまでの機体が、想定内の厳しさであったので、リマ行きの飛行機はどんなだろうと心配していたが、杞憂であった。 後で解ったのだが、この席はエコノミーではなく「エコノミー・エクストラ」であった。私が予約したのは、後方の大部屋で、前後の空間がもっと狭い。ここは、ビジネスクラスのすぐ後ろにあって、3列(21席)だけで仕切られていた。食事の待遇はエコノミーと同じだが、座席にゆとりを持たせた空間だそうだ。成田空港のスタッフが、さりげなくサービスしてくれていた事が解った。 AM8:00、離陸。 AM9:00、マカロニの食事が配られた。余り食欲はないが、とりあえず食べることに。しかし、これが塩辛いこと!2、3口食べたところでギブアップ。 PM3:00(現地時間、7月10日、AM1:00)、約7時間のフライトを経て、30分遅れでリマ空港に安着。家を出てから丁度24時間の道程であった。預けた荷物も無事に到着しており、100US$をペルー通貨のソルに両替(275ソル、1ソル=37円)して、空港の外へ出た。 空港の出口では、迎えのスタッフ(60歳位)が私の名前を書いたカードをかざしてくれていた。天気は霧雨。少々肌寒い。リマ空港は、内も外も近代的で綺麗に整備されており、心配していた治安の悪さは感じなかった。迎えの運転手は英語を話し、日本の状況を聞かれた。 20分ほど車に揺られてリマ市内に向かう途中、深夜という事もあろうが、市内は深深と静まり返っていた。リマの人口は850万人と言うから、東京に引けを取らないほどの大都会だが、その静けさは気持ちが悪いほどである。やはり夜の出歩きは危険なのだろうか。大通りに面した家々には頑丈な鉄格子の柵が見られ、それで賊の進入を防止しているようだ。 途中、4方向が全部、赤信号のままになっている十字路が数カ所あった。運転手は慣れているようで、左右を確認しながら赤信号を通過していった。 <ここからは現地時間で書く> 7月10日、AM1:30、予約済みのカマナ・ホテル(Hotel Kamana)に到着。深夜の出迎えに感謝して、運転手に10ドルのチップをあげた。鉄格子のドアを開けてもらい、ホテルのフロントへ。英語を話す係の男性に名前を告げると、「あなたの名前は、予約表には有りません」と言う。 そんな馬鹿なはずはないと思いながら、ツアー会社から送られてきた予約済みの書類を見せると、更に調べていた。解ったことは、「明日からの分は予約されているが、今夜の分は予約されていません」と言うことであった。私もその予約表を見せてもらったが、確かにそのようになっていた。旅行会社の手配ミスであろう。 しかしこの期に及んで「予約されていないから泊まれません」では、私の方が困ってしまう。フロントの男は「今夜は満室です。午前3時半になれば、空き部屋が出来ますので、それまで待つか、それとも他のホテルを探すか決めてください」と言う。私は、こんな夜更けにホテルの探しようもないので、待つことにした。 私はその間、2階の通路にあるソファーに腰掛けて、日記を書きながら時間をつぶした。 AM3:30、フロントで話があったとおり、3時半になると、部屋が空いたらしく、5階の一室に通された。ベッドは3台置いてあるが、簡素な部屋だ。テレビやシャワーは付いているが、ポットはない。「素泊まりで22ドルならこんなものだろう」と納得。 長旅に疲れているので、すぐにでも横になりたい。しかし、シャワーだけでも浴びようと思い、シャワーをひねるが、いつまで待っても暖かいお湯が出てこない。シャワーも諦めてベッドで横になるが、掛け布団として薄いシーツだけでは寒い。私は、寝袋を持参してきたことを思い出し、それを取り出して潜り込んだ。 AM7:00、起床、洗顔。埼玉に居る孫の詩子を、持参したタブレットで呼んでみる。幸いにスカイプが繋がり笑顔の詩子を見ることが出来た。埼玉は夜の9時で、2歳の詩子は寝る直前であった。前日はジイジの私がスカイプに出なかったので、残念がっていたという。うれしさの混じる複雑な気分である。 AM8:00、朝食。ホテルのバーでパンとコーヒー、オレンジジュース等と、ボトルの水を購入して約400円。安くて助かる。 AM9:00、「半日の市内観光ツアー」を予約してあるので待っていたが、迎えにこない。確認すると、「予約されていません」と言う。何事もきちんと確認しなければだめだ。やむを得ず、午後2時のツアーを予約し、近くのスーパーマーケットに。いつものように、バナナやリンゴ、オレンジ等の果物とヨーグルトを購入。総額、約420円也。今日の午前中の予定はこれで終わり。 AM11:30、時差のために眠くなり、昼寝をする。元々「時差を解消して体調を整えてから、これからのツアーに参加したい」と考えていたので、今は昼寝をする事が主な仕事ではあるのだが。 AM12:30、スーパーで購入したもので、昼食をとる。今日の天候は曇り、時々霧雨、最高気温21℃。 PM1:00、昨夜出なかった熱いお湯が出てきたので、シャワーを浴びる。ついでに下着の洗濯も。旅行ガイドブックに「洗面用ゴム栓」の持参を勧められていたが、なにに使用するのかが理解できずに、持参しなかったが、洗面所で洗濯をするときには、ゴム栓があれば水を溜められるので、有効だと気が付いた。 PM2:00、午後の市内ツアーに参加する為の、迎えのタクシーが来た。私のホテルは旧市街にあるが、途中でブラジル人夫婦をピックアップし、新市街のミラフローレス区まで、30分ほど走った所に集合場所があった。我々3人を乗せたタクシーが、いつまでも走っているので、今日の客は我々3人だけなのかと思ったくらいである。 車窓からは、太平洋を一望する海岸沿いに「恋人たちの公園(Parque del Amor)や、ラルコ・マール(Larco Mar)」の風景が見られた。恋人たちの公園には、恋人が抱き合ってキスをしている巨大なモニュメントが置かれており、ラルコ・マールは、レストラン、ショップなどが集まる華やかなスポットである。 それでも我々は、集合場所に早めに着いたので暫く待っていると、あちこちからツアーの参加者が、三々五々集まってきた。それらの人々を、観光の方面別、スペイン語、英語のガイド別に再編成してツアーが開始される。肌寒いせいか、ツアー会社のスタッフの中には、ハーフコートを着ている人が多かった。 PM3:00、私は英語で案内されるバス(総勢17人)に乗って市内観光に出発。 以下はこの日の主な観光地である。 1、
ワカ・プクジャーナ(Huaca Pucllana) ツアーの集合場所から見えた遺跡で、紀元後から600年頃に栄えたリマ文化の遺跡。アドベ(日干し煉瓦)を積み上げて造られており、宗教的な場所だったと思われる。現在も発掘が続いている。 2、中央準備銀行博物館 地下には、インカ時代以前の金メッキの面や壷などが陳列されており、1階には、植民地時代のコインが展示されていた。いずれも立派な作りである。
3、サン・フランシスコ教会・修道院(Iglesia y Convento de San Francisco) 1546年から100年以上かけて建てられた。カタコンベ(Catacumbas 地下墓地)には、数万体の骨があり、いくつもの大きな穴に無造作に置かれている。骨は植民地時代に葬られた一般市民のものだそうだが、さらしものになっている夥しい遺骨の量に圧倒され、どういう理由でここにあるのかを聞きそびれてしまった。
4、アルマス広場(Plaza de Armas) 1535年、内陸のハウハから250km離れたリマへ首都を移したスペインの征服者フランシスコ・ピサロは、アルマス広場を中心に町を築いていった。現在もアルマス広場は旧市街の中心。広場を囲むように大統領官邸、リマ市庁舎、そしてペルー最古のカテドラル(Catedral)等が堂々とそびえている。 アルマス広場 大統領官邸 市役所 ペルー最古のカテドラル PM5:30、今日のツアーはこれでオシマイ。特段感動するものはなかったが、「百聞は一見に如かず」だ。ガイドが私に向かって「あなたのホテルは、ここから歩いて帰れるほど近いのだが、一人で帰りますか?」と言う。私は今朝、リマに来たばかりで、残念ながら自分が何処にいるのか全く解らないでいたので「バスで帰ります」と答えた。 今我々は、旧市街にいて、この後17人の客をそれぞれのホテルまで送るために、新市街まで行かねばならない。最後に送られることになった私のホテルは旧市街にあるため、再度その間を往復することになった。丁度交通渋滞の真最中であることと重なり、私がホテルに帰着したのは午後8時であった。 地理が解ってしまえば、本日最後に観光したアルマス広場から、私のホテルまでは、徒歩でも10分は掛からないであろう。それを2時間半もかけて往復!ご苦労様でした!お陰で、リマ市内の地理が、おおよそ理解できるようになりました。ツアー代金は32ドルで安くはないが、往復の車代を考慮すれば、やむを得ないかと思う。 PM8:00、ホテルのレストランで夕食。メニューの中から「チキンスープ・ヌードル」を注文。骨付きの大きな鶏肉の塊が一つと、ヌードルが少々入ったスープが出てきた。チキンとヌードルの量が反対であったら、何も言うことがない位に美味しかった。 そこでは一人の青年が上機嫌でビールを飲んでいた。話してみると、私と同じツアーに参加するオーストラリア人(ジョシュア)であった。シドニー在住で、ニュージーランドのオークランド、チリのサンチャゴを経由して、先ほど到着したばかり。21時間掛かったと言う。 彼は、南米横断のツアー終了後、続けてメキシコ、パナマのツアーに参加し、その後は働きながら、北米を旅行する予定だ。オーストラリアに戻るのは、2年後という23歳の青年で、父親は48歳だそうだ。 PM9:00、自分の部屋に戻り、日記を書く。 PM11:00、就寝。 7月11日(金) AM4:00、起床。時差の関係で目覚めが早い。 AM4:30、詩子とスカイプ。 AM5:00、日記を書く。 AM7:00、1階のレストランで朝食。昨日と同じ、パンとコーヒーとオレンジジュース。今日は、それにスクランブルエッグを追加。500円也。 同じツアーに参加するような雰囲気の女性が来たので声をかけると、予想通り同じツアーだが、彼女はツアーが終わって此処にいるのだと言う。それもペルーだけのツアーだ。スイスから来た若い銀行員だ。これから別のツアーに参加してボリビアに行くと言う。 AM8:00、妻とスカイプ。Wi-Fiが使えて、持参のタブレットが役立っている。終了後は日記を書く。 AM11:00、昼寝。時差を感じている。 PM1:30、起床。1階のレストランで昼食。昨夜のチキンスープ・ヌードルが美味しかったので、その下に書いてある「ビーフスープ・ヌードル」を注文。残念ながら、チキンスープほどには美味しくなかった。440円也。 PM2:00、日記を書く。 PM4:00、眠くなったので、本日2度目の昼寝。時差を強く感じて頭が重い。結局、今日は1度も外出をしなかった。 PM6:00、日記を書く。 PM8:00、1階のレストランで夕食。昨夜出会ったオーストラリア人が、ビールを飲みながら大量のサンドイッチを頬張っていた。彼も今日は一日中、部屋の中でゴロゴロしていたようだ。 私は「アスパラガスのクリームスープ」を注文。大きなどんぶりに入って来たのは、まさに「アスパラガスのクリームスープ」だけ!私は、ヌードルか何か、腹の足しになるものが入っていることを期待していたのだが。それもただ塩辛いだけの味。少しだけすすってギブアップ。「こんな事もあるさ」と自分を納得させてスーパーへ。リンゴとクロワッサンを購入。140円也。 PM9:00、日記を書く。 PM11:30、就寝。 7月12日(土) AM5:00、起床。詩子とスカイプ。その後、日記を書く。 AM7:30、朝食。昨日の朝食と全く同じメニューとボトルの水で400円也。隣の席にフランスからの旅行者が6人(60歳前後の3組の夫婦)。パリからリマまでは直行便で12時間だそうだ。 AM9:30、一人でアルマス広場に行ってみた。ホテルから1ブロック離れたところにある、ラ・ウニオン通り(Jiron de la Union)を歩いて行ったのだが、ほんの5分しか掛からなかった。前々日は、これだけの地理が解らずに、バスとタクシーを使い、2時間半も掛けてホテルへ戻ってきたのだ。 ラ・ウニオン通り まず、リマック川(Rio Rimac)まで行ってみる。大がかりな河川工事中で、水は川の端に造られた溝を流れているだけであった。 アルマス広場に戻って、カテドラル(Catedral)に入ってみた。入場料は10ソル(370円)。内部はメインの祭壇の他に、金箔、銀箔の、見事な彫刻の祭壇が16もあり、財力と権力に任せて、豪華を極めた感がある。 カテドラルから出てくると、沢山の学生が居て、写真を取るように促された。ホテルに戻る途中に本屋があったので立ち寄り、ペルーの地図を探したが無かった。親切な店員が「近くに地図を売っている書店があるよ」と教えてくれた。行ってみると、何とか使えそうな地図があった。15ソル(550円) カテドラル前の学生 AM11:00、一旦ホテルに戻る。旧市街の中央は、観光客が一杯である。トラブルがないように、ポリスが至る所(200mおき位)に銃を持って立っていた。ポメラで日記を書く。 AM12:00、昼寝。昼食よりも寝たい方が先である。 PM1:30、昼食がてらに散歩。今回は、アルマス広場とは反対方向にある、サン・マルティン広場(Plaza San Martin)を目指す。広場の中心には、ペルーの独立運動に大きな功績を残したサン・マルティン将軍の騎馬像が立っていた。記念写真を撮って、更に先を目指して歩いたが、次第に街の雰囲気が悪くなってきたので引き返すことに。 サン・マルティン広場 昼食はベジタリアン向けの食堂で、フルーツサラダを注文。7ソル(250円)で大盛りのサラダが出てきたが、味が今一なこともあり、全部は食べきれなかった。食事中、年輩の男性が、簡易なカラオケセットを店の入り口に置いて歌いだした。日本の流しなら、ギターをつま弾かねばならないが、これならギターが弾けなくても良いわけだ。 2曲歌い終わると、小さな空き缶を持って客席を回って来たので、1ソル(35円)を入れた。そして更に、小さな女の子がお菓子を売りに来たので、その子にも1ソルをあげた。遠い異国で、こういう人達に出会うと、どうしても感傷的になってしまう。 PM3:00、サッカーのワールドカップ、3位決定戦が始まったのでホテルへ戻って自室のテレビで観戦。ブラジル対オランダは、0対3でオランダの勝ち。ネイマールを欠いたブラジルは、平凡なチームになってしまった。 PM5:00、熱いお湯が出てきたので、シャワーを浴びる。ついでに下着の洗濯も。こうやって、その都度洗濯すれば、何日分も着替えを持参しなくて良いのかもしれない。 PM7:00、夕食。ホテルの近くに魚料理を食べさせる店があったので行ってみた。しかし、店は開いているのだが客が1人もいない。怪訝に思ってホテルへ戻り、ホテルのメニューから「シーフードとライス」を注文。ハーブティーを追加して21ソル(800円)。久しぶりの米料理に胃袋が落ち着いたようだ。 PM10:00、早めの就寝。 7月13日(日) AM4:30、起床。詩子とスカイプを試みるも、声は聞こえるが、映像の具合が悪い。ほとんど顔を見ることなく終わってしまった。 AM5:00、昨日購入したペルーの地図を開いて、これからの旅程を確認する。地図に印を付けていくと、今後の旅のイメージが具体的になる。 AM7:30、今朝もホテルの1階で朝食。昨日は6人のフランス人と同席したが、今日は別の10人のフランス人旅行者と同席した。このホテルは決して高級ではないが、旧市街の観光には便利だし、空港からも遠くないし、何よりも宿泊代が安いので、いつもほぼ満室の状態である。事情通の口コミによる影響が大きいと思う。 AM8:30、今日も、時差解消が目的の予備日である。従ってこれと言った予定はない。旅行案内を読むと市内バス(メトロポリターノ)が安く利用できそうだ。特に目的はないが、観光の一環として乗車してみようと思う。 市内バス(メトロポリターノ) 幸いにホテルの近くにバス停がある。停留所の自動販売機でカードを購入し(5ソル:200円)、それに料金(2ソル:80円均一)をチャージして使用する。 「このバスは2010年から運行を開始した交通システムで、2両を連結して市内を南北に貫く専用レーンを走行する」と案内書に書いてある。旧市街と新市街を貫く、南北に1本の路線ならば、迷うこともあるまいと出かけたのだが、考えが少し甘かった。 確かに全体としては南北に1本の路線なのだが、私が乗車した停留所を含めて、4カ所ほどの停留所が東西の路線に分かれていたのである。私は東を回るバスに乗ったから、帰りも東を通過するバスに乗らなければ、乗車した停留所には戻れない。 私はそのことに気が付き、乗車した駅に戻ってくる為には、何度も東西に分かれている部分を往復しなければならなかった。結果、280円で、2時間も市内観光を楽しんでしまった。 このバスは、専用レーンを走っているので渋滞が無く、2両連結で運行しているので、私の感想としては、電車とバスの中間と言う印象である。鉄道のないリマでは庶民の貴重な足となっている。バスは次々にくるが、混んでいて乗れないこともあった。 AM11:00、足のくるぶし辺りが痒くなり、ほおっておくと湿疹になる持病の前兆が出てきたので、スーパーマーケット内の薬局に行って保湿剤を購入。ホテルの受付で、「こういう薬が欲しい」とスペイン語で書いてみせると、受付嬢は「それでは顔につける保湿剤になりますよ」と言って書き直してくれた。お陰で薬局ではスムーズに購入できた。16ソル(600円)。 今日は日曜日で、銀行、書店等、閉店が多い。 PM1:00、魚料理を食べたくて、昨日、目に付いた店に行った。客数は相変わらず少なかったが、メニューの写真を見て魚料理を注文。鱒の唐揚げ、ライス、タマネギのサラダ、ジャガイモ等がワンプレートに盛り付けられて出てきた。久しぶりに美味しく頂いた。これにスープがあれば言うこと無しだが。 鱒の唐揚げ、ライス、タマネギのサラダ PM2:30、ホテルに戻ってワールドカップの決勝戦をテレビで観戦。ドイツ対アルゼンチンは延長戦の結果、1対0でドイツの勝ち。サッカーが大好きなドイツのメルケル首相も、リオ・デ・ジャネイロのスタジアムに来ており、ドイツの勝利に大喜びであった。 PM5:00、旅行ガイドブックを読みながら、ゴロゴロしている。遅い昼食をしっかり取った為、腹が空かない。今日の夕食は、バナナ2本と、リンゴ、オレンジでオシマイにする。 PM10:00、就寝。 |