7月21日(月)

AM3:30、起床。

AM4:30、スカイプ。珍しく電波の具合が宜しい。詩子は買ったばかりの大きなファンを持ってきて見せてくれた。2歳にしては力持ちだ。週末は佐倉の私の家に来ていたが、ジイジの私が留守のため、妻のバアバが、モテモテだったとか。

AM5:45、5日振りの大便。乾燥と寒冷の影響で、便秘気味だ。6時には出発するのだが、やっとモヨオしてきたチャンスは逃せない。3分遅れで皆に合流。

   

ホテル前の通り(アレキパ)

AM6:15クスコへ向けてホテルを出発。ホテルの車で空港まで送ってもらう。

AM6:30、空港着。チェック・イン。飛行機はスターアライアンスのアヴィアンカ(Avianca)航空である。

AM7:00、空港内で朝食(菓子パン2個、コーヒー、ボトルの水)。24ソル(880円)。

リーダーのハイディは、ナスカ以来の風邪がまだ治っていないらしく、時折咳き込んでいる。もっとも強そうに見えた人が、一番早く病魔にやられている。しかし、そんな状態でもバスで移動中は横になりながら、最低限の仕事を全うしているところは、認めてあげなければならない。

AM7:30、快晴の中を離陸。150人乗りの飛行機は満席で、6000m級の火山を真横にかすめていく。下界は、赤茶色のアンデス山脈と峡谷がくっきりと見えている。山脈の頂上一帯に、点々と陽炎のように見えていたのは、窪地に出来た池であった。

少ない雲を眼下に見ながら、飛行機は左右の翼をゆっくりと上下させている。アンデス山脈のスケールは、箱庭のような日本山脈とは比較にならない。クスコは稜線の東側に位置するのか、雲が多くなってきた。そして所々に、草木の緑が見えてきた。

AM8:10、上空から見ると赤い煉瓦の町、インカ帝国の都・クスコに着陸。迎えの車で、ホテルへ。

AM8:30、ホテル、クスコ・プラザ・1Cusco Plaza 1)にチェック・イン。部屋は3階の1室をあてがわれたが、エレベーターが無い。大きなバッグを自分で持ち上げて運んだが、14kgに収まっていたため、難儀せずに済んだ。

     

 ホテル、クスコ・プラザ・1

AM9:00、朝食へ出かける。私は空港で済ましたのだが皆に合わせた。レストランへ行く途中、さっそくインカ時代の石畳、石造りの家、そしてそれらをカメラに収める多くの観光客に出会う。

   

  石畳と石造りの家

朝食にはスープを注文したが、塩分が濃すぎて飲めない。15ソル(550円)。ジョアンナが、朝食に来ていない。風邪を引いて食欲が無いそうだ。とうとうリーダーの風邪が移ったのだろう。実は私も、咳と痰が出始めている。

AM10:00、朝食後、リーダーの案内でクスコの中心街を散策

1、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会Iglesia de la Compania Jesus

     

2、カテドラルCatedral

     

3、インカ帝国第9代皇帝、パチャ・クティ(Pacha Cuti)像

     

4、ラ・メルセー教会・修道院Iglesia y Convento la Merced

     

5、サン・フランシスコ教会・修道院Iglesia y Convento de San Francisco

     

6、サン・ペドロ教会Iglesia de San Pedro

     

個々の建造物に重い歴史を感じるが、中に入って見る事はしなかった。唯一立ち止まったのは、中央市場Mercado Central)の中にあるフレッシュ・ジュースを飲ませてくれる所である。リーダーが馴染みの所のようで、彼女は大きなコップにマンゴジュースを何倍もお代わりしていた。朝食の時も特大のマンゴジュースを飲んでいたのに。余程、喉が渇いていたのだろう?

クスコは標高3600に有っても、そこはやはり盆地である。周りは、ぐるりと更に高い山々が巡っている。

AM12:30、ホテルへ帰着。

   

ホテルの自室からの風景

PM1:15、日記を書く。突然音がしてきたと思ったら、雨である。周りは晴れているのに、此処だけが雨である。それも短時間で止んだ。

PM6:30、明日からの事を打ち合わせる。此処でオーストラリア人夫婦(50歳代)が合流。夫の名前をジョン(John)と言い、妻の名前をイボンヌ(Yvonne)と言う。

彼らも含めて我々熟年組は、列車でマチュピチュへ行き、若い2人だけが明日から3泊4日のインカ道のトレッキングに挑戦する。

我々は、此処クスコで2泊し、その後、列車で1泊2日のマチュピチュへの旅行を楽しむ。体力に自信のない熟年には嬉しい行程である。

PM7:45、ホテル近くの、パブ風のレストランで夕食。昼食を抜かしたので、夕食はきちんと食べようと思い、ビーフステーキ云々を注文した。待つこと1時間。私は大きなステーキが出てくると期待していたら、それが細切れになって具材になっている、大きくて堅いオムレツであった。

しかも、一口食べたら止めたくなるほどの塩辛さ。普段、自宅では妻の方針で、塩分控えめの料理を食べているので、こんな時はどうにも対応できない。何とか半分だけ飲み込んで、残りの半分は、リーダーと部屋の相棒に片付けてもらった。

コカ茶を含めて44ソル(1600円)は大分高い。考えてみれば此処は世界有数の観光地である。レストランでの食事は、他での2倍の値段を覚悟しなければならないであろう。

食事の歓談中、突然の停電があった。すぐに復活することを期待したが、我々が引き上げるまで復旧する事はなかった。自家発電なのか、少しの明かりが有った事と、食事が終盤に差し掛かっていた事で、大きな混乱はなかったが、電力事情の厳しさを感じた。

PM9:30、ホテルへ戻り、シャワーを浴びる。朝食に続き、高価な夕食までが不味かったので、心中は不満で一杯だ。傷心の中、就寝。


7月22日(火)

AM4:30、起床。スカイプを試みるが接続不可。電波が弱いのだろうか?

AM5:00、日記を書く。若い二人はインカ・トレックに、今朝出発だ。咳と痰が出る、私の今の体調では、もしインカ・トレックを予約していても、参加をキャンセルする事になったと思う。

AM7:30、しばらく横になって休む。

AM8:30、朝食を取りに外出しようと思い、ホテルのロビーへ降りて行くと、若い女性が中庭で何か食べている。横の部屋をのぞくと、朝食らしきものが置いてある。聞くと「セルフサービスでどうぞ」と言うことだ。

それなら、外まで食べに行かなくて済むので助かる。食材は、シリアル、パン、ジュース、ハム、チーズ等と代わり映えのしないものであるが、高額を支払って塩辛いものを出されるより、余程ましである。

食事中に、赤子を連れた若い夫婦が姿を見せた。聞くとオーストラリア人で、赤子は生後14ヶ月だと言う。ヨチヨチ歩きをして可愛い。

夫は自分の体の前後に荷物をくくり付け、更に左右の手に大きな荷物を抱えている。おそらく全部で5060kgは有ると思う。夫はその格好で、そして妻が赤子を抱えて、マチュピチュへ行くつもりらしい。若さと行動力に敬服するばかりである。

AM9:15、一人で外出する。目的は、12角石の写真を撮ることと、スーパーマーケットで食料を調達することである。町の中心部を歩いている人の殆どは観光客と、それをターゲットに商売をしている人である。つまりクスコは観光で成り立っている町である。

   

12角石の前で

町にはインカ時代と、その後の植民地時代の建造物が今でもそのまま残っていて、保存されているだけではなく、官庁、レストラン、土産物屋等、様々に利用されている。石で作られているため、何百年も存続するわけだ。

   

  インカ時代の建造物・1

スペインが侵略して来て、クスコに都を構え、インカの建物を様々にスペイン風に建築し直したが、1650年に、クスコを襲った大地震の時、立て直した部分は崩壊したが、インカ時代の建造物はビクともしなかった。それで、その後はインカの建造物を利用することになったと言う。

   

  インカ時代の建造物・2

「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われるインカの石材建築。今日写真に収めた12角石は、その代表的な物である。

普通、建築物に使用する石は4角であり、それを積み重ねる方法が簡単であると思う。それを、わざわざ12角に切って、しかも、他の石との接合部分は「カミソリの刃1枚すら通さない」ように組み上げることは、至難の業に違いない。

何の為にそんな難題に挑戦したのか、いろいろ推測はあるが、未だにその疑問は解明されていないと言う。結果論として、それだけの複雑な組み合わせを「カミソリの刃1枚すら通さない」ようにやってのけたので、大地震にもビクともしなかった、と言えるのかも知れない。

インカ文明が想像を絶する高度な文明を持っていた事は、この一例からも伺い知れるが、クスコ周辺には、そういう物が無数に存在しているのである。此処の中心広場から出発する観光バスも、1時間半コース、半日コース、1日コースと様々である。

我々はその無数の遺跡の中から、めぼしい物を幾つか見学して満足するしかない。インカ文明もすごいが、それの土台となったプレ・インカの文明もまた目覚ましかった事は、リマの天野博物館で教えてもらった。

AM10:30、私は食料調達のために、スーパーマーケットを目指している。それが中央市場の近くにある事は見当が付いている。しかし、その付近に行っても皆目見当たらない。私は、その辺りの店で「スーパーマーケットは何処ですか」とスペイン語で聞いてみた。すると、通じたと見えて「1ブロック手前にあります」と教えてくれた。

   

中央市場

ところが、1ブロック戻って見渡しても、スーパーの入り口が見当たらない。そこに立っていた人に、もう一度同じ事を訪ねると「そこの2階にあります」と指さしてくれた。そう言うことだったのか。昔の建造物をそのまま生かして使用しているので、他の建物と変化が無い為、それと気付かずに通り過ぎていたのである。

2階に上がると、そこには結構広い売場が広がっていた。まず、オレンジやリンゴ等の新鮮な果物が欲しい。果物コーナーを物色するが、眼鏡に叶う新鮮な物が見当たらない。そんな中から、おそるおそる青リンゴを1個取り上げる。そしてまだ少し青いバナナ。熟れ過ぎているバナナより増しかなと思う。

更に、以前食べて美味しかった、雷おこしに似たクッキー。小さなカップのイチゴ・ヨーグルト2個。そして、最後に牛乳コーナーへ。此処でまた一思案。牛乳の種類が多くて、私が探しているものがどれだか分からない。残念ながら、微妙な差を聞き出すまでのスペイン語は身につけていない。

そこで、持参のスペイン語辞典を取り出し、当たりを付けた牛乳パックに書いてあることを調べてみた。「Leche Fresca」とは新鮮なミルクと読める。私はかなりの自信を持ってこの牛乳パックを買う事ができた。総額15.66ソル(580円)。結果は、バナナが心配した通り、少し早かったが、他は合格であった。

AM11:15、ホテルに帰着。スーパーで買ったもので昼食を済ませ、風邪薬を3錠飲む。気が付いてみると、周りにいる人の殆どが、風邪を引いている。咳をしたり、鼻をかんだりしているのだ。やはり、環境、気温の変化に体が着いていかないのであろう。クスコの今日の最高気温は17℃と表示されていたが、早朝の気温は、0℃前後だと思う。

AM12:00、日記を書く。このホテルのインターネット状況は良くない。私の部屋やロビーでは、Wi-Fiが使えず、2階の踊り場に来ると、時々使えると言う状況である。繋がった時を見計らって、書き溜めた旅行記を妻に送ることにした。

PM2:30、昼寝。

PM6:00、夕食を取りに外出。アルマス広場に面したピザ屋でピザを注文。お茶と合わせて32ソル(1200円)。塩分を強くは感じなかったので、良しとしよう。ベトナムでは何でも甘くて閉口したが、ペルーでは塩辛いことが美味しいとされるのであろうか。

PM7:00、ホテルへ帰着。日記を書く。

PM9:00、今朝、預けておいた洗濯物を、受け取りにフロントへ行く。6ソル(220円)。

PM10:00、就寝。

7月23日(水)

AM6:00、起床。日記を書く。

AM8:30、朝食。昨日と同じメニューだが、それで十分である。

AM9:30市内観光ツアーのバスに乗る為に一人で外出。1時間半で20ソル(730円)。発着地点のアルマス広場で乗車した。まだ空席があるためか、客集めのために、バスが何度もアルマス広場を回っている。5回目位に、ある婦人が痺れを切らしたように「何時になったら出発するのよ!」と大声を出した。乗客一同から、同感の笑い声が挙がった。

AM10:10、観光バスが発車。勧誘する男は、英語での説明もあると言っていたのに、殆どスペイン語だけであった。アルマス広場とそこに面して建つ建造物は、目を見張るような美しさと、威厳を持っているが、中心広場から一歩外に出ると、廃屋や崩れかかった民家が目立つ。

   

アルマス広場・1

   

アルマス広場・2

我々はこの観光バスで、町の高台にある巨石建造物、サクサイワマンSacsayhuaman)を車窓から見た後、丘の頂上に建っている、真っ白なキリスト像のある場所から、クスコの町を一望して来た。

   

巨石建造物のサクサイワマン

    

丘の上からクスコを一望

サクサイワマンには、1536年5月、スペイン人に反旗を翻したインカ帝国最後(15代)の皇帝、マンコ・インカ・ユパンキは、2万の兵士と共にサクサイワマンに籠城した。しかし、夜は戦わないインカ兵はそのスキを突かれ、作戦は失敗した。この建造物が宗教的な物なのか、要塞なのかは分かっていない。

丘から下って、アルマス広場に戻る直前で、サント・ドミンゴ教会・修道院Iglesia Y Convento de Santo Domingo)を車窓から見学した。これは、インカ帝国時代には、コリカンチャQorikancha)と呼ばれる「太陽の神殿」だった。


    

サント・ドミンゴ教会・修道院

AM11:30、観光バスを下車し、スーパーマーケットへ。菓子パン3個と、小ボトルの水を1本購入。5.20ソル(190円)。これと、昨日購入した残り物で、本日の昼食と夕食になった。

AM12:30フリー・ウォーキング・ツアーに参加した。日本人が参加するのは初めてだと言われた。私は、午前中に参加したバスツアーとは、内容が異なるのかなと期待していたが、同じような処へ行くことが分かったので、40分ほど参加してから分かれて戻ってきた。

このツアーに参加して分かったことは「クスコの町は盆地にある」と前に書いたが、更に言うと、アルマス広場を底にした、すり鉢状になっており、どこへ行くにも坂道や急な階段を登って行かねばならない。

   

坂道が多いクスコ市内

高地に順応しきれていない観光客には、これが重い負担となる。現にこのツアーに参加していた、クリスとジョアンナは、急な階段に差し掛かったところで、体力の限界を感じてリタイアしてしまった。

PM1:30、私はツアーと別れ、アルマス広場まで降りてきた。そこで目撃したのは、ペルー人母子が何やら美味しそうに食べている光景である。私は思わず「それは何処に行けば買えますか?」と聞いた。すると「あそこに白い布が見えるでしょう。そこで売っています。一つ1ソルです」と教えてくれた。

アルマス広場に面した処ではあるが、小さなテーブルに白い布を掛けただけの露店である。しかも商品はテーブルの下に隠れているから、教えてもらわなければ絶対に気が付かないと思う。

私はそこへ行って1個注文した。年輩のおばさんが、白い布の下から取り出した物は、トウモロコシの皮に包んであり、湯気が立っていて暖かかった。1ソル(37円)。

その場で頬張りたかったが、そこまでの勇気が無く、ホテルに持ち帰って食べた。それは、ほんのり甘くとても美味しかった。私の推測では、トウモロコシの粉を丸めて、蒸したものではないかと思う。タマルと言うらしい。新潟県の笹団子を思い出す1品でした。

   

トウモロコシの皮に包んだ団子菓子

そう言えば、ペルーに来てから中華料理を食べることが殆どなかった。中国人に出会うこともない。どこの国に行っても、中国人は大勢居るのに、これは珍しい現象である。

PM4:00、昼寝。

PM5:00、日記を書く。

PM6:00、夕食。スーパーで買っておいた、菓子パン2個、ヨーグルト1個、牛乳でオシマイ。

食後に風邪薬を3錠飲む。もう5回も飲んだが効き目が無い。1箱、10回分を持参しているが、そんなに飲まなくてはいけないの?4、5日すれば薬を飲まなくても、回復すると思うのだが。

PM8:00、明朝出発する、マチュピチュへの1泊2日の旅行の為に、パッキングを行う。

PM9:30、シャワーを浴びて就寝。

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