8月2日(土)

AM5:45、起床。

AM6:30、早いチェックアウト。今日は、プーノから国境を越えてボリビアのラ・パスまで行く。まず、迎えのバスに乗って、路線バスのターミナルへ行く。

AM7:20、満席の路線バスで出発。この路線バスからは、チチカカ湖が、左側に、下になったり、水平になったり、遠くになったり、近くになったりしながら、終始見えている。晴れているせいか、穏やかな湖面がきらきら輝いている。

AM10:00、国境に近づいて来ると、道路が大渋滞だ。しかし、勝手知ったる我らがバスは、細い裏道をスイスイ抜けて行く。国境に来ると全員バスから降りて、ペルー側のパスポートチェックを行う。1カ所目は、小さな小屋の中で1人の男が、出国カードに機械的にスタンプを押しているだけ。

それを持って2カ所目に行くと、パスポートに出国のスタンプを押してくれた。何も2カ所に分けて行う必要はないと思うのだが。この後、両替所に行って、100ドルをボリビア紙幣に両替。660ボリビアーノ(Bs.)になった。Bsは約15になる。

AM10:50 (ペルーとは1時間の時差があるので、ボリビア時間では1150)、今度は、歩いて国境を越え、強い日差しの中で、ボリビアのイミグレーションに並ぶ。30分程並んだが、審査そのものは至って簡単に終わった。

旅行用ガイドブックには、バスの中に荷物を置いておくと、盗まれるので必ず持っていく事とか、国境で荷物をチェックされる時、検査官が巧妙に紙幣を抜き取るので、十分気を付けるようにとか、偽警察に騙されるな等と書いてある。

そんなことが頻発しているのであろうが、私たちの国境越えは、出国時も入国時も、荷物の審査さえなくスムーズに終了した。旅行用ガイドブックの警告と現実との落差が大きすぎて、ガイドブックに不信感さえ抱いてしまう。ガイドブックを読んだだけで、「そんなに危ない国なら、行くことを止めよう」と思う人が居るのではないかしら。

AM12:30、我々が乗ってきたバスは、先に国境を越えて我々を待っていた。我々は再び同じバスに乗って出発。

PM1:00、国境を過ぎて少し走ったコパカバーナCopacabana)と言うところで、バスの乗り換えがあった。「どうして?どのバスに?」と言う疑問を持ちながらも、現地ガイドの指示に従って動く。国境越えは、現地ガイドの出番である。少なくとも、スペイン語が堪能でないと、南米の1人旅行は無理であろう。

PM1:30、乗り換えたバスが発車。

PM2:34、我々乗客は、チチカカ湖とウィニャイマルカ湖Huinaymarca)を分かつ町、チュアChua)で一旦バスを降り、湖をボートで渡る。時間にして6分間の短時間である。空になったバスは別の平底のはしけで運ばれる。

   

乗客はボートで渡り

   

バスははしけで運ばれる

PM2:40、対岸に到着。バスが来るのを待ちながらフラフラしていると、魚を油で揚げた良い臭いがして来た。近づいて見ると、大きな魚とワカサギ程の小さな魚を揚げていた。

どんな油で揚げているのか分からないが、食欲に負けて、大きな魚(多分、鱒)を開いて揚げた物を1尾注文した。露天商のオバサンは、それに少しの小魚を入れてくれた。10Bs150円)。ボリビア紙幣での最初の買い物である。

PM3:00、買い物をしている間にバスが到着してしまい、バスの外で食べる時間がなかったので、ビニール袋に入れてもらった物を、そのままバスの中へ。バスの中で揚げたての魚を食べるには勇気が要るが、冷えてからでは美味しくないのでそのままパクリ!

期待した通り、おいしゅうございました。箸もないので手掴みで食べていたら、油で手がベトベトになってしまった。5本指で食べるなら詩子の方が上手かもしれない。食べ終わって骨だけ袋に戻し、ティッシュを探そうとした瞬間、後ろの席からティッシュが差し出された。

それは、見知らぬ中年の婦人であった。やっぱり誰かに見られていたのだ。嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちでお礼を言った。

バスは、近くにチチカカ湖に隣接するウィニャイマルカ湖を、そして、遠くに白雪に輝くアンデスの山を見ながら進んでいる。

   

白雪に輝くアンデスの山

PM4:30、大きな町に入ってきた。しばらく走ると、突然、眼下にすり鉢状の巨大な町が出現。ラ・パス(La Pazの町だ。バスの運転手は、エンジンブレーキを掛けながら、すり鉢の底に向かって慎重にハンドルを切っている。遙かに見下ろす、すり鉢の底には高層建築が林立している。

ラ・パスは、標高3650、世界最高所にある首都である。すり鉢の底がこの高さで、我々が走ってきたところは、それより500mも高いところである。常に標高4000を越えたところを走ってきたことになる。

片道1車線の舗装道路の周りは平原が広がり、遠くには白雪に覆われた標高6000m級のアンデス山脈が横たわっている。しかし、数字を考えずにバスに揺られて、ぼんやりしていると「自分がそんなに高い所にいるとは思えない」ことが不思議である。

おそらく、この辺に永いこと住み着いている人々も、自分たちが「常識を越えた高地」で暮らしているとは、考えたことがないのではなかろうか。

PM5:00、運転手が道を間違えて降りてきた事に気が付いたようで、片側が深い崖になっている狭い坂道で、車を反転しに掛かった。バスは完全に道路を封鎖してしまい、他の車は登りも下りもストップしたままである。

道路を直角に塞いだバスが、前後に動ける範囲は1mも有ったであろうか。何度も何度もハンドルを切り直すが、バスの角度は幾らも変わらない。我々は、このバスが崖下に落下しないことを祈るだけである。バスが何とか上り車線を動き出した時、車内から思わず拍手と歓声が上がった。

PM5:20、ホテル・サガルナガ(Hotel Sagarnaga)に到着。チェックイン。ジョシュアはオリビアの部屋に行ったので、私はツインの部屋を独り占めである。久しぶりに無線のWi-Fiが繋がったので、妻宛にメールで日記を送った。スカイプも試したがそれが出きるほど、通信状況が良くはなかった。

PM7:00、近くのレストランでディナーへ。アルコールが飲めなくなった私は、スパゲティとコカ・ティを注文。57Bs(860)。ボリビアの物価は低いと聞いていたが、観光客相手のレストランでは、決して低いとは思えなかった。食後に抗生物質とマラリアの予防薬を飲む。幸い、痰の量が少しずつ減少しているように思う。帰り道で、水と牛乳を購入。9.5Bs150円)。

PM9:30、ホテルに帰着。

PM10:30、シャワーを浴びて就寝。


8月3日(日)

AM5:30、起床。妻、詩子と短時間、スカイプが出来た。顔が見られると安心できる。

AM6:00、日記を書く。

AM7:30、買い置きの牛乳、パン、オレンジで朝食。

AM9:00、9人でガイドとマイクロバスを貸し切って、市内観光に出発。25ドル。まず、ラ・パス(La Paz)とは、平和と言う意味であるとガイドから話があった。スペイン語のPazは英語のPeace(平和)と言う意味である。我々は「ラパス」と言うが本来は「ラ・パス」な訳である。

本日の主な観光は次の通り。

1、          最初に観光した所は、ラ・パスの中心となる、ムリリョ広場Plaza Murillo)。広場に面して、国会議事堂、カテドラル、大統領官邸が建っている。ここはボリビアにおける政治の中心地である。広場には沢山の鳩がいた。広場の中央に立つ像は、ボリビアの独立の英雄ムリリョである。

    

大統領府とカテドラル(ラ・パス)

   

国会議事堂(ラ・パス)

2、          国立民族博物館。館内は撮影禁止の為、写真はないが、プレ・インカのティワナク文化Tiwanaku)を示す発掘品や、近代のボリビアの歴史が展示されていた。この建物の隣に、細いハエン通りCalle Jaen)があり、この石畳の道の両側には、植民地時代の白い建物が当時のままの状態で建っていた。多くは、そのまま博物館として解放されている。

   

ハエン通り(ラ・パス)

3、          キリキリ展望台Mirador Killikilli)。ここからは、ラ・パスの町を360度見渡すことが出来る。すり鉢状の内側に、へばりつくように密集している民家や、ボリビアで最高峰の霊峰、標高6450mのイリマニ山が一望できる。
       

    

イリマニ山を遠望(ラ・パス)

   

すり鉢状の内側に密集している民家(ラ・パス)

4、          月の谷Valle de la Luna)。ラ・パスの中心地からここまでは、車で30分。その間に標高は更に600m下がり、標高3000の所に月面そっくりの光景が広がっている。火山の爆発による溶岩と、雨期には毎年のように発生する洪水等によって出来た奇岩が広がり、まるで月面のようである。雨期には足が滑って此処は歩けないと言う。

   

月の谷

月の谷を見てから町の中心部に戻るとき、何本かの川を見た。今は乾期で水量は少ないが、一度雨期になれば、川は濁流となって流れ、町の様相は一変するのではないかと思われた。

本当の南米を知るには、雨期の南米も見ないと知ったことにはならないと思う。しかし、乾期だから行けるところも、雨期では行けないところが、あちこちに出現するであろうし、観光には向かないと思う。

5、          魔女通り。宿泊ホテルのすぐ側にあるリナレス通りCalle Linares)は、通称「魔女通り」と呼ばれる不思議な小路である。リャマやアルマジロのミイラ、呪術に使う薬草、大地の神・パチャママに捧げる魔除けなど、普段見られない物が、所狭しと置かれている。こんな物を誰が買うのだろうか?

6、          サガルナガ通りCalle Sagarunaga)。宿泊ホテルが建っている通りである。車がやっと1台通れる位の狭い通りだが、両脇は土産物屋がびっしり並んでいる。旧市街の中心的通りで、観光客の往来が絶えない。我々のホテルも、町の全体像が分かってくると、何処へ行くにも便利なところにある事が分かる。

   

サガルナガ通り

PM1:30、4時間余りの半日観光を終えて、ホテルに帰着。最後に「アジア料理のレストランは、この近くに有りませんか」と現地ガイドに聞くと「近くにタイ料理店が有ります」と言って教えてくれた。探しながら行くと、それはすぐ近くにあった。

本日のランチは、スープ、メインディッシュ、デザートで30Bs450円)と書いてある。そんなに安くはないが、他に選択肢も無いようなのでそれを注文した。待つこと20分。最初に出てきたのはメインディッシュで、いわゆる「焼きうどん」の如き代物。

かなり塩辛いが何とか我慢して食べた。その後、スープが出てくるのを待っていたが、いつまで待っても出てこない。私はしびれを切らして、スープを催促した。更に待たされて出てきたスープは、塩辛くてとても飲めたものではない。

私は「こんなに塩辛くては飲めないよ」と言って、それを突き返した。作り直して出てくるのを待っているが、一向に出てくる気配がない。そして、デザートのアイスクリームが先に出てきた。

既にこの店に来てから1時間以上経っている。私は「スープは要らないから」と言って20Bs300円)だけ置いて店を出てきた。現地ガイドに紹介された店が、こんなにひどいとは思わなかった。私と店員とのやりとりを見ていた他の客が笑っていた。

此処からすぐの所に、サン・フランシスコ寺院Basilica de San Francisco)があるので見に行った。寺院は大通りに面しており、その広場には多くの観光客がいた。その外観の大きさから推測すると、建物の中はどんなにか荘厳な造りであろうかと想像してみるが、中に入る気にはならなかった。

   

サン・フランシスコ寺院

PM3:30、ホテルに戻る。カメラの4ギガのメモリーが、一杯になったと言うサインが出た。調べてみると、今日までの26日間で1757枚撮影したことになる。全く写さない日もあったが、平均すると1日に67枚になる。新しいメモリーに交換して今後に備えた。暫く日記を書く。

PM7:00、ディナーへ。10人のツアーメンバーの内、3人の女性が明日、帰国の途へ。そして1人の男性が新たに加わる事が分かった。

3人の女性は、オーストラリア人2人(クリスとジョアンナ)と、カナダ人1人(オリビア)。私が心配することではないが、ジョシュアは寂しくなってしまうだろう。クリスとジョアンナは仲良しで、旅慣れしており、毎夜、1本のワインを二人で空けて楽しんでいた。

今夜の私は、久しぶりに肉料理を注文。牛肉にベーコンを巻いて串焼きにした物、それに人参とジャガイモを添えて出てきた。味はまずまずだが、牛肉は固くて筋っぽかった。食べ切れそうもなかったので、3分の1をジョンに、食べてもらった。コカ・ティー代を含めて70Bs1050円)。

PM10:10、就寝。

8月4日(月)

AM6:00、起床。

AM7:30、朝食。ホテルの食堂に行くも、朝食の準備が出来ていない。ただコーヒーとお湯のポットが置いてあるだけ。暫くすると、男が1人前のジュースとパンをプレートに乗せて運んできた。私の後から、客がどんどん入ってきたが、全く対応できていない。

やがてフロントのスタッフも応援に来て、泥縄的な対応をしている。スタッフが居ないのなら、セルフサービスにすれば、簡単に対応できるだろうに、そういう発想にはならないのかしら。ラ・パスに来てから、客への対応が訓練されていない場面をしばしば見かける。

昨晩のディナーの時も、長時間待たせたあげく、誰も注文していない料理を持ってきたりして、一つ一つの対応に時間が掛かりすぎるのである。しかし、此処は南米であって日本ではない。私の方が妥協するしかあるまい。

朝食後、頼んであったクリーニングを受け取りにフロントへ。18Bs(270)。部屋に持ち帰って袋から取り出してみると、がっかり。白い肌着が黒ずんでいるではないか!1枚の下着に至っては、黒い斑点まで付着している。

どうやったらこうなるのか、信じられない。抗議しても良いのだが、こちらも着替えが無いので、洗濯をし直す時間的余裕がない。此処は南米・ボリビアだから、これも一つの文化だと諦めるしかないか。

AM8:30、昨日の市内観光を、ガイドブックを見ながら復習する。そしてフリータイムである今日の行動予定を立てた。それは、ラ・パスにある「日本人会館」を訪ね、その中にあるレストラン「けんちゃん」で日本食を食べる。と言うコースである。

AM11:30、日本人会館を目指して外出。まず、ラ・パスで最大の大通り(マリスカル・サンタ・クルス通りAv.Mariscal Santa Cruz7月16日通り Av.16 de Julio)を南下する。そして、学生広場まで来たら左折する。割と簡単な道順だが距離間が掴めていない。

途中でポリスに1回、女子高生達に1回、道順を聞いて、25分後に無事に日本人会館まで来た。ところが、シャッターが降り、錠前が架かっていて人の気配がしない。今日は休館日なのだろうか、それとも既に閉館してしまったのだろうか。何も分からないままそこを引き上げるしかなかった。

AM12:00、帰り道で見かけたレストランに入って昼食。メニューはなく、入り口にピンぼけした写真が張り出されていた。私はその中から魚に見える写真を選択した。実際に出てきたのは魚ではなく、何かの肉であった。

しかし、少々のサラダ、薄味でたっぷり量のスープ、デザートの甘いゼリーと、ローカルな料理を十分堪能できた。しかも料金はたったの13Bs200円)。地元の人たちはこんな料金でランチを食べていることが分かった。このレストランは、私が来た後、次々に来客があり、たちまち満席になっていた。

AM12:30、上り坂の帰り道を、キョロキョロしながら歩いていると、地図を売っている露店があった。私はボリビアの地図が欲しかったので立ち寄り、1枚購入。35Bs(525)。随分高いようにも思うが、値段が表示されていないから、言い値で買った。値切ってみたら良かったと後から思う。

この通りは、ビジネスマン、学生、地元のおばちゃん等、観光客以外の人たちが大勢行き交っている。そういう点で観光客だらけの旧市街を歩くより、新鮮な気分になれる。

PM1:30、ホテルに帰着。持参のタブレットに表示された気温は17℃を示している。起床時の気温は0℃であった。一日に於ける気温の差が大きいことが分かる。朝は何枚も重ね着するが、日中は次々に脱ぎ捨てることになる。

そして、3時を過ぎたあたりから、また急に冷え込んでくる。タブレットに示された気温は公式なものだろうが、外を歩いて直射日光を浴びている時は、20℃を越えているような気がする。

日記を書き、妻に送信する。持参したタブレットがWi-Fi無線の使えるホテルで役立っている。軽くて、通信料もかからず大助かりである。

PM7:00、夕食の時間になったのでロビーへ降りていくと、帰国したはずのオリビアが居るではないか。私は「何時に帰るの?」と聞くと「ダブル・ブッキングで飛行機に乗れなかったの。昨日、確認の電話を入れて置いたのに」と言う。これも南米ボリビアの文化か。

彼女は、乗り継ぎ飛行機の予約を変更したり、ホテルを1泊延長したり、空港までの往復のタクシーが無駄になったりと、大変な一日であったらしい。カナダの両親にも、泣きながら電話をしたと言っていた。

今日のディナー参加者は、リーダーのハイディ、オリビア、私、それと今日から合流したピーターの4人だけ。他の6人は、オプショナルでマウンテン・バイク・ツアーに出かけ、まだ帰着していないのだ。

注文した料理は、ハイディと同じパスタ料理であったが、出て来た物は、焼きうどんと言ったものであった。しかもソースが良く混ざっておらず、味が付いていない部分があったりして、とてもプロの料理とは思えなかった。

これなら私が作る焼きそばの方が遙かに美味しい。コカ・ティーを含めて55Bs825円)。ランチで食べた13Bsの方が余程満足度が大きかった。

今日から合流して相部屋になったピーターは、オーストラリアのシドニー在住。65歳で独身、現役の公務員だという。その歩き方、話し方から、私よりも年長に見えたが、意外であった。

PM9:00、シャワーを浴びて就寝。ちなみに、ピーターは朝、起床時にシャワーを浴びるそうだ。

8月5日(火)

AM7:00、起床。メールのチェック。ヤフー・ニュースを見たら、理研の笹井氏が自殺したと出ていた。惜しい人を失ったものだ。しかし「スタップ細胞の存在を証明できれば、世間の雑音は消える」と思うのだが、どうしてその方向に心が動かなかったのであろうか?エリートほど逆風には弱いことを感じる。

AM7:30、ホテルで朝食。パン、ジュース、ミルク・コーヒー、コカ・ティー、バナナ。

AM8:00、日記を書く。1日分を書くのに、約3時間掛かる。通常は、まとまった時間が取りにくいので、30分の空き時間ができたら、その都度書くようにしている。

AM11:30、今夜の出発まで荷物を預かってもらう為に、荷物をパッキングしてラゲッジへ移動した。

AM12:25、昨日、空振りした日本料理店「けんちゃん」が営業していることを確認してから出発。行きはラ・パスのメイン通りを下るだけだから、楽チンだ。途中でジュースを絞って飲ませているおばさんを、所々で見かける。飲んでいる人を見ると美味しそうだが、衛生状況が気になる。私は絞る前の大きなオレンジを1個、売ってもらった。2Bs(30)

   

ラ・パスのメイン通り

AM12:50、日本人会館に到着。「けんちゃん」は、その3階で営業していた。厨房の中は分からないが、接客係に日本人は居なかった。奥座敷との間は、大相撲の錦絵が描かれた簾で仕切られていた。

書棚には日本のマンガ本が揃えてあり、別の棚には、月刊誌の第三文明やSGIもあった。私は、沢山のメニューの中から、ラーメン(35Bs)とライス(15Bs)を注文。合わせて750円は決して安くはない。しかし、客席は、現地の人たちでほぼ満席である。

注文してから20分後に、ラーメンとライスが運ばれてきた。麺は自家製なのか、ラーメンとうどんの中間位の食感で、期待していたイメージと違っていたが、鶏ガラのスープが美味しく出来ていた。私は、ラーメンとご飯の両方を完食。久しぶりに美味しい食事にありつけました。昨日は月曜日の定休日であったようだ。

日本人会館の方は、午後3時からのオープンになっており、いくつかの張り紙を見て、終わりにした。その中には、「偽警官に注意!」と題して、その騙しのテクニックが紹介されている物があり、別の張り紙には、日本人会の新しい役員の名前が紹介されていた。

帰り道の薬局で、日焼け止めのクリームを買った。25.80Bs390円)。これは「明日訪れるウユニ塩湖は、日焼けでは済まず、火傷を覚悟しておかなければならないので、日焼け止めクリームは必須である」と、ガイドブックに書いてあったからだ。

実は、行きの途中で、別の薬局に寄って、英語で注文したのだが、英語の出来る人が居らず、買うことが出来なかったのである。そこで、「けんちゃん」で待っている間に、スペイン語辞典で調べておいたのだ。メモした物を見せたら、すぐに理解してくれたのである。

PM2:30、ホテルに帰着。ロビーには、昨日、マウンテン・バイク・ツアーに参加した連中がいた。「ツアーは如何でしたか」と聞くと「少し怖かったが、楽しかった」と言う。ジョシュアは、自分の腕と腹にできた、擦り傷を見せてくれた。時折、死亡者が出ているようで、日本の外務省は、このツアーに参加しないことを強く勧めているそうだ。

PM3:00、日記を書く。

PM5:30、ホテルの食堂で今後の打ち合わせ。マリナの顔色が良くない。お腹を壊したと言うので、持参していた正露丸をあげた。ジョシュアもオリビアが居なくなって、何処となく元気がない。大げさに言うと魂が抜けたような顔をしている。私の方は、抗生物質が効いてきたのか、痰が少なくなってきた

PM6:00、夕食。皆は、私たちが昨夜食べた店に行ったが、私はがっかりした店だったので、ガイドブックに載っていた口コミ推奨の店に行ってみた。レストランと言うより、喫茶店と言う感じの小さな店であったが、自家製のジャムをたっぷり載せたパンケーキと、カプチーノが事の他、美味しかった。28Bs420円)。

PM7:45、チェック・アウト。これからウユニ(Uyuni)行きのバス停へ向かう。バス停には、ウユニ塩湖(Salar de Uyuni)を目指す観光客が大勢集まっていた。

PM9:0040人ほどを乗せた大型夜行バスが発車。偶然、日本人の大学生H君と同じバスになり、席を融通してもらって隣同士になった。久しぶりに日本語での会話だ。

彼は、東京の大学で建築学を専攻している4年生。1年間休学して世界の建築物を見学する旅に出たところだという。今回の旅費は、特待生になったことで学費が半額免除になった分を充当した、という頑張り屋である。ところが、その彼が、此処、ラ・パスでタクシー強盗に会ってしまったのである。経緯は概ね次の様だ。

ペルーから国境を渡ってボリビアに入り、乗り換えたバスで女性と隣り合わせになった。「どこまで行くのですか」と聞かれ、「ラ・パスです」と。「それなら私と同じだから、バスを降りたらタクシーを、ご一緒しましょう」と話がまとまった。

バスターミナルからタクシーに同乗して暫く走ると、警察が警察手帳をかざして、止まれと言う。すぐに偽警察だと分かったが、既に強盗は、すごい顔をして助手席に乗り込んでおり、運転手は恐怖に震えているだけであった。

人気の無いところにタクシーを移動させ、身ぐるみをはがされて、タクシーから降ろされた。賊はそのまま逃走した。「見知らぬ女が近付いて来たら注意するように、とは言われているが、たまたまバスの隣に座った女が、ぐるだとは考えもしなかった」と言う。

「取られた物は、カメラ、携帯電話、カード、現金。パスポートは盗られずに済んだ。現金は少額しか持っていなかったので、被害額は少ない。カードはすぐ手を打って無効にした。

保険に入っているので、金額的には大方保証されるが、残念なのは、マチュピチュで撮った写真が入っている、高級一眼レフのカメラを盗られたことである」と。彼は典型的なタクシー強盗に会ったのだ。

警察に届け、被害証明を出してもらい、大使館にも連れて行って貰ったという。警察で前科者の写真を見せられたら、その中に今回の強盗が居たそうだ。指名手配中だという。しかし、今回のように「偶然を装ってターゲットにされたら防ぎようがないな」と、警察も呆れていたと言う。

南米の一人旅は、やはり狙われやすいのかも知れない。ツアーで動いていると、置き引きや、泥棒には会っても、強盗には会わないのではないだろうか。

さて、話題を今夜の夜行バスに移そう。今夜のバスは、舗装されていないところも走る事は、事前に知っていた。しかし、最初から最後までこんなにヒドイとは想定外であった。飛行機が、乱気流の中を10時間以上飛び続けていた、と想像して貰うのが一番分かりやすいと思う。

四十数年間、バスに酔ったことのない私が、久しぶりに気分が悪くなり、吐きたくなった。結果的には吐くことはなく、意識が朦朧としてきて、脂汗をかいて終わったが、途中で降りられるものなら、降ろして欲しかった。

こんなに長時間、揺れっぱなしのバスに乗ったのは、生まれて初めての経験である。ウユニ塩湖は、今やボリビアの観光名所であり、毎日多くの観光客が、バスに乗って訪れている場所なのに、この道路事情はどうしたものだろうか。

それでも、このバスは、H君が言うには、最高ランクのバスで、最低料金のバスの3〜4倍の値段がしているそうだ。強盗に遭遇した彼は、安全性を考えてこのバスを選んだと言う。

確かに、ボトル入りの水が配られることから始まって、夜食が出たり、スナックが出たり、枕やブランケットのサービスがあったりと、サービスに気を使っていることは感じる。しかし、このバスの揺れ方はどうにかならないものか。

事はバスや運転手の責任ではなく、道路の問題である。2階席の最後尾にトイレがあった。私も1度利用したが、あれだけ上下に飛び跳ね、横、斜めに揺れたのでは、身体が狭いトイレのあちこちにぶつかって、出る物も出なくなる。ウユニ塩湖の、幻想的な光景を見ることだけを念頭に置いてきた小生にとっては、全く考えの及ばない試練でした。

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