8月15日(金) AM3:00、寒くて目を覚ます。こんな事も有ろうかと思って持ち込んだ寝袋の出番が来た。寝袋の中に入った瞬間に、身体が暖かくなり、本当に助かった。気が付いたら、私たちの前列に座っていた親子連れが居なくなって、別の家族が座っていた。 私が寝込んでいる間の出来事で、全く気が付かなかった。私は一瞬、バッグを無造作に置いておくことの危険性を感じた。後から乗ってきた家族は、各人がしっかりと身体に毛布を巻き付けていた。あらかじめ車内の冷え込みを予測できていたのであろう。 AM6:00、夜明けだ。東の空が茜色に染まってくる。寝袋に守られて暖かい夜を過ごした私は、気分良く目を覚ましていた。持ち込みのビスケット、バナナ、リンゴをほうばりながら、ボリビアとブラジルの国境に広がる、パンタナール(Pantanal、大湿地帯)の朝焼けを楽しんでいた。 東の空が茜色に AM7:15、この列車の終着駅、プエルト・キハロ(Puerto Quijarro)駅に到着。此処は、国境の駅ではあるが、まだボリビアである。此処からタクシーに分乗して、国境に向かう。 AM7:45、国境に到着。パスポートチェックを受けるべく、既に多くの人が列をなして並んでいる。そこへ、少年がポットに入れたコーヒーを売りに来た。まず、ハイディが先陣を切って注文。満足そうな顔をして飲んでいたので、私も最後のボリビア通貨2Bs(30円)を払って飲んでみた。不味くはないが、甘すぎた。少年に対するお小遣いだと思えば納得できる。 コーヒー売りの少年 甘いコーヒー AM8:00、いよいよパスポートチェックが始まる時になって、イミグレーションのスタッフが我々の所に来て、「65歳以上の人は、最前列へ行くように」と言う。つまり、並ばなくて宜しいという計らいである。 私とピーターはお言葉に甘えて、最前列に行き最初にパスポートチェックを終えた。私はこの後、ツアーの仲間が終了するまで、ベンチに腰掛けてポメラを叩いていた。皆が終わるまで約2時間掛かった。私は有り難かったが、他の皆に申し訳なく思った。 ピーターは、コーラとパズルと一眼レフ・カメラが大好きである。そして、昨年行ったというアフリカの各国のビザを見せてくれた。ライオンや、キリンを間近に見られて大変素晴らしい旅行だったと話してくれた。少々歩行に困難があっても、好奇心は旺盛のようだ。 AM10:00、皆が揃ったところで、今度は100m程離れた、ブラジル側のコルンバ(Corumba)のイミグレーションへ。こちらはほとんど待たされることなく全員終了。たった9人の為に大型バスが迎えに来ていたが、20分ほど走った所で、マイクロバスに乗り換え。 AM11:00、朝食と昼食を兼ねたブランチ。大きなレストランで、ビュッヘ式の食事である。ブラジルに入った途端、ボリビアと比べて、全ての物が質、量共に次元が異なって見える。道路、建物、車、樹木、犬の毛並みまでが。ブランチもおいしかった。23レアル(990円)。 美味しいブランチ AM11:45、バスにて今日の宿泊所へ向けて出発。 PM1:15、パンタナール内にある、ロッジ、パソ・ド・ロントラ(Passo do Lontra,Parque
Hotel)に到着。このパンタナールは、南米のほぼ中央に位置し、ボリビア、ブラジル、パラグアイにまたがる、広大な湿原である。多くの支流は、パラグアイ川に流入していく。 パンタナール内のロッジへ 南米では、アマゾン川とその流域のジャングルが注目されているが、実は、此処、パンタナールの方が、動植物の生き物の種類は、遙かに多いそうだ。この豊かな自然の恵みを、人類はどのように活かしていけば良いのであろうか。 PM2:30、我々は、15人乗り位の小船に乗って、ミランダ川(Rio Miranda)をゆっくり進み、パンタナールのごく一部を見学。此処に来ると生命の息吹を感じる。手つかずの中にある、豊富な水、大小さまざまな樹木、鳥、ワニ、魚を見ていると、地球でも貴重な地域であることをしみじみと感じる。 パンタナールの水(ミランダ川) パンタナールの樹木 パンタナールの鳥 PM5:00、見学終了。 PM7:30、夕食。残念ながら、昼食に比べると、余り美味しい物はなかった。 PM9:30、シャワーが中途半端にぬるかったので、シャワーを浴びずに就寝。 8月16日(土) AM2:00、寒くて目を覚ます。日中は30℃程あって、暑かったので、まさかこんなに夜が寒くなるとは思わなかった。あわてて寝袋を出して、潜り込んだ。寝袋は、使いそうな所で使わずに、使いそうもない所で使っている。 AM5:30、起床。 AM6:15、スイカ、メロンの果物を中心に、朝食。パンが美味しくなかった。 パンタナールの宿泊所 AM7:30、サファリ・カーに乗って出発。エコシステムに最大限配慮して、パンタナールに造られた一本の道路を進む途中、所々に止まり、色々な鳥やワニを見ながら行く。 サファリ・カーに乗って パンタナールに造られた一本の道路 カラフルな鳥(パンタナール) 時間がゆっくりと流れている AM9:30、ファーム(牧場)に到着。此処から、湿地帯を歩いて見学に行くという。私とピーターは此処に残り、他の7人は元気に出発。私は、時間潰しの道具も用意してこなかったので、ハンモックで昼寝(まだ朝なのに)。ハンモックで本格的に寝たことはなかったが、結構快適に寝られました。 ファーム・1 ファーム・2 ファーム・3 AM11:30、皆が戻ってきて、昼食。バイキング方式だが、余り美味しそうな物はない。私は、スパゲッティがあったので、それを中心に皿に盛った。ピーターも一応は皿に盛ってきたものの、ほとんど手を付けずにオシマイにしていた。 こんな所を見ていると、彼は小食なのかなと思うが、一度好きな物、特に肉類があると、何人分でも平らげてしまう大食漢でもある。彼は、ほとんど手を付けない時でも、不味かったとは決して言わず「Fine、美味しかった」と言うところは偉いと思う。 AM12:30、食後の休憩。私は再びハンモックに横になって、久しぶりにフランク永井を聞く。やっぱり彼の曲は味があって良い。特に歌唱力が素晴らしい。 ハンモックで PM2:00、ピーターと私以外は、乗馬に出かけた。私はアイルランドで1度経験したが、お尻の痛さに閉口して、もう2度と乗るまいと決めていたので、これも不参加。今日一日は、ほとんどハンモックで過ごす事になってしまった。 皆が戻って来た 横になりながら、久しぶりにスペイン語の録音を聞いてみた。当然ながら、分かるところは分かるが、分からないところは分からなかった。 PM3:30、皆が戻ってきて、帰路に就く。現地ガイドが言うには「今は、乾期の始まりだから、まだ水が残っているが、乾期の終わりには湿原の水はなくなり、水があるのは川だけになる。逆に雨期の最盛期には湿原の水の深さは、2mにもなる」と。その為にターマイツ(シロアリ)が、普通は地面に作る巣を、木の上に作っている。 PM5:00、ロッジに帰着。 PM7:30、夕食。マカロニ、パイナップルを中心に、何とか空腹を満たす。ここのロッジは食事込みになっているが、内容は質素である。 PM9:15、就寝。昨夜、寝ていて寒く感じたので、毛布を掛けて寝たら今度は暑くて目を覚ました。調整が難しい。
8月17日(日) AM5:30、起床。 AM6:00、朝食。スイカとメロンを中心に。 AM7:00、ウォーキング。ロッジの周りに作られた、高床式の木道を一周。一部は、壊れそうな吊り橋もあった。こういう湿原に、エコロジカルな設備を維持することは、手間も費用も掛かると思う。 高床式の木道 AM8:00、フィッシング。ミランダ川に用意された釣り糸を垂らす。マリナの餌にはフナのような魚が直ぐに食いついたが、他の人には釣れなかった。私の竿にも、しばしばアタリは有ったのだが、餌だけ食われて釣れることはなかった。 アタリは有ったのだが 御機嫌のマリナ AM10:30、チェック・アウト。ボトル水の代金を精算。5レアル(215円)。マイクロバスで出発。 AM12:20、昼食。34レアル(1460円)。ビュッフェ形式で、スパゲッティ、鶏肉、牛肉、魚肉等を食べた。一昨日のレストランの方が、美味しくて値段も安かった。食後、別れの挨拶をする時に、此処まで一緒に来たロッジのスタッフに、頬ずりされたマリナは「すごい汗と臭い」と言って、不快な顔をしていた。 PM1:00、我々は今日の宿泊所、ボニート(Bonito)の町を目指している。片道一車線の道路は、僅かな起伏と、時折のカーブを伴いながら、見渡す限りに広がる緑の中を、概ね真っ直ぐに伸びている。 我々を乗せたマイクロバスは、前後に殆ど行き交う車がない中を、時速120km前後で走っている。所々に、牧場があり、沢山のターマイツの塚が盛り上がっている。ペルー、ボリビアの高地とは、全く異なる光景である。 PM2:30、ボニートのムイト・ボニート・ホテル(Muito Bonito Hotel)に到着。チェック・インは、3時になるのを待ってから。世界中のバックパッカーの愛読書である旅行用ガイドブック「ロンリー・プラネット Lonely
Planet」ご推奨と看板に書いてあるだけに、このホテルは、バックパッカー用のホテルのようだ。 アドリアーナの部屋には、二人しか入っていないが、ベッドは6個もあると言っている。私の部屋は、ピーターと二人だが、大きなベッドが1つと、2段ベッドが1つ置いてある。大きなベッドはピーターに譲って、私は狭い2段ベッドを使用する。ユースホステル並のグレードだが、朝食付きは助かる。 PM5:30、今日は日曜日で、レストラン等も殆どが閉まっている。私たちは近くのスーパーへ買い出しに行った。牛乳、バナナ3本、リンゴ2個。10レアル(440円)。ブラジルの物価は日本並である。私の本日の夕食は、バナナ3本。 PM7:00、する事もないので、シャワーを浴びて就寝。 8月18日(月) AM6:00、起床。詩子、妻とスカイプ。 AM7:00、朝食。フルーツ(メロン、パパイヤ、バナナ、スイカ)が美味しかった。ジョンは果物を殆ど食べない。特に、スイカ、メロンの類が苦手であると言う。 AM8:00、部屋に戻ってトイレに行こうと思ったら、ピーターに先を越されていた。それは良いのだけれど、終わった後を流していない。便器に大きいのが大量に残ったままで臭い。昨日も同様なことがあった。 こちらの便器は、処理能力がないので、トイレットペーパーは隣に置いてある籠の中に捨ててくれと書いてある。それを知ってか知らずか、トイレットペーパーも一緒に便器の中に捨ててある。 自分が用を足した後、それが流れたかどうか位、分かりそうなものだ。後から入った私は、まずそれを流さねばならない。ところが彼の物は、固くて大量だから、どんなに水を流しても、崩壊しない! 私はまず、そこに浮いているトイレットペーパーを、すくい出すことからしなければならなかった。本人はさっさと部屋から出て行って既に居ない。こう言うのを「垂れ逃げ」とでも言うのかしら。 何時も口癖のように「フレッシュ・エアー」と言って、蚊が入ってくることも構わずに、窓やドアを開けっ放しにする男が、自分の分身は臭わないのか!? 暫くしてピーターが戻ってきたので「ピーター、トイレットペーパーはトイレに流さないでくれ」と言うと「オーケー」と一言。「オーケーじゃないだろ、スミマセン位言えよ、このアホ!」 AM10:00、近くの書店にブラジル全体が載っている地図を探しに行く。何種類か置いてあったが、いずれもビニールで包まれており、中を見ることが出来なかったので、買わずに終わった。 AM11:30、皆がオプショナル・ツアーで行っている場所を見て、写真だけでも撮りたいと思い、受付のおばさんに伝えた。つまり「水泳の出来る美しい川と、6本の滝が有る所を、2時間ほどで見てきたい」と。 おばさんは「お安いご用です」と言って、タクシーを呼び、運転手に指示を出していた。私は大船に乗ったつもりで、タクシーに乗り込んだ。そして10分程で最初の見学場所、水泳の出来る市営公園(Balneario Municipal)に着いた。 そこは誠に綺麗に澄んだ、流れの遅い川であった。大きな魚(鮭かマスであろう)が群をなして泳いでおり、その美しさに溜息が出るほどであった。写真を幾枚か撮って、戻ってくると、公園の管理人が「何処から来たのか」と聞くので「日本です」と言うと「チョット来なさい」と言って私を手招きした。 大きな魚が群れをなして 市営公園 私が連れて行かれたのは、60歳位の日系二世の所であった。彼の両親は北海道の片田舎から、ブラジルに移民していた。彼は5年前に一度、北海道を訪ねたことがあると言う。この公園で、観光客の写真を撮り、素早くCDにコピーして、それを買ってもらうと言う商売をしていた。1日頑張って、何枚売れるのやら、大して売れているようには思えなかった。 タクシーに戻った私は、次は近くの滝を見に連れて行かれるのだろうと確信していた。ところが、10分後に着いたのは、出発したホテルであった。2カ所を見学したいと言うことも、2時間後に戻ると言うことも、何度も確認したはずなのに、この結果である。私は、一通りホテルのおばさんに抗議したが、要領を得ないので、この後の観光は取り止めにした。40レアル(1760円)。 AM12:30、昼食。客が入っていそうな食堂を探しながら歩いていると、一軒の食堂が目に入った。看板を見ると魚料理も有りそうだ。中に入ってみると、外から見て感じた雰囲気と大分異なる高級レストランの様であった。 食事中の客層を見ても、一人で食べているバックパッカーの姿は何処にもない。皆同伴、又はグループである。私は入るところを間違ったかなと感じながらも、「ままよ、ファストフード店程安くはないにしても、払えない額ではあるまい」と開き直って、一人着席した。 店員がとても分かりやすい英語で、メニューの説明をしてくれ、私は魚料理を注文した。暫く待って出てきたのは、開いてグリルした大きめの魚と、小振りながらも丸ごとのポテト、それに少々のライスで、如何にも美味しそうに盛り付けされていた。 私はそれを写真に収めたかったが、そうする行為がレストランの雰囲気に合わないと思い、諦めた。お味は「おいしゅう御座いました」。久しぶりに満足してレストランを後にした。お茶、サービス料込みで、44レアル(1890円)。 PM1:30、ホテルに戻り、日記を書く。 PM3:30、庭に出ると、テーブルの上で、ハイディが書類や伝票の整理をしていた。ツアー・リーダーとしての仕事が山積していることが伺える。 私の方の気分は、今一つ盛り上がらない。それは、高地の低酸素から解放されて、ストレスが大きく軽減された事は良いのだが、高額のオプショナル・ツアー、それも、さほど魅力を感じないものを提示され、それに参加しなければ、一日中する事がないと言う実状に物足りなさを感じているのである。気分は、消化試合に入っている。 私は、持参のタブレットに、井沢元彦著の「逆説の日本史11巻」が入っていることを思い出し、読み始めた。時間潰しには好材料だが、南米まで来て時間潰しとは、如何にももったいないと思う。 PM6:30、皆がオプショナル・ツアーから戻り、ミーティング。続いてディナーへ。私は昼食に美味しい料理を味わったので、夜は質素にしようと思い、一人果物屋へ。バナナとリンゴを購入。4レアル(170円)。洗濯物を受け取りに受付へ。10レアル(440円)。 PM8:00、「逆説の日本史」を読む。書き方が少しくどいと思うところもあるが、歴史に疎い私には、分かりやすく、楽しめている。 PM9:30、ぬるいシャワーを浴びて、就寝。 8月19日(火) AM6:00、起床。メール・チェック。 AM7:00、朝食。昨日と同じメニューだが、新鮮な果物(すいか、メロン、パパイヤ)が豊富で助かっている。 AM8:00、8人中5人がオプショナル・ツアーに出かけた。今日の観光は、洞窟である。私は随分あちこちで洞窟(アメリカ、中国等)を見て来たので、世界的に有名なものなら見学に行っても良いが、中途半端なものなら行きたくないと言うことで、ピーター、イボンヌと共に不参加。その間、読書タイム。 AM11:00、日記を書く。 AM12:30、昼食。バナナ、リンゴ。 PM1:00、チェック・アウト。ボトルの水を1本。2レアル(90円)。 PM1:30、10人乗りのバンで出発。途中は何処までも緑の平地が続いている事に変わりはない。ブラジルの大地が広大であることを認識させられるだけである。高地を走っている時は、音楽を聴く余裕もなかったが、ここに来てようやく、テレサ・テンを聴く気になった。 幸い、足の湿疹も気にならなくなって来た。そして、鼻をかむと必ず血が混じっていたのが、無くなってきた。これらは、極度の乾燥と高地による酸素不足が、原因ではなかったかと思う。 PM5:30、4時間のドライブで、我々はパラグァイとの国境の町、ポンタ・ポーラ(Ponta Pora)市のホテル・ポルタ・ド・ソル(Hotel Porta do Sol)に到着。「ここには何があるのかと」と聞いたら、「パラグァイのアスンションまで一気に走る事は長すぎるので、一休みするだけのことでしょう」とは、マリナの答え。 PM6:30、ホテルの向かいにある、ホテル・バルセロナ(Hotel Barcelona)のレストランでディナー。ポルトガル語のメニューにポルトガル語のボーイだから、メニューの内容が良く分からない。私は、魚料理であることだけを確認して注文した。 出てきた料理は、正体不明の魚のフライ、マッシュポテト、ライス、青菜と言ったところで、お味はマズマズでした。お茶代込みで50レアル(2200円)。 PM8:00、ホテルに戻り、メールのチェック。シャワーを浴び、日記を書く。気が付いたら、今日は1枚も写真を撮っていなかった。 |