8月20日(水) AM6:00、起床。詩子、妻とスカイプ。 AM7:00、ホテル内で朝食。果物が豊富で、夕べのディナーより美味しく食べられる。すいか、パパイヤ、パイナップル、サンドウィッチ、コーヒー、お茶。 AM8:00、パッキング、読書。 AM9:20、迎えのバス(古くて、車内に蚊が一杯!)で、パラグァイ(Paraguay)のアスンション(Asuncion)に向かって出発。 AM9:30、ブラジルのイミグレーションで、出国の手続き。 AM9:50、パラグァイのイミグレーションで、入国手続き。 我々は、このように出国、入国のパスポート・チェックは受けたが、いわゆる国境なるものが存在していない。両国のイミグレーションは、車で10分程走った離れた道路沿いにあるが、その間に国境がないのである。 そのことを、ハイディに聞くと「その通り、此処には国境はありません。道路の向こう側がブラジルで、こちら側がパラグァイです」と。つまり、ポンタ・ポーラは道路を挟んで半分がブラジル、半分がパラグァイと言う珍しい町である。地元の人は、否、我々でもパスポートなしで、出入国が出来てしまうようだ。 AM10:00、ブラジルからほんの少しパラグァイに入った所に「ショッピング・チャイナ」と言うバカデカイ、ショッピング・センターがあった。我々は此処で午後1時まで、3時間も時間を潰すことになった。ハイディが言うには「入、出国の手続きが短時間で終わったので、時間が余ってしまった。路線バスの出発時間は、午後2時なのです」と言う。 ショッピング・チャイナ 「ショッピング・チャイナ」と言うと、私の中では、大型安売り店のイメージだが、なかなかどうして、殆どがブランド品で、沢山の女店員も綺麗どころを揃え、支払いは全てUS$である。全品輸入品と言うことらしい。日本製品としては、ニコンやソニーのカメラが陳列されていた。皆は、酒、チョコレート、雑貨類を買っていたが、私は何も買わなかった。 AM11:30、早めの昼食に、フードコーナーへ行く。各国の代表的なメニューが写真付きで看板に張り出されている。私は、日本料理の店を覗いてみたが、注文をしたくなるような物はなかった。 同行のマリナが「どうして此処で食べないのか?」と言うので「日本料理を食べて、皆をがっかりさせたくないから」と答えると納得したようだ。 最終的に私が選んだのは、隣の店に写真で展示されていた魚料理であった。結果は、魚はまずまずの味であったが、ご飯がベチャベチャで、しかも冷えており、ひどく不味い物でした。15レアル(600円)。 PM1:30、迎えの古いバスに乗って、路線バスのターミナルへ行く。途中でUS$からパラグァイの貨幣に両替。ハイディが「40US$位、両替しておけばよい」と言うので、皆、その通りにした。つまり、これから向かうアスンションに於ける、2泊分の食事代と言うことらしい。 両替計算書には:40ドル×4260=170,400グアラニー(Guarani)、と表示されていた。桁数が大きくてピンと来ないが、これがパラグァイの通貨である。大ざっぱに言うと、1円=40グアラニーである。 PM2:00、バスターミナルで路線バスに乗り換えて発車。車内がギンギンに冷えており、手持ちのウィンドブレーカーを着用したが、それでも、十分ではなかった。途中で食べた物が良くなかったのか、胃がムカついて来た。 車窓の風景は、ブラジルを走って来た時と、余り変わらず、時折、牧草地で見かけるターマイツの巣が気になった。 PM9:00、7時間もの間、車内の冷房に冷やされきって、アスンションに到着。予想はしていたが、南米大陸を陸路で横断することは、それなりの覚悟と忍耐を強いられる。ホテル・アスンシオン・パレス(Hotel Asuncion Palace)にチェック・イン。今夜もピーターと一緒だ。シングルベッドが2つ有るだけで、部屋には余裕がない。 PM10:00、熱いシャワーを浴びて就寝。 8月21日(木) AM6:00、起床。詩子、妻とスカイプ。 AM7:20、朝食。果物を中心に食べる。 AM9:00、迎えのバンで市内観光ツアーに出発。20US$。 <本日の主な観光> 1、メルカド4(市場) 庶民の腹を満たす為に、何処にでも有る大きな市場である。食材が豊富なことを感じた。市場の片隅では、薬草の販売と、作り方の実演が行われていた。数種類の薬草を混ぜて、杵で突くと汁が出る。その汁が身体に良いと言われるが、根っこには土を付けたままで、洗いもせずに作られた汁を、試飲するには勇気が必要である。 市場 薬草 薬草を杵で突く 2、レコレータ墓地(市営墓地) しっかりした石造りの墓。家族単位の様だが、戸建ての墓になっており、これでは敷地が幾らあっても足りないだろうなと思った。此処でも権力者の墓は特別豪華である。 3、霊廟(Panteon de Los Heroes) 英雄広場の一角にある。初代大統領のカルロス・アントニオ・ロペスとその息子フランシスコ・ソラノ・ロペス他、戦争の英雄たちが祀られている。 4、大統領官邸(Palacio del Gobierno) 港の近くに建つ宮殿。19世紀後半、フランシスコ・ソラノ・ロペス大統領が、パリのルーブル美術館を模して建てたと言われている。庭には花時計がある。 5、パラグァイ川 今、町の中央は再開発が進み、綺麗な近代都市として発展しつつあるが、一歩郊外に出ると、そこには水上生活者がバラックを建てて住んでいる。パンタナールから流れてくるパラグァイ川が氾濫し、すぐ水浸しになるらしい。立ち退きを要求しても、そこに住み着いて移動してくれないと言う。 パラグァイの歴史を語りながらの観光であったので、予備知識のない私には大変有意義であった。今日聞いた話をきっかけにして、もう少し勉強したいと思った。 リスニング能力が不十分だから、正確性を欠いているかも知れないが、パラグァイは南米では最初にスペインから独立した国で、南米で最も繁栄していた時期もあったと言う。その後の1864年、ボリビア、アルゼンチン、ブラジルの3国を相手に「三国同盟戦争」に突入。この争いに負けて国土を大幅に削られ、国民の半分以上を失った。パラグァイの人口は、一時期、その80%が消滅し、ドイツや、イタリア等からの大量の移民によって再興してきた経緯がある。 第2次大戦前はナチスドイツと親交が深く、軍の高官の制服はナチスの制服を真似ていたほどである。こういう話を聞くと、ナチスの高官が戦後、南米に逃亡していた事にも繋がってくる。パラグァイは小さい国(とは言っても40万㎢は日本の約1.1倍の広さ)だから無視しても良いが、その歴史は南米全体に及んでいるようだ。 熱心な説明にこちらも引き込まれてしまうガイドさんであった。 PM1:00、昼食。希望者でピザ店へ。注文を終わった頃にハイディが飛んできて「明日のバスのチケットを購入するのにパスポートが必要だから、今すぐ私に預けて下さい」と言う。 私は、パスポートを持ち歩いていたから、その場で渡せたが、他の人は、ホテルまで取りに行かねばならなかった。ピーター以外は、ピザ店に戻ってきたが、どうしたことかピーターは、とうとう戻ってこなかったので、彼が注文した分はジョシュアが食べていた。私の分は、12,000グアラニー(300円)。 食事中、イボンヌに「ジョンと結婚したのは、オーストラリアに来る前ですか、それとも後でしたか」と聞いた。答えは「オーストラリアに来る前でした。二人ともスコットランドの片田舎に住んでいて隣村でした」と。 「どうしてオーストラリアに移住したのですか」との質問には「一つは気候の問題です。オーストラリアの方が暖かいですから。2つ目の理由は、息子の将来を考えると、オーストラリアの方に希望が持てました。それで、一人息子が入学する直前に移住したのです」との事。 その大事に育てて来た息子が、今やヘビースモーカーであることを、ジョンが嘆いていた事は前に書いた。 PM2:30、食後、私は、午前中の市内観光のガイドに教えてもらっていた本屋を目指した。ブラジルの地図が欲しかったのである。「此処は大きな本屋だから何でもあるよ」と言って、本屋があるところには、アスンシオンの市内地図に印を付けて貰っていたので、簡単に行けると思ったが、現実はそうではなかった。 それは、ガイドがアスンシオンの市内地図に付けた印の所に本屋が無かったのである。行きつ、戻りつ、何回も人に聞きながら捜し当てた本屋は、1ブロック裏手の道路にある、小さな本屋であった。そこの店で地図を求めたが、掛け軸にする大きな地図はあったが、持ち運びが出来る手頃な物は無かった。 その店で、他の本屋を紹介して貰ったが、またしても、教えて貰った所に本屋は無かった。アスンシオンの市内中心部は、碁盤の目のように分かりやすくなっているので、正確にさえ教えてくれれば、探すのに苦労はしないはずである。 1軒の店に立ち寄り「近くにある本屋を教えて下さい」と改めて問うと、英語の出来る青年が出てきて、市内の最もはずれに位置する本屋を紹介してくれた。 私は「そんな遠いところまで歩いて行って、見つからなかったら、くたびれ儲けに終わってしまう」と思ったが、同時に「どうせ暇なんだから、そこまで歩いてみるか」と考え、行ってみることにした。 町外れには2軒の本屋があり、2軒目の本屋で、何とか探している物に近い地図を買うことが出来た。17,000グアラニー(420円)。地図を求めてアスンシオンの市内を歩き回ったお陰で、大まかな町の様子を知ることが出来た。 PM3:30、ホテルへ戻るべく、通りを歩いて来ると、マリナとメラニーが喫茶店で談話している姿を見つけた。私も喉が渇いていたし少し休みたかったので、2人に合流した。水代、4000グアラニー(100円)。その時の話の中で、マリナが「オーストラリアは日差しが強く、私は皮膚ガンで2回手術をしました」と言う。 彼女の横顔には大きな傷跡があり、あれだけの傷跡が残るという事は、相当大きな怪我をしたのに違いないと思ってはいたのだが、皮膚ガンの手術の痕だったのだ。もう一カ所の手術は肩口だと言う。 オーストラリアには皮膚ガンになる人が多いそうだ。それが原因で亡くなる若い人も居ると言う。イボンヌ達は、オーストラリアに「暖」を求めて移住したわけだが、必ずしも良いことばかりではないようだ。 PM4:30、スーパーへ買い物に。水、リンゴ、西洋ナシ。10,000グアラニー(250円)。 PM5:00、日没が美しく見えるとガイドから教えられていた、パラグァイ川沿いで休憩。懇談していたら、いつの間にか日没は終わっていた。 PM6:30、ミーティング。アドリアーナが浮かぬ顔をしている。「愛用のニコンのカメラが故障して使えない」と言う。本人にとっては、大きな痛手であろう。 PM7:00、今夜のディナーは、日本料理店だと言うので参加した。タクシーに分乗して行ったところは「レストラン・スキヤキ」。大きな店で繁盛している様であった。日本料理なら何でもあります位のメニューの多さである。 ただ、すし職人が日本人のような顔をしていたので、日本語で挨拶をしてみたが通じなかった。日本語ができるのは70歳位の女将だけであった。彼女は「この店は1970年代から営業しています。なにを注文されても大丈夫ですよ」と言っていた。 私は、すし定食を注文。にぎり、天ぷら、そば、焼き魚が大きなお盆で運ばれてきた。久しぶりの和食に、飢えていた如く、それを平らげるや、博多ラーメンを追加で注文。同行者は呆気にとられて注目していた。100,000グアラニー(2500円)。100点満点で評価すれば70点位のお味だが、久しぶりに腹一杯食べました。 寿司定食 PM9:30、ホテルへ帰着。 PM10:30、シャワーを浴びて就寝。 8月22日(金) AM5:30、起床。 AM6:00、朝食。 AM6:30、迎えの車でホテルを出発。アスンシオンの路線バスのターミナル駅へ。 AM7:30、路線バスに乗り換え、イグアスの滝を目指して出発。今日はパラグァイのアスンションを出て、再びブラジルへ入国する。バスの中は幾分冷えているが、20日のバス程ではなく、ウィンドブレーカーを着用することで足りたので、用意してきた寝袋を使用することはなかった。 バスの中で、焼きたてのパンを売りに来たので1個買った。5000グアラニー(120円)。地元の人は美味しそうに食べていたが、私の口には合わず、一口食べただけで諦めた。路線バスは片道1車線の舗装道路を、順調に走っている。 PM2:00、6時間走った所で国境に来た。こちら側の国境は、パラグァイに入国した時の様に曖昧なものではなく、はっきりと大きな川(パラナ川、Rio
Parana)が国境になっていた。メンバー一同は、一旦橋の手前でバスから降り、パラグァイ側のイミグレーションでパスポート・チェック。 PM2:30、次は「友情の橋」を渡り、ブラジル側のイミグレーションで、入管のチェック。 「友情の橋」 PM3:00(現地時間、PM4:00)、ここで時計を1時間進め、時差の変更をする。日本とは丁度12時間の時差である。日本の真後ろに来たことになる。 PM4:35、イグアスの滝のブラジル側の観光拠点、フォス・ド・イグアス(Foz do
iguacu)と言う名の町に到着し、ホテル・タロバ(Taroba)にチェック・イン。此処は、イグアスの滝から28km離れた所にある。久しぶりの一人部屋で、気を使わずに済むのは有り難い。 PM5:00、シャワー、メール・チェック。 PM6:00、着替えをクリーニングに出す。 PM7:00、ホテルのすぐ裏にあるレストランでディナー。大きな肉の塊に串を刺して焼き、各人の席でそれを切り分けてくれる。これがブラジルをはじめとする南アメリカの肉料理で有名な「シュラスコ
Churrasco」である。美味しそうな臭いがするし、期待していたのだが、結果は見事に裏切られた。 肉が硬くて塩辛い事!「どうしてこんなに塩辛いのだろう」と不審に思って料理場の方を見ると、ラッピングをはがして焼いているだけである。つまり、調理は他の所で済まされ、ラッピングされた物が運び込まれている。多分、ラッピングする時に大量の塩をまぶしているのであろう。 何日前にラッピングしたのか分からないが、あの塩辛さは普通ではない!かくして、期待の肉は不味いし、野菜、果物の質は良くないし、何とか口に入るのは、冷めたスパゲティ位であった。30レアル(1200円)。 今日から2人の若い女性が、我々のツアーに合流。 ケイティ・カーター(Katie Carter)、イギリス人、27歳 ジェシカ・マグベン(Jessica
Maguven)、ニュージーランド人、28歳 最後の10日間だけの参加と言うことは、明日と明後日の「イグアスの滝」の見学を、ツアーの目玉と考えているのだと思う。 PM9:00、ホテルへ帰着。詩子、妻とスカイプした後、就寝。 8月23日(土) AM5:00、起床。ポメラを叩く。 AM8:00、朝食。ホテルの朝食はビュッフェ方式で、好きな物を選んで食べられるから、私には向いている。今朝は、果物とシリアルを中心に食べた。 AM9:00、専用のマイクロバスで、ホテルを出発。しかし昨日、新たに合流したばかりのジェシカが居ない。どうしたのか聞くと「昨日のディナーの時から吐いて、出かけられない」と言う。席が離れていたので、気が付かなかったが、そう言えばディナーの途中から居なかったような気もする。 昨日合流したという事は、今日と明日のイグアスの滝見学が、主な目的であったろうに、肝心なときに体調不良では可哀想だとしか言いようがない。 我々のホテルは、「フォス・ド・イグアス」と言う名の町にあるが、この町のホテルにいる観光客の100%が、イグアスの滝を観光に来ていると言って良いと思う。丁度、カンボジアのシェムリアップに宿泊している人全員が、アンコールワットに行くようなものだ。 ホテルからイグアスの滝までは、綺麗に舗装された道路を走って35分程で到着する。しかし、我々のツアーは、真っ直ぐ滝へは行かず、オプションのヘリコプターによる、滝の見学(15分間で110US$)や、バード・パーク(28レアル、1200円)で午前中を過ごした。 ヘリコプターは6人乗りで1機しか飛んでいないが、観光客が順番待ちで次々に搭乗しているから、いい商売をしていると言えるであろう。私は、これには参加せず、午後の徒歩での見学に楽しみをとっておいた。 ヘリコプターによる滝の見学 バード・パークの方は、カラフルな鳥が沢山居て、我々の目を楽しませてくれた。パンタナールでは、遠くにしか観察できなかった鳥「トゥーカン」も近くで見ることが出来、写真にも巧く撮れたと思う。 バード・パーク(1) バード・パーク(2)・トゥーカン バード・パーク(3) AM12:00、動物園内の休憩所で昼食。ホットドック、水。8レアル(360円)。休憩所で熱心に楽器を演奏していた男性がいた。もし上手なら、もっと聞いてみたいと思ったので、陳列されていたCDを、2枚購入した。25レアル(1100円)。当たりか外れか、帰国後の楽しみである。 PM1:00、いよいよイグアス国立公園(Parque
Nacional do Iguacu)へ入場だ。チケット売場は東京ディズニーランドのそれを思わせるほどの広さであった。入場するときにチェックがあり、公園内のバスに乗るときにも改めて入場券のチェックがあった。この2度目のチェックの時、ピーターは入場券を紛失して提示できなかった。 チケット売場 つい数分前にはあったのに、何処を探しても見つからない。今までも何度か同様のことがあったが、その都度大目に見てもらって通過していたが、今回は見逃してもらえず、ハイディが再度、入場券を買いに行った。こういう場面を度々目撃すると、ピーターには或いは初期の認知症が始まっているのかもと考えてしまう。 公園内をバスでしばらく走り、降りたところから徒歩でイグアスの滝巡りが始まる。最初に目に飛び込んできた滝もかなり見応えがあるが、歩くに従って段々迫力が増してくる。 イグアスの滝・1 イグアスの滝・2 北米のナイアガラの滝は、一カ所にまとまっているが、イグアスの滝は、4キロメートルに渡って広がっているので見る者を飽きさせない。我々は何カ所も立ち止まっては写真を撮りながら進んで行く。滝の多くがアルゼンチン側にある為、ブラジル側からは見易い。 イグアスの滝・3 イグアスの滝・4 イグアスの滝・5 イグアスの滝・6 最後は、「悪魔ののどぶえ」と称される滝を近くで鑑賞する。まず、飛沫を浴びながら、イグアスの川の中に造られた橋の上を歩いて行く。滝の落ちる轟音で、声がかき消され、会話も出来ない。次に、エレベーターで展望台に上がり、真横から見学する。 イグアスの滝・7 イグアスの滝・8 イグアスの滝・9 イグアスの滝・10 イグアスの滝・11 PM3:00、休憩所でコーラを飲む。5レアル(230円)。園内は、何でも市価の2倍以上の値段である。 PM3:45、帰路に就く。今日は2時間かけて、ブラジル側から見るイグアスの滝を堪能した。 PM4:20、ホテルへ帰着。スーパーへ買い出しに行く。バナナ、リンゴ等で9レアル(400円)。 PM5:10、昨日依頼した洗濯物を受け取りに、ホテル近くのクリーニング店へ行く。すると、入り口の柵が閉まって鍵が掛けられていた。伝票には「明日の2時に出来上がり」と書いてあるのに、5時過ぎに行ったらこの通りである。 隣の自動車工場の兄さんに事情を話すと「今日は土曜日で、明日は日曜日だから、受け取れるのは明後日の月曜日だね」と言う。私は明日の夜には此処を出発しなければならないから、そんなのんきな事は言っておれない。 私が、困った顔をして、何とかならないものかと言う風情で居るものだから、お兄さんもその気になって、柵の外から大きく手を叩いて、クリーニング屋さんを呼んでくれた。 初めの内は反応が無かったが、何度かやっていると家の住人が出てきた。私が引き替え用の伝票を見せると、事情が分かったらしく、柵の鍵を開けて中へ入れてくれた。クリーニングが如きで、変なトラブルにならずに良かった。9レアル(400円)。 PM5:30、ホテルに帰着し、シャワーを浴びた後、メールのチェック。そして、12日ぶりに現金のチェックを行う。前回は、現金を抜き取られていることが判明してショックを受けたが、今回は大丈夫なようだ。1日平均、20US$余りの支出になっていたから「ま、そんなものでしょう!」 PM7:00、夕食は、菓子パンと西洋ナシで済ます。大きな西洋ナシは、お尻の方は丁度食べごろになっていて美味しかったが、頭の方は硬かった。一個のなしで、こんなに味と硬さに差があるとは思わなかった。 PM8:00、しばらくの間、ポメラを叩く。 |