8月24日(日)

AM6:00、起床。

AM6:30、ポメラを少々叩く。

AM7:30、朝食。

AM8:30、ホテルを出発。今日は、アルゼンチン側からイグアスの滝を鑑賞する。スペイン語では、大きな滝を「カタラタス Cataratas」と言う。道中「Cataratas do Iguazu」の表示を沢山見た。そして、イグアスの表記が、英語(Iguassu)、ポルトガル語(Iguacu)、スペイン語(Iguazu)と、少しずつ異なることも面白いと思った。

AM9:20、ブラジル側でパスポート・チェック。

AM9:40イグアス川Rio Iguacu)を渡り、アルゼンチン側でパスポート・チェック。

AM10:20イグアス国立公園へ入場。今日見た滝は、昨日のブラジル側から見た光景とは大分異なる。ブラジル側からは、連続して数キロに渡って見え続けていたが、アルゼンチン側からは、森の中を歩くことが多く、時々イグアスの滝が姿を現すと言う具合である。

見学のコースも一本だけではなく、数コースがあり、全部歩いて見て回ると、4時間は掛る。森の中の狭い道を歩くので、大勢のツアー客が一緒になると混雑している。今日は、アルゼンチンから来たと言う60名の団体客と一緒になり、撮影ポイントでは、混雑を免れなかった。日本人の7〜8名からなるツアー客の声も聞かれた。

      
                  イグアスの滝・a

    

イグアスの滝・b

    

  イグアスの滝・c

    

 イグアスの滝・d

AM12:00、持参のバナナ、リンゴ等で昼食。

PM1:00、午前中とは別のコースを散策開始。午前中とはまた別の滝の姿を見る。

   

イグアスの滝・e

    

イグアスの滝・f

   

左からメラニー、マリナ、アドリアーナ

PM2:00休憩所で休む。若い人達は更に別のコースに行くと言って出かけたが、私は疲れを感じてきたので、此処で休む事にした。

PM4:30、イグアス国立公園を後にしてホテルへ。帰路もアルゼンチン側と、ブラジル側のパスポート・チェックを受ける。

PM5:05、ホテルへ帰着後、そのままスーパーへ買い出しに。水、バナナ、リンゴ、プラム、菓子で10レアル(450円)。夕食はこれでオシマイ。

PM8:30、迎えの車で、バスターミナルへ。今夜は夜行の路線バスクリチバ(Curitibaへ向かう。

PM9:20、2階立てのデラックスな路線バスに乗り換えて発車。

8月25日(月)

AM2:00、寒くなって目が覚め、寝袋に収まったところで、大きな休憩所に到着。此処には我々の車と同様、大きなバスが次々と入っては出ていく。私もせっかく潜り込んだ寝袋から這い出して休憩所へ。トイレを済まして売店を覗くと、ブラジルの道路地図があった。

アスンシオンでも手に入れたが、こちらの方が詳しそうだったので、もう一つ買った。17レアル(760円)。更に売店を見て回ると、日清のカップラーメンが置いてあった。日本で売っているものとは、味が違うとは思いつつも、やっぱり手が出る。4レアル(180円)。

お湯を入れてもらって待つこと3分間。お味は全く頂けませんが、麺の部分は何とか完食。味の好みがこれだけ異なると、日本食ブームとは言え「和食の味を、そのまま海外に輸出することは簡単ではない」と思った。

AM6:15約9時間の夜行バスに揺られて、クリチバのバスターミナルに到着。タクシーに分乗してホテルへ。気が付いたのは「この大きなバスターミナルに配車されているタクシーは、すべて同一色であること。つまり一社が独占しているのではないか」と言うことである。

そのことに関連して言うなら、デラックスバスも皆「マルコポーロMARUKOPORO」と言う標識になっている。この辺はどういう事なのであろうか。競争はないのかしら。

AM7:00、ホテル・ラベニュー(Hotel Lavenue)にチェック・イン。此処は、1115日通り(R.15 de Novembro)にある。別名、花の道R.das Flores)とも呼ばれる、クリチバの銀座通りである。シャワーを浴び、メールをチェック。次女の貴子とスカイプ。

   

1115日通り(花の道)

AM9:00、バナナ、リンゴ、オレンジで朝食。

AM10:00、市内散策に出かける。所持金のレアル(ブラジル通貨)が少なくなったので、まず近くの両替店へ。

US$2.24レアル=102円(1レアル=45

AM10:30、喫茶コーナーで、コーヒーとクロワッサンを注文。6レアル(270円)。この店が入っている、イタリア・モールShopping Italia)はチリ一つ見当たらない綺麗なモールだ。こんなクリーンな店に入ったのは久しぶりである。

たった今、出かけて来る前に、猪岡先生から頂いたメールに「クリチバはリサイクリングの先進都市のはずです」と書かれていたので、それを念頭に置きながら街を歩いているが、確かにその通り、清潔で落ち着いた、行き交う人達も感じのよい街である。

クリチバは人口約180万人、ラテンアメリカで最も清潔で美しい町の1つで、都市計画の成功例として世界から注目を浴びている。そして、ブラジルでは、サン・パウロに次いで日系人が多い都市であり、その数はおよそ3万人に及ぶ。

ただ、不便なのは、何処へ行っても英語が通じない事である。ロシアに行った時もそうであったが、大国では、生活するのに母国語だけ知っていれば不自由しないから、外国語(英語)を覚える必要性がないのであろう。もっとも、今までは、日本自体がそう言う国であったのだが。

AM11:00市内観光バスに乗るべく、チラデンチス広場Praca Tiradentes)のバス停で待つこと30分。「バスは30分毎に来る」とハイディから聞いていたし、停留所にもその様に表示されていた。しかし、30分経っても、バスの来る気配が感じられない。

   

チラデンチス広場

私は、バス停の前にある子供服店に行って、「市内観光バスを待っているのですが、此処で良いのでしょうか」と聞いた。すると、英語の通じない婦人が、奥から主人を呼んでくれた。主人は片言の英語とポルトガル語で「今日は、月曜日だから観光バスは、運行されません」と、丁寧に教えてくれた。「そう言うことだったのか!」と、私は納得したが、ハイディの情報は、正確性を欠いていた事になる。

AM11:30、市内観光バスに代わる物を探したいが、適当な物が見当たらないので、私は、沢山走っている「市バス」に乗ってみることにした。これで行ける所まで行ってみようと言うことだ。チューブ型のバス停に行くと、乗客が、入り口で運賃を支払っていた。

   

チューブ型のバス停

入り口のガラス窓に「2レアル」と言う金額が表示されていたので、その金額を払おうとすると、そうではないと言う素振りで、係りの女性は受け取ろうとしない。私が困っていると、別の所に表示されている「2.70レアル(120円)」を指さしている。

そう言うことかと合点して3レアルを渡した。釣り銭をもらって、乗車ホームに入場。市バスは間もなく来た。乗車後しばらく立っていたが、やがて空席が出来たので座った。「このバスは何処へ行くのだろう。旨く行けば、市内を一周するのかな?」と考えながら乗っていたのだが、そんなに甘くはなかった。

     

赤色の市バス

30分ほど走ったところで、乗客が皆降りていった。どうやら終点らしい。私も降りてはみたが、此処が何処だかさっぱり分からない。綺麗な女性に話しかけてみるが、皆、英語が通じない。4、5人目に話しかけた、眼鏡をかけた中年の女性が、幾らか英語を話せた。

彼女に、市内地図を広げて自分の居場所を聞くと、その地図からはみ出した郊外に来ているらしい。私が「市の中心広場へ戻りたいのですが」と言うと、彼女も、どのホームから乗車すればそこへ行けるかは分からないらしく、私を、終点駅の事務所へ連れて行き、駅員に聞いてくれた。

駅員は私をしかるべきホームに案内し、そこにいた婦人に「降りるべき駅を教えてやってくれ」みたいなことを言ってくれた。婦人は「私に任せなさい」と笑顔で応えている。私はこの婦人に、英語で話しかけてみたが全く通じなかった。

しかし、30分ほど乗って、しかるべき駅に来ると「此処があなたの降りるべき駅です」と合図をしてくれた。こうして、私は市の中央に戻って来たのだが、そこは私が出発した駅とは違っていた。広い公園の前に降り立ったのだが、初めて目にする公園である。

何人かの人に、ホテルへの帰り方を訪ねたが、まず英語が通じない。しかし、ホテルがこの近くにあることは間違いなさそうである。私は、この辺を歩いている内に何かヒントがあるだろうと考えて、歩き始めた。

公園の角に本屋があったので、中に入り一通り本棚を物色。手に取って見たい物はなかったが、カウンターに座っていた女性に、英語が通じるかもしれないと思い「このホテルに帰りたいのですが」と言って、住所が書いてあるホテルのカードを見せた。

彼女も英語は話せなかったが、私の言う趣旨は理解できたらしく「ちょっと待ってください」と言って、パソコンを叩き始めた。やがて、パソコンに地図を表示して「あなたのホテルは此処にあります」と、見せてくれた。それは、書店から2ブロック歩いて、左に曲がった通りにあった。

分かってみれば、すぐ近くにあるのだが、方向音痴の私は、初めての街では何時も経験することである。こうして無事、多くの人に助けられて、初めてのクリチバを楽しむことが出来た。クリチバでの、私の小さな冒険、終わり!

PM1:00、一旦ホテルへ戻り、昼食に出かけた。近くの公園(サントス・アンドレード広場 Praca Santos Andrade)に面して、ブラジル最初の大学である、パラナ連邦大学の校舎があった。その一角に、如何にも大衆食堂と言う雰囲気の店があった。外から覗いてみると地元の人が大勢、入っている。

   

パラナ連邦大学

経験から言って、こういう店は、値段が安くて美味しい。私は食堂の中に入って、10人位の人の後ろに並んだ。そこはビュッフェ形式の食堂であった。私は、大皿にスパゲッティを中心に、野菜、肉等を盛り合わせて空席に座ろうとした。

すると女店員が私に何か話しかけてきた。私は、理解できなかったが、多分「金を払え」と言うことだろうと思って、財布を取り出すと「そうじゃない」と言うゼスチャーだ。彼女は、他の女店員を呼んで何とか言っている。

他の女店員は、私をレジの方に連れて行き、ガラスケースの中を指さした。なるほど「飲み物は何が良いか」と聞いていたのか。私はボトルの水をもらって、席に着いた。味は、特別美味しいわけではないが、まずまずのもので、何と言っても15レアル(675円)で、腹一杯食べられた事が良かった。

PM2:30、ホテルに帰着。日記を書く。

PM6:30、ミーティング。

PM7:00、ディナーへ。「今日は何処へ行くのか」とハイディに聞くと「クリチバで1番のイタリアン・レストランです。そんなに遠くないし、値段も手頃です」と言う。私は、ディナーには余り積極的になれないが、これだけ言われると参加してみようかと言う気になった。

「最悪の場合、つまり食べたい物が無かったら、ピザか、スパゲッティを食べればよいだろう」との考えもあった。タクシーに分乗し、走ること10分余り。割り勘で1人当たり5レアル(225円)は、決して近くはないだろう。レストランの中に入って、高級感は感じたが、私の感性には合わなかった。

メニューを渡されて、その気分は更に確実なものとなった。一つ一つの値段がやたらと高価である!こうなったら「ピザかスパゲッティにするしかない」と思って、それを探すが、メニューに載っていない。レストランのスタッフに確認しても、やはりピザは無いと言う。

スパゲティにしてもメニューを見ると、いろいろなスパゲッティと、いろいろなソースに分けて書かれており、その一つ一つの価格が、40レアル(1800円)、50レアル(2250円)と言う値段である。私は、そんな高額を払って訳の分からないイタリア料理を注文する気にはなれなかった。

出来れば、今からでもこの店から逃げ出したい気持ちであるが、タクシーで遠くまで来てしまっている。そうこうしている内に、注文もしていないのに、小さなボトルの水と、食パンにチーズを乗せて焼いたような物が、人数分運ばれてきた。

私は「これなら後はスープがあれば良いや」と思い、スープだけを注文した。30レアル(1350円)。他の連中は、ワイン、ビールと始まって、それぞれ1品料理を注文していた。しばらくして運ばれてきた物を見ると、どれも大量だ。

おまけにベジタリアンのメラニーの所には、注文したものと違う物が運ばれ、クレームを付けて、出し直しを要求していた。誰も自分の分を食べきれないらしく、スープしか注文しなかった私に「少し食べないか」と言って、皿を回してきた。

私は少しずつ頂いたが、皆が頼んだ物は似たように、クリーミイな味付けになっており、美味しい物は無かった。隣の席で食べていたジョンに「実は、私にとっては皆同じような味なんだよ」と言うと、「なるほど、そう言うものですか」と、初めて認識したようである。

私に運ばれてきたスープも、炊飯器のような大きさの壷に入れて運ばれてきた。そこから、深皿に取り分けてテーブルに置かれたのだが、私は、スプーンで数口飲んだだけで終わりにした。単調な味で、私の舌が、それ以上を要求しなかったのである。それでも、食事中、私はジョンと楽しく懇談できた。

食事が済んで、いよいよ支払いの段階でトラブるが発生。皆は、自分が注文した分のお金をテーブルに出す。私はスープの分、30レアルを払った。まとめ役のメラニーとジェシカが、お金が足りないと言う。

ジョシュアが、「マサ(私は彼らに、こう呼ばせている)、あんたは水とパンの分を払ったか」と言う。そう言われれば、その分は払っていない。だいたい注文していないし、水なんか、コップに半分も飲んではいなかった。

しかし、請求されているのであれば仕方がないと思い払うことにしたが、「いくらなんだ」と聞くと、「20レアルだ」と言う。「水をコップに少しと、食パン2枚で20レアル(900円)とは法外な。そんな物はサービスで出されたんじゃないのか」と思いながらも、私はお金をテーブルに差し出した。

それでもまだ相当足りないらしい。請求書をみると総額が8人分で900レアル(40,500円)程になっていた。気が付くのが遅いのだが、その請求書の中には、メラニーに間違って持ってきた最初の分も含まれていたらしい。帰り際に、それはオカシイだろうと抗議をしたらしいが、「それは日本人が注文した分だ」と言っていたと言う。

そうでないことは、皆が知っているから私に嫌疑は掛からないが、これが、クリチバで最高のイタリア料理店とは、ひどいレストランがあったものだ。参考までに、店の名前は「Barolo Trattoria」と言う。私は、ずいぶん昔、イタリアのローマで、頼みもしない料理を次々に出されて、高額を請求されたことを思い出していた。その時は、私も若かったし、大声で抗議をし、請求を取り下げさせのたが。

レストランを出て、タクシーを待っていると、珍しく雷鳴が轟き、雨が降ってきた。帰路のタクシー代も割り勘で5レアルずつ払った。今日のディナー代は締めて60レアル(2700円)。

ハイディが出発前に言ったことは、何処からの情報だったのか。彼女が発する情報には、間違いや不正確な事が多い。しかし、我々には、彼女からの情報を頼りにするしか方法がないのが現実でもある。さすがにハイディが「今晩のディナーについては申し訳なかった」と言っていた。私は、ハイディの深く酔った姿を初めて見た。

PM10:30、ホテルに帰着

PM11:30、就寝。

8月26日(火)

AM7:20、起床。8時のチェック・アウトにしては、寝坊してしまった。

AM7:35、朝食。

AM8:00クリチバのホテルをチェック・アウト。今日は、路線バスでサン・パウロ(Sao Pauloに向かう。まず、タクシーに分乗してターミナル駅へ。

   

バスターミナル駅前の公園

AM9:00、2階建ての路線バスに乗り換えて発車。途中は、道路が舗装されてはいるのだが、山波を縫うようにカーブが多かった。

AM11:35、休憩所で25分間の休憩。丁度昼食時なので何か食べようと物色していると、寿司コーナーがあった。既に握って置いてある物で、しかも、ご飯が外側に来る「カリフォルニア巻き」ではあるが、パンよりはましだ。

大皿に適当に盛り付けていくと、それの目方を計って金額を出している。日本でならとても食えないが、時間もないので、それを持参の水で流し込んだ。37レアル(1665円)。それでも、昨夜のイタリアレストランより余程、満足度は高かった。

AM12:05、路線バスは、全員が車内に戻ったことを確認して発車。

PM2:30、バスは、サン・パウロ市内に入ってきた。大きな町であることが一目で分かる。高層建築が町中に林立している。人口1100万人の「ブラジル最大の都市」を見て東京を思い浮かべた。

サン・パウロ市内に入ってから1時間以上走っているが、まだホテルに着かない。渋滞の箇所も多い。車種を見ると、日本車が少ない。他の国では、トヨタを初めとした日本車が目に付くのだが、ブラジルではヨーロッパの車に押されているようだ。

PM3:40、バスターミナルに到着。そこからバスに分乗してホテル・イタマラティ(Hotel Itamarati)へ。サン・パウロには、海外では最大の日本人コミュニティがあると聞いたが、車窓からはそれらしき事は感じられなかった。現在、サン・パウロ市内の日系人の数は、130万人と言われている。

PM4:30、チェック・イン。日記を書く。

PM6:30、夕食。日本料理店街の寿司屋へタクシーに分乗して行く。店に入ると、メニューを見て次々と質問が飛んできた。

1、親子丼とはどんなものか?

2、カレーライスとは?

3、カツカレーとは?

4、手巻き寿司とは?

5、春巻きとは?

私は、できるだけ分かりやすく説明してあげた。皆が注文し終わってから、私は、味噌ラーメンとライス、水をオーダーした。合計30レアル(1350円)。

皆の食べている様子を見て、気になったことがある。例えば、カナダ人のハイディは、寿司が大好きで、バンクーバーに居る時は、週に3、4回食べると言う、自称、寿司フリーク(熱狂者)である。彼女は、私に何も質問することなく注文していた。

ところが、食べ終わった彼女の皿を見ると、手巻き寿司の外側の海苔がそっくり残っているのである。つまり、中身だけを食べていたわけだ。私が「日本では、海苔が一番高価なんだよ」と言うと「本当!」と言って驚いていた。「海苔はいつも食べないのか?」と聞くと「食べることもある」と言っていた。

メラニーは、いわゆるカリフォルニア巻きを食べていたが、ご飯にどっぷりと醤油を付けていた。私が「醤油は少しにした方が美味しいよ」と言うと「私は、この方が好きなんです」と言って変えようとしない。味の無いご飯より、醤油味を楽しんでいるようである。

ジョシュアは、キリンビールの一番搾りを注文していた。「このビールは、日本では有名なのか?」と聞くので「一番人気のあるビールだ」と言うと「美味い!」と言って飲んでいた。

そして、運ばれてきた親子丼を見て、不思議な顔をして、「これは何だ」と言うので「それはチキンと卵を混ぜて作ったものである。親・子とはチキンと卵の事を言うのだ」と説明してあげた。それから恐る恐る食べ始めると「美味しい!」と言って完食していた。

今日は、割り勘のタクシー代が、往復で10レアル(450円)。食後に、最後の一錠になった、マラリア予防薬を服用。

この街の一角は、何十軒あるのか分からないが、すべて日本料理店である。サン・パウロには大きな日本人街があるとは聞いていたが、今晩、その一端を見た気がした。

PM8:30、ホテルへ帰着。日記を書く。

PM11:50、就寝。

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