4月29日(水)曇り時々晴れ

AM4:30、起床。ポメラに向かう。

AM7:00、朝食。アメリカのフロリダから来ている2人の未亡人と同席。これでフロリダから6人が参加していることが分かった。ローマのホテルと変わらないメニューの朝食だが、今朝の方が質は良かった。クロワッサン、コーヒー、パイナップル、干したプラムの缶詰、ヨーグルト等。

AM8:00、出発前のひと時、ホテルの庭を散策。雨上がりの鮮やかな新緑が輝いていた。今日はベニスまで行くのだが、途中でパルマ(Parma)に寄っていく。車内でポメラを叩く。ツアーコンダクターのウルスラは、オプショナルの説明やら、注文取りで忙しそうだ。

     
 
            ホテルの庭(モンテカティーニ)

   
 
         ホテル・アストリア(モンテカティーニ)

AM11:20、パルマ着。現地ガイドの案内で市内観光。パルマは、パルマ川という小さな川で2つの区に分けられている。そして、パルチザン・チーズやパルマ・ハム発祥の地である。町は古くからあり1860年にイタリアが統合されるまでは、パルマ公国の首都であった。町は小さくて平坦なため、自転車の利用者が多い。

   
 
               パルマ川(パルマ)

   
 
              パルマ・ハム(パルマ)

イタリアの北部に位置するため、フランスのナポレオンに攻め込まれたり、第2次大戦時はムッソリーニに蹂躙されたり、波乱に満ちた歴史があるようだ。ムッソリーニに抵抗した青年の銅像が広場に建っていた。後はどこにでもある歴史的な教会、パルマ大聖堂(Cattedrale di Parma)とパルマ洗礼堂を見学。

   
 
         ムッソリーニに抵抗した青年の銅像(パルマ)
 

     
         パルマ大聖堂の鐘楼とパルマ洗礼堂(パルマ)

AM12:20、自由時間、昼食。フロリダの2組の夫婦とピザセットを食す。マルガリータ、コーラ、コーヒーで10ユーロ。最長老と思えた男が私と同年の生まれ、正確には私の方が半年年長だから、このツアーでは、婦人を除くと私が最年長になる。

PM1:30、ベニス(英Venice、伊Venezia)に向かって出発。

PM3:30、トイレ休憩。オーストラリアのメルボルン郊外で、牧場を経営していた夫婦と懇談。夫は2000匹の羊を飼っていたが、全部売り払って引退し、妻も小学校の教師をしていたが引退してこの旅行に参加したと言う。

PM5:30、ホテル・アントニー・パレス(Hotel Antony Palace)に到着。一見素晴らしいたたずまいの4つ星ホテルのようだが、手洗いや風呂の水流が非常に悪い。WiFiが使えたので妻に日記を送った。

PM7:00、ベニスでのディナーに出発。水の都を実感する一時である。本土から離島のベニスまではかなり長い橋が架かっており、そこをバスや鉄道が走っている。鉄道の終点が歌でも有名な「サンタ・ルチア(Santa Lucia)」駅である。この駅に付いては、その歌からとキャサリン・ヘップバーン主演の映画「旅情 Summer Time」からのイメージがあり、是非見学したい所の一つである。我々は小型のボートに乗って20分ほどの離島へ渡った。

   
 
              本土から離島のベニスへ

   

           ボートに乗って離島へ・
1(ベニス)

   
 
            ボートに乗って離島へ・
2(ベニス)

     
              船着き場前(ベニス)

   
 
              夕暮れの運河(ベニス)

 しかし、少しは期待していたディナーは塩辛いだけで、全く期待はずれであった。コーラで流し込もうと思っても、ほとんど喉を通らなかった。ただ、ディナーの終了後に、レストランから出た時に眺めた「水の都の夜空に浮かぶ月」には特別の趣があった。それだけが今夜の救いである。

PM11:00、ホテルへ帰着。バスタブにお湯を張って暖まる。

PM12:30、就寝。

4月30日(木)

AM6:00、起床。ポメラを少々叩く。

AM8:00、朝食。私が美味しく食べられる唯一の食事だから、しっかり食べるようにしている。いつも結果としてクロワッサンを食べている。他のパンも置いてあり、他の人は必ずしもクロワッサンを食べているわけではないが、私は毎朝決まってクロワッサンである。

AM9:00、バスで20分程のベニスへ。昨夜と同じルートである。ボートに乗り換えて、ベニスで最大の島(ヴェネツィア本島)に行き、サン・マルコ広場(Piazza S. Marco)まで歩いた事も昨夜と同じだ。ここで自由時間になるのかと思いきや、路地裏のガラス工房に連れて行かれた。

   

            船着き場(ヴェネツィア本島)

   
               運河(ベニス)

     
             サン・マルコ広場(ベニス)

AM10:00、「ムラーノMurano」と言ってベネチアン・ガラスで有名なブランドらしい。20分ほどの実演の後、販売のトークである。確かに繊細な美しさを持ち、かつ丈夫でもあるようだが高価である。私は、ムラーノと言うブランド名を教えられ、それらを鑑賞するだけで満足であった。

   
 
              ガラス工房(ベニス)

AM11:00、いったん解散になったが、11時半のゴンドラ乗船までは僅かな時間しかない。この島は多くの大小の運河と無数の橋によって成り立っているが、その中でもリアルト(Rialto)と言う橋が有名らしい。その橋はいつか鑑賞した映画の中でも出てきた場所だと思う。私は、残りの30分を使ってその橋まで行ってみることにした。

狭い路地から路地へ歩くのだが、幸い辻々には「Rialto」の方向を示すプレートが張ってあり、迷うことなく到着できた。ただ途中にあった橋に来た時、ここがリアルト橋かなと思って近くにいた人に聞くと、「この先だよ」と言う。多くの観光客がゆっくり歩いている狭い路地を駆け抜けることは、少々しんどかった。

   
 
             小運河に架かる橋(ベニス)

   
 
          大運河に架かるリアルト橋(ベニス)

リアルト橋に着くと、そこは大きな運河に架かった橋で、確かに映画で見たシーンと同じであるが、生憎、修理工事中であった。写真を撮って急ぎ足で集合場所のサン・マルコ広場へ戻り、ツアーガイドのウルスラにその写真を見せると、「もう行って来たの!」と驚いていた。

AM11:30、オプションの「ゴンドラ・セレナーデ」の時間だ。希望者は4人ずつに分かれてゴンドラに乗り、狭い運河を進む。隣のゴンドラにはアコーデオン弾きと歌手が乗っており、マイクもないのに大きな声量で、イタリアのナポリ民謡「オー・ソレ・ミオ(O sole mio 私の太陽)」等を歌って聞かせてくれる。

   
 
             ゴンドラに乗って(ベニス)

ゴンドラの中で立って歌うのだが、あれだけの声を絞り出すことは、仕事とは言え楽ではなさそうだ。アコーデオン弾きは笑顔で弾いているが、歌手の顔がつらくて苦しそうに見えたのは気のせいだろうか。狭い運河では、海水と生活廃水が混じった臭いがした。
 

     
           「オー・ソレ・ミオ」(ベニス)
 

    
             サルーテ大聖堂(ベニス)

AM12:30、次に私は「サンタ・ルチア(S.Lucia)」駅を見学に行った。この名前は歌でも有名だし、映画の中にも出てきた場所である。船着き場で、一周14ユーロの切符を購入して乗船。先ほどのゴンドラは狭い運河を進んだが、今度の船は大きな運河を走る。

とは言ってもスピードは徒歩に毛が生えた位だ。途中、数カ所の船着き場で客の乗船・下船があり、30分ほどで、目的地に着いた。上陸すると目の前に大きな建築物がそそり立っている。この建物が「サンタ・ルチア」駅であることを確認したいのだが、どこにもその名前が見当たらない。

駅舎に入りホームの方を見ると、色とりどりの列車が停車している。しかし駅舎内のどこにも駅名が見つからない。そこで私はスタンドの店員に「ここはサンタ・ルチア駅ですか?」と聞くと「そうです」と言う。「しかし、どこにもその名前が見当たりませんね」と言うと「駅の外にあるよ」と言う。
 

     
          色とりどりの列車が(サンタ・ルチア駅)

駅の外に出て確認するもやはり見つからない。最後の望みをかけて探したのは、列車が停車中のホームであった。そこで見つけました。「ヴェネツィア・サンタ・ルチア(Venezia S.Lucia)」の表示が!私はやっと気分が晴れて、カフェでクロワッサンとコーヒーを食した。3.7ユーロ。
 

     
      ヴェネツィア・サンタ・ルチア(
Venezia S.Lucia)駅

PM1:45、再び乗船して大きな運河(Canal Grande)を進み、サン・マルコ広場に戻ってきた。次はラグーン(潟)の見学に行くが、その前に1.5ユーロ(高い!)を払って公衆トイレを済ませた。

PM3:00、ベニスのラグーンに浮かぶ島は数百とも言われるが、その何れもが海面から気持ちだけ上にあるだけで、丘や山は全くない。むしろ土を盛って造ったのかもしれない。しばらく走った後、一つの島に上陸して散策。この島は漁師(フィッシャーマン)の島と言われ、多くの漁師が住んでいる。各家の壁がカラフルに塗られているのが特徴である。
 

     
            ラグーンに浮かぶ島(ベニス)
 

     
            カラフルな家が(ベニス)

そしてその島はブラーノ(Burano)と言うブランドのレース製品で有名だとか。女性には人気がありそうだ。ガラス製品はムラーノ、レース製品はブラーノ、リスニングに弱い私は混乱してしまった。小さな島なので少し歩くと散策も終わってしまう。戻りの船は午後5時に出発するのでそれまでする事がない。

歩き始めたところへ戻ってくると、二人の老婦人がコーヒーを飲んで休んでいた。二人は恐らく何処にも行かずにそこにいたようだ。オーストラリアのブリスベン郊外に住む友人同士で参加した二人は、よく旅行をしているようだ。最近では、日本、韓国、中国等を巡るクルーズに参加したと言う。

船の中では、美味しい食事や楽しい催し物が盛り沢山で、歩くことも少ないので快適な旅になり、気に入っているようだ。一人の婦人は「孫が6人、ひ孫が16人もいるから名前を覚えられない」と言っていた。多分この婦人が最高齢者だと思うが、何歳になるのだろうか。話から推測すると、若くても80歳代の後半か。お元気だ!

PM5:00、ボートに乗船して出発地点のヴェネツィア本島へ戻る。

PM6:00、別のボートに乗り換えて大陸へ、そしてバスに乗り換えてホテルへ。近くを巨大な豪華客船がタグボートに引かれて進んでいる。客船のデッキには夥しい人々が鈴なりになってこちらを見ている。

   
            豪華客船が立ち寄る(ベニス)

このツアーには若い3人組が参加している。2人の女性と1人の男性である。彼らはバンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学に通う仲間だ。専攻学部は、IT科、歯科、生科学科と異なるが、アルバイト先で意気投合し、一緒にこのツアーへ参加することになったと言う。その中の1人の女性が、昨晩食べたものが悪かったらしく、お腹をこわして浮かぬ顔をしていた。

ベニスの印象は、事前の想像と大きな違いはなかったが、それでも「百聞は一見にしかず」の格言を実感する旅になっている。ベニスに3年間暮らした矢島翠氏(加藤周一氏の婦人)著で、地図入りの「ヴェネツィア暮し」を読んだことがあるのだが、それでも百聞の域は出ていなかった。

昔のベニスは、アドリア海に面する貿易港、商業都市として栄えていたようだが、現在では、ほぼ100%が観光都市として成り立っているのではなかろうか。「温暖化の影響で、大潮になると海水が家の中に入ってくる」と言う情報も、或いは観光に拍車をかけている話題かもしれない。ここ、ベニスでも、中国人観光客が多いことを付記しておかねばならない。

何れにしても、数千年の歴史と人々の生活を包含するベニスの魅力は尽きない。大きな運河を進みながら周りを見渡すと、幾つもの大聖堂がそそり立っている。船が接岸する所の名前には、全てサンタ(聖)が付いており、教会の多さを示している。

PM7:00、ホテルへ帰着。

PM7:45、ホテルで夕食。今夜の料理は珍しく良い塩加減で、食が進んだ。スパゲティ、肉(ニンジンとポテト付き)、デザートのほとんどを平らげた。

PM9:30、部屋に戻り、湯船に浸かる。今回のツアーでは、男性の1人参加が小生だけで、相部屋の相手がいない。その為に、ホテルの部屋は何時も独り占めである。

PM10:30、就寝。

5月1日(金)曇り後雨 16℃ メーデー

AM6:00、起床。ポメラを叩く。

AM7:45、朝食。今朝もクロワッサン、コーヒー、フルーツ、ヨーグルト。イタリアではクロワッサンが常食なのかしら?何処にでも見かけるパンである。

AM8:30、初日から続いているCOSMOSの大型専用バスにて出発。

AM9:45、高速道路のパーキング・エリアでトイレ休憩。祝日(メーデー)の為、何処も混雑している。

AM10:30、ベローナ(Verona)着。小さいが歴史のある町だ。現地ガイドの案内で市内観光。オーストリアやフランスとの国境が近いため、何度も苦い経験をした町のようだ。ナポレオンに攻められた話も出てきた。

私が拙い英語で町の地理を質問すると、「日本人ですか?」と聞き返された。「そうです」と答えると流暢な日本語で町の地形について説明してくれた。40歳前後で日本語のガイドでもある彼女は、日本語を大学で勉強したそうだ。この後は、英語で説明した後、日本語で補足してくれて助かった。

   
 
            アディジェ川・
1(ベローナ)

スカラ座はミラノで有名だが、そのオリジナルはベローナにあった。つまり、中世ベローナを支配していたスカラ家の娘がミラノに嫁ぎ、ベローナにあった家を偲んで建てたことがスカラ座の始まりである。スカラとはイタリア語で「階段」と言う意味である。

     
             アディジェ川・
2(ベローナ)

「神曲」を書いたダンテが政治的理由でフィレンツェを追われて住んだのもベローナである。ダンテは種々の作品を残しているが、イタリア語の父と言われている。イギリスに於けるシェークスピアの様な人であったのだろう。客死したダンテの墓はラヴェンナ(Ravenna)にある。

観光のハイライトは、ロミオとジュリエットの舞台になった、ジュリエット家(Casa Giulieta)のバルコニーである。思っていたより狭い中庭は、観光客でごった返しており、芋を洗うようであった。悲劇の話は、事実とフィクションが半々らしい。バルコニーもこの物語が余りに有名になったので、後から取り付けたと言う話もある。
 

     
         ジュリエット家のバルコニー(ベローナ) 

美しいアディジェ川(Adige)に囲まれた町の中に、ひときわ大きな古代ローマ時代(アウグストゥスの治世の頃)に完成したアレーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di Verona)が建っている。地震で一部が倒壊しているが、今でも夏期の数ヶ月間、演奏会等に使われている。ただし、屋根がないため雨天中止だそうだ。これはローマのコロシアムを最大としたときの、3番目に大きな建造物だという。

ベローナは、ベニスとミラノの中間にあるため、移動の時に立ち寄る観光客が多い。小さい町の割に観光客が多いので、大型バスの駐車場が少なくて困っている。

日本語に堪能なガイドが「日本人がこのツアーに居るのは珍しいですね」と言うので「日本のツアーは、みじか過ぎてもの足りません」と言うと、「そうですね。日本からのツアーも来ますが、滞在時間が少ないため、ガイドの説明が終わると、自由行動の時間が無いまま、すぐ移動してしまいます」と言っていた。

AM12:00、アンフィ・シアター(Amphitheater 円形闘技場)の見えるベローナの中央広場で自由昼食の時間になった。小雨がぱらついてきたので、店先のテントの下でクロワッサンとコーヒーを食す。3.9ユーロ。余った時間はポメラを叩く。

   
 
             アレーナ・ディ・ヴェローナ

PM1:40、ミラノへ向かって出発。フランスとの国境の山は、イタリア語とフランス語の二つの名前を持っていると言う。それは理解できるが、具体的にはどんな名前があるのだろう?

ガイドに聞くと次のような説明であった。

日本語;モンブラン

イタリア語:モンテ・ビァンコ(Monte Bianco

フランス語:モン・ブランシュ(Mont Blanc

いずれも「白い山」と言う意味だ。

PM4:10、ミラノ着。現地ガイドの案内で市内観光が始まる。最初に、スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)の見学。今は博物館になっているが、そこは堀を巡らせた広大な城である。1450年にミラノ侯爵のフランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して建設した城塞。

   
 
            スフォルツェスコ城(ミラノ)

近くに凱旋門に似た建造物があったが、これは1796年ナポレオンがフランスから攻めてきた時の置きみやげであると言う。ナポレオンの名前があちこちで聞かれる。

丁度今日から、ミラノ万国博覧会(エクスポ・EXPO)が始まったが、それに反対する大がかりなデモがあり、警備隊と衝突した模様である。我々が観光をしていると、200mほど離れたところから、大量の煙が発生し、催涙ガス弾の大きな音が何度も聞こえていた。後でテレビを見ると、デモ隊が放火した模様である。

   
 
                ミラノ市街

ミラノ・スカラ座の前に来た。想像していたより地味な建物であった。私達が新婚の頃、東京・上野でミラノ・スカラ座の引越公演があり、リカルド・ムーティ指揮による、プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」を鑑賞した。もう40年も前のことだが、幕が上がった瞬間、ひどく感動したことを覚えている。
 

     
               ミラノ・スカラ座

ミラノのデザイン、ファッションを代表するブランド店(プラダ、ベルサーチ、ルイヴィトン等)が軒を並べるアーケード街の通りを歩く。その目映さに目が眩むようであるが、その方面に鈍感で音痴な私にとっては、故郷の佐倉で田圃のあぜ道を歩く方が心地よい。

            
     ブランド店が軒を並べるアーケード街(ミラノ)

ミラノ市の象徴であり、市の中心のドゥオーモ広場に位置するドゥオーモ(Duomo大聖堂)の前に来た。バチカンには及ばないが、それに準ずる壮大な建造物だ。500年かけて建設された教会は、宗教が秘めた底知れぬ力(権力・財力・組織力・想像力)を実感する。ゴシック建築の美しいファサード(建物の正面の部分・英語のFace)が圧巻である。
 

     
            ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)

PM5:30、雨が降り続く中での見学が終わり、ドゥオーモ広場で自由時間になった。氷雨が降る中で、雨を凌ぐにはテントの下に入るしか方法がない。ドーナツ2個とコーヒーを注文して夕食を取りながらの雨宿りである。せっかく直りかけてきた風邪をぶり返さなければ良いが。フロリダから参加している2組の夫婦と同席。

PM7:00、ホテルへ向けて出発。降雨のため、素晴らしいミラノの観光とは言えないが、デモ隊と警察の攻防も見せてもらい、思い出の一時となった。

PM8:20、ホテル・ホリデイ・イン・イクスプレス(Holiday Inn Express)に到着。ここは、ミラノの中心地から1時間ほどバスで走ったところにあり、寝るだけの宿である。

PM10:00、シャワーを浴びる。

PM11:00、就寝。

次へ進む

目次へ戻る