5月2日(土)晴れ

AM6:00、起床。詩子とスカイプ。

AM7:00、朝食。

AM7:45、妻とスカイプ。

AM8:30、フランスへ向けて出発。

AM10:20、イタリア側国境のパーキングでトイレ休憩。ボトル水を1本購入。1.8ユーロ。パーキングは鬱蒼とした緑の山に囲まれており、長野県の山を思い出す。

AM10:45、バスは再び、フランスへ向けて出発。左手にジェノヴァ(Genova)の海岸が見える。コロンブスはここの出身である。この辺の景色は、左手の崖下は地中海で、右手はアルプスであり、バスは橋の上とトンネルの中を交互に通過している。ポメラを叩いても、トンネルですぐに暗くなるから叩くことを諦めた。

AM12:00、パーキングで昼食。並んでパスタを買う。皿に少しばかり盛られ、粉チーズをかけて6ユーロ(約800円)。決して安くはない。正直に言えば、不味くはないが美味くもない。自分で作る即席ラーメンの方が美味しいと思うし、まして四国の高松で食べる讃岐うどんには比べるまでもない。

PM0:45、出発。

PM1:25、音楽コンクールで有名なサンレモ(Sanremo)を通過。車内で、10年前にここで優勝して有名になった男性歌手の歌声を聞かせてくれた。曲名は「ボラレVolare」。なかなか良い声であった。

PM1:40、国境を通過。高速道路上にそれを示す表示版があるだけで、バスはスピードを保ったまま、ノンストップである。フランスに入ったバスは、コート・ダ・ジュール(COSTA AZUL青い海岸)を通過。この辺りは地中海でも有名なリゾートが目白押しである。

PM2:00、モナコ公国(Monaco)着。面積は、わずか2平方キロメートルでバチカン市国に次いで小さい。人口35,000人。世界一の人口密度である。ハリウッド女優のグレース・ケリーが1956年、モナコ大公妃として嫁いだことで有名(1982年交通事故死、52歳)だが、イタリア人女優のソフィア・ローレンの別荘もある。

要するに、お金の有り余っている人がここに別荘を持っており、別荘で成り立っている国か?モンテカルロ(Monte Carlo)はこの国を4分割した地区の一つであるが、カーレースのフォーミュラー1(Formula-1)が行われたり、カジノがあったりするので、モナコの代名詞のようになっている。
 

     
              宮殿への坂道(モナコ)

   
 
            私達ハネムーンです(モナコ)

この狭い所でのカーレースは、一周が3kmほどしかないので、何周もすることになる。地中海に面して景色が良いとは言え、狭い海岸と、崖の上の狭い土地にひしめき合って暮らすことが、それほど快適だとは思えないが、そう考えてしまうのは貧乏人のひがみだろうか?我々の側をこれ見よがしに、スポーツカーのフェアレディーZが何台も走り抜けていく。

 

     
               モナコ大公宮殿前

 

     
                モナコの中心街
 

     
              モナコのハーバー

PM4:00、モナコを出発し、ニース(Nice)を素通りしてホテルのあるカンヌ(Cannes)へ向かう。

PM5:30、イビス・ホテル(Ibis Hotel)にチェック・イン。困ることはないが、受付の対応と言い、室内のクォリティーと言い、今まででは、最低ランクのホテルである。イタリアに比べるとフランスは物価が高いようで、その分、質を落とすことになるのだろうか。

PM6:00、近くのスーパーマーケットへ買い出しに。オーストラリアのパースに住む2人のおばさまに同行。クロワッサンとドーナツを購入。1.7ユーロ。今夜の食事はこれでおしまい。おばさま達はボトル水を1ケース(6本入り)ずつ購入。小さいボトルとは言え、よく飲みますね!帰りがけにマクドナルドへ寄り、ハンバーグを頬張る。私はホットコーヒーだけを注文。

PM8:30、洗面所で洗濯。ヨーロッパでは洗濯代が高いと聞いていたので、ホテルでのクリーニング代を見ると、下着1枚の値段が3ユーロ前後になっていた。これなら、安物でよければ新品が買えそうだ。

PM9:00、ポメラを叩く。

PM10:00、シャワータイム。

PM11:00、就寝。

5月3日(日)

AM6:00、起床。

AM7:00、佐倉の自宅に遊びに来ている詩子とスカイプを試みるが、電波状態が悪く、すぐに通信が切断してしまう。皆の顔を見るだけで終了。ツアー仲間も、このホテルの通信状態の悪さを訴えていた。

AM8:00、朝食。いつものようにしっかり食べる。

AM9:00、ホテルを出発。元英語の教授は「俺は行かないで寝ていることにした」と言う。香水には興味がないらしい。

AM9:30、フラゴナール(Fragonard)と言うブランドの香水工場を見学。日本からはキンモクセイ(Osmanthus)、中国からはジャスミン(Jasmin)と言うように、世界中から香りの良い花を集めているようだ。解説の中で、オー・ド・トワレ(Eau de Toilette化粧水)とパフューム(Parfum香水)はその濃度が全く違い、従って値段も異なると言うことを語っていた。

色々な種類の香りをかがせられたが、元々臭いに鈍感な上に風邪気味の鼻では、なにを試してもピンとこなかった。工場の外へ出て、新鮮な空気を吸ったら何倍も気分が良くなった。ここの製品をネットで検索したら、アマゾンでも販売していた。

AM11:00、ホテルへ帰着。今日のこの後のツアーは、2つともオプショナルである。オプショナルに参加しない人は自由行動である。

AM11:10、オプショナル・ツアーへ出発。これから行くところは、サン・ポール・ド・ヴァンス(St.Paul de Vence)と言う。そこへ向かうバスの中で、ツアーガイドが何度もビレッジ(vilege)と言うから、どんなに綺麗な田舎に行くのだろうと思っていたのだが、そこは昔の城塞都市であった。

 

     
        サン・ポール・ド・ヴァンス遠景(カンヌ郊外)

確かに周りは美しい田舎の風景だが、見学する場所は、小高い丘の上にあって、城壁に囲まれた一角であった。ロシア人の画家であるシャガールは、ここに20年間住んでおり、多くの芸術家が訪れた所である。

今は教会を中心に様々な土産物屋が多いが、中央の狭い通りの左右には、様々なギャラリーがぎっしり並んでいる。そこをぶらついた後、更に城壁の内側から、城外を眺めながら一周しても、1時間かからない狭い所だ。しかし、中世のたたずまいをそのまま残している此処は、なんとも魅力的な所である。晴れた日には、地中海も見えるらしい。

 

     
ギャラリー通り(サン・ポール・ド・ヴァンス)

私は一軒の画廊で何とも魅力的なヌードの絵を発見。写真を撮らせてもらい、集合時に元牧場主にそれを見せると、「どこにあったのか、俺も見たかったよ」と言い、パース在住で離婚経験のあるらしい婦人は「奥さんに見られたら殺されるよ」と言って笑っていた。
 

     
     奥さんに見られたら・・・(サン・ポール・ド・ヴァンス)
 

     
         ギャラリー(サン・ポール・ド・ヴァンス)

昼食にバゲット・サンドを食べた。固いフランスパンに生ハム、クリームチーズ、トマト等を挟んだものだ。少し固いが、少しずつかじると、生ハムの塩加減が程良く利いてきて美味しい。ニューヨークで馴染んだベーグルパンを思い出した。慣れると癖になるかもしれない。

PM1:45、ホテルへ向かって出発。

PM2:30、ホテルへ帰着。

PM5:00、本日2つ目のオプショナル・ツアー「ニースでのディナー」に出発。南仏のこの一帯のリゾート海岸(モナコ、ニース、カンヌ等)を英語では「フレンチ・リビエラ French Riviera」と言い、フランス語では「コート・ダジュール Cote d’Azur」と言う。

ニース(Nice)に入ると海岸沿いに美しい町並みが7kmも続いている。その一角にはプライベートジェット機が数十機も駐機しており、海岸沿いには無数の高級ホテル、マンションが林立していて、世界有数のリゾート地であることを実感させられる。

 

     
               ニースの街並み

PM5:30、いったん自由時間になる。人々はジョギングをしたり、椅子に座って談笑したり、甲羅干ししたり、釣り糸を垂らしたりと様々にリゾートライフを楽しんでいる。ただ、海は青く美しいのだが、海岸が遠浅になっていないため、子供達が遊ぶには適していない。
 

     
               ニースの青い海

PM6:30、再集合して徒歩でレストランへ向かっている時、グループの後方で大きな声がした。何事かと思っていると、ツアーガイドのショルダーバッグを開けようとしている女を見て、我らのご婦人が大声を上げたのである。

我々のグループに紛れ込んで一緒に歩いていた2人の若い女の仕業である。幸い未遂に終わったが、危うい瞬間であった。とがめられた2人は、なに食わぬ顔で去って行った。ツアーガイドが言うには「2人はジプシーだ」という。

PM7:00、ディナー会場のレストランでは、すでに中国人観光客が食事中である。私はハネムーンの二人と同席。新郎は母親から教えてもらいながら、その方の学校にも通っていたのでアラビア語ができる。新婦は、父親の影響でインドネシア語のリスニングができると言う。

今日のメイン料理は、牛のシチューで美味しかったが、新郎は魚料理に代えてもらっていた。信仰上の理由から、豚を食べないが、その延長線で牛も食べないと言う。新婦は牛のシチューを美味しいといって食べていた。

PM9:00、チョコレート・ムースのデザートを食べ終わり、バスでホテルへ。

PM9:50、ホテル着。シャワーを浴びる。

PM10:30、就寝。

5月4日(月)

AM5:00、起床。ポメラ、パッキング。

AM6:50、朝食。何人かの人が「部屋にアリがいて食われた」と言っていた。私の手にも1匹のアリがうろついていたのを目撃した後、手の甲に小さな湿疹が出来てカユクなっていた。やっぱりアリのせいだったのか。

AM8:00、出発。

AM11:00、アヴィニヨン(Avignon)着。ローヌ川に架かる半分壊れた橋の側でバスを降り、教皇庁宮殿の見学へ。私は小さい頃に聞いた「アヴィニヨンの橋の上で」のメロディーが耳に残っている。今見ているのがその橋だと言う。石橋が半分壊れているのはどんな経緯があるのだろうか。

 

     
           教皇庁宮殿の外壁(アヴィニヨン)

1185年に完成した当時は全長920mで22連のアーチ橋だったが、戦争やたび重なるローヌ川の氾濫に遭い何度も破壊された。17世紀にはついに修復が打ち切られてしまったと言う。
 

     
          ローヌ川に架かるアヴィニヨンの橋

中世の一時期(1309年〜1377年の68年間)7代に渡る教皇が政治的な軋轢により、ローマから移ってこの教皇宮殿(教皇庁)に住んでいた歴史がある(アヴィニヨン捕囚)。そう言えば歴史の授業で聞いたような気がするが忘れてしまった。(古代のバビロン捕囚になぞらえ、「教皇のバビロン捕囚」とも言われる)
 

     
            教皇庁宮殿(アヴィニヨン)

宮殿は荘厳な建築物であるが、建物の中にあった調度品は、フランス革命時に持ち去られたりして、内壁はむき出しになっている。昼食は、昨日に続いてバゲット・サンド。4.2ユーロ。

PM2:00、リヨンへ向けて出発。高速道路を走っている時がポメラタイムである。

PM5:00、リヨン市内に入って来た。市内には、北から流れ込むソーヌ川(Soane)と北東から流れ込むローヌ川(Roanne)の2本があり、市の南で合流している。従ってこの2つの川に挟まれた部分は半島状(Peninsular)になっている。リヨンはパリ、マルセイユに次いでフランス第三の都市であり、15世紀には絹産業で発展した。
 

     
             リヨン市内のソーヌ川

しかし、蚕が微粒子病で全滅したとき、日本から病気に強い蚕を持ち込んで再建した。そんな経緯から、絹産業に力を入れていた明治政府はフランスのリヨンから技師を呼んで、製糸工場を建設した(1872年、明治5年開業)。これが昨年世界遺産に登録された群馬県の富岡製糸工場である。

日本との関係では、他に、横浜正金銀行時代の永井荷風がリヨンで働いていたことや、作家の遠藤周作がリヨンに留学していたことが挙げられる。

PM5:30、ホテル・リヨン・ウエスト(Hotel Lyon-ouest)にチェック・イン。アメニティはgood1泊の料金は100ユーロ前後の三ツ星ホテルだ。

PM7:00、ホテル内で、セットメニューによるディナー。ナスとトマトを油で炒めた前菜、マカロニに、きのことハムを入れて炒めたメインメニュー、それにグラスワイン(小生は飲めないが)。デザートはベリー・ソースをかけたムース。まずまずのお味でした。

PM8:30、ポメラタイム。

PM10:00、シャワーを浴びる。

PM11:00、就寝。

5月5日(火)

AM5:00、起床。

AM6:00、スカイプを立ち上げたが、お目当ての詩子は昼寝中。

AM6:50、朝食。久しぶりにシリアルを食す。他にも食べきれないほどの食料が並んでいるので、頑張って食べるが限度がある。

AM7;30、もう一度スカイプを繋ぐ。昼寝から起きていた詩子は、一瞬だけ顔を見せて画面から消えてしまった。ジイジよりも楽しいことがあるようだ。

AM8:00、リヨンの市内見学。バスの出発点のベルクール広場(Bellecour)に「星の王子様」を書いたサン・テグジュペリ(Saint Exupery)の銅像があった様だが見過ごしてしまった。彼はリヨンの出身だそうだ。

最初に訪れたのは、リヨンの高台にある古代ローマ時代の劇場。大小二つの劇場が並んで存在している光景は初めて見た。大きい方は紀元前、小さい方は紀元後の早い時期に造られた。大きい方は修復工事中であった。ローマ皇帝・クラウディス(BC10AC54年)とカラカラ(AC188217年)は共にリヨン生れである。

  

     
          大きいほうの野外ローマ劇場(リヨン)

遺跡のすぐ側にはバシリカが有り、その中を見学。この大聖堂の正式名は「ノートルダム・ド・フルビエール大聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourviere)」と言う。教会には色々な呼称があるが、どのような違いがあるのだろうか。

バシリカ(basilica)、西洋中世の教会堂形式。身廊・側廊があり、一般の教会堂より上位にある。

カテドラル(西catedral 英cathedral)、司教座を有する大聖堂。

チャーチ(church)、一般的な教会。

チャペル(chapel)、小規模の礼拝堂。定住の聖職者が居ない場合もある。
 

     
       ノートルダム・ド・フルビエール大聖堂(リヨン)

     
          リヨン市街(フルビエールの丘から)

現地ガイドの話の中に、イスラム教徒によるテロを心配している様子が語られた。「フランスには数千の教会があり、その全てをテロから守ることは容易ではない」と。

AM10:40、バスはパリへ向けて出発。これから500km近くの長距離ドライブになる。

PM1:00、昼食休憩。クロワッサンとココアで3.5ユーロ。

PM1:40、出発。

PM3:30、トイレ休憩。

PM5:15、パリのホテル、カンパニール・ポルト・ディタリー(Campanile Porte D’Italie)にチェック・イン。室内は狭くて絨毯が汚れている。

PM6:30、下着の洗濯をした後、夕食の買い出しに近くのスーパーへ。受付の話ではすぐ「近くに大きなスーパーがあります」との事であったが、近くにあったのは小さな店で、大きなスーパー迄は10分ほど歩かねばならなかった。

そこは巨大なスーパーで沢山の人が来て、カートに一杯の食料を買い込んで行く。そんな中で、私はボトル水1本、リンゴ3個、クロワッサン2個を探し出してレジに並んだ。締めて2.8ユーロ。季節はずれのリンゴが美味しかったが、どこから来ているのかしら?

PM8:00、オプションで「キャバレー・リド(Lido)」へ。若い頃、仕事でパリに来た時からその存在は聞いて知っていたが、行くチャンスがなかった。特別行きたいわけではないが、話の種に1回は見ておこうと言うことで参加した。持参していた一張羅のカジュアルスーツに着替えてロビーへ降りてきたら、「素敵ですね」とご婦人方に誉められました。

PM9:00、各自のグラスにシャンペンが注がれて開演。パントマイム、お色気ダンス、バレー、狭い特設リンクでのペアーによるフィギアースケートと次々に繰り出す演技は、それなりに洗練されてはいたが、想像を超える物は何もなかった。大音響の中で、私は半分ほど眠っていた。

  

     
               リド入口(パリ)

     
            リド・開演前の客席(パリ)

PM10:50、演技が終わり、外へ出ると、こんなに遅い時間に長い人の行列が出来ていた。11時から2回目の公演が始まるのだという。

PM11:40、ホテルへ帰着。バスタブで入浴。

PM12:20、就寝。

次へ進む

目次へ戻る