5月23日(土) AM6:30、起床。 AM7:30、朝食。 AM8:30、マラケシュの市内観光に出発。モロッコには5万のモスクがある。マラケシュの建物はピンクがかった茶色に統一されている事が印象的であるが、それを表現して「レッド・シティ」(red city 赤い町)と言われているそうだ。 本日最初の見学は、マラケシュ・モスク(クトゥビヤ・モスクとミナレット Koutoubia Mosque and
Minaret)。半分は土台しか残っていないものだが、それなりに歴史と権威があるらしい。
2つ目の見学は、旧市街にある王宮(バイア宮殿 Bahia Palace)。毎日のように代わり映えのしない、モスクと王宮を見せられて(それも外側だけで中は見られない)うんざりしている。王宮の近所で見かけた、オレンジの木や、コウノトリの巣、パン屋さんがパン生地を延ばしている姿、土産店でのウインドウショッピングがささやかな、気分転換である。
3ヶ所目の見学は、スパイスや化粧品の実演販売。次から次に瓶を回して臭いをかがされても、どうせよというのだろうか。興味のない私は、一番後ろの席で壁に寄りかかって休憩。
4ヶ所目は、公共広場(ジャマ・エル・フナ広場 Djemaa el Fna)とスーク(市場)での自由時間。広場では、テレビでよく見る、例の笛を吹いてヘビを操るパフォーマンスが、あちこちで行われていた。これは「写真を撮るだけでもお金を払わなければいけません」とガイドから言われ、写真を撮る気にもならなかった。
市場では、観光客目当ての土産店が軒を連ね、似たような物を売っていた。どれも定価が付いていないので、価格は交渉次第である。ほこりっぽい雑踏の中では、何も買う気になれなかった。路上から菓子店のケースの中を見ると、菓子の上に無数の蝿が止まっていた。こんな菓子を買う人がいるのかしら? ここの自由時間は、昼食の時間も含まれていたが、誰もここで食べる気にならず、そのままホテルへ帰着。 PM1:45、オプショナル・ツアーへ出発。バスで1時間ほど走った田舎で、この辺りでは典型的な、日干し煉瓦でできた家庭に立ち寄り、甘いミントの香りがするお茶を振る舞われた。
PM3:00、更に、もう一軒の家では、10人程の女性が、ピーナッツの臭いがする、豆類を原料にした、手作りの化粧用オイルを作っていた。ここでも実演販売である。女性たちは興味を示し購入する人もいたが、男性は、遠くから眺めているだけであった。しかも、これは午前中の市内観光の中でも見せられた実演販売と同じではないのか?
PM5:00、何の感動もなく、ホテルへ帰着。振り返ってみると、モロッコに入ってから、印象に残った物は殆どない。来る前の情報では、もう少し期待していたのだが。 PM6:00、メールをチェックして、ポメラを叩く。 PM7:30、夜のオプショナル・ツアーに出発。伝統的舞台でベリーダンスが含まれている。行く時に、オーストラリアから参加している婦人が「ベリーダンスが楽しみですね」と言うので「エジプトで見たパフォーマンスは期待したものではありませんでしたが」と言うと「トルコでのそれは素晴らしかったです」と言って、今夜の出し物に期待していた。 PM8:00、カジノ・デ・マラケシュ(Casino de Marrakech)と言う大きなホテルの一角にあるレストランでディナーが開始。同時に舞台では4人が楽器の演奏。バイオリン、琵琶、タンブリン、独特のドラム。それは、伝統的な音楽であろうが、ヘビが踊り出しそうな音色で、耳に心地良いものではなかった。
食事のメニューは、パン、スープ、チキン、クスクス、デザートと書いてある。チキン(Pastilla of chicken)の時に出された物は、大きめのケーキのようなもので甘かった。そして、鶏の姿は何処にもなかった。「これが鶏ですか?」と隣の人に聞くと、「そうらしい、すりつぶした鶏が入っているようだ」と言う。 クスクス(Chicken couscous)が出てきた時には、私の腹は8分通り出来上がっていた。この皿には、穀類にしては細かすぎる粒状の上に、大きな鶏肉の固まりと、人参を初めとする、8種類の野菜が乗っていた。最初にこれが出されていれば、何とか平らげたかも知れないが、8分通り出来上がっているお腹には、多すぎた。 味は悪くなかったので頑張って食べたが、半分を食べるのが精一杯であった。ちなみに辞書によると、クスクスとは「粗挽きの小麦粉を蒸して作る北アフリカの料理」とある。
デザートは、シャーベットである。実は、ツアーの直前に、欠けた歯の応急処置をして日本を発ったのであるが、その応急処置が旅の半ばで、効果がなくなり、冷たい物がそこに当たると、しみて痛くなるようになっていた。何とかあと1週間、我慢できればよいのだが。と言う訳で、デザートのシャーベットは一口食べてオシマイ。 最後のデザートが出てくる頃には、舞台でのパフォーマンスが始まっていた。しかし、このパフォーマンスも、伝統的なものではあろうが、何ともピリッとしない、おざなりの芸としか思えなかった。こうなれば最後のベリーダンスに期待するしかない。 しかし、そのベリーダンスに登場した女性は、わき腹がたるんで、脂肪の塊が3段にもなっている。腰を動かす度にその塊が大きく揺れる。それでも、その内に見せ場がやって来るのだろうとの希望は失わないで、眠いのを我慢していたが、最後まで腰を振るだけであった。へそを出して腰を振ればベリーダンスと言えるのか? 私は、「千一夜物語 1001nights」と銘打った今夜のパフォーマンスには、がっかりして帰途に着いた。 PM10:30、ホテルへ帰着。入浴。 PM11:00、就寝。 5月24日(日) AM6:10、起床。 AM7:00、詩子とスカイプ。ブロックで家とバスを作って見せてくれた。 AM7:20、朝食。「昨夜のベリーダンスは残念でしたね。あれなら私の方が上手に踊れるわ」とは、トルコで素晴らしいベリーダンスを見たと言うご婦人の言。 「昨夜のオプショナルには行かなかった」と言うニュージーランドから参加の夫婦は「私たちは、この後もヨーロッパのあちこちを4ヶ月間旅行しますので、節約しなければいけませんから」とその理由を語っていた。 AM8:30、モロッコ最後の訪問地、フェズ(Fez)に向けて出発。バスの中でポメラを叩く。移動日は日記を書く事がはかどる。 AM10:00、トイレ休憩。高速道路のパーキングは何処も似たような構造になっており、モロッコではパン焼き窯がある。ここでは、丁度パンを焼いているところであった。焼きたては美味しそうだが、今はまだお腹が空いていない。ボトル水、1.5Lを購入。10ディルハム。
フィリピン系オーストラリア人の女性2人と、昨夜の評価談義。一人は「セビリアのフラメンコより良かった。ベリーダンスは頂けないが、そのほかのパフォーマンスが良かったから」と言う。人により感性、好みが大きく異なることを感じた。 AM12:20、昼食。私はチキンのケバブを注文。パサパサの鶏肉で、2本の内、1本を食うのがやっとでした。後は、人参とフライドポテト、パンで70ディルハム。 2人の女医さんを娘に持つ父親と立ち話。「娘たちが生まれた後、インドの最南端の町からアメリカに移住しました。自分は住宅の管理業務をしており、妻は看護士です」と話してくれた。娘たちの肌の色がかなり黒いので、アフリカ系なのかなとも思っていたが、髪の毛が直毛なので、インド系かなとも思い判断が付かないでいたのだ。 娘の一人はハーバード大学(Harvard University)の卒業だというので、娘に「すごく頭が良いんだね」と言うと、「ハーバードではなくワシントンDCのハワード大学(Howard University)です」と言う。「リスニング力が弱いもんで」と言うと「そんな事はありません。よく間違えられます」と激励されてしまった。ハワード大学も名門の1つである。 シドニーから参加している70歳の婦人は話が好きで、ちょっと話しかけると、話が止まらなくなる。少々聞き取りにくいので、短めにお願いしたいのだが、こちらの事情はお構いなしである。適当に相づちを打って聞き流すしかない。 PM1:20、フェズに向かってバスが発車。今日の車窓の風景は、すいか、オリーブ、サトウキビ、そして、小さな町に来ると、例の赤い建物である。すいかは道路沿いで山積にして売られている。やや長めの、しかし、まるまると太ったスイカである。 食後の一時、車内にはスペインの曲が低い音で流されている。聞き覚えのあるクラシック音楽だが、タイトルや作曲者の名前は思い出せない。 PM4:20、アトラス山脈の中に入って来た。小さな高原の町が時々現れる。この辺の景色は、2006年のアメリカ映画「バベルBABEL」の中のモロッコを題材にした場面に出てくる。時々、ロバが人を乗せたり、荷車を引いたりしているが、馬の姿は全く見えない。
PM6:00、天候が急変し、土砂降りの雨が降ってきた。片側1車線の山道だから、運転も楽ではないと思う。一応舗装はされているのだが、その幅が十分ではない為に、大型車がすれ違う時は、舗装した部分からはみ出てしまうのである。 PM7:00、ホテル、ザラー・パーク・パレス(Zalagh Parc Palace)に到着。今日は早朝から10時間半の移動であった。 PM7:30、ホテルでバイキングのディナー。同席したのは、最大級の大型黒人女性と、対照的にスレンダーなこちらもかなり肌が黒い女性である。スレンダーな方は、両親がドミニカからニューヨークに移住してきた娘で、小学校の教員をしている。両親がヒスパニア(スペイン語圏)の出身である為に、スペイン語も流暢に話す。 PM8:30、ホテルのロビーでインターネットを試みるが、うまく繋がらない。電波は強いのだが、利用者が多い事がその原因だと思う。前のホテルでもそうであったが、各自の部屋では無線は使えない。諦めて部屋へ戻る。 PM9:00、風呂に入るべく、バスタブにお湯を入れようとコックをひねると、異様な音と共に茶色い水が出てきた。ビックリしたがこれが現実である。モロッコに来る時、ガイドのイネスが「歯を磨くときも、水道の水を使わないように」と言っていた背景が分かってきた。 そのままお湯を出し続けても、色は澄んできたが、熱くはならなかった。これが5つ星ホテルとは信じられない!今夜は、シャワー無しで寝ることにした。今回の旅行では初めてのことである。 PM10:00、就寝。 5月25日(月) AM6:20、起床。 AM7:00、詩子とスカイプ。話す言葉に主語と述語が入り、文章になってきた。間もなく3歳になる。 AM7:15、朝食。同席したのはオーストラリアのパースから一人参加の男性。「妻とは、バルセロナまで一緒であったが、そこで別れた。彼女は実家がある、イギリスのリバプールへ行っている」と言う。既に退職しているが、現役時代は、たばこ産業に従事していた。「自分でもたばこを吸いますか」と聞くと「全く吸わない」と言って笑っていた。 AM8:30、フェズの市内観光へ出発。 最初は、宮殿。「モロッコで最も古く、最も大きな宮殿」と言っているが、入り口の塀の外から見るだけで、中にも入らないのでは、感動のしようがない。正面入り口のタイル模様を写して終わり。
次に案内されたのは、フェズの旧市街。一人がやっと通れる位の細い路地に入っていく。そんな狭い所でも、至る所で改修工事が行われており、ロバが建築資材を運んでいる。薄暗い中二階からは、大勢の子供の声が、切れ目なく聞こえて来た。何事かと覗いてみると、小学生がコーランの暗唱をしているところであった。
AM10:00、ここまでは良かったが、ここからが大変でした。絨毯の売り口上と販売。革製品の売り口上と販売。布製品の売り口上と販売と、3カ所も連れ回されてヘトヘトになってしまった。こんなゴミゴミした所でも、そういう店は、それなりの敷地と立派な建物を構えているのである。
そして何処へ行っても、ツアーメンバー45人の中には、一人くらい買う人がいるから、付き合わない訳にはいかない。東南アジアのツアーでは、よく免税店に連れて行かれるが、どんなに多くても、立て続けに3カ所も行くことはない。 フェズのスーク内にあるイスラム教神学校(アッタリーン・マドラサ Medersa Attarine)を見学。14世紀に建てられた神学校だそう。
PM1:00、ホテルへ帰着。有り合わせの食料(パン、ジャム、オレンジ等)で昼食。 PM1:30、シエスタ(siesta昼寝)。 PM3:30、ポメラタイム。 PM5:30、最後のオプショナル・ツアーに出発。今までの流れからは、期待出来ない。 PM6:00、食事をしながら、伝統音楽、伝統舞踊、手品、ベリーダンス等を楽しんだ。前回のマラケシュでの「千一夜物語」とほとんど、似たようなものであった。違いは、一段高くなった舞台がなく、演技はフロアの真ん中のスペースで行い、客はそれを囲むように座って食事をしている。 手品師はかなり年輩のじいさんで、出し物は、ハンカチーフから鳩を出したり、白紙が紙幣に変わったり、客席から女性を呼びだして、その人の胸にハンカチを入れ、ハンカチを取り出す時には、女性のブラジャーが一緒に出てくると言った、何処にでもある種である。 ベリーダンスの踊り手は、前回の人よりは腰がくびれていたが、演技の中身は腰を振るだけで、前回と同様であった。伝統音楽、伝統舞踊というのは、放っておくと廃れてしまうから大切に保護しましょう、と言うレベルの物であるから、人気があるとか、評判が良いと言う事とは別次元の事なのだろう。
「マラケシュでのベリーダンスには失望した」と言っていた婦人が「前回よりは良かったわね」と言っていた。フィリピン系アメリカ人の男性が「今回の旅行は楽しめていますか」と言って来たので「モロッコに来てからは、感動した物がありません」と言うと「私もそうです。がっかりしています」と言う。私は「これも経験ですから」と言うと彼も同意していた。 ディナーで同席したのは、オーストラリアのパース郊外から参加している夫婦。夫の頭は、見事に禿げており、口ひげも真っ白なので、私と同じくらいの年齢かなと思っていたら、10歳も若かった。よく見ると肌の艶・張りは、若そうであった。 PM8:30、ホテルに帰着。昨日よりは暖かいお湯が出るようになったので、シャワーを浴びる。 PM9:30、就寝。昼寝をしたためか、寝るには早すぎるためか、寝付かれない。それに、今朝から頭痛がある。風邪気味なのかしら。 |