1112日(火)

AM5:30、起床。洗面。

AM6:00、ポメラを叩く。

AM8:00、マクドナルドで朝食。「何とかロール」が90ルーブル(320円)、コーヒーが69ルーブル(245円)。決して安くはない。

同行したスタッフのジョセフに「モスクワは何度目ですか?」と聞くと、「初めてです」と言う。「それにしては、ドコでも知っているように見えますよ」と言うと、「そのように見せかけているだけです、YPTですから」と笑う。

           

左からジョセフ、マルコ、アレン

初めて訪問する人が、客を集めて引率している。すごいと言うのか、いい加減というのか、やはり怪しげな旅行会社ではある。

AM8:45、出発前に「お通じ」あり!やはり、夕べのシャワーが効果を現したようだ。私にとっては非常に大切な事である。これで今日一日、気持ちよく観光が出来る。

AM9:30、観光に出発。外の気温は6℃を示している。心配したほど寒くはない。今日の観光は、クレムリンとその周辺である。ユース・ホステルからは徒歩、15分位で「赤の広場」に着いた。

    

赤の広場

そこに、テレビでよく見るクレムリンのスパスカヤ塔と、ボクロフスキー聖堂(ワシーリー寺院)が、塔の高さを競うように建っている。あたかも、政治権力と宗教の権威が力比べをしているようである。

    

クレムリンのスパスカヤ塔(右)とワシーリー寺院

ワシーリー寺院の前には、石柵で囲った小さな円形の台(ロブノエ・メスト)がある。かつて、此処から皇帝が全国に布令を読み上げ、重罪人に対しては、判決を言い渡し、処刑を執行した場所でもあった。

             

ロブノエ・メスト

赤の広場の一画には、鮮やかな色彩の教会、カザンの聖母聖堂が建っている。これは1612年のポーランド軍の侵攻を防いだことを記念して建設されたが、ソ連時代の1936年に、スターリンの命によって破壊された。現在の建物は1993年に再建されたものである。

    

               カザンの聖母聖堂

赤の広場に面して建っている、もう1つの建物が、モスクワを代表する国立歴史博物館である。

    

国立歴史博物館

次に訪問したのは、クレムリンにある、レーニン廟である。入場料は取らないが、荷物を預けさせて、預かり料(70ルーブル:250円)を徴収している。何重にも警備された奥に入っていくと、防腐処置を施されたレーニンが眠っているかのように、横たわっていた。

それを見た同行者の一人が「単なる蝋人形のようですね」と、印象を語っていた。正直な印象だと思う。レーニン廟を真似て作ったのが、ホーチミン廟であると言うが、私はそれを、今年の6月にベトナムのハノイで見学している。

このレーニン廟へ、ソビエト連邦の頃には、共産主義国家のメッカとして、毎日、おびただしい訪問者が有ったが、ロシアになってからは、訪問者がめっきり減っている。今日も、入場するのに並ぶことはなかった。レーニンの権威も大分落ちているようだ。
    

 レーニン廟

レーニン廟を見学した後、我々は、ヴァスクレセンスキー門から赤の広場を出て、クレムリンの西側にある、アレクサンダー・ガーデンを歩いた。此処では衛兵の交代や、小学生の集団見学にも出会った。さらに隣接したマネージ広場からは、ボリショイ劇場が見えた。

    

ヴァスクレセンスキー門

    

 アレクサンダー・ガーデン

      

アレクサンダー・ガーデン(2

    

 アレクサンダー・ガーデン(3

    

 マネージ広場

    

  ボリショイ劇場

PM0:30、ユース・ホステルまで戻って、昼食。何処のレストランに入っても値段が高いので、菓子パンで済ますことにした。4個で158ルーブル(560円)なり。

PM3;00、午後の観光に出かけた。今回はワシーリー寺院の内部を見学すると言う。入場料は250ルーブル(890円)だ。本当に高い。独特の形と派手な外見がひときわ目立つが、その中には、特に印象に残る物もなく、退屈であった。このワシーリー寺院も、時の権力者の意向で、虐げられたり、崇められたりを繰り返して来たようだ。

私は、早々に退出し、モスクワ川を見に行った。クレムリンはモスクワ川沿いに有ることが分かり、更にクレムリンと思っていたのは、正確にはクレムリンを取り巻く壁であった。

    

 モスクワ川とクレムリンを取り巻く壁

壁の中に、大統領官邸や元老院があり、壁の外に赤の広場がある。そして赤の広場の反対側にモスクワ川が流れていると言う構図である。ボリショイ・モスクヴァレッキー橋の上からモスクワ川を見ると、西奥の方に、救世主キリスト聖堂が見える。モスクワ川から戻ってくる時、クレムリンから飛び立ったヘリコプターの姿を目撃した。

   

 モスクワ川の奥に救世主キリスト聖堂が見える

   

クレムリンから飛び立ったヘリコプター

赤の広場を挟んでクレムリンと反対側にグム百貨店がある。往時の三越デパートを幾つも集めたような巨大な建物である。中に入ってみると、外資系ブランド店が並んでいる。アイスクリームを食べながらウインドウ・ショッピングしている人が多く、私も真似てアイスクリームをかじってみた。50ルーブル(180円)なり。

   

 グム百貨店

   

グム百貨店内部

PM4:40、ユース・ホステルに戻り、ポメラを叩く。

中国で生活をしているマルコは、中国の通貨「元」を持参しているが、モスクワではそれをルーブルに交換してくれる銀行が見つからないで困っている。元が信用されていないのであろうか。

オーストラリア人のラクランは、自分の国で、ビザを取得しないで来ているため、今日も、朝から大使館に出向いている。ゆっくりした、自由な旅ならばともかく、限られた時間しかない旅で、ビザを申請して歩かねばならないと、観光の時間が無くなってしまう。観光に来たのか、ビザの取得に来たのか分からなくなってくる。

PM8:00、夕食。今日のメニューは、昼食に購入して食べきれなかった、残り物のパンとヨーグルト、それに持参したインスタント・コーヒーである。そのパンも、全部は食べきれなかったので、フランス人のシリルにあげた。

PM10:00、サンクト・ペテルブルグへ出発。ベラルーシへ行く4人と一緒に出発したが、彼らの方が、列車の発車時刻が早いため、先に彼らを見送ってから、私の出発駅へ行く。

モスクワでは、行く先ごとに駅が分かれており、それぞれ終点の駅名が付いている。ベラルーシへ行く連中が乗る駅は、「ベラルーシ駅」、私が乗る駅は、「レニングラード駅」である。分かってしまえば覚えやすい。

PM11:00、彼らを送ってから、私が乗車する駅に向かった。地下鉄で最寄りの駅「コムソモーリスカヤ」まで行き、レニングラード駅まで歩く。この駅は、我々が乗ってきたシベリア鉄道の終点「ヤロスラヴリ駅」のすぐ隣にある。

この辺の案内は、リーダーの彼女がやってくれる。私が「あなたの彼女は現地ガイドみたいですね」と言うと「そうなんですよ、僕はそんな彼女を持ってラッキーです」と言っている。

PM11:30、私は、彼女の案内で、サンクト・ペテルブルク行きの、レッド・アロー号の乗車口に着いた。車掌が「マサハル」と確認するから、私は「イエス」と答えて、Eチケットとパスポートを提示した。車掌は、あらかじめ私の名前が書かれた書類を持っていたのである。

私は、「Eチケットを正式な乗車券に交換しなければいけない」と思っていたが、その必要もなく、Eチケットを確認するだけで終了した。

レッド・アロー号は、伝統が有り、「一度は乗ってみたい夜行列車」と言われているそうだ。確かに車体は全体が赤く統一されている。車内は2段ベッドが向き合わせになった4人個室であることは、シベリア鉄道と同じであるが、室内とベッドの幅に若干ゆとりがあり、何よりも綺麗で清潔感に満ちている。

   

レッド・アロー号の通路にて

PM11:55、自分のベッドに横になり、4人部屋が満杯になったことは確認したが、疲れていたせいか、すぐに眠ってしまって、何時発車したのか気づかなかった。上段の2人は、40歳位のビジネスマン、私の隣の下段には、70歳を越えてなお、ビジネスバッグを携えた紳士であった。

レッド・アロー号の乗り心地は、申し分ないのだが、如何せん夜行列車である為、外の景色は全く見えない事が残念である。もっとも、深夜の1155分発では、外を見る元気もないのだが。

1113日(水)

AM5:00、トイレに行きたくなって、個室のドアを開けようとしたら開かない。上下2カ所がロックされており、1ヶ所はロックをはずせたのだが、もう一ヶ所がどうしてもはずれない。私は「すみません、ロックの外し方が分からないのですが!」と、何度か言うと、上段に寝ていた男性が起きて、ロックを外してくれた。やれやれ!

入ったトイレの綺麗で広いこと!まるでホテル並である。しかも、2部屋備わっている。夜行列車としては、心憎いまでに行き届いている。

                  

便座                 手洗い

AM7:00、起床。トイレで洗面。若干込み合うが、トイレが2つあるので、人の流れは比較的スムーズである。女性も結構乗車していたことが分かる。

車掌が、ランチボックス風の箱を、1人に1箱ずつ配っている。どうやら朝食のサービスらしい。箱の中には、サンドイッチ、ジャム、バター、マスタード、クッキー、水等が入っている。

原価は幾らもしないだろうが、期待していなかっただけに、うれしい心使いである。車掌に依頼すれば、紅茶のルームサービスもやってもらえるようだ。私の隣の老紳士は、その箱をバッグに入れて下車して行かれたので、私もそれに習った。

AM7:55、レッド・アロー号は、徐々にスピードを落とし、定刻にサンクト・ペテルブルグ駅に到着した。外を見ていなければ、何時到着したのか分からない位ショックがない。こんな所にも人気の秘密があるのかも知れない。

   

サンクト・ペテルブルグ駅

外はまだ暗く、雨が降っている。「サンクト・ペテルブルグは、1年の内、晴れる日は35日だけで、じめじめした秋しかない」と言った人が居るそうだが、今日は、正にその天気で私を迎えてくれた。

AM8:10、列車を降りた私は、駅舎内のカフェに寄った。そこでコーヒーを注文し(100ルーブル、350円)、列車内で配られた朝食を楽しんだ。

   

サンクト・ペテルブルグ駅舎内

   

列車内で配られた朝食

AM9:00、駅舎の外へ出て、行き先を確認する。この時刻になっても、高緯度のサンクト・ペテルブルグ(北緯60度、東京は北緯36度)は、まだ暗い。雨が降り続いており、それにも増して風が強い。海に近いためか。

   

ペテルブルクのモスクワ駅

   

モスクワ駅前(ペテルブルク)

今日の第一の目的は、エルミタージュ美術館の見学である。そこを目指して、ネフスキー大通りを歩き始めた。時間はたっぷりあるので、急ぐ必要はない。むしろ、あちこちを眺めながら、ゆっくり歩くことにする。

   

ネフスキー大通り

   

ネフスキー大通り(2

この大通りは、東京の銀座、パリのシャンゼリゼを思わせるが、エルミタージュ美術館のあるネヴァ川までは、4km程もある。途中、気になる風景をカメラに納めるのだが、風が強くて、折りたたみ傘が飛ばされそうである。気温はさほど低くないはずだが、風がある分、寒く感じて、体温を奪われているようである。

   

フォンタンカ川

幸いにも、駅から40分ほど歩いてきたところで、市内観光バスの発着点に差し掛かり、10時発のバスが、観光客を待っていた。外を歩いていると寒いし、まず、市内を一巡りしてから、エルミタージュ美術館に行くのも良いかと思う。500ルーブル(1780円)を支払って、イヤホンと、市内地図をもらう。

AM10:00、市内観光バスが発車。辺りがやっと明るくなってきた。「北国の夜明けはこんなに遅いのか」と、今更のように驚く自分が居た。幸い、この市内観光バスでは、日本語解説をイヤホンで聴くことができて、大変助かった。

   

市内観光バス

約2時間で市内の主な所を巡った。一通り記してみると以下の通りである。

1、ネフスキー大通り
   


   

2、オストロフスキー広場(エカテリーナ2世像)
   

3、フォンタンカ川に架かるアニーチョフ橋の像
   

4、カザン聖堂
   

5、宮殿広場
   

   

6、グリボエードフ運河と救世主教会
   

7、オーロラ号:日露戦争時、バルチック艦隊に編入され、ロジェストウェンスキー提督の指揮下、極東へ派遣された。
   

8、エリセーエフスキー:  1903年建築の商店。
   

9、ゴスチーヌィ・ドヴォール:  1785年建設の大百貨店。大きな中庭を囲んで周囲1Kmにもなる商店街が、環状に続いている。
   

PM0:00、市内観光バスを下車。大変楽しめた。降っていた雨も上がったが、雲が重く垂れ込めている。これがサンクト・ペテルブルグに特有の天気なのかも知れない。

丁度、昼時になった。観光バスの中でもその名前が出てきたレストラン「パールキン」に行こうと思い、その店に入ったつもりだったが、どうも違っていたようだ。

注文してから気が付いたので、キャンセルするわけにも行かず、昼食はその店で済ませた。パスタ、スープ、サラダ、パン少々、それにお茶で290ルーブル(1030円)。決してまずくはないが、美味しかったと言えるほどではなかった。

   

昼食

PM1:00、エルミタージュ美術館を目指して出発。

PM1:45、到着。入場券400ルーブル(1420円)。昨日の情報では、今日は休館日であるとの事。しかし、観光バスから見ていると、館内に見学者の姿があったので、意を強くして美術館に向かい、入場したのだが。

   

エルミタージュ美術館

主な施設は皆クローズドであった。本当に見たい、2、3点の物さえ見学できなかった。見学できたのは有名ではない物ばかり。1点1点は価値のある物だと思うが、一度に沢山見せられると、うんざりするのである。


PM2:45
、エルミタージュ美術館を後にして、露天商のおばあさんを目指す。来るときに面白い玩具を見かけたので、孫の詩子にと考えたのである。ところが、店仕舞いをしてしまって、おばあさんの姿は無かった。「チャンスは1回だけ。”後で”は、無いと思え」は至言か。


何も考えずに歩いていたら、いつの間にか、サンクト・ペテルブルグのモスクワ駅まで戻って来ていた。昼食の時に、見つけ損なったレストラン「パールキン」で、お茶にしようと思い、再びネフスキー大通りをネヴァ川方向に歩いて行った。ネフスキー大通りは、モスクワ駅とネヴァ川の間を、フォンタンカ川、グリボエードフ運河、モイカ川の
3本の川によって、4分割されている。

   

フォンタンカ川

PM4:00、今度は首尾よく、パールキンに入ることができた。アイスクリーム付きのアップルパイのようなデザートとお茶で、370ルーブル(1300円)也。此処でポメラを叩いて、2時間粘るが、店内が賑わってきたので、退散することに。トイレに入ったら便器が2つ備え付けられていた。どういう使い方をするのであろうか?まさか向かい合って?思わずシャッターを押してしまった。

   

トイレに便器が二つ?

PM6:00、ネフスキー大通りのカフェに入ってコーヒーを頼む。飲みたいわけではないが、場所代として頼まざるを得ない。210ルーブル(750円)也。此処で8時までポメラを叩く。たばこ臭い中で我慢するのは、2時間が限度だ。ロシアの若い女性は、タバコをスパスパ吸っている。あたかも一種のファッションの様に。


PM8:00
、ネフスキー大通りの、寿司屋と称する店に入った。メニューを見ると、「にぎり1人前」に相当する物がない。サーモンだけとか、マヨネーズだとか、とても食欲をそそらない。何とか探したのは、鉄火巻き。


一口サイズの、小さな鉄火巻き8個と、味噌汁一杯で
290ルーブル(1080円)也。日本の寿司とは全く違うメニューではあるが、客は大勢入っている。此処でも2時間粘って、ポメラを叩く。もう疲れて、歩くことはおしまい!外はまた雨が降ってきた。


PM10:00
、今朝も立ち寄った、駅構内のカフェでコーヒーと小さなパン。137ルーブル(480円)也。夜行列車のレッド・アロー号に乗車するまで、此処で時間を潰す。しかし、もうポメラを叩く余力はなかった。


サンヨー・レコーダーに録音してきたフランク永井の歌を聴いて過ごす。彼は本当に歌が上手いと思う。どうして自殺未遂なんか、しなければならなかったのであろうか。


PM11:15
、列車のホームへ行くと、丁度、レッド・アロー号が入線して来るところであった。ホームに静かに止まると、各車両のドアが開いて、一斉に車掌がホームに降りて、直立の姿勢で並んだ。客が乗っていない客車の各車両に、車掌が乗車して入線してくる事からして、見慣れない光景である。しかも、今夜の車掌は、全員が女性だ。


冬用のオーバーの制服に身を包んだ、いずれも幾分恰幅のよい中年の女性が、赤い列車の隣に一列に並んだ光景は、一幅の絵になる。魅せるレッド・アロー号もサービスの一環であろうか。大変印象に残るシーンであったが、残念ながら写真は無い。暗闇の中で、しかも予期していない中での一瞬の出来事であったから。


私は座席が指定されている3号車に行って、
Eチケットとパスポートを車掌に提示した。車掌は手持ちのスマートフォンの様な物を操作して、私の名前を検索しているようだ。


確認が済んだと見えて、一言ロシア語を発した。私は聞き取れなかったので英語で「すみませんが」と言うと、今度は車掌の方が、聞き取れないようだ。ゼスチュアーで「車内へどうぞ」と、促された。


レッド・アロー号は、深夜の
1155分に、モスクワ側からとサンクト・ペテルブルク側から同時に発車し、翌朝の7時55分に同時に到着する。そしておそらく、その日の深夜の発車までは、待機状態にあるのではなかろうか。


もちろんその間に、掃除が念入りにされるのであろうが、時間的にも、かなり余裕を持った、贅沢な使い方をされているように思う。


1車両内の個室は、シベリア鉄道が9個に対して、レッド・アロー号は8個である。したがって、レッド・アロー号の室内の方が幾分(
20Cm程)広くなっているのであろう。今夜の相部屋は、30歳代、40歳代、50歳代のビジネスマン3人と見受けられた。


11月14日(木)


AM7:55
、レッド・アロー号は、定刻にモスクワのレニングラード駅に到着。きっかり8時間の所用である。此処から地下鉄を使ってユース・ホステルに戻るのであるが、馴れた人なら30分で着くところを、2カ所でミスをして1時間も掛かってしまった。

   

レニングラード駅(モスクワ)

1カ所は、私の思いこみから、乗るべき地下鉄を間違えてしまい、もう1カ所は、最寄りの駅で、出口を間違えた為である。それにしても、モスクワの地下鉄駅には、駅名の表示が少ない。


AM9:00
、ユース・ホステルに帰着して、レッド・アロー号で配られた朝食を頂く。昨日の物と全く同じメニューであった。自動販売機でジュースを購入。60ルーブル(210円)也。東京の自動販売機なら、せいぜい150円の物だ。高い!(1111日にも同じことを書いている)


AM11:00
、ユース・ホステルを出発。今日の予定は、市内観光バスで、市内巡り。バスの発着場所を探すのに、1時間も要した。分かってみれば、何でもない所にあったのだが、身近な人は誰も知らなかったし、デパートのインフォーメーションでも、知らなかったのである。


ロシアでは英語が殆ど通じない。大国で生活している人は、他国の言葉を知らなくとも、何ら痛痒を感じないで生きていけるからであろう。


AM12:00
、クレムリン近くで、観光客を待っている市内観光バスを発見。急いで駆けつけ乗車した。所要時間は1時間で、運賃は600ルーブル(2100円)也。サンクト・ペテルブルクの、2時間で500ルーブルに比べても高いと思う。


しかも、サンクト・ペテルブルクの観光バスでは、日本語解説が選べたが、こちらではそれも無かった。今日のモスクワは、朝からみぞれ混じりの雪が舞っている。体力の温存にも、観光バスの利用が良かろうとは思う。


PM1:00
、バスによる市内観光の終了。ほんの小一時間でクレムリンの周りを回っただけである。1112日に、その大半を歩いて見学しているので、今日、新たに見学して写真に納めたのは、救世主キリスト聖堂だけであった。私のモスクワの印象は「この街は、クレムリンがあるだけ。後は、ほんのお飾り程度に大聖堂や博物館が有る」であった。

   

救世主キリスト聖堂

PM1:30、ユース・ホステルへ戻り、昼食。戻る途中で買ってきた菓子パン2個(72ルーブル、250円)が、今日のメニューである。午後の観光は無し。シャワーを浴びたり、ポメラを叩いたりして、今夜のウクライナへの出発に備えることにする。


PM7:30
、夕食、近くのパンケーキ屋に行く。サーモンの薫製を、薄く焼いたパンケーキで巻いたものと、コーンスープが今夜のメニュー。72ルーブル(250円)也。


PM8:00
、ホステルに戻り、ソファーで休む。いつの間にか寝入っていた。

PM10:30、ウクライナのキエフへ向けて出発。最寄りの駅(キタイ・ゴーラト)とは別の地下鉄駅(プローシャチ・レヴォリューツィ)に向かって歩いている。


kgのリュックサックを背負い、20kgのトランクを転がしたり、引っ張ったり、持ち上げたりしながら、30分間も歩いて、やっと地下鉄駅に到着したと思ったら、深夜のために近道になる裏口が閉鎖されていた。


我々は駅の周りをぐるっと回って、表口へ行かねばならなかった。私が「普段ならタクシーを利用するのだが」と言うと、「モスクワのタクシーはベラボーに高いから」と言う答えが返ってきた。


やっと目的の地下鉄駅にたどり着いた我々は、巨大なエスカレーターで地下に降り、地下鉄に乗車した。そこから3つ目のキエフスカヤ駅で降り、再び巨大エレベーターで地上に上がった。


PM11:30
、モスクワのキエフ駅に到着。もう、息は切れ切れ、汗がビッショリである。ともかく水を求めて売店へ。店のケースから大瓶を取り出して、65ルーブルを 払おうとすると、売店のおばあさんが「40ルーブル(140円)ですよ」と言って、返してくれた。表示されていた数字が違っていたのだろうか。


PM11:40
、キエフ行きの列車のホームへ出て行く。乗車口で車掌が切符をチェックしている。ほかの同行者は、各人が切符を提示していたが、私は切符を持っていなかった。私だけが持っていないのもおかしいのだが、リーダーに確認すると「切符は渡したよ」と言う。


「もしかしたら、腰に付けているポシェットの中を整理したときに、他の書類と一緒にトランクに入れたかも知れない」と思い、トランクを開けてみると、そこに存在していたではないか!捨てないで良かった。


車内は、真っ暗、個室にはなっておらず、1車両全体がオープンスペースになっており、2段ベッドがまるでカイコ棚のように並んでいる。通常の寝台車なら、ベッドが横に並んでいるだけだが、この列車は通路側に、もう1列、縦に2段ベッドが備え付けられている。

   

 3等寝台車

それが無くとも、短いベッドが、横になると足のくるぶしから先が通路にはみ出し、通行人に当たる。当然指定されたベッドに男性、女性の区別はない。私たちの通路側のベッドには、若いカップルがいて、男性が下段に、女性が上段に寝ている。

   

  3等寝台車(2

縦に並んでいるベッドの下段は、通常はテーブルになっており、横になる時にはベッドになる。よく考えたものである。


車内は暖房の効き過ぎで暑く(
25℃以上あろうか)、上半身、裸になって寝ている男もいる。こうなったら、サバイバルゲームである。上品なことは言っておれない状況である。昨日、サンクト・ペテルブルクへの往復時に乗ったレッド・アロー号とは、なんと大きな違いであろうか。


PM12:15
、キエフ行きの列車は定刻に発車。

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