11月27日(水)
AM6:30、起床。朝食。しばらくポメラを叩く。繋がったと思ったインターネットは、結局だめで、メールが送れない。
AM11:20、ホステルを出発。今日はコソボ共和国の首都、プリスティナに向かう。ホステルを出発する段になって、帽子とマフラーが無いことに気が付いた。部屋や、トランクの中を探したが見あたらない。昨夜のレストランに置き忘れた可能性が高いが、今更どうにもならない。

ホステル前の道路
あと数日間、どうしても必要な時になって、この様である。帽子は、昨年の今頃、中国の按山に行ったとき、列車内に置き忘れて、按山で買ったものであった。高価ではないが、気に入っていたものだ。マフラーは、随分前に、妻が気に入って買ってきた、ブランド品の大事なものであった。
今日の移動は、総勢15人が乗ると満席の、マイクロバスである。コソボに行く路線バスは無いのであろうか、個人的な車での国境越えである。
PM0:00、マケドニア側の税関、続いて30m程離れたコソボ側の税関でパスポートチェックを済ます。国境は、山道にあった。
PM0:30、国境を越えると、そこは雪国であった。と言いたくなるように、新潟県湯沢市で目にする、3月の雪解け時期の光景が広がってきた。一帯は、鉛色の雲に覆われた雪野原だ。車は、片側1車線の山道を、ひた走っている。時々、人家や商店を目にするのだが、人の気配はない。
PM1:40、プリスティナの街に入って来た。若干の渋滞がある。運転手は今夜のホステルの住所を頼りに運転している。電話も、グーグルのGPSも使えないようで、何度も止まっては道行く人に訪ねている。リーダーが来るのは、3度目のようだが、道順までは覚えていない。
PM2:20、無事、ホステル着。オーナーは、坂道沿いの、上と下に2件のホステルを所有しているようで、我々は、下の方に建つホステルに入るよう指示された。入っていくと、多くの部屋数があり、2人部屋から6人部屋までいろいろである。

ホステル(プリスティナ)
どの部屋に入るかは運次第。私は、2つのベッドと、1つのエクストラベッドが入った部屋に入室。「かなり余裕のない部屋だが、2人だけなら良いか」と言うところだ。何よりも、ユース・ホステルでは常識の2段ベッドではなく、ホテル並の1段ベッドで、しかも私のベッドはキングサイズである。

3階の自室からの眺め
PM3:30、市内見学へ。ホステルから市内中心部までは坂道が多い。そして、市内には大きなモスクが林立している。案外、このモスクが、コソボ紛争の火種になっているのかもしれない。また、首都プリシュティナの旧市街に位置する時計塔は19世紀に建設された。時計塔の高さは26メートルと決して高くはなく、付近には建物が混在していることから、その存在感は意外と薄いが、その姿は見る者を魅了する。

プリシュティナ市内

プリシュティナ旧市街の時計塔
他には、貴金属店が多いことが目に付いた。政情が安定しない地域では、紙幣が信用できない為に、貴金属で所有する人が多いからだ。
街を歩いていると、帽子とマフラーを失った今日に限って、底冷えがしている。私はやっと見つけた大通りの露天で、帽子(10ユーロ)と、マフラー(5ユーロ)を購入。寒くて、あれこれ選んでいる余裕はなかった。

プリシュティナの大通り
PM5:40、夕食。コソボに来て入った食堂は、アイリッシュ・バー。アイルランド料理が得意の店である。私は、この店で、久しぶりに「フィッシュ&チップス」を、注文した。大きな白身魚のフライに、ポテトフライである。それに紅茶を加えて8ユーロ。私には少し量が多すぎたが、お味の方はまずまずでした。

フィッシュ&チップス
PM8:00、ホテルに帰着。近くのスーパーマーケットで、水、牛乳、みかんを購入。2ユーロ也。シャワーを浴びてから、メールの送信を試みると、2本までは成功したが、3本目は、またまた不成功に終わった。その理由は分からない。
PM9:15、疲れたので早めに就寝。
11月28日(木)
AM6:30、起床。買い置きのパン、牛乳、みかんで朝食。
AM7:30、ポメラ・タイム。
AM10:00、ホステルのおばさんに、下着類のクリーニングを依頼すると、快く引き受けてくれ、更に「3泊のお客さんは無料です」と嬉しい話。皆に教えてあげたら、早速クリーニングに出す人が現れた。
AM11:15、ホステルを出発。今日の目的は、市内見学と、コソボ・セルビア紛争の象徴である、イバル川に架かる橋の見学である。コソボ北部のセルビアとの国境付近のミトロヴィツァ市は、イバル川を境にして、北側にはセルビア系、南側にはアルバニア系と、完全に住み分けている。我々は、まず徒歩でプリシュティナ市内中心街まで歩いて行く。

市内にはモスクが多い

アルバニアの赤い国旗が多い
道路標識には、「ビル・クリントン通り」や「ジョージ・ブッシュ通り」等、アメリカ大統領の名前を付けた物が目に付く。ビル・クリントンに至っては銅像まで建っている。

アメリカ大統領ビル・クリントンの道路標識

ビル・クリントンの銅像前で
コソボがセルビアからの独立紛争で、アメリカに恩を感じている証であろう。一方、セルビアにとってアメリカは極悪な敵である。それは、オランダに住む、友人のセルビア人、ネストー君の発言によっても分かる。
独立紛争時に、NATOの名前を表に出しながら、実際にセルビアを空爆したのがアメリカであるからだ。彼の意見は、100%、親ロシア、反アメリカなのである。立場によって意見が変わる、分かりやすい例である。
PM0:15、ミトロヴィツァ市行きのバス停まで歩いてきた我々は、バスの出発時刻までの時間を使って、急ぎの腹ごしらえをした。私は、ハンバーガーを頼んだのだが、そのデカイ事!大きなパンに、大きなハンバーグを2個と、野菜を挟んで、差し出された。3ユーロ也。

バス・ステーション
それを見たアメリカ人のアレンもびっくりしていた。さて、こんなに大きなバーガーをどうやって食べたらいいのか、とても短時間で食べきれる量ではない。私は急いで食べても限界があると思い、逆にゆっくりと、食べられるところまで食べてみようと作戦を立てた。

巨大なハンバーガー
結果は、バスの発車で時間切れになるまで頑張り、4分の3程を平らげた。残りは、モッタイナイと思いながら、ゴミ箱の中へ。
PM0:35、バスに乗ってミトロヴィツァ市へ向かう。バスの中は、自然と、前の方の座席に現地のコソボ人、後ろの方の座席に我々15人が座る形になった。ハンバーグの食いすぎで、バスの中では、スヤスヤ。
PM1:40、バスがミトロヴィツァの終点に到着。我々はそこから徒歩で、セルビアとの国境を目指す。空にはヘリコプターが旋回している。停戦を監視している国連軍の物か?道行く人は、旅行者の我々に対しては、非常にフレンドリーに「どこから来たの?」と、声をかけてくる。
まだまだ外国からの訪問者が少なく、我々の存在は珍しいのであろう。またあらゆる所に、コソボの国旗とアルバニアの国旗がひらめいている。コソボは民族的にはアルバニアに近いらしく、セルビアから離れて、アルバニアと一緒になりたがっていると言う話もある。

コソボの国旗
今日は、アルバニア建国の記念日であると言い、此処コソボでも、それを祝う行事が執り行われている。この辺の複雑さは、ほんの数日の観光旅行では、理解することが困難である。
PM2:20、バスを降りてから、我々は、国境の橋を目指して、既に40分間ほど歩いてきた。先を行くリーダーが立ち止まり、道を引き返してきた。「どうしたのですか?」と聞くと「道を間違えた」と言うではないか。
このいい加減さが、このツアーの最大の特徴である。それに対して、誰も不満を言わない。それを差し引いても、余りある魅力がこのツアーには有るからだ。
どんな旅行会社も安全第一主義で、こんな所に来る企画は立てないであろう。実際、日本の外務省は、訪問を自粛するよう通達を出しているし、現実に1ヶ月前には、選挙を巡って、小競り合いがあったばかりだと言う。

間違えた道で馬車と出会う
PM2:50、道を間違えた我々は、しばらく戻り、地元の人に道を確認した。その地点からは、程なく国境の橋にたどり着く事ができた。来てみると、それは何処にでもある川と橋の風景である。
川が大きいわけでもなく、橋に特徴が有るわけでもなく、「此処がその場所だ」と言われなければ、気が付かずに通り過ぎてしまう様な所である。ただ、橋の入り口に警備の車が2台とバリケード用に、砂利やコンクリートが積み上げられているのが見られただけである。

橋の向こうにバリケードが見える

バリケードで車は通れない
イバル川に架かる橋を渡り、セルビア側に行ってみた。しかし、そこはまだコソボの縄張りだと言う。橋から数百メートル行った先に、小規模のバリケードが有ったが、そこから先がセルビアの陣営だそうだ。

イバル川

イバル川に架かる橋の上で
道路にバリケードを造っても、そこで生活している人々は、その道を通らねばならない。2台の車が、道路の端の、バリケードの無い狭い部分で、交差しようとして立ち往生していた。

道路に盛られたバリケード
PM3:50、セルビア側の、橋のたもとにあるカフェにて休憩。私は紅茶を注文。0.8ユーロ也。若い人達はビール等のアルコールを注文している。
コソボ紛争について、何らかの後遺症が見られるのかと思っていたが、幾つかのバリケードの存在を除けば、何も気が付かない。街を行き交う市民の表情は明るいし、平和な日常を満喫しているように感じた。
若い女性は、そろって、レギンスや細いジーパンと、ロングブーツの装いで、細く長い足を、強調し合っている様にも見える。閉塞感が漂う日本より、コソボの方が元気ではないかと思える位だ。
私と相部屋のアイスランド人に付いて少々。彼は38歳の独身。現在は景気のよいノルウェーで大工の仕事(主に内装工事)をしている。「賃金はどれ位もらえるの?」と聞くと、しばらく計算してから「時給3500円、ユーロなら25ユーロになります」と言う。彼の計算が正しければ、かなりの高給である。
ノルウェー政府は、石油からの収入の3%しか、使っておらず、残りは将来のために貯蓄していると言う。カナダ人の研究者、マーク(Mark Scott)がノルウェーに来ているのも、「国家から、研究費が豊富に交付されるから」と言っていた話と通じて来る。
彼の名前は、通称「グンミ」と言うが、正式名称「グルムンドゥル・ヴァルゲール・ソーステンション」は長くて、とても覚えられない。
街を歩いていても、彼の興味は建築物にあるようだ。記録写真に使ったメモリーは、キエフからの2週間で15ギガバイトになると言う。私の北京からの、3.5週間で4ギガバイトと比べると、大変な量である。
彼の話の中で、面白かったのは、「グリーンランドとアイスランドの名前は、交換すべきだ」と言う話だ。グリーンランドの殆どは氷に覆われていて、まさにアイスランドの名にふさわしく、逆にアイスランドには氷に覆われている部分は、ほんの少ししかないのがその理由だ。
次に我らのリーダーについて少々。彼の風貌は、率直に言うと、ホームレスか乞食の様である。しかし、何処と無く得体の知れない底深さを感じさせる風貌でもある。その言動の振幅が大きい事。
真面目な話をし終わった次の瞬間、下品な言葉を発したり、誰彼かまわずチョッカイを出したり。政治や歴史を語らせるとエンドレスだし、大きな欠点と、長所を合わせ持っている、魅力的な人物であると言っておこう。
今回の旅行に持参して良かったと思うものを2点。一つは、ジェットストリームのボールペン。これはどんなに寒い時でも、インクが出にくくなることはなかった。これまで愛用してきたゼブラのボールペンは、寒くなるとインクが出にくくなり、ストレスを感じることがあったのだが。
二つ目は、ブーツ。通販で4000円程で買ったものだ。衣類や履き物は、TPOに応じて使い分けることが理想であることは当然であるが、問題は、荷物の量に限度があり、どれかに絞らざるを得ない時である。
今回は、防寒用のブーツにして良かった。雨の日や、雪解け道を歩くときは、痛切にそれを感じた。これまでの旅行では、スニーカーで間に合っていたが、今回ばかりは、スニーカーでは、「それが原因で健康を損ねかねない」と思う時が何度かあった。
勿論、暖かい車内や部屋にいる時は、それが邪魔になることもあるが、その時は、脱いでしまえば何とかなったのである。
休憩所で休みながら、以上の様なことを考えていた。私は紅茶一杯しか飲んでいないが、リーダーは強いお酒を何杯もお代わりしている。あの体型と、暴飲暴食では、長生きは無理ではないかと心配される。
PM6:00、タクシーにてホステルへ。4人の割り勘で、1人5ユーロ也。
PM7:30、プリシュティナの市内中心まで来ると、タクシーの運転手が、そこから先は、道に不案内を理由に行こうとしない。ホステルまでと言ったじゃないか、いや、市内中心までだと水掛け論をした後、タクシーを乗り換え、ホステルへ帰着。
近所のスーパーでパンとみかんを購入。1ユーロ也。これで夕食を済まし、ポメラを叩く。
PM10:30、お湯の量と、温度が一定しない、不安定なシャワーを浴びて就寝。
11月29日(金)
AM6:30、起床。夕べ、トイレに起きた時、ひどくせき込んだ。今朝になって、相部屋のグンミが、「タバコの臭いがしますね。周りの部屋から入ってくるようです」と言う。昨晩の咳込みは、それが原因であったのだろうか?
リーダーの良き補佐役であるジョセフのオリジンは、レバノンだそうだ。100年ほど前にアメリカへ来たと言う。眉が太く目が細い、特徴のある風貌である。よく動き、よく食べ、よく飲み、よく働いている。船長が本職だと言うが、並の人の何倍もの行動力である。リーダーは良き補佐役を得たと思う。
このツアーは、全部がそうではないにしても、行く先々で次の手配をしている節がある。従って補佐役は大変である。現に、今(11月30日)乗っているアルバニアのティラナへ行くバスも、昨夜(11月29日)遅くに決めたのだ。
もう私が寝たところにリーダーが来て、「明日のバスは路線バスにするか、プライベートバスにするか、どちらが良いか」と聞く。「プライベートバスは小回りが利いて便利だが、一人10ユーロの追加負担をお願いすることになる」と言うのだ。
私が「そのくらいの負担で済むのなら、プライベートバスの方が良い」と答えると、「よし、そうしよう」と言うのだ。
私の意見で決めるのも変だが、ここで言いたいのは、前日の深夜まで、翌朝の旅程が決まっていない事がしばしばであり、従って補佐役の役割は重大であると言うことだ。
そして、日本のツアーを基準に考えた場合、旅行中の移動は全て旅費に含まれているはずである。路線バスにするのかプライベートバスにするのかは会社が決めるべき事であり、どちらを選んだにしても、10ユーロの負担を追加する事も考えにくいことである。
名補佐役ジョセフの話をしている内に、変な方向に話が飛んでしまった。
AM10:45、古く汚れたマイクロバスで出発。今日はどんな所へ連れて行ってくれるのか、イメージがつかめない。いつの間にか、居なくなっていたロシア語通訳のマルコも来ている。今日は、仕事ではなく観光できていると言う。
それにしても神出鬼没である。「今まで何処に行っていたのか」と聞くと「分かれた後は、この近くにいる友人を訪ね歩いていた」と言う。自由とは言え、こんなに自由な人も少ないのではないだろうか。
PM0:10、コソボ南部の霧ヶ峰高原の様な所を通過して、高原の町プリズレンへ来た。此処でスナックとコーヒーの軽食を取る。3ユーロ也。
PM0:40、出発。運転手も初めて行く所のようで、あちこちで地元の人に道を尋ねている。
PM1:00、「雲が大分下に見えるようになってきたな」と思った所で、バスが停車した。いわゆるシャッターチャンスの地点に来たのだ。その景色は、思わず息をのむ様な素晴らしいものであった。
初めて白雪を頂いた富士山に遭遇したときのような感動である。こういう眺めに出会ったのは、何年振りであろうか。この感動があれば、今日は来た甲斐があったというものだ。
今日が晴天で本当に良かった。雨にでも降られたら台無しだ。この辺りの地名は、「ドラガシュ」と言うらしいが、山の名前は何と言うのだろう。我々はしばらく景色を堪能したあと、更に車を進めた。今日の目的地は更に奥地である。

ドラガシュの絶景

ドラガシュの絶景(2)
PM1:35、しばらく行くと、また小さいながら町があり、そこには、学校、モスク、銀行、露天市等が建っていた。更に車を進めると、日本の北アルプスに行く時の、ヘアピンカーブに遭遇。雪道の中、片側は山、反対側は深い崖である。
PM2:05、目的地に到着。その村の名をブラッド(Brod)と言い、ゴラニ人が住んでいる。ゴラニ人の人口は約5万人で、基本的に、羊や牛の放牧を生業としている。

ブラッド村で
彼らは、コソボの最南端の小さな山岳地域に住み、そこは、標高1500mの高地にあり、昔はオスマントルコに支配されていた地域でもある。言葉はセルビア語に近く、人種はトルコ系であると言う。こんな小さな村にも、モスクが2つあった。

ブラッド村(2)

ブラッド村(3)

ブラッド村のモスク
我々は、雪で白くなった山々を見上げながら散策し、アイスバーンになった道路で、子供たちがソリに乗って、元気に遊んでいる光景を目にした。リーダーが此処に来たのは3回目だと言うが、最初は、こんな村があると耳にして、ヒッチハイクで来たのだそうだ。

白雪の山を見上げて
PM3:00、小さなカフェでお茶になった。私はお茶を注文したのだが「ティー」と言っても通じず、「チャイ」と言っていた。そう言えば、トルコに行った時、お茶のことを「チャイ」と言っていたっけ。
私は、お茶を飲んでしまうと、やることが無くなってしまうが、若い連中はアルコールが入り、お尻に根っこが生えてしまう。このあと、どこかで食事をしようと言うことになったが、適当なレストランが見つからない。
私は諦めて、マイクロバスの運転手が待っている床屋にお邪魔した。そこのストーブで、体を温めていると、相部屋のグンミ君が通りかかったので、私が呼び込んだ。
グンミ君の髭面を見ると、床屋の親父が「剃ってやるよ」と言う。慣れた手つきで髭を剃られたグンミ君の顔はスッキリし、見違えるようなハンサムになった。0.5ユーロ(70円)也。近所で売っていた大きなキャベツは、0.3ユーロ(40円)であった。

髭剃り中のグンミ君

立派なキャベツ
PM5:40、他の連中が近くのハンバーガー店で、食事を済ませ、ようやく帰宅の途に付いた。外はもう真っ暗である。これからヘアピンカーブを通って、帰ることを考えると、心配にもなるが、やむを得ない。
PM8:30、ホステルに帰着。メールの送受信が順調に済んで、ポメラを叩いていると、しばらく姿を消していたマルコが、別れの挨拶に来た。クロアチア出身の彼は、この地域に知人、友人が多く、当初の予定を変更して、ツアーに復帰することを止めるという。
我々としては残念だが、それもやむを得ないことである。マルコは、彼が一目惚れした「ジュリアと写した写真を送ってもらいたい」と言い残して部屋を出て行った。
PM10:30、シャワーが冷たいまま、暖かくならないので、シャワーなしで就寝。この後にリーダーが来て、明朝のバスの件で相談があったことは既に書いた。
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