シルクロードの旅−1

とうとうシルクロードの旅に挑戦することになった。ずいぶん長いこと考えていたのだが、決心したのは今年の4月4日、つまりイギリスのツアー会社に予約金を送金した日である。それから徐々に準備を進めて来たが、もう3ヶ月が経ってしまった。

クリアーしなければならない事項は山積しているが、「ビザの取得」が最も気懸かりな問題である。最近になってシルクロードの旅で通過する中央アジアの国々の中で、ビザ不要と変更された国が幾つかあり、これも今回の旅行を決意させた大きな要因である。

今回の旅行でビザが必要な国は、中国、タジキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンの4ヶ国である。幸いに、代理店に依頼したり、自らネットで申請したり、旅行会社にお任せしたりして何とか目途をつけることが出来た。

7月9日(月)北京

出発の日。

AM5:00、起床。7時起床の通常からは、2時間も早いので体が動かない。特に頭脳は停止状態である。

AM6:15、妻の運転で佐倉駅へ。

AM7:04、成田空港駅着。アシアナ航空の受付カウンターへ。2つのバッグを無理にベルトで縛って1つにしてあるので、「ベルトがはずれて途中で1つが行方不明になる可能性が強いです。その場合の責任は負えませんよ」と念を押される。警告で終わればよいが、それが現実になったらどうしよう、と不安がよぎる。

しかし、苦労してパッキングした物を、此処でやり直すことも気が進まない。私は幸運に賭けることにしてそのまま預けることにした。

出国審査を受けて待合ロビーに来ると、テレビは豪雨の被害状況を報じていた。被害者の事を考えると、今回の旅は若干の後ろめたさを感じる。

AM8:50、離陸。まもなく機内食が配られた。これ以上質素なメニューは考えられない位の内容だが、搭乗前に「いなり寿司」を3個食べていたので、私には十分であった。

AM11:00、仁川空港に安着。外は雨だ。再度セキュリティ・チェックを受けて搭乗口へ。成田空港でセキュリティ・チェック後に購入したボトル水はここで没収される。私は以前の旅行でそんな経験があるので驚かないが、何人かの人がその洗礼を受けていた。

PM:30、搭乗口で、「手荷物が多すぎる」と搭乗を拒否されている中国人が居た。係員の目を回くぐって何度か進入を試みていたがその都度捕まって戻されていた。私はどうなるのか最期まで見届けてみたい好奇心に刈られたが、諦めて搭乗した。しばらくして、彼が搭乗してきたのを見ると何とか解決したのであろう。

PM2:00、離陸。1時間以上機内に缶詰のまま待たされた。「北京空港が混んでいる」との放送があった。

PM4:00、北京空港着陸。東京との時差は1時間。東京と仁川との時差はなかった。

果たして預けた荷物は無事戻ってくるのか?本日最大の問題である。結果は戻ってきました。回転版に乗っている姿は、上下が逆になって、ベルトがはずれそうになっていたが、何とか原型を留めていた。

ただこのスーツケースには、一つの問題が発生していた。それは、重い荷物を階段で引き上げるときに、スーツケースの取っ手を捻ったりした事が原因のようだが、取っ手の部分が壊れたしまった。引き上げた取っ手が降りなくなってしまったのである。この程度の扱い方で壊れるとは思ってもいなかったのでがっかりである。まだツアーは始まってもいないのに!

空港内の銀行で両替。3万円が1581元に。手数料を60元取られているが、両替率としてはまずまずか。

PM5:15、タクシー乗り場へ。私は並んで待っているつもりだが、タクシーが来ると列に関係なく、我先に飛び出してタクシーに乗ってしまう。中国に来たらお行儀よくなんかしていたら生きては行けないことを再認識させられる。

PM6:00北京のホステル着。タクシー料金は丁度100元(約1800円)。東京と比べると安価で助かる。ホステルにチェックイン。161元。4人部屋で清潔な部屋である。まだ誰も居なかった。

 
                                                      
北京のホステル


PM8:00、近くのレストランでミーティング。今回のツアー参加者は10人。ほかに、ドライバー、ツアーリーダー、現地ガイド、計13人という構成である。10人の内、夫婦での参加者が3組、お一人様の参加が4人である。いつもの通り私が最高齢者。日本人の参加者は私が初めてであるそうな。

ツアー参加者(北京)

自己紹介した人には、次の人が居る。

1、Jono ジョノ ドライバー 44歳、イギリス人

2、Ninka ニンカ ツアーリーダー オランダ人

3、張 (愛称グリーン) 中国の現地ガイド 成都在住。このツアー終了後に、スイス人の彼氏に会いに行く予定。

4、Mark マーク リタイアー 59歳 身長195cm、体重115kg、 オーストラリア人、ブリスベン在住。

5、Joanna ジョアンナ マークの妻。美男美女の夫婦だ。

6、Sevgi セブギ 技師 実家はトルコのイスタンブールだが、大学入学後はオランダに在住。32歳、独身女性。ボーイフレンドがオランダにいる。

7、Adam アダム。ニキータの夫。日本人の平均身長よりも低い小男であるが、目は光っている。28歳。インフラ関係の仕事。 

8、Nikita ニキータ オーストラリア人・女性。クイーンズランド、ケアンズの近くに在住。セラピスト。28歳。夫のアダムとは、高校の同級生で17歳から付き合って、22歳で結婚したと言う。妻の方が横も縦も大きく、夫を見る眼差しはいつも優しい。

9、Scott スコット スコットランドのネス湖の近くが郷里。エジンバラの大学で建築関係を勉強中。25歳。今回の参加者の中では最年少。

10Hugo フーゴ アメリカ在住のドイツ人。47歳でリタイヤし旅行三昧。現在49歳。旅行では地ビールを飲むことが楽しみ。20年前からボトルのキャップを集めることが趣味で、既に3000個ほど集めている。

11Andrea アンドレア ヴァンクーバーのブリティッシュコロンビア在住。映像関係の仕事。28歳。今回は、1年間の休暇を取っての旅行。

12Cameron カメロン アンドレアの夫。長い無精ひげを生やしている。7ヶ月間剃っていないそうだ。40歳位に見えるが、32歳だそうな。コンピューター関係の仕事。

13、小生 日本人、リタイア、72歳。

以上。

明日はフリータイムだが、希望者には天安門と紫禁城の案内をしてくれる。私は北京オリンピックの前に1度見学しているが、その後の変化を確認したくて参加することにした。紫禁城の見学料は60元だが、私の場合はシニア割引で30元である。

PM10:30、シャワー

PM11:00、就寝。



7月10日(火)北京

AM7:00、起床。朝食にパンとヨーグルト。14元。コーヒー、25元。

AM8:00ポメラ(ポケット・メモ・ライター)タイム。

AM10:00、出発。まず天安門広場へバスで(2元)。ホステルからさほど遠くはない距離にあるのだが、1時間ほど掛かった。この渋滞なら歩いた方が速いくらいである。加えて、バスの中で大喧嘩が始まった。おばさん2人による口論が延々と続く。誰かが仲裁に入っても収まりそうもない。車掌も運転手も諦め顔である。

AM11:00天安門広場に到着。歩道側に降りてセキュリティ・チェックが行われる。北京オリンピック前に来たときは、こんなことは無かったが、その後この場で反政府的な事件があったらしい。事件を起こしたものを逮捕する方が余程安上がりだと思うが、国家の中央広場で事件を起こされる方が面子に関わるとでも言うのだろうか、大変な時間と労力を掛けての未然防止対策である。

天安門広場(北京)

さて此処で15分間の自由時間を与えるので、写真を撮るなり、散策するなりしてくださいと言う。私にはする事がないので、現地ガイドと懇談。

AM11:35、此処からすぐ裏手の紫禁城へ向かう。前回来たときは、北京オリンピックの前であらゆるところが工事中で、なにも見ることは出来なかった。その点、今回は何か見ることが出来ることを期待しての入場である。

結果は期待はずれ!見るべき物は何もなく、只やたらと駄々広いところに、人、人、人。肩をぶつけ合っての行き交い。トイレは列を乱して我先の取り合い。レンタルのイヤホンガイド(40元)は、電池切れで早々に役立たず。

再度借り直したイヤホンも途切れ途切れにしか聞こえず使えない。入り口から反対側の出口まで歩いただけの実績を作っておしまい。疲労困憊である。こんな所で当局は、何を見せようと言うのであろうか?

PM2:00、紫禁城の出口で解散。私はその足で壊れたスーツケースの代用品を買い求めに、王府井歩行街へ。現地ガイドの張さんに教えられた通りにバスに乗り、バスに乗って帰ってくるしかなかった。

と言うのは、私はタクシーを使いたかったのだが、殆どのタクシーが満車で通過、たまに空車が来ても別の人に乗られてしまう。そして極め付きは乗車拒否である。私が大きなスーツケースを持っているからか、明らかに外国人旅行者だからか、10台ほどのタクシー全てが乗車拒否であった。

肝心のスーツケースを選ぶにも難儀であった。大きく、強く、壊れそうにない物が欲しいのだが、中国製と言うだけで信頼性に欠けるのが本音である。少々値が張ったが、ドイツ製があったのでそれを購入した。699元(約13,000円)

PM5:00、やっとの思いでユースホステルへ戻ってきた。朝食の時に飲んだヨーグルトが合わなかったのか、お腹の調子が良くなかったのと、食べる機会がなかった事とで、昼食は取っていない。何か食べておきたいが、食欲がない。こんな時のために持参した即席ラーメンをと思い出して厨房を覗いてみたがその設備がない。受付のスタッフに尋ねると「火の使用は当局から禁じられています」との事。夕食は諦めることにした。

PM7:00、ベッドに横たわるが、寒くて寝付かれない。今夜はツアー会社で用意した6人部屋である。自分の体感温度と欧米人のそれとは異なるので、空調を自分に合わせるわけにはいかない。ここでニューヨークのユースホステルでの事が思い出された。

つまり、室温が余りにも低く、寒くて寝られなかったので、そっと起きて空調の温度を上げたのだが、翌朝「昨晩は随分暑かったな」とクレームが付いた。10人ほど居た中で、私の仕業であることもばれていた。

PM9:00、とりあえず、起きてシャワーを浴びることに。すると、あれほど寒気を感じていたのに、身体がポカポカしてきた。我慢出来ない時の為に用意した寝袋も使わずに済みそうだ。シャワーの効果は絶大であった。これからの旅は、11日がサバイバルゲームになりそうな予感がする。

7月11日(水)北京、小雨のち大雨

AM4:00、起床。まだ誰も起きていない。一番乗りで洗面所を使わせてもらう。6人もいると後が混んでくるから。私の下段のベッドに、男にしては小さな靴だなと思う人が寝ていた。後で判明したのには、それは現地ガイド(女性)の靴であった。

AM5:15、出発。最寄りの地下鉄駅まで荷物を運ばねばならない。昨日購入したばかりのスーツケースが案外動かし易く、何とか15分程の道のりを運ぶことが出来た。若い人は皆大きなリュックを担いで歩いていた。

AM5:35、地下鉄駅でもセキュリティ・チェックがあり、全ての荷物を検査台に乗せる。5駅ほどの駅で下り、トラック・バスの駐車場までまた荷物を運ぶ。ここまでで、ほぼ1日の力を使い果たしたような気分である。

トラック・バス(北京)

AM6:00、トラック・バスが発車。乗り心地は期待はずれである。跳ねたり揺れたりで、とてもポメラを叩ける状況にはない。道路状況が悪いのか、車の構造のせいなのか、運転手に聞いてみた。答えは、車の構造のせいであると言う。1つには、座席の位置が高い。2つには、悪路を走れるように設計されており、クッション等の快適さは考慮されていないからだそうだ。シルクロードを無事に走り通してもらうことを考えれば贅沢は言えない。

走行中に現地集金分の調達があった。旅程中の費用として1500ドル、トルクメニスタンのビザ取得代150ドル、合計1650ドルである。

AM8:00、トイレ休憩。ここでパン、水、スナックを購入(25元)昨日の朝から24時間ぶりに食事である。ついイスラム教のラマダンを想像してしまった。

AM9:30万里の長城・八達嶺登山口に到着。今朝の小雨が此処では本降りになっており、トラック・バスから降りるなりポンチョ売りに囲まれてしまった。私は折り畳みの傘を用意していたし、この雨では長城に登っても何も見えないだろうと思い、下のレストランでポメラを叩くことにした。

前回来たときは、天気に恵まれて素晴らしい景色を堪能していたからでもある。他のメンバーは、歩いたり、ケーブルカーに乗ったりして長城を目指した。景色は何も見えなかったようだが、それなりに満足して戻って来た。

昼食に刀削面と言うウドンと想像される物を注文したが、出てきたのは田舎の団子汁に似たものであった。味も感心せず、観光地とは言え、32元は高い。

PM0:32、トラック・バスで出発。この時間は、ほとんど睡眠。

PM2:30、トイレ休憩。いくらか頭がスッキリしてきたところで、アラビア語の録音を聞いてみるが、こんな所で聞くには違和感あり。それでも粘って1時間ほど聞く。

アラビア語に飽きて、フランク永井を聞く。ゆっくりと落ち着いた曲は、やはり昭和のメロディーなのか。懐かしさが身にしみる。しかし何度聴いても歌詞を覚えているわけではない。聞き流しているからだろうか。とすると、アラビア語などはよけいに、聞き流しているだけでは身に付かないであろう事が理解できる。

旅の気分は気取って言うなら「当方見聞録」のマルコ・ポーロ、或いは「大旅行記」のイブン・バツータであり、最晩年に挑戦した旅ならば「奥の細道」の松尾芭蕉の気分でもあるが・・・・・。

PM5:00、ホテル着。此処は大同市の、こじゃれたホテルである。シルクロードの旅で、こんなに都会的で清潔感のある宿に泊まるとは想像していなかった。これは嵐の前の静けさなのだろうか?

トルコ人女性のセブギと夕食に出かける。彼女は完璧なベジタリアンで、卵も魚も食べないと言う。だから、いつも食事時になると困った顔をし、しばしば食事を抜いている。それでも平均の人以上に太っている事が不思議である。

今回は4軒ほど探し歩いて見つけたのが大当たりの店であった。並んでいる食材と麺を各自がボールに入れ、それを調理してもらう。セブギは当然野菜だけを選択している。私は若干の肉類も取り入れた。味付けはお任せで、スパイスが利き過ぎの感があったが、美味であった。二人とも大いに満足できた。価格も18元と、とてもリーズナブルであった。

PM7:00、ホテルに戻りポメラタイム。中国に来てから通信事情がきわめて悪い。Wi-Fiはあっても、ラインもグーグルも使えない。従ってメールができない。ヤフーニュースがやっと見られるが、それもいつでもOKなわけではない。その点では南米よりストレスが溜まる!

PM9:00、就寝。

7月12日(木)平遥古城、小雨

AM5:00、起床。しばしポメラを叩く。

AM7:30、ホテル内で中国式朝食。お粥、まんじゅう、卵スープ、香の物。特に変わった物は無かったが、食後に所望したお茶が事のほか美味しかった。味が繊細で軽く、これぞ中国茶だと思わせる一品であった。

AM9:00、トラック・バスで出発。

AM11:00、トイレ休憩。売店でバナナを3本。10元。

PM1:30、高速道路のパーキングエリアでランチタイム。カップヌードル。6元。熱湯は自由に使えた。それに、先ほど買っておいたバナナを1本。

PM4:00平遥古城のホステルにチェックイン。豪邸の古民家を改造した物で、趣があって宜しい。

平遥古城のホステル

PM4:30、悲惨な通信状況を改善するには、スマホのシムカードを中国の物にすると良いとの情報を元に、現地ガイドの張さんの案内でスマホ店に行くも、此処には有りませんとの事。張さんの話では、大都市の西安まで行かないと無いだろうと言う。

PM5:30、ホステルへの帰路、路上で「揚げたまんじゅう」を売っていた。甘いのと塩辛いのを1個ずつで2元。これにバナナを食べて今日の夕食はオシマイ。

PM6:00、ホステルへ帰着。シャワーを浴びて、ポメラを叩く。今日は移動日で書くことは殆ど無かった。

PM9:30、一人部屋の気楽さもあって早々の就寝。

7月13日(金)平遥古城、曇り

AM7:00、起床。旅行用目覚まし時計を初めて使用。

AM8:00、朝食の時間になったので食堂へ行こうと腕時計を見ると、なんとまだ7時ではないか!どうしたことかと考えて気が付いたのは、目覚まし時計の時差を日本から中国に修正してなかったのである。

従って今朝は6時に起床して、今はまだ7時と言うことである。逆の時差なら少々あわてるところであった。ポメラを叩いて時間をつぶす。

AM7:30、あらためてホステルの朝食へ。極薄食パン2枚、ジャム少々、コーヒーもどきをカップに1杯。以上が支給された朝食。部屋に戻って、残りのバナナを1本食す。

今日は1日自由時間である。私にとってこういう日が苦手である。初めての町に来て「さあ、自由に歩いてください」と言われても、地理感は無いし、地図は無いし、グーグルマップは使えず、町の面積も方角も分からないのである。現地ガイドの張さんが或程度、口頭で説明してくれたが、本当の所は何も分かっていない。しかし、意を決して一人町中へ!

AM9:00、ホステルを後にして歩いていると、張さんが後ろから追いかけてきて、どこで手に入れたのか市内地図をくれた。これがあるだけでもかなり心強い。感謝です。平遥古城の町は、1周が6.5Km(私の散歩コースとおおよそ同じ距離)の城壁に囲まれた、ほぼ正方形をなした町である。城壁の内側は碁盤の目に区画されており、分かりやすい。

私はまず、最短に位置する城壁の北門を目指した。そしてそこでうろうろしていると、中年の中国人男性が話しかけてきた。要は、バッテリーカーに乗っていかないかと言う誘いである。120元で町中を案内するから、と身振り手振りである。

私ははじめからそのような物があったらいいなと思っていたので、後は値段次第であった。100元で合意して観光開始。バッテリーカーに乗ったり下りたりしながら観光する。一人が運転し、一人が博物館の門まで案内し私が戻ってくるのを待っていてくれる。

博物館とは言っても、昔の豪族の館であろう。どれも似たような作りである。しかし、それが昔のままの姿で残っていることに価値がある。中国でも早々に世界文化遺産に登録されたようだ。中国の昔の映画に出てくるような屋敷を10カ所ほど見学した。

博物館の前で(平遥古城)

ある屋敷では、女主人が琴を奏で、それを女中が近くで見守っている人形が配置されていた。またある屋敷では、多くの召使いたちの部屋があり、権力者の姿を後世に残している物もあった。

一番印象的な物は、随分新しい写真である。それには毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、ケ小平等が前列に並んで写っていた。1958年とあるから文化大革命以前の写真であろう。

毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、ケ小平等が前列に

一般人の見学料は130元だが、私はシニア割引で、無料であった。2時間ほどでスタート地点の北門まで戻ってきた。約束の100元を払って別れた。心地よいバッテリーカーでの市内観光であった。

平遥古城の町

AM11:30、何処かで昼食をと思いながら歩いていると、後ろからリーダーとドライバーに声をかけられ、一緒に昼食へ。そこに、オーストラリア人のマーク夫妻が通りがかり合流。ツアーリーダーのニンカもベジタリアンであることが分かる。彼女はスープと豆腐料理を食べていた。私はうどん・ラーメンと堅いまんじゅう?18元。

PM0:30、皆と別れてホステルに帰着し少休止。もう市内観光は十分満足である。若い時と違い、体力のバッテリーがすぐになくなる。古くなったバッテリーのようだ。十分な睡眠で、充電してもすぐに放電してしまう。それが現実である。大事に付き合うしかない。

PM1:30、ポメラタイム。

PM4:30、ホステルの中庭で仲間と懇談。スコットが「私のスマホでも通信ができるようにしてあげます」と言って挑戦していたが結果は不成功であった。情報遮断をくぐり抜けることは難しいようだ。

オーストラリア人のジョアンナは、中国に入る前に、中国が制限できない何らかの設定(VPNとか言っていた)をしてきたので、自由に使えていると言う。その設定は中国に来てから試みても不可能であるそうだ。

PM6:00、若者たちに誘われて再び町の散策へ。一番の繁華街を見て歩くだけであったし、私は午前中の観光で既に経験済みの所であった。ただ、1歩裏道に入るとそこには崩れかかった家があり、工事中のところが多くあった。

1軒の彫像品の店でカナダ人のキャメロンが冷やかしていると、長い顎髭の彼にそっくりの彫像があり、それをプレゼントすると店のオーナーが言っている。彼はそれを貰って来たが結構重い。これから帰国まで持ち続けることが出来るであろうか。

キャメロンと彫像(平遥古城)

PM7:00、茹であがったばかりのトウモロコシとボトル水を購入して帰着。12元。トウモロコシは、昔、日本で食べていたような堅い実であった。懐かしさもあるが、今となっては顎が疲れる。

シャワーを浴びて、ガイドブックを眺める。

PM9:30、就寝。

7月14日(土)西安

AM5:30、起床。パッケージ。

AM7:00、昨日と同じ内容の朝食。

AM8:00、トラック・バスで出発。前席の方が揺れが少ないだろうと思って移動してみた。確かに幾分か揺れは少ないように思う。しかし、今度は日差しが強く、結局元の位置、つまりグループの最後方へ移動する。

AM9:50、トイレ休憩。ここでは、トラック・バスのタンクに積んである水を入れ替えていた。売店で、リンゴ5個を13元で購入。思ったよりも美味しく、一気に2個をぺろり。私は果物に餓えていたのだ。停車中に入ってきた大型トラックから大きな音がした。タイヤがパンクしたようである。

AM10:50、出発。揺れの激しいトラック・バスの中では他にすることがないので、録音してあるアラビア語を居眠りしながら聞く。聞かないよりは良いのかな?

PM1:40、ランチタイム。とは言っても何か用意されている訳ではない。各自で食べるのである。皆がカップラーメンを買って食べ始める。私も「日式豚骨ラーメン」と、ぽんぽん菓子を購入、11元。日式とは日本式と言うことで、幾らかでも真似をして作っていると思わせるところは認めよう。

ぽんぽん菓子は、ピンポン球の大きさに丸めた物が12個入っていたので、近くで食事中の仲間にお裾分けを試みた。一人が「美味しい」と言うと、最初は遠慮していた人が、「私にも下さい」と言ってきた。

PM2:20、出発。

PM4:00、トイレ休憩。気温が上昇してきて暑い!ボトル水を1本、5元。

PM4:20、出発。

PM6:00、ホステル着。周囲14Kmの城壁に囲まれた、西安城の壁際に今夜のホステルはあった。チェックイン後、皆で買い物へ。大きなスーパーマーケットのウォールマートである。私は、バナナ、水、パン、牛乳、リンゴを購入。30元。数日後のキャンプで、私と組んで食事の支度をするフーゴは、その食材を買っていた。第1回目の食事のメニューは彼の案である。何が出来るやら?

西安城の通り

西安のホステル

PM8:00、帰着。シャワー。ガイドブックを眺める。

PM11:00、就寝。

7月15日(日)西安、晴れ、暑い!

AM6:00、起床。

AM7:00、今日は、秦の始皇帝の兵馬俑博物館を見学に行く。ユースホステルから2台のタクシーに分乗してバス停へ。そこから路線バスに乗り換えて1時間10分。途中、徽宗皇帝と楊貴妃の愛の館を通過。

AM9:10、博物館前に到着。夏休みと言うこともあってか、大勢の人が来ている。博物館までは10分ほど歩き、入場券を購入。150元。ここでは外国人のシニア割引は無し。博物館は大小5つ程の建物から構成されており、それぞれの館の中では、発掘作業が進められている。

兵馬俑(西安)

堅くなった粘土状の土を取り除く作業は大変な時間がかかりそうで、イタリア・ポンペイの発掘作業を思い出した。ポンペイでは生きている人間が埋まってしまったのだから、この上なく悲劇的である。兵馬俑は人形だから悲劇性はないが、絶大な権力を後世に見せつけている。ここの発見は、たまたま農民が井戸を掘っていた時だそうな。

それにしても見学者の多いこと。写真を撮ることが困難を極める。

PM0:10、疲れたし、空腹も感じたが、博物館の中では落ちつかないので、西安市内に戻って昼食を取ることに。帰りのバスは9元だと言う。来るときは8元であったのに。理由は速いバスであるからだそうだ。

PM1:00、西安駅のバス停に到着。今日の気温は35度位であろうか。西安の気候は四季があって東京と同じようだと言うが、確かに湿度が高くムシムシする。

まず銀行のATMに寄って現金を引き出す。次にデパートの食堂で昼食を取る。頼んだものと出された物のイメージが余りに違っていてがっかり。汁のあるラーメンを頼んだら、汁のない焼きそばが出てきたようなものだ。26元。

昼食中の懇談で分かったことは、オーストラリア人のマークとジョアンナ夫妻には一人息子が居り、医者であるそうだ。感じの良いガールフレンドがいるので、結婚して孫の顔を見せて欲しいとマークは思っている。

マーク自身も若い時は医者であったが、余りにも忙しかったので、不動産業に転身した。ジョアンナは、「英語教師として東京の原宿や、鎌倉の海の家で、5年間教えていた。その頃、日本のあちこちを旅行した。日本語の勉強もしたかったが、生徒の方が英語で話しかけてくるので、余り覚えられなかった」と言う。

ウォールマートに寄って、旅行用の補助バッグを買う。出来るだけ大きくて重いスーツケースを、持ち歩かなくてよいようにである。99元。ホステルへ歩いて帰る途中で、アイスクリームと水を購入。7元。

PM4:00、ホステルに帰着。ガイドの張さんの案内で、中国のスマホ用シムカードを購入に行く。100元。現在の最悪の通信状況を少しでも改善するためである。

PM5:30、帰着。シャワー。夕食はバナナとリンゴ。後はポメラタイム。

PM10:00、就寝。相部屋の2人はまだ外出中である。

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