写真で綴る

台 湾 周 遊 記

(格安ツアーの5日間)



三大トピックス

412日(金) 鄭成功の母は日本人

413日(土) アニメで八田与一を知る

414日(日) 圧巻のタロコ峡谷



 

4月11日(木)

PM1:00、自宅発。

PM1:45JRにて成田空港、第2ターミナル着。

PM4:00、キャセイ・パシフィック、CX451便、離陸。

PM8:00、(現地時間、PM7:00)台北(台湾桃園国際空港)着陸。飛行時間約4時間。

空港内の銀行で1万円を両替。手数料の30台湾ドル(約1%)を引かれて、手にした額は、2,908台湾ドル(1台湾ドル=3.5円)であった。屋外の天気は雨、気温15℃。

PM9:15、(現地時間、PM8:15)現地ガイドが、ツアーメンバー39人の集合を確認したあと、バスにてホテルへ。この格安ツアーの代金は、燃油サーチャージ込みで40,640円(旅行代金のみだと24,800円)である。ツアーネームには、「超得周遊5日間」と書かれている。

PM10:30、元気でユーモアたっぷりの現地ガイドの案内でホテル着。小さいながらもバスタブ付きの部屋だが、空調器の音がうるさく、電源を切ってPM12:00(現地時間PM11:00 )就寝。

4月12日(金

AM6:00、モーニング・コール。

AM7:00、朝食。中華と洋食のバイキング。

AM8:00、「茶楽」にて、お茶セミナー。格安ツアーお決まりの、お土産店の第一軒目だ。

        

お茶セミナー

AM9:00、「茶楽」を出発。車窓から「中華民国総統府」を見学。赤煉瓦の様式は東京駅に似ており、上空の写真では日本の「日」を表す形に建てられていると言う。

次に、中正記念堂に下車見学。ここは、中華民国の元総統:蒋介石を忍んで建てられた記念堂である。

        

中正記念堂

AM10:30、台北発の新幹線で台中へ。新幹線は台北と高雄間の345kmを1時間36分から2時間で結んでいる。

AM11:22、台中着。レストランにて客家料理の昼食。格安ツアーにしては美味しかった。

AM12:40、バスにて台南へ出発。 台湾の面積は、九州の7分の6で、サツマイモの形をしている。人口は2,300万人で、その95%が台湾の西部に住んでおり、東部には、わずかに5%が住んでいるだけである。

台湾でよく見る漢字の一つに「虱目魚:shi mu yu」がある。一般的には「サバヒー」と言われている魚で英語名では「ミルクフィッシュ:Milkfish」と呼ばれている。台湾の国民魚とも言うべき存在で、世界一の養殖量である。

PM2:40、台南に到着。まず赤嵌楼(せきかんろう)を観光。これは、台湾南部を占領していたオランダ人によって1653年に建てられた城で、原名は「プロヴィンティア・Provintia」と称されていた。鄭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは承天府という名に変わり、政治の中心となった。

      

赤嵌楼(せきかんろう)

ここの敷地内で「玉蘭花」という立て札を見た。私が注目したのは、その花の名前ではなく、振り仮名の方である。中国大陸での標準語なら「yu lan hua」とローマ字による発音記号(ピンイン:1958年公布)が振られて居るはずだが、此処、台湾では全く別の発音記号が付けられている。これを「注音符号」(1918年公布)と言うそうだ。

   

注音符号−1

他の場所で見つけたトイレの看板「洗手間」も大陸なら「xi shou jian」とピンインが振られるのだが。漢字そのものも、中国大陸は簡体字に変化したが(1956年)、台湾は繁体字のままであることと同様である。つまり漢字の教育について台湾側は、何も変えていないと言う事である。

   

注音符号−2

次に見学したのは「延平郡王祠:えんぺいぐんおうし」。ここは、台湾を占領していたオランダ人を追い出し、台湾を漢民族の土地とした鄭成功の功績をたたえて建てられた。鄭成功が1662年に38歳で死去したその年に、民衆によって廟が建てられ、鄭成功が祀られた。

   

延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)

鄭成功は、日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた。幼い頃は平戸で過ごすが、7歳の時に父の故郷福建に連れてこられる。鄭芝龍の一族はこの辺りのアモイなどの島を根拠に密貿易を行っており、政府軍や商売敵との抗争のために私兵を擁して武力を持っていた。

   

田川松の位牌

鄭成功は、清に滅ばされようとしている明を養護し、抵抗運動を続けたが、南京で破れ台湾に渡った。国共内戦に破れて台湾に敗走した中国国民党にとって、いきさつの似ている鄭成功の活躍は、非常に身近に感じられている。

また、台湾独自の政権を打ち立てて、台湾開発を促進する基礎を築いたことも事実である為、今日では、台湾人の不屈精神の支柱・象徴(開発始祖)として社会的に極めて高い地位を占めている。

PM3:40、バスは、高雄に向けて出発。車中では時間つぶしを兼ねて、漢字のクイズが出題された。「汽車は自動車、手紙はトイレットペーパー、自行車は自転車、出租車はタクシー」を意味すると言うのが正解だが、「中国語の分かる人は答えてはいけません」と言われ、私の様に少しだけ勉強した者は、答えて良いのかいけないのか、どちらに入るのだろうかと迷った。

PM4:40、高雄着。最初の観光は、蓮池lian chi tan:れんちたん)。その名の通り、大きな沼の一画には、綺麗な蓮が咲いていた。そして沼の中には、中国独特の色鮮やかな春秋閣、五里亭、龍虎塔等が建っている。我々は、竜をかたどった人工物の口から入り、尻尾から出てくる過程を楽しんだ。

   

蓮池(れんちたん)

近くの露天には、果物屋さんが沢山の新鮮な果物を売っており、ホテルに着いてから食べようと、アップルマンゴーと釈迦頭(しゃかとう)を購入。釈迦頭の名は、形状が縮れて渦巻く形をした、螺髪(らほつ)を持つ、仏像の頭部に見えることに由来している。

味は甘味が強く、ねっとりしている。英名のSugar-appleは、この食感から付けられた。熟すと形が崩れ易く、保存と運搬に向かないため、日本にはほとんど輸入されていない。私も初めて味わった美味しい果実である。

     
               釈迦頭(手前)とアップルマンゴー(奥)

PM5:30、高雄港を見下ろす寿山公園の忠烈祠を見学。ここは、日本の統治時代に「高雄神社」があった所だ。高雄港は港特有の大きな湾になっており、湾の入り口は狭くて、説明されなければ、何処に其れがあるのか分からない位である。

   

寿山公園より高雄港を見下ろす

   

寿山公園の忠烈祠

PM6:20、旅行案内書には「海鮮料理の夕食」と書いてあるので、もう少し期待していたが、海の幸はイカと小エビ位であった。お味はマズマズでした。

PM7:00、「六合夜市巡り」へ。屋台が建ち並び観光客で賑わう夜市である。我々は、夕食を腹一杯、食べたばかりなので、雰囲気を味わうだけで、全く食指は動かなかった。話に聞いていた、「臭豆腐」の臭いは確かに臭かった。

   

六合夜市巡り

PM9:00、ホテル着。蓮池の露天で買っておいた、アップルマンゴーと釈迦頭を美味しく味わう。

PM10:30、就寝。ベッドは大きいのだが、スプリングが平らではなかった。

4月13日(土)

AM5:30、モーニング・コールで起床。

AM6:00、朝食。

AM7:20、出発。

AM7:50、格安ツアー恒例の民芸品店へ強制連行。高雄のこの店では、台湾の北投温泉で発見された「北投石」を薦められた。この石は、世界中でも台湾の「北投温泉」と秋田県の「玉川温泉」にのみ存在する、極めて貴重な鉱物であると言う。

そして、身体に害がないほどの微量の放射線を放出し、傷ついた遺伝子を修復する効果があると言われる。店ではこれをペンダントやブレスレットに加工して販売している。私がタマタマ目にしたペンダントには、72万円の値段が付いていたが、インターネットで見るブレスレットの値段は1万円前後である。

宝石類に興味のない我々は、早々に店から外へ逃げ出し、近くの果物店で新鮮なマンゴジュースを買い、高雄愛河のほとりへ。すると其処へ82歳になると言う男性が、日本語で話しかけて来た。小学生時代は、日本語での教育を受け、仕事では何度も日本に行っていたと言う人であった。

   

高雄愛河


    
                 82
歳の男性が流暢な日本語で

AM8:45、バスで国道9号線を通って台東へ。台湾は観光して初めて知ったのだが、台湾の内陸は山また山の険しい山がそびえており、その東側と西側の生活圏は、完全に分断されている。

九州より狭い島の中央部には、標高4千メートル以上の山が林立し、比較的標高が低くて短い距離の、南の端を横断するのにも3時間を要した。私は昔、四国の松山から四国山脈を越えて高知へ行った時の景色を思い出していた。

   

台湾の内陸は、山また山

AM10:00、トイレ休憩。此処の売店で、フルーツの盛り合わせを頂く。この時に食べた「レンブ(蓮霧)」がまた初めて出会った果物であった。外見は赤色、食感はシャリシャリと、梨とリンゴの中間!瑞々しくて程良く甘い。釈迦頭に続き、台湾で初めて出会った2つ目の美味しい果物でした。

   

レンブ(蓮霧)―左側

バスが山越えを続けている間、ツアー客を退屈させない為に、車内ではアニメが上映された。タイトルは「八田與一:嘉南用水路の父」である。八田與一は、戦前の台湾で、10年の歳月と献身的な努力によって、大貯水池(鳥山頭ダム)と用水路(嘉南大)を造り、荒れた農地を豊かな農地に変えた。水路の総延長は16,000Kmにもなり、これは万里の長城の2倍の長さである。

途中、トンネル工事中のガス爆発で、50人の犠牲者を出したりして、挫けそうになりながらも、1930年に完成させた。その後、太平洋戦争中の1942年5月、広島から大洋丸に乗船してフィリピンに向かう途中、五島列島付近でアメリカ海軍の潜水艦に撃沈されて死亡した。

また、日本敗戦後の1945年9月1日、妻の外代樹(とよき)も夫の後を追うようにして烏三頭ダムの放水口に投身自殺した。ひとえに現地の農民の幸せを願っての行為に、現在でも八田の命日には、烏三頭ダムで慰霊祭が行われている。

私が八田與一の存在を知ったのは、このアニメからである。そして、こんな日本人が他にも大勢居た(例えば、地下ダムを造り、台湾南部を潤した日本人技師・鳥居信平)に違いない。だからこそ、戦後の台湾の国民感情が日本人に対して好意的なのだろうと思う。戦後、大陸から逃げてきた蒋介石(国民党)の統治よりも、評判が良かったと聞いたことがある。

AM11:30、山越えを終わり、太平洋側の平地に出たところでトイレ休憩。此処からの風景は、右側に太平洋、左側に険しい山を見ながらのバス旅行が続く。途中、あの美味しい釈迦頭の木々が見えた。この辺では、年に2回収穫できるそうだ。

AM12:30、台東にて田舎料理の昼食。

PM1:20、花蓮に向けて出発。海岸道路の国道11号線を北上する。

PM2:15、三仙台にて下車見学。ここは、元々は火山岩からなる岬が、海水の浸食を受け、先端が離れ小島となった。3人の仙人がこの地に滞在した際の痕跡が、この島の中央にある3つの巨岩で、このため三仙台と言うそうだ。

   

三仙台(この角度からは2つの巨岩しか見えない)

PM2:45、三仙台発。

PM3:15、八仙洞の見学。ここは、地殻が上昇する過程で海水の浸食を受けたため、大小さまざまな洞窟ができたと言われている。八仙洞では旧石器時代の遺跡も発見され、台湾の最も古い遺跡で、国の一級史跡に指定されている。

        

     八仙洞

PM3:45、八仙洞発。北回帰線標塔(記念碑)を見学。北回帰線は、北緯23.6度の位置にあり、夏至の日には太陽が真上に来る為、正午には全く影がなくなるという特殊現象が見られる。そして、これを境にして北側は亜熱帯、南側は熱帯の気候となる。

   

北回帰線標塔

PM4:00、北回帰線標塔発。バスの車内では、退屈しのぎに、CDによる「綾小路きみまろ」のライブ録音が流れている。何度も聞いている現地ガイドの葉さんは、きみまろの台詞を幾つか覚えているようで、時折披露しては皆を笑わせている。

PM5:20、花蓮に到着。アミ族文化村を見学。既に各ツアー団体の大型バスが何台も到着していた。我々は此処で、アミ族伝統の舞踊を見学した。しかし私の印象としては、観光用のショーになってしまい、伝統舞踊を見ている感じがしなかった。踊っている青年男女も、アミ族というより、学生アルバイトと言う印象を受けたのだが、私の勘違いだろうか。

   

アミ族文化村にて

PM7:00、ランク・アップの追加料金を払ったツアー客が宿泊する、パークビューホテルにて広東料理の夕食。コース料理を腹一杯食べた。格安ツアーの食事とは思えない程、美味しかった。

PM8:30、ホテル着。

PM10:30、就寝。明日のモーニング・コールも5時半だ。連日の早起きだが、それだけ盛り沢山の見学コースが組まれていることに感謝。

4月14日(日)

AM5:30、モーニング・コール。

AM6:00、バイキング式の朝食。

AM6:45、ホテル発。台湾8景の1つであるタロコ(太魯閣)峡谷観光へ。この峡谷は大理石の山が、水に浸食されて出来たものである。また、此処から国道8号線を西に走って、標高3000mを越える中央山脈を通れば、台中まで行けるはずだ。今回の台湾旅行で、最も感動した名所である。

    

釣り橋

   

中央山脈を越えて台中へ

        

      燕子口の碑

   
              ツバメの巣(ポットホール)


   
                 ゾウさん

   

岩の下を歩いて

   

インディアンの横顔(ヒント:右側下方の岩)

AM8:30、タロコ峡谷発。

AM9:20、花蓮の大理石工場着。大理石の工場ではあるが、台湾では何年も前に、保護目的で大理石の採掘は禁止されている。現在は、他の国から輸入した石を加工する産業に切り替わっているそうだ。工場の奥は、やはりお土産売場であった。

AM9:50、大理石工場発。

AM10:35、花蓮発の特急列車タロコ号にて台北へ。乗り心地は申し分ないが、車内で配られた台湾名物?の「鉄道弁当」は、頂けませんでした。旅行案内書には「台湾名物」と書いてあったので期待していたのだが、こんな所で格安ツアーの敵を取らなくてもいいのに!

   

花蓮駅

AM12:45、台北着。

PM1:30、故宮博物館着。1時間の見学時間に案内された物は全部、翡翠製品の小物であった。財宝に興味のない私には退屈であった。「北京の故宮博物館にあった主な物は、蒋介石が台湾に持ってきた」と聞いていたので、どんな物が見られるか期待していただけに、ガッカリであった。所詮、たったの1時間で満足のいく見学をしようと思うのが無理な話か。

PM3:00、忠烈祠にて、衛兵の交代式を見学。雨天の日は短時間で終わるが、今日は好天であった為、30分間も掛けていた。

   

衛兵の交代式(台北の忠烈祠にて)

PM3:30、「金龍民芸品店」4カ所目の土産店。

PM4:25、「エバーリッチ免税店」5カ所目の土産店。

土産店への強制連行はこれで5回目。いい加減ウンザリしてくる。私と相棒は店に入ることもなく、果物店でミックス・フルーツを食す。免税店で扱うブランド品は、市価の2〜3倍の値段が付いているので端から買う気はない。しかし、私のようなツアー客ばかりだと、バックマージンで成り立っている格安ツアーは、潰れてしまうのも事実であろう。

PM5:30、モンゴル式バーベキューの夕食。各人が取り揃えた肉と野菜を、巨大な鉄板で1人分ずつ炒めるのが面白い。

   

巨大な鉄板で(モンゴル式バーベキュー)

PM6:20、士林夜市巡り。高雄の夜市と似たり寄ったりである。

PM7:30、ホテル着。

PM8:00、近くのスーパーへ買い物。多くの物が、民芸品店の3分の1の値段で販売されていた。私は「阿里山」と言うお茶を一缶だけ買った。200元也。

PM9:00、ホテル着。

PM11:00、就寝。

4月15日(月)

AM6:30、起床。

AM7:00、朝食。

AM9:00、ホテル発。

バスの中で観たアニメのDVD「八田與一」が有れば欲しい旨、現地ガイドに伝えておいたら、自宅に未開封の物が有ったと言って持ってきてくれた。私はそれを3000円で譲ってもらった。音声・字幕共に日本語と中国語が入っており、私の希望通りの物であった。

「ポンパイ民芸品店」へ。このツアー最後の、そして6軒目の土産店。

AM10:30、台北空港着。

PM1:00、離陸。

PM4:00、(現地時間、PM5:00)成田空港着陸。

PM5:30、成田発。JRにて佐倉へ。

PM6:00、妻の運転で自宅着。


台湾一周の格安ツアー終了!


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