2、ベトナム北部@
6月26日(水)ホーチミン・シティ〜ハノイ
AM9:10、予定の時間に宿舎をタクシーで出発。しかし同行者は、ディン君からアン君に替わっていた。昨日の夕食時にはディン君の予定であったのだが。何事も、その時にならないと決まらないのがベトナム流だ。
車中、日本語教師のアン君は、これからの希望や豊富を語ってくれた。婚約者も居て、幸せな時ではあるが、まだ若い(26歳)のだから、もっともっと上を目指して努力すべきであろう。何とか日本への留学も実現させるべきだ。
AM10:10、途中、渋滞もなくスムーズに空港へ到着。E-チケットのコピーはなく、予約ナンバーのメモとパスポートで、チェックインも済んだ。屋外は暑いが空港内は冷房が強く、半袖にサ
ンダルでは少し寒い。そのせいもあってか、座っていると眠くなってきた。
PM0:30、搭乗開始。
PM1:30、予定より30分遅れて、ホーチミン・シティ空港を離陸。ボーイング777の機内は、満席である。ベトナム人に混じって、欧米人がチラホラ、日本人は殆ど見かけない。機内食は、質素なビーフカレー風なものと、フルーツ。座席の前に画面はあるのだが、イヤホンはない。希望すれば貸してくれるのかしら。
PM3:10、途中揺れることもなく、ハノイ空港に安着。フライト時間は正味1時間40分である。距離にして1300Km。これは「青森〜下関」位の距離だろうか。天候は晴れ!気温は35℃位か、湿度が高い!預けた荷物を、ターンテーブルから引き上げて、外へ出てきたのは、午後4時近かった。
PM4:00、私の名前を書いた紙を掲げて、出迎えてくれたドライバーさんと合流。彼は、私の名前を確認する英語が出来るだけで、殆どコミュニケーションは取れない。駐車場に止めてあって、殆どエアコンの利かない車に、私一人を乗せて、一路ハノイ市街へ。今回のツアー参加者は何人なのやら。
ハノイ市内までは約30Kmで、30分ほどで着いたのだが、市内に入ってから、ホテルに着くまでに更に30分掛かった。ハノイ・オールド・タウン・ホテル(Hanoi Old Town Hotel)と言う名前だけあって、ホテルは旧市街にあるらしい。
PM5:00、「ここのホテルです」と言われて、ドライバーが指差した方向を見ても、玄関もなければ、ホテルらしい建物も見あたらない。しかも、私を降ろすと、そのまま帰ってしまいそうな雰囲気だ。これからの打ち合わせもあるだろうに。私は、一瞬「騙されたのかな」と思った。

ホテルの入口(Hanoi Old Town Hotel)
と言うのも、ハノイでは種々のトラブルが頻発しており「特にタクシーにまつわる事件が多い」と聞いていたからである。
しかし間もなく、玄関とは思えない様な、雑貨屋の隣から青年が出てきて「オープンツアーの人は此処に泊まっています」と言うので、いくらか安心した。ドライバーは、まさに私を空港からホテルへ運ぶだけが、仕事であったようだ。

階段を上がって2階の受付へ
狭い横町を入っていくと、2階がロビーになっていて、小さいながらもホテルの体をなしていた。二つ星ホテルだからこんな物かと、次第に納得していく自分がいた。部屋に案内されると、狭いながらもベッドが二つあり、シャワーやエアコンも付いていた。

ホテルの受付
ただ、早速3匹の蚊の歓迎を受けたことは、頂けませんでした。此処には2連泊するので、洗濯物をクリーニングに出すチャンスでもある。1Kgで1.5ドルだと言う。ネットで此処の評判を調べると、「安いが素晴らしい」と言う声が多かった。価格は1泊1500円から2000円位のようだ。
PM6:30、お腹が空いてきたので、受付で、お勧めの店を聞いてから出かけたのだが、方向音痴の私は、結局その店にはたどり着けず、適当な店に入って、ハノイ風「フォー」なる物を食した。5万ドン(約250円)也。
毎朝食べている店の「ホティウ」は、2万ドン(約100円)だから、ずいぶん高いと思う。これが大都会の物価なのだろうか。設備はレストラン並で、人を雇って営業しているから、経費が掛かるのかもしれない。しかし、味は値段ほどには違わなかった。
一つ面白いことを思い出した。「フォーとホティウ」の事である。フォーを「ベトナム風うどん」、ホティウを「ベトナム風きしめん」と、訳した本があった。それらは、勿論、日本のうどんや、きしめんとは全く異なる麺ではあるが、フォーとホティウの違いを説明するには、分かりやすい例えだと思ったので、披露させてもらった。
ハノイの旧市街は独特の趣がある町だ。片側1車線の狭い道路を挟んで様々な店が建ち並び、町中が夜店のようである。そしてその狭い道路を、バイクや車が、すれすれに走って行く。7〜8mしかない道幅なのに、なかなか渡れないのである。

狭い道路にバイクが・・・
6月27日(木)ハノイ(Ha Noi)市内見学
AM6:15、起床。ネットで天気予報をチェック。雨の予報。
AM7:00、ホテルの5階で朝食。10種類のメニューから、アメリカン・ブレックファストを注文。期待していた物と大分異なるが、まずまずのお味。コーヒーは、いわゆるベトナム・コーヒーで、濃すぎてミルク無しではきつすぎる。
お皿に載せられてきたのは、フワリとしたパンケーキかと思ったが、どっしりと重い焼き物であった。名前を聞いたが、聞き取れなかった。あとは、目玉焼き2個と、バナナ。全部食べたのはバナナだけでした。

ホテルの朝食
一人で食べていると、日本人の若い女性の二人ずれが現れた。ハノイ、ダナン、ホーチミンと1週間の旅行だそうだ。この小さなペンシル型ホテルの部屋数は12室。若い欧米人のカップルが多いようだ。
AM8:10、フロントから電話があり「すぐ来られますか」との事。念のためスーツケースの鍵を閉めてからフロントへ行くと、「車が待っていますから、すぐに乗ってください」と言う。今日の観光の説明でも有るのかと思っていたのに、何の説明もなく、いきなりマイクロバスに乗車だ。すでに別のホテルから、4人が乗車して来ており、私が5人目。このホテルから同じツアーに参加したのは、私一人であった。
2人は、中国系シンガポール人の父・息子。他の2人は中年のマレーシア婦人。五人を相手に英語でのガイドが始まった。しばらく行くと、更に5人のベトナム人グループと、ベトナム語のガイドが乗り込んできた。すると、そちらのグループにはベトナム語で、先客の我々には英語で同時にガイドをしている。
狭い車内で真ん中に乗っている私は、必死で英語を聞き取るしかない。そんな中、今度はドライバーが携帯電話で話し出す。「ウソでしょう!」の状態である。ガイドの英語には、若干ベトナム語訛が有るが比較的聞きやすく、助かった。日本語学校のディン君のように、ベトナム語訛が強いと、聞き取りにくいのである。
旧市街を通り抜けてまず、ホーチミン霊廟(2年間かけて1975年に完成)へ。旧市街はベトナム戦争時に米軍の爆撃を受けなかったのだろうか。かなり古い街並みが、そのまま残っている。
AM8:30、ホーチミン霊廟へ入場。入場時のセキュリティー・チェックが厳しく、リュックは当然、カメラやデジタル機器、パスポートや現金の入っているポシェットまで持ち込めないと言う。これらは心配ながらも、ついさっき会ったばかりのガイドに預けることに。ガイドは霊廟の中に入らないので、それらを預かれるわけだ。

ホーチミン霊廟
我等が霊廟から出て来たら返すという。それにしてもすごいチェックである。しかも、霊廟に入るに当たって2列縦隊に並べられ、列を崩すと、5m、10m毎に立っている警備に注意される。この2列縦隊が霊廟の周りを、5、6百mに渡って取り巻いている。

霊廟の周りに並んでいる入場者
いよいよ霊廟の中に入ると、警備人の配置は更に密になり、少しでも立ち止まったりすると警告を受ける。霊廟の最奥には、防腐処理を施されたホーチミンが眠っている。それを4人の儀杖兵が囲んでいる。その姿は、あたかも中国・西安の兵馬踊を見ているようである。
ホーチミン(1890年〜1969年)は、1954年の対フランス独立戦争と1965年〜1975年のベトナム戦争を勝利に導いた国父である。その生活は質素で、生涯独身であった。そう言うことから、ベトナム人のホーチミンに対する敬愛の度合いは高く、我々外国人は知る由もない。しかし、このセキュリティーの厳しさは、何とか成らないものであろうか。
同様の施設として、インドのガンジー公園を思い浮かべたが、彼の公園は実にオープンな雰囲気を持っていたのだが。ホーチミンが、共産党独裁の権威付けとして、利用されているのでなければ良いが。実際、このような大げさな祭り方は、ホーチミンの遺言とは真反対の行為であると思う。
霊廟見学後、ホーチミンが、1954年から亡くなる1969年まで執務を行った大統領府や、晩年の数年を過ごした屋敷を見学。1958年に建てられた木造高床式の住居は、簡素な部屋が涼しそうに設計されていた。

大統領府

ホーチミンの屋敷

ホーチミンが住んでいた住居
AM9:30、ホーチミンの屋敷から近いところにある、仏教の一柱寺(One Pillar Pagoda)を見学。この寺は、11世紀に李朝の太宗が、蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見てから、間もなく子供を授かった事を喜んで建立。一本の柱の上に仏堂を載せたユニークな形から、この名で呼び親しまれている。蓮池に浮かぶ姿が美しい。

一柱寺
AM9:50、次の観光は、クアン・タン寺院(Quan Thanh Temple:鎮武観)。道教寺院で、11世紀の李朝時代に、北の守護殿として建立された。北敵を討って国を守ったという玄天鎮武神が祀られている。
AM10:20、チャン・クオック・パゴダ(Buddhist Tran Quoc Pagoda:鎮国寺)を見学。
もとは
李南帝(544〜548年)時代に、ホン河のほとりに建立されたベトナム最古の寺。17世紀に今のタイ湖畔の小島に移された。境内には、釈迦や菩薩、関羽等まで、さまざまな神様や聖人が祀られている。湖岸から眺めると、風情がある。

鎮国寺
AM10:30、ハノイ市内から20分ほど離れたバッチャン陶器村(Bat Trang pottery village)へ向かう。途中の道路脇の壁が、セラミックで出来ており、そこに模様が描かれて、大変美しい光景になっている。この通りをセラミック・ロードと言い、数キロに渡っている。この陶器モザイク壁画が、世界最大としてギネスブックに登録されている。

セラミック・ロード
我々の車は大きな橋を渡って行くが、下を流れているのは、レッド・リバー「ホン(紅)河」である。山から運んでくる土砂で、川の色が紅いので、この名前が付いている。そう言えば中国には「黄河」と言うのがある。同じ土砂でも、紅色だったり黄色だったりするようだ。
ハノイ市外から、約10km南東へ行ったホン河沿いの、バッチャン村に到着した我々は、ここで、陶器製品の製造過程を見学。この地域は、一帯が陶器屋さんだ。製造された物は、近くの川から船に乗せて、各地へ運ばれたようだ。このような陶器類は日本各地で製造されており、私にとっては、見慣れた光景であった。

陶器屋さん(バッチャン村)
AM11:50、昼食の時間だ。「今日の昼食はホテルで」と言う。何処でどんな物を食べさせてくれるのやら。楽しみにしていたら、そのホテルとは、私が宿泊したホテルであり、今朝、朝食を食べた可愛いレストランであった!
メニューは、きちんとしたベトナム風の料理で、我々のテーブルは、シンガポールの親子と3人で囲んだが、食べ切れなかった。お味も美味しい方であった。シンガポール人は、40歳ぐらいで、IT産業に勤務している。息子は13歳の中学生である。奥さんのことを聞くと「離婚しました」と言う。温厚で人柄の良い人に思えるのだが、どうしたことだろう。「日本には仕事で行ったことがあります」と言う。

ホテルで昼食
一方、マレーシア人の2人は、我々から少し席を離して座っている。そして、テーブルの上を見ると、果物が沢山乗っていた。「彼女たちは、昼食を食べないのでしょうか」と、シンガポール人に話しかけると、「彼女たちは、イスラムですから、宗教上の問題で、肉類を食べません。そこで、あのようなメニューになったのでしょう」と言う。
果物だけで腹を満たせるものだろうか?銀行に勤務している方のマレーシア人は、学生時代に、1年半、日本語を勉強したそうだ。「すっかり忘れました」と言いながら、片言の日本語で話しかけてくる。
PM0:50、午後のツアーは更に2人増えて、マイクロバスはすし詰め状態である。増えた2人は、ホーチミン・シティ在住の母娘。高校生の娘さんは、日本語を習い初めて半年に成るという。残念ながら彼女の口から日本語は聞けなかった。
午後一番の見学は、文廟(Temple of Literature)。1070年、孔子を祀る為に建立された廟で、孔子廟(Temple of Confucius)とも呼ばれている。1076年には、境内に、ベトナムで最初の大学が開設され、1779年までの約700年間に数多くの学者や政治指導者を輩出している。ここは当初、皇族用の学校(Imperial Academy)であったが、次第に一般人にも開放されて行った。
今は使われていないが、昔のベトナムを偲には、良い所である。ベトナム戦争で、その一部が破壊されてしまったが、大部分は保存されている。書かれている文字は全て漢字である。敷地内には様々な時代の建物が混在しているが、中でも奎文閣(けいぶんかく)は、ハノイの象徴の一つとなっており、10万ドン札にも描かれている。
奎文閣(けいぶんかく)

100,000ドン札に描かれた奎文閣
私たちが見学していた時、10人ほどの若い娘さん達が、カラフルで、鮮やかなアオザイを着て境内を歩いていた。大学の卒業式でもあったのかしら。記念に参拝に来ることも多いらしい。50m位の距離から見かけて、その美しさに思わずため息をついた。私は、写真を1枚撮りたかったが、団体行動を乱してしまうことを恐れて、我慢した。その内、チャンスが来るだろうと言う期待もあったが、そのようなチャンスは2度とお目に掛かれていない。
PM2:20、民族博物館を見学。ベトナムに住む、54の民族に関する博物館である。屋外には、少数民族の家屋が建てられており、自由に中に入って見ることが出来る。「割った竹で造った床」の家に上がってみると、如何にも涼しげで、暑い地域には好都合だと思われた。

バナ族の集会所(民俗博物館にて)

少数民族の家(民族博物館にて)

竹の床(民族博物館にて)
PM3:30、伝統芸能の「水上人形劇」を見学。操り人形を水中でやるところに特徴がある。舞台は3〜5分の短編が11話。昔、農家の収穫が終わった後に、憩いの一時として催されていたものだと言う。数百席は、ほぼ満員。ハノイにいる外国人観光客が一度に集まって来た様な光景であった。

水上人形劇-1

水上人形劇-2
PM4:40、ホテルへ帰着。シンガポール人親子が、先にバスから降りたので、彼らが泊まっている4つ星ホテルが、どんなホテルか見れたのだが、入り口は、幅3m位で、さほど広くはなかった。旧市街のホテルの玄関は、皆狭いのかも知れない。
おかげで今日も薄曇りの好天気に恵まれた。ただ、高温高湿度の中を一日歩いたので、大分疲れた。疲れを後に残さないようにしたい。昨日、クリーニングに出した下着類は、予定の今日は戻ってこず、明朝の7時になるそうだ。
PM6:30、あまり食欲がないので、気になっていた果物を買ってきた。一つは何度か食べたことが有るドラゴンフルーツで、もう一つは、単に酸っぱいオレンジでした。夕食替わりの果物(約200円)は、ハズレであった。
6月28日(金)ハノイ(Ha Noi)〜ホア・ルー(Hoa Lu)〜タムコック(Tam Coc)
AM5:30、起床。
AM6:00、天気予報のチェック。雨だ!
AM7:00、朝食。昨日のアメリカン・ブレックファストは、量が多すぎたので、今日はメニューを変えて、フレンチ・トーストにしてみた。すると、今日は、小さな食パンが2枚だけの、何とも様にならない朝食であった。少し追加を頼んでみたが、それは出来ないと言う。昨日と比べ、余りにも差が有りすぎて、戸惑ってしまった。
AM7:20、一晩遅れのクリーニングが出来上がってきた。しかし、洗濯物1枚毎に、緑色の糸が付けっ放しになっている。何の為に付けたのやら。乾き方もすっきりしないし、白いものは、出した時より黒ずんで見えるし、畳み方はずさんだし、不満だらけだが洗濯に出さない訳には行かない。
AM7:55、ツアーガイドが私をピックアップに来た。マイクロバスを覗いてみると誰も乗っておらず、今日は私が最初である。次のホテルでは、大柄の韓国人夫妻。次は、ベトナム人母息子。次は、ベトナム人の若い兄弟。次は、タイ人の女性3人。最後に、韓国人の若い女性。昨日とは全く異なるメンバーだが、上手に集めるものである。かくて、マイクロバスは11人の客で満杯になった。
AM8:20、今日は、まずハノイから100km離れた古都、ホア・ルー(Hoa Lu)を目指す。途中で30分間の休憩時間を含めて、2時間半の道程であった。
AM10:50、ホア・ルー着。ここは、ベトナム最初の独立王朝「ディン朝(丁朝)」が、968年に王都を置いた所だと言う。ハノイより海に近いところだが、周囲を岩山に囲まれて、敵からの防衛に都合が良かったらしい。発想が日本の鎌倉幕府と似ている。当時は中国からの攻撃を如何に防ぐかが、大問題であったようだ。

古都ホア・ルー
今は、ディン朝(968年〜980年)と、それに続く、レ朝(黎朝:980年〜1009年)の、2代の王朝のお寺が残っているだけ(いずれも17世紀に再建された重要文化財)であったが、石畳等から昔の面影を偲ぶことが出来た。20年程前に訪れた、奈良の平城京跡(710〜784年)は、草原になってしまい、何の痕跡も残っていなかったが。

ディン朝の祠(ホア・ルー)
PM0:15、タムコック(Tam Coc)のレストランで、ベトナム料理のバイキング。まずまずのお味。
PM1:00、レストランのすぐ前にある船着き場から、ボート・トゥリップ。中国の桂林での川下りを思い出させる光景である。周りは山水画を思わせる石灰石の山で、無数の奇岩がそびえ立っている。途中、舟は3回ほど鍾乳石の垂れ下がる真っ暗な洞窟をくぐり抜ける。

タムコック(石灰石の大岩)

タムコック(小船で洞窟をくぐり抜ける)
海のハロン湾に対して「陸のハロン湾」とも言うらしい。川とは言っても水は殆ど流れておらず、往復2時間、船頭さんは櫓をこぎっぱなしである。一艘の舟に2人から5人程を乗せている。殆どの船頭は、器用に座ったまま、足で櫓を漕いでいる。天気に恵まれ、大いに気分をリフレッシュ出来たのは良いが、日焼けし過ぎたようだ。

タムコック(中国の桂林に似た風景)

タムコック(日焼けしすぎ!)
PM3:00、下船してレストランに戻ってから、元気な人は1時間のサイクリングに出かけたが、私と韓国人の3人は、それを敬遠してレストランで休憩した。
PM4:20、帰路へ。
PM6:50、ホテルへ帰着。夜行列車に乗る前に、夕食を済ませようと外へ出る。なかなか手頃な店が見つからず、引き返そうと思った時、一軒の「フォー」の店があった。メニューの中で、一番高い物を勧められたので、それをオーダーした。50、000ドン(約250円なり)。結果は大当たり。今までのフォーの中では一番美味しかった。
PM8:30、ガイドが私をピックアップに来た。既にチェックアウト済みであったので、すぐに外へ出た。ガイドは私一人をタクシーに乗せると、ドアを閉めようとする。「あなたは一緒に来ないのか」と言うと、「私はバイクで付いて行きます」と言う。
列車のハノイ駅でタクシーを降り、待合室へ。さほど広くない待合室は、人で混雑していた。私はガイドから「ラオカイ(Lao Cai)」行きの切符を受け取り、一人で列車に乗り込む。ガイドの同行は無し。私一人にガイドが同行したら、費用が大変になるからやむを得ない。
「ラオカイ駅に着いたら、ドライバーに電話をしてください」と言って、ドライバーの名前と電話番号をメモしてくれた。ハノイ駅のプラットフォームは、形ばかりの物で、殆ど線路の高さから、列車に乗り込まねばならない。古い映画に出てくるような光景である。
私が乗る夜行列車は、2段ベッドが2つ備わった、4人部屋である。旅程の列車案内には、「エアコンと柔らかいベッド付き」と書かれている。指定席に行ってみると、確かにその通りではあったが、部屋とベッドの狭さは予想を超えていた。

夜行列車(2段ベッドの上段で)
これでエアコンが無ければ、4人は窒息するだろうと思われた。ベッドの長さも174,5cmの私が横になると、頭と足が両側の壁に接触してしまう。つまり、私よりも長身の人は、足を延ばして寝られないと言うことだ。現実にはエアコンが無いどころか、トイレの隣の通路で寝ている人も居た。
PM9:50、夜行列車は定刻に発車。私の部屋は、ベトナム人女性(音楽の教師)、デンマーク人で女子大生の2人が、相部屋になった。夜も遅いので、互いに挨拶を交わして横になったが、列車の揺れ方が普通ではない。過去に経験したことが無いくらいであった。
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