1.  

    4、ベトナム中部@
     

    7月3日(水)ダナン(Da Nang )市内

    AM6:00、外が明るくなり、車内の人が動き出す。カップヌードル等の車内販売もやって来る。私もトイレに行き、洗面所で洗顔を済ませる。そして何時の下車であったか、旅程を確認する
    と、
    AM10:30となっている。後4時間半、芋虫状態を強いられる訳だ。


    車両の端、つまり通路の奥に
    間口が90Cm程の部屋がある。この部屋にも誰かが寝ているらしく、足が出ている。ムックリ起きたその人は、その狭いところで、ランニングシャツの上に、半袖シャツを着始めた。よく見ると、半袖シャツの上には肩章が付いている。


    なんと
    そこに寝ていたのは車掌さんでした。寝ている姿はとても車掌とは思えなかったが、肩章の付いたシャツを着て帽子をかぶると、見事に車掌に変身したのである。それにしても、そんなに狭くて、クーラーもない所で。プライバシーなんて有ったものではない。


    AM8:30、3段目のベッドが2つ空いたかなと思ったら
    そこに2人の女性が入って来た。一人は若く、一人は中年の人だ。若い方は実に器用に3段ベッドに上がって横になった。3段目のベッドは私の居る2段目のベッドより更に天井が低いので、どうするのか見させてもらった。


    しかし、身のこなしが軽く、両側のベッドに足を掛けながら、簡単に上がって行き、
    スルスルッとベッドに滑り込んだ。あたかも、出初め式における、はしご登りのパフォーマンスを見ているようであった。


    しかし、
    中年40歳代?)の婦人には、そこまでする自信がないらしく、1段ベッドの端っこで、諦めたように、放心状態で腰掛けていた。しかし、いつの間にか3段ベッド上で、寝ていらっしゃいました。夜行列車内で、これらを見聞する事も、ベトナムの現状を知る、貴重な経験になるかも知れない。


    AM9:30、ダナンの海が見えてきた。天気は晴れ。何処までも広がる青い海と水平線。皆、列車の通路に出て、その景色に見入っている。相部屋の家族ずれも、ダナン
    駅で降りる支度を始めている。


    AM11:00、列車は30分遅れでダナン駅に到着。やっと16時間の芋虫状態から解放された。改札を出ると、背の低い眼鏡をかけた色黒の女の子が、私の名前を書いた紙を掲げて立っていた。お互いを確認して
    しばらく待っていると、迎えの大型バスが来た。


        

                     ダナン駅


    バスに乗っていたのは16人。そのまま、近くのレストランへ行って昼食である。生春巻きと、スープの少ないヌードルが、お昼のメニューであった。生春巻きは、各種の生野菜、薄く切ったボイル済みの豚肉等を、米で出来た皮に包み、ヌックマム
    (魚醤)等の、お好みの調味料を付けて食べる。


    ヌードルには、スープが見えなかったので、後からスープが来るのかと思って待っていた。実際は、どんぶりの底の方に少量のスープが有って、それを良く混ぜ合わせて食べるのであった。いずれも、似たような物は経験済みであったが、このレストランの味付けと食材は、今までのよりも洗練されていて、美味しかった。


    PM0:30、ホテルにチェックイン。PM3:30迄、ホテルで休憩。日中の暑さを避ける事が目的である。私はお陰様で、4日ぶりのシャワーを浴びることが出来、久しぶりに体中の毛穴が開いたような気分になった。同時に、洗濯物を出し、メールのチェック、電池やバッテリーの充電と、結構やるべき事が溜まっていた。


    PM3:30、再集合して、大型バスで観光に行く。乗客は45人だが、私以外は全部ベトナム人。ガイドは
    ベトナム人用にベトナム語で説明し、私の為には、英語を話すガイドが付いている。


    彼女の客は、私一人である。ダナン駅で
    私を迎えてくれた女の子で、慎重は150Cmを下回っていると思う。まだ滑らかな英語ではなく、しかも、かなりベトナム語訛りの強い発音で、聞き取りにくいのだが、それでも無いよりは増しである。


    最初に訪れた所は、ソンチャ半島のモンキー・マウンテンに、新しくダナンのシンボルとして建築された、寺院である。ここには、高さが67mのリン・ウン・パゴダ
    Linh Ung Pagoda)が建設されている。6年の歳月をかけて、2010年に完成したばかりで、旅行ガイドブックの「地球の歩き方」にも載っていない。


        

              ソンチャ半島の高台から見るダナンの海


        

                  リン・ウン・パゴダ(67m


    ここに来る前の私は、ダナンと言えば「ベトナム戦争の時に良く耳にした所」位のイメージしか持っていなかったが、そのイメージは見事に裏切られた。町並みは「港町
    横浜」の雰囲気を持っており、山下公園を思い出させる。


    さらっと目にする限り、ベトナム戦争の痕跡は全くなく、ハン川
    Hanには、新しく美しい橋が次々と掛けられ、大きなビーチと川を利用して、一大リゾート地に変身しようとしている。


    国の内外からの投資が盛んで、「最近のたった6年間に、草原であった所に広い道路が出来、その両脇に
    ホテルやレストランが出来、すっかり変わってしまった」と地元に住むガイドが驚いていた。


    ベトナム戦争の時、ダナンは、ベトナム中部に置ける最大都市で、最良の港を持ち、米軍にとっては最重要拠点であった。ここを拠点として、ベトナム北部のハノイへ侵攻できるのか、ここを失って、南へ退却を強いられるのか。勝敗の分かれ目が、このダナンであった
    のだ


    私のおぼろげな記憶では、米軍がダナンを失った後、間もなくサイゴン(今のホーチミン・シティ)も陥落して勝敗が決まった様に思う。この町に来てみて、戦争の面影はないが、米軍が
    この町に固執した理由は、良く理解できたと思う。


    PM5:00、次に訪れたのは、ミーケー・ビーチ(My Khe beach)。ここは、世界で最も魅力のあるビーチの一つに選ばれていると言う。なるほど、町の中にあるビーチとも言えるロケーションで、横浜の山下公園の下に、ビーチが広がっていると想像してください。


    そして砂浜は、ハワイのワイキキの浜辺の「狭さ」とは、比べようもなく、広く長い。ただ、ここの浜辺で見かける女性の水着は、いかにも地味で、セクシーさを殆ど感じられないのが、残念である。しかし、近い将来
    には、ワイキキに負けない位、カラフルな水着ショーが期待できるかもしれない。


         

                 ミーケー・ビーチ(ダナン)


    PM6:00、私は、ビーチの波打ち際で、足を濡らすだけにして、テントの下で休んだ。ココナッツのジュースを飲み、焼きイカを少しかじっただけで、170000ドン(約850円)の請求は、想定外でした。


       

                ココナッツと焼きイカ(850円也)


    帰りの集合時間が近付いてきたので、ガイドを捜していると、一人の若い女性が話しかけてきた。私はガイドが交代したのかと思い、そのつもりで話していると、どうも話がかみ合わない。


    彼女は「スエーデンの大学院を終了後、スエーデンでバイオマス(biomass)の研究をしている。1ヶ月半の夏休みで、ベトナムに帰ってきている」と話してくれた。一昔前の日本の若者のように、今のベトナムの若者は、チャンスを掴んでは積極的に海外へ出ていく意欲が強い。そして、国の内外
    、そうした意欲のある学生を、支援する制度が有るようだ。


    ここベトナムでは、日本人と言うだけで、一定の尊敬の念を持って、接してくれる人が多い。大変うれしいことである。そういう意味で、大勢の旅行者の中で、たった1人の日本人は、アイドル的な存在なのかも!?


    PM6:15、ベトナム料理の夕食。まずまずの美味しさ。特別な物は無いが、全体として洗練された味付けである。


    PM7:30、ベトナムの伝統音楽を鑑賞。1弦のスチールギターの音が、よく響いていた。


        

                  ベトナムの伝統舞踊-1


        

                   ベトナムの伝統舞踊-2


    PM8:30、ホテルへ帰着。本日見学した一つ一つは、特に印象深い物はないが、ダナンの町それ自体が、洗練されていて、非常に印象深く感じた。


    7月4日(木)
    マーブル・マウンティン〜ホイアン


    AM8:30、ホテルを出発。ホア・アイ(Hoa Hai)の、石の彫刻村へ。翡翠や大理石で、布袋さん、仏像、マリア様、獅子等、様々な彫刻が彫られ、売られている。これらの彫刻は、風水を信じている人が買っていくと言う。


        

              大理石の彫刻を展示販売(ノンヌォック村)


    AM9:30、次は五行山へ。市街から車で15分ほどの所にある連山。5山からなり、大理石(マーブル)
    出来ていることから、マーブルマウンテンMarble Mountainsとも言われている。また、5つの山には、宇宙を構成していると考えられている、金、木、水、火、土の5要素が、それぞれの山に付けられている。


    五行山の標高は、100m余りと決して高くはないが、海の近くにあるため、存在感がある。そこには多くの洞窟があり、その中に古くからの信仰を窺い知ることになる。観光の中心になるのは5行山のうちの水山で、我々もその山へ行って来た。


        

          水山の展望台から見た麓の町、五行山を成す他の山々が見渡せる


        

                  水山の境内に立つ塔


        

                        タムタイ(Tam Thai)寺


        

                     展望台(水山)


    ホアギエム洞窟の奥には、高さ数十メートルにも及ぶ空間が広がっている。ベトナム戦争時に投下された爆弾により、洞窟の天井は大きな穴が開いているが、そこから差し込む日の光がまたなんとも神々しい。中にはホイアンの伝統的な建築様式の社が建てられているが、ここにはもともとチャム(Cham)族の寺があり、その名残をベンチの台座に彫刻として見ることができる。


        

                    ホアギエム(Hoa Nghiem)洞窟


    ベトナム中部の夏は、ラオス側から吹き下ろす、ラオス・ウィンド(Laos Wind)と呼ばれるフェーン現象の為、しばしば
    40気温が上がると言う。今日も大変暑い。


    AM11:15、五行山を
    後にして、昼食へ。

    AM11:30、昼食。今日の昼食は、浜辺のレストランで美しい海を見ながら。食材にはカツオに似た食感の魚が供された。鯖とカツオの中間位の大きさで、皆で取り分ける。私もひとかけら食したが、まずまずの味付けであった。旅行中の食事は、地方のスペシャル・メニューと銘打ってあるが、出てくる物は、大差ない。


        

          スエーデンでバイオマス研究中の娘さん家族と昼食(ダナンの海辺)


    「今日のメニューは如何でしたか?」と聞かれれば「Good!」と言うしかない。「江島さんの返事は、何時も「Good!」ですね、と
    ガイドに言われたが、他に言いようがない。「Exelent(素晴らしい)」ではないし、そうかと言って「So so(まずまず)」や「Not bad(悪くない)」とも言いにくい。


    ベトナムの食事の習慣と日本のそれとで、異なる点が一つ有る。それは、スープの出され方である。日本では通常、御飯と味噌汁が、同時に別々の椀で出されるが、ベトナムでは、スープが食事の後半に出てくる。


    そして御飯茶碗と別の椀は出てこない。御飯茶碗に残っている御飯にスープを掛けて、食すのである。日本語に直すと、いわゆる「猫マンマ」であり、あまり上品な食べ方とは言えない。私はそれが普通の作法だとは知らずに、別の椀を要求したことがある。


    PM
    0:30、ホテルへ戻って一休みだ。昨日もそうであったが、ベトナム中部のダナンの日中は、暑すぎて観光に適さない。そこで、一番暑い時間帯を避けているのだ。3時間も昼休みになるので、旅程の一部がカットされたりするが、我々シニアには、有り難い配慮である。


    PM3:30、休憩後ホテルを出発。ホイアン(Hoi An)へ向かう。此処は、今回の旅行で私がどうしても行っておきたい所である。それは、江戸時代に鎖国政策がとられるまで、朱印船による貿易で
    多くの日本人が此処を訪れており、日本人町まで出来ていたと言うからである。


    鎖国後、日本人町は中国人に入れ替わって行ったようだが、それでも、日本人が居た痕跡は、お墓や、碑文や、建築様式に残っている。我々は短い観光時間に、ホイアンの町並みと、
    遠橋(日本橋)を見学した。


        

                   修復して使用中(ホイアン-1


        

                  修復して使用中(ホイアン-2


        

                     ホイアンの町並み


    町並みは、日本の飛騨高山の町並みを思わせ、「木造の屋根付き橋」である日本橋は、400年前の日本人が此処で活躍していた証として、強烈な郷愁を誘う。そして、この日本橋の写真は、ベトナムの20,000ドン札に印刷されている。


        

                    日本橋(来遠橋)


        

                 日本橋(来遠橋)の内側


        

                  日本橋(来遠橋)の額

    立ち寄った一軒の店に、「昭和女子大学国際文化研究所」の編集制作による、ホイアンのカタログがあったので、記念に1冊購入した。


    ホイアンはまた、数年に一度
    すぐ側を流れているトゥボン川(Thu Bon River)が増水し、旧市街の1階部分が水没するほどの大洪水に見舞われる。私が見学した家でも、1階の天井付近まで、3m程の洪水が来たことを記されていた。


        

                 洪水で水没した高さを示す


    ホイアンの家は間口が狭く、奥行きが広い。丁度
    京都の先斗町の家造りの様である。これはその間口の広さに応じて税金が課されていたからで、その課税制度も京都と同じであった。典型的な造りの家の中に入ると、手前がお店、次の部屋がリビング、次が中庭、最後が寝室。そこから出ると、トゥボン川Thu Bonが流れている。


        

                   間口が狭く奥行きが広い


        

                    トゥボン川


    海外の商人は河口から此処まで遡り、此処で取引をしていた。
    しかし、下流に浅瀬ができると、船がここまで遡る事ができなくなり、港の役割は、ここから30km北方の、ダナンに移っていった。此処の人々は、数百年の昔から今まで、変わらない家に代々住んでおり、今でも商売を営んでいる。その歴史的価値が評価されて、世界遺産に登録された。


    ホイアンの町で、中国の福建省から来た人たちが建てた、
    福建会館を見学していたら、ハロン湾で知り合ったオランダ人青年の3人組に再会した。私は夜行列車、彼らは夜行バスでダナンへ来ていた。建物の壁には、航海の無事を祈る書画が多く見られた。

        

                      福建会館

    私のガイドは時々私から離れて、居なくなる。この時も「此処を見終わったら、あちらへ進んで下さい。バスが待っていますから」と言い残して居なくなった。私は言われた通りの方向へ歩いて行ったが、バスも待っていなければ、人もいない。


        

                トゥボン川沿いで客を待つシクロ

    さて、「反対方向へ来てしまったか」と心配になって来る。辺りに顔見知りが歩いていることを期待しながらうろついていると、例の、スエーデンでバイオマスを研究中の女性の家族が、十字路の角にたむろして、何か食べていた。


    互いに気がついて、私が近寄っていくと、「あなたも一緒に食べて下さい」と言って、小ぶりの目玉焼きを促された。そうして懇談している所へ、ガイドは何事もなかったように現れた。


    ガイドが話す、ベトナム語訛の英語の発音の例を2つ挙げておこう。ビーチ(beach)を、ビッチと発音し、パースト・タイム(past time)を、パース・タームと発音する。前後の文脈から、何とか判断しているが、ヒヤリングに疲れます。


    PM6:00、ホイアンにて夕食。此処でも「特別な料理です」と言われて食したが、特別目新しい物はなかった。


    PM7:00、ホイアン発。ダナンのホテルへ。

    PM8:00、ホテル着。ホテルの近くを流れるハン川Han河畔を散策。ハン川に架かる橋がライトアップされて美しい。


        

                     ドラゴン橋(ダナン)


        

                    ハン川橋(ダナン)


    PM8:40、ホテルへ帰着。


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