5、ベトナム中部A


7月5日(金)
ダナン(Da Nang)〜フエ(Hue

AM7:30、チェックアウト。洗濯代として180,000ドン(約900円)の請求があった。大量に出した割には、予想より大分安かった。


今日は、ベトナム中部の古都、フエに向かう。ダナンの町を去る時、ガイドが「この辺の浜を、赤い浜辺(Red beach)と言います」と言う。ベトナム戦争時、アメリカ軍のダナン上陸作戦で、多くの血が流された所だと言う。


最近は、台風シーズンになると、時折洪水に襲われるそうだ。これから行くフエに比べて、ダナンは若い街だ。それだけの未来性を秘めており、韓国、中国等からの投資が盛んである。ダナンはベトナムの中部に位置し、北のハノイまでは764km、南のホーチミン・シティまでは964kmである。


しばらく走ると、東洋一長い(6280m)トンネル:ハイヴァン・トンネル(Hai Van Pass)に差し掛かった。このトンネルは日本の協力
ODAで、5年間で完成した。このトンネルができる前は、1時間掛った山越えが、10分間に短縮されるようになった。


しかし、山越えで見られた絶景は、見られなくなったと言う。
地図を開くと、ベトナムとラオスの間に、チュオンソン山脈(Truong Son Mountain)が、1100kmに渡って走っている。今越えている、バックマ山(Bach Ma Range)は、チュオンソン山脈の一部をなし、ベトナムを南北に分けている山である。気候、言語、文化、交通等、様々な点で、南北に区分をもたらしていた。


AM8:20、山越えをしたところでトイレ休憩。ここは、ランコー
Lang Coと言う村で、美しい砂浜が広がっており、大きなプール付きのリゾートホテルが建っていた。


    

                ランコーの浜辺


    

              ランコーのリゾートホテル

ここの土産物店で働く店員は感心できなかった。背中を丸め、欠伸をしながらの接客で、女店員の着ているアオザイが、如何にも安っぽく見えた。アオザイは、いつも美しいかと言うとそうではない。


美しいときは、目を見張るようであるが、だらしなく座って、足を開いていたりすると、前に垂らした長い布が、「6尺ふんどし」に見えるのである。最近は、短いアオザイも出てきたのであろうか。膝上位の長さのアオザイを着ている女性を、ホテルで見かけた。


    

             アオザイの女性(ラッカー技法)


AM9:00、休憩所を出発。再び長い山越えに掛かる。
バスは、だらだらと登り下りを繰り返しながら走る。日光のイロハ坂を思い出させる所もあり、まだまだ難所が続く。しかし、大型バスでの移動は、クーラーが利いて快適である。


今、ベトナム中部の最も狭く
くびれた場所を走っている。右側には海が広がり、左側の山を越えればラオスである。その間は、鉄道の線路と車道を1本ずつ通すのが精一杯の広さしかない。海岸から山裾まで1000mも有るのだろうか。


こういう景色は、昼間のバスで通過しないと、見ることは出来ない。数日前に、ここを夜行列車で通過したのであるが、全く気づかなかった。


全く知らなかった事をもう一つ。それは、「中部ダナンの雨期は8月から始まるのであって、まだ始まっていなかった」と言うことである。ホーチミン・シティの雨期は、4月から始まると聞いていて、実際、ホーチミン・シティに居るときは、毎日スコールが降っていた。


いくら私が晴れ男だからと言って、雨期なのに、どうしてこんなに毎日晴れているのか、不思議に思っていたのである。南部と中部でそんなに天候に違いがあるとは知りませんでした。そう言えば、北部の雨期は何時なのだろう?ほとんど雨に降られずに旅行が出来たのだが。


AM10:20、グエン王朝、第12
191625)カイディン帝廟を見学。ここは私の旅程には入っていなかったが、「オプションでどうですか」と聞かれたのである。そもそも、ほかの全員が見学に行くのに、「私だけバスに残る」と言う旅程が、おかしな組み合わせである。


ともあれ、私だけ80,000ドン(約400円)の入場料を支払って中に入った。ここは、幹線道路から、しばらく田舎道に入った所にあり、どうしてこんな所に建立したのかを、疑問に思った。ガイドに聞いてみると「風水でここに決めたのだ」と言う。


    

                カイディン帝廟-1

建造物は豪華絢爛だ。1920年からカイディン帝の死後6年経過した1931年まで、11年かけて造られた。こちらの建築素材は石であるが、どことなく日光東照宮を思い出させる雰囲気を持っている。「この王の時代は、すでにフランスに占領されていた為、実権は無く、国民のためには何もしていない」と言う。自分の墓を造る事だけが、生き甲斐だったのかも知れない。


    

                カイディン帝廟-2

    
         

             カイディン帝廟内部の装飾


オプションで追加料金を払っても、見学して良かったと思う。今回の旅では、あちこちでベトナムの歴史の一端を聞き知ったが、日本に帰ったら、通史としてのベトナムの歴史書を読んでみたい。


AM11:30、ベトナム人の3人家族の隣で昼食。高校生の男子、大学生の姉、それに母親。高校生は英語が少々話せる。「将来の希望は警察官になること。そして、国民を守りたい。警察官になることは、そんなに簡単ではないが」と言う。


この発言は「警察官に対する誇りがある一方で、まだベトナムの国民は、十分に治安から守られていない」と言うことを言っている。大学生の姉は、台湾で中国語を勉強している。「どうして中国大陸ではなく、台湾なのか?」と聞くと、「大陸の簡体字より、台湾の
繁体字の方が好きですから」と言う。


食事が終了する頃になって、母親が、「このご飯は変な臭いがしませんか」と言いだした。私は気が付かなかったが周りにいた人は、「そう言われれば」みたいな言動で、少しあわただしくなって来た。


男子高校生は、最初からほとんど箸をつけていない。「どうして食べないの」と聞くと「母の料理の方が美味しいですから」と言う。臭い飯騒動は、大騒ぎにはならず、うやむやの内に終わったが、すっきりしない雰囲気が残った。


PM0:30、大型バスから私一人だけが降ろされて、ホテルにチェックイン。この段階でマンツーマンガイドであった、ワン(Oanh)さんと、お別れだ。この後は、自分の部屋で次のガイドを待つことになった。


PM1:20、男性ガイドが私をピックアップに来た。今度のバスも大型バスだが、客は殆どが西洋人。ガイドは英語で説明しているが、大変なアクセントである。これでもガイドが勤まるのかと、感心していると「私の発音は聞き取りにくいと思いますが」と、自分も認めている。しかし、身振り手振りで
ゆっくり話しているので何とか理解は出来る。


見学に行ったのは、
ベトナム最後の王朝、グエン(Nguyen)朝(18021945年)の王宮である。1945年頃まで使われていた王宮であるが、今は殆ど廃墟である。中国・北京の紫禁城を小さくしたような造りで現在は、大がかりな修復作業中である。それにしても暑い!汗が噴き出してくる。ガイドも精一杯の大声を出さねばならず、大変だ。


    

                グエン朝の王宮-1


    

                グエン朝の王宮-2


    

               グエン朝の王宮-3

   
    

               グエン朝の王宮-4


PM3:10、次の見学場所
、ティエンムー寺(Chua Thien Mu)は、1601年創建その塔は、高さ21mの七層八角形で、各層には仏像が安置されている。塔の名は慈悲塔といい「幸福と天の恵み」を意味している。このお寺には1963クリスチャンである南ベトナム大統領ジンジェムの仏教弾圧に抗議し車に火をつけて焼身自殺した、住職の僧クアン・ドウック師が葬られその時オースチン車も展示されてると言う


    

             ティエンムー寺に建つトゥニャン塔


PM3:40、市内を流れる
フォーン川(Huongパーフューム・リバーで船乗りを楽しむ。パーフューム(香水)とは優雅な名前を付けたものだが、何処を見てもパーフームの香りはしない。ガイドに名前の由来を尋ねると「雨期に雨が降ると洪水になる。しかしその時、大量の花が流れてきて、芳香を放つ  からである」と、解説してくれた。


    

            フォーン川(パーヒューム・リバー)


ここフエの街を、日本の何処に例えたら、少しでもイメージが沸いてくるのか考えたが、なかなか良案が出てこない。苦し紛れに考えたのは、「隅田川のほとりに、小振りで廃墟になった紫禁城がある街」と言うこ
である。


PM4:40、約1時間のクルーズを終えて上陸。「
ここで解散」と言われ途方に暮れていると、ガイドが「あなたのホテルに行くには、あの信号を右に曲がって、次を左に曲がって云々」と説明をしてくれた。今一つ良く分からないが、一人で帰るしかないかとおもっていると、「シクロ」が来て、「乗って行かないか」という。こういう物に今まで乗ったことはないが、この際「地獄に仏」「渡りに船」と言う気持ちで、乗ることにした。10分ほど乗って、ホテルに着いた。料金は20,000ドン(約100円)でした。


ホテルについてやれやれだが、今夜の食事はどうなっているのだろう。そして旅程を読むと、明日の
ニャチャン(Nha Trangのホテルには、列車から降りたら、自分でタクシーに乗り、ホテルへ行くように書いてある。ところが、何というホテルに行けばよいのか、ホテルの名前をまだ、知らされていないのだ。


ホテルの受付で、現状を話し、協力を求めると、関係者と思われるところに電話をしてくれた。自室で待機していると、男の声で「5時45分に
ホテルにピックアップに行きます。そして、夕食を食べに行きます」と電話が入った。これで、夕食の心配はなくなった。


PM5:45、男性がホテルのロビーに現れ、「行きましょう。私のバイクで行きますから、後ろに乗ってください」と言って、私にヘルメットを被せる。私は、余りのドサクサぶりに、「どうでも良いけど、どうなっているの?」と思いながら、彼の言うことに従った。


レストラン
に着くと2階に通された。客は私1人である。そこで「明日のあなたの宿泊ホテルは、云々です」と、読めない字で書いたメモを渡された。私は「タクシーの運転手に見せれば分かってくれるだろう」と思い、其れを受け取った。


しばらく待っていると、スープの他に4品ほど出された。それも3人前位もある量だ。後から誰か来る様子もない。私は美味しそうな物から摘んで食事を終えた。食後に出されたマンゴーが美味しかった。


PM6:30、男性は、「町を見物するのにシ
クロ(自転車タクシー)がいいと思います。頼んでおきますので、1時間ほど乗ってホテルに帰ってください」と言う。それが旅程に入っているのかどうかも分からないまま、言われるままにした。彼の英語が良く理解できない事もあって、いちいち確認するのが面倒だったこともある。


乗せてもらうのが気の毒なくらいの年輩の人が
、シクロを漕いでいる。坂道に来ると止まりそうである。バイクや車で、混雑する中、シクロは、ゆっくりと進む。バイクや車の方で避けてくれる。


PM7:30、町並みを見ていると、何度も同じ所を走っているようだ。もう1時間も乗ったし、そろそろホテルに帰りたいと思って、その旨オヤジに言ってみるが、旨くかみ合わない。オヤジは「これから、船に乗って歌を聴いてもらう。それからホテルに送ります」と言っている。


どうやら、私が聞いている事と、彼が指示されている事が違うようだ。通りにある旅行代理店の女性に通訳をしてもらい「私は疲れたのでホテルへ帰りたい」と言うと「
シクロに座っているだけで疲れるのか?」みたいな顔をしている。


私はもうこれ以上、バイクや車の中で排気ガスを吸いたくない気分が強い。なんとしてもホテルへ帰りたい。すると彼に指示を出したところに電話をし、後の予定はキャンセルして
ホテルへ送り届ける事になったようだ。やれやれである。


クロは、前輪が2つの3輪自転車である。客が前に座り、漕ぎ手が後ろに座っている。効率よく出来た乗り物だと思うが、人力である。暑い中で、しかも排気ガスにまみれて、本当にご苦労様です。


PM8:00、ホテル着。排気ガスにまみれて、顔も手もザラザラだ。とりあえずシャワーを浴びる。それにしても、今日の引継はどうなっていたのだろうか?


7月6日(土)
フエ(Hue)〜ニャチャン(Nha Trang


AM7:30、朝食。バイキング形式の中に、フォーがある。ベトナムでの朝食は、これが定番である。私はフォーを食べてから、小さめのフランスパンとコーヒーを頂き、最後にチョムチョム、パイナップル等のフルーツを食べた。ホテルの朝食が美味しくて助かる。


AM9:45、フエのホテルで、迎えの車を待っている。約束の時間は、AM10:00だが、早く来る時もあるので、早めに準備しておく。しかし、そんな時に限って、来ることが遅く、30分も40分も待つことになる。


後の予定に余裕がある時はそれでも良いが、今朝は、AM10:40発の列車に乗らなければならない。AM10:20を過ぎても、待ち人は現れなかった。結局、タクシーを呼んでもらい、自分でフエの駅まで行った。料金は40,000ドン(約200円)。


昨日の午後から、担当者の言動が変であったが、とうとう此処で、私というボールを落としてしまい、次へパスできなかった。
昨夜のドサクサ紛れの夕食、排気ガスまみれのシクロ、そんなことが重なって、古都フエに対する私の印象は余り良くない。


AM10.30
フエ駅の待合室に入ると大変な混雑ぶりだ。もう改札が始まっているだろうと思って駆け込んだら、客の移動が何処にもない。もうホームに出たのかなと思ってホームを覗いても、その様子は伺えなかった。


数分経った時、駅の構内放送で「列車は1時間遅れて到着の予定です」と、アナウンスがあった。2人のアメリカ人少年が「僕らも同じ時間に発車する列車に乗ります」と言って切符を見せてくれた。


あわててタクシーで駆けつけて来たのに、「やれやれ」と言う心境である。トイレの側に、椅子が
一脚空いていたのでそこに座り、ポメラを叩いて時間を潰すことに。トイレの臭いが鼻についたが、其れ位のことは我慢我慢。


AM11:45、やっと改札が始まった。ホームへ出ると売店があり、列車内で食べるもの等を売っている。しかし、私の口に合いそうな物が見あたらない。私は、蒸しているトウモロコシを1本(20,000ドン:100円)と、エースコックの即席フォーを1個(40,000ドン:約200円)購入した。


    

                フエ駅のホーム


    

              フエ駅ホームの売店


冷静に考えると、いずれも高いが、選択の余地が無い時はやむを得ない。トウモロコシは本日の昼食で、即席フォーは、本日のディナーである。トウモロコシを早速かじってみたが、これがモチモチして大変美味しかった。丁度食べ終わった所へ、列車が入ってきた。


AM12:00、1時間以上遅れて列車が出発した。今日の列車は、日中に走るのだが、乗車時間が約11時間と長い為か、寝台車が予約されていた。私
あてがわれた個室は、2段ベッドが2個の部屋であった。


そこにはアメリカ・カリフォルニア在住のベトナム人(58歳)と、ベトナム在住の兄(68歳)夫婦、それの孫息子(10歳)の4人が居た。アメリカ在住の男性としばし懇談。


彼は「アメリカに渡って30年になる。今回の帰郷は先祖の墓参りが目的である。12人兄弟の末っ子なので、兄弟たちとも今の内に会っておきたい。アメリカでは電気技師として働いている。ベトナムは貧しいし、役人が自分の懐を肥やすことしか考えていないので、国民が可哀想だ」と、話していた。


会話が一段落したところで、上のベッドに上がり、しばらくポメラ
叩く。しかし、PM5:30、夕暮れと共に、車内が薄暗くなり、ポメラを叩き難くなってきたので、ホイアンで買ってきた冊子を読むことに。


PM6:30、エースコックの即席フォーに、列車備え付けの熱湯を注いで食す。これが今日のディナーだ。麺はまずまずの食感であったが、汁の味が濃かった。


同室に居る、10歳の小学生が、片言の英語で話しかけてくる。小学校で英語を習っていると言う。彼が
外国のお金を集めていると聞いたので、持っていた日本のコインをあげた。食後、横になって暫く眠った。


PM10:45、車掌が「もうじき、目的の駅、ニャチャン(Nha Trang)に着きます」と言って、起こしに来てくれた。

PM11:00、ニャチャンに到着。11時間の列車の旅は、1時間遅れで終了。


旅程では、此処から自分でタクシーを拾って、ホテルに行くようになっている。ところが、改札口を出ると、私の名前を掲げて、タクシーの運転手が立って居るではないか。これは有り難い。きっと、フエのホテルから、私を駅まで送り損なった事の、埋め合わせだろうと思う。

PM11:10、ホテル着。


    

               歓迎の果物と水(ニャチャン)


7月7日(日)
ニャチャン   


AM7:00、朝食。まずい!今までで最低。ホテル5階の食堂に入っていくと誰も居ない。おかしいなと思いながら、奥の部屋を覗くと、自分たち
従業員が先に食べている。


朝食定番のフォーもなく、食べ
れそうなのは、卵スープとパンぐらいだ。ジャムはなく、バターだけ。ベトナム・コーヒーに必需品の練乳もなく、紅茶はぬるくなっていた。後はバナナを1本食べておしまい。ユースホステルが基準になっている私は、たいていの事を、受け入れることができるのだが。


AM8:35、大型バスがホテルに来て、私をピックアップ。その後、バスが満杯になるまでホテルを回り、予約者をピックアップして港へ。


    

             観光客で賑わうニャチャンの港


AM9:1550人乗り位の船に乗せられて、最初の島へ行く。そこは、水族館であった。
体長が2mもあろうかと思われる大きな魚が居たのが目に付いた位で、感動するような水族館ではなかった。中の展示物よりも、外観のデザインの方が面白かった。


    

                 水族館の外観


AM10:20、次の島へ。此処は小さな浮島になっており、希望者は、泳いだり、シュノーケリングをしたりできる。私は椅子を一席借りて(約100円)見物を決め込む。


    

                   浮島


    

              ボートから海に飛び込んで


AM11:55、次の浮島へ。此処で昼食。特別メニューをオーダーした人は、浮島に上がって食事をするが、定食の人は船の中で食べる。それも、今まで座っていた椅子が、テーブルに早変わりだ。


    

            船内の椅子がテーブルに早代わり


旅程には「海で新鮮なシーフードを食べる」と書いてあったので、楽しみにしていたのだが、完全に裏切られた。小さな船の中で、料理されて出された物は、「腹を壊さなければ儲け物」としか思えない様な物ばかり。


冷たくなり、変な油の臭いがするスパゲッティ。冷たいご飯。冷たいスープ。何も手を付けないわけには行かないので、少々口にはしたが、「No, thank you!」と、言いたい物ばかりでした。


PM1:20、食事が済んだ後のテーブルは、ステージに早変わり。今度は
音楽に合わせてガイドが歌ったり踊ったり。なかなかの芸達者である。伴奏のドラムとギターは、廃品を集めて作ったと思われる様な物であったが、きちんとリズムは取れていた。


      

                テーブルがステージに


    

              ドラムとギターは廃品で


PM2:50、第4の島へ。旅程では季節のフルーツが食べられると書かれていたが、何も提供されなかった。私は、ゆっくり休みたかったので、空いている椅子を探して座ったら、たまたま韓国語とベトナム語が飛び交う、3組のカップルの中であった。


      

                   島から島へ


その中の一組は、韓国人男性とベトナム人女性のハネムーン旅行中であった。韓国人男性が、ベトナム語を流暢に話しているので聞くと「ベトナムに来て水産業に携わり、4年になります」と言っていた。


PM4:40、今朝、出航した港へ帰ってきた。ニャチャンの海岸はそれ自体が整備され、ダナンより更に洗練されたリゾートになっている。それなのに、綺麗なビーチには目もくれず、わざわざ私たちを船で離島に運び、どうでも良いようなことをして時間を潰している。


商売としては、そうでもするしかないのかも。ほとんど無限に
5km広がるビーチで遊ばれたら、入場料さえ取れないだろうから。


この町で特徴的な事は、ロシア語が多く飛び交っており、店の看板にも、ロシア語が多く目に付く点である。


私の推測では「ソ連が元気でアメリカと競っていた頃、同じ共産主義国として、
ソ連とベトナム両国は非常に親密な関係にあり、ベトナムはソ連の援助を仰いでいた。その流れがこのニャチャンのリゾート町で続いている」のだと思う。


PM5:00、ホテルへ帰着。夕食を食べに一人で外出。綺麗な浜辺を散策し、フォー(30,000ドン)と、トウモロコシ(10,000ドン)と、アイスクリーム(35,000ドン)を食べて夕食とした。合計して、約375円也。同じリゾートでもハワイでは、こんなに安く収まらない。


    

               ニャチャンの浜辺-1


    

               ニャチャンの浜辺-2


    

                 ニャチャンの浜辺-3


      

              ニャチャンの海浜公園


     

               ニャチャンの海岸通り


PM7:00、ベトナム式マッサージ。1時間で210,000ドン也。(約1,050円)中国やタイ式とは違って、オイルを少しだけ使っていた。


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