7、ベトナム南部A 



7月10日(水)
ミトー(My Tho)〜カントー(Can Tho

AM6:00、起床。朝食。

AM7:20、チェックアウト。クリーニング代、60,000ドン(約300円)を支払い、大きなバゲージを預けて、ガイドを待つ。ところが、7時半の予定が、8時半になっても来ない。私は、「置いて行かれた」事を考えながら、受付から、ツアー会社に電話をしてもらった。


AM8:50、ガイドが来て、「まもなく、車がきますからそれに乗って下さい」と言う。どうするつもりなのか、こう言う時は、ジタバタせずに、相手に任せるしかない。やがて1台の古びたワゴン車が来た。この車に私とガイドが乗って発車。


AM9:00、途中の路上で、韓国人の青年をピックアップした。すると、一緒に乗っていたガイドは下車してしまい、車内は韓国人男性と2人だけになった。彼は、「今日は、メコン・デルタの日帰りツアーに参加した。韓国の大学で哲学を勉強中の学生だが、現在はオーストラリアで、ワーキングホリデーに参加している。今回は、休みを取ってこちらに来ました」と言う。


AM9:30、トイレ休憩中の大型バスに合流。ここで私と韓国人学生とは別々の車に振り分けられた。日帰りの人、1泊の人、2泊の人、更に、ホテル泊、民宿といろいろな人が混在している。それが仕事だとはいえ、ガイドにとって、間違いなくピックアップし、行く先々で間違いなく
仕分けすることは大変だと思う。


今回のミスは、起こるべくして起きている訳で、一応、腹を立てては見るが、本気で怒る気分にはなれない。


私が合流した大型バスには、一つだけ空席があった。そこに座ると、お隣は日本人女性であった。彼女は、「彼氏が中東のドバイで仕事をしていて、自分は彼の秘書をしています。もう5年になります。今回は短期休暇を取り、一人で来ました。メコンデルタは日帰りです」と言う。


AM10:30、ミトー(My Tho)着。ここで彼女と別れた。我々は、乗船してメコン川をクルーズ。ミトーはメコンデルタの入口の町。米粉から作られるホティウ麺の本場であり、リュウガン、マンゴーなど豊富な果物の産地としても有名な町だ。ミトー観光のハイライトは、メコンクルーズ。モーター付の木造船に乗り込み、出発。


    

                メコンクルーズ開始


AM11:30、小舟に乗り換えて、近くの村に上陸し、蜂蜜農園で、蜂蜜の巣を見せられたり、錦蛇を首に巻いたりのパフォーマンスを見せられた。ただ、自分たちが降りた場所は、陸なのか、中洲なのか教えられなければ全く分からない。中洲と言っても大きいからだ。


    

                   大蛇を首に!


AM12:00、再び、小舟に乗って狭い水路をクルーズ。我々はのんびりと心地よい風に吹かれていれば良いが、地元民にとっては交通手段であり、ベトナム戦争時には、米軍からの、格好の隠れ蓑であった。水路の水は土色に濁っているが、雨期だからであって、いつも濁っているわけではないそうだ。むしろ、海の干満によって水位が上下すると言う。


    

               狭い水路をクルーズ


    

         ニッパヤシが茂る細い水路をジャングルクルーズ


PM0:45、昼食に向かう途中で、水牛の水浴びを目撃。


    

                 水牛の水浴び


PM1:00、昼食は、カナダのカルガリーに住む、学生のカップルと同席。故国は男性がコロンビア、女性がメキシコである。共に6、7年前に、カルガリーに家族で移住してきている。「なぜカルガリーなのか?」と聞くと、「カナダで経済的に最も元気なのが、カルガリーだからである」と言う。オイルやガスの採掘で元気なようだ。


PM2:00、ココナッツ・キャンディ工場見学。工場と言っても民家に仕事場があって、手作業で製品化する小規模なもの。キャンデーの出来るまでを見たが、小さな作業場で4人が働いていた。一人が飴を冷やし、型に入れて、小さく切る。3人は切られたキャンデーを、ひたすら包んでいるだけであった。出来立てのキャンデーは美味しかったが、この製法と作業場では、日本の食品衛生基準には、合格しないのではなかろうか。


    

            ココナッツキャンデー工場(包装)


    

      ココナッツキャンデー工場(型に入れてサイコロ状に切分ける)


    

           ココナッツ・キャンデー工場(しばらく冷やす)


PM3:30、「フルーツを食べながら、伝統音楽を聴くひととき」と、旅程には書いてあるが、フルーツは、すいか、パイナップル、ドラゴンフルーツ、パパイヤとありふれた果物を、一口サイズの大きさに切った物。音楽は、聞いてくたびれるような歌と演奏。チップを要求されて、心重く終了。


    

                伝統音楽を聴く


カタール在住の、オーストラリア人女性カメラマンと同席。彼女は「数日前のカタールは50℃。とても仕事をやっていられない。ラマダンにも入るし、6週間の休暇を取ってきました。夫はカタールに残って仕事をしています。カタールの良いところは、税金が無いこと」と言っていた。


PM5:30、ほかの旅程で動いていたグループが、我々のバスに合流してきた。私の隣には、ベルギー人女性二人が座った。挨拶を交わして今日の行程を聞くと、何か自分が持っている旅程と似ている。


私自身の行程は、自分の持っている旅程とは、全く合っていないので、不思議に思っていたところであった。よくよく聞くと、私の手元にある旅程は、彼女たちが行って来た通りになっていた。


「私の旅程は、何処で、どうして変わったのか?」と、ガイドに聞いても「良い方の旅程に変わったのだから、いいではないか」と言うばかりで、質問の答えにはなっていない。今朝のピックアップのミスと言い、旅程の入れ替えと言い、すっきりしない一日である。


PM7:00、カントー(Can Tho)のホテルに到着。一日の大半はバスでの移動だ。今日は、朝方のサイゴンからミトー(My Tho)までの3時間と、ミトーからカントー迄の3時間半の合計6時間半が、バスでの移動である。目玉になるのは一日一つで、後は時間つぶし的な旅程である。


カントーは、メコンデルタ最大の都市で、人口は120万人。今日、バスで移動中、何度も大きな川を渡ってきたが、その名前を聞くと何時も「メコン川です」と言う返事に、戸惑いを覚えた。このホテルの受付でその事を話すと、「メコン川は、下流に来ると9本に分かれていますから」と言う。


なるほど、そういうことだったのか。そこにデルタが出来、洪水が発生する訳だ。バスの中で、ベルギー人女性が「ベルギーは小さい国で、車で3時間も走ると、国の端から端まで行けてしまいます。メコンデルタはその何倍も広いわけです」と話していた事を思い出した。


同乗者の宿泊場所は、5カ所ほどの、ホテルや民宿に振り分けられ、私のホテルに泊まるのは、私一人であった。こういう作業は、ガイドが持っているメモに書いてあるのであろうが、何処に泊まるのか事前に知らされていないから、間違ったホテルに振り分けられても、本人には分からない。


実際、中国との国境の町、サパに行った時、車から降ろされて、チェックインしようとしたら、「あなたは、こちらのホテルではありません」と言われて、再移動したことがあった。

PM7:40、ホテルのレストランで、客が私一人だけの食事。どんな食事になるのやら、夕食もあらかじめセットされているから、考える余地はない。待つこと10分程で、出てきた料理は、ベトナムに来て一番美味しく感じた物でした。


食後、近くを散歩していると、川辺に出た。その光景は、アメリカのニューオーリンズで見た、ミシシッピー川を思い出させてくれた。夜景に包まれ、広くゆったりした流れの中に、大きな船が何艘も浮かんでいた。


ホテルの反対側まで歩いて来ると、車やバイクが激しく行き交う、大きな5叉路に出た。そこの一番目立つところに、「三菱」と「ソニー」の電光掲示板が輝いていた。

PM8:40、ホテルへ帰着。


7月11日(木)カントー〜カイラン(Cai Rang)〜チャウ・ドック(Chau Doc


AM5:00、起床。

AM6:30、朝食。


AM7:20、ホテルのロビーから電話、「出発しますから、すぐに降りてきて下さい」と。私は「おかしいな、出発はAM7:50のはずだが」と思っていたら、フィフティーンをフィフティと聞いていたことが判明。私だけが遅れたようだから、私だけが間違えて聞いたのであろう。よくある間違いではあるが。朝食を早めに済ませて置いて良かった。


船着場まで行く途中、昨夜、夕食後の暗闇の中で見た、メコン川沿いを歩きながら、再びニューオーリンズのミシシッピー川を回想していた。


    

              カントーを流れるメコン川


    

            河岸の遊歩道を歩いて船着場へ(カントー)


AM7:45、乗船。メコンデルタ最大の水上市場、フローティング・マーケットへ出発。そこへ行く途中で、昨夜、あちこちのホテルや民宿に泊まった人を、小舟に乗せて運んでくる。そして、こちらの少し大きな船に横付けして乗せ替える。


手荷物を小さくしておいて良かった。こんな時、つまり、船から船に移動する時に、大きなトランクを持っていたら、身動きが取れないと思う。


30分のクルーズで、カイランの水上マーケットまで来ると、大きな船にパイナップルばかり乗せた船や、スイカばかり乗せた船等が、近隣から集まってきており、市場はそれらの船で混雑していた。小さな舟は農家の舟、大きな船は卸商人の船だ。彼らは、卸売りが目的で来ており、全部売ったら地元へ帰る。売り切れるまで、何日でもそこにいる、と言う生活のリズムである。


    

              スイカだけを乗せた船


    

              パイナップルだけを乗せた船


そこへ我々のような観光船が入っていき、更に、我々観光客相手の、物売り舟が参入してくる。母親と小学校高学年位の息子が乗った小舟が、懸命に我々の船に接近して、「飲み物や果物を買わないか」と呼びかけてくる。私は、欲しい物はなかったが、息子の真剣さと、上手な舟の操縦に感動してチップをあげた。


    

             バナナを買わないか?


小舟は波が立つ中を、近付き過ぎて、ぶつからないようにしなければいけない。しかし、離れてしまっては、物を売ることは出来ない。更に、波に揺られて不安定な舟の上で、立っていなければならない。これらの絶妙な感覚と、それを可能にする繰縱が出来て、初めて1本のジュースを売ることが可能になるのだ。


    

             観光船から離れないように


暫く観光していると、パイナップルを、その場で食べさせてくれる船に出会った。美味しそうだったので私も1本買って食べた。甘くてジューシーで、あっと言う間に丸ごと平らげてしまった。食べた後、口の周りの、ベトベト、チカチカが、上陸して洗面するまで続いたのは、誤算でした。


    

              ジューシーで甘かった!


AM9:00、「ベトナムのアマゾン川」と言われるところを通って、フルーツガーデンへ。そこには、ドラゴンフルーツ、ココナッツ、ジャック・フルーツ、パパイヤ等、様々な木々が植えられており、果物の豊富さを感じた。


           

       ドラゴンフルーツ               ココナッツ
 

           
       ジャック・フルーツ              パパイヤ


見学の最後に、お店で食べたマンゴスチンは、甘酸っぱくて美味しかった。10,000ドン(約50円)。


    

         左からバナナ、ジャック・フルーツ、マンゴスチン


ただ、この行程は、私たちの旅程には入って無いから、追加金40,000ドン(約200円)を払って下さいと言うことに。私は素直に払ったが、隣に居て、私とは別の旅程表を持っていたオーストラリア人女性は、旅程表を読み直し、


「昨日の旅程の中に、フルーツガーデンに行くと書いてあったが、行かなかったよね。だから今日のは、その埋め合わせだわ」と抗議して、とうとう払わなかった。要求していたガイドも、たじたじになり、諦めたようだ。言葉で喧嘩ができる事の強みを、つくづく感じました。


AM10:00、ヌードル製造工場の見学へ。ここは、米粉からフォー等のヌードルを製造している。その殆どの行程は、正に手作業である。米粉を溶かせた熱湯から、ピザ生地より、更に大きくて薄い生地をすくい上げ、それを天日で乾燥させて、最後は機械で千切りにする。気が遠くなるような手仕事である。


    

              ヌードル製造工場-1


    

              ヌードル製造工場-2


    

              ヌードル製造工場-3


PM0:00、昼食。私の昼食代は既に旅行代金に含まれているはずなので、その旨をガイドに確認すると、「確かに含まれています。だから何を食べても良いが、100,000ドン(約500円)以内にして下さい。オーバー分は自己負担です」と言う。


私は、イギリス人カップル、オーストリア人カップル、それに、既述のオーストラリア人女性写真家の居るテーブルで、懇談しながら食べた。


20歳代のイギリス人カップルは、「6ヶ月の予定で世界各地を巡っている。今ちょうど半分が経過したところだ。今までの仕事は辞めてきており、旅行が終わったら、どこかで新しい仕事を探します」と言う。長期旅行の2人を見ていると、何故か緊張感が無く、惰性で旅行をしている様に感じたのだが、勝手な思い過ごしだろうか。


オーストリア人カップルは、30歳前後か。「ザルツブルグが舞台になった、サウンド・オブ・ミュージックは好きですか」と聞くと、「好きではありません」と言う。海外の人には人気があっても、地元の人には不評の、映画や音楽が少なくない、一例なのかもしれない。理由を聞いてみたが、はっきりした答えは聞けなかった。


カタールに住んでいるオーストラリア人写真家は、カタールの一般論として、「政府がマスタープランを示さないまま、あちこちでインフラの工事が進んでいるので、何度も土を掘り返している。そうでなくても、ほこりっぽい国なのに。工事の音もうるさいし、契約の変更が多い」と話していた。何処も良いことばかりではないようだ。


私が、「カタール航空は素晴らしいですね。スチュワーデスも綺麗だし」と言うと、彼女は「そうですね。でも、あの会社の社長は、人間的には褒められる人ではありません云々」と。「社会には、そういう話は多いですね」と私。昼食後、一泊の旅程でメコンデルタに来た人たちとは、ここでお別れになった。


PM3:15、ホテル発。昼食後、二泊の旅程で来た我々は、この時間まで自由行動。今夜のホテル着が、PM7:30と、遅かったことを考えても、何の為の自由行動であったのか、理由が分からないし、説明はなかった。今日は、午前中に、エキサイティングな水上マーケットを見学できて、満足ではあるのだが。午後はひたすら移動の時間だ。


PM5:00、ワニガーデンで、トイレ休憩。おびただしい数のワニが、養殖されていた。皮は革製品になり、肉は食用になると言う。


    

                ワニの養殖場


PM7:30、チャウ・ドック(Chau Doc)のホテル着。ここでも、私の旅程には「浮かんでいるホテル」に泊まる、と書いてあるのに、私だけが、普通の陸上のホテルに宿泊させられた。それもタクシーで移動して。


ガイドに変更の理由を聞いても「私は会社の指示通りにやっている。どうしても浮かんでいるホテルに泊まるのなら、追加料金を払え」と言う。ここでは現場のガイドに従うしかないであろうが、気分はスッキリしなかった。私は、こういう中に(つまり、旅程と実際の行動が異なっている)、ベトナムの、少なくとも旅行業界の、ひいては、社会慣習があるのではないかと考えている。


PM8:00、ホテルの食堂で、たった一人の夕食。まずくはないが、特別美味くもなかった。


7月12日(金)チャウドック〜サイゴン(Sai Gon


AM6:00、パン、コーヒー、ジュースで朝食。

AM6:40、タクシーを呼び、ホテルを出発して、昨夜、皆と別れた「フローティング・ホテル」へ。その水上ホテルを覗いてみると、あまり清潔ではなく、衛生的には心配がありそうに思えた。陸上のホテルに変更になっていたが、それで良かったのかもしれない。


AM7:10、乗船して、メコン川クルーズの開始。もう何度もクルーズをしているので、感動はなくなった。

AM7:30、メコン川に「浮いている養魚場」に、上陸して見学。これを見ると、魚に人工的な餌を与えて、太らせている様子が分かる。


    

               養魚場(メコン川)


AM7:40、少数民族の1つである、チャム族(Cham)の村を見学。彼らは、2世紀から17世紀までベトナム中部を中心に栄えたチャンバ王国の末裔である。上陸したところでは、丁度、モミガラを干しているところであった。


    

                  籾殻の乾燥


彼らは17世紀に、マレーシアやインドネシアから移ってきた種族で、4,000人程が中洲の川近くに住んでいる。イスラム教を信じ、ラマダンも実践している。新しいモスクが建っていたが、これは国の援助で建てられたものだろうか?

    
                  新しいモスク


住居は高床式だが、そうなった理由として、次の3点を挙げていた。

1、昔は、付近に猛獣がいたので、その防御の為に。

2、風を床下から取り入れて、涼しく過ごす為に。

3、洪水による水害から身を守る為に。


    

                高床式住宅


    

                 川辺の住宅


こうして見てくると、メコンデルタの豊かさと貧しさ、光と陰を見ているようである。メコンデルタの肥沃な環境が、昔ながらの農業と漁業を維持させる一方で、それが逆に近代化を妨げているような。豊富な果物や魚で生活出来るが故の現状維持は、数千年間、何も変わっていない。


AM8:30、ここで、サイゴンに帰る我々と、カンボジアに船で移動するグループとが、2隻の船に別れて乗ることに。チャウ・ドックは国境の町である。ここから、メコン川をさかのぼり、カンボジアのプノンペンへ行く船が運航している。所要時間は4時間。ビザは途中の国境で取得が可能である。我々サイゴンに戻るグループは、今朝、乗船した、フローティング・ハウスに戻って上陸。


    

         カンボジア行きとサイゴン行きの2艘に別れて


    

              カンボジアへ行くベルギー人


    

              フローティング・ハウス


AM9:00、チャウ・ドックから南西約6kmの所にある、高さ230mのサム山。この山の中腹にある、洞窟寺(Carven Pagoda)を見学。仏教の一派のようだが、岩山の洞窟の中に、色々な像が祀られている。「2匹の大蛇と女性」の話があり、それらの像も彫られていたが、素性はよく分からない。ただ、この岩山の境内からは、カンボジアとの国境が間近に見えた。


    

              サム山中腹の洞窟寺へ


    

            洞窟寺の境内からは、カンボジアが見える


AM9:50、洞窟のパゴダを出発。私の旅程では、この後、「きれいなクルーズ船に乗って、サ・デック(Sa Dec)の町まで戻る。この時間は最高に楽しくリラックスできる」と書かれている。こう書かれていれば、誰でも楽しみにしているでしょう。ところが実際の旅程にこの計画はなく、「後はひたすらサイゴンに向かって帰るだけ」なのである。


PM0:00、昼食。ガイドの隣席に座って「どうして、こんなに旅程が変更になるのか」と聞くと「それはどこの会社の旅程なのか。うちの会社の旅程ではない」と言って話にならない。


しかし、私の旅程に乗っていないところへ行く時は、その分の追加の費用を請求してくるのだから、私の旅程が分かっているはずなのである。現場のガイドに言っても、らちがあかない事を認識させられるだけであった。


PM7:00、ホテルへ無事帰着。道路事情の悪い中、ひたすらホーチミン・シティを目指して帰ってきた。300km位走ったのであろうか。日本の高速道路なら、3時間の道程だが、ベトナムでは、昼食時間、トイレ休憩を入れたにしても、9時間掛かっている。おつかれ様!


PM7:30、夕食は、一度食べておいしかった、ピザハットの店で。116,000ドン(約580円)。今回も美味しかった。その後、通りをぶらついていたら、散髪屋が目に入ったので覗いてみた。アメリカ人の客が散髪中であった。


少し待っていると私の番になった。ベトナムで初めての散髪だ。どんな風にされるのか、期待と不安が交差する。まず、櫛とバリカンで短くカットする。これは普通のことだ。次に顔のひげ剃り。こんなに痛いひげ剃りは初めてである。


そして、床屋のお兄さんは、何か言っているが、ベトナム語がさっぱり分からない。黙ってやらせておくと、今度は、顔パックを始めた。私は生まれて初めて、顔パックなるものを経験した。そしてその間に、別の女性が耳の掃除を始めた。


これが下手くそで、耳の奥まで金棒を入れているらしく、チクチク痛い。さすがに止めてもらった。顔パックも、本当はもう少し長い時間掛かるようであったが、おしまいにしてもらった。最後は洗髪である。


洗髪台に乗せられて洗うのだが、これも下手くそで、シャツの襟がビショビショになってしまった。これだけやって、締めて120,000ドン(約600円)。後で聞いた話では、普通の散髪屋なら、ちょっと良い所でも、30,000ドン(150円)だそうだ。観光客相手だとは言え、荒稼ぎをするものである。


「ハノイの人はズルイ」と言っているサイゴンの人が居たが、「ズルさ」に関しては、「サイゴンの人だって、負けてはいない」と言うのが、私の印象である。兎に角、今のサイゴンやハノイの街は、観光客であふれており、それらの人を、手ぐすね引いて待ちかまえている業者も、またあふれているのである。


7月13日(土)ホーチミン・シティ


AM5:00、起床。

AM7:00、朝食。

AM10:20、日本語学校の方から「迎えに行く予定であったが、行けなくなったので、タクシーで帰ってきて欲しい」と言う電話が入る。


AM10:30、チェックアウト。タクシーで日本語学校を目指すが、ひどい渋滞と、タクシーの運転手が地理に疎いのとで、要した時間は1時間40分。


PM0:10、日本語学校に帰着。ディン君が迎えてくれた。


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