8月10日(金) 今日は、授業終了後、今給黎さんと瀋陽へ、2泊3日の小旅行へ出発する日である。今朝、1時間目の授業中に副院長から呼び出しを受けた。行ってみると「今日のAM11:30に頼んであった学校の車両は先約があって使えません」と言う。何のために何日も前から話していたのか、日本でなら、「それはないでしょう」と言うところだが、それがお国柄なのか。 結局タクシーを頼んで大連駅まで行くことに。150元也。院長に話したときは「問題ありません」と言い、副院長に予定の時刻表を書いて渡した時は、「分かりました。手配します」と言っておいてこの様である。同僚が言うには「肝心の運転手と連携を取っていなかったのでしょう」ですと。 大連駅の近くの両替所で若干の両替をした後、来週訪問予定の丹東までのバスチケットを購入。100元也。チケットには油代として16元が加算されていた。 大連駅に入り、セキュリティー・チェックを終えてから待合室へ行くと、そこは人、人、人。乗客が改札を待っている。「こんなに沢山の人が乗れるのだろうか」と心配になってくる。発車の20分ほど前に改札が開き、人が動き出した。改札を通って列車に乗った時は発車寸前であった。 我々二人の前に座っていたのは、我々と同じ瀋陽迄行く4世代の母娘。一番上が76歳、一番下が3歳。すると中の二人は27歳と51歳前後の母娘と言うことになる。よく似ている。写真を1枚取らせてくれと頼むとポーズを取ってくれた。 4世代の母娘 列車の乗り心地は予想していたより快適である。乗客は日本のそれより賑やかで、ひっきりなしに何かを口に運んではいるが。発車してから初めて停車したのは3時間後で、大石橋市駅であった。 さらに1時間後、生まれ故郷の「鞍山駅(アンシャン)」に停車。停車中に駅名をバックに記念写真を1枚、同行の今給黎さんに取ってもらった。鉄鋼で栄えた町とは言うが、駅を見る限りサビレている印象しか持てなかった。再度見学にくることがあるだろうか。車窓から見える太くて高い林立する煙突が、鉄鋼の町であることを物語っている。 鞍山駅のホームにて 鞍山駅 列車は定刻より20分遅れて、PM6:15に瀋陽駅に到着。これはほんの数日前に運転区間で発生した洪水のために、数日間運休を余儀なくされた辺りを徐行運転した為である。運転再開が昨日だと言うから、我々はラッキーであった。 瀋陽駅は遼寧省の省都と言うだけに大きかった。降りていく人の流れに付いて行き、改札口を通過して駅の外へ。私は今給黎さんに付いて、予め予約してくれていた、駅の近くのホテルへ向かう。今給黎さんは、地図を見て念頭に置いた方向へどんどん歩いていく。ところが、いくら歩いても駅のそばにあるはずのホテルが見当たらない。 瀋陽駅のホーム しばらく歩いた後で、通りにあった公安所で道を尋ねると、聞き取りにくい発音で(これは今給黎さんの話。私には全く聞き取れない)「今来た道の反対方向だ」という。「とりあえず駅まで戻りましょう」と言うことで、かなり歩いた道を引き返す。 駅に戻って出入り口を見ると、そこには「西口」と書かれていた。ここまで経過して、ならば「東口」があるのではないかと気が付いた。駅員に尋ねると案の定、駅の反対側を指さしている。やれやれと思いながら駅の中を通って反対側に行こうとしたが、通路が見つからない。 瀋陽駅の西口 駅構内はセキュリティー・チェックを受けた乗客以外は入れないのである。我々は広大な駅の外側にある一般道路を迂回するしかなかった。東京駅で丸の内口に出た人が、駅の中を通らずに八重洲口にいかねばならない事を考えれば、その迂回がどうなるのか、想像して頂けると思う。 こうしてホテルに辿り付いた時はPM8:30を回っていた。なんと数分で着くはずの処を1時間以上ほっつき歩いていたのである。やれやれご苦労さん。しかし、瀋陽駅の周りの雰囲気を十分に堪能でき、きっと明日の観光に役立つことでしょう! ホテル「和平賓館」のロビーでチェック・インする時に、またまた驚いた。宿泊代は朝食代込みで150元。二泊するので合計しても300元にしかならない。それなのに補償金を含めて500元払えと言う。宿泊代の前払いなら、聞いたこともあるが、「それに加えて7割近い補償金を払え」とは聞いた事がない。 「何のためにそんな事をするのだろう」。今給黎さんと話し合って出た結論は、「宿泊客が部屋の中の物を持っていかないように」であった。この国では「お客様は神様だ」と言うより、「人を見たら泥棒と思え」の考え方が現実的なのかも知れない。 部屋に入って、またまた驚いた。床に敷かれている絨毯は、外に捨ててあった物を拾ってきたかの様に、汚れて擦り切れている。エレベーターの向こう側半分は、改修工事中であるらしく、ゴミと資材が散らかり放題で目隠しもされていない。旅行ガイドブックの「地球の歩き方」に紹介されていたので、安心していたのだが、今給黎さんも「こんなに汚いホテルは初めてです」と驚いていた。 部屋に荷物をおいて夕食に出る。「毎日中華料理を食べて食傷気味なので、韓国料理にしよう」と意見がまとまったのだが、韓国料理店を見つけることが出来ず、結局中華店でラーメンを食べて帰る。11元也。 8月11日(土)晴れ AM8:00、朝食。 AM8:40、出発。まず瀋陽故宮博物館へ行こうと地下鉄の駅を目指す。途中、通行人が大勢行き交う歩道いっぱいに、ビニールシートを広げて、雑貨を売っている人がいた。歩く人は歩道を歩けず車道に降りて歩いている。「自分さえ良ければ」がここでもまかり通っている。今給黎さんは、「他人に配慮し、遠慮していたら生きていけないのでしょう」とその背景を語っていた。 さて肝心の地下鉄駅だが、今給黎さんの感と確信に任せて探し歩いていたが見当たらない。結局タクシーを拾うことに。故宮博物館まではかなりの時間乗ったが、21元で済んだ。 瀋陽の故宮博物館(入場料:70元)は清朝黎明期(初代ヌルハチ、2代ホンタイジ)の宮殿で、1644年、北京入城以前の王宮であった。北京の故宮とよく似ており、北京のそれより幾分小さめである。 瀋陽の故宮博物館入口 張氏帥府博物館 次に訪ねたのは張氏帥府博物館(入場料:60元)。ここは奉天系軍閥の首領としてその名を馳せた張作霖と、その長男・張学良の官邸兼私邸。 1928年、張作霖が、蒋介石率いる北伐軍との決戦を断念して満洲へ帰る途中、彼の乗った特別列車が関東軍の謀略により爆破され、瀕死の重傷を負ったとき、運ばれた場所がこの建物である。いかにも中国北方の最高権力者を彷彿とさせる邸宅ではあった。 ここで昼食。冷麺を食す(8元)。酢の入った冷たいスープは、暑い中を歩いて来たので美味しかった。 次に目指したのは、清朝第2代皇帝ホンタイジの陵墓がある昭陵。そこまでは地下鉄で行くことにする。中国での地下鉄は初めて利用する。自動販売機の横に立って、切符の買い方を見学する。タッチパネル方式になっていて分かりやすい。まず路線番号、次に行きたい駅名、そして人数にタッチすると金額が表示される。現金を入れて確定をタッチすると切符と釣り銭が出てくる。大変分かりやすく簡便である。 地下鉄のホーム 路線は2本だけで8分間隔の運転。ホームには全てセーフティ・ガードが設置され、この点は日本より進んでいるのではないか。車内は明るく綺麗である。中国にもこんな所があったのかと驚いた次第。ただし、乗客が降りている最中に、それを押し退けるようにして乗ってくることは頂けないマナーである。 さて、昭陵(入場料:70元)は、広大な北陵公園の中にあった。公園に入るとすぐの処に、「愛新覚羅皇太極」の巨大なブロンズ像が建っている。これが1625年から1945年の終戦まで続いた清王朝・第2代のホンタイジである。最後の王が日本が満州国設立に当たって利用した「愛新覚羅溥儀」である。 愛新覚羅皇太極 公園の中は有料(5元)で運んでくれるカートが運転されていたが、我々はその 誘惑に負けず歩き続けた。公園内は綺麗に手入れが行き届き、人造湖では家族連れで船遊びを楽しむ姿が見られた。 公園内の人造湖 ここの入場料は70元だが、その内訳は、本券が50元で副券が20元である。園内を見学して、本券は良いとして副券に何の意味があるのか疑問が生じた。と言うのは、その副券を使って見学するところは、薄暗く汚れた小屋風の小さな建物であった。しかも、展示物は見ても仕方のない様な物ばかりである。 訪れる人も少なく、入場券をチェックするおばさんも、「こんな所に何をしに来たの?」みたいな顔をしていた。事前に知っていたら絶対に買わないであろう。そう言えば故宮博物館にも10元の副券が付いていたっけ。 次は地下鉄(2元)と、バス(1元)を乗り継いで西塔街にある中国最大規模のコリアンタウンへ。かつて朝鮮族居住区だったここは、ハングルの文字があふれている。1軒の韓国料理屋で夕食を取る。昼食に続いて本日2度目の冷麺(20元)を食す。油にまみれた中華料理から解放されて幸せな味でした。 西塔街のコリアンタウン 路線バスに乗ってホテルを目指したが、ここでまた信じられない光景を見てしまった。バスの中で大声で長々と携帯電話で話している姿には、もう驚きはしないが、何とそれを30歳前後の女性運転手がやっているのである。それも我々が乗ってから降りるまで長々と、しかも声や顔の表情から、電話の相手は彼氏のようだ。 瀋陽市の交通ラッシュの中を、片手でハンドルとクラッチを操作し、携帯電話は片時も放さないのである。「開いた口がふさがらない」「目が点になる」とは、こう言う時のことを言うのであろうか。あまりの光景に降りるべき停車場で、うっかり降り損なって、一駅先まで行ってしまった。 PM6:30、無事ホテルへ帰着。お天気にも恵まれ、よく歩いた! 8月12日(日)曇り ホテルで中華料理の朝食を済ませ、AM9:00に出発。まず最寄りの地下鉄「瀋陽駅」へ。こちら側(東口)から見る列車の瀋陽駅は全面工事中で、近くには寄れないが、事前に聞いていたとおり、確かに東京駅とそっくりである。駅の反対側は、近代的な様相を呈して、東京駅とは似ても似つかなかった。一昨日、瀋陽駅に降りて駅舎を振り返ってみたとき、聞いていた物と全く建築様式が異なるので「変だな」とは思ったのだが。 瀋陽駅(東口) さて我々はここから7つ目の「五里河駅」まで行く(2元)。今日はここ瀋陽を流れる川、渾河(コンハ)を見たいと私が希望した。この川は元々、瀋水(シンスイ)と呼ばれていて、水の北側を「陽」、南側を「陰」とする風水の考えにより、川の北側に開けたこの地域を瀋陽と名付けたのが地名の由来である。 行ってみると想像以上に大きな川幅を持ち、そこに大きな橋が架けられていた。現在は川の南側にも高層建築が建ち並び、将来はニューヨークのハドソン川の様な光景になりそうだ。川岸では地元の男女が釣り糸を垂れ、ハゼに似た魚を沢山釣り上げていた。夕飯のおかずの一品になるのだろうか。
渾河(コンハ)の釣り人 次に目指したのは、地下鉄で5つ目の「市政府広場」駅の近くにある瀋陽迎賓館(旧奉天日本総領事館)。ようやく見つけた「瀋陽迎賓館」の名前は、建物の後ろ側から見た文字で、前方に回ると、それも別の名前になっていた。まして「奉天総領事館」の名前はどこにも見当たらず、ただ広い屋敷の木立庭園が昔のそれを忍ばせていた。 瀋陽迎賓館(旧奉天日本総領事館) 瀋陽迎賓館(旧奉天日本総領事館)の庭園 AM11:00も過ぎたので、そろそろ帰りの列車が気になる。帰りの列車の乗車駅は、来たときに降りた駅よりも5Kmほど北に位置する「瀋陽北駅」である。ここは地下鉄で2駅先の「瀋陽北駅站」駅の目の前にある、はずであった!! ところが地下鉄を降りてから分かったことは、列車の駅の地下鉄側は大規模工事中で全面閉鎖中であった。我々はまたしても駅を大きく迂回して反対側に行かねばならない。そこには多くのタクシーが客待ちをしている。結果から考えれば、タクシーに乗るべきだったかもしれない。しかしその段階では、「少々遠くとも歩けないことはあるまい」と高を括っていた。 瀋陽北駅(改装工事中) 駅の反対側に辿り付いたのは、それから45分後。待合室に腰を下ろしたのは1時間後の12時30分であった。駅の近所でゆっくり昼食を取る予定で、時間にゆとりが有ったので事なきを得たが、「ギリギリのスケジュールで動いていたら!」と思うと冷や汗が出る。 瀋陽北駅 考えてみると2日前に瀋陽駅で、「出口を間違えた」と思っていた事も、実は間違えたのではなく、通常の出口は工事のため塞がっていたのだ。旅の終わり頃になると失敗の原因が分かってくることは、いつもの旅と同じである。 ゆっくり美味しい昼御飯を食べる予定が、待合室のコンビニ店で菓子パン2個とジュース(16元)を買って済ますことに。 列車は定刻の13:20に発車。帰路の特急列車も東京近郊を走る在来特急と変わらない乗り心地であった。始発から満席であるが、途中で空席ができると誰ともなくサッと来て座る。それらの人に対して、検札が来て追加料金を請求することも無さそうである。 後日分かった事は:中国では座席指定料金と言う制度が無い。切符を早く購入した人は座れるが、座席が無くなると座れない。座れる人も座れない人も乗車料金は同じである。 大連駅に到着したのは、定刻より15分遅れの午後6時15分。いろいろ経験できて、思い出に残る旅になった。午後7時半に宿舎からの迎えの車を頼んであるので、ゆっくり食事が取れる。前々から希望していた日本食レストランで、キツネうどんと、お粥を注文(50元)。やっと胃袋が歓迎してくれているようであった。 来る時のようなドタキャンもなく、午後7時20分に迎えの車両が来てくれた(120元)。外は雨が降りしきっている。大連は今日、一日中雨であったという。午後8時半に宿舎に帰着。2泊3日の旅行費は総額で約12,000円也。 8月13日(月) 朝から体が重く喉が痛い。風邪気味か。午前の授業に出ることが精一杯だ。夕べ、うたた寝をしていた時、寒気を感じたのが、その兆候だったかもしれない。 8月14日(火) 昨晩、唾液を飲み込む度に、喉がヒリヒリと痛かった。今給黎さんに風邪薬を2袋頂く。喉から痰の固まりが出てくる。ひどくならなければ良いが。 昼食は韓国料理店で石焼きビビンパを食す。中国語では「石ナベ拌飯」つまり「石鍋の混ぜご飯」という意味だ。さほど美味くはないが、油料理ではない事が有り難い。(10元) 東北大学教授を定年退職された猪岡さん(71才)が今日から合流。4年前から毎年来ていて、今年は2回目だという。東芝出身の佐藤さん(72才)と旧知の仲のようだ。もう一人、本校の東京事務所・所長の高橋さんも合流。行く人、来る人様々である。 8月15日(水) 喉の痛みは幾らか減少したが、まだ痰が出る。佐藤さんが「どうやら君に風邪を移された様で体の調子が悪い」と言う。「申し訳有りません」と私。 午後、洗濯だけしてゴロゴロしていた。 8月16日(木) 東京は35℃と相変わらずの猛暑だが、こちらは25℃位で既に秋の気配がしている。喉の痰は少しずつ減少しているが、授業中、音読する時に咳こんでしまう。 PM2:00〜PM4:00、映画鑑賞。タイトルは、中国名「初到東京」、邦訳「東京に来たばかり」と言う完成して間もない中国の作品。主演は「中国から東京へ来たばかり」と言う設定の中国人男性だが、倍賞千恵子が深みのある演技で存在感を示していた。 彼女の役処は、いすみ鉄道が走る千葉県の片田舎で百姓をしており、収穫した野菜を東京まで売りに行く、俗に言う「カラス部隊」の一人に身をやつして登場する。しかし本当の姿は日本囲碁連盟の大先生であった。日本語の音声が多かったのでストーリーも楽しめて良かった。 PM6:00〜PM8:00,歓送迎会。今週末と来週始めに帰国する人が大勢いるために、帰国組の一人である、市原さん(パンイン鳥凧を趣味としている)が、音頭を取って開催の運びとなった。 皆さんは、飲んで食べて十分楽しめたようだが、飲めない私はどうしても場違いな存在になる。その上に毎日の中国料理でウンザリしているのに、こんな時も中国料理店である。アワビやホタテ貝等の海産物もなければ、北京ダックもない。四川料理は辛いだけの料理なのか?麻婆豆腐やチンジャオロース(青椒肉丝)みたいな物ばかりで、酒の肴にはなっても腹の足しにはならない。 歓送迎会 せめて「タンタン面か、水餃子でも」と思って注文すると、それは無いと言う。お茶を頼んでも出てこないので、シビレを切らして階下のウエイターの所へ。こんな状態の私が楽しかろうはずはないが、場の雰囲気を壊したくないので、ニコニコしているしかなかった。他の皆さんが楽しめたようなので良しとするか。割り勘で50元。 |