8月17日(金)

昨日、明日の授業でテレサ・テンの歌を習うと言う予告があった。「知っている曲だといいな」と思いながら楽しみにしていたのだが、教えられたのは「甜蜜蜜」と言う全く聞いたことのない曲であった。しかし中国では有名なのだそうだ。初めて聞く常先生の歌声は、美しくそして上手である。

聞いたところでは、カラオケが大好きだと言う。初めて聞く中国語の曲を50分間でマスターすることは、大変困難である。そして授業の最後には「各人が持ち歌を披露するように」と突然言われ、皆困ってしまった。私はやっとの思いで「武田節」を歌った。常先生は「聞いたことがあります」と言っていた。 

授業終了後、先週と同じ様に、今給黎さんと「丹東」へ2泊3日の旅行へ出発。体の調子は万全ではないが、大丈夫だろうと思う。AM11:30、手配済みのタクシーで大連へ(150元也)。12:45、大連着。バスの出発場所を確認後、近くのカレー店で昼食。味が中途半端に薄く、具材は貧相。残念ながら全部は食えなかった。29元也、高い!

店内のポスターに書かれている漢字の意味を調べようと、リュックサックから電子辞書を取り出そうとしたが、見あたらない!授業終了後、既にタクシーが来て待っていたので、急いで出てきたのが原因だ。授業に持っていくバッグの中から、電子辞書を取り出してくることを忘れてしまったのだ。これが無いと旅行中、心細いなー!

PM1:30、丹東行きの長距離バスは、定刻に発車。座席指定で満席である。間もなく高速道路に入る。片側2車線が綺麗に整備されている。新しいためか日本の高速道路に比べて、勝るとも劣らない。バスの中は冷房が強く、あらかじめ持参の上着を着用した。途中の景色はトウモロコシ畑が目に付く。


           
                         高速道路

人家は所々に存在する程度で人の姿はほとんど見かけない。中国は人が多いことで有名だが、その殆どが都市部に集中しているのではないだろうか。だからどこへ行っても人、人、人であるが、都市部を離れると閑散としている。それはどこの国も同じではあるが。

PM5:40、丹東に到着。途中はトイレ休憩で1回駐車しただけであった。すぐに帰りのバスの切符を購入。96元也。往路(100元也)と復路の運賃が異なるというのも不思議だが、きちんとした窓口で売っているのだから間違いは無さそうだ。

     
                        トイレ休憩

北朝鮮との国境の町である丹東は、想像していたよりも大きな町で、こちらも人と車で賑やかである。観光客が多いらしく、我々が希望した最初の2軒のホテルが、満室で断られたことも頷ける。丹東駅前の広場に建つ巨大な毛沢東像や、町並みを見物しながら予約してあるホテル「丹東昆崙商務酒店」を目指した。


     

              丹東駅前の広場

PM6:40、ホテルにチェック・イン。今回の宿は、先週の瀋陽の宿とは比較にならないほど綺麗で快適な部屋である。値段も1泊288元と、2倍近くではあるが。ここでも、補償金を含めて、2泊の宿代以上の支払い(800元)を求められたのは、前回と同じであった。

PM7:00、荷物を部屋において夕食へ。鴨緑江沿いを歩きながら対岸の北朝鮮に目を懲らすが、向こう岸が有るのか、無いのかも分からないような、漆黒の闇に包まれている。灯りが全く無いのである。こちら側のこれ見よがしのネオンと大勢が行き交う賑わいに比べ、なんと対照的なことであろうか!
 

     
                          鴨緑江沿い

広場では楽団と民族舞踊が披露されており、大勢の人垣ができている。そして路上では、北朝鮮の各種のお札をセットにした土産物が売られている。「韓国大好き」の今給黎さんは、国境の町に来て対岸を見、感慨に耽っているようだ。お札のセットも記念にと早速買われた。20元也。

北朝鮮と中国をつなぐ唯一の大きな橋には、ネオンが輝いているが、それも向こう岸が真っ暗では、どことなく寒々しい。楽しみにしていた夕食には、韓国料理店で冷麺でもと思っていたが、生憎メニューになく、韓国風の海苔巻き(キンパ)と、具沢山の野菜スープと言うことに。まずまずの味は40元也。食後ブラブラと鴨緑江岸を歩きながらホテルへ。

PM10:00、ホテルへ帰着。大きなバスタブが付いているのは、欧米人を意識してのことであろうか。お湯をたっぷりにして体を沈めていたら、床がビショビショに塗れてきた。どこから漏れているのだろう?目に見える範囲では分からない。見かけはきちんと出来ているように見えるのだが、肝心な所、目に見えない部分で欠陥がある。これもお国柄か。

8月18日(土)

AM8:00、ホテルで中華料理の朝食。

AM9:00、ホテルを出発。バスで万里の長城の東端である虎山長城を目指す。6元。

AM10:30、バスに乗り、「虎山長城は終点ですか」と今給黎さんが確認すると、運転手は「そうだ」と言ったという。それなら例え寝ていても、降り損なう心配はない。ちなみに旅行ガイドブックには、所要時間30分と書いてある。

バスは座席指定で、出発時に満席だ。ところがそのバスに途中から10人程が乗車して、ある人は運転席の隣の荷物台に座り、他の人は立っている。不思議なことが有るものだと思っていると、「公安」の車が目に付いた時、バスの車掌が大声で「頭を下げろ!」と怒鳴っている。立っていた乗客も心得たもので、さっとしゃがんでバスの外からは見えないように身を低くする。

そして「公安」の車を通過すると、再び元の体勢になる。こんなことが数回繰り返されている。車掌と乗客のアウンの呼吸で公安を欺いているわけだ。両者にメリットがあるのだろう。それらの乗客はバスを降りる時、一人が5元を車掌に払っていた。

眠ってしまった子供を抱えた若い母親は、バス停のない道路上でバスを降りると、あぜ道を歩いていった。住まいはすぐ近くなのであろう。この間、車掌との会話はなにもない。運転手はこの婦人が何処で降りるのか先刻承知なのだ。庶民の生活の知恵というのか、高級役人の賄賂に比べれば、可愛いものであろう。

処で我々二人は、ひたすらバスが終点に着くことを待っている。40分を過ぎた頃から,「もうそろそろ着くはずだ」と気になり出す。処が60分が過ぎても終点には着かない。80分過ぎた時には、とうとう乗客は我々二人になってしまった。

車掌が「あなた達は何処まで行くのか?」と聞いてくる。切符を見せて「我々は虎山長城に行きたいのだが」と言うと、「そこはとっくに過ぎたよ」と呆気にとられたような顔をしている。呆気にとられたいのは我々の方である。運転手が「我々の降りるところは終点だ」と言うから辛抱して乗っていたのに!この期に及んで「とっくに過ぎたよ」とは。

後日分かった事には、確かに虎山長城が終点のバスも有るようだ。運転手との会話の中で、何らかの行き違いがあったのだろう。

AM11:50、結局我々は終点で降り、戻りのバスで引き返すことになった。戻りのバスの発車はPM1:00だと言う。

昼食も取りたいが、店らしきものは見あたらない。近くに案内所らしき建物があったので、「この先は何があるんですか」と聞いてみると「湖があります。ここは発電所です」と言う。随分山奥まで来てしまった。土手に上がって何の変哲もない湖の写真を1枚パチリ。他にすることはなくなった。

考えてみると、少し戻ったところに住宅団地があり、そこまで行けば何か食料が有りそうな気がした。二人で歩いていると、乗ってきたバスとは別のバスから「丹東まで行くが乗っていかないか」と声がかかる。我々は「1時まで待っているよりも、このバスに乗った方がよい」と考え、誘いに乗った。

このバスはすぐ出発するのかと思いきや、我々を乗せた後、住宅団地内をぐるぐる回っている。つまり、乗客を集めているのである。しばらく団地内を走っている内に、我々が乗ってきたバスも、そうして乗客を集めている姿に出会った。

PM0:40、我々の乗ったバスがやっと発車した。車掌に「虎山長城まで」と言って運賃を払う。8元也。切符はない。35分ほど走って目的地に着くと、車掌が「ここが虎山長城の入り口です」と教えてくれた。我々はやっと目的地に着いた安堵感でホッとした。

PM1:15、バスを降りるとすぐに長城の一角が目に着いた。それは北京郊外で見た万里の長城(八達嶺)を思い出させた。虎山長城の入り口で、入場券を購入。60元也。頂上までは約1時間の道のりだ。頂上付近は如何にも急勾配だが、せっかく来たのだから頂上まで行きたい。

     
                       虎山長城の入り口

長城を歩き始めて間もなく、一人のおばさんが「ここから降りた処に”一歩跨”があるよ」と言う。私の勝手な思いこみでは、「虎山長城の頂上に北朝鮮との国境になっている、何らかの碑が建っているのだろう」と言うことであった。

ところが実際には、虎山長城の南側を流れる鴨緑江の小さな支流が国境になっていた。ここの川幅は、その気になれば本当に一跨ぎで越えられそうに狭く、数メートルしかない。国境は「鴨緑江の本流だけではなく、処によってはその支流からなっている」と言うことが分かった。

     
                       鴨緑江支流の国境

虎山長城に戻り頂上を目指す。この頃から雨が降り出した。頂上付近の急勾配に差し掛かった頃の雨が一番強かった。小さな折り畳み傘では殆ど役に立たず、濡れるに任せるしかなかった。

     
                虎山長城
-1


   
                          虎山長城
-2 

頂上にある石造りの小屋には、休憩と雨宿りを兼ねて大勢の人が居た。中には若いドイツ人男性とロシア人女性のカップルも。二人は瀋陽で働いていて、男性は中国語が話せないが、女性は流暢な中国語を話していた。頂上からは北朝鮮の畑を眼下に見ることが出来る。同行の今給黎さんは「来てみて良かった」と感動の面持ちであった。

PM2:45、思い出に残る雨中の虎山長城見学を終えて、少々疲れを覚えた我々は、タクシーでホテルへ戻ることにした。所要時間25分、36元也。往路もタクシーにしておけば、どんなに楽であったろうか。

しかし、もしタクシーを利用していたら、公安とバスガイドそして乗客との珍しくて面白い、そして何処かホノボノとした駆け引きは見られなかったであろう事を思うと、タクシーでなくて良かったのだとの結論にもなる。

汗と雨でビショビショになった衣服を取り替えたい。下着の替えは持ってきたものの、半袖シャツの替えまでは持参していない。やむを得ず下着の上に長袖の上着を羽織って外出する事に。

PM3:30、我々は昼食抜きで歩いてきたので、空腹感を覚えていた。本日、旅順からこちらに到着予定の、猪岡先生との会食時間まではまだ時間がある。まずホテルのロビーでケーキとコーヒーを食す。30元也。

会食の時間まで、時間に余裕があるので、途中で半袖シャツを物色。運良く手頃な物をゲット。50元也。別のブランド店を覗くと、2〜3万円もするシャツが売られていた。中国でもこんなに高い物を買う人が居るのかと驚いた。その後、昨夜歩いた鴨緑江岸を散策。 

                

     
                         鴨緑江

     
                        鴨緑江断橋の前で

PM5:30、待ち合わせ場所のホテル「中聯大酒店」のロビーへ。ここは丹東では最高級のホテル。ロビーには7色に輝く巨大な石が陳列されていた。これは「七彩玉石」と言われ、主に翡翠等の宝石から出来た自然の石である。1958年に按山で掘り出された。(長さ:2.56m、幅:1.5m、高さ:2.11m、重さ6.6t

     
                          七彩玉石

按山と言えば「按山玉仏苑」が世界的に有名だというが、ここには世界最大の翡翠で彫った仏陀像があり、2002年にギネスブックに認定されている。この巨大な玉石は1960年に発見され、120人の彫刻師が17ヶ月かけて玉仏に彫刻している。重量は260トンもある。

さて我々3人は、北朝鮮の国籍を持つと言う、留学生仲間の紹介により「丹東高麗飯店」で会食。ここは北朝鮮の出店だと言う。店内は50ほどの客席と小さなステージからなっている。店員は10人程で全員が若くて美人だ。これらの女性が、ステージに上がって楽器を演奏しながら歌い、踊る。演奏が終わるや、さっとステージ衣装からウエートレスに早変わり。これを交代で、きびきびとやっている。

     
                 丹東高麗飯店

猪岡先生は、ステージの彼女たちを見て、往年のキャンディーズを思いだし、私は客席で働く彼女たちを見て、40年前の創価学会の女子部を思い出していた。清楚で一途で媚びを売らず、しかも美しい。韓国語が得意で大好きな今給黎さんは「彼女達は、中国語は話せないようです。話している言葉も、韓国語とは違うイントネーションがあります」と言っていた。

PM7:30、1回目の団体さんが帰り、2回目の団体さんが店内に入ってきた。この団体は大人に引率された韓国の少年少女達であった。ステージのショーや料理も、客層により変化を付けているようだ。我々は大いに満足し「元気溌剌と働く、北朝鮮の彼女達の未来に幸せあれ」と願いつつ、8時半に店を引き上げ、猪岡先生と別れた。3人で255元也。

PM9:15、我々2人は鴨緑江の川縁を歩いて宿泊ホテルへ。大きなバスタブにゆっくり浸かった後、就寝。

8月19日(日)

AM8:30、ホテル発。

AM9:30、小雨が降る中を、鴨緑江の遊覧船に乗って、対岸の北朝鮮側を観察する。(60元)北朝鮮側の岸辺には、大小の船が折り重なるように、乗り捨てられている。何らかの作業をしている労働者が、時折姿を見せるが、殆ど生活感のない光景である。高層ビルが建ち並ぶ中国側の丹東の街に比べ、その光景の落差に息を呑まずにはいられない。

     
                 高層ビルが建ち並ぶ丹東の街

     
                         北朝鮮側の岸辺

AM10:15、中朝国境に架かる鴨緑江大橋は、中朝友誼橋と呼ばれ全長946mである。橋の上には鉄道と道路が1本敷かれていて、時折、列車や人の往来が見られる。北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)将軍が、列車で中国を訪問した時に映し出された映像は、この橋である。

     
                   列車や人の往来が見られる

数十メートル離れたところにあるのが、鴨緑江断橋だ。これはかつて日本が建設した鉄橋だが、朝鮮戦争中にアメリカ軍の爆撃により破壊された。今では観光用として橋の折れた場所まで歩いて行ける。対岸の北朝鮮を眺めるのに格好のスポットである。入場料30元。

     
                         鴨緑江断橋
-1

     
                      鴨緑江断橋
-2

AM11:15、韓国レストランで昼食。冷麺:25元。

     
                         冷麺

PM 0:15、大連行きのバスターミナルへ。

PM 1:00、バスは定刻に発車し、来た道を帰る。

PM 5:00、バス、定刻に大連着。

 

駅前の和食レストランで「キンキの煮付け」、味噌汁、ご飯。75元也。中国に来て初めての魚料理に舌鼓。

予約のタクシーが来るまで、書店で時間つぶし。今の中国語のレベルで購入する本は見あたらなかった。それに英語話者向けの中国語教材は沢山あるが、日本語話者向けの中国語学習書は殆どない。大連においても日本語は少数派であることを実感する。

PM7:20、迎えのタクシーに乗る。

PM8:35、旅順の宿舎に帰着。(155/2人)お疲れさまでした。2泊3日の小旅行、締めて約18,000円也。 

8月20日(月)

午前、昨日、丹東から一緒に帰着した今給黎さんが、帰国の途へ。

午後、洗濯と昼寝。風邪をぶり返したような感じで、調子が悪い。旅行中は回復しつつあるように思えたのだが。

夕食後、市原さんの計らいで、綾小路公麿出演のライブ録画をDVDで観賞。大いに楽しめた。

     
                 今給黎さんが、帰国の途へ

8月21日(火)

昼食後、佐藤さんと種々懇談。

PM2:00から、映画「最後的愛・最初的愛」を観賞。日本の大手企業で働く若い男が、中国の上海に飛ばされて、意気消沈している。そんな時に、2人の女性(ホテルのフロント係の女性と中国語学校の女性)との間に同時に愛が芽生える。ところがこの二人の女性は、実の姉妹であることが分かった。果たして物語の結論は如何に?ジャジャーン!!

8月22日(水)

午後、丹東旅行記を書き上げる。

夕食は近所の韓国料理屋で、温麺を食す。麺の食感がスパゲッティのようで、期待してたほど美味しくはなかった。10元也。

8月23日(木)

昼食中に、日本で人気のAKB48が話題になった。ところが猪岡先生は、「AKB48の事は知らない。何のことですか?」との事。今時、珍しい人が居るものだ。「テレビはニュースと天気予報位しか見ません」と言う。かつて、紀子様の家にはテレビが無いと聞いて、驚いたことを思い出した。

PM3:00、このビルの掃除担当の女性に、ネジが壊れてシャワーが使えない旨を伝えてあったが、係りの男性が来て修理してくれた。その件を報告に行くと、彼女の仕事場に鉛筆で書き込みのある、古ぼけた日本語の教材が一冊置いてあった。聞くと「先日退職したリリー丽丽が置いて行ったのだ」と言う。

私が「少し教えてあげようか」と言うと「ありがとう」と言って、早速学習中のページを開き質問してきた。中国人に初めて日本語を教えてみて、その難しさを痛感することになった。それというのも、教材は初歩的な内容だが、それを中国語で説明することは、今の私には難しすぎるのである。

結局、電子辞書を間に置いて少しずつ話を進めることに。今日は1時間で終了。授業よりも余程疲れた。しかし、教えているつもりが、教えられていることも多いような気がする。

PM6:00、学校側の招待により、近所にオープンしたばかりの中華料理店で会食。総勢12名が1つのテーブルを囲んだ。田舎料理と銘打ったこの店は、野菜料理が多い。小柄のカニも一杯ずつ振る舞われ、まずまずの内容であった。

帰りの露天市場で非常食用にバナナを購入。量り売りが7本で6元也。

PM8:30、宿舎に帰着。

8月24日(金)

朝食と夕食時に佐倉茶を入れて、皆に振る舞った。「美味しい」の声が聞けて少し嬉しかった。夕食は普段見かけないコックさんがいて、一人一人に、シャブシャブの支度をしていた。それを見た留学生の中には、自分の部屋に戻ってビールを持ってくる人もいた。

8月25日(土)

土曜日は、授業がない。毎週土曜日のAM8:30に、宿舎から大連まで無料のマイクロバスが出る。旅順の宿舎から大連駅の駅前広場までは1時間半かかる。成田から東京へ行くようなものであろうか。途中一山、二山を越えていく。我々の学校は、旅順の市内までバスで30分かかる、「旅順経済開発区」という最近開けた住宅団地の中にある。

私の今日の目的は、妻からのアドバイスで「酢」を買うことである。「油っぽい中華料理には酢をかけて食べたらよかろう」と言うのである。大連には日系と思われる「久光」と言う大きなデパートがある。そこで「ミツカン酢」の他に、日清食品の「出前一丁」そして桃屋の海苔の佃煮「ごはんですよ!」をゲット。合計91元也。少々高いように思うが、長期滞在をしのぐには止むを得ない。

12:00、日本料理店の「江戸前」で、ウナギ定食。鰻重に茶碗蒸しと刺身、味噌汁、フルーツ、アイスクリームが付いて75元也。まずまずのお味でした。

佐藤さんが、日本へのお土産に月餅を買いたいというので同行。1個ずつ乾燥材を入れて包装された小さいものが、1個10元。私も1個買って味見をしたが、小豆餡といいながら杏の味がして感心しなかった。丹東で食べた大きくて胡桃の入った、一個5元の月餅の方が美味しかった。

PM2:50、帰りのバスが出発。皆、思い思いの品物を買って、PM4:20、宿舎に帰着。

間もなく帰国する佐藤さんから、余った人民元を譲っていただく。夕食には餃子が出たので、早速、購入してきたお酢が役に立った。

8月26日(日)

何処にも行かずに中国語の学習に勤しむ。とは言っても夕方になると疲れてしまった。夜はネットサーフィン。とは言っても、こちらも速度が遅かったり、見たい画面が見られなかったりで、日本ほど快適ではなく、かえって疲れを増しかねないのが実状である。

8月27日(月)

朝6時出発の予定と伺っていた佐藤さんの見送りをしようと、10分前に宿舎のロビーへ行ったら、既に出発された後だった。いつもより早く起床したためか、午前中の授業は眠かった。

今日は、朝から夜までEメールとインターネットが繋がらなかった。規制されていたのではなく、機械的なトラブルが原因だそうだ。こんな時でもスカイプは可能であったから、IT音痴の私には不思議である。

8月28日(火)

台風15号の影響か、朝から雨。大連にある多くの会社や学校は、昨日のうちに休業・休日を決めたところが多いと言う。そんな中を千葉県の稲毛から来ていた加智さんが帰国。「中国の歴史にも、地理にも興味がない」と言いながら、中国語の勉強を続ける不思議な人である。

2ヶ月目(8/289/27)の学費、107,000円を納めた。この1ヶ月の支出を計算すると、学費の他に約4万円であった。その内、瀋陽と丹東への2回の旅行代が約3万円である。

8月29日(水)

高校2年生の磯一樹君が帰国。リスニングとスピーキングに優れており、「中国人である父親の影響ですか」と訪ねると、「上海に住んでいる祖父の影響だと思います」と言う。「祖父の所へは時々遊びに行くが、祖父は中国語しか話せないから、何時とはなく祖父の話すことを理解するようになっていた」と言う。


     

                      磯一樹君が帰国

残りの留学生は6人。我々の初級クラスに3人、中級クラスに3人である。

8月30日(木)

昼食は猪岡先生と近くのイタリア料理店へ。小さな店、ナポリタンとコーヒーで40元。猪岡先生の評価は「まずまず」、私の評価は「いまいち」。先生のイギリス、マンチェスター時代のお話を伺うことができた。先生40歳、奥さんと小さな子供さんとで一軒家を借りて、1年間の共同研究。先生の専門はロボット工学。「当時はポンドが高くて、贅沢はできなかった」との事。

食後、我が宿舎に隣接した大学の売店を覗く。学生に必要な文房具、簡単な衣類や食料品がそろっている。9月から新学期が始まるので、学生たちが続々と入寮して来た。中国の大学は全寮制だとか。それに合わせて閉店していたお店や屋台も開店し、今までとは様変わりの賑やかさを呈し始めた。

それにしても何千人いるか分からない学生の、「全部が一人っ子」であることを考えると、複雑な心境になる。彼らの20年後の家庭は?地域は?中国は?経済は?今は一人が数人で支えられているが、やがて一人が数人を支える時代が来るのだ。

中国を間近に見て思うことは、確かに現在、ものすごい勢いで発展している。都市部は何処を見ても、開発、再開発の建設が進行中である。しかし個人の服装に目をやると、高級なブランド品を日替わりで楽しんでいる人と、いかにも安物を着たきりでいる人とがいて、その格差は年々拡大しているようである。猪岡先生は「今こそ共産主義革命が必要なのではないのか?」と、つぶやいておられた。

今日アメリカのオハイオ州から5人の若い留学生が来訪。学校間の交換留学だという。今年の12月まで、こちらの大学で英語を教えたり、中国語を勉強したりする予定だから、帰国時期は私とほぼ同じになる。既に中国語を2、3年勉強している人もいる。クラスは我々日本人とは別なので、食事時に、一言二言話す程度のコミュニケーションになると思われる。

「8月31日、朝8時から、9月1日、夜12時まで断水になります」との掲示がされた。ここ大連では年に数回、こんな事があると言う。大連は慢性的水不足状態にあるらしい。お風呂に入った後、風呂桶に水を貯めたが、既に水の出が悪くなっていた。

8月31日(金)

既に帰国した今給黎さんが、こちらの授業で使っている教材「中国語会話301文句」について、「人気があると言うが、私はあまり良い教材だとは思いません」と言っていたが、その理由が分かってきた。明らかな間違い、不適切な訳等がかなり頻繁に目に付き、時に学習の妨げになっているのである。これでも北京語言大学出版社からの第三版である。教材づくりにあたっての「校正の厳格さ」の問題か。

食事が済み、皿と茶碗を返却に行くと必ず「チャオラー」と声をかける女性がいる。みんなが美味しく食べているか、目配りをしているような立場の人である。食事時に、私は気になって「何と言っているのかね?」と話題にしてみたが、自信を持って答えられる人はいなかった。

多分「ちーはおらー」の事ではないかと言う人がいたが、正解であった。ご本人に何と言っているのか漢字を書いてもらったら「吃好了?」であった。つまり「お腹は一杯になりましたか? 美味しかったですか?」ぐらいの意味であろうか。中国に来て1ヶ月も過ぎているのに、こんな事を話題にしているのが実状である。

セルビア人の友人が日本に来て、東京の高雄山を一緒に歩いた時、すれ違う人同士が「チワー」と言っているのを聞いて「何と言っているのか」と聞かれたことを思い出した。「こんにちわ」と挨拶を交わしているのですと言うと、それなら分かるけど、「チワー」では全く理解不能だと言っていた。教科書で学ぶ言葉と、実際に話されている言葉との隔たりは、案外大きいのかもしれない。

今日は一日中断水。朝は風呂桶に貯めてあった水で洗顔し、夜はそれで体を拭いて寝ることに。飲料水は市販の水が配置されていて、自由に使えるので助かっている。


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