10月1日(月) 1ヶ月間滞在した川口氏が帰国。今回来訪の目的は、日本で「当校への留学生を募集する代理店をやりたい」と言うことでの現地調査にあったようだ。自ら中国語を勉強したいのではなく、他人を送り込んでその手数料を頂くと言う商売である。いろいろな考えの人が居るものである。彼が成功すれば、当校もハッピーではあろうが。 今日は中国の国慶節であり、世間は1週間前後のゴールデンウィークに入った。しかし、当校だけは授業が行われている。若い先生の中には、「友人から旅行に誘われても断らねばならない」自分の境遇に、口惜しさを隠せない人もいる。 10月2日(火) 授業中に、テレサ・テンが歌う「小村之恋(ふるさとはどこですか)」の歌詞の解説があった。意味が理解できると更に親しみを覚え、口ずさみたくなるものである。 10月3日(水) PM5:30から送別会。53元也。2ヶ月間に5回目だ。2週間に1度の割合でやっている。それだけ人の出入りが多いと言うことである。何時来ても良く、何時帰っても良い。多くの人は、1ヶ月前後の期間で来ている。しかし、実際のところ1ヶ月間では、やっと馴染んで来たところで、「はい、オシマイ」になってしまい、言葉の習得には中途半端である。しかし、長期間を希望していても、事情が許さないのも現実かと思われる。 10月4日(木) 昼食時に、ある婦人が「どこかドライブに行きたい」と言ったところ、田副院長が「今日は天気も良いので」と即決し、PM3時からマイクロバスでお出かけ。行き先は旅順西駅。 ここ(遼東半島の旅順西駅)から渤海湾を横切り、山東半島の煙台行きのフェリーが出ている。これは中国で最も長距離(185km)の海上鉄道フェリーで、鉄道貨物車50両、トラック50台等を運ぶことができる。一日3往復。片道7時間の旅費は、3等(180元)から特等(980元)まで色々である。この後、近くの漁村・漁港に寄って、PM5:00過ぎに帰着。久しぶりのドライブ日よりでした。
先日通販で購入した中に、パソコンでは画像が映らないDVDがあったが、中国製の再生専用機にセットすると、それが映ることがわかった。何らかの制約があるのだろう。 10月5日(金) 蝶野さん夫妻が帰国。夫婦で中級コースに参加。会話力は奥さんの方が上と見受ける。奥さんは「自宅では、炊事をしながらでも、常に中国語のテープを流して、聞くようにしています」と言われていた。ご主人にその事を伝えると「女は、そういう事ができるが、男は何かしながら別のことをする、と言うことが不得手だ」と言っておられた。 10月6日(土) 秋のゴールデンウィークで、大学の授業は休講中である。大学で英語を教えているアメリカ人の学生たちも、休暇を利用して北京旅行をしていたが、ほとんどの人が戻って来た。 10月7日(日) AM8:30、学校の計らいで、旅順港を一望できる白玉山にドライブ。ここには日露戦争終結後、連合艦隊司令長官の東郷平八郎と陸軍第三軍司令官の乃木希典が、日本兵の慰霊の為に建てさせた、高さ66.8mのが塔がある。こんなに狭いところを奪い取るのに、25000人もの日本兵が犠牲になったという。 旅順市街からゆっくり歩いても1時間ぐらいで登れる山である。晴天に恵まれ、眼下に旅順港がよく見えた。旅行ガイドブック「地球の歩き方」には、入場料が10元となっているのに、実際には40元であった。それだけ値上げが激しいのだろうか。日本でなら入場料を取るような所では無いのに。 AM10:15帰着 10月8日(月) 一ヶ月前に帰国された猪岡先生から「そちらはどんな様子ですか?」とのメールを頂く。中国語の勉強中に、ノートに整理することが出てきたのは、少しずつ勉強が進んでいるのであろうか。何でもいいから前進している事を実感したいものである。 10月9日(火) 中国ではインターネットの普及率が高いと聞いていたが、実際にこちらに来てみてその事は実感している。様々な当局による規制があるにも関わらずである。例えば映画などは、正式に配信される前にネットで看ることが出きるし、音楽に至っては、「おそらく料金を払ってダウンロードしている人は居ないだろう」と思われるほど簡単に手に入る。 若い人の生活はインターネットを中心に動いているかのようである。その背景にテレビ放送のツマラナサがあると思う。数日前に書いたように、こちらのテレビでは全てが建前の事しか言えないようになっており、退屈なのである。「テレビは年寄りが見ています」とは、若い人の言葉である。 10月10日(水) 大内さん夫妻が明日帰国される。私より半月ほど先に来て、3ヶ月間滞在しておられた。ご主人が中級、奥さんが初級コースである。二人とも去年に続き2回目の来訪で、よく勉強されていた。学ぶべき事多し。 10月11日(木) 昼食後、長老の高木さん(82歳)を囲んで懇談。高木さんの現役時代の仕事は、商社マン。主として穀物の買い付けを担当。1回の取引額は数十億円。北米、南米、台湾等の駐在を経験されている。中国語との関わりは台湾駐在の時からでかなり古い。 その一端を垣間見た思いがしたのは、「我々が中国語の漢字を読むときに頼りにしているピンインは、アルファベットで書いてあるのだが、高木さんが勉強されたのはアルファベッドではなく、見たことのない縦書きの記号であった」からである。北京から蒋介石と一緒に台湾へ逃げてきた女性が先生であったとの事。 「スペイン語を勉強して、貧しくとも明るく陽気な南米に、もう一度行きたいと思っていたが、いつの間にか中国語にのめり込んでしまったのは、残念である」と言っておられた。 10月12日(金) 教科書は順調に進んでいるが、一向に会話が出来る様にはならない。どうしてだろうと考えてみると、教科書は一通りの文法や言い回しを網羅しなければならないので、一生に一度使うかどうか分からないような文章が数多く含まれている。そう言うわけで、教科書を勉強しても話せるようになるとは言えない。しかし、将来きちんとした中国語を話すようになるには、やはり一通りの文法は理解しておく必要がある。「急がば回れ」と言うことか。 10月13日(土) 大連に行かず予習に当てる。仙台の佐々木さんが来訪。私が来てから3回目の来訪である。一度の滞在期間は1週間程だが、毎月のように来ておられる。そして授業は受けずに個人レッスンだけである。テキストもなく会話だけをしているという。佐々木氏独自の自分にあった学習法なのであろう。 まだ仕事もされているようで、時間に制限があるようだ。今回の来訪では、航空運賃が急に2倍に値上がりしたと驚いておられた。尖閣諸島問題で、日中関係が冷え込み、乗客数が大きく落ち込んで、航空機の便数も減らしていると言う。 10月14日(日) 高木さんを囲み5人でランチ会食。20元也。明日の月曜日に高木さんが、そして、翌日の火曜日に、福岡の2人の女性が帰国する。いよいよ残りの留学生は、2人だけになってしまう。 高木さんは御年81歳になるそうだ。歩行速度こそ幾分ゆっくりではあるが、話には味わいとユーモアがあり、頭の柔軟さには感心させられる。その振る舞いには、周りにいる者を楽しくさせて飽きさせない雰囲気がある。82歳になって、なお勉強を続けている姿勢には、教えられる事が多い。 10月15日(月) 高木さんが帰国の途に就かれた。3週間の短い滞在ではあったが、やはり別れは寂しいものである。 10月16日(火) 福岡の女性2人が帰国。田中さんはご主人に先立たれ、宋さんはずっと独身でこられた人である。福岡の中国語サークルで一緒の二人だ。田中さんは太宰府の歴史に詳しく、太宰府に話題を向けたら、泉の様にそれに関する知識が吹き出してきた。かつて、地元の郷土歴史家と、その一帯を調査して歩いたことがあったのだという。 宋さんは、弟さんが浦安のマンションに住んでいるが、幸いにも、去年の大震災による液状化の被害は免れたと言う。 10月17日(水) いよいよ二人だけの授業が始まった。教科書の進み具合が少し速くなったように思う。 PM3:00、今年のノーベル文学賞を受賞した、中国人作家、莫言(mo yan)氏の原作による、映画「紅いコーリャン」を鑑賞。「やっと平穏な生活が営めるようになった所に、日本軍兵士が来て、村人を皆殺しにして行った」と言う内容に、日本人としては、気が重くならざるを得なかった。 10月18日(木) いよいよ寒くなって来ました。厚手のシャツにジャンバーを着ています。 10月19日(金) 旅順に来て2回目の散髪。同じ店だが担当者が変わった。前回は軽く髭を剃ってくれたが、今回は髭剃りがなかった。値段は前回と同じ15元也。佐倉の床屋さんなら耳の中の毛まで剃ってくれるのだが。 宿舎に戻ってカミソリを片手に、自分で耳毛を剃ってみると思いの外、簡単に剃れたので、調子に乗ってやっていたら、耳の皮まで削ってしまい出血!注意、注意。バンドエイドを貼って様子を見ることに。 野田さんが1ヶ月の予定で来訪。8月に一度帰られての、再来である。氏は拾ってきた材料で作った自転車に乗り、カメラを担いで旅順を走り回ることが好きな人で、授業には出席していない。中国語との出会いは古く、日中国交回復直後まで遡る。ある先生の話では、「氏の会話力はそこそこであるが、読み書きの力は大した物です」との事。年齢は私と同じ66歳である。 10月20日(土) 土曜日恒例の大連へ。とは言っても、日本人は昨日再来の野田さんを含めて3人だけ。これで学校のバスを出してもらうのは、いささか気が引ける。私たちは相談の上、自分たちで列車に乗って大連まで行くことにした。その事を学院長に伝えると、「それなら、旅順駅までお送りしましょう」と言うことになった。 AM8:10、宿舎発。恐縮にも学院長自らが運転しての出発。 時刻表では、旅順発の列車は9時過ぎの発車であるから、十分間に合う。私も列車での大連行きは初めてなので、どんな景色を見れるのか楽しみである。 ところが、旅順駅に着いて車から降りた学院長が、駅員と話をしている様子を見ると何かが変である。分かったことは、「列車はここ1ヶ月間運休している」と言うのである。此処でもまた「何でも有り」の中国を見てしまった。我々は、楽しみにしていた列車での大連行きを諦めて、路線バスで行くことに。 車で10分足らずの所にあるバスターミナルまで学院長に送ってもらい、3人でバスに乗り込む。片道1人、7元也。 大連市内に入ると渋滞が激しく、終点の大連駅に着いたのは10時過ぎであった。 3人はまず、新華書店へ。私は此処で中国の地図(A4判、236頁)、中国語版マンガ、ドラえもん、それに映画「アラバマ物語」の中国語版DVDを購入。全部で93元也。野田さんは中国の詳しい歴史年表を購入されていた。 昼食は野田さんが馴染みにしているラーメン屋さんへ。私以外の二人は、ビールを注文したが、飲めない私は、お水を注文した。すると、手元に置いてあったコップが厨房に戻された。それに水が注がれて出て来る事を期待していたのだが、水は一向に出てこない。 しばらく待って、ラーメンと一緒に出てきたのは、ラーメンスープであった。スープならラーメンの中にたっぷり入っているので、小どんぶりで貰う必要はなかったのだが。中国では水は貴重なもので、サービスでは出てこないのかも知れない。言葉が不自由だと、こんな習慣の違いにも戸惑いを覚えるのであります。勘定は野田さんが「お近づきの印に」と言って払ってくれた。 大連から旅順の宿舎近くまで直行便のバスが有ることが分かり、チケットを購入。一人15元也。午後1時30分発となっていたが、満席になるや1時15分に発車してしまった。1時間半ほどで旅順の宿舎近くまで帰って来た。曲がりなりにも、自力で大連まで往復したのは今回が初めてである。 10月21日(日) 昨日購入した映画「アラバマ物語」(原題:To Kill A Mockingbird)を観賞。音声を中国語、字幕を日本語にすると、少し聞き取れた気分になる。と言うより、この映画はなかなかの名作である。「ローマの休日」と同じく、グレゴリー・ペックが主演である。 10月22日(月) 漫画「ドラえもん」の中国語版DVDを観賞。子供の漫画だから少しは分かるかと期待していたが、中国語となると話は別だ。台詞が多くて速いので、中国語の字幕が殆ど読めない。「日本語の字幕が付いていれば、少しは理解できるだろうに」と悔やまれる。 10月23日(火) 散歩中、いつもの露天市場を歩いていたら、牛の頭が売られていた。切り落としただけで、まだ角や黒い毛が付いたままである。誰か買っていくのであろうか。 此処を通る度に気になっていた果物を買ってきた。中国語を訳すとグレープ・フルーツになるのであるが、大きさが日本でみるそれとは大分異なる。宿舎に帰って、夕食時に皆で食べた。日本人4人、アメリカ人10人の食後の果物として提供したのだが、大きい割には、甘くてジューシーであった。日本の果物では、ザボンに近いと思う。18元也。 10月24日(水) 日本語教諭の谷村さんからリンゴを3個頂く。こちらの大学では時折こうした季節の物が職員に配られるのだそうだ。「段ボール一杯貰いましたので」との事。春にはサクランボが届けられたと言っていた。そして、このリンゴが美味しかったのである。 私はある種の先入観から、こちらの果物を食べることに対して、積極的になれずにいたのだが、その先入観を打ち破るほどの美味しさであった。日本のリンゴにもない、ニュージーランドで食べたリンゴとも違う、中国独特の味と食感。遅ればせながら、先日帰国した田中さんが、「少し買って行きたい」と言っていた気持ちが分かったのである。 10月25日(木) 谷村先生の勧めで、夕食後に行われている、彼女の日本語の授業を参観。対象は日本語科以外の大学生で、年末に日本語の1級試験に挑戦する頑張りやさん達である。それを見て「我々が中国語を勉強するのと同じ苦労をしているな」と思わずには居られなかった。と言うのは、我々が何の苦労もしないで発音する音を、彼ら・彼女たちは何度挑戦しても、うまく発声出来ないでいたからである。 また日本語と中国語の内、発音が英語に近いのは中国語の方ではなかろうかと思ったりしている。その根拠は、どちらにもいわゆる「巻き舌」と「抑揚・イントネーション」が有り、日本語にはそれらが無いからである。中国人の大学生の中には、英語を上手に話せる人が多いように思う。 10月26日(金) 最近は特段の出来事もないので、日記も1週間分をまとめて書くことが多い。今日もその様にポメラをたたき、妻宛に送信した。 10月27日(土) 大連の新華書店へ。映画「慕情」のDVDを探したが、中国では製作されていないようだ。名作であろうと、少しでも中国共産党批判が含まれている物は、無視されるのかも知れない。 昼食は日本食レストランでカレイの兜煮定食を食す。お味はvery good!(65元也) 10月28日(日) いつもの散歩コースを歩くと、いつもの場所で、冷たい風にもめげず、沢山の人がマスクと頬かぶりをして、ビニールシートに品物を並べただけの露天商を営んでいる。本当に、ご苦労さんです。 10月29日(月) グレゴリー・ペック主演の映画「アラバマ物語」をDVDで再聴。ペックはこの映画のおかげで、後々まで種々の栄誉に浴しているが、全体的な評価は「ローマの休日」より上と言うことかも知れない。 10月30日(火) 早朝5:00から夜の9:00まで停電!インターネットも使えない。念の為に持参してきたキャンプ用のヘッドライトが、此処で役に立った。このライトのおかげで、夕食後の一時、明るい光の中で明日の予習をする事ができた。 疲れて布団に入ったところで、電気が復旧したので、一息寝てから風呂に入った。 10月31日(水) 宿舎近くの四川料理店で昼食。鯉の唐辛子煮、ジャガイモの千切り唐辛子炒め、麻婆豆腐の3品を3人(野田、梅沢、小生)で食す。ひたすら辛いだけで、素材の味を楽しむ余裕は無かった。3人で94元也。 |