11月1日(木)

インターネットが未だ復旧せず。一段と寒さを増してきた今日この頃、部屋の空調機を作動させても、部屋が暖まるより足下に降りてくる、冷たい風の方が気になる。そこで空調機の使用を諦め、電気ヒーターを借りた。こちらの方が具合が宜しいようだ。

11月2日(金)

一人の日本人(柏木さん)が来訪。中国語の勉強に来たのかと思っていたら、違っていた。私より老けて見えたが、実年齢は不詳。「京都で日本語学校を経営しており、今回の来訪は、生徒募集が目的である。尖閣諸島の問題で中国からの留学生が激減しました。ベトナム等からの留学生が少しずつ増えてはいますが、中国の穴を埋めるまでは行きません」と経営の実状を話してくれた。

留学生を派遣してくれていた大学等を回っての営業活動である。「学生個人は日本に留学したいのだが、送り出す大学が当局の許可を得なければならず、今まで応援してくれていた学校も、態度がはっきりしない」と言う。10日間の日程で、少しでも多くの学校を回りたいようだ。こちらの宿舎には一泊しただけである。

11月3日(土)

日本語教師の谷村さんが珍しく私の部屋を訪問。何事かと思いきや「実は、昨夜10時頃、一人のアメリカ人が彼女の部屋に来て、交際を申し込まれた。夜も遅いし、明日ゆっくりとお話しましょう、と言って帰って貰った。しかし、今夜7時に彼が来ますので、7時半頃、私の部屋を訪ねていただけないか」と言うのである。要するに用心棒か、お目付け役と言ったところを依頼されたわけだ。

7時半過ぎに、偶然を装って彼女の部屋を訪ねると、二人で彼氏持参のワインを飲みながら談笑中である。「特に問題は無さそうです」と彼女。私は用事があって来たはずだから、すぐに帰るわけにも行かず、20分ほど同席してから、一冊の旅行ガイドブックを借りたふりをして退室。その後暫く懇談して、彼も帰ったと言う。彼女には既に別の彼氏がいる事を聞かされて諦めたようだ。思わぬ所にハプニングは有るものだ。

11月4日(日)

夕食は谷村さんの提案で、日本人4人がシャブシャブ店で会食。熱湯に浸すと溶けてしまう程薄く切った牛肉と羊の肉。鍋に入れると探すのが困難になるほど小さなホタルイカ。少な目の野菜。アルコールを飲めない私には、腹を満たすのに苦労した会食でした。一人40元也。

11月5日(月)

二人の女子大生と中国語と日本語の相互学習を行っている。一人は日本語専攻で日本大好きの4年生、彼女(小羽チャン)は日本語が堪能で、私から教えることは殆どなく、中国の歴史・文学等について、教えられるばかりである。

もう一人は、同じく4年生であるが、福祉科専攻で、課外で日本語に挑戦している頑張りや。彼女(王さん)はまだまだ勉強中と言うところで、私の方から教えることの方が多い。

小羽チャンには、私の瀋陽への旅行記を中国語に翻訳してもらい、それを勉強することに。自分で書いた文章なのに、中国語になると大変難しい事が分かる。今の中国語の力では、とても日記は書けないと思い知った次第。しかし、その中から少しでも、中国語を学びたいと思う。

11月6日(火)

昼寝から覚めると、タイミング良く王さんから電話。「今、教室に来ていますが、江島先生は時間がとれますか?」と。「1時間ぐらいなら取れますよ」と言って教室へ。録音された日本語の会話を一緒に聞いて、彼女が聞き取れないところをノートに書いて説明する。私がノートに書き出した段階で、彼女は50%ぐらいの意味が理解できる。

これは私たち日本人が、中国語の漢字を見れば、半分ぐらいの意味が理解できることと同じであろう。それにしても語学は「一語一語の積み重ねしかない」地味な学習である。彼女には、一通り終わったところで、私が書き出した日本語の隣に中国語を書いて貰う。こんな事からも、少しは中国語になじむことが出来るかなと期待している。

11月7日(水)

予習に疲れて一息付こうとしていると、またまたタイミング良く王さんから電話。気分転換も兼ねて相互学習へ。一緒に聞いている日本語の教材は日本で発行されていて、それは彼女たちに教えている教師(私たちが学んでいる学校の副院長)しか持っていないらしい。インターネットで調べてみると、通販のアマゾンで購入できそうだ。

11月8日(木)

小羽チャンがパソコン持参で相互学習にやってきた。私の丹東旅行記を中国語に翻訳してくれるという。そんなに簡単に出来るものかと訝っていたら、打ち込みの早いこと!すごい集中力だ。1時間あまりで6ページの旅行記を翻訳してしまった。少しでも私の中国語が上達するようにとの配慮である。

    
                  相互学習の小羽ちゃん

彼女自身は、今日でテストが終わったので、明日から彼氏の所へ行き、その後、故郷へ帰るという。ここの大学を卒業したら、日本の大学院に進みたいと言うが、希望が叶えられることを陰ながら見守りたいと思う。

11月9日(金)

13日の火曜日に仙台の猪岡先生が再び来訪される。王さんとの相互学習用のテキストを持ってきて頂くようお願いし、アマゾンにも手配をした。

今日が二人で受ける、初級コース最後の授業。いよいよ来週からは私一人の授業だ。マンツーマン方式で少々プレッシャーを感じるが、頑張るしかない。授業の進め方も速まると思うので、今まで以上に、予習に力を注ぐ必要があるかも知れない。

明日(11月10日)は、私達の結婚40周年記念日だ。「いつの間にかそんなに時間が経っていたのか」と感慨深いものがある。こうやって、やりたいことが出来ているのは幸せで、これも妻の理解のおかげと感謝の印に花束を贈った。中国からでもネットで注文できることは、本当に便利である。スカイプをした時、妻が喜んでくれていた。

11月10日(土)

猪岡先生から「注文した本が仙台の自宅に届きました」とメールを頂く。これで先生が来訪される来週の火曜日には、その本を手にすることが出来る。

バンクーバーの伸子達から、結婚記念日のお祝いのメッセージ・メールが届く。新婚の彼女たちから見れば、40年と言っても実感は無いであろう。当人達にも無いのだからそれはやむを得ない。

11月11日(日)

未明から珍しいくらいの嵐。一雨ごとに寒くなると言う。

茨城から来訪の梅沢氏が明日早朝に帰国の途に着くので、宿舎近くのうどん屋さんで、ささやかなランチ会食。小さい頃、お袋が作ってくれた懐かしい手作りのうどんの感触であった。骨付きの肉が入り、しっかり味が出ていて美味しかった。10元也。

11月12日(月)

いよいよ今日からマンツーマンの授業が開始された。どうなるのか分からずに心配していたが、今までの授業プラスαと言うことで、3割ほど授業の内容が濃くなった様に思う。疲れ方もそれに比例して、多くなるが、予習・復習を今まで以上にしっかりやる必要があると思う。

11月13日(火)

猪岡先生、今年3度目の来訪。アマゾンで注文した教材も無事到着。本当に有り難うございました。夕食時は、先生が留守中の話に花が咲いた。

11月14日(水)

オランダのネストー君から久しぶりのメール。随分苦労しているようだ。立ち上げた会社の倒産。祖母の死、母親の病気、ユーロ及び祖国セルビアの経済不安。今の会社は他人に売却して新会社を設立する。そして5年以内にはアジアに住みたいと。一つ一つ乗り越えていってはいるようだが、奮闘ぶりが目に見えるようだ。

11月15日(木)

今朝、2時間目の授業終了近くに「失神!」起床時からいつもと違う体調が気になってはいたのだが、大丈夫だろうと思って授業を受けていた時である。気分が乗らず、いつもの様に授業に集中できないながら、もうすぐ休み時間になるから、と我慢していたことまでは記憶にあるが、気が付いたら7、8人の人が心配そうに私の顔をのぞき込んでいた。

顔面蒼白、白い目をして床に倒れ込んだようだ。マンツーマンで担当していた劉先生は、さぞ驚いたと思う。意識は間もなく回復したが、力が入らない。立ち上がってソロリソロリと自分の部屋に戻り、ベッドに横になる。

マンツーマン授業で少し頑張りすぎ、疲労が溜まっているのに、寒くて熟睡できなかったのが遠因か。念の為、明日、大連の病院へ検査に行くことになった。調子に乗って走り出すとストップが掛かることは、これまでの人生で幾度も経験してきた、いつものパターンではある。

11月16日(金)

朝食を済ませ、8時前に宿舎を出発。最初に行った病院は、昨日電話で予約した病院ではないことが分かり、改めて確認し、予約した病院へ。既に11時近くになっていた。ここで心電図と血液の採取。次に心臓と頸動脈のエコー診断。昼食後、脳のCTスキャンと肺のレントゲン撮影。

3時から診察結果の説明。緊急を要するものは無いが、頸動脈にプラークが複数箇所に見られる。この状態は身体全体に存在すると考えられる。そこでこのプラークを除去する薬を処方された。

そして昨日の失神は、一時的に脳に血液が届かなくなった状態が発生したものであり、低血圧と過呼吸症候群(精神的なパニック状態)の合併症と考えられる。異常を感じたら身体を横たえて休み、脳に血液が届きやすくする事。その時に飲む精神安定剤のような物も処方された。

午後4時に病院を後にして、5時15分に宿舎に帰着。丸1日掛かりであった。学校の車で送迎され、劉先生と谷村先生が付き添いで来てくれたので気分的に楽であった。そして海外保険に入っていたので費用は一切掛からなかった。病院は日本人が経営し、日本人の医師や看護師が多く、患者も日本人が多かった。

11月17日(土)

ひねもす(終日)、のたりノタリかな。テレビを見るともなく見て、ごろごろしていた。

11月18日(日)

気分が良かったので、鉄山の朝市に野田さんと出かけた。外は寒いが朝市はとても賑わっていた。孫が喜びそうなおもちゃを見つけて購入。しかし、これが壊れないで日本まで持っていけるかどうか。

顎関節症の兆候あり。失神時に何かあったのだろうか?

11月19日(月)

野田さん帰国。授業には全く出ずに1ヶ月間滞在していた。「来年は授業に出ます」と言い残して。帰国したら東北、北海道の旅をしますと言う。独り身で自由な境涯ではあるが、新聞もテレビも見ず、パソコンは言うに及ばず、一風変わった面白い人である。

今週の授業は、通常1日3時間の所を2時間にしてもらった。私の気力が充実してきたら、また3時間にする。マンツーマンだからこんな事も出来る。有り難いと言えば有り難い境遇である。

11月20日(火)

喉が痛い。風邪の兆候だ。食欲もなく便秘が続いている。

体調が良くない。

11月21日(水)

鼻水が止まらない。

11月22日(木)

鼻水が続いている。近くの薬局で風邪薬を購入。2種類で40元。

今日は、アメリカ人にとっては感謝祭の日(11月の第4木曜日)である。宿舎の夕飯には七面鳥が振る舞われた。特別なご馳走であろうが、七面鳥が特別美味しいわけではなかった。

   
              感謝祭の夕食

11月23日(金)

今週の授業が終了。体調不良の中、何とか乗り切ったと言うのが実感である。

11月24日(土)

予習をソロリソロリ始める。復活には、ほど遠い体調だ。

11月25日(日)

概ね、予習に当てるが、はかどらない。

11月26日(月)

二時間の授業の後、3時間目は教科書を離れてやってもらったが、集中できないほど、体調的にキツかった。

11月27日(火)

「2時間で終わりにしたい」と担当の先生に言ったのだが、そのようには理解されず、3時間目も行われた。ただ教科書を離れての雑談だったので、何とか持ちこたえる事が出来た。この時と同様に、こちらの質問の意図が理解されずに、的外れの答えが返ってくることは、これまでもしばしばあった。大学で日本語を教えている先生でも、ほんの少し複雑になると、正確な意志疎通ができないのが実体である。

唇の上にヘルペスが出来た。体調が弱ると決まった所に出てくる。何年も前に医者からもらった薬を持参してはいたが、あまり古いので薬局へ買いに行った。メモを見せるとすぐに了解したようだが、奥から持ってきたのは7、8箱の薬である。軟膏を一つだけ買おうと思って来たのに、言葉が不自由だとこの様である。この中からやっと3箱に絞って退散してきた。56元。「日本人だから、この際余計な物まで売りつけてやれ」みたいに感じるのは思い過ごしだろうか?

11月28日(水)

猪岡先生が2週間の滞在を終えて帰国。短期間で、中級コースも一人だけと言うことで、希望に添ったオリジナルの時間表を作ってもらい、充実した時間を過ごしておられた様だ。今回の来訪では大変お世話になり、またご心配を掛けてしまった。今日から本校の日本人生徒は私一人である。

   
                猪岡先生帰国

11月29日(木)

日本から持参した目覚まし時計に、温度計が付いている事が分かり、室温を調べてみると、19℃を指していた。寒いという先入観があり、もっと低いと思っていたら案外低くなかった。もっとも最近になって、全館暖房が利いてきたからとも言えるが。

我々日本人向けのNHK衛星放送が視聴できる、玄関近くのロビーの気温は12℃。ここに30分も座っていると身体の芯まで冷えてくる。

全館暖房は地域ごとに行われ、ここでは約6000所帯がそのインフラを享受しているという。建物全館にパイプが張り巡らされ、その中をお湯が循環しているのだ。パイプに触っても、「冷たくはない」程度にしか感じないのだが、それでも暖房の役割は果たしているようである。

個人宅でこの方式で床暖房をしていると、室温が28℃にもなるそうだ。床面積に応じて毎月決められた暖房費を支払っていると言う。日本での水道光熱費に相当しよう。

11月30日(金)

今週も何とか乗り切った。体調は小康状態だ。私は気が付かなかったが、今朝、雪が降ったそうだ。この冬一番の冷え込みだ。


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