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7月25日(木)日本語学校
引き続きホーチミン郊外の日本語学校に滞在している。
やることが無くなって、ベトナム語を再開。入門書を開いている。
ベトナム語レッスン初級1 第8課
7月26日(金)
ベトナム語レッスン初級1 第9課
7月27日(土)
ベトナム語レッスン初級1 第10課
7月28日(日)
ベトナム語レッスン初級1 第11課
7月29日(月)
ベトナム語レッスン初級1 第12課
7月30日(火)
AM10:00、佐藤春彦氏夫妻が来訪。ホーチミン・シティまで迎えに行く。
AM11:20、ホテルのロビーに着くも、11時半の待ち合わせが、13時に変更との伝言あり。同行者のディン君に依頼して、近くの旅行代理店へ。折よく、彼の友人が勤める旅行代理店が近くにあると言う。
AM11:40、旅行代理店でカンボジアツアーを予約。話を聞いて、予め得ていた情報と余り変わらなかったので即決した。ディン君も驚いていたが、私にとっては、この旅行代理店が信用できるかどうかだけが問題であった。幸い彼の友人が勤めているし、説明の仕方も感じが良かったのである。
PM0:50、ホテルへ戻り、佐藤夫妻と合流。迎えの車で日本語学校へ。
PM1:40、チュンサン宅にて昼食をご馳走になる。

チュンさん宅での昼食
PM3:00、学校の3階にある、私の部屋でしばし懇談。
PM4:00、隣のカフェにて、ベトナムコーヒーを飲んで頂く。お二人とも、美味しいと言って喜んで頂いた。
PM5:30、毎日私が食べているお店で、ホーティウを食べて頂く。これも、大変美味しいと言って喜ばれた。
PM6:10、一つのクラスへ出て、佐藤夫妻に自己紹介をしていただく。生徒からも若干の質問があった。
PM6:30、短い滞在を終えて、ホテルへ。
PM8:00、ホテル着。
PM9:15、学校へ帰着。
7月31日(水)
再びベトナム語の勉強。他にやることがないので、暇つぶしにはなる。
ゼロから話せるベトナム語 第1課〜第3課
8月1日(木)
ゼロから話せるベトナム語 第4課〜第6課
8月2日(金)
ゼロから話せるベトナム語 第7課〜第9課
8月3日(土)
ゼロから話せるベトナム語 第10課〜第12課
8月4日(日)
ゼロから話せるベトナム語 第13課〜第14課
8月5日(月)
ゼロから話せるベトナム語 第15課〜第18課
アン君に貸してあった「ゼロから始めるベトナム語」が返却されてきた。先日、佐藤氏に日本から持ってきてもらったばかりの、真新しいものである。コピーをするなら私が使って書き込んだりする前が良かろうと思って貸したのである。
返却された本を見た時、何処と無く薄汚れているなとは思ったが、コピーをするときに汚れてしまったのだろう位にしか思わなかった。ところが、汚れているだけではなく、本の天と地が凸凹になっており、よく見ると、閉じたところの糊付けの糊が大きくはみ出しているのである。
これは明らかに本をバラバラに分解して、再び製本した状態である。上手に複製本を作っているな、とは思っていたが、なるほどそこまでやればコピーが綺麗に出きるわけである。しかし、新品の本を貸して上げた私にとっては、いささかショックであった。
ふだん、お世話になっているから、これ位のことで腹を立ててはまずいと思いながらも、心中穏やかではなかった。アン君に確認すると、「コピー屋に急いでやらせたからそうしたんですね。すいませんでした」との事。余り重大なことでは無さそうな口振りであった。
8月6日(火)
ゼロから話せるベトナム語 第19課〜第20課
ゼロから始めるベトナム語 発音〜第1課
8月7日(水)
ゼロから始めるベトナム語 第2課〜第5課
8月8日(木)
ゼロから始めるベトナム語 第6課〜第7課
8月9日(金)
ゼロから始めるベトナム語 第8課〜第9課
8月10日(土)
ゼロから始めるベトナム語 第10課の自習。
今週、自習したベトナム語の中から、アン君に質問。彼の答えは、分かりやすくて助かる。
明日の中国語のレッスンに備えて、復習。
PM7:30、カンボジア旅行のビザ申請時に必要な写真を撮りに、フォトショップへ。25,000ドン(125円)。
8月11日(日)
AM8:30、藤井先生とその教え子二人が私を迎えに来てくれた。藤井先生は、私の居る日本語学校の講師として1週間前から来られている。既にベトナム滞在6年になる方である。教え子の一人は、日系企業で働いており、電話やメールによる日本との連絡を一手に引き受けている28歳の青年で、流暢な日本語が話せる。もう一人の青年は、簡単な会話しかできないが、この秋から日本での語学留学が決まっている。
今日は、篭の鳥状態の私を、外へ連れ出し、昼過ぎまで付き合って下さった。主な行き先は次の3カ所。
1、ホーチミン・シティ行きのバス停。
2、カフェでお茶と懇談。
3、レストランで昼食、懇談。
1、ホーチミン・シティへの行き方について、スタッフの誰に聞いても、バイク以外はタクシーしか知らない。自分たちが利用したこともないので、バスの存在も知らないようである。ところが。藤井先生は「二つのバス路線があります」と言う。「今日は是非、その一つを教えて下さい」と言うことでお願いしておいたのである。
教えて頂いたバス停留所は、確かに近くはなかった。バイクで
10分ぐらい走ったであろうか。しかし、道順は単純で、覚えやすかった。そのバス停までタクシーを利用するにしても、ホーチミン・シティまでタクシーで行くことに比べれば、費用は何分の一かで済むはずである。
2、
学校からバイクで一時間ほど走った所で、静かなカフェに到着。位置的には大きな中洲を挟んで、ビエンホア市を半周した様な場所である。広い敷地の一画には、例によってホーチミン廟が建てられていた。夜になると付近には屋台が並び、若者のデートコースとして賑わうという。

静かなカフェで懇談
3、昼食をご馳走になった所は、カフェから
30分ほど学校寄りに戻った辺りで、ここも閑静で贅沢な造りのレストランであった。ここの所有者は、元役人で、今はハノイに住んでいる。そしてここは、公的な客の接待場所として造られたのだそうだ。
公的な客の接待のために、私人がその場所を用意すると言うことも、何となく臭い話であるが、その元役人は、この一帯にあるマンションを何十棟も所有しているそうな!中国で聞いたような話を、ここでも聞いてしまった。
懇談中の話は、概ね次のようである。
1、ホーチミン氏は、今やこの国では神様のような存在である。ホーチミンなくして今のベトナムは考えられない。しかし、「ベトナムをこんなに悪い国にしたのも、ホーチミン氏である」と言う人もいるそうだ。含蓄のある言葉というか、ブラックユーモアというか、考えさせられる一言である。
中国では、毛沢東が共産主義革命を成功させて、民衆を一部の資本家から解放したが、権力を握った毛沢東が、今度は権力の魔性に取り付かれ、「文化大革命」のかけ声の元に、多くの民衆を犠牲にしたことは、記憶に新しい。そして、中国における共産主義革命の評価は、今のところ功罪相半ばであるが、果たして100年後の評価は如何に?
ホーチミンは、完全に権力を握る前に死んだので、権力者としての汚れたイメージは無いが、その跡を継いだ弟子たちは、ホーチミンを利用して権力を欲しいままにしている。そう考えていくと、現在の腐敗した政府・役人を作り出した張本人は、ホーチミンだと言うことになる。
2、「日本語学校のスタッフのレベルを上げてもらいたい」とオーナーのチュンサンが言うので、スタッフを対象に日本語の講義を計画した。しかし、スタッフには、それに参加する意欲が無く、やっと始まった講義にも、回が進むにつれ参加者が減り、間もなく消滅した。
この件を藤井さんに話すと、ベトナム人は非常にプライドが高いです。「先生である私たちがどうして、生徒のようなことをしなければいけないのかと。ましてや、その光景を他の生徒に見られたら。そんな屈辱には耐えられない」と思っているはずです。それは、自分たちに日本語能力が有るとか無いとかには、関係がありません、と言う。ウーム!
3、講義日程の計画表が出て来ないばかりか、突然指示を受けて講義に出てみると、講義
を始めるべきページが全く違っている。そんなことも、一度や2度ではない。私としては講義をする前に疲れてしまいます。「なぜ講義の進捗状況が管理できないのか」と強く言ったら、その後、講義のオファーが来なくなりました。
と、藤井さんに言うと、「そうなんですよ。全くそうなんです。私は大学でも講義をしておりますが、予定表など見たことがありません。入学式、卒業式でさえ、何時になるのやら、その時になってみないと分かりません。日本では考えられない状況ですが、それがベトナムです。そして、正義感を燃やして、何とか改善しようとしてはいけません。徒労に終わるだけです」と。
この国は、全ての事が上意下達で動いておりますから、上からの指示が有れば、すぐ動き、すぐ変わりますが、それ以外は、なにがあっても関心がないのです。自分の役割以外のことには関心がないのも、同じ原理です。何処かの巨大組織と同じような話になってしまった。
4、「あちこちを掛け持ちで忙しく講義されていますが、報酬はどの程度なんですか?」と、思い切って聞いてみた。詳しい話は覚えていないが、印象としては、今住んでおられるマンションの家賃が4万円だそうである。それを払うとトントンかな位であった。
国立大学での報酬は、安くて、3ヶ月遅れ、しかも、報酬を受け取る度に何らかの証明書を提出させられる。日本では1度で済むことを、毎回要求される。その背景に、どんな証明書も簡単に偽造されているから、そもそも信用されていないと言うことである。
5、藤井さんは、広島県が郷里で、高等学校の社会科の先生をしておられた。昭和20年生まれで、私と同級生である。しかし、そのフットワークの軽快さは、とても同じ年には見えない。10歳も若く見える。そしてバイクの後ろに乗って走ることも、5時間は平気であるという。私は1時間が限度であるのに。
6、奥様が来られた時に使用されていた携帯電話を「よかったら使って下さい」と言って貸して下さった。考えてみれば、今まで、電話もなしでよく過ごせたものである。「篭の鳥」ならいらないか!
PM2:00、宿舎に戻って、3時に予約してある「スカイプによる中国語レッスン」の準備をする。先週は講師が旅行中で、レッスンが無かったので、ゆっくり復習ができた。
PM2:30、パソコンを立ち上げて、スカイプの準備をするついでに、メールのチェックをすると、なんと講師から「体調不良で病院に来ている。できれば今日の講義は延期したい」旨のメールが入っていた。少なからず緊張していた気持ちが、一気に抜けて、がっかりするやら、ほっとするやらである。非常にいい子で教え方も上手なのだが、スケジュールが不安定である。
8月12日(月)
PM2:10、昨日、藤井さんから教えて頂いたバスセンターへ、タクシーで。10分ほど走って到着。料金は51,000ドン(255円)。
PM2:20、ホーチミン・シティ行きの、150番のバスが待っていたので、成り行きで乗ってしまった。小さい頃、一人でバスに乗って町へ行った時のような心境である。10分ほど走ったところで、再び150番のバスに乗り換える。この間の料金は掛からない。
PM2:40、バスが発車。間もなく車掌が切符を売りに来た。6000ドン(30円)。この額は一駅でも、終点まで乗っても変わらない。私は初めて一人でホーチミンへ行くことに、少しの冒険心を味わっていた。ここまでは順調に来たが、「目的の駅(パスツール通り)で降りられるか」が次の課題である。途中、車掌の声に耳を集中させていたが、結果は失敗!とうとう終点のチョロン・バスターミナルまで来てしまった。

終点のチョロン・バスターミナル
PM4:00、終点着。トイレを済まし(3000ドン:15円)、帰りのバスに乗る。
PM4:05、バス発車。今度は車掌に、「パスツール通りに来たら教えてくれ」とお願いしてみた。
PM4:40、車掌が「此処だよ」と教えてくれた。そこは一方通行の狭いところであった。
PM4:45、大きなロータリーを通過すると、すぐに小さな川を渡った。この辺を目安にしておけば良いかもしれない。それにしても、バスの路線図位は欲しいものである。
途中で、一人の青年が韓国語で私に話しかけてきた。私を韓国人と思ったらしい。私が英語で「私は日本人です」と答えるものだから、彼は戸惑っていた。私の後ろに座っていた若い女性が、英語を話せたので、3人で若干のお話ができて良かった。
PM6:00、ホーチミン・シティへ行く時に、最初に乗車したバスセンターに到着。渋滞が激しくなければ途中で左折するらしいが、今日は左折ができず、そのまま信号のあるところまで直進して、戻ってきた。その間、10分位のロスがあったようだ。
PM6:10、バスセンターに待機していたタクシーに乗って、無事学校へ戻った。タクシー料金は50,000ドン(250円)。この方法でホーチミンまで行けば、全行程タクシー利用時の、6分の1の料金で済むことが分かった。所要時間も、降りるところさえ分かれば、タクシーと変わらない。
8月13日(火)
明日からのカンボジア旅行に備えて、パッキングを始める。但し
、肝心の着替え用の下着が乾いていない。明日までに乾くかしら。
時間が有ったので、「ゼロから始めるベトナム語」の11課、12課を進める。
夕方、ロビーへ降りてみると、30歳前後の入学希望者(女性)が来ていた。少し話してみると、うちの学校の先生方より日本語会話のレベルは上だと思われた。ふだん、会社で通訳をさせられているが、自分の非力さを痛感しているのだと言う。そりゃ、通訳としては力不足を感じるが、努力次第では物になりそうなレベルである。「焦らずに頑張れ」と激励した。
彼女も、日本人の講師なら受講したいが、ベトナム人
の講義なら受講したくないと言う。今日は、藤井先生の教室に出られるから良いが、藤井先生が不在の時は、彼女に教える力のある人はいない。そこにこの学校の問題があるのだが。私が心配しても仕方がないか。
8月14日(水)ホーチミン市
今朝、ちょっとしたハプニングがあった。
AM10:00、カンボジアへの旅支度を終え、机に向かっていると、階下からディンさんが上がってきて、「警察が来るので、いつも昼食を食べる店に行っていて下さい」と言う。何かと評判の悪い警察が何の用事で来るのかしら?と、一瞬不安がよぎる。
兎に角、何かとイチャモンをつけては賄賂を要求してくると聞いている。身近なところでは、交通警察がそうだと言う。カーブで、ちょっとセンターラインを、はみ出したとか、バックミラーの
支柱が短すぎるとかで、罰金を取られた事があるとアン君が言っていた。
上からの指示で、警察ぐるみでやっているから、始末が悪いと言う。これらの罰金は、事務的に処理されていないから、国庫には入らず、担当部署で山分けしているのだろうと言う。
「日本にも悪い警官がいるかも知れないが、まだほんの一部だと思う。しかし、ベトナムの警察は9割が腐敗している。だから、正義感を持って警察官になってもすぐ堕落していく。またそうしなければ、そこでは生きて行けませんから」と。
いつもの店に待避していると、30分後にディンさんが迎えに来た。「無事終わりました。用件は、営業許可証を提示せよ、と言うことでした」と言う。何事もなく、ほっとする。
この店で待っている間に、ココナッツジュースを飲んだ。その場に転がっている新鮮なココナッツの上部を、ナタで切り落として穴をあけるだけ。その穴にストローを差し込んで飲む。見ると穴の切り口すれすれまで、たっぷりと汁が入っている。南国では何処にでも転がっているココナッツだが、こんな果実も珍しいと思う。
そして種が無い。ココナッツを増殖するときは、此の実を、そのまま土に埋めるのだそうだ。つまりココナッツ自体が実であり種になっている訳だ。フレッシュで美味しかった。ココナッツは一年中有るようだが、
旬の季節もあるのだろうか?
PM0:00、チュンさん宅で、麺の昼食をご馳走になった。
PM0:30、タクシーでホーチミン・シティへ。料金は、チュンさんが負担してくれた。メーターは380,000ドンとなっていたから、約2000円だ。有り難いことである。
PM2:00、ホテル着。ホテルに着いて驚いた。今まで泊まった内では、最低レベルだ。建て直した方が良いような古い建物。受付は英語が通じない。部屋は狭くて机もなし。かろうじて個室ではあるが、手洗いの水は流れない。25ドルも払って予約してもらったにしてはお粗末だ。ただ1点だけ良い点を挙げるなら、明朝の待ち合わせ場所に近い事だ。
PM2:30、バイクタクシーを初めて使い、ベトナム縦断ツアーの弁償払戻金を受け取りに行った。場所は、そのツアーの時に使った「レレ・ホテル」の近くである。バイクのおじさんは、「その場所なら分かるから、まかしとけ」みたいな口振りである。料金は前交渉で、30,000ドン(150円)だと言う。
PM2:45、何処をどう走ったのか、さっぱり分からなかったが、無事に目的の住所地には着いた。しかし、会社名の「ベトナム・オープンツアー」の看板はなく、他の旅行会社の名前しか見つからなかった。他の旅行会社に間借りをしているような感じである。
店の中に入って名前を告げると、ハノイの本店から連絡が来ていたようで、「払い戻し精算の件ですね」と言って、500,000ドン(2500円)を払い戻してくれた。現金を渡すだけで、受領書も書かせられなかったが、ベトナム会計の裏付けは、どうなっているのであろうか。
PM3:00、次は、両替である。カンボジア旅行に当たり、若干のドルが必要だ。両替率は店によって差がある。1軒目では、1万円が95USドルと言われ、2軒目では90USドルと言われ、3軒目で100USドルと言われた。
さらに、この間に分かったことは、銀行ではベトナムドンへの両替しか、しないと言うことだ。「USドルへの両替は、旅行代理店でやってくれ」と言われた。銀行で断られるとは驚きである。此の国の金融システムはどうなっているのだろう?
PM3:30、カンボジアからの帰りが遅くなるので、後泊のホテルを予約。前回のベトナム縦断旅行の時に泊まった「レレ・ホテル」が近くにあったので、そこを予約した。20ドル也。
PM4:00、ベンタイン・バスターミナルへ行く。目的はバスの路線図を貰うこと。首尾よくゲット。惜しむらくは、もっと早い時期に手に入れたかった。旅の終盤に来て手に入れても、役立てることが出来るかしら?
PM4:10、ベンタイン市場の見学。予想通り、確かに大きい市場だ。何処を歩いていても手を引っ張られ「買って行きなさいよ」と言われる。値段を聞くと、笑うしかない位の高額な値段を言ってくる。

ベンタイン市場の入口
私が相手にしないと、すぐ半額になる。それでも、こちらの希望額よりまだ高い。結局、なにも買わずに出てきた。分かったことは「有名な市場とは言っても、観光客目当ての商売で、高いだけ」と言う印象であった。
PM4:30、カフェに寄って一休み。例によってベトナムコーヒーのカフェ・スーダを注文する。「スー」はミルク、「ダ」は氷と言う意味だ。此処で言うミルクは甘い練乳のことである。地元のカフェより、量が少なく値段は3.5倍の35,000ドン(175円)でした。
PM5:00、早めの夕食で、ホーティウを食す。いつもの店と比べると、量が少なく、味はどっこいだ。値段は2.5倍の50,000ドン(250円)でした。ホーチミン・シティは、何でも高い!さすがに少量のホーティウだけでは物足りず、途中のパン屋で菓子パンを2個とジュースを購入。69,000ドン(345円)。
PM5:30、地図と住所を手に、明朝のバス乗り場を確認に歩く。散々歩いて見つけたところは、今回のカンボジアツアーを予約した旅行会社の前であった!前回来た時は、連れてこられたので、地理感は全く記憶になかった。店の中に入ると、予約した時の女性が居て、私を覚えていてくれた。これで明朝の心配もなくなった。
PM6:00、みすぼらしいホテルへ帰着。
8月15日(木)シェムリアップ
AM4:00、起床。
AM4:40、チェック・アウト。ホーチミン・シティで営業していて、英語が全く通じないホテルであった。
AM4:50、バスの待ち合わせ場所に到着。
AM5:30、大型バスは満席で発車。
AM7:00、途中の大きな休憩所で朝食。此処でも、ホーティウを食す。他にも、カンボジアのお金に両替する人が居て、何人もの両替屋さんが、個々人に注文を聞いて、ベトナムドンをカンボジアの通貨に両替している。私は「若干のUSドルを用意していますが」とガイドに言うと、「それならカンボジア通貨に両替の必要はありません」と言われた。此処の休憩所は、カンボジアへ旅行する人が、食事と両替のために立ち寄る場所のようで、大型バスが次々に入ってきていた。
AM7:30、出発。
AM8:00、ガイドにパスポートを集められ、ベトナム側の国境(モクバイ:Moc Bai)に到着。出国手続きを、まとめてやってくれる。

ベトナム・カンボジア国境
AM8:20、再びバスに乗って、ベトナム側の国境から数百メートル離れたカンボジア側の国境へ移動する。この間にパスポートを再度集められる。今度は、カンボジアへの入国手続きである。我々のバッグもエックス線によるチェックがなされるが、ドサクサの中で形ばかりのような雰囲気である。
AM8:40、カンボジアへ入国。突然バスガイドが交代した。カンボジアにはいると、カンボジア人のガイドに交代しなければならないらしい。ベトナム人の男性ガイドは後部座席に退き、カンボジア人の美人ガイドに交代した。

カンボジア人のガイド(通称アンナ)
彼女は、父親がベトナム人、母親が中国人、そして現在はカンボジアのシェムリアップに住んで居ると言う。カンボジア語、ベトナム語、英語、そして中国語を少々駆使出来る。バスの中では、もっぱらベトナム語であるが、バスから出ると、時折、私に対して英語で話しかけてくれる。
男性のベトナム人ガイドは、ほとんど英語が通じないが、彼女の英語は聞きやすい。何処で英語を勉強したのか聞くと「英語は独学で、ガイドの仕事をしながら覚えました」と言う。背は低く、バスの外では何処にいるのか探すようであるが、バスの中で、一度マイクを手にすると、その存在感はとてもまだ22歳とは思えない位、堂々としたものである。
私は彼女のベトナム語による説明はなにも理解できないが、時々車内がどっと笑いに包まれたりしていることを考えると、ユーモアを交えて話していることが分かる。ある時は笑顔で旅行客に接し、ある時は真面目な顔で、年輩の男性に指図をし、ある時は22歳の女性の素顔が垣間見える。その変幻自在の様子は見ていて飽きない。
今回の旅行が、ベトナム人男性の、英語の通じないガイドだけで、彼女が居なかったら、どんなに退屈な4日間であったろうかと思わずにはおれない。まず、お天気に恵まれ、そしてガイドに恵まれたことは幸運であった。
カンボジアに入って、バスは片道1車線の国道をひた走っている。周りに見える景色は水に覆われた平原、所々に水田、遠くに森。何処までも広がる地平線にまず目を奪われる。オーストラリア中央の、スチュアート・ハイウエイを車で走った時は、何処までも乾燥した大地が広がっていたが、現在の雨期のカンボジアは、まるで国全体が水浸しであるかのようだ。
私の印象は間違いではないらしい。まだ雨期の半ばだからこれ位で済んでいるが、雨期の後半に入ると、さらにすごい状態になると言う。カンボジアの国土全体が大きな盆地状になっているため、雨量が多くなると、プノン・ペン当たりでメコン河に合流するトンレサップ河は、逆流し、東南アジアで最大のトンレサップ湖は、水かさを増して面積は何倍にも広がると言う。
しかし、これが乾期に入ると大地は干上がり、草木は枯れて緑が無くなってしまうと言うから、想像する事が難しい。途中、緩やかに流れるメコン川を見た。上流がラオスで、下流がベトナムだ。
AM10:00、トイレ休憩。今日は、一気にシェムリアップまで行くので、間に休憩を挟みながらではあるが、12時間の車での移動である。それを退屈させないガイドの話術には、感心するしかない。まして私はベトナム語を一言も聞き取れないのにである。
エアコンの効いた新しい大型バスでの移動は、そうでないバスに比べて何倍も楽である。誰かのブログに「バス代をケチったらひどい目にあった」と書かれていたので、どんなバスなのか心配をしていたが、予想できる最高級のバスであった。
途中、タイヤの交換で立ち往生しているバスに、何回か出会ったので、ブログに書かれていた事が真実味を帯びていた。
AM11:50、昼食。最初のカンボジア食は、まずまずの味でした。しかし、レストランの入口では、裸足の子供たちが物乞いをしており、カンボジアの貧しさを感じざるを得なかった。
食事が終わると、一人の青年が「先週、ボーイスカウトの研修で、日本の山口県、広島県へ10日間行ってきました」と、私に話しかけてきた。
あらかじめ承知の上ではあるが、今回のバス旅行はベトナム人ばかりのところへ、ベトナム語の分からない日本人の私が1人で参加したのである。果たして、どうなる事かと心配をしていたが、最初に気分を楽にさせてくれたのが、私の隣に座った30歳代の女性であった。
彼女は、会社のボスがオーストラリア人で、会社の中では英語で仕事をしていると言い、要所要所で手短に通訳をしてくれた。次に、日本語を勉強中の女子大学生が声をかけてくれた。まだ流暢とは言えないが、ゆっくり話せば何とか会話になる。英会話に例えれば、準2級と言うところか。
そして、「現役時代は中国語の教師をしていた」と言う70歳の男性が、話しかけてくれた。今度はこちらの中国語が自称、準4級だから、話しかけられても返答に困る。しかし、そんな会話でも、全く無いよりは増しである。
そして、私の隣に居る女性の母親は、元ジャーナリストであったとかで、娘よりも英語が堪能な位であることが分かってきた。段々と打ち解けてくると、英語で話しかけてくる人が増えてきた。
一人は73歳の男性で、「現役時代は海外へ行くことが多かったが、日本にはまだ行ったことがない」と言う人が、かなり流暢な英語で話しかけてきた。極めつけは、ベトナム戦争直後に、アメリカのサンジェゴに移住して、今回はベトナムに一時帰国している、という夫婦まで現れた。
こうして見ると、今回のツアー参加者は、ベトナム人の平均より、かなり教養の高い人たちが大勢居たように思う。
話は変わるが、ベトナム戦争直後に、アメリカへ移住した人(難民として?)は、再びベトナム人としての国籍が取れないのだそうだ。これは、ベトナム共産党としての方針なのであろうか。
PM0:30、昼食を終えて、バスにて出発。この後、夕食後のオプショナルツアーの売り込み。アンコールを舞台にした世界的に注目を浴びている劇だそうで、通常48USドルの所を、団体割引の30USドルで鑑賞できると言う。隣の女性は参加しますと言うから、それでは私も参加しましょうと言う事に。カンボジアの可愛いバスガイドも、こう言うところはさらりとやってのける。
PM2:30、休憩。ココナッツで喉を潤す。15,000ドン(75円)。休憩所から見る沼を写真に納める。

休憩所にて
PM2:55、出発。本日2つ目のオプショナルの申し込みは、舞台鑑賞後のマッサージ。10USドル。
PM3:45、休憩。川に掛かった橋は年代物で、その欄干にほどこされた彫刻(九つの頭を持つ蛇「ナーガ」が装飾されている)に特徴がある。この橋はスピヤン・プラプトスと呼ばれ、12世紀の末に架けられた橋である。少年たちは、この欄干から川に飛び込んで遊んでいる。

スピヤン・プラプトス橋(ナーガの欄干)

川から上がってきた少年たち
PM4:05、出発。明日午後のオプショナルツアーの申し込み(20USドル)。よく分からないが、お隣さんが参加するので私も。それにしても、私の渡された旅程では、オプショナルツアー無しで、明日の午後は詰まっているのだが。旅程が変更になるのであろうか?
ベトナム人の男性ガイドに確認すると、「変更になる」と言う。当初の予定を変更してオプションを入れてくる事は、フェアーではないと思うが、この際、美人のガイドに免じてうるさいことは言うまい。
PM5:00、早い夕食。まずまずのお味だが食欲無し。実は今朝から頭痛がしていたのだ。この頭痛は発生するまで、何時発生するのか自分でも分からない。ただ、発生してから24時間後には治まる事が通例ではある。

夕食の風景
PM5:40、出発。
PM6:00、ホテルへチェックイン。このホテルには2連泊するので、洗濯物を依頼した。ほんの少しなのに、6.6USドルも請求された。4つ星ホテルはクリーニング代も高い。2つ星ホテルなら、1〜2ドルで済むのだが。
PM7:00、オプショナルのショーへ。
PM7:15、開演。舞台奥のスクリーンに、アンコール・ワットやアンコール・トムの映像が映し出され、その前の舞台でパフォーマンスを繰り広げる。アンコール(Ang Kor)の昔を見ているような、音と映像とパフォーマンス。

「アンコールの微笑」の舞台
試みとしては悪くないが、全体の印象としては大味であった。隣の女性が「感想は?」と言うので「SO,SO(大したこと無い)」と言うと、「同感です」と言って笑っていた。これでは世界的なレベルには、ほど遠いであろうし、30ドルでも安くはない。
PM9:00、マッサージの専門店へ。男性と女性とが別々の部屋に分けられて、男性は10人程が一列に並べられた。そこに、女性のマッサージ師が来て一斉に始まり、ほとんど同時に終了する。身体の、特に足と手の関節技を得意とするようなマッサージであった。お茶を振る舞われ、チップを2ドル払ってオシマイ。
PM10:30、ホテルに帰着。ベトナムの男性ツアーガイドと相部屋。彼は暑がり屋で、私は寒がり屋。相談の結果、間を取って室温を25℃に設定。
PM11:00、就寝。
8月16日(金)シェムリアップ
AM5:20、起床。
AM6:00、朝食。
AM6:45、出発。

早朝の4つ星ホテルを出発(KINGDOM ANGKOR HOTEL)
シェムリアップに住んで居ると言うガイドのアンナが、父親のバイクに乗せられて、出発ぎりぎりにホテルに到着。父親の顔と見比べてみたが、全く似ていなかった。今日の彼女は、カンボジアに於ける観光ガイドの制服を着ている。

制服を着たガイドのアンナ
小さいながらもキリリとして、この姿もまた良いものだ。胸に小さな名札を付けており、見ると「Ms Sok Da」と書かれている。「ソク・ダ」が本名だが、通常はニックネームの「アンナ」と呼ばれている。
今日の我々は、まず、アンコール・ワットの見学へ。アンコールの遺跡群敷地へ入場するに当たって、入場券売場で一人一人写真を撮られた。その写真が入場券の右下に印刷されて来た。つまり写真付きの入場券である。それは1日券で、US20ドルとなっている。3日券とか1週間券等もあるようだ。確かに、此処の魅力に取り付かれた人なら、1週間でも通いたいと思う人が居ても不思議ではない。

写真付き入場券
アンコール・ワットは、12世紀前半に建築されたもので、ヒンドゥ教が信仰の背景になっている。この寺院は、葬儀を行うための寺院として西向きに建てられている為に、午前中の撮影は逆光線になる。
敷地内を少し歩いて行くと、まもなくアンコール・ワットが見えてきた。何度も何度も写真やテレビで見たことのある光景だ。小さな橋の手前で、「9時になったら、この地点に集まってください」と言われて自由行動になった。私は、ガイドに付いて回ることに決めた。

「9時になったら此処に集まってください」アンコール・ワット入口

アンコール・ワットを囲む堀

正面西大門
先頭に立って、中央の石畳を歩いていたガイドが、急に左下のぬかるんだ所に降りて行った。何処に行くのかしらと思いながら付いていくと、シャッターチャンスの場所があった。そこは、アンコール・ワットの5つの塔と、水面に映る5つの塔が同時にカメラで撮影できる場所であった。

アンコール・ワットを背に満足げな小生
何度も見てきた映像はこの場所から写したものであることが分かる。なぜなら、中央の石畳から写したのでは、水面に映る5つの塔は、撮れないからである。正面から写した写真だと思いこんでいた物が、実は向かって左前方にある、池の前から写した物であることが分かった次第である。
文章で書けるのはここまで。後は写真を見るしかない。アンコール・ワットは、巨大で繊細であるから、とても2時間位では見学し尽くせない。繊細な部分の1例としては、アンコール・ワットの第一回廊の内側壁面彫刻も、ラーマーヤナ物語や、マハーバーラタ物語に取材した、多くの場面が描かれている。

繊細な壁面彫刻
私は、中央塔の急峻な階段を登って、塔の上から下を見下ろしたことを思い出にしよう。そして、全体像を頭に入れたら、個々のレリーフ等はゆっくり写真集や、マニアのブログで見ることにしたい。

塔の上から撮影

カンボジア人ガイド(アンナ)とベトナム人ガイド(ディン)
アンコール・ワットが建造されるに至った歴史的背景も知りたいが、それは今後の楽しみに残しておく事にして、今日の所は、この感動だけを持ち帰ることにしよう。現代に入ってから、「ポルポト政権下で、アンコール・ワットの破壊が進んでいた」という悲しい話も耳にした。

塔を下から見上げる
AM9:00、集合場所へ戻る。ガイドのアンナを見失わないように気を付けていたので、私は無事生還。ところが此処に一組の夫婦が戻ってこない。20分ほど待ってみたが、とうとう現れなかった。ベトナム人の男性ガイドを此処に残して、我々は2台のマイクロバスに分乗し、次の見学場所、アンコール・トムへ移動。
そこは、アンコール・ワットから北へ約1キロ半行った所で、9平方キロの広さを持っている。この広大な地域の中に、バイヨン寺院を始めとする数々の遺跡がある。建築されたのは、12世紀末で、アンコール・ワットの後である。信仰は仏教が中心になっている。
アンコールの意味は「都市国家」で、トムは「大きい」と言う形容詞である。従って、アンコール・トムの意味は「大都市国家」のことである。因みに、アンコール・ワットの「ワット」は、寺院の意である。一般にカンボジア人はアンコール・ワットを小アンコールと呼び、アンコール・トムを大アンコールと言っている。
バイヨン(四面塔)は、アンコール・トムの中心に位置した寺院で、仏教を信仰したジャヤーヴァルマン7世により、建立されたものである。王のもっとも崇拝した観世音菩薩の巨大な四面像が、多数の塔に刻まれている。観世音菩薩の面は全部で196面あって、いずれもほほえみを浮かべており、「クメールの微笑」と言われている。人気のある菩薩像の前は、写真撮影者で混雑していた。

バイヨン-1

バイヨン-2

アンコール・トムの出口
AM10:30、次は3Km程マイクロバスで移動して、「タ・プロム:TA PROHM」の遺跡へ向かった。此処では、大木の根っ子が建造物に巻き付いている姿を、多数見られた事が印象的である。ジャングルでの、植物の圧倒的な生命力を感じざるを得ない。アンジェリーナ・ジョリー主演の「トゥーム・レイダー:Tomb Raider」という映画が、此処で撮影されたと、日本語を勉強中の女子学生(名前をVANと言う)が教えてくれた。
タ・プロム-1

タ・プロム-2

タ・プロム-3

タ・プロム-4
帰りの集合場所へ戻る時、20冊ほどの本を抱えて歩いてくる男に出会った。どんな本か見せてもらうと、その中に「アンコールの遺跡」と言う日本語の本があった。中をパラパラと眺めると、かなり古い本のようで、挿入されている写真はボヤケテいて見にくい。
しかし、アンコールのことを知る為の、手掛かりにはなりそうだと直感した。定価は720円と書かれている。「いくら?」と聞くと「30ドル」だと言う。「高すぎるよ!」と言うと、「じゃあ、この本も付けるよ」と言って別の日本語の本を提示してきた。
私は別の本には興味を持てなかったので、「この本だけで10ドル!」と、逆提示をした。男もしぶとく、20ドル、15ドルと粘ったが、私が「10ドルでなければいらない」と言って別れようとしたら、男が「10ドルで良い」と妥協して来た。
AM11:15、マイクロバスで出発。
AM11:35、大型バスに乗り換えて昼食会場へ。
AM11:50、昼食。カンボジアに入って3回目の食事である。どの食事も美味しいのだが、メニューのパターンが殆ど同じだ。ひと工夫、欲しいところである。
PM0:40、ホテルへ帰着。しばしの休憩。相部屋のガイドに行方不明者のその後を聞いた。結果は見つかっていたのだが、その経緯は次の通り。
一組の夫婦は、集合時間より前に集合場所に来ていた。「誰も居ないので、置いて行かれたと思い自分たちだけで、次の場所を目指して出発した」と言う事でした。これでは何時間待っても会えないわけだ。
PM1:20、ホテルを出発。オプショナルツアーの開始である。何処へ行くのやら。ベトナム語が分からないので、黙って付いて行く。
PM2:10、トンレサップ湖(Tonle Sap Lake)に到着。途中で購入した即席ラーメン等を、皆が手分けして舟に運んでいる。なにが始まるのだろうか。徐々に分かってきたことは次の通り。
このトンレサップ湖には、本来ベトナム人である人々が、数多く住んでいる。彼らはベトナム語を話すが、ベトナム政府からもカンボジア政府からも手が差し伸べられず、極めて貧しい生活を強いられている。
生活の糧は、僅かにトンレサップ湖から採れる魚ぐらいである。「此処に住む多くのベトナム人は、ベトナム戦争時のベトナム難民で、それらの人に、カンボジア政府が、このトンレサップ湖を当てがったのだ」と言う。
最近まで学校もなかったが、やっと水上教室が設けられ、教育が施されるようになってきた。我々はその水上教室へ、少しばかりの施し物を届けようとしているのだ。そう言えば、バスの中で一人の婦人の提案で、気持ちばかりの寄付を集められた。それが即席ラーメン等になって届けられるのだ。
水上教室に近づくと、今にも壊れそうな小舟で、我先に寄ってきて、施し物を要求する人たちが居た。我々は、舟を水上教室に横付けし、ラーメン等を抱えて舟から降りた。小学生の教室であろうか、そこでは、小太鼓等を打ち鳴らして、我々を歓迎する準備が出来ていた。

水上教室(内側)

水上教室(外側)

施しを求めて
一人の年輩の、校長先生と思われる男性が、如何にも申し訳なさそうに、我々に御礼を言い、生徒たちもそれを復唱する。その後にラーメン等を一人に数個ずつ配る。ほとんど、正視していることが苦しくなるような光景である。
メコンデルタで見た光景は、貧しくとも自分の手で稼いで生きていくと言う姿であったが、此処で目にする光景は、自分たちで稼ぐ意志をなくし、ひたすら施しを待っている姿であった。教育を受けた子供の中から、自立できる大人が育ち行くことを祈らずにはおれない。
水上教室を後にした我々は、舟をもう少し先まで走らせて、一軒の水上館へ。とは言っても、筏に屋根を付けただけの休憩所である。そこで各人が好みの飲み物で喉を潤した。私は此処でも、ココナッツを飲んだ。

トンレサップ湖の奥へ

トンレサップ湖(晴れない表情の小生)

海のように広いトンレサップ湖

水上生活者(トンレサップ湖)
今日のUS20ドルの、オプショナルツアーはこれでオシマイ。つまり、トンレサップ湖で生きる、貧しいベトナム人を慰問し、ココナッツを飲んで帰る。カンボジアの一つの厳しい現状を見学することが、ツアーの目的だったのであろうか。
PM3:45、乗船した場所に戻って、再上陸。
PM4:25、四つ星の、キングダム・アンコール・ホテル(KINGDOM ANGKOR HOTEL)に戻り、オプショナルツアーに参加しなかった人をバスに乗せて、シェムリアップ郊外のバケン山(Bakheng Mountain)へ向かった。目的は、この山の頂上から、夕日を鑑賞することである。
ところが生憎、雨が降ってきた。片道30分程度の小さな山であったので、私は持参した傘をさして登ってきた。頂上には、アンコール時代初期の崩れかけた寺院が建っていた。雨の降る中にも拘わらず、狭い頂上には沢山の人が詰めかけていた。晴れていれば、巨大な人造湖(西バライ湖)に沈む夕日が見られ、アンコール・ワットも一望できるようだ。

雨の中を頂上へ(プノン・バケン)

頂上の寺院(プノン・バケン)

ここから夕日を見たかった!(プノン・バケン)
この山は、丘と言っても良いくらいの小さな山で、カンボジア語ではプノン・バケン(Phnom Bakheng)と言う。プノンとは丘と言う意味だから、「バケン丘」と言う意味になる。同様に首都のプノン・ペンは「ペン婦人の丘」と言う意味だそうだ。
PM6:00、ビュッフェ形式の夕食へ。旅程には「カンボジアの伝統舞踊を見ながらの食事」と書いてあったので、どんな舞踊が見られるのか、少しは期待していたのだが。現実は、食事をする客席だけで、1000席も有ろうかと思われる大会場の末席で、しかも、大勢の客が出入りする中での、バイキングであった。

伝統舞踊を鑑賞しながら
舞台では形ばかりの踊りが、大音量と共に演じられているが、遠くて全く目には入らない。ただウルサイだけであった。私はひたすら食べることに集中した為に、その結果、食べ過ぎてしまったようだ。頭痛が治って食欲が出てきた事にも遠因がある。
PM7:30、同行ツアーのみなさんは、オールド・マーケットへ、ショッピングに。私は疲れを感じたので、ホテルへ。フロントで、頼んであったクリーニングを受け取る。代金が高いだけあって申し分のない仕上がりであった。
PM9:00、就寝。
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