第4章  2つの法則の検討

 

(1)第1法則(=基本命題 5)の検討

「消費される生産手段の価値、すなわち不変資本部分だけを代表する価格要素の相対的な大きさは、蓄積の進展に正比例するであろうし、他方の、労働の代価を支払う価格要素、すなわち可変資本部分を代表する価格要素の相対的な大きさは、一般に、蓄積の進展に反比例するであろう。」(第1巻P.651)

 これが「資本主義的蓄積の一般法則」(ここでいう第1法則)を示す文である。これからこの第1法則の検討に入るが、まずイギリスの最近の経済状況を紹介することから始めよう。

 「階級闘争の相対的な優位は労使のあいだを行き来したけれども、全体としてみれば、労働者階級の力の成長が大きく産業の収益性(=利潤分配率)を減少せしめた。」(「賃上げと資本主義の危機」P.37)

 「1964年から1970年までのあいだに、利潤分配率は、ほとんど半減した。着実な下降趨勢は、50年代の初め以来存在していた。すなわち、分配率は、1950〜1954年の、25.2パ−セントから1960〜1964年の21.0パ−セントに低下した。だが、それ以降、着実な低下は雪崩に転化した。利潤分配率は1964年の21.2パ−セントから1970年の、12.1パ−セントに低下した。」(同P.61)

 

 

 

 「もしも資本家がコスト(賃金)の上昇を価格の引き上げによって埋め合わせることができれば、彼らの利潤マージンを傷つけなくてすむだろう。だが、もし彼らが市場を失ってはならないとすれば、ただ他国の競争企業が価格を上げる程度までしか、その価格を上げることはできない。」(同P.68)

 「利潤分配率の低下の基本的理由は、一方における貨幣賃金の上昇と、他方における国際競争の累進的激化とのあいだでの利潤マ−ジンの圧縮にあり、経済的停滞は、相対的にほとんどそれと関係がない。」(同P.69)

 

 「デ−タが不十分だから利潤分配率を正確に比較することは困難だけれども、各国のこの順位はほとんどぴったりと収益性の順位に一致している。日本は断然最高の利潤分配率を示しており、EEC諸国はそれより低く、そしてイギリスと合衆国は全体のうちで最低である。1950年代に高い利潤分配率の維持を最もよくなしえた三つの国−−−日本・イタリア・ドイツ−−−が、戦前戦中にフアシスト政権の支配下にあった諸国であることは、印象的である。

これらの国の独立した労働運動の壊滅は、資本が戦後期に、労働運動が回復できる前に、きわめて高い利潤分配率をおしつけることを可能にした。労働運動が最も急速に再建されたイタリアで、経済的奇跡は最初に終わった。労働運動が持続的に最も弱かった日本では、経済的奇跡は最も長く持続した。」(同P.109)

 

 以上のレポ−トから言えることは、最近のイギリス経済の実状は、労働運動による労働者階級の成長によって、つまり、賃金の上昇によって利潤が下降してきた、ということである。ここには2つの重要な事実が含まれている。

その1つは、「労働者階級の成長に伴う賃金の上昇」という点であり、これは、マルクスの予測とは全く逆の結果である。マルクスは、資本主義社会における労働者階級の窮乏化を断言し、予測したが、労働者階級の成長と、それに伴う賃金の上昇などは夢想だにしなかったのである。

そして他の1つは、「賃金の上昇に伴う利潤の下降」という点である。この事実は賃金と利潤とが、相対立する関係にあることを証明したと言ってよいであろう。即ち、可変資本の増大は、剰余価値の減少を意味し、逆に、可変資本の減少は、剰余価値の増大を意味するということである。

 しかし「剰余価値は可変資本から生まれ、不変資本からは生まれない」という基本命題bRのAからすれば、可変資本(賃金)と剰余価値(利潤)との間には、たとえ剰余価値率に若干の変動があろうとも、それらの増減状況に相関関係があるはずであろう。

即ち、可変資本の増大は剰余価値の増大を意味し、可変資本の減少は剰余価値の減少を意味する等の関係である。動かし難いイギリスにおける統計上の数字は、冷酷にも資本論における基本命題bRのAが誤りであることを証明している。

 さらに、同じ統計上の数字は、第一法則(=基本命題bT)をも、誤りであることを示している。即ち、マルクスは「不変資本の相対的増大と、可変資本の相対的減少」により労働者が窮乏化し、やがて収奪者(資本家)が収奪されるであろうと予測した。しかし、歴史的事実は、むしろ逆のコ−スをたどっているようである。

つまり、「可変資本(人件費)の相対的増大と剰余価値(利潤)の相対的減少」によって、資本家(企業)が窮乏化し、やがて資本主義経済は崩壊するであろう、と。不変資本、可変資本、剰余価値の増減状況を、マルクスの予測とイギリスの統計が示す事実に即して図示すれば、大旨次のようになろう。

 

 

   

 今、基本命題bRのAの矛盾を指摘したついでに基本命題bRの@の矛盾にも言及しておきたい。堺屋太一著「群化の構図」(P.283〜4)によれば、

 「今日(1980年)の日本は、もはや工業社会ではないし、ますますなくなりつつあるという事実だ。今や世界の先進諸国では、第三次産業の就業者が過半数を占めている。

日本でも全就業者のうち第三次産業の占める比率が、53パーセントに達し、第二次産業の34.9パーセントを大きく上回った。しかも第二次産業就業者に統計されている中には、製造業の企業で営業関係や調査、広報、金融など第三次産業的な職種にたずさわっている人々が相当数いるから、実際の数では、第三次産業関係者の比率はこれよりはるかに多いとみてもよいだろう。

 さらに最近の就業者比率でも、第三次産業の伸びは著しく高い。1970年以降、第三次産業就業者の比率は7パーセントも増えているのに、第二次産業のそれは全くの横ばいだ。

 こうした傾向は、就業者ばかりでなく、投資額についても生産高においてもみられるところである。また、若者たちの就職希望先としても、第三次産業業種が断然多い。製造業の会社を希望する者でも、本社事務や広報、調査など第三次的職種に対する希望が強い。 以上のように、第三次産業こそが、現在の中心産業であり、先端成長産業であり、若者たちの求める産業でもある。当然、多くの人々が住みたがる都市は、第三次産業の発展した都市だ。そしてその傾向は、これからの『知恵の文化』の時代にますます強まるであろう。」とある。

 

 

 

   この引用文と、次の命題とを比べて欲しい。「剰余価値は生産過程で生産され、流通過程では生産されない」(基本命題bRの@)。

 資本論によれば、「商業資本も利子生み資本も資本主義社会では派生的な形態である」(第1巻P.179)。しかし、今や、その派生的形態が全産業の過半数を占めるに至っているのであり、これもマルクスが予想だにしなかったことであろう。

 更に、その派生的形態には生産過程がないから、剰余価値が生産されないことになる。すると、第三次産業から生み出されているおびただしい剰余価値(利潤)は、全て第二次産業で生産されたものでなければならない。

 これは、引用文の例によれば、現代日本の全労働者の53%を占める第三次産業就業者は、全く剰余価値を生産しておらず、全ての剰余価値(利潤)は、34.9%(正確にはそれ以下の割合)の第二次産業就業者によって、生産されていることを意味するのである。

 第二次産業にそれほど利潤が出るのであれば、自由競争による利潤率の平均化の原則によって、第二次産業の就業者がどんどん増える傾向にあってしかるべきであろう。現実は全く逆である。ここに基本命題bRの@の矛盾を見る思いがする。

 剰余価値の生産に関する基本命題bRは、その@及びそのAの両方とも、現代社会には適応しなくなっている。これは、資本論において最重要テーマである「剰余価値論」の破産を意味するものである。

 

(2)第2法則(=基本命題bW)の検討

 資本論第1巻・第2巻では商品は、価値すなわちその生産に投じられた社会的平均的抽象労働の大きさどおりに実現されるということが前提されていた。しかし、現実の資本主義社会においては、個々の商品は価値どおりにではなく、生産価格、すなわちコスト(費用価格)プラス平均利潤で実現される。マルクスは、この理論について次のように述べている。


「利潤をpと名付ければ、定式 W=c+v+m=k+m は定式 W=k+p すなわち商品価格=費用価格+利潤に転化する。」(資本論第3巻第1章、p.46) そしてその理論から続けてマルクスは「利潤率の傾向的低下の法則」(ここでいう第2法則)を導きだした。

 ここでは、この第2法則の検討を行う。まず次に示す2つの公式に注目されたい。

 

   商品の価値 W=不変資本(c)+可変資本(v)+剰余価値(m)…………(P)

 

   利潤率 P’= 剰余価値 (m) /{不変資本 (c)+可変資本 (v)}…………(Q)

 

  上記(P)、(Q)の公式における可変資本(v)は両者共に生産過程における労賃を意味する。この中には将来の労賃となるべき性質のものは含まれていない。しかし、不変資本(c)の場合は同じ不変資本でも(P)式と(Q)式とではその内容が異なっているのである。次にその違いを示そう。

 

(P)式の不変資本:

  「われわれが、価値生産のために前貸しされた不変資本という場合には、それは、前後の関連から反対のことが明らかでないかぎり、いつでも、ただ生産中に消費された生産手段の価値だけを意味しているのである」(第1巻P.227)

 

(Q)式の不変資本:

  「利潤率は、生産されて実現された剰余価値の量を、商品に再現する消費された資本部分だけで計ることによってではなく、この資本部分・プラス・消費されないが充用されて引き続き生産に役立つ資本部分で計ることによって、計算されなければならない」(第3巻P.239)つまり、

 

     (P)式の不変資本(c)……生産過程での損耗分

    (Q)式の不変資本(c)……生産過程での損耗分+残存分

 

ということで、明らかに(P)式と(Q)式との不変資本の内容が異なるのである。

 

 基本命題bW「利潤率の傾向的低落の法則」は、

               

        利潤率 P’=  m / C     ………… (A)

                                   

             =  m’v /(c+v)   ………… (B)

                                    

             =  m’/(c/v+1)  ………… (C)

                                      

と利潤率の公式を変形し、(C)式に基本命題bT「資本主義的蓄積の一般法則(不変資本の相対的増大と可変資本の相対的減少)」を適用することによって証明されていた。

以下、順を追って基本命題bW(第2法則)の矛盾を指摘してみよう。

 

 @ 基本命題bT(不変資本の相対的増大と可変資本の相対的減少)における不変資本は、「消費される生産手段の価値」をさし、未消費部分の生産手段の価値は含まれないことを、第2章の「基本命題bTの解説」で確認しておいた。しかるに、今見てきたように、利潤率の公式の不変資本には、未消費部分の生産手段の価値が含まれているために、(C)式に基本命題bTを適用することはできないのである。したがって、この第1段階では、第2法則が成り立つか否かは全く不明である。

 

 A ところで、(Q)式ではなに故に生産過程での損耗分の他に残存分をも含めたのだろうか。この残存部分は、会計理論から見れば明らかに貸借対照表の資産項目であり、将来において費用化する性質のものである。それは、前章で詳しく述べた通り、当期の費用(損益計算書項目)とは完全に区別されなければならない、異質のものである。残念ながら利潤率の公式は、資産と費用とを明確に区別できず、混同したまま作成されている。

つまり、不変資本には、費用だけでなく資産も含まれているが、可変資本には資産が含まれておらず、費用だけであるという具合に。費用の数値と資産の数値とをミックスしての加減乗除は不可能である。それはあたかも、面積の数値と体積の数値とをミックスして加減乗除することができないのと同様である。従って、この第2段階までくると、利潤率の公式は、理論的に矛盾した内容の公式であることが明らかにされた。

 

 B 尚、これに先立つ前節「第1法則(=基本命題bT)の検討」では、基本命題bRと基本命題bTとが、歴史的事実からいずれも誤りであることが証明されている。従って、この2つの基本命題を前提として成り立つ基本命題bWも、実は、既に前節の段階で破算していたとも言えよう。

 基本命題bW(第2法則)が、このような結論に至ったということは、資本論にとって致命傷である。このことは、すなわち、マルクスが予言した歴史的過程を経ての、資本主義社会の「共産主義への必然性はなかった」ことを証明するものである。ここに本著の主題は、一応完了した。

 

 さて次は、イギリスの統計が示すように可変資本(人件費)の相対的減少からではなく、逆に人件費の相対的増大から、利潤分配率が低下し、企業の、そして資本主義社会の存続そのものが危機に瀕しているという事は注目に値しよう。この事実は、マルクスが予言した歴史的段階を経ての、共産主義への必然性はないが、他の段階を経ての蓋然性はあるということであろう。もっとも、資本主義・共産主義を問わず、労働者が各人の労働以上の賃金を要求した場合には、国家全体の経済も成り立たないことは当然であろう。

 もしも平和的或いは暴力的に、資本主義社会から共産主義社会に移行した場合、社会はどのように変わってくるのであろうか。次の第2部では、共産主義への蓋然性を考慮して、資本主義社会と共産主義社会とを経済的側面から比較してみる。



次頁(第5章)へ

頁の先頭へ

目次へ

序文へ

HOMEへ